風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2019年06月

6月30日(日)主日礼拝説教

6月30日(日)の主日礼拝に、教会員12名、来賓7名(子ども1名を含む)がお見えになりました。
感謝です。


主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「主を待ち望む」
聖書 ルカ福音書21章20~38節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


ご覧ください。




6月30日(日)主日礼拝案内

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6月30日(日)は、教会学校小学科(小学生)、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。
教会学校は、「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・フィリピ書から、共に聖書の学びと交わりを行います。


主日礼拝を10時半から行います。

礼拝では、新約聖書・ルカ福音書21章20節~38節より、「主を待ち望む」と題して、原田牧師より説教をいただきます。


写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。

キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


当日、お昼の用意はありません。






 

6月30日(日) イザヤ書39章

「ヒゼキヤはイザヤに、『あなたの告げる主の言葉はありがたいものです』と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていた。」 イザヤ書39章8節

 39章は、ごくわずかな違いがあるだけで、列王記下20章12節以下とほぼ同じです。ヒゼキヤの病気が回復したと聞いたバビロンの王メロダク・バルアダンが使者に手紙と贈り物を持たせ、遣わしました(1節)。それに気をよくしたヒゼキヤは、宝物庫、武器庫、倉庫にある一切のものを彼らに見せたと言われます(2節)。

 イザヤは、見せたものすべてがバビロンに奪われる日が来ると、ヒゼキヤに告げます(3節以下、6節)。ヒゼキヤの召天が紀元前687年頃であれば、寿命が15年延ばされたということですから、メロダク・バルアダンが使節を遣わしたのは前702年頃になるでしょうか。

 メロダク・バルアダンは、紀元前721年にアッシリアの王位継承(シャルマナサルの急死でサルゴン2世が即位)の混乱に乗じてバビロンを支配しました。サルゴンに追われ、逃亡しますが、サルゴンの死後、センナケリブの即位の翌年(前704年)、西方諸国に反アッシリア同盟の結成を呼びかけています。しかし、701年にセンナケリブによって滅ぼされてしまいました。

 つまり、ヒゼキヤのもとにやって来た病気見舞いの使節というのは、本当は反アッシリア軍事同盟の締結のためにやって来たわけで、ヒゼキヤが使節を歓迎したということは、同盟が締結されたということです。だから、イザヤはそのことを批判して、この軍事同盟がむしろ、南ユダがバビロンに滅ぼされ、大切なものがすべて奪われる結果になるというのです。

 ヒゼキヤの父アハズが採った親アッシリア政策、即ちシリア・エフライム連合軍に対抗するためにアッシリアに貢ぎを贈って援護してもらうことで、危機を回避することが出来ましたが(列王記下16章5節以下)、この朝貢外交は国家財政を圧迫しただけでなく、アッシリアの神アッシュール礼拝を強要されるようになりました。列王記下16章10節以下に記されているのは、そのことです。

 ヒゼキヤは、サルゴンの死に伴う王位継承時に朝貢をやめ、宗教改革、即ち、エルサレム神殿からアッシュール神や他の神々の像や祭壇を取り除く宮清めを断行しました(列王記下18章3節以下)。その背後に、預言者イザヤの指導があったと思われます。そして、その指導に従うヒゼキヤにイザヤは大きな期待をしていたと思います。

 ところが、サルゴンによって追放されていたメロダク・バルアダンが反アッシリア同盟を呼びかけると、イザヤの反対を押し切って同盟に加わることにしてしまいました。それでイザヤは、異教の神々を礼拝し続けていた北イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、捕囚とされたのと同じ運命が、南ユダにも及ぶと告げるわけです。

 財宝に武器、倉庫にあるものがすべて奪われ(6節)、さらに、息子の中に、バビロンの宦官として連行される者もあると語られたとき(7節)、ヒゼキヤは冒頭の言葉(8節)のとおり、「主の言葉はありがたいものです」と返答します。

 まるで反省しているような言葉ではありません。大切なものがすべて奪われ、家系が途絶えるかもしれないと聞かされているのに、何が「ありがたい」のでしょうか。自分さえ安泰であれば、子孫はどうでもよいというのでしょうか。

 ただ、「ありがたいものです」というのは、「トーブ(よい)」という言葉です。素直に読めば、「主の言葉はよいものだ」という彼の信仰を表明しているようにも読めます。それは、ヒゼキヤの増長というよりも、当時のイスラエルが置かれていた環境の厳しさが、その背景にあるということでしょう。

 一国の王として、イスラエル存続のためにどこと同盟し、軍事協定を結ぶのか、始終周囲に目を配っている必要があり、ヒゼキヤには気の休まるときもなかったことでしょう。自分の時代に「平和と安定」が続くのであれば、王としての責任は果たせると考えたのかもしれません。「安定」は「エメト(真実、確実)」という言葉です。

