「イスラエルの人々を治める王がまだいなかった時代に、エドム地方を治めていた王たちは次のとおりである。」 創世記36章31節


 36章には、エサウの系図が記されています。35章22節以下に、エサウの弟ヤコブの息子たちの名が短く記され、父イサクの死が報告された後(同27節以下)、長々とエサウの系図が記されているのは、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(1章28節、9章7節も参照)と命じられた主の祝福が、エサウにも及んでいることを、如実にあらわしています。

 弟ヤコブがハランに出発して後、エサウがどのように歩んだのか、全く分かりません。けれども、戻って来た弟ヤコブを出迎えるのに400人の供を連れていますし(32章7節、33章1節)、ヤコブの贈り物に対して、「弟よ、わたしのところにはなんでも十分にある。お前のものはお前が持っていなさい」と語っていますので(33章9節)、主なる神は、ヤコブだけでなく、兄エサウをも豊かに祝福されていたのです。

 6節に、「エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れて他の土地へ出て行った」とあり、その理由が続く7節で、「彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである」と語られています。これは、アブラハムがロトと別れた出来事を思い起こさせます(13章参照)。

 8節に、「エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった」とありますが、32章4節に、「セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに」と記されていますので、エサウは既に以前から、セイル山地に住んでいたわけです。

 ここであらためてセイルの山地に住むようになったということは、エサウは全家族、全財産を携えてヤコブのもとに行ったけれども、互いの持ち物が多過ぎて一緒に住むことが出来なかったため、約束の地を弟に委ね、元いたところに戻ったと考えたらよいのでしょう。

 マラキ書1章2,3節に、「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と記されていますが、今日の箇所を見る限り、エサウが神に憎まれているようには思われません。また、神に憎まれる理由も見出せません。エサウは、確かに長子の権利を軽んじました。祝福を横取りしたヤコブを憎み、殺そうと企みました。けれども、それを実行したわけではありませんし、後日、ヤコブと再会を果たしたときには、既にそれを忘れてしまっているようでした。

 33章の兄弟のやり取りを見ると、むしろ愛されるべきはエサウで、不誠実なヤコブが兄に憎まれても当然という思いさえします。その意味で、ヤコブが愛されるのは、彼自身にその理由があるのではなく、一方的な神の憐れみの故です。そしてその憐れみは今日、私たちに注ぎ与えられています。私たちが主イエスを信じる信仰に導かれ、救いの恵みに与ったのは、実にこの憐れみによるのです。

 神はかつて、イスラエルの父祖アブラハムに対して、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」と言われ(12章2節)、さらに、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」と語られました(同3節)。その祝福がイサクからヤコブに受け継がれました(27章29節)。ですから、エサウが神に祝福されて大家族で豊かな財産を所有するに至ったのは、弟ヤコブの罪を赦し、彼に親切に語ったからではないでしょうか。

 冒頭の言葉(31節)で、イスラエルにまだ王がいなかった時代に、既に、エドム地方を治める王がいたというのも、イスラエルの子孫がカナンの地を自分たちの所有とする以前に、エサウの子孫は既に、エドム地方を支配する者になっていたということです。

 私たちも、力強い神の御手の下に自らを低くし、思い煩いを主にお任せしましょう。神は謙遜な者に恵みをお与え下さいます(第一ペトロ書5章5節以下)。すべての人との平和を追い求めましょう。神の恵みから除かれることがないためです(ヘブライ書12章14,15節)。

 主よ、私たちをお互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ち溢れさせて下さいますように。そして、私たちの主イエスが、ご自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、私たちの心を強め、あなたの御前で、聖なる、非のうちどころのない者として下さるように。 アーメン