風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2018年07月

7月31日(火) 歴代誌下17章

「主はヨシャファトと共におられた。父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず、先祖の神を求め、その戒めに従って歩み、イスラエルの人々のようには行わなかったからである。」 歴代誌下17章3,4節

 17章から、ダビデ王朝6代目の王ヨシャファトについて記述しています。列王記の記述の仕方では、北イスラエル王アハブと姻戚関係を結び、その動きに従属的に紹介されるという登場の仕方になっていますが(列王記上22章1節以下)、歴代誌の著者はヨシャファトを主要な王の一人とし、肯定的評価をしています(21章12節、22章9節も参照)。

 ヨシャファトは先ず、ユダの町に軍隊を配置し、父アサが占領したエフライムの町々にも守備隊を置いて(2節)、防御を固めました。ヨシャファトは主の祝福を受けて勢力を増し、ユダにいくつもの城砦と補給基地の町を築き(12節)、町々で大きな工事を進め、エルサレムに戦士、勇士を集めました(13節)。

 冒頭の「主はヨシャファトと共におられた」(3節)という言葉は、短いですが、とても素晴らしい言葉です。主イエスの誕生によって「その名はインマヌエルと呼ばれる」というイザヤ書7章14節の預言が実現すると、マタイ福音書1章21節以下に記されています。そして「インマヌエル」とは「神は我々と共おられるという意味である」と説明されています。

 どうして、主がヨシャファトとご一緒におられたというのでしょうか。その理由について、冒頭の言葉(3,4節)に「父祖ダビデがかつて歩んだ道を彼も歩み、バアルを求めず、先祖の神を求め、その戒めに従って歩み、イスラエルの人々のように行わなかったからである」と語られています。

 ヨシャファトの父王アサに対して預言者アザルヤが「あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちにご自分を示してくださる。しかし、もし主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去られる」(15章2節)と告げていました。

 そのことを、ヨシャファトは父アサから聞いていたのではないでしょうか。また、実際にアサが行っていたことを、ヨシャファトがその傍らで見ていたのでしょう。

 ただし、アサは生涯その道を歩み通すことが出来ませんでした。最後に道を踏み誤ってしまったのです(16章7節以下)。先見者からそれを指摘されるとかえって怒りを表わし、民の中のある者たちを虐待するという、八つ当たり的な行動を取っています(同10節)。そして、晩年、重い病にかかりましたが、それでも主を求めなかったと批判されています(同12節)。

 とはいえ、それによってアサのなした業績がすっかり無駄になったとは思いません。神は、キリストの弟子のために汲んだ水一杯の恩を忘れないお方だと言われているからです(マルコ福音書9章41節)。

 アサ王は、41年という長い治世を全うし、眠りにつきました(16章13節)。アサのもとで、国が長い間、平穏の内にあったのです。そして主の憐れみのもと、特別な葬りがアサのためになされたのです(同14節)。

 主に慰められる以上の慰めはありません。主が共にいてくださるということ以上の平安はありません。アサの心変わりにも拘わらず、主なる神はその深い憐れみのゆえに、どんなときにもアサと共にいてくださったということではないでしょうか。だからこそ、それを見たアサの子ヨシャファトが、さらに熱い心で主を求めたのだと思います。

 「バアルを求めず」(3節)ということについて、6節で聖なる高台やアシェラ像をユダから取り除いたと言われます。「先祖の神を求め、その戒めに従って歩み」(4節)ということについては、高官やレビ人、祭司たちが主の律法の書を携えてユダのすべての町々で教育を行うように遣わし、民の教化に当らせたと記されています(7~9節)。

 ヨシャファトの主を求める熱心さも、次第に増大しているということを示すかのようです。それゆえ主は、ヨシャファトを祝福され、多くのものがもたらされました。5節には、ユダの民がヨシャファトに貢ぎを贈ったとあります。

 さらに10節以下に主の恐れが近隣の国々を襲い、ユダに戦いを挑む者はなく(10節)、ペリシテ人のもとから貢ぎ物や税が届けられ、アラビア人も雄羊、雄山羊を7700匹ずつ届けたと記されます(11節)。このように、祝福が拡大しているわけです。

 こうして、ヨシャファトはおおいに富み栄え、勢力を増し、ユダを守る勇士、武装兵の数は百万を越えています(12節以下)。あまりに多いので、少々誇張されているのではないかという学者が少なくありませんが、いずれにしても、そのように主がヨシャファトを祝されたという表現です。

 何よりも先ず主を求める者のためには、その必要のすべてを豊かに与えてくださるという約束の実現を、そこに見ることが出来ます(マタイ6章33節参照)。持っている人は更に与えられて豊かになるという言葉がありますが(同25章29節)、主との関係が正しくされるときに、主が共にいてくださるという恵みに、すべての必要が満たされるという恵みが増し加えられるのです。

 私たちも、何よりも先ず主を求め、その導きに従って歩むことを通して、主が共におられて私たちを祝福していてくださることを感謝する者とならせていただきたいと思います。

 主よ、ヨシャファト共におられ、豊かな恵みを賜ったように、いつも私たちと共にいてくださることを感謝します。あなたを求めることを心に定め、御言葉に耳を傾けます。キリストの言葉が私たちの内に豊かに宿りますように。私たちの歩みを導き、御心を行わせてください。 アーメン!