 王という立場の者が間違えば、国を危うくします。ヒゼキヤの瀕死の病は、イスラエルの国の状況とも言えます。ヒゼキヤの祈りを受けて神が寿命を15年延ばされたように(38章5節)、絶体絶命の危機にあったイスラエルは、イザヤの執り成しを通して、奇跡的な救いを味わいました(37章16節)。

 けれども、バビロンの使節派遣によって「神はヒゼキヤを試み、その心にあることを知り尽くに、彼を捨て置かれた」(歴代誌32章31節)とされ、相応しく対応出来なければ、イザヤが告げたとおり、バビロンによって滅ぼされ、すべてのものが奪われてしまうことになるのです。

 ヒゼキヤのすべきことは、バビロンの使者に対して、宝物庫の財宝や武器庫の武具、武器などすべてを見せること、それによってバビロンとの反アッシリア同盟に加わることなどではなく、癒しを与え、エルサレム陥落の危機から救ってくださった神に感謝すること、栄光を神に帰すことであり、どんなときにも主なる神に信頼をおくことです。

 30章15節で「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と言われていたとおりです。それが出来なかったところに、ヒゼキヤの、そしてわたしたちの弱さがあります。そして、その弱さを克服することは、容易に出来るものではありません。

 パウロが「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(第二コリント書12章9,10節)と言っています。

 それこそ、私たちは自分の弱さを主に委ね、主の守りを祈り求め、その導きに従うほかありません。主の憐れみを受け、神の子として生かされている私たちは、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝するという信仰の姿勢を、周りの人々に示して行くことが、主なる神によって求められています(第一テサロニケ書5章16~18節)。

 日々主の御言葉に耳を傾け、その御心を知り、聖霊の導きに従って歩むことが出来るよう、喜びと感謝を込めて主の導きを祈り求めましょう。

 主よ、私たちは自分のしていることが分かりません。なさんと欲する善はなす力がなく、欲しない悪は、それをしてしまいます。まさに、罪人の頭です。どうか憐れんでください。助けてください。導いてください。私たちの内に、清い心、新しい霊を授けてください。主の恵みと平安が常に私たちと共にありますように。その恵みを周囲の人々に証しする者とならせてください。 アーメン





6月29日(土) イザヤ書38章

「ヒゼキヤは言った。『わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか』。」 イザヤ書38章22節

 38章は、列王記下20章1~11節とほぼ同じ内容で、ヒゼキヤが死の病にかかり、イザヤから死の宣告を受け、それに対してヒゼキヤが主に祈ると、主はその祈りを聞いて寿命を15年延ばされるという出来事が記されています。

 ただし、「ユダの王ヒゼキヤの記した歌、ミクタブ」(9節)の表題で始まる詩(9~20節)は、列王記にはありません。また、冒頭の言葉(22節)を含む21,22節の言葉は、列王記下20章の記事に従えば、6節と7節の間に置かれることになります。それが、今の位置に置かれることになった理由は何でしょうか。

 列王記下20章では、癒しの約束に対してヒゼキヤがしるしを求め、日時計の影を10度後戻りさせるというしるしが与えられたとされますが、イザヤでは、癒しの約束に続いて、しるしが与えられ、「ヒゼキヤの記した歌」が詠まれた後に回復して(21節)、そして、ヒゼキヤのしるしを求める言葉で終わっています。

 内容的に考えると、イザヤ書の編者が、列王記の記事(1~8節)に「ヒゼキヤの記した歌」を導入した際、何故か、ヒゼキヤのしるしを求める言葉など(21,22節)を間違って「ヒゼキヤの詩編」の後ろに配置してしまったということなのでしょう。

 また、「ヒゼキヤの記した歌」は本当にヒゼキヤ王の作なのか、それともイザヤによる作文なのか、あるいは、どちらでもないのかなど、詳しいことは何も分かりません。それこそ、イザヤに聞いて見たいところです。

 列王記の記者はヒゼキヤについて、「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目に正しいことを行い」(王下18章3節)と記しており、理想的な王として描いています。国内から徹底的に異教の偶像を排除したということから(同4節)、そのように語られることについて、ことさらに異論を差し挟むものではありません。

 しかしながら、王下20章12節以下、バビロンからの見舞い客を迎えたとき、ヒゼキヤの心が完全に主と結びついていたのかといえば、それをイザヤから厳しく咎められていることから、そうではなかったと言わざるを得ません。小国の南ユダが近隣諸国と渡り合っていくために、どうしても右顧左眄せざるを得なかったのでしょう。

 そうしたことを考えると、なぜ冒頭の言葉(22節)が列王記のように7節の前に置かれないのかということについて、なにやら理由があるようにも思えて来ます。それは、ヒゼキヤの父アハズが、「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」(7章11節)と語るイザヤに、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」(同12節)と答えてその言葉に従わなかったという出来事があったからです。

 それと同じように、寿命を15年延ばすという約束と共に(5節)、日時計の影を10度後戻りさせるという「しるし」について語られ、それが実現したにも拘わらず(8節)、ヒゼキヤは「わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか」(22節)とあらためて尋ねているわけです。

