風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2018年09月

9月23日(日) ヨブ記2章

「手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うに違いありません。」 ヨブ記2章5節

 主なる神の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て主の前に進み出たとき(1節)、主神が、「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」(3節)とサタンに言われました。これは、1章8節で語られたのと全く同じ言葉です。

 そして、「お前は理由もなく、わたしを唆して彼を破滅させようとしたが、彼はどこまでも無垢だ」(3節)と、サタンの攻撃にもかかわらず、敬虔に過ごすヨブのことをさらに誇らしく思っておられるという発言をされました。

 というのは、サタンは、ヨブが神を畏れ敬うのは、神がヨブとその一族、全財産の周りに垣根を設けて守っているからだといって(1章10節)、一瞬にしてすべての財産を取り去り、すべての子らを奪い去ったけれども、ヨブは神を非難することなく、罪を犯すことがなかったからです(同22節)。

 逆に、主がヨブについて、「地上に彼ほどの者はいまい」(1章8節)と称賛するのは、確かな根拠に基づいていたということがよく分かっただろうというのです。ところが、それに対してサタンは、「皮には皮を、と申します。まして命のためには全財産を差し出すものです」(4節)と応じます。

 「皮には皮を」というのは、何かの諺と考えられていますが、その意味は明らかではありません。ただ、「皮には皮を」と「命のためには全財産を」との対比で、二番目の「皮」と「全財産」が対応していると理解されます。

 1章10節の、神がヨブとその一族、全財産の周りに垣根をめぐらしているという言葉遣いで、ヨブには、幾重にも彼を覆っている皮があるということ、子どもたちや全財産というのは、ヨブにとって、彼を守る外側の「皮」だろうということが示されます。

 そして、ヨブ自身にも神の垣根がめぐらされていて、彼の命は最も内側の「皮」の中に守られているということ、その皮のためには外側の皮を、彼の命のためには全財産をという表現になっているのではないでしょうか。

 そこで、最後の守りである皮を取り去り、冒頭の言葉(5節)のとおり、主が手を伸ばしてヨブの骨と肉に触れられれば、もはや彼は無垢でいることは出来ず、神を呪うに違いないと告げるのです。

 それを聞いた神は、「それでは、彼をお前のいいようにするがよい。ただし、命だけは奪うな」(6節)と、サタンがヨブを試すことを許されます。そこでサタンはヨブに手を下して、全身をひどい皮膚病にかからせました(7節)。その攻撃にどのようにヨブが応じるのか、注目されます。

 ヨブは、灰の中に座り、素焼きのかけらで体中かきむしりました(8節)。「灰の中に座る」というのは、エステル記4章3節に、「灰の中に座って断食し、涙を流し、悲嘆にくれた」という言葉があり、上着を裂き、粗布をまとうなどの形式と並んで、悲嘆を表現する方法ということではあります。

 他方、重い皮膚病を患う人が出ると、町の人々は彼を外のゴミ捨て場に追放することが常だったと言われ、ヨブもそのような目に遭わされた、つまり、ひどい皮膚病を患った上に、屈辱的な振る舞いをされたということかも知れません。 

 そして、「素焼きのかけらで体中をかきむしった」というのは、頭をそるという以上の、悲しみを表現する極端なやり方でしょうか。あるいはまた、ひどい皮膚病のかゆみに、強く激しい刺激で対抗しているということでしょうか。

 こうしてヨブの行動は、1章のときとは明らかに変化しました。その内容をはっきり把握することが出来ない、あいまいで複雑なものになって来ています。 

 そこで、ここまで口を開くことのなかったヨブの妻が、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」(9節)と発言します。「呪って」と訳されているのは、「バーラフ(祝福する、讃える)」という言葉です。

 岩波訳は「神を讃えて」と訳し、脚注に「ヨブの妻は夫が誰よりも高潔で、それを放棄しないことを知っているが、夫がこれ以上苦しむのを見ていられない。夫が神を呪って処罰を受けてでも、早く世を去って欲しいと思うが、彼が神を呪うわけがない。そこで彼女は、『神を讃え抜いて死んだらいい』と夫に語る」と記しています。

 とすると、「呪って」と訳しても「讃えて」と訳しても、ほとんどその意味に変わりはないということになります。そしてこれは、おのが腹を痛めて産んだ子らを一度に失った苦しみに加え、皮膚病で苦しむ夫を傍らで見ながら、どうすることも出来ないので、神を呪って死にたいと彼女自身が考えている表れなのではないかと思われます。

 ただ、サタンがヨブの妻を用いて、神を呪って死ぬようにヨブを唆したということも出来そうです。というのは、サタンが「手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい」と言いましたが、ヨブにとってその妻は、「わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(創世記2章23節)というべき存在でしょう。ヨブの骨と肉に触れるとは、彼女に触れることでもあったのです。

 ヨブの苦しみは神御自身の苦しみではないかと、昨日学びましたが、ヨブの妻の苦しみは、ヨブの苦しみを示しています。ヨブは「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」(10節)と言います。

 ここで、「お前まで愚かなことを言うのか」とヨブは語っていますが、「お前まで」ということは、誰かが彼に「愚かなこと」を言ったということを表しています。それは誰なのでしょう。原文は「あなたは、愚かな女たちの一人が語るように、語っている」という言葉遣いです。愚かな女たちの仲間になったというような表現でしょうか。

 ただ、「お前は愚かなことを言う」というのではなく、そのような言葉遣いをすることで、むしろ、ヨブの心の片隅に、妻が語ったとおり「神を呪って死ぬ方がまし」とささやく声があったと表明しているようにも思われます。

 また、1章21節では「わたしは」と、自らの思い、信仰を明確に表現しました。ここでは「わたしたちは」と、妻をその協力者として共に立たせて、「不幸もいただこうではないか」と、決意を言い表すような問いかけの言葉で終わっています。

 ヨブの言葉の後に、「このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことはしなかった」(10節)と、彼の振る舞い、言葉に対する評価が記されています。1章22節の「このようなときにも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった」というのと、特に変化はないようです。

 ただ、「唇をもって罪を犯すことはしなかった」ということは、表現された言葉ではなく、彼の心中はいかなるものか、彼の骨と肉はなんといっているのかというところは、彼の態度同様、あいまいになって来ているということを示してはいないでしょうか。

 ヨブの妻の発言について、「あなたはまだ一人で自分の無垢を主張するのですか。自分の完全さ、汚れのなさを主張し、それを保ち続けようとすることで、自分は神の外に、神と無関係に立っているということになりはしませんか。その無垢な自分を苦しめる神を呪うことになりはしませんか。それは自分の死を意味することではありませんか」と読む解釈が注解書にありました。

 ということでいえば、ヨブの妻の発言の内容、その意図も、すべて明確だということにはならない部分があるようです。ヨブは妻の発言を「愚かなこと」と断じていますが、註解書のような読み方をすると、これを「愚か」と言えるのかということにもなります。