静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に7月29日主日礼拝の礼拝プログラムと説教動画(YouTube)を掲載しました。

②「今週の報告」を更新しました。

③「お知らせ」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。


御覧ください。





ちょうど10年前、ブログを始めました。
このような形で続けて来られるとは思っていませんでした。

初めはディオンを利用していましたが、2010年の春から更新のしやすさでライブドアを利用するようになりました。
後でプロバイダを変更した結果、ディオンのときに掲載した写真は見られなくなってしまいました。
当時の写真ファイルをパソコンに残していないので、ブログに掲載した写真は復元できません(捜せば、どこかにあるのですが・・・)。

今後どうなるのかということも、定かではありませんが、満10年を迎えたということを、ここに記録しておきたいと思いました。

いつも拙い文章を御覧くださっている方々に感謝いたします。







7月30日(月) 歴代誌下16章

「主は世界中至るところを見渡され、ご自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」 歴代誌下16章9節

 アサ王は、その治世が終わりに近づいたとき、大きな試みに遭いました。治世第36年に北イスラエルの王バシャがユダに攻め込んで来たのです(1節)。この戦いについて、列王記上15章16節以下に、年代を除いてあとは同じように記述されています。

 ただ、同15章33節によれば、バシャは、アサの治世第3年に王となり、その治世は24年に及んだというのですから、アサの治世第36年には(1節)、バシャは既にこの世にありませんでした。

 アサの治世第26年にバシャの子エラがイスラエルの王となり(列王記上16章8節)、翌年、家臣ジムリが謀反を起こして代わって王となり(同9,15節)、しかし、7日後に全イスラエルがオムリを立ててジムリを追い落とし、代わってオムリが王となりました(同16,22,23節)。

 アサの治世第36年は、オムリがイスラエルの王のときということになります。ということで、いずれかの資料に年代の誤りがあると言わざるを得ません。アサの忠実さによって得た平和の期間を長くするために、歴代誌の著者が1節と15章19節のアサの治世の年代を20年ほど後ろにずらしたと想定する注解者があり、それが妥当ではないかと思われます。

 バシャがラマに砦を築くということは(1節)、既にベニヤミン領に攻め込んでその地を確保しているというしるしです。そこを橋頭堡として、さらに深くユダに攻め込んで来ようというわけです。

 そこでアサは、アラム王ベン・ハダドに金銀を贈って北イスラエルを牽制させ、攻撃がやむように願いました(2節以下)。その際、アサは「わたしとあなた、わたしの父とあなたの父との間には同盟が結ばれています」(3節)と言っていました。父アビヤの代に結ばれた同盟関係を自分たちの間でも確認し、その上で、バシャとの同盟を破棄するように求めたわけです。

 その求めに応じて、アラム軍が北イスラエルの補給基地を攻略したので(4節)、バシャはラマの構築を中止しました(5節)。しかも、バシャがラマに砦を建てるために運び込んだ石材と木材を利用して、ゲバとミツパに砦を築くことが出来ました(6節)。

 アサにとって、ベン・ハダドへの貢物は、王宮の宝物庫だけでなく、主の神殿からも金銀を取り出すということで、とても大きな負担だったわけですが、敵を追い払うことが出来ただけでなく、国境の防備も固めることが出来たわけです。まさに一石二鳥の結果となったので、快哉を叫びたいところでしょう。

 けれども、そこへ先見者ハナニがやって来ました。このことについては、列王記に記述がありません。19章2節、20章34節に「先見者ハナニの子イエフ」が登場して来ます。イエフがアサの子ヨシャファトと関わりがあったと考えると、イエフの父ハナニが先見者としてヨシャファトの父アサに主の言葉を告げるのは自然の成り行きと、歴代誌の著者は考えたのでしょう。

 アサ王のもとに来た先見者ハナニは、「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる」(7節)と告げます。

 「支配を離れる」ということは、それまではユダがアラムを支配していたということでありません。そうであるなら、貢物の金銀を贈って助力を依頼することはなかったはずです。ここではむしろ、主を頼みとしていれば、北イスラエルの王バシャの軍を排除するだけでなく、アラムをもユダの支配下に置くことが出来たはずだったということでしょう。

 それをこのとき、アサ王が主を頼みとせず、貢物でベン・ハダドを動かして解決しようとしたため、立場が逆転する結果になってしまったわけです。また、アサの貢物でベン・ハダドがバシャとの同盟を破棄するというなら、アサとベン・ハダドとの同盟も、金の切れ目が縁の切れ目ということになります。