 即ち、アハズもヒゼキヤも、語っている言葉は一見信仰深い言葉に聞こえるけれども、どちらも神の言葉を注意深く聞いて、それに忠実に従おうとしてはいないという批判が、もしかすると、ここで表明されているのではないでしょうか。

 私たちはしかし、ヒゼキヤを批判できません。口では信仰深そうなことを言うことは出来ますが、その生活において、日ごろの行いによってそれを否定するところがあります。他者に見られるところは整えますが、見られないところはいい加減になってしまいます。まことに不徹底です。

 ヒゼキヤの病が癒されて再び公務につけるようになるのは、ヒゼキヤが「まことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきた」(3節)からと読めますが、訴えるヒゼキヤに目を留めてくださった主なる神の憐れみがあればこそです。

 神は、私たちに対しても、絶えず憐れみをもって語りかけ、礼拝へと招いていてくださいます。パウロが、「神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ書12章1節)といっています。

 ここで、「憐れみ」(オイクティルモス)には複数形が用いられています。憐れみの豊かさを示し、また何度も何度も呼びかけ、私たちのなすべき礼拝へと招いてくださっているということです。私たちに与えられたキリストの十字架というしるしを胸に、絶えず主の神殿に、神の宮に上りましょう。

 主よ、私は罪人です。私の罪を赦してください。私はあなたを必要としています。あなたの招きに従い、心の扉を開きます。どうか私の心の真ん中、その王座にお着きくださり、あなたの望まれるような者に造り変えてください。絶えず十字架の主の御顔を拝し、御言葉に聴き従って、神に喜ばれる礼拝を行うことが出来ますように。 アーメン

 


6月28日(金) イザヤ書37章

「主がアッシリアの王に向かって告げられた言葉はこうである。おとめである、娘シオンはお前を辱め、お前を嘲る。娘エルサレムはお前に背を向け、頭を振る。」 イザヤ書37章22節

 37章は、列王記下19章とほぼ同一の記事が記されています。

 アッシリアの司令官ラブ・シャケの言葉を伝え聞いたヒゼキヤ王は、主の神殿に行きます(1節)。「粗布を身にまとって」とは、悔い改めのしるしです。アッシリアの王の代替わりを機に朝貢を辞め、エジプトを頼りに反旗を翻した南ユダの王ヒゼキヤは、かえって絶体絶命の危機を招いてしまいました。

 国内の砦の町々が占領され、20万ともいう人々が捕虜としてアッシリアに引いて行かれたそうです。その勢いをもって大軍がエルサレムに迫って来ました。一度はアッシリアの王に対しておのが非を認め、貢ぎ物を差し出して和睦しようとしたヒゼキヤですが(列王記下18章14,15節)、エルサレムが包囲され、ラブ・シャケの嘲りの言葉(36章16節以下)を聞いて、腹を決めたのでしょう。

 悔い改めて主の御前に進んだヒゼキヤは、高官たちにも粗布をまとわせてイザヤの下に遣わし、執り成しを願って(2節以下)「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない」(3節)と言います。無事に出産を終えることが出来ない母と胎児は、医師の助けがなければ、いずれも死を待つほかないという非常に危険な状態にあるでしょう。

 助けを頼もうとしても、周りに頼りになるものはなく、また自ら出て戦うには力がない、絶体絶命のピンチです。ここにヒゼキヤは、まさに苦しいときの神頼みではありますが、主なる神の前にひれ伏し、助けを求めたのです。

 その中で、アッシリア王センナケリブがラブ・シャケに告げさせたことを、「生ける神をののしるため」(4,17節)と言っています。センナケリブがイスラエルの神を「生ける神」(エロヒーム・ハイ)などと言うはずがありません。これはヒゼキヤが、主は「生ける神」、木や石で造られた命のない偶像などではない、他国の神々とは違うという思いを明らかにした言葉遣いです。

 使徒パウロが、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(第二コリント4章8,9節)と言っています。それは勿論、パウロ自身の強さではありません。

 「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(同7節)というとおりです。即ち、八方ふさがりで途方に暮れるという絶望的な状況の中で、共におられる主を仰ぐことが許されており、その御力に依り頼むことが出来るのです。

 「あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、わたしは彼の中に霊を送り、彼がうわさを聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される」(6,7節)という神の言葉を聞いて、ヒゼキヤは心励まされました。

 それで、「お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはない、と思ってはならない」(10節)と神を嘲るラブ・シャケの手紙を受け取ると、それを主の前に広げて、「わたしたちの神、主よ、どうか今、わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください」と祈ります(20節)。

 37章は列王記下19章とほぼ同一と冒頭に記しましたが、僅かながら違っている箇所の一つが16節の「万軍の主」(ヤハウェ・ツェバオート)という言葉です。列王記下19章15節ではただ「主」と記されています(岩波訳は何故か、「万軍の」を訳出していません)。これも、上述の「生ける神」と同様、万軍の主は、ラブ・シャケが語った諸国の神々とは違うということを表明した用語でしょう。 