 私たちの敬虔さ、汚れのなさは、どんな不幸に襲われてもそれに動じないでいる様子を見せ続けること、伝統的な信仰告白を唱え続けることで保たれていくものでしょうか。それとも、自らそれを守ろうとすることを放棄し、今自分が置かれているところをありのままに受け止め、受け入れることで守られるものでしょうか。それとも、さらに別の道が開かれるのでしょうか。 

 私たちがヨブのような苦しみを受けたとき、どのように考え、どのように振る舞い、何を語るでしょうか。伝統的な信仰告白に立ち、賛美を続けるという真似をすることは出来そうにありません。苦しみ悩みを主に訴え、しばしば不信に陥り、人や神を呪うかも知れません。そんな弱い自分であることを、いやというほど思い知らされることでしょう。

 あらためて、ゆえなく神を敬うことのできない者であることを自覚し、その私を母の胎にお造りくださった神の憐れみにひたすら依りすがり、あるがまま神の御手に委ねて歩みたいと思います。

 主よ、私は自分の命を守るためなら何でもする自己中心的な臆病者です。キリストの血潮と聖霊の力によらず、自分の力で確信を持ち続け、平安に生きる者にはなれません。主の御名によって絶えず正しい道に導き、どんなときにも共にいて、その鞭と杖をもって、わたしを力づけてください。御霊の導きに与り、主に従う者となることが出来ますように。 アーメン





9月23日(日)主日礼拝説教

9月23日(日)の主日礼拝には、教会員14名、来賓8名(子供2名を含む)がお見えになりました。感謝です。


主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「狭い戸口から入れ」
聖書 ルカ福音書13章22~30節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


御覧ください。








9月23日(日)主日礼拝案内

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9月23日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。

「聖書教育」誌にもとづいて、旧約聖書・士師記から、共に聖書の学びと交わりを行います。


主日礼拝を10時半から行います。

礼拝では、ルカ福音書13章22~30節より、「狭い戸口から入れ」と題して、原田牧師より説教をいただきます。


写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。


キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


礼拝後、昼食会(有料・自由参加)を行います。


昼食会後、各会の例会が行われます。





9月22日(土) ヨブ記1章

「ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。」 ヨブ記1章1節

 今日からヨブ記に入ります。ヨブ記について、ヘブライ語の語彙や記述されているモティーフ、取り扱われている主題の共通性から、第二イザヤ(イザヤ書40章以下)の成立と関係のあるバビロン捕囚時代に著述されたものではないかと考えられています。

 冒頭の言葉(1節)で、ヨブ記の主人公ヨブは、「ウツの地」にいたといいます。「ウツ」は、創世記22章21節ではナホルの長男の名で、パレスティナ北東シリアの地を指すと考えられ、また哀歌4章21節によれば、パレスティナ南東エドムの地を指しているようです。いずれにせよ、それはイスラエル国内ではありません。

 ヨブという名について、 「アッヤ・アブム=(神なる)父は何処に」という意味ではないかと考えられています。つまり、生涯を通じて神が臨在されるようにという永続的な祈りを示しています。また、「アーヤブ=憎む」の受動態分詞形で「憎まれ、迫害された者」という意味の名前ではないかという学者もいます。

 「父なる神はどこへ」も「憎まれ、迫害された者」も、ヨブの苦難について、主なる神は長く沈黙しておられて、ヨブの訴えにお答えにならないというのを、その名前に宛てたというかたちになっています。上述のとおり、ウツがイスラエル国内でなく、ヨブがイスラエル人でなければ、その名の意味をヘブライ語で考えても、意味がないことかも知れません。 

 ヨブ記には、ヨブがいつの時代に生きていたのかを判別させる情報が何も記されていません。そのことからヨブ記の記者は、この物語を具体的な過去の歴史としてでなく、いつの時代にも、そして誰にでも起こり得る出来事として、ここから大切な指針を学んで欲しい、それを学ぶことが出来ると考えているのではないかと思われます。

 つまり、誰もがヨブ、あるいはヨブの三人の親友エリファズ、ビルダド、ツォファルの立場に立たされることがあるということです。ですから、ヨブになったつもりで、あるいは、彼の友になったつもりで、そこに語られている言葉の意味、その人物の思想などを考えてみましょう。

 ヨブは「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた」と言われます(1節)。「無垢」は「ターム=完全な、汚れのない」という言葉で、神の前に示される敬虔さを示しています。また、「正しい」は「ヤーシャール=平らな、真直ぐな、正しい、正直な」という言葉で、悪を避けて、真直ぐな道を歩む真正直さを示しています。この敬虔さと真正直さが本書のテーマであり、通奏低音になっています。

 2~3節で、「七人の息子と三人の娘を持ち、羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった」と記されていますが、この記し方で、ヨブが敬虔に真正直に歩んでいたので、そのような祝福を神から受けたということを示しているようです。

 ところが、あらゆる財産、すべての子どもたちを、交互に襲いかかって来た異邦人による略奪と天災によって、一瞬にして失ってしまいます(13~19節)。何故、そんなことが起こったのでしょうか。財産はともかく、子どもを失って平気な親はいません。

 長男の家で開かれていた「宴会」は、4節の「順番に」というのが「彼の日に」という言葉で、誕生を祝う日であることを示していることから、誕生を祝う宴会が、大風で子らをすべて失う弔いの日に変わってしまったのです。どんなに嘆いても嘆き足りないでしょう。どれほど神を呪いたい思いになるでしょうか。それこそ、自分も死にたくなる気分ではないでしょうか。

 その報せを受けたヨブは立ち上がり、まったく沈黙したまま衣を裂き、髪を剃って喪に服し、地にひれ伏しました(20節)。それは、悲しみを表す表現、大きな痛みを受けて、それを形式的に表現したものです。感情を形に表すことは、感情が爆発し荒れ狂うのを防ぐ防波堤のような役割を果たします。

 そして、ヨブは口を開きます。それは、「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(21節)という言葉でした。

 まず、自分自身を主語として、すべてを失った悲しみを、「裸でそこに帰ろう」と言い、次いで、この出来事は主の御業だという信仰を示し、結語で「主の御名はほめたたえられよ」と賛美して、すべてを肯定的に受け止めていることを表現しています。

 この言葉は、深い悲しみを形式的に表現したことと同様、愛する子らを失った大きな心の痛みを、死別に際しての伝統的な信仰告白の言葉で言い表し、それ以外の暴言が飛び出してくるのを防ぐ垣根としたと理解することが出来ます。つまり、形式的な感情表現と、伝統的な信仰告白によって、感情の爆発、不敬虔な暴言を必死に抑え込んだわけです。 

 天上の神の会議において、「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか」とサタンが神に言いました(9節)。「利益もないのに」というのは、「故もなく、自由に、無償で」という言葉です。