 アサ王は、主の目にかなう正しいことを行って来ました(14章1節)。彼は、国内から異教の偶像を取り除き続けてきました(同2節以下、15章8節)。母マアカがアシェラ像を造ったというので、太后の位から退けることさえしています(15章16節)。そして、自軍に倍する敵軍を前にしても、主を頼みとし、主の御名で大軍に立ち向かうと信仰を言い表しました(8節、14章7節以下)。

 何故今回は、主を頼みとせず、冒頭の言葉(9節)にあるように「あなたは愚かだった」と言われるようなことをしたのでしょうか。それは、それほど問題が大きくなかったからなのかも知れません。

 自分に倍するような敵ならば、主を頼みとするほかありませんでした。でも、自分が動けば、また、あれこれ工夫すれば、なんとかなるかも知れないというようなレベルのとき、祈るまでもないと思うのではないでしょうか。

 大罪を犯すと考えれば手を出さなかったかも知れませんが、この程度ならといった軽い気持ちで罪に手を染めてしまうケースがあるでしょう。富士山に躓く人はいません。私たちが躓くのは、ごく小さな段差です。

 大祭司カイアファの屋敷でペトロが主イエスを否んだとき、もしもペトロ自身が縛られて大祭司の前に引き出され、同じように尋ねられたのであれば、「わたしは主イエスの弟子です」と答えられたのかも知れません。

 神はアサのその判断を「愚かだった」と言われました。これは、聞かなければならない大切な言葉であり、そこから信仰を学ばなければなりません。主なる神は、私たちを愚かなままにしておきたくはないのです。冒頭の言葉(9節)のとおり「主は世界中至るところを見渡され、ご自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる」のです。

 主の言葉を聞いてアサ王は憤り、ハナニを獄に投じました(10節)。「民の中のある者たち」とは、先見者ハナニを支持した者たちのことでしょう。アサは彼らを虐待したと言われます。その後、アサ王が足の病にかかり(12節)、2年後に命を落としたのは(13節)、先見者と民に対する悪のためということでしょう。

 主なる神は、どんなときにも主を信頼し、絶えず主に尋ね、導きに従って欲しかったのです。たとい失敗しても、もう一度主の祭壇を新しく築き直すこと、改めて主を求めようと心を定めることを望んでおられたのです。

 失敗しないように気をつけていても、失敗してしまうのが私たちの常です。失敗したとき、そしてそれに気づいたときには素直に悔い改め、主の赦しを頂いて、主と共に前進させて頂きましょう。

 「互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです」(コロサイ書3章9,10節)。主の祝福を祈ります。

 主よ、あなたに信頼します。弱い私たちを憐れんでください。絶えず御言葉に立ち、その導きに従うことが出来ますように。御心を尋ねて祈り求めます。私たちの歩むべき道を示してください。主こそ道であり、真理であり、命だからです。私たちを主の御業に用いてください。御心がこの地になりますように。 アーメン





見ようとしなければ見えない

04ある建物から北東方向を見た写真です。

手前の緑は駿府城公園(駿府城趾)です。

現在、駿府城天守台の発掘が行われています。

駿府城を再建するという計画もあるように聞いたような気が。


市街地奥の山の向こうにうっすらと富士山が見えます。

夏場はこんなものです。










05これが、同じ場所から半年前に撮った冬場の富士山です。


この建物には静岡に来て4年の間、たびたび訪れているのですが、半年前、富士山が見えていることに初めて気づき、シャッターを切りました。


いつも、駿府城公園周辺を眺めていたり、自分の住んでいる家がどのあたりにあるのか見当を付けたりということで、正面に見えているこの美しい姿を見逃していたのです。


今は、ここに来る度にまず最初に富士山を捜しています。


あらためて、「見る」と「見える」の間には大きな淵があって、見えてはいても見ていない、何を見ようとしているのかということが、見るものを限定しているんだなあと思いました。




7月29日(日) 歴代誌下15章

「彼はアサの前に進み出て言った。『アサよ、すべてのユダとベニヤミンの人々よ、わたしに耳を傾けなさい。あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちにご自分を示してくださる。しかし、もし主を捨てるなら、主もあなたたちを捨て去られる。』」 歴代誌下15章2節

 オデドの子アザルヤに神の霊が臨み(1節)、ユダの王アサに預言を告げます。それが、冒頭の言葉(2節)で始まる主の言葉です。アサは、クシュ人ゼラの大軍を退け(14章7節以下)、ゲラル周辺のすべての町を撃って(同13節)、多くの戦利品を持ち帰っていました(同12節)。驕り高ぶってレハブアムの道を歩まないよう「勝って兜の緒を締めよ」といったところでしょうか。

 預言の内容について、3節に「長い間、イスラエルにはまことの神もなく、教える祭司もなく、律法もなかった」と言っているのは、おそらく士師記の時代のことを指しているのでしょう。そのころ、国ははなはだしい騒乱に巻き込まれ、安全に行き来することが出来ませんでした(5節)。国と国、町と町が互いに争い、破壊し合っていたからです(6節)。