 ヒゼキヤの祈りを受けて、イザヤが告げたのが、冒頭の言葉(22節)です。アッシリアがいかに強大であり、自分の知恵、力を誇っていたとしても、それは所詮、人の知恵、力に過ぎません。主なる神を嘲ったアッシリアは、「おとめ」と言われるエルサレムの町によって嘲られ、辱められます。「頭を振る」は、相手を侮辱する行為です(ヨブ記16章4節、詩編22編8節など)。

 神はかつてアブラハムに、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」(創世記12章3節)と宣言しておられました。主なる神を嘲り、イスラエルを侮辱したアッシリアの王センナケリブは、自分の身にそれを受けなければなりません。

 彼は、18万5千という大軍でエルサレムを囲んでいましたが、矢を射ることも、土塁を築くことも、ましてエルサレムに入場することもなく(33節)、一夜のうちに主の御使いによって撃たれ、皆死体となりました(36節)。センナケリブひとりニネベに帰り、ニスロクの神殿で礼拝をささげていたとき、息子らに背かれて暗殺されてしまいます(37,38節)。

 「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ書8章31,32節)。

 絶えず主を仰ぎ、その御言葉に聴き従って力を頂きましょう。主の力強い御手の下で、自分を低くしましょう。神がわたしたちのことを心にかけていてくださるからです。

 主よ、信仰に固く立ち、思い上がって神に背く者となることがありませんように。神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えくださいます。絶えず私たちのことを心にかけていてくださる主に信頼し、一切を主に委ねて、主と共に歩ませてください。力が世々限りなく神にありますように。 アーメン



6月27日(木) イザヤ書36章

「しかし彼らは、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。」 イザヤ書36章21節

 36~39章は、列王記下18章13節以下20章19節までとほぼ同じです。36章の記事での違いは、列王記にはヒゼキヤがアッシリアに降伏する意を伝え、求められた金品を贈ったという文言がありますが(王下18章14~16節)、イザヤ書にはそれが抜けていることです。

 ここはイザヤの預言ではなく、イザヤが登場している記事を取り込み、39章(王下20章12節以下)の記事がバビロン捕囚を暗示していることから、多くの学者たちによって第二イザヤと称される40章以下、捕囚期の預言への橋渡しとして、この箇所に配置されたものと考えられます。

 エジプトを頼みとしてアッシリアに反旗を翻したヒゼキヤ王ですが(30章1,2節、31章1節)、頼みのエジプトがアッシリアに撃破され、ユダの町は次々と占領されていきます(1節)。

 2節の「ラキシュ」は、エルサレムの西南約45kmに位置する、エジプトからユダの地にやって来る重要な隊商路を確保するための町ですが、この時点で既にアッシリアの手に落ちてしまっているようです。というのは、ラキシュからアッシリアの大軍がエルサレムに迫って来るからです。

 アッシリアの王センナケリブは、大軍にラブ・シャケを同行させました。ここで「ラブ・シャケ」というのは固有名詞ではなく、職名のようです。ATD注解書は「軍隊の第二位の司令官を指す」と言います。

 ただ、37章8節の「ラブ・シャケは、王がラキシュをたったということを聞いて引き返し、リブナを攻撃しているアッシリアの王と落ち合った」というのは、彼が軍を離れて行動しているようで、大軍をエルサレムに残し、司令官だけが別の場所を攻撃している王のもとにやって来るとは考えにくいところです。

 岩波訳の脚注には「アッシリア宮廷の役職名。訳せば『献酌長』。王の杯に酒を注ぐ高官である」と記されています。献酌長が軍に同行するというのは、通常考えられないところですが、王がラキシュにいるので(2節)、そこにやって来ていたのでしょう。また、ラブ・シャケが王の使者としてエルサレムに遣わされたのは、ヘブライ語が話せたからのようです(11~13節)。

 ラブ・シャケは、「お前はエジプトというあの折れかけの葦の杖を頼みにしているが、それはだれでも寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ」(6節)と言います。これは、イザヤが既に30,31章で語っていて、頼るべき主なる神に従わず、人の力により頼む不信仰のゆえに、アッシリアに攻め込まれているのです。

 また、8節で「もしお前の方でそれだけの乗り手を準備できるなら、こちらから二千頭の馬を与えよう」と言います。兵士が二千人もいないということはないと思いますが、たとい、それだけの騎兵がいても、アッシリアの大軍には全く歯が立たないと考えての、嘲りの言葉です。

 詩編33編16,17節に「王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない」とあり、ここで、救いは主なる神がお与えくださるものだと宣言しています。つまり、アッシリアは大軍だから戦いに勝利出来るのではなく、敵を打つ道具として主が用いられるので、連戦連勝ということになるわけです。

 10節で「わたしは今、主と関わりなくこの地を滅ぼしに来たのだろうか。主がわたしに、『この地に向かって攻め上り、これを滅ぼせ』とお命じになったのだ」というのは、そのことを示しているわけです。しかし、それが真実ならば、そのとおりに実現したはずではないでしょうか。

