風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2018年06月

6月23日(土) 歴代誌上8章

「ヨナタンの子は、メリブ・バアル。メリブ・バアルにはミカが生まれた。」 歴代誌上8章34節

 8章には、7章6節以下に記されている「ベニヤミンの子孫」とは別の、「ベニヤミンの子孫」のリストがあります。ベニヤミンの長男ベラ以外は、全く違う名が列挙されています。そして、双方とも、創世記46章21節のベニヤミンの子らのリストと一致しません。どう考えてよいのか分かりませんが、違いを推理してみるのも一興でしょう。

 この箇所で、ユダ、レビを除く他の部族に比べて大きく取り扱われています。また、最後にベニヤミンを扱っているのは、ヤコブ=イスラエルの12人の子らの中で最後に生まれたものだからでしょう。そして、最初にユダ、真ん中でレビ、そして最後にベニヤミンを扱うことで、全部族を囲みこむユダ-レビ-ベニヤミンという枠が完結します。

 ベニヤミン族の中でサウルの家系が突出して記されています。ベニヤミン族出身のキシュの子サウルは(33節)、イスラエルで最初の王になりましたが(サムエル記上10章)、主の言葉に従わなかったために、王位から退けられ、ダビデに道を譲らねばなりませんでした(同16章)。

 しかし、一端握った王権を手放すのを嫌ったサウルは、出陣の度に手柄を立てるダビデが自分の王位を脅かすと考えて(同18章8節)、戦士の長に任じ(同5節)、娘ミカルの婿として迎えていましたが(同20節以下)、ダビデを殺すよう全家臣に命じます(同19章1節)。そして、逃亡するダビデを追って、執拗にその命を狙い続けました(同22章以下)。

 しかし、それを果すことが出来ないうちに、ギルボアにおけるペリシテとの戦い(同28章以下)で命を落としてしまいます(同31章3,4節)。その上、愛息ヨナタンも戦死しました(同2節)。

 ヨナタンは信仰心篤く、逃亡中のダビデを支えた素晴らしい人格の持ち主ですが(同14章6節、18章1,3節、19章1節以下、20章1節以下、23章18節以下)、父の罪の呪いを受けた形となりました(出エジプト記20章5節参照)。

 これらのことは、新しくユダヤの王となる赤ん坊がベツレヘムに生まれたというニュースを聞いたヘロデ大王が、ベツレヘム周辺の2歳以下の男児を皆殺しにして、主イエスを亡き者としようとしたこと、けれども、神に守られて、結局果たせなかったということにも通じているようです(マタイ福音書2章)。

 主イエスは、ダビデの子孫として、この世においでになりました(マタイ1章1節、ローマ書1章3節など)。そして、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ福音書10章11節)と語られ、十字架で死なれました。因みに、十字架に掲げられた罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書かれていました(同19章19節)。

 主イエスの前に来た者は、神の栄光を盗み、御子の命を奪おうとする強盗でした(同10章8節)。しかし、真の王は、よい羊飼いとして、「羊」(私たち人間のこと)のために命を捨てます。それは、羊が命を受け、しかも豊かに受けるためです(同10章10節)。

 羊が命を受けられるのは、ただ神の憐れみ、神の恵みです。しかもそれは、御子イエスの命とひきかえに与えられた、とても重い恵みです。量ることが出来ないほどの豊かな恵みです(エフェソ書2章4節以下、8節)。

 サウルが命を落とし。その子ヨナタンも共に戦死しましたが、ただ一人、ヨナタンの子メリブ・バアル(「バアル(主)に愛される者」の意、サムエル記下9章6節ではメフィボシェト=「恥を振りまく者」の意)だけは、ダビデとヨナタンとの契約のゆえに守られました(サムエル記上20章15,16節参照)。

 メリブ・バアルは、いつもダビデと一緒に食卓を囲む者とされました(サムエル記下9章7,13節)。冒頭の言葉(34節)にメリブ・バアルの子ミカの名が記され、続く35節以下にその子孫の名が列挙されています。そこに、神の憐れみを感じます。