 ヨブのみならず、私たちは神によって創造されました。ですから、自発的に神を畏れ、敬うというよりも、神に造られた者としての意識のゆえに、その応答として神を畏れ、敬うというのが、私たちの礼拝の出発点であるのは、疑いもないことです。

 それは、私たちがどのようなものとして神に創造され、その被造物である私たちが、創造者なる神とどのような契約を結ぶことが出来るのかという問いを思わせるものです。であれば、御自分の創造された、模範的な敬虔さ、正しさを示しているヨブを打つことをサタンに許し、ヨブが精神的、肉体的な苦しみを受けたことは、それは神御自身の苦しみでもあったのではないでしょうか。

 ヨブが、その振る舞いと言葉で神を非難せず、むしろ賛美したことを、「このようなときにも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった」(22節)と評価しています。それは、この時点で、彼の自意識のなせる精一杯の振る舞いであり、言葉だったと思われます。そしてそのことが、2章で問われることになるのです。

 新約の時代に、主イエスが、使徒ペトロたちの離反を、「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた」(ルカ福音書22章31節)と予告され、続けて「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(同32節)と仰いました。

 サタンに振るわれて、自分の力で立ち続けることのできる者はいないということです。だからこそ、主イエスが私たちのために祈りで支え、再び立ち上がることが出来るようにしてくださるというのです。そして、その経験を通して、同じように振るわれ、打ちひしがれている者を慰め、力づけることが出来るようにしてくださるというのでしょう。 

 主イエスは、神の御子であるにもかかわらず、多くの苦しみを受け、その苦しみをとおして従順を学ばれたお方です(ヘブライ書5章8節)。私たちと同じ試練を味わってくださったので、私たちの弱さを知り、憐れみと恵み、時宜にかなった助けをお与えくださるのです(同4章15,16節)。

 さらに、御霊も弱い私たちのうちにあって私たちのために呻き祈られ、執り成してくださいます(ローマ書8章26節)。かくして神は、私たちのために、どんなにマイナスと見える状況に囲まれていても、あらゆることがプラスとなるように働いてくださるのです(同8章28節)。

 私たちも、御霊の助けと導きに与って、どんなマイナスもプラスに変えてくださる主を信頼し、御名を誉め讃えつつ歩ませて頂きましょう。

 主よ、思いがけない不幸に見舞われる中で、ヨブはそこで主への賛美の言葉を語ることが出来ました。私たちも御霊の助けと導きに与り、万事を益とされる主に信頼し、「主は与え、主は奪う。主の御名はほむべきかな」と賛美することが出来ますように。その賛美が、真実となりますように。そして、全世界に主の平和が豊かにありますように。 アーメン




9月21日(金) エステル記10章

「ユダヤ人モルデカイはクセルクセス王に次ぐ地位についたからである。ユダヤ人には仰がれ、多くの兄弟たちには愛されて、彼はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した。」 エステル記10章3節

 冒頭の言葉(3節)のとおり、ユダヤ人モルデカイが、ペルシアにおいて王に次ぐ地位、つまり首相に正式に就任しました。ユダヤ人に反感を持つ者が一掃された今、ユダヤ人のみならず、スサの町の人々にも覚えのよいモルデカイを(8章15,16節参照)、王に次ぐ地位に据えることで、クセルクセスの治世はますます安泰ということになったのではないでしょうか(9章3,4節)。

 モルデカイは、娘として育てたエステルに対して、ユダヤ人絶滅の危機にあって解放と救済のために行動することこそ、王妃の位にまで達したあなたの責務ではないかと訴えました(4章14節)。そして、「死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります」(同16節)というエステルの答えを聞いて、それをよしとした人物です。

 モルデカイは、地位を利用して私腹を肥やしたり、自分の利益のために権力を行使するという今日の権力者とはおよそ違います。だからモルデカイは、「その民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した」(3節)のです。自分に与えられる恵み、神の賜物は、自分のためではなく隣人のために用いるものであることを、知っていました。

 これは、私たちにも示されていることです。パウロが「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです」(第一コリント12章4~7節)と教えています。

 各自の才能、能力、賜物などは、人に仕え、神に仕えるために与えられた神の恵みなのです(ローマ書12章6節以下参照)。その霊的な賜物により、ある人は使徒、ある人は預言者、ある人は福音宣教者、ある人は牧者、ある人は教師とされます(エフェソ書4章11節)。そして、めいめいが奉仕の業に適した者とされ、キリストのからだに例えられるキリストの教会を造り上げるのです(同12節)。

 主人に預けられた1タラントンを土に埋めておき、用いようとしなかった僕は、帰って来た主人から怠惰で悪い僕だと叱られ、主人はその1タラントンを取り上げて、5タラントンを預かって商売し、さらに5タラントンを儲けた別の僕に与えます。そして、怠け者の僕を外の暗闇に追い出してしまうというたとえ話があります(マタイ25章14節以下、28,30節)。

 このタラントンというお金の単位から、タレント、才能という言葉が出来たと言われます。才能は用いれば豊かになるが、眠らせておくと失われてしまうということで、なかなか考えさせられる話でしょう。

 モルデカイの娘エステルは、本名はハダサと言いました(2章7節)。ハダサとは、イザヤ書55章13節に言う「ミルトス」のことです。ミルトス(銀梅花)は、地中海沿岸やイスラエルの山地に生育する灌木で、葉は常緑、白い可憐な花を咲かせます。

 生命力が強く、干ばつにも耐える強木として、不死の象徴となり、そこから成功、繁栄の象徴ともなりました。ユダヤ教の伝統では、ミルトスの花を臨終の床に供えたり、結婚式で花嫁がブーケにしたり、ウエディング・リ-スに編み込んだりしています。とても意味深い名前ですね。

 それが、「星」という意味の「エステル」と呼ばれているのは、彼女の出自を分りにくくするために、バビロンの神イシュタルに似せてつけられたのかも知れません。けれども、死を賭してイスラエルのために働いたことから、星の光で東方の博士たちが主イエスの居場所を探り当てたように、エステルの生き方は、主イエスを指し示していると読んでもよさそうです(マタイ2章参照)。

 その意味では、モルデカイについても、ペルシアの記録に、クセルクセスの治世の初期にマルドゥカヤという高官の名があり、それをモルデカイのこととする学者もあるようですが、それこそバビロンの神マルドゥクに肖ってつけられた名前のようです。

 しかし、9章3節で「諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆、モルデカイに対する恐れに見舞われ、ユダヤ人の味方になった」と言われ、また冒頭の言葉で「彼(モルデカイ)はその民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束した」と言われるのは、彼を通して、主なる神がそこに姿を現わしているからこそ、ということでしょう。

 エステル、モルデカイの活躍によって守られたイスラエルの民は、今もイスラエルの子どもたちにとって最も楽しみな祭りの一つとして、プリムを祝います。モーセ五書に記されずに、重要な祭日として守られているのは、このプリムだけです。その意味では、エステル記は、モーセ五書に次ぐ地位を得ているといってもよいでしょう。