 アッシリアは北イスラエルを滅ぼし、南ユダを苦しめました。確かにそれは、主と無関係であるとは思いません。しかしながら、彼らがエルサレムを陥落させることはありませんでした。つまり、南ユダの不信仰を裁くためにアッシリアが用いられましたが、それは、神がアッシリアの味方となられるということではありません。彼らが神の御心に従わず、思い上がるなら、御前から退けられるのです。

 このようなラブ・シャケの嘲りや脅しの言葉に対して、冒頭の言葉(21節)の通り、高官らは何ら答えませんでした。それは、「答えてはならないと王に戒められていた」からです。

 圧倒的な敵の力の前に何も言い返せない苦しみもありますが、何より主に信頼する姿勢がそこに込められています。「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(30章15節)と言われているとおりです。焦って、不安と恐れによって、不信仰なことを口にするくらいなら、沈黙しましょう。

 洗礼者ヨハネの父ザカリアは、天使による告知からヨハネが生まれるまでの間、口が利けませんでした(ルカ福音書1章20,22節)。それは、沈黙して、神がなさる御業にひたすら注目させるためであったと考えられます。

 だから、舌のもつれがほどけて話せるようになったとき、ザカリアは神を賛美し始めたと言われます(同64節)。ザカリアは、天使が告げたとおり、神の言葉は時が来れば実現するということを(同20節)、その目で見、その体で味わったわけです。

 ヤコブ書1章19節に「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」とあります。何よりも先ず神の御言葉に耳を傾け、祈り深く御言葉を心に受け止めましょう。自分の思いではなく、神の御心に従って語り、その導きに従って歩むことが出来るように、祈りましょう。

 主よ、言葉数に反して実を結ぶことの少ない私であることを御前に告白し、悔い改めます。自分を誇るため、あるいは弁護するために口数が多くなりますが、そんな時、御前に沈黙させて下ください。ただ主に信頼し、静まって主の導きに従うことが出来ますように。そして、喜びと感謝をもって御名を崇めさせてください。 アーメン




静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に6月23日(日)主日礼拝のプログラム、説教動画を掲載しました。
②「今週の報告」を更新しました。
③「お知らせ」は随時更新しています。
④「今日の御言葉」は毎日更新しています。


御覧ください。



ところで、6月26日は「雷記念日」だそうです。

紀元930年のこの日、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫が亡くなりました。
醍醐天皇も、落雷の影響で亡くなったという話もあります。

その落雷は、901年1月25日に太宰府に左遷され、その2年後の903年2月25日に亡くなった菅原道真のたたりだとされました。
このことで、道真は名誉を回復することが出来たと言います。
また、これによって菅原道真は雷の神「天神」と同一視されるようになりました。


菅原道真は醍醐天皇に仕える右大臣でしたが、彼の才能を妬む左大臣・藤原時平が道真を罪に陥れようと画策し、「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言しました。
それで醍醐天皇も道真のことを逆臣と思い込むようになってしまい、901年1月20日に道真を
太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷、筑紫国に流罪とすることとしたのです。

道真は長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て、「東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主なしとて春な忘れそ(「春を忘るな」とする文献もある)」
と詠み、この日、京の都を旅立ちました。
そして、無念の思いを抱きながら、道真は2年後にこの世を去りました。


道真の死後27年も経って、起こった落雷が道真のたたりと信じられたのは、それほど道真のことを恐れ、また嫉んでいた証拠ですね。
ただ、6月26日は旧暦で、今日の7月24日にあたるようです。

何時どなたが、6月26日を「雷記念日」に制定されたのかは不明です。



6月26日(水) イザヤ書35章

「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ、砂漠よ、喜び、花を咲かせよ、野ばらの花を一面に咲かせよ。」 イザヤ書35章1節

 35章には、イスラエルの「栄光の回復」が語られます。

 冒頭の言葉(1節)のとおり、荒れ野、荒れ地に花が咲き、続く2節で「砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる」と言われるのは、33章9節において「大地は嘆き、衰え、レバノンは辱められて、枯れ、シャロンは荒れ地となり、バシャンとカルメルは裸になる」と語られていた災い、神の裁きが、まさに栄光に変えられたことを示しています。

 弱った者、心挫けた者には、新たな力と勇気が与えられます。敵を打ち、悪に報いる神が来られるのです(3,4節)。そのとき閉ざされていた目や耳が開き、歩けない足で躍り上がり、口の利けなかった人で喜び歌うという奇跡が起こるといいます(5,6節)。後に、これらが終末の到来のしるしと信じられるようになりました(マタイ11章1~6節参照)。

 ただ、6節後半から10節までの箇所との関連で、ここに記されている身体の障害は、神に対するイスラエルの不信仰の表現でしょう。不信仰により、北王国はアッシリア、南王国はバビロンによって滅ぼされ、「荒れ野」、「熱した砂地」とあるとおり、国土も荒れ果ててしまいました。