 というのは、ダビデとヨナタンとの間に交わされた契約は、ダビデの子らがダビデのゆえに祝福に与り続ける間、有効に機能しているということを、その系図が示しているからです。そしてそれは、ダビデとヨナタンとの契約だからというだけでなく、メリブ・バアルがダビデの前に全く謙遜に歩んだからです。

 召使いツィバに欺かれるようなことがあり(サムエル記下16章3節)、ダビデはツィバの讒言を真に受けてしまいますが(同19章26,30節)、メリブ・バアルの謙遜な態度は終始一貫、ダビデの前に生涯変わることがありませんでした(同9章8節、19章27~29,31節)。主なる神は、心の謙った者を決して軽しめられはしないのです(詩編51編19節など)。

 私たちも主イエスの深い憐れみにより、主と共に食卓を囲むという、主との親しい交わりに加えて頂いた者として(黙示録3章20節、第一コリント1章9節、第一ヨハネ1章3節)、常に主の御前に謙り、絶えず御言葉に耳を傾けながら、感謝をもって従順に歩ませて頂きましょう。

 主よ、今日も御言葉と祈りの交わりに導いてくださり、感謝致します。恵みに与って喜びに満たされ、隣人にその恵みを分かち合う福音の交わりが前進しますように。御霊の満たしと導きに常に与らせてください。御心が行われますように。私たちを試練に遭わせないで、悪からもお守りください。 アーメン




6月22日(金) 歴代誌上7章

「エフライムの娘はシェエラ、彼女は上ベト・ホロン、下ベト・ホロン、ウゼン・シェエラを築いた。」 歴代誌上7章24節

 7章には、ユダとレビを除く、約束の地(ヨルダン川の西)に嗣業の地を得たイスラエル諸部族の系図が記されています。ただし、シメオン、ダン、ゼブルン各部族の記載はありません。その根拠は定かではありませんが、12部族の中でその存在が軽く見られていたということなのでしょうか。

 20節以下に、エフライムの子孫の系図が記されています。エフライムには、シュテラのほか(20節)、エゼルとエルアドという息子があり、二人はガトに下り、家畜を奪おうとして、そこで殺されてしまったと言われます(21節)。民数記では、彼らの存在を確認することが出来ません。その不名誉を、民数記の記者たちが書き残したくなかったということでしょうか。

 しかし、その二人のためにエフライムは長い喪に服しました(22節)。子どもたちが盗みを働こうとしたこと、そのゆえに殺されたということ、この二重の悲しみがエフライムを襲ったわけです。彼は、兄弟たちの慰問を受けてようやく立ち上がることが出来ました(22節)。

 ただ、ヨセフの子エフライムは、兄マナセと共にエジプトで生まれ(創世記41章52節)、その子らは当然エジプトの都に住んでいたはずです(同50章22,23節参照)。ガトはペリシテ人の町で、そこに下って行ったというのは、彼らがパレスティナに住まいを持っているかのような表現です。

 また、その理由が、家畜を奪うためということですが、エジプトの宰相となっていたヨセフの孫たちに、そうする必要性があったとは思えず、仮にそれがあったとして、彼らだけで外国の町に出かけて行くということも考え難く、このところは少々理解に苦しむところではあります。

 話を元に戻して、エフライムが立ち直った時に与えられた子に、「ベリア」という名をつけました(23節)。それは「災い」という意味です。二人の子を彼らの罪のために失うという辛い経験を忘れないというのでしょうか。だから自分は不幸だというのでしょうか。

 むしろ、ヤベツのときと同じように(4章9節)、こんな災いが起こり、心ふさがれたようなときに、神は祝福をもって臨まれた、不幸を恵みに変えてくださったということかも知れません。

 ベリアの子孫に、ノン(民数記など:ヌン)の子ヨシュアが生まれます(27節)。このヨシュアは、祭司エルアザルと共にモーセの後継者となり(民数記27章12節以下、申命記31章、ヨシュア記1章)、イスラエルの民を約束の地カナンに導きました。

 ヨシュア記1章6節以下に「強く、雄々しくあれ。強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法を忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたはその行く先々で栄え、成功する」とあります。

 主なる神はヨシュアに、律法の言葉を口ずさみ、それを忠実に守ることに強く雄々しくあるように求められました。そうして「あなたはその行く先々で成功する」と約束されています。

