「茨は木々に言った。『もしあなたたちが誠意のある者で、わたしに油を注いで王とするなら、来て、わたしの陰に身を寄せなさい。そうでないなら、この茨から火が出て、レバノンの杉を焼き尽くします』。」 士師記9章15節


 ギデオンの側女の子アビメレクがシケムに来て(1節)、母方の叔父たちに、「エルバアルの息子七十人全部に治められるのと、一人の息子に治められるのと、どちらが得か」と尋ねます(2節)。ここで、「七十人全部に治められる」というのは、ギデオンの息子たち70人の合議による統治ということではないでしょう。アビメレクが自ら王となろうとしているのと同様、70人がそれぞれ、自分が王となろうとして互いに争っていたのだと思います。

 だから、ここでアビメレクは、異母兄弟である他の70人が王となることを望むか、それとも身内の自分が王となることを望むかと、親族である母方の叔父たちに尋ねているわけです。それで叔父たちは、自分たちの身内のアビメレクを推す方が得だと判断し、その話をシケムのすべての首長に告げ、そして、バアル・ベリトの神殿から銀70をとってアビメレクに渡したのです(3,4節)。

 すると、アビメレクはならず者を雇って、オフラにある父の家に行き、自分の兄弟70人を殺しました(5節)。そこで、シケムの人々は、アビメレクを王としました。イスラエル全体の初代の王はサウルですが(サムエル記上10章参照)、アビメレクはここで、シケムの町の王となりました。

 「ベト・ミロ」(6節)とは、「盛り土の家」という意味で、シケムの町の神殿は、盛り土された上に建てられており、有事の際には、要塞にもなりました。つまり、「すべての首長とベト・ミロの全員」とは、町の長老と神殿の祭司たちのことで、彼らが勢揃いして,アビメレクを王に任じたのです。

 そのとき、ギデオンの70人の息子たちの中でただ一人生き残った末の息子ヨタムが、ゲリジム山の頂から、シケムの首長たちに向かって大声を張り上げ、話を始めます(7節)。それは、木々が相応しい木を選んで王となってくれるように頼むという話です(8節以下)。

 木々は、先ず実のなる木を選んで、交渉を始めます。オリーブ、いちじく、ぶどうの名が上げられています。しかし、それらの木は、主から託された大切な使命を捨ておいて、木々の王となることは出来ないと断りました。それで、次に茨を選び、王となる要請をします。ヨタムの語った茨の答えが、冒頭の言葉(15節)です。

 ここで、オリーブやイチジク、ブドウの木は、ギデオンとその息子たちのことでしょう。ギデオンは、王となってほしいというイスラエルの民らの要請に対し、自分も息子たちもイスラエルを治める者にはならないと答えて、それを断りました(8章23節)。しかし、アビメレクは茨ですから、その陰に身を寄せるならば、トゲに悩まされ、彼を裏切るならば、茨から火が出てすべてが焼かれてしまうのです(15,20節)。

 それはヨタムが語った呪いの言葉ですが(57節)、アビメレクとシケムの人々の間には、三年の間に陰険な空気が漂うようになり、次第に裏切りを画策するようになります(22節以下)。アビメレクはそれと知って戦いを仕掛け、シケムの町を破壊します(44,45節)。首長たちは神殿地下壕に逃げ込みますが(46節)、アビメレクはそこに火をつけて焼き殺してしまいます(49節)。

 さらにアビメレクは、シケムの北東15kmほどのところにあるテベツに向かい、そこを攻撃します(50節以下)。人々は町の中の堅固な塔に立て籠もります(51節)。アビメレクがこれに攻撃を仕掛け、火を放とうとしたとき(52節)、一人の女が投げた挽き臼の石で頭を砕かれ、死にました(53,54節)。こうして神は、ギデオンの子らの血の報復を,アビメレクとシケムの首長たちに果たされたのです。

 かくて、ギデオンの定まらない姿勢、無自覚にもその子にアビメレクと名付ける思い上がりが、子らに大きな悲劇をもたらしました(8章27節参照)。どこまでも主を畏れ、主の御旨に生きていれば、金の耳輪でエフォドを作り、それを拝むという偶像礼拝に手を染めることも、多くの子どもたちによる後継争いも、アビメレクによる異母兄弟殺しも、従って、シケムの町が破壊されることもなかったでしょう。

 思い上がる心こそ、一番の問題であることを自覚し、絶えず謙って主の御言葉に耳を傾けるものでありたいと思います。

 主よ、あなたは高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになります。あなたに服従し、悪魔に反抗します。主の御言葉こそ、私たちの魂を救うものです。御言葉に従う者とならせて下さい。 アーメン