「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と永久に彼らを見ることはない。」 出エジプト記14章13節


 イスラエルの民は、追い立てられるようにしてエジプトを脱出し、葦の海に通じる荒れ野に出ました(13章18節)。総勢2百万人とも推定されるイスラエルの民が、モーセに導かれてピ・ハヒロトの傍ら、バアル・ツェフォンの前で宿営します(2節)。とてつもなく大きなキャンプだったことでしょう。

 一方、ファラオはもう一度頑迷になって、イスラエルの民を労役から解放して去らせたことを後悔し、自ら軍勢を指揮してイスラエルの民のあとを追います(5節以下)。そして、バアル・ツェフォンの手前に宿営しているイスラエルの民を見つけました(9節)。

 イスラエルの民は葦の海を前に、あとを追って来たエジプト軍に恐れをなし、「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか」(11節)、「我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか」(12節)と、モーセに向かって文句を言います。

 これはちょうど、ガリラヤの海で嵐に遭遇したとき、その舟の中で眠っておられた主イエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えたのに似ています(マルコ福音書4章35節以下38節)。絶体絶命の危機の中で、そう叫び訴えるほかなかったのです。

 そのときモーセは、冒頭の言葉(13節)のとおり、「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と永久に彼らを見ることはない」と言い、続けて、「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」(14節)と語りました。

 モーセは、この危機的な状況を造られたのが神ご自身であることを、承知していました。イスラエルの民は、約束の地カナンへ、近道のペリシテ街道ではなく(13章17節)、シナイ半島を南下するという迂回ルートを進むのですが、しかし、ラメセスからスコトへと南に進んだ後(12章37節)、そこからまっすぐ南下してシナイ山を目指したのではなく、一旦北上して、葦の海を前にバアル・ツェフォンに宿営したのです(2節)。

 そうした上で主は、ファラオの心を頑なにし、イスラエルの後を追わせられました。そうされたのは、ファラオの全軍を打ち破って神の栄光を現し、エジプト人に主こそ神であるということを知らしめるため、ということだったのです(4節)。

 とはいえ、「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。・・・主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」と語ったモーセも(13,14節)、実は、心中穏やかではなかったようです。主がモーセに、「なぜ、わたしに向かって叫ぶのか」(15節)と言われているからです。

 モーセはそのとき、神様、この状況をどうしてくれるのですか。本当に栄光を現して下さるのでしょうね、と心の中で恐れ、叫んでいたのでしょう。ただ、少なくとも私は、モーセを責めることが出来ません。海に行く手を阻まれ、後ろに敵の軍勢が迫って来ているという状況を見て、神を信じているとはいえ、いったい誰が叫ばずにいられるでしょうか。むしろ、神を信じているからこそ、「神様、助けて!」と叫ぶのだろうと思います。

 主は、「イスラエルの人々に命じて出発させなさい」と言われました(15節)。それは、前に横たわる葦の海に向かっての出発です。神は、イスラエルに戦いを命じてはおられません。エジプト軍に打ち勝つことが目的ではなく、イスラエルが神に徹底的に従うことを求めておられるのです。そのとき、神が勝利をお取りになるのです。

 神はモーセに杖を高く上げ、手を海に差し伸べるように言われます(16節)。その通りにすると、激しい風が海を二つに分け、民は乾いた地を進むことが出来ました(21,22節)。そして、エジプト軍が海に進んで来たとき、モーセが再び手を差し伸べると、海は元通りになりました(26,27節)。これはまさに、主を信じて行動したイスラエルのために、主ご自身が戦われたということです。

 「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち返って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と」(イザヤ書30章15節)。

 主よ、あなたを信じます。不信仰な私を憐れんで下さい。力のない私を支えて下さい。知恵のない私に知恵を授けて下さい。聞き分ける耳を、見分ける目を、そして深く悟る心をお与え下さい。何よりも、主よ、あなたを畏れる心をお授け下さい。アーメン