「主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの総首長ゴグよ、わたしはお前に立ち向かう。」 エゼキエル書38章3節


 38,39章には、マゴグのゴグに対する預言が記されています。マゴグがどこにあるのか、どの時代に登場した国なのか、今はよく分かりません。アッシリアのことだろうとかバビロンだとか、ギリシアのアレキサンダー大王とかローマ帝国、はたまた、これは現代の預言で、第二次世界大戦中のドイツになぞらえたり、あるいはロシアのことという解釈もあるそうです。

 6節、15節の「北の果て」という言葉から、イスラエル北方の脅威だった国々や、1節の「メシェクとトバル」という町の名前からの類推で色々と取りざたされているようです。しかし、この章でエゼキエルは、具体的にどの国がイスラエルを攻めてくるのかということを問題にしているのではないでしょう。

 37章において、「枯れた骨の復活」の幻を通して、神の民イスラエルの回復が語られました。実際に、ペルシアのキュロス王により、捕囚から解放されてエルサレムに戻り、国を建て直すことが出来ました(歴代誌下36章22節以下、エズラ記1章1節以下)。

 そのとき、バビロンを滅ぼして新しい盟主となったペルシアの他、イスラエルの脅威となる国々が周囲に存在しています。そうした脅威に対して、イスラエルは「囲いのない国」、「城壁もかんぬきも門もない」、つまり、自分で自分を守る術を持たない国です(11節)。

 しかしながら、イスラエルの国は、そこで安らかに生活することが出来るというのです。彼らは、バビロンによって滅ぼされ、一度エルサレムは廃虚にされました。けれども、再び建て直されて人が住むようになり、家畜や財産を持つようになると言われるのです(12節)。

 周囲の脅威が取り除かれたのではありません。攻めて来る国がなくなったからでもありません。城壁もかんぬきも門もないことに目をつけて、襲ってくる敵があります。それが、マゴグです。ということは、どこと名指ししているのではなく、そのようにして襲って来るものの総称を、マゴグと考えたらよいでしょう。

 襲って来る者がいる。しかし今、自分で自分を守る術がない。そのようなとき、どうしますか。とりあえず、頑丈な城壁を築きたいでしょう。より強力な軍備を持ちたいかもしれません。北朝鮮が核で武装するなら、その対抗上、韓国に核兵器の配備をと、非核三原則の国是に反することを日本の国務大臣が言って、物議を醸したニュースが以前にありました。今はむしろ、日本も核を保有すべきだという考え方をする政治家も、決して少なくないと思います。そう考えるのが当然なのでしょうか。そうすべきなのでしょうか。

 北朝鮮による拉致被害というのは、まさに、囲いのない国で安らかに生活していた日本人に目をつけたという、非道な行為です。それについて、国として、毅然とした対応を求めるのは当然と言わざるを得ません。ただ、60数年前、アメリカの経済封鎖により、我が国は太平洋戦争へと突き進みました。それと同じ愚を繰り返さないように、慎重に対応して欲しいと思います。

 聖書は、そこに神がおられるというのです。マゴグの王ゴグに対して、冒頭の言葉(3節)で、「わたしはお前に立ち向かう」と言われました。神は、イスラエルが囲いのない国、城壁やかんぬきや門がない国であることをご存知です。そして、そのような中で安らかに生活している民に目をつけて、略奪をほしいままにしようと目論む者がいることもご存知です。そこで神がゴグに立ち向かい、イスラエルを守って下さるというのです。

 神様が味方して下されば、それ以上に心強いことはありません。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか」(ローマ書8章31節)と、パウロが語っているとおりです。

 主イエスは、「わたしは羊の門である」と言われ(ヨハネ福音書10章7節)、また、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(同11節)と言われました。主イエスが私たちの囲い、閂のある門となり、私たちを守るために命を捨てて下さるというのです。主に信頼し、その御言葉に聴き従いましょう。


 私たちの羊飼いとして、囲いとなり、門となって下さる主なる神様、心から感謝し、御名を褒め称えます。今日も私たちを正しい道に導いて下さることを感謝します。私たちが道を外れないよう、絶えずお守下さい。全世界にキリストの平和がありますように。 アーメン