「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」 イザヤ書9章5節
イザヤが預言を語り始めたとき(1章1節、6章1節以下参照、紀元前740年ごろ)、イスラエルの民は自分たちが「闇の中」(1節)を歩いているとは考えていなかったでしょう。北イスラエル王国は紀元前750年ごろ、ヤロブアム2世の治世下、最盛期を迎えていました(列王記下14章25節)。国土を拡張し、交易も盛んで、経済的基盤が確立されていました。
同様に、南ユダ王国もイスラエル史上最長の52年という治世を誇るアザルヤ(ウジヤとも言われる)のもとで国力を増大しました。アザルヤの業績の中に「エイラトの町を再建して、ユダに復帰させた」(列王記下14章22節)というものがあったと、報告されています。
ところが、それから30年後、急速に勢力を拡大したアッシリアによって、北イスラエルは滅ぼされてしまいました(同17章、前721年)。それをイザヤは「闇」、「死の陰の地」という、神の裁きを示すことばで表現しています。つまり、アッシリアは、裁きを行う神の御手だということです。
北イスラエルに「闇」がもたらされ、「死の陰の地」となったのは、彼らが神に背き、異教の神々を祀り、礼拝したからです。そして、真の神に頼らず、おのが力に頼み、隣国と同盟して強国と戦おうとしたからです(シリア・エフライム戦争)。
南ユダのアハズ王はその同盟に加わらず、かえって彼らが反抗しようとしたアッシリアに貢を贈って援軍を頼み(列王記下16章7節以下)、そのうえ、異教の祭壇を築いていけにえをささげさせたのです(同10節以下)。であれば、南ユダも北イスラエルと同じ運命に見舞われることになるでしょう。
7節以下、「北イスラエルの審判」を告げる段落で、「しかしなお、主の怒りはやまず、御手は伸ばされたままだ」(11,16,20節)と繰り返し語られるのは、むしろ北イスラエルの審判というより、それを見ていながら悔い改めようとしない南ユダに、神の「御手は伸ばされたままだ」と告げているのではないでしょうか。
ところが、アハズからヒゼキヤに王位が引き継がれました(列王記下18章1節)。ヒゼキヤは、ダビデのように主の目にかなう正しいことをことごとく行い、イスラエルの神、主を固く信頼し、その戒めを守りました(同18章3節以下)。
ヒゼキヤの治世14年目(前701年)にアッシリアがユダの各地を征服してエルサレムを包囲し、全面降伏を勧告したときも(同18章13節以下)、ヒゼキヤはイザヤに執り成しの祈りを要請しました(同19章1節以下、4節)。
このことから、イザヤが1節の「闇の中を歩む民は、大いなる光を見」という言葉で語っている「大いなる光」とは、ヒゼキヤ王のことと言ってよいかも知れません。ヒゼキヤの父アハズは上述の通り、アラム・エフライム連合軍に対抗するため、アッシリアに援軍を願いました(同16章4節以下)。それが、最強の敵を自ら呼び込むかたちになったのです。
一方、アハズの子ヒゼキヤは主なる神に依り頼み、その危機を信仰によって乗り越えることが出来ました。神がヒゼキヤの求めに応えて、「アッシリアの王がエルサレムに入城することも、矢を射ることも、盾を持って向かってくることも、都に対して土塁を築くこともない」(同19章32節)と約束され、その言葉のとおり、主の使いが一晩のうちに18万5千の兵を撃ち、全滅させられました。
イザヤが「彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を、あなたはミディアンの日のように折ってくださった。地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた兵士の軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた」(3,4節)と語っているのは、そのことではないかと思えるような内容です。
そして、冒頭の言葉(5節)が告げられます。ここで、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた」というのは、子どもの誕生というより、王の即位を知らせる言葉だと言われます(詩編2編7節参照)。
その王は、名を「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」(5節)と唱えられると言われます。ここで「驚くべき指導者」(ペレ・ヨーエーツ)とは、「不思議な助言者 wonderful counselor」(新改訳)という言葉で、岩波訳は「奇しき議官」とし、「議官」について巻末の用語解説で「官邸の一員で、王の顧問(1章26節、3章3節、9章5節など)」と説明しています。
次に、「力ある神」(エル・ギッボール)について、王を神と呼ぶのは、詩編45編7節とここだけです。その意味は、王はこの地上において、神の代理者として立てられるということです。さらに、「永遠の父」(アビー・アド)は、公正で思い遣り深い父親のように長期にわたって統治するようにということでしょう。
そして、その統治がもたらすものは、「平和」(シャローム)です。士師記6章24節に、ギデオンがオフラに築いた主の祭壇を「平和の主」と名付けたとありますが、それは、主の名は「平和(シャローム)」だということでしょう。
平和とは、戦争がないという以上の、万物が健全で本分にふさわしい状態にあることをいいます。つまり、平和とは、あらゆる被造物が神を神として認識し、崇め、その御旨に従って生き、行動するときに、主なる神によって与えられるものなのです。
王がその名で呼ばれるということは、主なる神こそ、イスラエルの王であるという信仰が、そこに示されており、王はその主なる神の代理として振る舞うことが求められるということです。
ヒゼキヤは、その任を果たすことが出来たでしょうか。アッシリアを退けた後、ヒゼキヤが死の病にかかりましたが、主に祈って寿命を15年延ばしてもらいました(列王記下20章1,6節)。その後、バビロンから見舞いが来ました(同12節)。ヒゼキヤはその使者を歓迎し、財宝などすべてのものを見せました(同13節)。
それを聞いたイザヤが、「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る。あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされるものもある」(同17,18節)と告げると、ヒゼキヤは、「主の言葉はありがたいものです」と応えています(同19節)。
それは、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていたからと説明されています(同19節)。アハズの代から、神の御手が伸ばされたままになっているのを、在世中は平和と安定が続くと思っていたということは、彼がいかに、徹底して主に仕えようとしてきたかというしるしと言えます。子らの代に悲劇に見舞われるのは、彼らが主に背く歩みをするからなのです。
イザヤは、1~6節で告げた預言の成就を、自身の存命中に見ることが出来ませんでした。それは、700年後を待たなければならなかったのです。主イエスこそ、「まことの光で、世に来てすべての人を照らす」(ヨハネ福音書1章9節)のです。マタイは、主イエスの誕生を7章14節のインマヌエル預言の成就と告げています(マタイ福音書1章23節)。
主なる神は、救いを待ち望む全世界のあらゆる世代の民のために、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられるまことの光なる主イエスを、神の独り子にも拘わらず、人としてこの世に生まれさせてくださったのです。
主よ、あなたの深い憐れみのゆえに私たちも恵みに与りました。御名を崇め感謝します。主に従い、絶えず命の光のうちを歩ませてください。今なお復興の進まない被災地に住み、また避難生活を余儀なくされている人々、軍隊に嗣業の地を奪われ、平和を脅かされている人々に、希望と平安の光が訪れますように。 アーメン