「人を遣わして、わたしがイスラエルの人々に与えようとしているカナンの土地を偵察させなさい。父祖以来の部族ごとに一人ずつ、それぞれ、指導者を遣わさねばならない。」 民数記13章2節


 冒頭の言葉(2節)は、主なる神がモーセに命じられた言葉です。ようやく、約束の地が手の届くところに来ました。パランの荒れ野から、偵察隊をカナンの地に派遣します。モーセは、各部族の長を選び出しました。

 そこに挙げられた名のうち、エフネの子カレブ(6節)とヌンの子ホシェア(8節)以外は、最初で最後の登場です。それは、偵察から戻って、その土地について悪い情報を流し、共同体全体がモーセに不平を言うように仕向けたため、40年間荒れ野を彷徨い、約束の地に入れなくなってしまったからです。そのため、神は悪い情報を流した者を疫病で打ってしまわれたのです(14章36,37節参照)。

 モーセは偵察隊に、「その土地がどんな所か調べて来なさい。そこの住民が強いか弱いか、人数が多いか少ないか、彼らの住む土地が良いか悪いか、彼らの住む町がどんな様子か、天幕を張っているのか城壁があるのか、土地はどうか、肥えているかやせているか、木が茂っているか否か」と命じました(17節以下)。

 けれどもそれは、主成る神が約束の地の情報を得たいからということではありません。むしろ、各部族の長に、約束の地の豊かさ、乳と蜜の流れる所を直接見て欲しい、ということだったのです。彼らは、ツィンの荒れ野からネゲブ、ヘブロン、エシュコルの谷、これらはイスラエル南方の地名です。そこから更に北方のレボ・ハマトに近いレホブまでを40日にわたって偵察しました。

 「ネゲブ」とは、「乾いている」という意味で、国の南方を示すときに用いられます。「ヘブロン」は、「連合」という意味で、以前は「キリアト・アルバ(四つの町)」と呼ばれていました(創世記23章2節)。町が形成されるほど、水が豊富にあるということになるでしょう。ダビデがここでユダ族の王となり(サムエル記下2章1節以下)、その後、全イスラエルの王となりました(同5章1節以下)。

 「エシュコル」とは「房」を意味する名で(24節)、土地の豊かさに因んでつけられものでしょう。ユダヤ南方の乾いたところから北上するにつれて、豊かな実りのある地が表れてくるということです。

 偵察隊が見たのは、確かに乳と蜜の流れるところでした。彼らはそこでぶどうを取りましたが、「一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ」(23節)と記されていて、そのぶどうの房の大きさから、実りの豊かさを示しています。彼らは、パランの荒れ野のカデシュに戻り、その旨を報告をします(27節)。

 それで、約束の地に向かって出発ということにはなりませんでした。というのは、「その土地の住民は強く、町という町は城壁で囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけ」たからです(28節)。アナク人とは、「首が長い者」という言葉から派生した「巨人」を意味するものです。ダビデと戦ったペリシテ人戦士ゴリアトは、背丈が6アンマ半(約3メートル)もあり、アナク人の子孫と考えられます(サムエル記上17章4節)。

 偵察隊が出した結論は、「あの民に向かって上って行くのは不可能だ。彼らは我々より強い」(31節)というものでした。そうして、非常に悪い情報を流します(32,33節)。しかし、この情報は事実に基づいていません。初めは、「そこは乳と蜜の流れるところでした」と報告したのに、「そこに住み着こうとする者を食い尽くすような土地だ」(32節)と評しているからです。同様に、「我々が見た民は皆、巨人だった」というのも、誇張が過ぎます。

 これは、神を怒らせ、あるいは悲しませるものです。神は、「わたしがイスラエルの人々に与えようとしているカナンの土地」(2節)と言っておられました。その土地について悪い情報を流すということは、神が下さるものは悪いものだということであり、また、その土地を手に入れることは出来ないということだからです。つまり彼らは、神の言葉は信じられない、と言っているわけです。

 確かに、目に見える現実と神の御言葉、どちらを信じ、どちらを取るかと言われて、常に御言葉に立つのは易しくないでしょう。けれども、カレブはそれをしました。「断然上って行くべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます」と言います(30節)。主なる神とその御言葉への信仰が、そう語らせたのです。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われる主イエスを信頼し、御言葉の光の内を歩ませていただきましょう。

 主よ、信じます。不信仰の私をお助け下さい。私は自分の中に、希望や平安の根拠を持ちません。主こそ、希望の源であり、平安の源であられます。信仰によって得られるあらゆる喜びと平和で私たちを満たし、聖霊の力によって希望に満ち溢れさせて下さい。 アーメン