 冒頭の言葉(24節)に、エフライムの娘シェエラの記事があります。彼女が上下のベト・ホロンとウゼン・シェエラの町を築いたというのです。これらの町はエフライム山地の南、交通の要衝にあり、後にソロモン王がここに堅固な要塞を築きます(列王記上9章17節以下)。

 ただし、エフライムの娘というのが、文字通りの娘であるならば、21節と同様、彼女がエジプトからやって来て、カナンの地に町を築くというのは、あり得ないことでしょう。ヨシュア以降の世代に、エフライム族に属するシェエラという娘がいたというように読みたいと思います。

 それにしても、女性の業績がこのように記されるのは、特別なことです。女政治家かあるいは女実業家の走りでしょうか。殺された二人の兄弟や、意気消沈して長く喪に服していた父に代わって働いたということでしょうか。

 いずれにせよ、災いを転じて福となし、万事を益とされる神の恵み、憐れみがここに示されているのではないでしょうか。この神の恵みの前に、男も女もなく、奴隷も自由人もなく、ユダヤ人もギリシア人もありません(ガラテヤ書3章28節)。何らの差別なく、神の恵みを受けることが出来ますし、神はどのような人も用いることが出来るのです。

 生まれつき目の見えなかった人が主イエスと出会い、目を開いて頂きました(ヨハネ9章1節以下)。けれども、その日が安息日だったということで、ファリサイ派の人々に咎められ、元盲人との間で問答が繰り返されます(同13節以下)。

 その問答の最後に、「お前は全く罪の中に生まれたのに、われわれに教えようというのか」(同34節)とファリサイ派の人々が語り、元盲人を外に追い出しました。それは、元盲人に議論で打ち負かされたファリサイ派の人々が、自分たちの体面のためにとった行動です。

 主イエスと出会い、神の恵みを受けると、見えなかった者が見える者とされます(同39節)。それは、真実が見えていなかったことに気づかされるということでもあります。

 主イエスを愛してその御言葉を絶えず口ずさみ、思い起こし、恵みを心に留めましょう。主は私たちの耳を開き、目を開き、御旨を悟らせてくださいます。そして、御言葉によって知らされた真理は、私たちを自由にするのです(同8章31,32節)。

 主よ、取るに足りない私たち、いえ、罪の中に主に敵対していた私にも目を留め、恵みと慈しみをもって導き助けてくださいますこと、本当に感謝です。いつも、主の慈しみの御手の下におらせてください。耳を開いて御言葉を聞かせてください。目が開かれて主の御業を拝することが出来ますように。 アーメン




6月21日(木) 歴代誌上6章

「神の箱が安置されたとき以来、ダビデによって主の神殿で詠唱の任務につけられた者は次のとおりである。」 歴代誌上6章16節

 5章27節以下に、レビの子孫のうち、ケハト族アムラムの子アロンの家に属する大祭司の系譜が記されていました。6章1節以下には、レビ一族の残りの氏族の系図が記されています。縦の系図が横に広げられたという印象です。

 レビ族の3氏族(ゲルション、ケハト、メラリ)から、レビ人として祭司を補佐する人の系図が、5節以下に記されています。そして冒頭の言葉(16節)のとおり、ダビデによって、神殿の詠唱者とされた人々の系図が記されています。そのときにはまだ神殿はなく、臨在の幕屋の前でその任務に就きました(17節)。

 臨在の幕屋がエルサレムに設置され、幕屋とその内に置かれていた祭具を持ち運ぶ役割が不用になった人々が、詠唱者として立てられることになったかたちです。系図を確認すれば、各氏族の長男がレビ人となり、次男が詠唱者となっています。

 ケハト族だけは大祭司を出した氏族なので、長男のアミナダブの家系がレビ人(7節)、大祭司となったアロンとその子孫が連なるアムラムが次男(5章27,28節)、そして三男のイツハルの家系が詠唱者となったようです(18節以下、20節)。但し、3節のケハトの子らとは子らの名が一致しません。詳細は不明で、どう考えて良いのか分かりません。

 ところで、レビは、イスラエル=ヤコブの12人の子らの中で特に宗教的な人物だったわけではありません。むしろ、シメオンと共に、妹ディナのことで腹を立て、シケムのハモルの家のものを剣で殺し、町中を略奪するという暴力を振るう人物でした(創世記34章)。

