「三日前に姿を消したろばのことは、一切、心にかける必要はありません。もう見つかっています。全イスラエルの期待は誰にかかっているとお思いですか。あなたにです。そして、あなたの父の全家にです。」 サムエル記上9章20節


 預言者サムエルは、神から一人の男の訪問を予め知らされました(15,16節)。そして、その男に油を注ぎ、イスラエルの指導者とせよと言われます。それは、王に任ずるということです。その男とは、ベニヤミン族に属する勇敢な男キシュの子で、サウルという人物です(1,2節)。彼は、「美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」と紹介されています。

 サウルは父親から頼まれて、いなくなったろばを探し(3節)、ツフの地まで行きます(4,5節)。ツフの地は、エフライム山中にあるものと思われます。ベニヤミンの地から直線で一両日の道程ですが、ろばを探しながらということならば、その倍以上の日数がかかったことでしょう。

 だから、サウルは従者に、「もう帰ろう。父が、ろばはともかくとして、わたしたちを気遣うといけない」と言います(5節)。すると従者は、「ちょうどこの町に神の人がおられます。尊敬されている人で、その方のおっしゃることは、何でもそのとおりになります。その方を訪ねてみましょう。恐らくわたしたちの進むべき道について、何か告げてくださるでしょう」と答えます(6節)。

 神の人サムエルがシロの町からツフの地に来ることを、サウルの従者が何故知っていたのか、述べられておりませんが、そこに、神の導きがあったのでしょう。ツフの町に入ると水くみに出て来た娘たち出会ったので、「ここに先見者がおられますか」と尋ねると(11節)、「お急ぎなさい。今日、この町に来られたのです」との答えです(12節)。

 城門の中でサウルがサムエルと出会ったとき、サウルはサムエルを知らなかったようです(18節)。イスラエル
全地に名が知られ(3章20節)、従者でさえその動向を把握していたサムエルのことを、サウルが知らなかったということで、サウルが政治的宗教的に、随分うぶな若者だったという印象を受けます。

 一方、サムエルは、「わたしがあなたに言ったのはこの男のことだ。この男がわたしの民を支配する」という神のお告げを聞いていました(17節)。それで、サムエルはサウルを食事に招き(19節)、続いて冒頭の言葉(20節)を語ります。

 サウルは、サムエルの語る言葉を受け止めかねて、「わたしはイスラエルで最も小さな部族ベニヤミンの者ですし、そのベニヤミンでも最小の一族の者です。どんな理由でわたしにそのようなことを言われるのですか」と尋ねます(21節)。そもそも、サウルがサムエルに尋ねたかったのは、いなくなったろばのことで、自分がどういう存在であるのか、ということではなかったからです。

 ベニヤミン族は、サウルが告げたとおり、イスラエルの最小部族で、嗣業の地は、ユダとエフライムというイスラエル最大部族に挟まれた間にあります。エフライム族からモーセの後継者としてヨシュアが立ちました。この後、ユダ族から王としてダビデが選ばれることになります。けれども、初代の王として選ばれたのは、その最小部族の中で最も小さい氏族の出身でした。

 それはしかし、決して偶然の出会いなどではありません。主が予めサウルとの出会いについてサムエルに告げておられたということは、この出会いは、主によって仕組まれていたわけです。ろばがいなくなったのは神の仕業ではないかも知れませんが、それを用いて、サウルとサムエルの出会いの場を設けられたわけです。

 私たちにとっては予想外のことでも、神の側からは計画通りということが、聖書の中には色々と記されています。ペトロはガリラヤの漁師でしたが、主イエスと出会って人間を漁る漁師になりました(ルカ5章1節以下)。サマリアの女性は人目を避けて水汲みに井戸に行きましたが、そこで主イエスと出会い、永遠に渇くことのない命の水を受け、人々に主を証しする人になりました(ヨハネ4章1節以下)。

 また、徴税人ザアカイは主イエスを一目見ようとイチジク桑の木に登りましたが、主イエスが彼の家の客となって下さり、救いに与りました(ルカ19章1節以下)。さらに、イスラエル初代の王サウルにちなんで名付けられたキリスト教の迫害者サウロは、クリスチャンを捕らえるために出かけたダマスコの町の傍らで復活された主イエスと出会い、キリストの伝道者となりました(使徒9章1節以下)。

 水をぶどう酒に換えることのお出来になる神が、サウルをイスラエルの王とし、迫害者サウロを使徒パウロに変えたのです。このお方は、肉に割礼を受けず、罪の中に死んでいた私たちを赦し、キリストと共に生かして下さったお方です(コロサイ2章13節)。そして、私たちが思う以上の、願う以上のことをして下さるお方なのです(第一コリント2章9節)。

 この恵み豊かな主に信頼し、その導きに従って歩みましょう。


 主よ、私たちは何者でもありませんが、あなたに選ばれました。あなたの期待に応える術を持ち合わせませんから、主よ、あなたに依り頼みます。必要な知恵と力を授け、導いて下さい。このクリスマスに救い主に出会い、その導きに与って恵みを受ける方が多くありますように。 アーメン