 けれども、神はイスラエルを憐れみ、もう一度、主を礼拝する神の民として呼び集められます。荒れ果てて砂漠となったカナンの地にいのちの水が湧き出で、川が流れて(6節)、多くの人が行き交い(8節)、再び賑わうところとされるというのです(10節参照)。

 こうして、神の測り知ることの出来ない豊かな憐れみにより、絶望の暗闇が破られ、希望の光が差し込んで来ました。苦しみが楽しみに、悲しみが喜びに変えられたのです(イザヤ書61章3節、エレミヤ書31章13節)。

 苦しみが大きいほど、喜びもまた大きくなります。即ち、荒れ野を通らなければ味わえなかった、大いなる喜びです(エレミヤ書33章9節)。「万事が益となる」(ローマ書8章28節)、マイナスがプラスに変えられるとは、実にこのことです。

 以前、田崎健作牧師の著書『捨て身で生きる』に紹介されている、田崎先生ご自身の証しを読みました。ある日曜日、どうしても説教が出来なくて、著名な説教者の説教集から説教を拝借し、それに少々尾ひれをつけて語りました。それが、冒頭の言葉からの説教でした。

 荒れ野が美しい花園に変わったごとく、罪人が主の福音に触れて驚くべき変化を起こしたという話です。文語訳聖書は「野ばらの花」(ハバツェレト)を「番紅の花」と訳していました。「番紅」に「さふらん」という振り仮名が振ってあります。口語訳は「さふらん」、新改訳は「サフラン」としています。田崎先生はサフランを知らず、これを「ソーラン」と読みました。

 翌朝、教会の長老が先生の許に来て、「昨日の説教には全く感心致しました。そのお礼のしるしに、花を持参致しました。この花はサフランと申します。ソーランと読めば読めないこともありませんが、おそらくそれはサフラン、この花のことだろうと存じます。荒れ野に生じる薬草の一種で、御覧のように可憐な花です」と言います。

 長老が訪ねて来たのは、ソーラン、ソーランと繰り返し得意気に語っていた愚かな自分に忠告するためだったと気づかれて、拝借説教の顛末を正直に告白されました。すると、長老は床に跪き、「主よ、わが愚かなる罪を赦し、この若き先生を祝福して、ますます立派な牧師とおなりになることの出来ますように、ご聖別を垂れたまえ」と涙の祈りをささげ、非礼を詫びて静かに帰られたというのです。

 そして、「人の誤り、また他人の罪悪を攻撃したり、悪口を言ったりしているだけでは、世の中は悪くなっても、決して善くはならない。もし、人様の欠点に対して花を捧げ、祈りをもってこれに仕えるならば、これこそ、荒れ野は変じてサフランの花咲くところとなるのではないか。キリスト教の真理、神様の独り子イエス様が罪人のために生命を捧げて、そして救いを完成してくださったのだ」と記しておられました。

 主は、砂漠のような私たちの心にいのちの水を注ぎ、花を咲かせ、御霊の実を結ぶことが出来るようにしてくださいました。信仰の世界に目を開かせ、心挫け、足の萎えていた者に賛美の踊りを授け、福音を大胆に証しする者に変えてくださるのです。

 道であり、真理であり、命であられる主イエスを信じ、先立って進まれる主の御足跡に、おのが十字架を負い、喜びと感謝をもって従って参りましょう。

 主よ、私たちの弱っている手に力を与え、よろめく膝を強くしてください。主の御力に依り頼み、御言葉に聴き従うことが出来ますように。荒れ地に川が流れるように、聖霊の力を受けていのちの主キリストの恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン

6月25日(火) イザヤ書34章

「主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものに、ひとつも欠けるものはない。雌も雄も、それぞれ対を見いださぬことはない。それは、主の口が命じ、主の霊が集めたものだからである。」 イザヤ書34章16節

 イスラエルに対する終末の希望が語られた後、全世界の神に背く民への徹底的な裁きが語られます(1~4節)。そして、この神の怒りを受ける代表であるかのように、5節以下に、エドムに対する神の裁きが記されています。13~27章にも周辺諸国に対する裁きの預言が語られており、その代表として、バビロンが取り上げられましたが、そのシリーズにエドムは登場して来ませんでした。

 エドム人は、イスラエルの父祖ヤコブの兄エサウの子孫です。つまり、イスラエルと血縁関係にあります。エドム人の地は死海の南部、セイルの山地です。そこは主がエサウの子孫に与えたもので、イスラエルの民には与えないと、エジプトを脱出して約束の地を目指していた折、主がモーセに語られたことがあります(申命記2章1~8節)。

 2,5節に「絶滅する」(ハーラーム)という言葉があります。これは、申命記7章2節で、「滅ぼし尽くさねばならない」と訳されている言葉です。新改訳聖書では「聖絶」と訳されます。即ち、イスラエルの民が他の神々に惑わされて神の怒りを招かないよう、カナンの地の先住民(ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人)を絶滅させよというわけです。