 父ヤコブがシメオンとレビについて、「彼らの剣は暴力の道具」(創世記49章5節)といい、「彼らをヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす」 (同7節)という呪いの言葉を遺しています。そのとおり、彼らは約束の地に嗣業の地を得ることが出来ませんでした。父に呪われた人物が、主に仕える者となり、さらに神殿において賛美をささげる者とされたのです。

 詩編22編4節に「だがあなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」とあります。原文を直訳すると「イスラエルの賛美に座すあなたは聖なる方」(ヴェ・アッター・カードーシュ・ヨーシェーブ・テヒロート・イスラエール)です。賛美するイスラエルの上に聖なる主が臨まれるということです。新共同訳を活かせば、賛美のあるところを主が聖所となさるということになります。

 ソロモンが神殿を奉献し、主を賛美したとき、主の栄光が神殿に満ちたというのも(歴代誌下5章13,14節)、主が賛美をお受けくださる方、賛美されるところにおいでくださるお方であることを示しています。

 彼らの歌声は主への賛美として、幕屋に臨在しておられる神の前に響き、また、神の幕屋の周りにいるイスラエルの民の耳にも届きます。賛美されるべき神と賛美すべき神の民イスラエルの人々が、詠唱者の賛美によって結ばれるのです。神の祝福を受けた者は神を賛美します。恵みを味わっている者は神に感謝します。

 主イエスは、十字架で死なれた後(ルカ23章44節以下)、三日目に甦り(24章1節以下)、たびたびお姿を弟子たちに顕わされた後(使徒言行録1章3節)、天に昇られました(ルカ24章50節以下、使徒言行録1章9節)。

 その際、主イエスは弟子たちを祝福しながら、天に昇って行かれたのです(ルカ24章51節)。祝福を受けた弟子たちは、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていました(同53節)。

 「祝福しながら」(新共同訳)、「祝福しておられるうちに」(口語訳)ということは、主イエスの祝福は終わっていないということでしょう。今も、主イエスの祝福に与ることが出来るということです。だから、弟子たちは絶えずその恵みを味わい、神殿で主をほめたたえていたのです。

 ここで、「祝福する」という言葉と「ほめたたえる」という言葉は、原語では同じ言葉(ユーロゲオウ)です。つまり、賛美は神に祝福を返すことであり、賛美を通して主イエスと弟子たちの間で祝福が循環しているわけです。祝福を受けて感謝し、主を賛美する者にさらに主の祝福が加えられます。

 弟子たちは、人間的には敬愛する主イエスを天に送った寂しさや悲しみがあったと思いますが、しかし、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」とあることから、主イエスの祝福が弟子たちの心を満たしていて、その口から主を讃える賛美が溢れ出て、賛美を住まいとされる主が弟子たちに更なる祝福を注がれるのです。

 主イエスが神殿で民衆に教えておられるところへ、姦通の現場で捕らえられた女性が連れられてきたことがあります(ヨハネ8章1節以下)。女性を連れてきた人々は、姦通の罪を犯した者は、石で撃ち殺せという規定があり(同5節、レビ記20章10節)、それを実行すべきかどうかと尋ねます。

 主イエスが、かわいそうだから赦してやれと言えば、神の律法に背くのかといって主イエスを訴える口実を得ようと考え、律法に従って石で撃てと言えば、愛を説いていたのではないのかといって,主イエスの人気に水を差すつもりだったのでしょう。

 ところが、主イエスは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネ8章7節)と言われました。民衆は主イエスの言葉に心さされ、誰も石を投げずにその場を立ち去りました(同9節)。誰も、その女性に石を投げる資格がなかったということです。

 そして、主イエスもこの女性の罪を赦され、放免されます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい」(同11節)という言葉に、その女性がどのように反応したのか、何も記されていませんが、どんなに感謝したでしょうか。それこそ主を賛美したことでしょう。そこは、神殿です。恵みが賛美を生み、賛美が恵みを新しくしたことでしょう。

