「どうか、彼らが生きている限りわたしを畏れ、わたしの戒めをことごとく守る心を持ち続け、彼らも、子孫もとこしえに幸いを得るように。」 申命記5章29節


 5章には、「十戒」が記されています。これは、出エジプト記20章にも記されています。シナイ山で受けた戒めを、今ここにもう一度、記しているわけです。それは、約束の地に向かって進軍しようとしているイスラエルの民に、神との契約を結ばせるためでした(3節)。

 イスラエルの民は、ホレブにおいて神と契約を結んでいました(2節)。しかし、そのときの民は神に背き、御言葉に従おうとしなかったため、約束の地を見ることなく、荒れ野で死んでしまいました(1章35節、民数記14章35節、26章64節)。その子らが同じ轍を踏むことがないように、改めて十戒を語り聴かせているのです。

 4章44節以下に、「律法のまえがき」が記されています。その中に、この十戒を教えた場所について、「ヨルダン川の東で、ヘシュボンに住むアモリ人の王シホンの領土にあるベト・ペオルの前に広がる谷」(同46節)と告げています。3章27,29節との関連から、ベト・ペオルは、モーセが約束の地を眺めたピスガ=ネボ山に近く、今日、ネボ山の北、シティムの南東4キロのキルベト・エ・シーク・ジャーイルが、それであろうと考えられています。

 主なる神は、かつてホレブの山に降られたのと同様、ペオルの山(民数記23章28節参照)に降り、火の中から民に語られました(4,5,22,23節)。「火と雲と密雲の中から」(22節)、「山は火に包まれて燃え上がり、・・暗闇からとどろく声を聞いたとき」(23節)、それは本当に恐ろしい光景だったことでしょう。

 民は神を畏れ、「これ以上、我々の神、主の御声を聞くならば、死んでしまいます」といい(25節)、「どうか、あなたが我々の神、主の御もとに行って、その言われることをすべて聞いてください。そして、我々の神、主があなたに告げられることをすべて我々に語ってください」とモーセに求め、「我々はそれを聞いて実行します」と約束しました(27節)。

 これらの言葉を主が聞かれ、冒頭の言葉(29節)をモーセに告げられました。彼らの信仰を祝福して下さったのです。私たちも、主が語られたとおり、初心を忘れず信仰に固く立ち、真理の言葉に従って命の道をまっすぐに歩み、常に主の恵みと慈しみに与ることが出来るようにと祈ります。

 ここで、ベト・ペオルとは、イスラエルの民がモアブの神バアル・ペオルを拝んだところではないかとも言われます(民数記25章3,5,18節)。ベト・ペオルとは、「ペオルの家」という意味で、ペオルの神殿があったと思われます。そうであれば、まさに民の父らが異教の神を拝む罪を犯して神を怒らせたその場所で、自分たちをエジプトの国、奴隷の家から導き出した主なる神を、おのが神として忠実に従うように、改めて命じているわけです。

 それは、主イエスが、フィリポ・カイサリアという、ヘロデ大王がローマ皇帝の像を安置する大理石の神殿を建てた町で、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねられ(マタイ16章15節)、シモン・ペトロが、「あなたはメシア、神の子です」と答えた(同16節)という出来事を思い起こさせます。

 それは、ローマ皇帝を神とするのではなく、主イエスこそ我が神とするというのです。主イエスはペトロの信仰告白を喜ばれ、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と言われました。キリストはご自身を信じる者たちと新しい契約を結ばれ、その信仰を土台とするご自分の教会を築かれるのです。

 フィリポ・カイサリアは、ヨルダン川の水源地、ヘルモン山の雪解け水が泉となって湧き出すところです。主イエスを信じる者は、その腹から生きた水が川となって流れ出ると、ヨハネ7章36節に記されています。主イエスを信じる信仰が、そのところから川となって流れ出し、全地を潤すという象徴的な場所でもあります。

 そして、ベト・ペオルは、そのヨルダン川が死海に注ぎ込む河口の東に位置しています。そこにいる民が主イエスを信じる信仰に固く立つならば、彼らから流れ出た生きた水が死の海を清め、命に溢れるところとなることでしょう。

 主よ、あなたは私たちを罪の縄目から解放し、永遠の御国に入る導きに与らせて下さいました。その恵みに感謝し、日々御言葉に耳を傾けます。その導きに従って歩みます。主の御業に励む者として下さい。 アーメン