「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにいないであろう。お前をわが宮廷の責任者とする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。ただ王位にあるということでだけ、わたしはお前の上に立つ。」 創世記41章39.40節
給仕役の長が監獄を出て復職した(40章21節)その2年後に、今度はファラオが不思議な夢を見ました(1節)。それは、川の中から、よく肥えた雌牛が7頭上がって来た後、やせ細った醜い雌牛が7頭出て来て、よく肥えた雌牛を食い尽くしたというものです(2節以下)。
そこで目が覚めたファラオがまた眠ると、再び夢を見ました。それは、よく実った七つの穂が一本の茎から出てきて(5節)、そのあとに実が入っていない干からびた七つの穂が生えてきて(6節)、実の入っていない穂が実の入った七つの穂を飲み込んだというものです(7節)。
朝になってファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師、賢者たちを呼び寄せて、自分が見た夢を彼らに話しました。けれども、誰も納得の行く夢の解釈をファラオに示すことが出来ませんでした(8節)。
そのとき、給仕役の長が2年前に侍従長の家にある牢獄で出会ったヨセフのことを思い出し、ファラオにヨセフの夢解きのことを告げます(9節以下)。そこでファラオはヨセフを呼びにやり、ヨセフは直ちに牢屋を出され、身なりを整えてファラオの前に出ました(14節)。ファラオは早速、ヨセフに夢解きを依頼します(15節)。
古代世界では、天体の運行やその他の自然法則などを研究して、それで未来を予知することは、科学の対象として真剣に取り組まれました。それは、不安な人生に少しでも安全を確保したいという人間の深い願望の現われです。
そうしたことは、現代においても見られます。一方では、きわめて現実的、合理的に、学歴や資格取得などによって将来の安定した地位を獲得しようと考えています。入試で消耗することがないように、幼稚園から大学まで連なった有名私立学校への「お受験、お入学」に躍起になったりするのも、その流れの一つでしょう。
反面、入試に際して神仏に合格を祈願し、仕事始めには安全祈願、そして商売繁盛、五穀豊穣、家内安全などのためのお参りを行います。車に交通安全のお守りを下げています。一般に販売されている雑誌で、星占い、今日の運勢などを載せていないものは、一つもないといってよい程でしょう。これも、少しでも自分の不安を解消し、安心して物事に打ち込めるようにしたいということでしょう。
ファラオの前に出たヨセフは、「神がファラオの幸いについて告げられる」(16節)、「神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです」(28節)と語ります。それは、未来はすべて神の御手の中にあるということであり、人間が時間を支配して自分の思うままに未来を導き、自分の安全を確保するような真似をすることは出来ないということです。
私たちは、今を精一杯生きるほかはないのですが、ただがむしゃらに生きればよいというわけではありません。自分の生きるべき道があるはずです。「神などいない、神なんかいらない」と豪語する一方で、不安解消のため迷信に走る、その両極の間を揺れ動いている、それが現代日本に生きる私たちの姿なのかもしれません。
ヨセフは一貫して神中心の立場に立ち、ファラオに夢をお与えになった主なる神が、その夢の解釈をヨセフに示してくださると信じて、ファラオの前でも大胆に語ります。およそ、異国から奴隷として売られて来て、冤罪とはいえ刑の執行を待っている囚人という最も弱い立場にいる者の態度、振る舞いとは、到底思えません。
ヨセフは、ファラオの見た夢が、いずれも7年間の大豊作に続く7年間の飢饉で国が滅びてしまうということを神がファラオに示したもので(25節以下)、二つ重ねて夢を見たのは、神がそれをまもなく実行されようとしているからだと、告げました(32節)。
その夢の解釈に基づき、すぐに聡明で知恵のある人物を選んで国を治めさせ(33節)、国中に監督官を立てて、7年間の豊作の間に国の産物の五分の一を徴収させて(34節)、食糧をできるかぎり集めてファラオの管理の下に備蓄保管し(35節)、その後の7年間のひどい飢饉に備えるようにという具体的な計画を提案します(36節)。
国家滅亡の危機を免れるためには、神の御言葉に応え、それに基づく計画に従って、それが忠実に実行されることが必要です。計画を立てなければ、夢はいつまでも夢のままです。そして、それが実行されなければ、神の御言葉もそれに基づく計画も、まったく意味を持ちません。
ヨセフの言葉に感心したファラオが、冒頭の言葉(39,40節)を語ります。ここで、「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにいないであろう」と言っていることから、神の御言葉を聴くことの出来る者が一番賢いと、ファラオが考えているということになります。
確かに、この計画を忠実に実行出来る「聡明で知恵ある人物」(33節)は、このヨセフを置いてほかにいないことが、夢解きをし、それに基づいてしっかりとした計画を提案したという事実で明らかにされています。そしてこのファラオの言葉は、エジプト国内で最も低い身分でいたヨセフの立場を180度変え、王に継ぐ地位に立つ者とします。
これまで、父に依怙贔屓され(37章3節)、とくとくと自分の見た夢を兄たちに自慢して憎まれ(同5節以下)、深い穴に投げ込まれた後(同24節)、奴隷としてエジプトに売られ(同28,36節)、そして、無実の罪で収監されました(39章20節)。
ヨセフは次々と襲いかかって来る問題に振り回され、命さえ脅かされておりました。けれども、今ここで、彼に与えられた夢が実現するため、世界が動き始めたのです。それは、ヨセフの夢は、確かに神が彼に見せたものであり、それは神の預言であったという証しです。主が仰ったことは、必ず実現するからです(ルカ1章20,37,45節参照)。
明日を守り、導かれる主に信頼し、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。主を畏れることこそ、知恵の初めであり(箴言1章7節)、主は神の国と神の義とを第一に求める者に、必要なものをすべてお与えくださるからです(マタイ6章33節)。
主よ、人の心には様々な計画があります。幸せになりたいと色々画策します。しかしながら、世界を治め、ときを支配しておられるのは、あなたです。私たちは、すべてを御手の内におさめ、御心のままに動かしておられる主に信頼し、その御言葉に耳を傾けます。聖霊の働きによって、導いてください。 アーメン