「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇をわけ、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」 創世記1章3~5節


 今日から、創世記を読み始めます。これを機に、聖書を通読する習慣を身に着ける方々が一人でも多く起こされるよう、主の恵みと導きを祈ります。

 「創世記(Genesis)」という書名は、ギリシア語の「ゲネシス」(初め、起源の意)からつけられたものです。ヘブライ語原典では、1章1節冒頭の「べ・レシート(in beginning=初めに)」がそのまま書名になっています。

 創世記は、続く出エジプト記、レビ記、民数記、申命記と共に、「トーラー(律法の書)」に分類されます。トーラーは、伝統的にモーセによって書かれたと考えられていて、モーセ5書という呼び方もあります。ただし、学者によれば、E典(エロヒーム文書)、J典(ジェホバ文書)、P(祭司文書)という主要な文書、資料によって造り上げられたと考えられています。

 さて、神が初めに造られたのは、冒頭の言葉(4節)のとおり、「光」でした。神が「光あれ」と言われると、光が出来たということですが、勿論、日本語で言われたわけではありません。もしかすると、それは、人間が理解出来る言葉ではなかったのかも知れません。

 6節で、神は、「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」と言われましたが、7節には、「神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた」と記されています。まるで、ご自分の言葉に従って、大空を「手で」造られたかのような表現です。

 その意味では、1章を、神が言葉だけで世界を造られたと解釈するのは、正確ではないのではないでしょうか。むしろ、天地万物を創造されることが神の御意志だった、世界のすべては神の作品であるということを言い表そうとしている文章と読むべきでしょう。

 光が造られたことで、一日の始めと終わりが出来ました。けれども、この光は、太陽光ではありません。太陽は、14節で「天の大空に光る物」、「(二つの大きな光る物の)大きな方」と呼ばれています。そして、それは第四の日に造られました。

 エジプトをはじめ、太陽や月を神として礼拝する国が周辺に多くある中で、聖書は、太陽も神の被造物にすぎず、神の創造の目的に従って用いられたものである、と語っているわけです。強いて言えば、「昼と夜を分け、季節の記し、日や年のしるしとなれ」という言葉を、神が造った日や月や季節、年といった秩序が乱れないように監視する使命が与えられたものと読むことも出来るでしょう。

 神は、「闇」を造られたわけではありませんが、光の創造される前の光のない世界は、真っ暗闇でしょう。しかし、神は光を造って闇を全く排除されたわけでもありません。「闇を夜と呼ばれた」ということは、光だけでなく、闇も神の支配下にあるということです。

 また、聖書の世界の一日は、夕べから始まります。夕方6時から一日が始まるのは、日中は暑くて仕事にならないので、涼しくなった夕方から起きて仕事を始めるためだ、と聞いたことがあります。真偽は不明ですが、いずれにせよ、夜の闇を通って明るい朝を迎えます。

 イスラエルの歴史は、430年に及ぶエジプトでの奴隷の苦しみからの解放に始まりました(出エジプト記12章40,41節)。そして、40年の荒れ野の生活を通って(民数記14章33,34節)、約束の地に定住しました。神による救いの出来事を記念して、過越祭、七週祭、仮庵祭を祝います。

 イスラエルの建国は神の恵みでしたが、愚かにも民は神に背き、アッシリア、バビロンによる国の滅亡と捕囚という苦しみを招きます(列王記下17章、25章)。しかるに神は捕囚の民を憐れみ、50年後、解放されてエルサレムに戻ることが許されます(歴代誌下36章22節以下、エズラ記1章)。そうして、イスラエルを建て直しました。

 夜の闇が神の支配の下にあるからこそ、朝の光を見ることが出来るわけですし、夕べと朝が交互に訪れて日を重ねていくのです。ここに、「闇を良しとされた」という言葉はありません。しかし、光を良しとされる神により、夜の闇の中で朝を期待することが出来ます。そこで希望を持つことが許されているのです。

 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った」(イザヤ書9章1,2節)。命の光なる主イエスを仰ぎ(ヨハネ福音書1章4節8章12節など)、どのようなときにも深い喜びと大きな楽しみに与らせていただきましょう。


 主よ、御顔を仰ぎ望み、目覚めるときには御姿を拝して、満ち足りることが出来ます。御言葉を通して、主イエスの御顔に輝く神の栄光を悟る光を私たちにお与え下さり、感謝致します。御名が崇められますように。 アーメン