 「しかし、あなたたちは勇気を出しなさい」(7節)というのは、14章2節以下に記されている宗教改革を完遂しなさいということでしょう。2節で「あなたたちが主と共にいるなら、主もあなたたちと共にいてくださる。もしあなたたちが主を求めるなら、主はあなたたちにご自分を示してくださる」と語られているのは、14章6節でアサ自身が民に告げていたことでした。

 預言者アザルヤについて、父オデドの名のほか、彼のことを知ることの出来るものは何もありません。オデドも8節では「預言者」と呼ばれています。ただ、アザルヤとは「主は助け」という意味であり、父オデドは「回復させる人、元に戻す人」という意味です。そのような名を持つ預言者がアサのもとに遣わされたというのも、偶然以上の意味を持つ出来事ということです。

 その言葉を聞いてアサ王は勇気を出し、ユダの全地から偶像を取り除き、主の神殿の祭壇を新たに築き直しました(8節)。すると、主なる神が彼と共におられるのを見て、イスラエルから多くの者が彼のもとに投降して来たと言われます(9節)。

 かつて、レハブアムの代にイスラエルの神、主を求めようと心を定めた者たちが、イスラエルのすべての部族の中から、エルサレムに出て来て主を礼拝し、ユダの国を強くしました(11章16節)。しかし、それは3年間という短い間で(同17節)、その後、レハブアムは主の律法を捨ててしまいます(12章1節)。国が固まり、自らも力をつけたことが高ぶりになってしまったのです。

 ヤロブアムの背信のためにエルサレムにやって来て、主を求めつつレハブアムに協力していた人々は、レハブアムの背信を見て、レハブアムを支援することをやめてしまったことでしょう。ここに、主の目に適う正しいことを行う王の登場を見て、再びイスラエルから多くの人々がエルサレムにやって来たわけです(10節)。

 あらためて、主を求め、主と共にいるとは、異教の偶像を取り除き、主の祭壇を築き直すこと、主の御言葉に耳を傾け、その教えを守ることと示されます。かつて神を求めたことがあれば、それでよいというのではありません。私たちが主の霊の導きに与るとき、自分たちの姿、特に罪の姿が示されることでしょう。

 アサ王が主の目にかなう正しいことを行い、異国の祭壇と聖なる高台、石柱やアシェラ像を壊し、取り除いたことが、14章1,2節に記されていました。前に行っていたことを、アザルヤの言葉に力を受けて、ユダとベニヤミンの地でさらに徹底的に行うと共に、エフライムの山地で攻め取った町々から、忌むべき偶像を除き去り、主の祭壇を新しくしたと読むことが出来ます(8節)。

 エフライムの山地は北イスラエルの領土ですが、列王記上15章16節などに「アサとイスラエルの王バシャの間には、その生涯を通じて戦いが絶えなかった」と記されているので、ある時期、その戦いの中でエフライム山地の町々を占領することがあって、アサはその町々にあった異教の神々を廃する宗教改革を断行したようです。

 人はいつの間にか、偶像を造ってしまいます。偶像というのは、目に見えるもの、形あるものばかりではありません。自分を安心させようとして、あるいは自分の欲望を満たすために、主を求めることを妨げ、主と共にいることが出来ないようにするもの、それらすべてが偶像です。

 私たちが求めれば、ご自分を示してくださると主は言われますが(申命記4章29節、エレミヤ書29章12節以下など)、神ご自身がご自分を示そうとしておられるので、私たちが求める前から、ご自分を示す準備をしておられるのです。いえ、それだけでなく、私たちに求める心を起こさせてくださるのです(フィリピ2章13節)。

 それが、私たちを祝福してやまない主の御心です(15節参照)。御言葉と聖霊の導きに従い、自分の心の内にある、神にふさわしくないものを取り除かせていただきましょう。

 「神の聖霊を悲しませてはいけません」(エフェソ4章30節)という御言葉があります。また、「霊の火を消してはいけません」(第一テサロニケ5章19節)という御言葉もあります。

 そのために「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(同5章16~18節)と命じられます。それは、「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられること」(同18節)だからです。

 喜びと感謝を携えて絶えず神に祈ること、神がそれを望んでおられます。主は私たちと共におられますが、ただ黙ってそこにいるというのではなくて、語り合うこと、交際することを求めておられるわけです。

 また「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェソ5章18,19節)と言われます。主の恵みを受け、聖霊に満たされて、心から賛美のいけにえ、唇の実を主にささげましょう(ヘブライ13章15節)。

 私たちを愛し、恵みをお与え下さる神の御言葉に耳を傾け、感謝と喜びをもって祈りをささげましょう。どんなマイナスもプラスに変えてくださる主を信じ、どんなことも感謝しながら、歩みましょう。

 主よ、あなたの御言葉に耳を傾けます。私たちと共にいてください。心を尽くし、魂を尽くしてあなたを求めます。私たちにご自分をお示しください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。主の霊に満たされ、その導きに従い、絶えずあなたに唇の実をささげさせてください。御名が崇められますように。 アーメン