 エズラ、ネヘミヤ記は、捕囚からエルサレムに戻った人々を真の神の民として描き、彼らによって神殿の再建、城壁の修復がなされ、その完成を出エジプトになぞらえて、過越祭、仮庵祭で祝いましたが、エステル記は、キュロスによる解放後もエルサレムに戻らなかった者たちにも神の守りと導きがあること、つまり、ディアスポラ(離散)のユダヤ人も神の民イスラエルであることを示しています。

 私たちキリスト教徒には、プリムを祝う習慣は伝えられていませんが、エステル記を朗読することを通して、どのような時代状況の中にあっても、たとえ自分たちに逆風が吹いているとしか思えないようなときにも、その背後に恵み深い主なる神がおられ、私たちをその中で平和のために用いてくださることを信じるよう、励ましをいただくことが出来ると教えられます。

 私たちの主イエスこそ、すべての者に仰がれ、愛され、ご自分の民の幸福を追い求め、そのすべての子孫に平和を約束しておられるのです。 

 主よ、私たちは御子イエスの血の代価によって買い取られ、神の民とされました。私たちを御心のままに取り扱い、委ねられた賜物を互いに生かして用いることにより、この体をとおして神の栄光を表すことが出来ますように。主イエスの平和が全世界の民の上に豊かにありますように。 アーメン




9月20日(木) エステル記9章

「ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。」 エステル記9章22節

 第12の月(アダルの月=私たちの暦で2~3月頃)の13日が来ました。この日は、ハマンがモルデカイのことで、ユダヤ人を征伐しようとした日でしたが、立場が逆転して、ユダヤ人が仇敵を征伐する日となったのです(1節)。

 「王の命令と定めが実行される」ということで、ユダヤ人の敵が帝国の権威をもって剣を振り上げ、振り下ろそうとしていたその日、どの町のユダヤ人も自分の命を守るために集合し、自分たちを迫害する民族や州の軍隊を一人残らず滅ぼし殺すことが、王の名で許されたのです。

 ユダヤ人に対する恐れ、モルデカイの日の出の勢いに恐れをなして、立ち向かう者は一人もいないだろうと思われましたが(2,4節)、この日、スサの町では5百人の者が剣にかけて殺され(5,6節)、ハマンの息子十人も殺されました(7~10節)。

 ハマンの息子たちを中心として、ハマンの処刑に対する報復行動があったのではないかと思われます。また、ハマン以外にも、ユダヤ人に対する強い反感のようなものを持っている人々がいたのでしょう。あるいは、ユダヤ人モルデカイが王の栄誉を受けていることを妬ましく思う輩が、蜂起したのかも知れません。

 諸州の高官、総督、地方長官、王の役人たちは皆、モルデカイに対する恐れから、ユダヤ人の味方になっていましたので(3節)、ユダヤ人たちは敵対する者をすべて討ち滅ぼすことが出来ました。

 その数は、帝国全体で7万5千人と記されています(16節)。ペルシアによるバビロン捕囚の解放で帰国したユダヤの民が4万2千人あまりでしたから(エズラ記2章64節)、7万5千人は思いがけず大きな数字です。エステル記特有の誇張した表現かも知れません。

 ただ、ユダヤ人に対する恐れが広がり(1,2節)、高官たちがユダヤ人に味方する中で(3節)、なおこれだけの人々がユダヤ人征伐のために立ち上がり、反撃されて討たれたというのは、ユダヤ人に対する憎悪や反感の強さを知らされます。

 もしも、モルデカイによるユダヤ人防衛のための勅書が出されていなければ、どれほどの数のユダヤ人が、女性や子ども、老人たちも含めて、迫害者の剣に倒れることになっていたことでしょうか。

  王が王妃エステルに、スサの町での死者の数とハマンの息子十人も殺されたことを告げた後、「まだ望みがあるならかなえてあげる」(12節)と言います。今回は、エステルが王の前に出たというのではなく、王の方から、願いをかなえると申し出ています。王の心にも、ユダヤ人を恐れる思いが入り込んでいるようです。

 エステルはそれに応じ、「明日もまた今日の勅令を行えるように、スサのユダヤ人のためにお許しをいただき、ハマンの息子十人を木につるさせていただきとうございます」(13節)と願いました。

 なぜそうしたいのか、理由は記されませんが、スサの都でユダヤ人への報復を企んでいる者の情報を得て、その攻撃からユダヤの民を守るために、自衛の戦いの許可を求めたのでしょう。そして、そのように反感を持っている人々に対する見せしめに、ハマンの子らを磔にするようにしたのでしょう。

 その結果、スサの町では翌日14日にも戦いがあり、3百の人々が殺されました(15節)。それだけの人がユダヤ人を絶滅させようとして、再び攻撃して来たのです。エステルがスサの町で、勅令をもう一日行えるように求めたのは、確かな理由があったということになります。

  ユダヤ人は、しかし、自分たちを迫害する者に対する報復という制限の下で防衛戦を戦ったので、女性や子どもに手をかけませんでした。その証拠にと言ってよいでしょうか。ハマンの妻ゼレシュなどはそのリストに含まれていません。また、財産を奪い取ることが許されていましたが(8章11節)、誰も迫害者の持ち物には手をつけませんでした(10,15,16節)。

 この背景に、かつて、アマレクを滅ぼし尽くすよう命ぜられたサウル王が、「羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なもの」を惜しんで私し(サムエル記上15章9節)、そのために、王位から退けられるという経験(同26節)をしたことがあったからではないかと思われます。

 こうして、ユダヤ人たちはペルシャ帝国内で安らぎを得、スサの都以外では14日、スサの都では15日に宴会を開いて、その日を楽しみ、贈り物を交換しました(17節以下)。冒頭の言葉(22節)のとおり、彼らにとって、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わったのです。最悪となるはずの日が、最高の日になりました。

 当初、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために「プル(くじ)」を投げて日を決めたので、それに因んで「プリム(プルの複数形)」と呼び(24,26節)、プリムの祭りを祝うことを定めました(27節)。そして、この祭では、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることにしました(19,22節)。

 「祭」という字は、「肉月」が神に供えるいけにえ、「又」がいけにえを持つ手、「示」が神、または供えることを表わしていて、いけにえの肉を神に供えるという意味を持っています。つまり、祭の中心は、神に対していけにえを献げることなのです。

 たとえば、レビ記23章には、「主の祝祭日」の規定がありますが、それらの日にささげるべき献げ物についても、その規定が記されています。けれども、プリムの祭では、特に神を礼拝する儀式が行われるような定めはありません。

 むしろ、喜びの日として、祝宴を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換し、貧しい者に施しをするという、与えられた恵みを分かち合い、貧しい人々に手を開くことで、さらに恵みを生もうとしています(第一コリント書15章10節参照)。

 同様に、キリスト教会で行う礼拝は、キリストの受難と復活を記念して行われますが、いけにえに注目が集まることは少ないと思います。そのいけにえとは、神御自身が用意された「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1章29節)なる神の独り子イエス・キリスト様です。

 私たちは、十字架という祭壇に御自身を献げられた贖いの供え物なる主イエスにより、罪赦され、永遠の命を授けられ、神の子とされたのです。ゆえに、主への感謝と賛美をささげ、主の日を喜び祝い、主からいただいた恵みを分かち合うのです。

 今私たちを取り巻いている状況がどうであれ、私たちの人生の土台には、マイナスをプラスに、悩みを喜びに、嘆きを祭りに変えてくださる主がいて(22節、ローマ書8章28節)、絶えず私たちの祈りを受け止め、いつも喜び、どんなことも感謝することが出来るようにしてくださいます(第一テサロニケ5章16~18節)。

 主イエス・キリストによる救いに与った者として、主なる神に対して霊と信実をもって礼拝をささげる真の礼拝者とならせていただきましょう。心から、唇の実、主をほめ讃える賛美のいけにえを献げましょう。

 主よ、十字架の贖いを通して、どんなマイナスもプラスに変えられる救いの道が開かれました。真理であり、命であられる主イエスの道を、永遠の御国目指してまっすぐに進みます。主を信じる者の上に、主の恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン





9月19日(水) エステル記8章

「お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない。」 エステル記8章8節

 ユダヤ人の敵ハマンは処刑され(7章10節)、その財産は没収、すべてエステルに与えられました(1節)。そして、ハマンに預けていた王の指輪が、エステルとの間柄が明らかになったモルデカイに与えられます(1,2節、3章10節参照)。

 その指輪は、王の実印として用いるもので(8節参照)、それで勅書を作ることが出来るようになります。そのことは、これからモルデカイが、ハマンに代わって首相となることを意味しています。

 そしてエステルは、自分に与えられたハマンの財産の管理をモルデカイに委ねました(2節)。首相となったモルデカイを、自分の傍に置くことで、ユダヤの民を守る体制を固めたとも言えるでしょう。

 これにて一件落着と言いたいところですが、しかし、これで作戦終了ではありません。ハマンが王の名前で発令した勅令、ユダヤ人を絶滅させる法律(3章13節)が、まだ生きています。

 放っておいても、エステルとモルデカイ両名は、12月13日に定められている難を逃れられるだろうとクセルクセス王は考えているようで、ユダヤ人の行く末について、何も手を打ちません。勿論、エステルとモルデカイは、それでよいなどと考えてはいません。

 同胞のために、あらためて王に嘆願します(3節)。4節の「王が金の笏を差し伸べたので」は、5章2節に続く記述で、エステルの嘆願が、やはり召しのないまま王の前に出る命懸けのものであったことを示しています。そして、ユダヤ人の運命に関心を持っていない王に対して、ハマンの考え出した勅書を取り消す勅書の作成を願い出ます(5節)。

 「私は自分の民族に降りかかる不幸を見るに忍びず、また同族の滅亡にを見るに忍びないのでございます」(6節)と、ユダヤ人の助命がかなわないなら、自分も生きていないことを訴えて、王に迫ります。

 王は、エステルに加えてモルデカイも呼び、「わたしはハマンの家をエステルに与え、ハマンを木につるした。ハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしたからにほかならない」(7節)と言い、冒頭の言葉(8節)のとおり、「お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい」と、二人に新たな勅令を出すことを許可します。

 新しく出された勅令は、ユダヤ人が自分たちの命を守るために集まり、自分たちを迫害する民族、軍隊に反撃して滅ぼし、持ち物を没収することを許すというものです(11節)。これは、いわば専守防衛を定めたもので、害を受ける前に攻撃を仕掛けることは許されていません。

 また、ハマンの出した勅令は、すべてのユダヤ人に暴力的に攻撃を加え、絶滅させるというものでしたが、モルデカイはそれを、自分たちを迫害する民族、軍隊に限定します(11節)。

 ハマンがの勅令と同様、「女や子供に至るまで一人残らず」(11節、3章13節)と言われますが、「自分たちを迫害する」という限定がついているため、実質的には、それをする「軍隊」への、防衛の戦いが許されているだけです。

 岩波訳はその箇所を、「王はすべての町々にいるユダヤ人たちに、結集して自分たちの生命のために抵抗し、彼らを子供も女たちをも迫害する民のあるいは州のすべての軍勢を、絶滅し、迫害し、滅ぼし、彼らの財産を略奪することを許した」と、迫害されるユダヤの子どもと女性という意味にとって翻訳しています。

 岩波訳脚注に、「従来、『子供も女たちをも』を『絶滅し、殺害し、滅ぼし』の目的語と取り、『その妻子もろともに滅ぼし』(口語訳、新共同訳も同様の解釈)等と訳してきた。しかし文法上、『迫害する』の目的語と考えるのがヘブライ語としては自然である。従来の誤った解釈は、ユダヤ人差別のために悪用された」と記されていました。

 こうして、エステルが決死の覚悟で行動したことが功を奏し、ユダヤ人たちの命、財産、生活が守られることになりました。その勅書は、「王家の飼育所で育てられた御用馬の早馬に乗った急使によって」(10節)、帝国全土に、特に「ユダヤ人」に連絡漏れがないように(9節参照)、届けられました。

 ハマンのときは、「急使」が勅書を届けました(3章13節)。今回は、「早馬に乗った急使」が届けます。ペルシア帝国には、馬を使った駅伝制度が完備されていたそうで(ヘロドトス『歴史』)、どちらも同じ方法で届けたものと思われますが、「早馬に乗った」と書かれることで、モルデカイの記した勅書が、より緊急性を帯びて届けられたという印象を持ちます。

 勅書が届くと、どの州でもすべての民族に国の定めとして工事され、ユダヤ人は敵に復讐するため、その日に備えるようになりました(13節)。ユダヤ人たちは喜び祝い、全土で宴会を開いたと言われます(17節)。滅びに定められた運命が、救いに変えられたからです。

 ユダヤ人を絶滅させようと考えていたほかの民族から、ユダヤ人になろうとする者が多く出たということで(17節)、それは、ユダヤ人に対する恐れと羨望があることを示しています。

 また、要塞の町スサでも、この定めが言い渡されました(14節)。モルデカイが粗布を脱ぎ捨て、紫と白の王服に、大きな黄金の冠と白と赤の上着を着けるという盛装で、王の前を下がって来るのを見た都の人々は、それを歓声をもって迎えました(15節)。先のユダヤ人絶滅の勅令では、首都スサに混乱があったと記されていましたが(3章15節)、全く対照的な反応です。

 町の人々は、ハマンが首相になったときから、自分たちにとって誰が首相に相応しいのかということを知っていたかのような反応です。少なくとも、王に対する暗殺計画を未然に防いだという手柄を吹聴せず、そのための報償を求めようともしなかったモルデカイの清々しさを好感し、ペルシアに素晴らしい首相が与えられたことを喜んだのです。

 あらためて、この逆転は、エステルの命懸けの行動と、それに先立ってモルデカイによる謀反を未然に防いだ行動があったからですが、エステルの嘆願を王が受け入れ、また、モルデカイの行動に王が心を留め、栄誉を与える思いを持つように、すべての出来事の背後で秘かに働かれた神の御業があり、いずれも「偶然」を装って、それが遂行されたのです。 

 使徒パウロが、「神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました」(コロサイ書2章14節)と記しています。私たちの主イエスが、自らを十字架に犠牲としてささげ、私たちを罪と死の呪いから解放してくださったのです。

 主イエスを信じた者には、神の子となる資格が与えられました(ヨハネ1章12節)。まさに、「いかなる恵みぞ、かかる身をも、妙なる救いに入れたもうとは」(新生讃美歌301番)というほかない、生まれながら神の怒りに定められていた私たちを、その呪いから救い出し、神の子とする、驚くべき神の計らいです。

 「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうしてわたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです」(エフェソ書1章13,14節)と語ります。

 私たちが神に、「アッバ、父よ」と呼びかけることが出来るのは、私たちを神の子とする聖霊の働きなのです(ローマ書8章15節、ガラテヤ書4章6節)。神の恵みにより、私たちに素晴らしい救いが与えられていることを感謝し、父、子、御霊なる神に向かい、絶えず賛美のいけにえ、唇の実を捧げましょう(ヘブライ書13章15節)。

 主よ、私たちに救いの衣を着せ、聖霊をお与えになり、神の子として生きる恵みに与らせてくださり、心から感謝します。それはまさしく、アメイジング・グレイスです。喜びをもって御旨を行う器となることが出来ますように。主に栄光がありますように。御心が地の上に行われますように。全世界に主の平和が豊かにありますように。 アーメン




静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。


①「礼拝説教」に9月16日(日)主日礼拝の礼拝プログラムを掲載しました。

②「今週の報告」、「フォトギャラリー」を更新しました。

③「お知らせ」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。


御覧ください。



ずいぶん前に一度紹介したことがありますが、今日9月19日は「苗字の日」です。

明治の世になるまでは、貴族や武士以外に苗字を名乗る者はいませんでした。1870年(明治3年)の今日、「平民苗字許可令」という太政官布告が、戸籍整理のために出されたということでした。この布告によって、苗字を名乗ることが認められたわけです。

けれども、民衆はすぐに苗字をつけようとはしなかったようです。なぜなら、1875年(明治8年)2月13日に、「平民苗字必称義務令」が布告され、苗字をつけることが義務化されているからです。

つまり、苗字が義務化されなければ、進んで苗字をつけようとはしなかったということです。どうも、民衆は苗字をつけると余計に税金が取られるのではないかと警戒していたようで、明治政府がまだ民衆に信用を得ていなかったわけです。

それで、9月19日が苗字の日、2月13日は苗字制定記念日となったそうです。


ところで、苗字の日に因み、原田姓について調べてみましたら、「なまえさあち」というサイトに苗字、名前の全国分布を調べることのできるページがありました。
サイトのアドレスは URL https://name.sijisuru.com/ です。

因みに、「原田」姓を調べてみると、全国におよそ29万2千人いて、全国で52番目に多い姓であること、東京に最も多く26300人いて、次いで愛知の24200人、福岡の23700人となっています。都県の人口比で考えると、福岡、愛知の順で、東京はかなり順位を落としそうです。

愛知県知多郡東浦町の大字生路という地域には、まとまって原田を名乗る世帯があり、町の人から、地元の人かと思ったと言われたことがありました。


また、日本姓氏語源辞典に、「原田」姓の語源がありました。

①静岡県掛川市原里付近(旧:原田)から発祥。平安時代から記録のある地名。
②福岡県筑紫野市原田(ハルダ)発祥。戦国時代から記録のある地名。
③岡山県久米郡美咲町原田発祥。戦国時代から記録のある地名。
④大阪府豊中市の原田から発祥。室町時代から記録のある地名。
⑤兵庫県神戸市灘区原田通付近(旧:原田村)から発祥。室町時代から記録のある地名。
⑥宮崎県えびの市原田発祥。江戸時代から記録のある地名。
⑦鹿児島県伊佐市大口原田発祥。室町時代から記録のある地名。同地に分布あり。
⑧鹿児島県指宿市十二町中小路の小字の原田から発祥。
⑨鹿児島県志布志市有明町原田発祥。同地に分布あり。
⑩宮崎県北諸県郡三股町樺山の小字の原田から発祥。
⑪地形。原と田から。富山県砺波市鷹栖では明治新姓と伝える。江戸時代にあった門割制度の原田門から。門の位置の例。鹿児島県いちき串木野市大里、鹿児島県霧島市福山町福山、宮崎県えびの市灰塚、宮崎県都城市安久町。善隣。滋賀県野洲市小篠原に分布あり。
⑫コリア系。地形。田に「原」を追加。北海道空知郡南富良野町(旧:空知郡南富良野村)で1964年8月17日に帰化の記録あり。本姓は田。田デン参照。他姓もあり。

地名に基づくものが多く、それ以外は地形によるということのようです。しかし、地名からつけられたとされるものも、もともとその地名は、地形に基づくものだったということも少なからず、というところではないでしょうか。

いろいろ調べてみると、面白いものです。



9月18日(火) エステル記7章

「こうしてハマンは、自分がモルデカイのために立てた柱につるされ、王の怒りは治まった。」 エステル記7章10節

 王妃エステルが準備した2度目の酒宴に、ハマンと共に臨んだクセルクセス王は(1節)、前回同様、「何か望みがあるならかなえてあげる。願いとあれば国の半分なりとも与えよう」と言います(2節、5章3,6節参照)。

 すると、エステルから思いがけないことが告げられました。「もし特別なご配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いを聞いていただけますならば、私のために私の命と私の民族の命をお助けいただき塔ございます。」(3節)というのです。

 3節後半の原文は、「私の求めに従って私の命を私に与え、また、私の願いに従って私の民を私に与えてください」(口語訳、岩波訳参照)という言葉遣いで、王妃エステルとユダヤの民は同一のもので、同じ運命にあるということを強調する表現になっています。

 ぶどう酒を飲んで上機嫌になっていた王は、その言葉をどんなに驚いたことでしょうか。さらにエステルは言葉を続け、「私と私の民族は取り引きされ、滅ぼされ、殺され、絶滅させられそうになっているのでございます。私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう」(4節)と言います。

 「私と私の民族は取り引きされ」というところで、王とハマンが舞台に引き出されます。これは、ハマンが、ユダヤ人絶滅を申し出て、その勅書を作るために銀一万キカルの賄賂を申し出たことを指します(3章8,9節)。

 そして、「滅ぼされ、殺され、絶滅させられ」というのは、勅書のままです(3章13節)。「私どもが、男も女も、奴隷として売られるだけなら、王を煩わすほどのことではございませんから、私は黙ってもおりましょう」とは、王が「奴隷として売られる」(アーバド)と聞いた言葉を、ハマンは、同音異義語の「絶滅」(アーバド)と勅書に記して、王を欺いたのだと仄めかします。

 「王を煩わすほどのことではない」というのは、「王を煩わすに足るような仇ではない」という言葉です。岩波訳は、「王を煩わすほどの艱難には当たりません」としています。「仇、艱難」は「ツァル(敵、かたき)」という言葉です。新改訳は「迫害者」と訳しています。

 つまり、ハマンが王に告げたような、ユダヤの民が奴隷として売られるというだけなら、王を煩わすこともなく、黙って我慢するのだけれども、黙っていられないのは、王を欺いて自分とその民族を絶滅させるということだからで、それによって王の受ける損失はとても大きいのだと訴える言い方です。

 王を欺いて、王妃エステルとその民族を絶滅させ、王に大きな損失を与えるこの「仇」は、王と王妃とすべてのユダヤ人の、共通の敵だというのですが、エステルは、このような正確な情報を、どのようにして入手したのでしょうか。背後に、エステルやモルデカイに心を寄せる侍従や宦官の働きがあって、ハマンと王の密談の内容を知らせたということなのでしょう。

 王妃の訴えを聞き、すっかりほろ酔い気分から覚めたクセルクセス王は、「一体、誰がそのようなことをたくらんでいるのか、その者はどこにいるのか」(5節)と尋ねます。王妃の言う「仇」、自分たちの共通の敵とは、どこのどいつなのかということです。エステルは、「その恐ろしい敵とは、この悪者ハマンでございます」(6節)と、明快に答えました。

 それで、ハマンは王と王妃の前で恐れおののきます。酒宴に出て来る前、自宅で妻たちから、「モルデカイはユダヤ人の血筋のもので、その前で落ち目になりだしたら、あなたにはもう勝ち目はなく、あなたはその前でただおちぶれるだけです」(6章13節)と言われた言葉が頭の中を巡っていたのかも知れません。

 王は、ここで初めて、ハマンの計画を正しく理解しました。そして、怒って立ち上がり、そのまま庭に出て行きます(7節)。怒りを鎮め、頭を冷やして考えようというのでしょうか。これまでの成り行きを思い起こし、情報を整理して、より良い判断を下そうとしたのでしょうか。

 それを見たハマンは、今のうちに王妃に命乞いし(7節)、王に口添えを頼もうと身を伸ばします(8節)。ちょうど王妃の長椅子に身を投げかけて懇願しているところに、再び王が戻って来ました。ハマンの姿を見た王は、「わたしのいるこの宮殿で、王妃にまで乱暴しようとするのか」と言います(8節)。ハマンの姿勢が王妃を暴行しようとしているように見えたわけです。

 ハマンは、王の実印としての指輪を預かり、政を行う首相です(3章1,10節)。そして、王の服を着、王の馬に乗ることを栄誉としていつも考えている人物です(6章8,9節)。それで、王妃に言い寄り、自分のものにすれば、クーデターは完成に近づきます(サムエル記下16章20節以下で、アブサロムがダビデ王の側女たちのところに入ったことを参照)。

 ハマンがそれを実際に行っていたわけではありませんが、クセルクセスは、ハマンはそういう人物だと判断したのです。「王妃にまで乱暴しようとするのか」という王の言葉を聞いた人々が、ハマンの顔に覆いをかぶせたというのは(8節)、王が不快に思う人物の顔を見ないで済むようにした、つまり、死刑が確定したということでしょうか。

 岩波訳は、「ハマンは失神した」と訳しています。その脚注に「別訳『彼らはハマンの顔を覆った』あるいは『ハマンの顔が覆われた』。6章12節には『頭を覆う』という表現があるが、おそらくこれとは意味が異なる。アラビア語の同様の比喩的表現から、『失神した』の意味に解した」と記されています。

 そのとき、宦官ハルボナが、「ちょうど、柱があります。王のために貴重なことを告げてくれたあのモルデカイをつるそうとして、ハマンが立てたものです。50アンマもの高さをもって、ハマンの家に立てられています」(9節)と告げました。命の恩人モルデカイへの悪意までも知った王は即座に、「ハマンをそれにつるせ」(9節)と命じました。

 柱の高さは50アンマ、6階建てのビルに相当する高さです。どこからもよく見えたことでしょう。ハマンは、すべての者が自分に敬礼するので、思い上がっていました。そしてただ一人、自分に礼をしないモルデカイとその民族を根絶しようと企みました。その結果、首相の座を失うだけでなく、処刑されて誰からもよく見える高い柱の上に自分の愚かさをさらす結果となったのです。

 それは、私たちの罪の姿でもあります。かつて読んだ芥川龍之介の著書、「蜘蛛の糸」に登場するカンダタの、釈迦の垂らした蜘蛛の糸を独り占めしようとして、再び地獄に落ちていく姿に、自分自身を見る思いがしました。誰も、自分が何をしているのか知らず、その結果、どのような報いを受けることになるのか、分からないのです。

 しかし、罪深い私に代わって、主イエスが木にかけられ、その呪いをご自分の身に受けつつ、「父よ、彼らをお赦しください」と執り成し祈られました(ルカ23章34節)。主イエスの死によって、私の罪は赦され、王の王、主の主なる神の怒りが治まったのです。今私たちは、神の子とされ、永遠の命に与っています。主の御名はほむべきかな。

 今日も、十字架の主を見上げ、その御足跡に従って歩ませていただきましょう。

 主よ、愚かで罪深い私たちのために、主イエスが贖いの業を成し遂げ、救いの道を開いてくださったことを感謝します。私たちは今、主イエスが「わたしの教会」と呼ばれる教会の一員とされています。主の御心がこの地になりますように。主の御名が崇められますように。私たちを主の御業を行う道具、器として用いてください。今日も、全世界に主イエス・キリストの平和が豊かにありますように。 アーメン


9月17日(月) エステル記6章

「王はそこでハマンに言った。『それでは早速、わたしの着物と馬を取り、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカイに、お前が今言ったとおりにしなさい。お前が今言ったことは何一つおろそかにしてはならない。』」 エステル記6章10節

 ハマンが、自分の家に50アンマもある高い柱を立て(4章14節)、自分に全く敬意を払おうとしないモルデカイを処刑する許可を得るために朝を待っている間、クセルクセス王は眠れないので、宮廷日誌を読み上げさせます(1節)。それは、眠気を誘う効果を期待してのことでしょう。