 バビロン捕囚から帰還した民が都に集まり、祭司エズラに律法の朗読を求めました(ネヘミヤ記8章1節以下)。民は皆、朗読を聞いて泣きました(同9節)。心を強く動かされ、悔い改めの涙を流していたのです。

 しかし、総督ネヘミヤと祭司エズラは、「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と語ります(同10節)。

 ここに、神殿における礼拝に相応しい態度は、語り聞かせられる御言葉に対して喜びをもって応答することであると教えられます。主の力に与って喜び祝い、喜び祝うことでさらに力が与えられるのです。

 置かれている環境がどのようであっても、神の恵みが与えられていることを知れば、賛美出来ます。私たちに賛美を与えて下さるのは聖霊です(エフェソ5章18節以下)。聖霊に満たされて賛美に導かれ、賛美を通していよいよ深く主に満たしていただきましょう。

 主よ、ダビデがエルサレムに都を定め、神の箱をエルサレムに迎えて以来、詠唱者が主を賛美する務めを担いました。賛美こそ、恵みの主に応えるのに相応しいからです。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する信仰を授けてください。いよいよ御名が崇められますように。 アーメン!





6月20日(水) 歴代誌上5章

「ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、長子の権利を同じイスラエルの子ヨセフの子孫に譲らねばならなかった。」 歴代誌上5章1節

 5章には、ヨルダン川東岸ギレアド地方に嗣業の地を得た3部族(ルベン、ガド、マナセの半部族)の系図と、大祭司とされたアロンの子らの系図が記されています。

 冒頭の言葉(1節)の通り、父祖イスラエル(=ヤコブ)の長男ルベンは、ヨセフ、ベニヤミンの母ラケルの死後、その悲しみがまだ癒えない時期に、ラケルの仕え女で父ヤコブの側女ビルハと床を共にしました(創世記35章22節)。これは、父の家督の権を強奪する行為であり、家族の崩壊を意味します。

  それは、父ダビデを王宮から追い出した息子アブサロムが、アヒトフェルの指導に従って行ったのと同じです(サムエル記下16章21節以下)。また、アドニヤが父ダビデの仕え女シュネムの女アビシャグを妻にと願って、ソロモンに討たれたのも同じ理由です。このために、ルベンは長子の権利を失うことになりました(創世記49章4節)。

 ルベンからアッシリアに連れて行かれたベエラまで(6節)、500年以上になるはずですが、この系図はあまりに短すぎます。3節末のカルミと4節はじめのヨエルの間に、相当の省略があるということです。これも、長子の権利を失った部族だからなのでしょうか。

 そこで、ルベンに代わって長子の権利を得たのがヨセフの子孫です。そのことが2節にも記されて、強調されています。ヨセフは、12人兄弟の11番目ですが、イスラエルの愛した妻ラケルの長男です。イスラエルにとってもラケルにとっても、待望の男児でした。そのためにヨセフを溺愛したので、ヨセフは他の兄弟たちの妬みを買ってしまいます(創世記37章3~4節)。

 ヨセフも、父の依怙贔屓を傘に、自分の見た夢を兄たちに傲慢に語ります(同5節以下)。それで、彼は兄弟たちによってエジプトに奴隷として売られてしまいました(同12節以下)。

 ただ、売られた先のエジプトで、ヨセフは主人ポティファルに気に入られ、その家の管理を任される執事になります(同39章1節以下)。ところが、女主人に性的な誘惑を受けるのです(同7節以下)。それを毅然とはねのけた彼は、今度は女主人に訴えられ、無実の罪で牢に入れられます。人間万事塞翁が馬とは、このことでしょうか。

 しかし、そこでもヨセフは監守長に目をかけられるようになります(同21節以下)。ヨセフは奴隷となり、さらに投獄されるというどん底を経験しましたが、つぶやかず、不満を言わずにその運命に身を委ねています。それは、神が共におられることを知っていたからでしょう。

 女主人に言い寄られたときも、「わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」と答えています(同9節)。このように、ヨセフは寝床を汚す罪を犯さなかったので、ルベンの長子の権を譲り受けることになったわけです。

 やがて、彼はその牢獄で出会った宮廷の役人の夢を解いたことがきっかけとなり、数年後にファラオが見た夢を見事に解くことが出来たので、獄屋を出ることが出来ただけでなく、引き立てられて、エジプト一国の管理を任される宰相となりました(同41章)。

