「彼らは更に言った。『主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか』。主はこれを聞かれた。」 民数記12章2節


 モーセに対する非難が、思わぬところから飛び出しました。それは、彼の身内、姉のミリアム、兄のアロンです。

 彼らは先ず、「モーセがクシュの女性を妻にしていることで彼を非難し」ています(1節)。クシュとは、南エジプト、今のエチオピアのことと考えられています。モーセがミディアン人の祭司エトロの娘ツィポラを娶ったことが、出エジプト記2章21節に記されています。クシュ人とはツィポラのことと考える学者もあるようですが、ミディアン人をクシュ人とは呼ばないでしょう。

 同18章2節の「モーセが先に帰していた妻のツィポラ」という表現をモーセの離婚と考え、クシュ人と再婚したという解釈もありますが、その真偽は不明です。しかし、今ここに来て、なぜミリアムとアロンは、モーセを非難しているのでしょうか。

 冒頭の言葉(2節)で、彼らは「主はモーセを通してのみ語られるのか」と言い、自分たちも御言葉の取次ぎが出来るはずだと語っています。これは、彼らがモーセの指導者としてのあり方を問うているわけです。ということは、モーセの妻がミディアン人であれクシュ人であれ、異邦人の女性を妻としているモーセがイスラエルの民の指導者として相応しいのか、と非難していることになるでしょう。

 出エジプト記2章4節以下で、男児殺害の命令が出されている中、姉ミリアムは弟モーセのために見張りを務め、エジプトの王女に実の母親を乳母として紹介するなど、モーセの生い立ちに一役買いました。また、同15章20節には、「アロンの姉である女預言者ミリアム」と記されており、イスラエルの民の指導的な立場にいたことが分かります。

 また、アロンは、モーセが民の指導者として神に召された際、「自分は口が重い者だから、誰か他の人を遣わしてください」と固辞して主が憤られ、あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。・・彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる」(同4章14節以下)と言われました。

 モーセがイスラエルの指導者として相応しいのかと彼らが非難したということは、自分たちが指導者としての地位を確保するという狙いがあるものと思われます。ミリアムは長女であり、末弟モーセに対して、嫉妬にも似た思いを持っていたのかも知れません。それは、ミリアムの弟アロンも同じことでしょう。

 その非難に対して、モーセは何も答えていません。しかし、彼らの非難を主が聞かれました。そして、二人を呼び出され、語られます。確かに、モーセによらず、彼らも直接に神の言葉を聞くことが出来るわけです。しかしながら、彼らが聞いたのは、神の裁きの言葉でした。「あなたたちは何故、畏れもせず、わたしの僕モーセを非難するのか」と主は言われ(8節)、彼らに対して憤り、去って行かれました(9節)。

 モーセが彼らよりも優れた指導者であるかどうか、彼らよりも能力のある指導者であるかどうか、それが問題なのではありません。誰がモーセを指導者として立てたのか、それが問題なのです。自分でその立場に立ったわけではありません。ミリアムを預言者として、アロンを祭司として立てたのは、主なる神です。同様に、モーセを立てたのも、主なる神なのです。つまり、モーセを非難することは、神を非難することです。

 だから、そのとき、「ミリアムは重い皮膚病にかかり、雪のように白くなって」しまいました(10節)。アロンが罰を免れたのは、そのときミリアムが主導的な立場にいたからでしょう。そして、アロンはモーセに執り成しを頼みます(11,12節)。それによってアロンも、モーセの神の立場を認めていることになります。

 ここで初めてモーセが口を開き、「神よ、どうか彼女をいやしてください」と助けを求めて叫びます(13節)。叫ぶというところに、その祈りの真剣さを見ることが出来ます。自分を非難した姉の助けを真剣に祈るところに、3節で、「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった」と言われたその面目が表れています。

 それは、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章44節)と言われた主イエスの御言葉に従う正しい態度でした。


 主よ、御子イエスの軛を負い、その柔和と謙遜を学ばせて下さい。そしてモーセのごとく、自分を非難する者に対し、悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を祈る者とならせて下さい。私たちをして御心を行う者とならせたまえ。 アーメン