7月29日(日)主日礼拝説教

昨夜遅く、台風12号が駿河沖を西に進みました。強い雨風に見舞われましたが、特に被害は出ませんでした。

7月29日(日)の主日礼拝には、教会員13名、来賓17名(子ども2名を含む)がお見えになりました。
礼拝後、12名の参加で第8回静岡教会一日愛修会を行いました。
感謝です。


主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「神の国を求めよ」
聖書 ルカ福音書12章22~34節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


御覧ください。




7月29日(日)主日礼拝案内

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7月29日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。

「聖書教育」誌にもとづいて、旧約聖書・創世記から、共に聖書の学びと交わりを行います。


主日礼拝を10時半から行います。

礼拝では、ルカ福音書12章22~34節より、「神の国を求めよ」と題して、原田牧師より説教をいただきます。



写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。


キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


礼拝後、第8回教会一日愛修会(主の御言葉と祈りの修養会)を行います。


昼食会はありません。






7月28日(土) 歴代誌下14章

「アサは彼の神、主を呼び求めていった。『主よ、あなたは力のある者にも無力な者にも分け隔てなく助けを与えてくださいます。わたしたちの神、主よ、わたしたちを助けてください。わたしたちはあなたを頼みとし、あなたの御名によってこの大軍に向かってやって来ました。あなたはわたしたちの神、主であって、いかなる人間もあなたに対抗することができません。』」 歴代誌下14章10節

 1節に「アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った」という評価が記されています(列王記上15章11節も)。ダビデの子らで初めてのことです。だからでしょうか。列王記では16節ですが(同15章9~24節)、歴代誌ではここから3章を割り当てるという、とても大きな扱いになっています。

 歴代誌はアサの父アビヤについて、列王記15章3節の「彼もまた父が先に犯したすべての罪を犯し、その心も父祖ダビデの心のようには、自分の神、主と一つではなかった」という評価を削除し、替わってヤロブアムの背きの罪を糾弾しつつ「我々は我々の神、主に対する務めを守っている」(13章11節)と、主への信仰を明らかにしています。

 その信仰が「主の目にかなう正しく善いことを行った」(1節)アサを産んだということになりそうです。アサは、異国の祭壇と聖なる高台を取り除き、石柱を壊し、アシェラ像を砕き(2,4節)、主を求め、律法と戒めを実行するように命じました(3節)。そのように主を求め、戒めに従うアサ王に、主は安らぎを与えられたので、国は平穏でした(5節、13章23節)。

 そこで、外敵に対する守りのために砦の町を築き、城壁を巡らして塔を建てました(5,6節)。国が平和に保たれているので、砦や城壁などは必要ないようなものですが、神の恵みを得たダビデ、ソロモンが、神殿建築を果たしたように、安らぎを与えられたアサも、建築事業を行ったわけです。

 彼には、盾と槍を携えるユダの兵30万、小盾を携え、弓を引くベニヤミンの兵28万がいました(7節)。しかし、それで国が安泰だというのではありません。小国ユダの平和は、主なる神が守ってくださればこそです。

 アサがユダの人々に「我々は、我々の神、主を求めたので、この地を保有することができる。主を求めたからこそ、主は周囲の者たちから我々を守って、安らぎを与えてくださったのだ」(6節)と語っているとおりです。

  だから、ユダに対してクシュ人ゼラが百万の軍隊と戦車3百両を率いてマレシャまで出て来たとき(8節)、アサ王は自分たちに倍する敵を迎え撃つために出陣しましたが(9節)、戦いを前にして、主を呼び求めて祈りました。

 冒頭の言葉(10節)は、その祈りの言葉であり、主に依り頼む信仰の告白です。ここにアサ王は、自分たちの信ずる神がユダに勝利をお与えくださることを確信していたのです。

 これは、「見よ、神が頭として我々と共におられ、その祭司たちは、あなたたちに対する進軍のラッパを吹き鳴らそうとしている。イスラエルの人々よ、勝ち目はないのだから、あなたたちの先祖の神、主と戦ってはならない」(13章12節)と告げ、挟撃したイスラエル軍を前にして、主に助けを求めたアビヤ王の信仰に通じます(同14,15節)。

 主なる神は、アサのこの信仰の祈りに応え、クシュ人を撃たれたので(11節)、ゲラルまで追撃して一人残らず討ち取り、おびただしい戦利品を持ち帰ることが出来ました(12節)。また、ゲラル周辺のすべての町をも撃ちました(13節)。それは、ゲラル周辺に住むペリシテ人たちが、クシュ人に同行していたということだったのでしょうか。

 パウロは「神が味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ書8章31,32節)と語りました。

 ヨハネの手紙一4章4節には「あなたがたの内におられる方は、世にいる者よりも強いからです」と記されています。私たちの内にお迎えした主イエスが、世にいる者よりも強いお方であり、そのお方が私たちに味方していてくださるので、この世に対して、常に輝かしい勝利を収めることが出来ます。

 主イエスは悪霊払いについての論争で、「まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ」(マルコ3章27節)と言われました。

 私たちが主イエスを生活の真ん中、また心の中心にお迎えし、主の御言葉に従って歩んでいるならば、主を縛り上げることが出来るような強いものはこの世に存在しないので、略奪に遭って大切なものを失うというようなことは、全くないでしょう。

