「モーセは神と語るために臨在の幕屋に入った。掟の箱の上の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から、神が語りかけられる声を聞いた。神はモーセに語りかけられた。」 民数記7章89節


 7章は、臨在の幕屋が完成した時点(出エジプト記40章、レビ記8章10,11節)に時計を戻し、まず幕屋と祭壇、その祭具に油を注いで聖別したと記されています(1節)。荒れ野の生活といえども、否、荒れ野の生活だからこそ、神と交わるために、まず清められなければならないのです。

 それから、献げ物がささげられます。それは、①運搬用牛車と雄牛(3節)、②聖所で使う器、それには油を混ぜた小麦や香が盛ってありました(13,14節など)。こうして、礼拝の奉仕に必要なものがまず整えられます。そして、③犠牲の動物がささげられます(15~17節など)。

 ここで、②と③は、12部族が全く同じものをささげています。だから、最初の部族の献げ物を書いて、後の部族については、「以下同文」と言えば、それですむはずです。しかしながら、わざわざ同じことを繰返し記しているのは、すべての民が神の御前に平等であること、また、彼らにとって献げ物をするのは喜びであり、その喜びが12回重ねられて、大変大きな喜びとなっていることを示しています。

 「献げ物」(コルバン)とは、元来「近づく、進み出る」(カーラブ)という意味の言葉です。即ち、神に近づくため献げ物をするのです。イスラエルの民は、幕屋にあって自分たちと共に歩んで下さる神に近づくことを喜びとして、多くの献げ物をしたということです。

 そうして、冒頭の言葉(89節)のとおり、神と語らうためにモーセが臨在の幕屋に入りました。そのとき、神が「掟の箱の贖いの座を覆う一対のケルビムの間から」、語りかけられました。「贖いの座」(カポーレト)とは、「覆う」(キッペル)という意味の動詞から派生した言葉です。私たちの罪を神が覆って下さり、神との関係が正しく整えられたということです。

 詩編32編1節に、「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」とありますが、生け贄の血が流されることなしに、背きを赦され、罪を覆っていただくことは出来ません(ヘブライ書9章22節、レビ記17章11節)。

 「ケルビム」は、翼を持った半人半獣の神話的存在です。神が乗られ(サムエル記下22章11節)、また、その上に座す(列王記下19章15節)という記述があります。つまり、贖いの座のケルビムは、神の臨在を示していると考えられます。献げ物をもって近づく民に、神がご自身を現し、語りかけられました。そこに、親密な深い交わりが開かれたのです。

 私たちは、イエス・キリストを通して、神との新しい契約の関係に入りました。私たちには目に見える契約の箱はありません。臨在の幕屋も、目には見えません。しかし、それらのものは必要ないのです。それは、神は私たちの心に住み、石の板ではなく、私たちの心に契約の言葉を刻み込んで下さったからです(エレミヤ書31章33節、エゼキエル書36章26節も参照)。

 また、御子イエスご自身が贖いの供え物となって下いました。十字架がその祭壇です。キリストが十字架で息を引き取られたときに神殿の幕が真っ二つに裂けて、私たちが神に近づく道が開かれました(ヘブライ書10章19~22節)。はばかることなく神に近づくことが出来るようになったのです。

 そのとき私たちは何を携えて神の御前に出ましょうか。イスラエルの民が喜びをもって献げ物をしたように、喜びをもって賛美のいけにえ、唇の実をささげましょう(同13章15節)。「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」という言葉もあります(ネヘミヤ記8章10節)。私たちが喜んで主を賛美するとき、主ご自身がそれを喜ばれて栄光を現して下さいます。そしてそれが信仰者にとって何よりの喜びではないでしょうか。

 「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊」という言葉もあります(詩編51編19節)。主の前に謙った私たちの霊、つまり私たち自身を主が求めておられるのです。それはパウロが、「自分の体を神に喜ばれる聖なるいけるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と語っていることにつながります(ローマ書12章1節)。

 主なる神は、私たちがキリスト・イエスにあって、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝して生活することを望んでおられます(第一テサロニケ5章16~18節)。それは、主イエスが私たちと共におられるからこそ開かれる、恵みの生活なのです。

 主よ、あなたは御子キリストをお遣わし下さり、贖いの御業を成し遂げて下さいました。その深い憐れみのゆえに心から感謝致します。御子という貴い代価をもって贖い取られた私たちの身体です。ご自身の栄光のために、この地に御旨が行われるために、その器としてお用い下さい。そのために、日々、御言葉を聞かせて下さい。御国が来ますように。 アーメン