「サムエルは民に言った。『さあ、ギルガルに行こう。そこで王国を起こそう』。」 サムエル記上11章14節


 イスラエルの東隣のアンモン人の王ナハシュがイスラエルの東北辺、ギレアドの地のヤベシュに攻め上って来ました。アンモン軍に包囲されたヤベシュの住民は、降伏を申し出ます(1節)。ところが、ナハシュは、ヤベシュの住民全員の右目をえぐり出すのが契約条件で、それをもって全イスラエルを侮辱すると告げました(2節)。

 闘いもしないで降伏するような弱腰を侮辱するということなのでしょうか。あるいは、かつて士師エフタの時代、攻め込んで来たアンモンを徹底的に撃ち破ったことに対する報復ということなのでしょうか(士師記11章)。

 いずれにせよ、それを聞いたヤベシュの長老たちは、ナハシュに7日間の猶予を求め(3節)、サウルのいるギブアに来て、ことの顛末を民に報告しました(4節)。聞いた人々が声を上げて泣いたというのは、当時、アンモンに対抗出来る力があるとは考えていなかったという証拠なのかも知れません。

 そのとき、サウルは畑にいました(5節)。サムエルから油注がれ(10章1節)、王に任ぜられたとはいえ(同24節)、サウルを侮る者もいる上(同27節)、未だ王として、王国としての制度、仕組みも整っておらず、政治・外交に専念出来るような状況にはなっていなかったのです。

 畑から戻って来て報告を受けたサウルに聖霊が激しく降り、怒りに燃えます(6節)。すると、まるで士師サムソンのように、一軛の牛を捕らえてそれを切り裂き、使者に持たせてイスラエル全地に送り、「サウルとサムエルの後について出陣しない者があれば、その者の牛はこのようにされる」と告げさせます(7節)。

 サウルはここで、権威付けにサムエルの名も用いています。王に任ぜられたばかりのサウルより、預言者サムエルの名がイスラエル全体に知られていたからでしょう。しかし、サウルの剣幕に押されたのか、民は主への恐れに駆られ、全土から33万の兵がサウルのもとに結集しました(8節)。

 翌朝、サウルは兵を三つの組に分けてアンモン人の陣営に突入し、「生き残った者はちりぢりになり、二人一緒に生き残った者はいなかった」というほどに、さんざんに打ち負かすことが出来ました(11節)。

 この結果を受けて、サウルを侮っていた者たちを処刑しようと民が申し出た者もいましたが(12節)、サウルはそれを自分の手柄とするのではなく、「今日は、だれも殺してはならない。今日、主がイスラエルにおいて救いの業を行われたのだから」と語ります(13節)。勝って兜の緒を締めよという故事を思い起こしますが、このときのサウルのごとく、常に謙遜を武具として、身にまとわせていただけたらと思います。

 預言者サムエルは、冒頭の言葉(14節)のとおり、イスラエルの民に、王国を興すためにギルガルに行こう、と言います。ギルガルは、イスラエルの民が40年の荒れ野の生活を終え、約束の地カナンに入るため、ヨルダン川を渡った日に、その乾いた川底から拾った12の石を記念の石碑とした場所です。

 神はそのとき、「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた」と言われました(ヨシュア記5章9節)。そのために、その場所の名が「ギルガル(転がし去る、取り除くという意味)」と呼ばれたのです。

 また、後に預言者エリヤやエリシャと関係して(列王記下2章1節)、預言者仲間たちが集団で生活する預言者学校のようなものが作られた場所になりました(同4章38節以下)。つまり、神に聴き、神の御旨を語り告げることを学ぶ場所になったのです。

 そのギルガルが、今日ここに、サウル王朝の興される場所となりました。かつてエジプトの恥辱を取り除かれた神が、今日もイスラエルにおいて救いの御業を行われることを認め、記念する場所であり、そして、神に聴き従い、神の御言葉を宣べ伝える事を学び教える場所です。

 私たちも今日、主イエスを王として心の中心にお迎えし、そこをギルガルとして、主と共に歩み始めさせていただきましょう。

 主よ、私たちは主イエスの贖いにより、あらゆる縄目から解放され、神の子とされる栄誉に与りました。主イエスの十字架こそ、私たちのギルガルです。主を誇り、御名を褒め称えます。主の来臨を喜び祝うクリスマス、私たちの心の中心に主をお迎えし、その導きに従います。主を愛するすべての者に、恵みと平和が豊かにありますように。 アーメン