「ユダの王ヨヤキンが捕囚となって37年目の12月25日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。」 エレミヤ書52章31節


 51章の最後に、「ここまでがエレミヤの言葉である」とありますので、52章は後から他者によって付け加えられたもの、ということになります。この箇所は、列王記下24章18節以下の記事を、ほぼそのまま再録したものであり、また、39章にも記されていました。それは、エレミヤの預言が成就したこと、つまり、イスラエルの歴史の中で現実のものとなったということを明らかにするために、載せているわけです。

 ゼデキヤの代に、イスラエルの国はバビロンによって完全に滅ぼされました。王の目前で王子たちが殺され(10節)、その後、王の両目が潰され、バビロンに連行されて、牢につながれました(11節)。また、神殿や王宮が焼き払われ(13節)、城壁が取り壊されました(14節)。エルサレムにいた多くの者が捕囚となりました(15節)。また、神殿や王宮にあった器物、財宝が奪われました(17節以下)。

 28節以下に、捕囚として連れ去られた民の数が28節以下に記されていますが、第一次バビロン捕囚は、列王記下24章14,16節を見ると、少なくとも1万人はいたはずなので、エレミヤ書では、その数がかなり少なくなっています。何故そうなのか、よく分かりませんが、註解者の中には、これは,家族全員ではなく、家長を数えたのではないか、という人がいます。それが、一番理解しやすいものと思われます。

 ところで、52章の最後に、ユダの王ヨヤキンの解放の記事があります。ヨヤキンは、父ヨヤキムの死後3ヶ月、王としてユダを治めたところで、攻めてきたバビロンに降伏し、一万の勇士らと共に捕囚となりました。彼が王となったのが18歳(列王記下24章8節)、そして、37年をバビロンの牢獄につながれて過ごしました(31節)。その間、彼が何を考えていたか、どのように過ごしていたのか、全く分かりません。しかし、37年目の12月25日、突然、牢から出されたのです。それは、バビロンの王エビル・メロダクの即位に際し、囚人であったヨヤキンに恩赦を与えたわけです。

 それは、第一次バビロン捕囚が起こった原因は、ヨヤキンの父ヨヤキムがバビロンに反逆したためで(王下24章1節)、ヨヤキン自身の罪ではなかったから、ということでしょう。また、同じくユダの王として牢獄につながれていたゼデキヤに恩赦が与えられなかったのは、彼がネブカドレツァルによって王位に就けられた者であるにも拘らず(同17節)、バビロンに反旗を翻したためでしょう(同20節)。いわば、ヨヤキンはバビロンに無抵抗だったので、恩赦に与ったわけです。

 マタイ福音書の最初の系図に、「バビロンへ移住させられた後、エコンヤ(ヨヤキンのこと)はシャルティエルをもうけ、シャルティエルはゼルバベルを」(マタイ1章12節)という記述があります。シャルティエルの子ゼルバベルは、捕囚から解放され、エルサレムに戻って来た一人で(エズラ記2章2節)、ハガイ書1章1節には、「ユダの総督シェアルティエルの子ゼルバベル」と記されていますので、彼の指導の下、この帰国が実行されたことが分かります。

 ヨヤキンが牢を出され、バビロンの王と共に食卓に着くことになったこと、また、ヨヤキンの孫のゼルバベルが総督となって帰国の指揮をとったことは、ユダの民にとって、「あなた(ダビデ)の家、あなたの王国は、あなたの行く手にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く据えられる」(サムエル記下7章16節)という約束が、破棄されてはいないこと、また、「わたしは数え切れない満天の星のように、量り知れない海の砂のように、わが僕ダビデの子孫と、わたしに仕えるレビ人の数を増やす」(エレミヤ33章22節)という預言が、確かなものとされることを意味しています。そしてそれが、主イエスの系図に連なっているわけです。ここに、まことの希望があり、その希望に向けて、歴史は動いて行くのです。

 主よ、ヨシヤ王の子らが悪を行って裁かれました。しかし、ヨヤキンが縄目から解放され、バビロン王の食卓に着いたのは、私たちにとって、主に罪赦されてその呪いから解放され、主と共に食卓に着き、親しい交わりが持てるという徴です。主の恵みに感謝し、その導きに従って歩ませて下さい。主の恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン