風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2018年08月

8月31日(金) ネヘミヤ記2章

「王に答えた。『もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。』」 ネヘミヤ記2章5節

 ネヘミヤがアルタクセルクセス王の杯にぶどう酒を注いでいるとき(1節)、王から、「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない」(2節)と声をかけられました。ネヘミヤは、心の内にあることを王に告げることが出来ず、それを表情には表さないよう注意していましたが(1節)、かえって悩みを深めていたのでしょう。

 それで、王の気遣いに恐縮しながら「わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです」(3節)と答えると、王から、「何を望んでいるのか」(4節)と重ねて尋ねられます。

 それは、「アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のこと」と言われています(1節)。治世第20年は、紀元前445年です。「ニサンの月」とは、バビロンの暦の1月のことで、捕囚後にユダヤの暦の1月になりました。今日の3~4月を指します。

 1章1節に「第二十年のキスレウの月(9月)」とあり、そこでハナニの報告に衝撃を受け、その痛みを抱えて王の前に出たのが「第二十年、ニサンの月(1月)」ということは、時間的にあべこべになっています。

 そこで、マソラ本文(BHS)は1章1節を、「治世第20年」ではなく「アルタクセルクセス王の治世第19年」と読むよう提案しています。また、彼の統治が始まった時点(紀元前466年)から数えた「第20年」と考える学者もいます。いずれにせよ、1章1節の出来事を、紀元前446年9月のことと考えているわけです。

 そうすると、ネヘミヤは、ハナニの報告を受けて5か月後に、ようやくそれを王に打ち明けることが機会が訪れたということになります。城壁は撃ち破られ、城門は焼け落ちたままになっていると知らされて以来(1章3節)、ネヘミヤは神の前に、王の憐れみを受けることができるよう祈り続けて来ました(同4節以下,11節)。

 ネヘミヤがなかなか王に切り出すことが出来ず、思案して来たのは、城壁の修復工事禁止の命令が、当のアルタクセルクセス王によって出されたからです(エズラ記4章17節以下、21節)。どう切り出せば、王の理解と協力を得ることが出来るでしょうか。なかなかよい答えが見つからなかったでしょう。それが、王の方から声がかけられて、思いがけない展開になって来ました。

 そこで、王の「何を望んでいるのか」という問いに、すぐに自分の望み、神に祈り求めて来たことを話してもよかったのでしょうけれども、ネヘミヤはあらためて天の神に祈りました(4節)。それは、瞬時の祈りだったのでしょうか、それともしばらく、あるいは数日、祈りのときをとったのでしょうか。

 いずれにせよ、それは、自分の考えや計画を推し進めるのではなく、また、王がネヘミヤの希望を叶えてくれるよう上手に説得しようとするというのでもなく、常に神の御旨を尋ねて、その導きに従いたいとネヘミヤが考えている証しです。

 ネヘミヤはそのように神の御旨を尋ね求めてから、冒頭の言葉(5節)のとおり、「わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます」と王に答えました。すると、王は傍らの王妃と共に、「旅にはどれほどの時を要するのか。いつ帰れるのか」(6節)と尋ねています。

 このとき、王は自分がエルサレムの都と城壁の再建を禁じる命令を出したことを忘れ、再建にかかる時間、ネヘミヤが工事を終えてスサに戻って来る時期を尋ねているのです。あまりに長期間になるのは困るというのでしょう。これは、ネヘミヤが王から全幅の信頼を得ているだけでなく、王妃にとっても大切な存在となっているわけです。

 ネヘミヤは、王と王妃の問いに好意的なものを感じ(6節)、町の再建に必要な期間について説明した後、通行手形となるユーフラテス西方の長官たちに宛てた書状と(7節)、城門や城壁を修復し、自分の家を建てるための木材を提供するようにとの森林管理者に宛てた書状も求めました(8節)。

 そこには、自分の決意や勇気、期待以上に、神が導いてくださっているという信仰がありました。「神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた」(8節後半)と記しているからです。

 王の書状と、王が派遣した将校と騎兵に守られて、ネヘミヤは無事にエルサレムへと旅することが出来ました(9節)。けれども、それを良く思わない者たちがいました。ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤです(10節)。かつてサマリア人たちが神殿再建を妨害しましたが(エズラ記4章参照)、サンバラトらは、そのような勢力の代表者と考えられます。

 彼らの肩書きはここに記されていませんが、聖書外資料に、紀元前407年にサンバラトがサマリアの総督だったという記述があり、トビヤは、エルサレム神殿に仕える大祭司とも深い関係を築いていた人物で(13章3,4節)、アンモンの知事、サンバラトの部下に当たる者だったと考えられています。

 このような反対者のゆえに、城壁と城門が破壊され、再建工事が妨害されたままになっていたことを悟ったネヘミヤは、密かに城壁を調べた後(11節以下)、工事の計画についてユダの人々に話しました(17節)。それは、神がネヘミヤの心に示されていたことでした(12節)。

 私たちは、ことがうまく運ばないときには熱心に祈りますが、思い通りに行っているときは、祈りを忘れていることが少なくありません。どのようなときにもまず神の御旨を求めて祈ったネヘミヤの信仰に学びたいと思います。絶えず、神の御旨を求め、主の御言葉に聴きながら歩みましょう。

 主よ、ネヘミヤは主からなすべきことの示しを受けて行動していましたから、どんなときにも確信を持って行動することが出来ました。それは、不断の祈りによって培われた信仰でした。私たちも日々御言葉を求めて御前に進み、祈りをささげます。恵みと導きに与り、御旨に従って歩ませてください。御心が行われますように。その道具として用いていただくことが出来ますように。 アーメン




8月30日(木) ネヘミヤ記1章

「『おお、我が主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください』。この時、わたしは献酌官として王に仕えていた。」 ネヘミヤ記1章11節

 今日から、ネヘミヤ記を読み始めます。ネヘミヤ記はエズラ記と併せて一続きの作品と考えてよいでしょう。

 ネヘミヤの人となりについて、ハカルヤの子で(1節)、アルタクセルクセス王の献酌官(11節)ということ以外の情報はありません。王に酌をする係ということですが、主な任務は王の護衛という、王の信任厚い大切な務めでした。側近中の側近で、ナンバーツーの位置にいると考える註解者もいます。豊臣秀吉の茶頭を務めた千利休のような立場といってもよいでしょうか。

 王妃との関わりもあったようなので(2章6節参照)、ネヘミヤは王の後宮で仕えていたのでしょう。であれば、ネヘミヤは宦官として去勢されていた可能性があります。となれば、祭司であり、書記官であったエズラと比べて、ユダヤ人の間でのネヘミヤの立場は、より困難が伴うものではなかったかと思われます(申命記23章2節参照)。

 ときは「第二十年のキスレウの月」(1節)で、「第二十年」は2章1節の「アルタクセルクセス王の第二十年」と同じく、紀元前445年のことと考えてよいでしょう。そして、「キスレウの月」は、ユダヤの暦で9月、今日の11~12月のことです。

 ペルシャの首都スサにいたネヘミヤのもとに、ユダからハナニがやって来たことでした。ハナニに関して、「兄弟の一人」と言われますが、後に、エルサレムの行政を託されていて(7章2節)、親族というよりユダヤ人同胞で、エルサレムの住民の代表といった立場の人物でしょう。

 ネヘミヤが、捕囚を免れてユダに残っている人々とエルサレムの様子をハナニに尋ねると(2節)、ハナニは、「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです」(3節)と答えました。

 「捕囚を免れて残っているユダの人々」とは、捕囚とならずにエルサレムに留まっていたユダの人々というのではなく、捕囚から解放されてエルサレムに留まっている人々ということでしょう。エズラ記9章8節にも、同様の表現があります。

 エレミヤ書24章8~10節に「エルサレムの残りの者でこの国にとどまっている者、エジプトの国に住み着いた者を、非常に悪くて食べられないいちじくのようにする。わたしは彼らを、世界のあらゆる国々の恐怖と嫌悪の的とする。・・・わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送って、わたしが彼らと父祖たちに与えた土地から滅ぼし尽くす」とあります。

 その預言の言葉からも、エズラ、ネヘミヤのころまで、捕囚を免れて生き残ることの出来たユダの人など、いなかったのではないかと考えられます。

 また、「城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたまま」というのが、バビロンによるエルサレムの破壊ということであれば、そのことを知らないネヘミヤではなかったと思います。それから140年余りが経過し、捕囚から帰った人々がエルサレムで新しい生活を始めてかなり経つというのに、いまだに「恥辱を受けている」ような有様だというので、本当にショックを受けたのでしょう。

 エズラ記4章6節以下の、エルサレムの都の再建について反対するアルタクセルクセス王への書簡が、この時期のものであると考えられるので、イスラエルの民が修復した城壁がサマリア人らに破壊され、工事再開がアルタクセルクセス王に禁じられるなど(同17節以下)、都の再建は全く覚束ないという事態だったのだろうと思われます。 

 それらのことを聞いたネヘミヤは、「座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげ」(4節)ました。この姿勢は、祭司エズラが同胞の異民族の娘との結婚を知って示した悔い改めに通じます(エズラ記9章3節以下)。残っていた人々の不幸と城壁が打ち破られままにされているのは、イスラエルの罪だと考えているわけです。

 しかも6節後半に「わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしも、わたしの父の家も罪を犯しました」と告白していることから、ネヘミヤは、エルサレムに住む者たちの罪だけを考えているわけではありません。「わたしも、わたしの父の家も」その犯罪者のリストから漏れてはいないのです。そしてこのことも、エズラの祈りと共通しています(エズラ記9章6,7,10節など参照)。

 ネヘミヤが献酌官の地位に上るのは、容易ではなかったでしょう。そのため、ペルシアの習わしに従い、形式的にペルシアの神の前に膝を屈めることさえあったかも知れません。また、彼の家はバビロンから帰還する群に加わっていません。エズラの帰国の時にも、同行しませんでした。ペルシアでのその地位と豊かな生活を捨ててまで、エルサレムに行かねばならないとは考えなかったのでしょう。

 だから、エルサレムの城壁が破壊されたままになっているというのは、そのまま、自分自身の信仰の姿を現わしていると、ネヘミヤは考えたのではないでしょうか。それを示されたからこそ、神の前に自らの罪を言い表し、神の憐れみを乞うのです。

 8,9節に「もしも背くならば、お前たちを諸国の民の中に散らす。もしもわたしに立ち帰り、わたしの戒めを守り、それを行うならば、天の果てまで追いやられている者があろうとも、わたしは彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ場所に連れ帰る」と記されているのが、モーセの戒めなる申命記28章58,64節、30章2~4節の言葉です。

 その言葉を引き合いに出して、冒頭の言葉(11節)のとおり「おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください」と祈り求めます。

 ここにネヘミヤは、神の御言葉を持ち出して、その実現を願い求めているのです。ここに、祈りのあるべき姿を見ます。自分自身の願望の実現を求めたのではなく、神の御心が実現するように、御言葉をその心棒にして祈っているのです(第一ヨハネ書5章14,15節参照)。

 ネヘミヤの願った「この人の憐れみを受けることができるように」とは、アルタクセルクセス王の憐れみを受けられるようにということです。彼は献酌官として王に仕えています。王の許しなしに、エルサレムに戻ること、城壁再建を行うことなど、出来はしません。それが実現できるよう王の心を動かして欲しいと訴え、そのために神の助け、導きを願っているのです。

 ところで、私たちの信仰生活、神との交わりの門はどうなっているでしょうか。私たちの心を守る城壁、霊の武具はきちんと整備されているでしょうか(詩編18編3節、エフェソ書6章10節以下など参照)。御言葉の剣は磨かれ、切れ味鋭く研がれているでしょうか。信仰の祈りが、芳しい薫香として、神の御前にささげられているでしょうか。

 絶えず神の御言葉に耳を傾けましょう。神の御旨に従いましょう。神の愛と恵みに応えて、まず第一に神の国と神の義を求めて生きる者として頂きましょう。

 主よ、エリヤはカルメル山上で壊された主の祭壇を修復しましたが、実に壊れやすいのは祈りの祭壇です。私たちの信仰がいつも生きて働くものであるように、御言葉と祈りによる霊的な交わりが常に豊かでありますように。私たちの耳を開き、目を開き、心を開いてください。御声を聞くことが出来ますように。御業を拝することが出来ますように。主の御足跡に従って歩ませてください。 アーメン





8月29日(水) エズラ記10章

「お立ちください。あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください。」 エズラ記10章4節

 エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていました(1節)。「身を伏せる」(ミトゥナペール)というのは、分詞形の動詞が用いられていて、身を起こして祈り(9章5,6節参照)、罪を告白して身を伏せるという動作が反復されている様子を窺わせます。エズラがひたすら嘆き祈る姿に、イスラエルの人々は深く心さされ、彼のもとに集まりました。彼らも激しく泣きます。

 その一人、エヒエルの子シェカンヤがエズラに、「わたしたちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました」(2節)と罪を告白し、そして、「今、わたしの主の勧めと、神のご命令を畏れ敬う方々の勧めに従ってわたしたちは神と契約を結び、その嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁いたします」(3節)と悔い改める約束をしました。

 26節の「エラムの一族の(マタンヤ、ゼカルヤ、)エヒエル」がシェカンヤの父エヒエルであれば、父親が異民族の女を嫁に取ったこと、自分はその子であることに心を痛めて、「わたしたちは神に背き」と、その罪を自分のこととして告白し、悔い改めの約束をしたのです。

 シャカンヤは、「今でもイスラエルには希望があります」(2節)と言い、そして、冒頭の言葉(4節)のとおり、「あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください」と告げました。それは、イスラエルの民の総意を代弁した発言でした。

 ここで、エヒエルとは「神は生きておられる」という意味、シェカンヤとは「主が住まわれる」という意味です。罪を告白し、悔い改めを約束した者自身が、「イスラエルには希望がある」(2節)と語るのは、少々心中複雑なものがあります。

 しかし、「神は生きておられる」という名の父を持つ、「主が住まわれる」という名の人物が罪を悔い改めて、泣いているエズラを励まし、立ち上がらせるというところに、神の赦しと導きを見ることが出来るようです。

 「あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください」(4節)と言われて立ち上がり、エズラが行ったのは、律法に従って嫁と嫁の産んだ子を離縁するというシェカンヤの提言をそのとおり実行すると、イスラエルのすべての民に誓わせることでした(5節)。

 集まった者たちに誓いを立てさせた後、エズラは神殿の前を立ち去り、エルヤシブの子ヨハナンの祭司室に行き、飲み食いせずに徹夜で民の背信を嘆き続けていました(6節)。神の赦しをいただくまで、神の御前で悔い改めの祈りを献げ続けていたのでしょう。

 その後、エズラはイスラエルの全会衆を召集し(7節以下)、「今、先祖の神なる主の前で罪を告白し、主の御旨を行い、この地の民からも、異民族の嫁からも離れなさい」(11節)と言うと、彼らは、「必ずお言葉どおりにいたします」(12節以下)と答えました。

 それから3ヶ月に及ぶ調査の後(16,17節)、異民族の女性を嫁に取った者のリストが作成されました(18節以下)。1月1日に調査が終わり、祭司らは、妻を離縁することに同意し、罪を認めて償いのいけにえをささげました(19節)。新しい年を心新たに主に従う年とするということでしょう。

 25節以下には、祭司、レビ人以外のイスラエルの人々のリストがありますが、彼らはどのように行動したのでしょうか。その結果、何が起こったのでしょうか。神はそれを喜んでくださったでしょうか。エズラ記の記述はこのリスト作成で終わっていて、その後のことは分りません。

 しかし、ネヘミヤ記13章23節以下を読めば、ユダの人々がアシュドド人やアンモン人、モアブ人の女性と結婚していることが分かります。ということは、イスラエルの民は、エズラと共に立てた誓いを徹底して守り行い続けることが出来なかったわけです。

 同じ罪を繰り返しているというこの事実は、人間が自分で罪から離れること、罪の誘惑に打ち勝つことは、容易ではないということを表しています。否むしろ、不可能なのかも知れません。

 イスラエルの民のなすべきこととは、何だったのでしょうか。まず、自分で罪の力から逃れることは出来ないという事実を認めることです。救いは神から与えられるものです。義を追い求めながら、神に背く人間の罪深さを悟ったパウロは、救い主を求めました。

 「死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか」(ローマ書7章13節以下、24節)と神に訴え、救い主なる神を求めるとき、真に罪を赦し、救ってくださる主と出会うことが出来ます(同25節)。ここに、罪の赦し、救いの確信があります。

 エズラはその事実を悟ったからこそ、民に誓わせた後も、神の前に嘆き、祈り続けていたのです(5,6節)。誓ったことは守らなければなりませんが、それを実行させてくださるのは、神の力、御霊の導きだということです。

 主イエスが復活された後、弟子たちに姿を現わして、「父の約束されたもの(聖霊)を待ちなさい」(使徒言行録1章5節)と言われました。聖霊が降ると力を受けて、立ち上がることが出来ます。そして主の使命を果たすことが出来ます。主イエスの十字架の血潮で罪清められ、聖霊に満たされ、その力を受けて、主の御用に用いて頂きましょう。

 主よ、私たちは常にあなたを必要としています。私たちの心の王座においでくださり、私たちをあなたの望まれるような者に造り替え、御旨のままに用いてください。主の祝福と導きが常に豊かにありますように。 アーメン





静岡教会公式サイト更新

8月26日(日)の主日礼拝には、教会員12名、来賓15名(中学生1名、子ども2名を含む)がお見えになりました。感謝です。


静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に8月26日(日)主日礼拝の礼拝プログラムを掲載しました。礼拝の説教動画を撮ることが出来ませんでした。

②「今週の報告」を更新しました。

③「お知らせ」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。


御覧ください。





8月28日(火) エズラ記9章

「イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。だからこそ、わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」 エズラ記9章15節

 エルサレムに到着したエズラのもとに、「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません」(1節)という知らせがもたらされました。それは、カナンの地の娘を娶り、彼らの習慣に従って生活するということでした(2節)。

 エズラは衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、呆然として座り込みました(3節)。それは非常に激しい驚き、悲しみ、憤りを表しています。どうして、イスラエルの一般民衆のみならず、祭司やレビ人まで、そのようなことをするのか、エズラには到底理解が出来なかったのです。

 かつて、イスラエルの民をエジプトの奴隷の苦しみから救い出された神は、カナンの住民と婚姻を結び、その地の習わしに従ってはならないと命じられました(レビ記18章3節、申命記7章3節など)。にも拘わらず、彼らはその戒めを守ることが出来ず、神に裁かれて国が南北に分裂し、さらに罪を重ねた結果、北はアッシリア、南はバビロンによって滅ぼされ、捕囚の憂き目を見たのです。

 しかるに神は、イスラエルを完全に滅し去ることをよしとなさらず、深い憐れみによって民が生き残れるようにされました。それは、バビロンで捕囚として生きるという道でした。それも永遠にというのではなく、70年の捕囚生活によって罪を償い、その後にエルサレムに帰り、国を建て直すことが出来るように計画しておられたのです(エレミヤ29章10~14節)。

 神は、ペルシアの国庫負担で民に神殿を建て直させ(6章)、そして、大祭司エズラを派遣して、再建されたイスラエルの民に、掟と法を教えさせられました(7章)。それなのに、再び神に背く道を歩み始めるのです。しかも、「長たる者、官職にある者」、即ち民の指導者たちが率先して道を踏み外したのです(2節)。

 1節に「カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人」と、イスラエルの民と婚姻を結んだ「この地の住民」の名が列挙されています。しかし、エズラの時代、既にヘト人、ペリジ人、エブス人らはこの世に存在していません。これらの名を挙げることで、出エジプト時代の課題が繰り返されていることを、印象づけています(申命記7章1~3節など参照)。

 かつて、出エジプトの民は、約束の地カナンでの生活を始めるにあたり、異民族と婚姻を結び、その習慣を採り入れたので、彼らの宗教行為にも関わるようになりました(士師記2章2,11節以下など)。バビロンから戻って来た民がイスラエルでの生活を始めるに当たり、同じようにする誘惑に駆られ、またも神に背いたわけです。

 ここに、私たち人間の罪の現実があるとしか、言いようがありません。何度叱られても、どんなに罰を受けても、同じように罪を繰り返し、本当に悔い改めるということが出来ないのです。

 そのことを、エズラは祈りの中で神に懺悔し、「わたしたちの神よ、こうした御恩をいただきながら、今何を申し上げればよいのでしょうか。わたしたちは御命令に背いてしまったのです」(10節)と告げます。

 それをご存知でない神ではありません。洪水ですべてが滅ぼされた後、箱舟を出て祭壇を築き、いけにえをささげたノアに、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」(創世記8章21節)と仰っています。深い憐みをもって、罪深い私たちに関わり続けてくださるのです。 

 エズラはここで「彼らは罪深い者です。やっつけてください」と言っているのではなく、「お怒りになって、わたしたちを一人残らず滅ぼし尽くされても当然です」(14節)と告げており、続けて冒頭の言葉(15節)のとおり、「御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております」と語っています。即ち、自分もその罪深い者の一員だという告白が、ここにあります。

 この姿勢は、シナイ山で神に背いた民のために、「確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください」(出エジプト記34章9節)と祈ったモーセに倣うものであることを思い起こさせます。 

 これはパウロが、「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(ローマ書9章3節)といって、ユダヤの民の罪を神から見捨てられるべきものだと断じながら、彼らの救いのためならば、自分がそれを身に受けてもよいと、同胞との強い絆を示していることに通じます。

 勿論、主なる神は、パウロを見捨てるようなことはなさいません。かつて迫害者であったパウロを憐れんで救いに導き、さらに伝道者としてお立てになったように、今は不従順の中にいる同胞イスラエルの民も、憐れみを受けるようになると、パウロは信じているのです(ローマ書11章25節以下)。そしてそれは、すべての人を憐れみ救うことにつながると言っています(同32節)。 

 「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」(詩編34編19節)、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(同51編19節)、「わたしは、高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」(イザヤ57編15節)と言われています。

 自分を知り、エズラのように、パウロのように、神の御前にぬかずきましょう。神に向かい、神を慕い求めて祈りましょう。神の御心に聴き従いましょう。

 主よ、あなたは私のことをよくよくご存じです。あなたの目に隠れているものはありません。このような有様で御前に立ち得ないのですが、憐れみにより御前に額ずいております。主の憐れみと慈しみが常に豊かにありますように。恵みに応えて歩むことが出来ますように。御名を崇めさせたまえ。 アーメン






8月27日(月) エズラ記8章

「わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。『わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります』と王に言っていたからである。」 エズラ記8章22節

 大祭司アロンの子孫で、ペルシャの書記官エズラ(7章1節以下、6,11節)の帰国に随伴した者は、2000名に満ちませんでした(8章2~14節)。彼らはアハワの川のほとりに集まり、部族毎の登録をしました。

 その場所は同定されていませんが、アハワの町とユーフラテスを結ぶ運河があったものと考えられています。そしてそこが、西方への旅を始める重要拠点だったのでしょう。

 そこで予め一行を調べてみたところ、祭司はいましたが、レビ人がいないことが分かりました(15節)。そこで、随伴者の頭たちを遣わして、主の神殿に仕えるレビ人を送り出して欲しいと要請します(16,17節)。

 キュロス王の命令を受け(1章2節以下)、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心動かされた者たちは、ユダの首長シェシュバツァルに導かれて帰国しました(同5,8,11節)。彼らは、紀元前538年にエルサレムに上って来ました。

 エズラ率いる一団がエルサレムに上ったのは、「アルタクセルクセス王の第七年」(7章7節)と記されており、アルタクセルクセス1世であれば紀元前458年で、第一陣の帰国からおよそ80年後ということになります。2世であれば紀元前398年で、さらに60年遅れて140年後ということです。

 ということは、エルサレムが滅ぼされ、ゼデキヤを含むエルサレムの民が捕囚とされてから(紀元前587年頃)、既に130年ないし190年という年月が経過しています。イスラエルに戻っても、そこに親族がいるわけではありません。

 また、住む家が予め備えられているわけでもありませんし、長距離の旅の安全が保証されているわけでもありません。さらに、先住の異邦人との戦いに直面することもあるのです。となれば、イスラエルに戻って苦労するよりも、このままバビロンで落ち着いた生活を続けたいと考える者の方が多かったということでしょう。

 実際、エズラがペルシアの書記官になれたのも、彼の能力があればこそですが、その能力を発揮できる環境が、ユダヤの民にも開き与えられていたわけです。また、バビロンでは、神殿で献げ物をささげることがなかったわけですから、レビ人が祭司の補助としての務めを行うことはなく、世俗化して一般的な務めを持ち、資産さえ有するようになっていたのかも知れません。

 ただ、17節の「(カシフヤの)所」(ハ・マーコーム)は、旧約聖書において「聖所」を指すこともあるので、レビ人がユダヤの民に律法を教える会堂があったのではないかと思われます。だから、「カシフヤという所の頭」、「神殿の使用人」なる「イド」という人物に「神殿に仕える者をよこして欲しい」と依頼しているのです。

 エズラがレビ人の同行を願ったのは、捕囚から解放され、バビロンからエルサレムに帰還することが、第二の出エジプトであるならば、第一の出エジプトにおいて神の契約の箱と幕屋、祭具などを持ち運ぶ役割をレビ人が担ったように、第二の出エジプトにおいて、重要な役割を担うべく、彼らに立ち上がって欲しかったのでしょう。

 この旅が第二の出エジプトと捉えられるのは、2節以下の帰還民のリストの中で、ピネハスとイタマルという祭司族に、ダビデという王族に続いて、12の一族が登録されていることにも示されます。王と祭司、それを補佐するレビ人に率いられて12部族が旅する、そして、約束の地イスラエルに入るという構図です。

 エズラの呼びかけに応えて立ち上がる者が出ました。「有能な人物」と称されるシェレブヤに、その子らと兄弟18人(18節)、ハシャブヤに、兄弟エシャヤとその子ら20人です(19節)。そこには、神の御手の導きがありました(18節)。彼らは、安定した豊かな生活よりも、主に従ってその使命を担うことを選び取る決意をしたのです。

 エズラは神の助けを喜びつつ、集まった人々に断食を呼びかけ、旅の無事を祈りました(21節)。特に断食を呼びかけたのは、この旅が必ずしも安全なものではなかったからです。そこには、盗賊の剣や獣の牙が待ち受けていたのです。

 エズラは、祭司、レビ人の中から12人ずつを選び、神殿への礼物としてささげられた金銀や祭具を、彼らの手に託しました。それは、銀650キカル(22.23トン)、銀の祭具100キカル(3.42トン)、金百キカル(3.42トン)などです(26,27節)。その重さもさることながら、たとえば、金100キカルは現在の価格にして、およそ160億円という大変な価値のものです。

 エズラは、ペルシアの書記官として派遣されるわけですから、当然、道中の護衛を王に頼むことが出来たはずです。あるいは、王の方から護衛の兵を同行させようと言われていたのではないでしょうか。ネヘミヤ記2章9節では、ネヘミヤの帰国に際して、アルタクセルクセス王が将校と騎兵を共に派遣してくれたとあります。

 しかしながら、冒頭の言葉(22節)にある通り、エズラは王に護衛兵の派遣を要請することを恥としたと言います。それは、「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手がさしのべられる」と、王に対して証しをしていたからだというのです。

 「旅の無事」(21節:デレフ・イェシャーラー)とは、「正しい道、まっすぐな道」という言葉で、平坦な道、障害や危険のない道という意味を表しています。主なる神を尋ね求めて、その道を正しい、まっすぐな道にしていただけると信じ、そのようにアルタクセルクセスに証ししていたわけです。

 第二神殿建設の折、強力なペルシアの支援を受けました(6章1節以下、8,9節)。その背後には、神の御手があったのですが、今ここでエズラは、目に見えるペルシアの力ではなく、目には見えないけれども、背後にあって歴史を動かしておられる主なる神にのみ頼る道を示され、それを実行しようとしているのです。

 レビ人がエズラの呼びかけに応えたように、エズラは神にのみ信頼を置いて、道を歩むことにしたのです。そのためにも、主の召しに応えるレビ人の参加がどうしても必要だったわけです。そして、主なる神はエズラの祈りを聞き入れられ(23節)、無事エルサレムに到着することが出来ました(31,32節)。

 私たちも、主イエスに属する者として、日々自分の十字架を背負って主に従う者にしていただきたいと思います。

 主よ、あなたの恵みと導きが私たちの上に常に豊かにありますように。それは、私たちがエズラの如く、「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手がさしのべられる」と語って主の愛と恵みの証し人となるためです。御名が崇められ、御心がこの地になされますように。そうして、全世界にキリストの平和がなりますように。 アーメン





8月26日(日) エズラ記7章

「エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。」 エズラ記7章10節

 ペルシア王アルタクセルクセスの治世に、祭司エズラがエルサレムに帰って来ました(1節以下)。アルタクセルクセス1世の治世第7年(7節)は、紀元前458年頃のことと推定されます。ということは、エルサレム神殿が破壊されてから130年後、キュロス王の帰国・神殿再建命令が発布されてから80年後、そして、第二神殿完成からおよそ60年後のことです。

 ただ、1章で学んだように、エズラの帰還をアルタクセルクセス2世の治世第7年とすると、紀元前398年頃のことになります。つまり、エズラの帰還がさらに60年遅れるということになるわけです。そして、それを支持する学者も少なからずあり、議論の分かれるところです(岩波訳同箇所の脚注も参照)。

 バビロンからエルサレムまではおよそ1600㎞、ちょうど4か月の旅路でした(9節参照)。因みに、江戸城の無血開城に大きな役割を果たした天璋院・篤姫が江戸参府のとき、女中の警護の者200名余りを引き連れた1300㎞ほどの道程でおよそ2か月要しました。一日平均21.7㎞は、決してのんびりと物見遊山しての旅ではなかったことを示しています。

 エズラの旅に時間がかかったのは、15節以下にある通り、多額の金品を所持していることから、警護が物々しかったであろうということ、そして、献げ物のための雄牛、お羊、小羊、穀物にぶどう酒を買い集めて持参するという手間もあったからでしょう。さらに、8章には、レビ人を連れて行くために時間を要したことが記されています(8章15節以下)。

 1節後半から、エズラが大祭司アロンの子孫であることが、系図で示されます。その系図によれば、初代の大祭司アロンからエズラまで、合計17人となっています。しかしこれは、実際の数ではありません。アロンからエズラまで、ざっと800年以上の開きがありますから、30人ほどいて当然というところです。

 また、歴代誌上5章27節以下に記されている大祭司の系図では、アロンからバビロンに連行されたヨツァダクまで23人の名が記されています。エルサレムが陥落した時、ヨツァダクの父セラヤが祭司長だったと、列王記下25章18節に記されています。つまり、セラヤが最後の大祭司で、ヨツァダクは大祭司になれなかったものと考えられます。ヨツァダクよりも後の系図は不明です。

 歴代誌の系図のうち、9人目のアマルヤから14人目のヨハナンまで、6人の名を除き、そして、最後のヨツァダクをエズラに変えるという手法で、エズラ記の17人の系図が作られたといってよいでしょう。ヨツァダク以降、エズラまでの間の子孫の名が省略されているのは、彼らが大祭司とならなかったからです。

 エズラ記の系図は、系図末尾のエズラと筆頭アロンを除く15人が、中間のアザルヤを挟んで、前後7人ずつに分けることが出来ますられます。つまり、エズラ、7人、アザルヤ、7人、アロンという順に並んでいるわけです。

 この系図で、エズラがアロンに連なる祭司の直系の子孫であることを示すと同時に、アロンが神に選ばれた最初の大祭司、そして、アザルヤはソロモンの神殿建築の時の大祭司(歴代誌上5章36節)であることから、エズラは、第二神殿が建てられて最初の大祭司となったということを示そうとしています。

 しかも、彼は表向き、祭司としてではなく、イスラエルの律法に詳しい書記官とされています(6節)。つまり、ペルシアの行政官に選ばれているのです。12節のアルタクセルクセス王の親書には、「天にいます神の律法の書記官」と記されています。即ち、ユダヤ関係担当者として、ペルシア王から派遣されて公式にイスラエルを訪問する訪問団の代表としての務めを担っているわけです。

 王の親書には、①神の律法に従ってユダとエルサレムの事情調査をすること(14節)、②エルサレム神殿のために献金を持参し(15,16節)、供え物を献納すること(17節)、③ユーフラテス西方の役人に対する神殿への銀、小麦、葡萄酒、油、塩の供給命令(22,23節)、④神殿に仕える者の免税(24節)、⑤司令官、裁判官を任命すること(25,26節)が記されています。

 つまり、これは、イスラエルの律法、祭儀をよく知っている内容となっているわけです。ということは、この親書を作成するのに、祭司エズラが書記官として深く関与していたのであろうと思われます。

 どのようにして彼が書記官の立場に就いたのか、分かりませんが、「神なる主の御手の加護」があったと、6節に記されています。バビロン捕囚という荒れ野を経験することで練り鍛えられ、新しい主の民イスラエルを建て上げるために、その力と知恵が用いられるのです。

 エズラは、大祭司という家系を示し、ペルシアのユダヤ担当書記官という立場でエルサレムに派遣されましたが、冒頭の言葉(10節)のとおり、彼の働きは、主の律法を研究して実行し、イスラエルの民に掟と法を教えることでした(10節)。

 帰国したエズラは先ず、主の律法を研究しました(9,10節)。彼は既に律法に精通していましたが、主の民に教えるためにさらに深く学んだのです。そして、それを実行しました。エズラにとって、神の掟と法を学ぶことは、単なる法律の研究ではありません。神の御心を探り知ることでした。だから、神の御旨が分かったとき、彼はそれを実行し、民に律法を教えたのです。

 初めに、キュロス王の命により、第二神殿を建築するためにユダヤの民の帰還が行われ、次いで、アルタクセルクセス王の命により、律法に精通した書記官であり、大祭司であるエズラの一行が派遣されて、神の民イスラエルが整えられて行きます。

 ゆえに、冒頭の言葉(10節)の「教えることに専念した」というところに、エズラの強い意思が表われています。主の御心を学び、それを行うこと以外に、イスラエルを主に属する民として活かす道はない、とエズラは考えていたのです。

 主イエスも山上の説教の最後に、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」(マタイ福音書7章24節)と教えておられます。私たちは日毎に御言葉を頂いています。主の御言葉を深く学び、実行する者としていただきましょう。主の導きを祈ります。

 主よ、あなたはご自分の民を礼拝の民として整えるために、祭司エズラをペルシアの書記官として立て、王に命じさせてエルサレムに派遣されました。万事を益とされる主の御名を崇めます。今日も御言葉に耳を傾け、御心を学びます。日々、主の御業に励む者としてください。御心がこの地になされますように。 アーメン





8月26日(日)主日礼拝案内

03

8月26日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。

「聖書教育」誌にもとづいて、旧約聖書・創世記から、共に聖書の学びと交わりを行います。


主日礼拝を10時半から行います。

主日礼拝では、マタイ福音書18章18~20節より、「祈り合う祝福」と題して、落合執事より奨励をいただきます。



写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。


キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


礼拝後、信徒会を行います。







 

8月25日(土) エズラ記6章

「祭司とレビ人は共に身を清めていたので皆清く、捕囚の子ら皆のため、また彼ら自身のために過越のいけにえを屠った。」 エズラ記6章20節

 ユーフラテス西方の長官タテナイの調査依頼を受け(5章6節以下)、ダレイオス王の命令でバビロンの記録保管所が調べられ(1節)、メディア州エクバタナでキュロス王の勅令が記された巻物が発見されました(2節)。それは、神殿を再建すること、その規模は以前と同規模にすること(3節)、費用は国庫負担とすること(4節)、神殿祭具は返還すること(5節)という内容のものでした。

 3節に「建物の高さは60アンマ、間口は60アンマとする」と記されていますが、ソロモンの神殿は「奥行きが60アンマ、間口が20アンマ、高さが30アンマ」(列王記上6章2節)だったので、かなりサイズアップすることになります。

 その「覚書」(2節)を見たダレイオス王は、神殿再建の干渉を辞め(6節)、むしろそれを援助するように、ユーフラテス西方の税収をその費用に充てるようにと命じました(8節)。かくて、神殿再建がキュロスの命令であったことが確認され、あらためてダレイオスにより、ペルシアの公式事業として推進されることになったわけです。

 さらに、神への献げ物に必要な牛、羊、穀物などは毎日欠かさず提供することを命じ(9節)、イスラエルの民が神を礼拝するときに、ペルシア王と王子たちの幸福を祈るようにさせます(10節)。そして、この定めに違反し、彼らの礼拝を妨げようとする者は厳罰に処すということさえ、つけ加えました(11,12節)。

 そこで、長官タテナイは王の命令どおりに実行し(13節)、イスラエルの民は順調に建築を進めることが出来たので(14節)、ダレイオス王の治世第6年のアダルの月の23日に無事完成しました(15節)。

 ダレイオス王の治世第6年といえば、紀元前516年頃のことです。それは、キュロス王の解放令が出されて20年余り、バビロニアのネブカドネツァルによってエルサレムが陥落し、神殿が破壊されてから70年という年月が経ったということになります。

 完成した第二神殿をソロモンの神殿と比較すれば、サイズはともかく、壮麗さ、細かい装飾などをそのとおりに再現することなどは到底出来なかったでしょう。けれども、ここに主に属し、主なる神を礼拝するイスラエルの民が回復されたのです。

 出エジプトの際、主なる神がイスラエルの民の中に住まわれるための聖なる所、神の幕屋を造るために、金、銀、青銅、青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛、雄羊の毛皮、ジュゴンの皮、アカシヤ材、灯火のための油、種々の香料、縞めのうやその他の宝石が集められました(出エジプト記25章2節以下、35章5節以下)。

 エジプトで長年に亘る奴隷生活をしていたイスラエルの民が、それらをすべて所有していたわけではありません。彼らは、エジプトを出る際、エジプトの民から金銀の装飾品や衣類を得ました(同11章2節、12章35,36節)。それが用いられて、主が共に住まわれる神の幕屋を造ることが出来たのです。

 今回はキュロス王の命令により、そして、ダレイオス王がそれを確認したことで、ペルシアの国庫から神殿再建に必要なすべてのものが供給されることになりました(4節)。帰国したイスラエルの人々を、主に属する民、主を礼拝する民として整えるために、歴史を動かしておられるのは神であること、御旨の実現のために、異邦人をさえお用いになるということが、ここにはっきりと示されています。

 神殿完成を祝い、雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹が献げられ、また、全イスラエルの贖罪の献げ物として雄山羊12匹がささげられました。それを、「イスラエルの部族の数に従って」と言っています。即ち、バビロンによって滅ぼされた南ユダだけでなく、アッシリアに滅ぼされた北イスラエルの罪も贖われ、清められたということです。

 今回、エルサレム神殿を再建した民4万2千人余りは、かつて、イスラエルを建国した民の十五分の一というようなものでしょう(2章64節、民数記1章46節、26章51節参照)。まさしく「イスラエルの残りの者」です(イザヤ書10章20,21節、46章3節、エレミヤ書31章7節など)。

 イスラエルの民は、モーセの律法に従い、1月14日に過越祭を祝います(19節、出エジプト記12章1節以下、6,17,18節、レビ記23章5節)。それは、神殿が完成した翌月のことです(アダルの月はユダヤの12月、太陽暦の2~3月)。

 過越祭を祝ったということは、バビロンからの解放を第二の出エジプトと見なし、これまでの古いパン種を取り除いて、新しく完成した神殿で、心を込めて主なる神を礼拝するのです。そうして、神の救いは遠い過去の出来事ではなく、今現在、私たちが味わうことの出来る御業であることを知って、それを喜び祝うのです。

 冒頭の言葉(20節)に、祭司、レビ人たちが身を清めていたと記されています。これは、神殿が出来、礼拝が行われるようになったから身を清めたというのではなく、神殿再建の工事が再開されて以来、彼らが常に身を清めて、安息日や過越祭などの祝祭に備えていたということでしょう。この献身により、過越祭を滞りなく行うことが出来たのです。

 私たちは、主イエスを信じる信仰によって神の子とされ(ヨハネ1章12節)、私たちの内に聖霊を住まわせる神殿とされました(第一コリント3章16節)。主の恵みの御業を日毎に確認し、喜びをもって主と共に歩ませていただきましょう。「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです」(第二コリント5章17節)。

 主よ、イスラエルの人々は、主の憐れみを受けて神殿を再建し、再び主を礼拝する民として整えられました。今、私たちも礼拝の民として、自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げるよう、招かれています。日々新たに、感謝をもってその招きに応えることが出来ますように。 アーメン




8月24日(金) エズラ記5章

「シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。」 エズラ記5章2節

 冒頭の言葉(2節)の通り、「ユダとベニヤミンの敵」(4章1節)によって中断された神殿建築が、もう一度開始されます。それは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤにより、神の預言がもたらされたからでした(1節)。そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは、神殿建築の再開に立ち上がったのです。

 エズラ記には、ハガイやゼカリヤがどのようなことを語ったのか記されていませんが、ハガイ書1章4節に「今、お前たちは、この神殿を廃墟のままにしておきながら、自分たちは板で張った家に住んでいてよいのか」とあり、神殿再建を放棄している民を叱責し、同8節で「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる」と命じています。

 また、ゼカリヤ書4章9節に「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主がわたしをあなたたちに遣わされたことを知るようになる」と記されています。敵の妨害に加え、凶作などもあって(ハガイ書1章10,11節参照)、神殿建築どころでなかった民が、預言者の言葉に励まされ、立ち上がる力を得たのです。

 ところで、神殿建築が中断したのは、敵の脅迫や妨害工作に加えて、ペルシア王の中止命令が出されたからだと、4章4,5節、17節以下に説明されていました。敵は、王の命令を錦の御旗にして、強引に工事を中止させることさえしたわけです(4章23節)。

 王に中止させられた工事を再開するには、あらためて王の許可命令を受ける必要があります。しかし、ゼルバベルらは、預言者ハガイらの告げた神の言葉に従い、その許可を待たないで工事を再開したのです。そのことで、どのような制裁があるかを考えると、軽々に出来ることではありません。

 使徒ペトロがサンヒドリンの議員たちから、「主イエスの名前で話したり教えたりするな」(使徒言行録4章1節以下、17,18節)と脅迫を受けたとき、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(同29,30節)と答えました。

 それと同様、ゼルバベルたちの行動は、主が命じておられることを行わないわけにはいかないという、明確な信仰の表明といってよいでしょう。そして、そのように信仰に立って行動するゼルバベルには、神の預言を告げた預言者たちが共にいて、その働きを助けました(2節)。

 工事再開に驚いたユーフラテス西方の総督タテナイは、工事再開を誰が命じたのか、責任者は誰かと詰問します(3,4節)。それは、特にイスラエルの人々に対する敵対行為などではなく、総督として、事実を確認しようとしての当然の行動というべきものでしょう。というのも、タテナイはすぐに工事中止を命じなかったからです。

 タテナイはペルシア王ダレイオスに事態を報告し、返書を待ちます(5節)。6節以下に、ダレイオス王に送られた書簡の内容が記されていますが、その中に、タテナイの質問に対するゼルバベルらの返答が記録されています(11節以下)。

 それは、神殿の再建命令は、バビロン(ペルシア)の王キュロスが出したもので(13節)、責任者はキュロスが長官に任命したシェシュバツァルという名の人物で、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から持ち帰った金銀の祭具をシェシュバツァルに託し(14節)、神殿をかつてあったところに再建せよと命じたのだというのです(15節)。

 併せて、神殿はイスラエルの偉大な王(ソロモン)によって建てられたが(11節)、イスラエルの民らが神を怒らせたので、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡され、王が神殿を破壊し、民を捕囚としたと語っています(12節)。

 これが今、イスラエルの民の立っている場所です。神に従うべき民が、その命に背いて神の怒りを買い、捕囚という辛酸を嘗めたけれども、今、神によって神殿再建の号令が発せられ、再び神を礼拝するイスラエルの民がここに集められたのです。この発言の中に、彼らの悔い改めと、神の憐れみに対する感謝、ゆえに、神殿建設に向けての確たる決意を見ることが出来ます。

 もし、預言者たちによって神の預言がもたらされなければ、ゼルバベルたちは神殿の工事を再開することは出来なかったでしょう。むしろ、神殿再建の思いを断念さえしていたかも知れません。あのキュロス王は、預言のとおりの救済者メシアだったのか(イザヤ44章24節以下、45章1節)、神は本当に自分たちと共にいてくださるのかと考えて、再建を放棄しても、無理はなかったと思われます。

 そして、神殿建築の目標を失い、何をしたらよいのかも分からなくなっていたのではないでしょうか。「幻がなければ、民は堕落する(預言がなければ民はわがままに振る舞う)」(箴言29章18節)という御言葉のとおりです。

 御言葉なしに、言い換えれば、神の導きと助けなしに、自分の意志で大きな壁を乗り越え、神の業を成し遂げることは出来ません。神はイスラエルの民に預言の言葉を与え、彼らの上に目を注ぎ、その働きが妨げられないようにしてくださいました。

 私たちも今、御言葉を聴き、主の御旨を求め、神の御前に進むように導かれています。日毎に主と共に歩み、主の業に励む者としていただきましょう。

 主よ、武力をもって自分の意志に従うことを相手に強要する戦争が終結し、全世界にキリストの平和が実現しますように。全身全霊をもって神を愛し、隣人を自分のように愛せよという戒めが守られますように。互いに愛し合うことを通して、私たちが神を畏れ敬う民であることを証しすることが出来ますように。 アーメン




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