 しかしながら、私たちは信仰を持ってはいますが、いつの間にか主に従うというよりも自分で考え、自分で行動してしまうことがあります。完全に明け渡していない自分がいます。そして、あれこれとあくせく働いて、出て来るのは涙とため息、喜びも平安もない生活になっていることがあります。

 それは、心が縛られて、大切なものが奪われてしまった状態です。そしてそれを、自分でもどうしようもない状態になってしまうことがあります。そんなとき、もう一度、主を心にお迎えしましょう。主の御名を呼びましょう。主が祈りを聞いてくださいますから、どんなことでも感謝をもって神に願いましょう。

 そうすれば、主が約束通りに平安を授けてくださいます(フィリピ書4章6,7節)。聖霊を通して、神の愛を心に注いでくださいます(ローマ書5章5節)。主にあって、勝利に導いてくださいます(ヨハネ16章33節)。主に信頼し、絶えず主を呼び求めましょう。

 聖霊様、今日も私たちと共にいてください。私たちの内側をあなたの力と平安で満し、行くべきところに行き、語るべき言葉を語り、留まるべきところに留まり、なすべきことを行わせてください。あなたが悲しまれることをしないよう、守ってください。そうして、あなたが望まれる者にならせてください。御名が崇められますように。 アーメン!




7月27日(金) 歴代誌下13章

「見よ、神が頭として我々と共におられ、その祭司たちは、あなたたちに対する進軍のラッパを吹き鳴らそうとしている。イスラエルの人々よ、勝ち目はないのだから、あなたたちの先祖の神、主と戦ってはならない。」 歴代誌下13章12節

 北イスラエルの王ヤロブアムの治世第18年に、レハブアムの子アビヤが南ユダの王となりました(1節、列王記上15章1節では「アビヤム」と呼ばれている)。レハブアムのときと同様(12章15節)、ヤロブアムとアビヤの間にも戦いが続いていました(2節)。

 もともと、主が父レハブアムに対して「あなたたちの兄弟に闘いを挑むな、それぞれ自分の家に帰れ」(11章4節)と命じておられたのですが、上述の通り、レハブアムとヤロブアムの間に戦いが絶えず、主の戒めが守られない一面を明示していました。これも、「国が固まり、自らも力をつけ」(12章1節)た結果なのでしょうか。

 列王記では、アビヤについての叙述は簡単で、「父がさきに犯したすべての罪を犯し、その心も父祖ダビデの心のようには、自分の神、主と一つではなかった」(列王記上15章3節)という評価がなされていますが、歴代誌には、そうした評価はありません。むしろ、主なる神への信仰に立って、神に背き、罪の道を歩むヤロブアムに立ち向かうという姿勢を示しています(4節以下参照)。

 歴代誌の著者は、列王記にはない独自資料でアビヤとヤロブアムの間の戦いを記述し、その際、列王記とは違う視点でアビヤを見ているわけです。

 この戦いにおいて、南ユダは40万の戦士をもって戦いに臨み、北イスラエルは倍の80万でそれに対抗します(3節)。この戦士たちの数は、かつてダビデがヨアブに命じて数えさせたものとほぼ同じです(サムエル記下24章9節)。つまり、互いに全軍で戦いに臨んでいるかたちです。

 開戦の前にアビヤが立ち上がり、ヤロブアムとイスラエル兵らに(4節)、イスラエルの王権は、ダビデとその子孫に与えられたものであり(5節)、ヤロブアムは主君への反逆者で(6節)、ならず者を集めて若輩のレハブアムを圧迫したと主張し(7節)、さらに、おびただしい軍勢と、おのが神として造った金の子牛像を頼みとして主の王国ユダに敵対していると非難します(8節)。

 ここで、「命知らずのならず者」(7節)は、「命知らず(レーク:「中身がない、空っぽ」の意)のならず者(ブネー・ベリアル:「ならず者の子ら」の意)」という言葉です。その命知らずのならず者が「彼のもとに集まって」(7節)で言及される「彼」を、ヤロブアムではなく、「自分の主君」(6節)、即ち、レハブアムのこととする解釈もあります。

 レハブアムと共に育ち、彼に仕えていた若者たち(10章8節)のことを、「命知らずのならず者」と考え、彼らの圧迫でレハブアムが長老たちの賢い忠告を退けた結果、王国が分裂することになったというわけです。7節後半の文言から、この方が正しい理解ではないかと思われます。

 そう考えると、アビヤはレハブアムのような「若すぎて気も弱い」者ではないから、ヤロブアムが命知らずのならず者として自分を圧迫することなど出来はしないと言っていることになるでしょう。

 また、ソロモンの背きのゆえに主なる神がヤロブアムを選んで北イスラエルの王としてお立てになったと列王記に記されており(列王記上11章31節以下)、ソロモンへの反逆というアビヤの非難は言いがかりというところですが、しかし、神の戒めに背いて金の子牛像を造り(8節)、また、主の祭司やレビ人たちを退けたことは(9節)、まさに主への敵対行為です。