 しかしながら、イスラエルの民はその掟を守らず、彼らと交わり、異教の神々に仕える道を進みました。鉄の戦車で武装する強い先住民を追い出すことが出来ず(ヨシュア記17章16節など)、むしろ、先住民の風俗、習慣に倣い、彼らの神々を礼拝することにより、自分たちの生活の安定、平和を図ろうとしたのでしょう。そのために、神の怒りを招く結果となりました。

 6,7節でエドムに対する陰惨な裁きが語られる背景には、「報復の日」(8節)という言葉があるように、エドムとイスラエルとの間の確執があげられます。ダビデの時代、周辺諸国との戦いがなされた際、塩の谷でエドム人1万8千を討ち殺し(サムエル記下8章13節)、その後の占領政策で軍の司令官ヨアブがエドムの男子をことごとく打ち殺したという報告があります(列王記上11章15節)。

 それに対して、バビロンがイスラエルに攻め寄せたとき、エドムはユダが絶滅することを願ってエルサレム占領軍に加わり、その後、イスラエル南部を領有したりしています。ここに、神による絶滅が、報復が報復を生むというかたちで語られていると言ってもよさそうです。

 徹底的な殺戮で住人の絶えた地は(6節)、火と硫黄の燃える地となり(9,10節)、「茨」や「いらくさとあざみ」が生い茂り(13節)、「ふくろうと山あらし」、「みみずくと烏」(11節)、「山犬」、「駝鳥」(13節)、「ジャッカル」、「山羊」(14節)、「鳶」(15節)などの住処となります。

 かくてエドムの地は、33章に語られた祝祭の都エルサレムとは正反対に、死の支配する呪われた地となったのです。

 冒頭の言葉(16節)に「主の書に尋ね求め、読んでみよ」とあります。それは、エドムの領地が廃墟と化し、あらゆる獣の住処となることなどが、「主の書」に記されているということで、即ち、エドムが絶滅させられるのは、主の定めということです。獣の住処とすべく、主の霊がそれを集めたということは、そこには、二度と悪をなす人を住まわせないということでしょう。

 けれども、イスラエルは憐れみを受け、エドムは絶滅させられるというのは、もう一つ胃の賦に落ちないものがあります。イスラエルは真の神を知り、その恵みに与りながら、神に背いて異教の偶像に走って神の怒りを招いたのです。エドムが絶滅させられるというなら、イスラエルの民は、人類の記憶から消し去られるほどに重く裁かれてしかるべきではないでしょうか。

 ですから、イスラエルが憐れみを受けて、聖なる都エルサレムが再創造されるとするならば、新生イスラエルには、エドム人を含むすべての民が憐れみを受け、その住民として招かれると考えるべきでしょう。

 事実、神の御子イエス・キリストは全人類の罪を贖うために十字架にかかられ、すべての民を弟子とするように招かれました(マタイ28章19節、マルコ16章15節)。信仰によってキリストと結ばれた者は、皆アブラハムの子孫であり、そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もないと、パウロは言いました(ガラテヤ書3章26節以下)。 

 放蕩息子のたとえ話において、落ちぶれ果てて帰って来た弟息子のことを兄息子に「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」(ルカ15章32節)と告げた父親とは、私たちの主なる神のことです。

 その深い愛と憐れみによって、私たちも主を信じる信仰に導かれ、神の恵みを受け継ぐアブラハムの子とされています。感謝と喜びをもって主に仕え、日々心新たに、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえる者とならせていただきましょう。

 主よ、あなたの民でなかった私たちを「わたしの民」と呼び、宝の民としてくださるその深い愛と憐れみのゆえに、心から感謝します。そのために御子・主イエスが身代わりとなって死なれました。主の愛に留まり、御旨を行なって歩むことが出来るように、日々信仰に目覚め、御言葉に聴き従うことが出来ますように。 アーメン




6月24日(月) イザヤ書33章 

「まことに、主は我らを正しく裁かれる方。主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる。」 イザヤ書33章22節

 1節に「災いだ、略奪されもしないのに、略奪し、欺かれもしないのに、欺く者は」とあります。冒頭の「災いだ」(ホーイ)という言葉は、旧約聖書中に51回用いられていますが、列王記下13章30節で、老預言者の言葉として語られる以外は、すべて預言書で用いられています。

 28章から本章までに6回(28章1節、29章1,15節、30章1節、31章1節、33章1節)、「ホーイ」で始まる段落があり、意図的にここに集めて置かれたかのようです。これは、「ああ」という慨嘆の言葉(間投詞)ですが、単に不幸だというようなことではなく、むしろ、「呪われよ」という意味の、神の裁きを示す言葉遣いでしょう。

 これまで、イスラエルに対して「災いだ」と語られて来ましたが、本章でその対象が、イスラエルの敵に変わります。「略奪されもしないのに、略奪し、欺かれもしないのに、欺く者」とは、ヒゼキヤの代にエルサレムの都に攻め寄せたアッシリアのことを言っているようです。岩波訳は1節以下の段落に、「アッシリアへの処罰」という小見出しを付けています。

