「主よ、あなたはとこしえの王座についておられます。御名は代々にわたって唱えられます。」 詩編102編13節


 102編は、「あなたは怒り、憤り、わたしを持ち上げて投げ出された」(11節)という言葉や、「どうか、立ち上がって、シオンを憐れんで下さい」(14節)という言葉などから、バビロンで強制労働に従事させられているイスラエルの民が、神に救いを求める「祈りの詩」と考えられます。キリスト教会は伝統的にこの詩を、七つの悔い改めの詩(6,32,38,51,102,130,143編)の一つに数えて来ました。


 詩の中に、具体的な罪に対する言及はありません。また、罪を悔いる言葉もありません。どうしてこれが、悔い改めの詩と言われるのでしょうか。


 悔改めとは、「向きを変える、ターンする」という言葉です。つまり、ごめんなさいと言うか言わないかというようなことではなく、今までの生き方を変えるということです。詩人をはじめイスラエルの民は、神に背き、御言葉に従わない生活をしていました。真の神を求めて祈ることもなかったのではないでしょうか。その結果、上述の11節の言葉のように、神の怒りを買い、投げ捨てられたようになったわけです。具体的には、イスラエルがバビロニア帝国に滅ぼされ、民はその奴隷となったということです。


 詩人は今、主の御名を呼び、「主よ、わたしの祈りを聞いて下さい」(2節)と神の御前に祈り求めるようになりました。確かに、神に対する態度が変わったのです。


 表題に、「祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩」(1節)とあるように、詩人は、捕囚の苦しみの中、頼りとする一切のものを失って心挫けてしまったのです。しかし、そのとき、もう一度まことの神、主を思い出して、祈りをささげているのです。それは、「苦しいときの神頼み」と揶揄されそうな事態です。しかしながら、苦しいときに依り頼むことの出来る神がおられることが、詩人の救いです。まさに、表題に言う「貧しい人」とは、神のほか、頼りとなるものを何も持たない人のことだからです。


 詩人が思い出した主なる神は、冒頭の言葉(13節)のとおり、「とこしえの王座についておられる」お方です。そのことについて、「わたしの神よ、生涯の半ばでわたしを取り去らないでください.あなたの歳月は代々に続くのです」(25節)と願い、神には終りの時がないけれども、人は取り去られるときが来る。そのときを早めないで欲しいと言います。また、「あなたは大地の基を据え、御手をもって天を造られました。それらが滅びることはあるでしょう。しかし、あなたは長らえられます」(26,27節)。「すべては衣のように朽ち果てます。着る物のようにあなたが取り替えられると、すべては変えられてしまいます。しかし、あなたが変わることはありません」(27,28節)と言い、最後にもう一度、「あなたの歳月は終わることがありません」(28節)と語ります。


 詩人は、主なる神が永遠に変わらない、とこしえの王座に着いておられることに希望を置いて、「どうか、立ち上がって、シオンを憐れんで下さい。恵みのとき、定められたときが来ました」(14節)と言っています。主が心引かれてイスラエルの人々を御自分の宝の民とされたのは、彼らが強く優秀な民だったからではなく、むしろ他のどの民よりも貧弱だったからです(申命記7章6,7節)。ですから、神がシオン=エルサレムを神の都として選ばれ、そこに神殿が建てられたのは、シオン山がどの山よりも高くそびえ、美しかったからではなく、神がイスラエルを恵みと憐れみによって選ばれたしるしだったのです。


 であれば、とこしえの王座に着き、永遠に変ることのない神は、今、神の憐れみを求めて祈る詩人たちのために、その怒りによってシオンを永遠に滅ぼしてしまわれることはないだろう。かつてエジプトの奴隷であったイスラエルの民の呻きに耳を傾け、憐れみをもってその苦しみから救いだして下さったように、ご自身の御名のゆえに、その栄光を回復させて下さるときがやって来るだろう、と詩人は受け止めたわけです。


 そして、そのときがくるのを一日千秋の思いで待っています。それが、「あなたの僕らは、シオンの石をどれほど望み、塵をすら、どれほど慕うことでしょう」(15節)という言葉になっています。最後に、「あなたの僕らの末は住むところを得、子孫は御前に堅く立てられるでしょう」(29節)と、主への信頼を言葉にすることが出来ました。


 主がこの信仰の祈りに答えて下さったことは、歴史が証明しています。


 主よ、罪が裁かれて苦しみを受けたイスラエルの民が、そこで本心に立ち返り、神を求めてその恵みに与ることが出来たのであれば、その裁きは実にあなたの愛の表れであり、そこに深いご経綸のあったことを示されます。確かに、御前に無益なことは一つもなく、すべてがプラスに変えられると信じます。どうか私たちの心の王座に着かれ、絶えず私たちを真理に導いて下さい。 アーメン