 9節の「神でないもの」は、ホセア諸8章6節では「サマリアの子牛」に対して用いられているので、ここでも「ヤロブアムがあなたたちのために造って神とした金の子牛」(8節)のことを指すとも考えられますが、11章15節との関連で「山羊の魔神」のことではないかと考える学者もいます。

 一方、南ユダは主を礼拝し、主に従って歩んでいると告げ(10節以下)、冒頭の言葉(12節)の通り、神は自分たちに味方されており、今や、神の祭司たちが進軍ラッパを吹き鳴らそうとしている。どう考えても勝ち目はないのだから、主なる神に戦いを挑むことはやめよと宣言します。

 しかし、このような物言いで、相手が軍を引くとは考え難いところです。ヤロブアムはアビヤの言葉に反発するかのごとく軍隊を進め、兵を二分して、伏兵をユダの後ろに回らせます(13節)。ユダ軍を挟撃する作戦です。前にも後にも、自軍と同じ規模の敵軍が配置され、迫って来ます。絶体絶命、アビヤ軍全滅の危機です。

 それに気づいたユダの人々は、主に助けを求めて叫び、祭司はラッパを吹き(14節)、そして、ユダの人々が鬨の声を上げます(15節)。すると、神が敵をユダの手に渡されたので(16節)、敵の大軍に大打撃を与え、50万の兵を剣で倒しました(17節)。自軍を倍する敵に、兵の少ないユダが圧倒的勝利を収めたのです。

 それは、兵の数によらず、その強さによらず、主を頼みとしたからです(18節)。かつて、ヨシュア率いるイスラエル軍がエリコの町を攻めた際、主の御告げの通りに町を巡り、祭司が角笛を吹き、民が鬨の声を上げると、町の城壁が崩れ落ちて町を滅ぼし尽くたという出来事を思い起こします(ヨシュア記6章20節)。

 列王記上15章9節によれば、アビヤよりもアブサロムの方が長生きをしていますが、歴代誌では、「アビヤの時代代に二度と勢力を回復できず、主に撃たれて死んだ」(20節)とされます。「撃たれて」は、15節の「撃退された」(ナーガフ)と同じ動詞です。敵軍の将ヤロブアムの死をもって、北イスラエルの敗戦を特徴づけているようです。

 武力に勝るイスラエル軍にアビヤの軍が勝利出来たのは、主を頼みとしたからでした(8節)。16章7,8節でも主を頼みとするかどうかが、ユダにとって決定的な条件であることが示されます。歴代誌の著者は、捕囚後を生きる民にも、主を頼みとすることの重要性を教えようとしているのです。

 神の憐れみなしには、人に救いはありません。主なる神はそのことを私たちに教えるために、独り子を世に遣わされました。ところが、イスラエルの宗教指導者たち、彼らに扇動されたエルサレムの民は、愚かにも神の子を十字架につけて殺してしまいます。しかも、それは良い事をしたかのように思っていたのです。

 しかるに神は私たちを憐れみ、罪のない独り子の死をもって私たちの罪を贖い、救いの道を開いてくださいました。もう、感謝のほかありません。だから、主イエスが語られる言葉に喜びをもって従うしかないのです。

 感謝をもって御前に進み、謙ってその御言葉に耳を傾け、その恵みに与った喜びをもって導きに従いましょう。

 主よ、十字架で贖いの御業を成し遂げ、救いの道を開いてくださった主イエスに感謝します。愚かで弱い私たちを憐れみ、絶えず正しい道、命の道に導いてください。御言葉と御霊の働きによって私たちを清めてください。あなたが望まれるような者になれますように。そして、御業のために用いてください。 アーメン!






7月26日(木) 歴代誌下12章

「王がへりくだったので、主の怒りは彼から離れ、彼が徹底的に滅ぼされることはなかった。ユダにも良い事があった。」 歴代誌下12章12節

 「主を求めようと心を定めた者たち」が、ユダの国を強くし、レハブアムを支援しました(11章16,17節)。ダビデの道に歩む彼らを通して、神がユダの国を祝福されたわけです。ところが、国が固まり、自らも強くなると、なんとレハブアムは主の律法を捨て、「ダビデとソロモンの道」(11章17節)に歩むことをやめてしまいます(1節)。

 「主の律法を捨てる」ということは、主の教えに背くということで、異教の神々を礼拝するということを意味しています。ダビデとソロモンの道を歩むことで、主を求めようと心を定めた者たちの支援もあって、国が固まり、レハブアムも力をつけましたが、それによって道を踏み外してしまいました。「自らも力をつける」という表現には、思い上がりという意味が込められているようです。

 「主を求めようと心を定めた者たち」がユダの国を強くし、レハブアムを支援したのは、3年間と記されていました(11章17節)。ということは、レハブアムの治世第4年に、主の律法に従うことをやめたわけです。