 ヒゼキヤ王の治世第14年(紀元前701年)にアッシリア王センナケリブが南ユダに大軍を送り込み、町々をことごとく撃破し(列王記下18章13節)、エルサレムに迫ります。9節で「レバノンは辱められて、枯れ、シャロンは荒れ地となり、バシャンとカルメルは裸になる」というのは、アッシリアによって、善きものがすべて奪われてしまったという表現でしょう。

 それを見たヒゼキヤは、アッシリアに使者を遣わして和睦を申し入れると、センナケリブはその額を提示しました(列王下18章14節)。金30キカルはおよそ1トン、銀300キカルと合わせ、現在の貴金属価格でおよそ60億円になります。ヒゼキヤは言われるとおりに金品を贈りました(同15,16節)。それで、和睦が成立したはずでした。

 ところが、金品を受け取ったアッシリアの王センナケリブは、それでは足りないと言わんばかり、大軍でエルサレムを包囲し、エルサレムの都の無条件降伏を迫りました(同17節以下)。だから1節で「災いだ、略奪されもしないのに、略奪し、欺かれもしないのに、欺く者」と言われるのです。

 それに対してヒゼキヤは、「主よ、我らを憐れんでください。我々はあなたを待ち望みます。朝ごとに、我らの腕となり、苦難のとき、我らの救いとなってください」(2節)と、祈りの手を上げます。自分たちの力ではアッシリアに対抗することは出来ず、大群に取り囲まれて万策尽きたという状況で、しかしながら、イスラエルには、なお頼るべきお方があるということを示しています。

 そして、まさに「苦しいときの神頼み」というかたちの祈りであるにも拘わらず、主は耳を傾け、応えてくださいます。10節に「今や、わたしは身を起こすと主は言われる。今や、わたしは立ち上がり、今や、自らを高くする」と言われるとおりです。そして、主は焼き尽す火となられ、イスラエルを苦しめる者を焼き尽されるのです(11,12節)。

 列王記下19章1節以下の記事によれば、ヒゼキヤがイザヤに執り成しを願い、主なる神は、クシュの王が戦いを交えようと軍を進めているという噂をアッシリアの王に聞かせます(同7,9節)。アッシリアの王は、クシュとの戦いに備えるため、すぐにイスラエルを全面降伏させようと、さらに脅迫します(同10節以下)。

 それを受けて、ヒゼキヤは生ける神である主に救いを求めて祈りました(同15節以下)。絶体絶命の危機において、ヒゼキヤの信仰が目を覚まされたようです。主はその願いに応え、主の御使いを送って、アッシリア18万5千の大軍を一夜にして全滅させられました(同35節)。

 17節以下は、この一連の災いの預言のまとめの部分です。ここに描かれるのは、終わりの日の都エルサレムの様子です。「安らかな住まい、移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく、一本の綱も断たれることはない」(20節)と、神の幕屋が永遠に固く据えられています。

 そこには、多くの川、幅広い流れがあると言われます(21節)。エゼキエル書47章の、神殿の敷居の下から湧き上がった命の水の豊かな流れや、黙示録22章の都の大通りの中央を流れる命の水の川を思わせます。詩編の記者が、「大河とその流れは、神の都に喜びを与える。いと高き神のいます聖所に」と詠っています(詩編46編5節)。

 「魯をこぐ舟はそこを通らず、威容を誇る船もそこを過ぎることはない」(21節)と言われます、「魯をこぐ舟」、「威容を誇る船」とは、ローマのガレー船のような戦艦を思わせるもので、イスラエルに対して横暴に振る舞ったアッシリアのような大国を示しているようです。しかし、人々に安らぎを与える命の水の川は、そのようなものが通る場所ではないというのです。

 そして冒頭の言葉(22節)のとおり、「まことに、主は我らを正しく裁かれる方、主は我らに法を与えられる方。主は我らの王となって、我らを救われる」と言われます。イスラエルの民は、不信仰、不従順によって神の怒りを招き、国の滅亡と捕囚という災いを味わわなければなりませんでした。

 しかるに神は、イスラエルに憐れみの御手を伸べられ、神の霊を遣わして、新しい神の民を創造されるのです。主なる神ご自身がその国の王となられます。もはや、大国の横暴に怯えることも、重税に苦しめられることもありません。神が正義と公正をもって統治される国には、いたるところ真理と慈しみが満ちています。

 主を心の王座にお迎えし、恵みに与らせて頂くため、すべてを主の御手に明け渡し、十字架の血潮によって洗い清めて頂きましょう。

 主よ、あなたの豊かな栄光に従い、霊により私たちの内なる人を強め、信仰をもって心の内にキリストを住まわせ、私たちを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。キリストの愛の広さ,長さ,高さ,深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知り、ついには、神の満ち溢れる豊かさのすべてに与り、それによって満たされるように。 アーメン



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