 ところが、偶然にも、二人の宦官の謀反をモルデカイが未然に防ぐ働きをしたという記録が読まれ(2節)、眠気を誘うどころか、かえって目が覚めてしまいました。王は、「このために、どのような栄誉と称賛をモルデカイを受けたのか」(3節)と尋ねます。

 事件の内容を王が知らなかったはずはありませんが(2章22節参照)、そのことでモルデカイに褒賞を与えたという記憶がなかったわけです。侍従たちはその問いに、「何も受けませんでした」(3節)と答えました。

 もしも、王が夜眠れず、そこで宮廷日誌を読ませて、謀反を未然に防いだモルデカイの記録の箇所を開いて読むということがなければ、モルデカイはハマンの思惑通り、昼を待たずに処刑され、高い柱につるされることになったでしょう。このような偶然が重なったのは、神が背後で働かれていたからということでしょう。

 王は、モルデカイにどのような褒賞を与えたらよいかと考えていました。そのとき、王宮の内庭に入って来た人物に目がとまり、「庭に誰がいるのか」(4節)と尋ねます。侍従たちが「ハマンが庭に来ています」(5節)と答えました。ハマンは朝早く、モルデカイを処刑する許可を求めにやって来たのです(4節)。

 けれども、そのときハマンは、召しのないまま王宮の内庭に入る者は処刑されるという禁令を(4章11節)、まるで忘れていたかのようでした。それほどに、自分にとってすべてを空しいものにしてしまうユダヤ人モルデカイを処刑することで頭が一杯になっていて、朝が待ち遠しく、眠らずに夜を過ごしたのではないでしょうか。

 王は、庭にやって来た者の名をハマンと聞いて、「ここへ通せ」(5節)と招きます。王も、禁令のことなど考えるいとまもないほど、モルデカイに与えるべき褒賞を考えていて、ハマンにそれを尋ねようと、王宮に通させたのです。

 先に、エステルがそのように立っているのを見たとき、王はエステルに、「何が望みか」(5章3節)と尋ねましたが、このときハマンには、彼の願いを聞く前に、「王が栄誉を与えることを望む者には、何をすればよいのだろうか」(6節)と尋ねました。

 ハマンは、王が誰に栄誉を与えようとしているのか、栄誉を与える理由は何かを確かめませんでした。彼は、王が栄誉を与えようと望んでおられるのは、当然自分のほかにはあるまいと思ったのです(6節)。だから、王のその言葉は彼の心に、「何が望みか」と響いたのでしょう。

 それで、「王のお召しになる服をもって来させ、お乗りになる馬、頭に王冠をつけた馬を引いて来させるとよいでしょう。それを貴族で、王の高官である者にゆだね、栄誉を与えることをお望みになる人にその服を着けさせ、都の広場でその人を馬に乗せ、その前で、『王が栄誉を与えることを望む者には、このようなことがなされる』と、触れさせられてはいかがでしょうか」(8,9節)と進言しました。

 ハマンはいつも、このようなことを空想して楽しんでいたのでしょう。王の服を着せ、王冠をつけた馬に乗せるということについて、ダビデが息子ソロモンを王にするとき、自分のラバに乗せ、角笛を吹いて「ソロモン王万歳」と大声で触れ回らせ、ダビデに代わる王の座につけました(列王記上1章33節以下)。つまり、ハマンは自分が王になりたいと考えていたのでしょう。

 ハマンが「それが自分の願いです」と言おうものなら、「お前はわたしに取って代わろうというのか」と、王の逆鱗に触れることになるかも知れません。しかし、ハマンは既に王の指輪(実印)を預かっています(3章10節)。だから、「王の栄誉」という言葉に目がくらみ、それを自分のものにしたいと考えてしまったのです。

 王はハマンの言葉を聞くと、冒頭の言葉(10節)のとおり、「それでは早速、わたしの着物と馬を取り、王宮の門に座っているユダヤ人モルデカイに、お前が今言ったとおりにしなさい」と命じます。

 クセルクセスは、モルデカイがユダヤ人で、王宮の門に座している役人だと知っていましたが、ハマンが絶滅させようとして進言した「一つの独特な民族」(3章8節)が、ユダヤ人だとは知らなかったのかも知れません。

 ハマンは王にその民族がユダヤ人であることを告げていませんし、王がそれを許可する際に、「その民族はお前が思うようにしてよい」(同11節)と告げているからです。また、絶滅を指示する勅書には「ユダヤ人」と明記されていましたが(同13節)、それは、王宮や後宮には届けられなかったようです(4章5節以下参照)。

 王の口から、自分に与えられると思った王の栄誉が、憎きモルデカイに与えられ、そのうえ、彼の引き立て役をしなければならないと知ったハマンの落胆の度合いは、想像を超えたものがあります。首相の座から道化師に、幸福の絶頂から不幸のどん底へ突き落されたのです。

 もしも、それほどまでに性急にモルデカイを処分しようと考えていなければ、危険を冒して王宮の内庭に入っていなければ、モルデカイの引き立て役をさせられるという屈辱を味わうことはなかったでしょう。有頂天にならず冷静に判断していれば、王が栄誉を与えようと望んでいる人物がモルデカイと知って、それなりの褒賞で済ませることも出来たはずです。

 思い上がって王に進言したことが、全く仇になってしまったわけです。そのために、王によってハマンとモルデカイの立場が全く逆転されてしまいました。ユダヤ人絶滅の勅書に粗布をまとい、灰を被って座っていたモルデカイは、そこから引き上げられて、王の衣をまとい、王の馬に乗せられるという、王の栄誉が与えられたのです。

 箴言26章1節に、「夏の雪、刈り入れ時の雨のように、愚か者に名誉はふさわしくない」という言葉があります。この時ハマンは、王の栄誉を楽しむことは許されませんでした。そして、エステルが用意した酒宴に出席するよう急かされます(14節)。自分の短慮を悔い、体勢を立て直す暇も与えられなかったのです。 

 エフェソ書4章25節以下に「だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。・・・怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。・・・悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を必要に応じて語りなさい」と記されています。

 それは、私たちの心に住まわれている神の聖霊を悲しませないためです(同30節)。むしろ、キリストの言葉が私たちの心に豊かに宿るようにしましょう。そして、知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめ讃えさせていただきましょう(コロサイ書3章16節)。

 そして、すべてを主イエスの名によって行い、主イエスによって、父である神に感謝しましょう(同17節)。 

 主よ、私たちは、罪人の代表者、裁かれて当然、神の怒りを受けるべき存在でしたが、あなたの深い憐みによって贖われ、罪赦され、神の子とされ、キリストという最上の衣を着せられました。すべて、主の恵み、憐れみによるものです。思い上がることなく、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけることが出来ますように。絶えず、御言葉と御霊によって私たちの歩みを導いてください。悪い言葉を口にせず、隣人のために祝福を祈り、人を作り上げるのに役立つ言葉を語ることが出来ますように。全世界にキリストの平和が豊かにありますように。 アーメン





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