 すると、主の律法から離れたレハブアムを咎めるように、エジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上って来ました(2節)。レハブアムは、ベツレヘム、エタム、テコア、ベト・ツルなどユダの各地に砦の町を建設していましたが(11章5節以下)、それら15もの町々を要塞化する工事が、4年で既に完了していたとは考えられず、工事中の町も少なくなかったことでしょう。

 そんな状況の中、戦車千二百両、騎兵六万を擁し、リビア、スキイム、クシュの人々からなる数え切れない傭兵を伴って攻め上ってきたエジプトの侵攻を食い止めることは出来ませんでした(3節)。彼らは、砦の町を次々に陥れ、首都エルサレムに迫って来ます(4節)。

 ソロモンはファラオの娘を后に迎え、彼女のために宮殿を建て(8章11節)、エジプトとの友好関係は保たれていたはずです。また、レハブアムがエジプトを侵略したという事実もないと思います。にも拘わらず、シシャクが攻め上って来たのは、「彼らが主に背いたから」(2節)と説明されています。

 ただ、ソロモンの後継者レハブアムは、アンモン人ナアマの子であり(13節)、ファラオの娘の産んだ子ではありませんでした。王妃700人、側室300人(列王記上11章3節)からどれ程の王子が生まれたのか、その中からどのようにしてレハブアムが選ばれたのか、全く不明ですが、そうしたことが、エジプトとの関係にひびを入れる結果となったのでしょうか。

 将軍たちが王を交えて軍議を開いているところ、預言者シェマヤがやって来て、「あなたたちが主を捨てたので、主もあなたたちを捨てて、シシャクの手に渡す」と告げました(5節)。ということは、両国の関係がどうであれ、神がエジプトを、イスラエルを打つ道具として用いておられるということになります。

 主の律法を捨てることは、主を捨てることであり、だから、主から捨てられることになったのです。預言者の言葉を聞いた王と将軍たちは、「主は正しい」(6節)と謙ります。主の律法を捨てたのが自分たちの誤りだったと認め、悔い改めたわけです。

 その謙りをご覧になった主は、「彼らがへりくだったので、わたしは彼らを滅ぼさず、まもなく彼らに救いを与える。わたしの怒りをシシャクの手によってエルサレムに注ぐことはしない」(7節)と、その怒りの拳を降ろされます。

 これは、レハブアムの罪が全く不問とされたというのではありません。攻めて来たシシャクによって神殿も王宮も荒らされ、あらゆる宝物が奪い去られました(9節)。しかし、エルサレムは滅亡を免れました。冒頭の言葉(12節)の通り「主の怒りは彼から離れ、彼が徹底的に滅ぼされることはなかった」のです。

 そして、「ユダにも良い事があった」と記されています。良い事とは、何より滅亡を免れたことでしょう。それは、王が謙ったゆえでした。となれば、王が神の前に謙ることを、「良い事」と言っているのかも知れません。さらに、彼らの謙りの結果、主の恵みに与り、それからのレハブアムの治世に「良い事」が始まったのです。

 国力が増すと、王の心はいつの間にか傲慢になりました。神の守りを自分の実力であるかのように思い上がります。高ぶって神の教えを捨てたためにエジプトの侵略を受け、主の御前に謙ったとき、主の憐れみを受けました。ソロモンの知恵と富でその名を世界にとどろかせたイスラエルが、それらのものをすべて失ったために、もう一度、主を頼りとするようになったのです。

 すべての宝物は失われてしまいました。しかしそれは、もともと与えられたものっだのです。主は生きておられ、私たちに必要なものをもう一度お与えになることが出来ます。金の盾が青銅の盾に替わっても、特に支障はありません。

 「主御自身が守ってくださるのでなければ、町を守る人が目覚めているのもむなしい」(詩編127編1節)のです。主から離れたとき、砦の町は役に立ちませんでした。主の神殿と王宮、その宝物、ソロモンが造った金の盾なども、何の役に立ちません。

 しかし、主は私たちを愛し、守ってくださるお方です。「主は愛する者に眠りをお与えになるのだから」(同2節)、主を信じ、主に依り頼めばよいのです。主のもとに安んじて憩えばよいのです。

 レハブアムの父ソロモンは、多くの外国人女性によって心迷わされて偶像に従う者となりました(列王記上11章3,4節)。そして、母ナアマはアンモン人です。アンモンの神ミルコム、あるいはモレク神を礼拝した母の影響を受けて(同5,7節)、主の律法を捨てることになったのかも知れません。

 それで、残念なことにレハブアムは、17年の治世の間「心を定めて主を求めることをせず、悪を行った」(14節)という評価を受けています。私たちは、日毎に御言葉に耳を傾け、心を定めて主を求める者、その導きに従って歩む者にならせていただきましょう。

 主よ、あなたの恵みと導きを感謝します。聖霊様、私たちの心に歓迎申し上げます。私たちの心の王座にお就きください。私たちに不必要なものはすべて取り去ってください。絶えず心を定めて主を求め、その導きに素直に聴き従うものとしてください。御名が崇められますように。御心がこの地に行われますように。 アーメン!




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