 エジプトを大飢饉から救ったヨセフは、やがて、自分をエジプトに売った兄弟たちと感動的な和解をします(同45章)。ヨセフは兄弟たちに、「今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」(同5節)と告げました。

 そして、ヨセフはイスラエル一族を、なお飢饉の続くカナンの地からエジプト・ゴシェンの地に呼び寄せます(同46章)。ヨセフの父イスラエルは、ヨセフの子らを特別に祝福し(同48章)、12人の子どもたちに看取られてエジプトで天に召されます(同49章33節)。

 その後、エジプトを出て約束の地カナンに入るイスラエル12部族の中で、レビ族は主を嗣業として、神の幕屋に関わる務めを担うので、土地の分配を受けないことになります(民数記1章47節以下、17章27節以下、18章23,24節)。

 その代わりにヨセフの子孫が2つ分を受け、マナセ族、エフライム族として、それぞれ嗣業の土地を獲得します(民数記1章10節、ヨシュア記13章29節以下、同16,17章)。それは、ヨセフが長子権を有しているからです。長子は、他の兄弟たちの2倍の分け前を与えられることになっていたのです(申命記21章17節、列王記下2章9節参照)。

 主イエスは、その愛と憐れみのゆえに、本来その資格のない私たちに、ご自分を信じる信仰により、神の子となる特権をお与え下さいました(ヨハネ1章12節)。それは、主イエスと出会って罪赦され、救いの恵みに与らせて頂いたたことであり、さらに、聖霊を受けて力と愛に満たしていただくことです。

 ここに、御子の命と聖霊の力という二つの分が、私たちに与えられているのです。受けている恵みをいたずらにせず、御言葉に聴き従い、神の栄光を拝させていただきましょう。“主に感謝せよ、その憐れみはとわに絶えず。ハレルヤ!”

 主よ、私たちが神の子とされるために、どれほどの愛を賜ったことでしょう。どれだけ感謝しても、しすぎることはありません。私たちを聖霊で満たし、神の愛の証し人、主イエスの恵みの証人として用いてください。御心がこの地にもなされますように。そのために用いられる器としてくださいますように。 アーメン




6月19日(火) 歴代誌上4章

「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、『わたしは苦しんで産んだから』と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。」 歴代誌上4章9節

 4章には、2章に記されていたものとは別の、もう一つのユダ族の系図が記されています。2節のショバルの子らの名前が2章52節と異なっていることで、ここに別の系図として記録されたのでしょう。

 3節で「エタムの父の子は」ということは、自分に戻って来るので、「兄弟は」で済ませられそうですが、原文は「エタムの父は」(アビー・エーターム)となっており(岩波訳参照)、一方70人訳は「エタムの子らは」(フイオイ・アイターム)という言葉遣いになっています(口語訳参照)。新共同訳、新改訳は双方を合体させた訳というわけです。

 ヘブライ語原文のとおりにエタムの父が3人もいるなどというのは、通常あり得ないことです。70人訳、口語訳のように受け取るべきでしょう。ただ、フルの三男ハレフの家系(2章51節)と考えて、「ベト・ガデルの父ハレフの子は次の通りである。イズレエル云々」とする注解者もいます。

 この系図の中に、ヤベツという人物にまつわる小さな物語が記されています(9,10節)。10節の「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」という祈りは、それを祈ったヤベツの名をとって「ヤベツの祈り」と言われています。

 20年ほど前、ブルース・ウィルキンソンが、この祈りに関する小さい書籍を出版したところ、全米で短期間に一千万部を売り上げるという反響を生み、日本語でもそれが出版されました。その後、様々な牧師、伝道者が、ある人はメディアを通じて、この祈りについて語り、出版しました。

 「ヤベツの祈り」は、ユダの系図の中で紹介されていますが(4章1節以下)、ヤベツの父は誰なのか、また、彼の子どもは誰なのか、記されてはいません。ある方は、イスラエル人でさえないと結論しています。

 2章55節に「ヤベツ」という地名があり、そこには「セフェルの氏族」が住んでいたとされています。口語訳、新改訳、岩波訳は、「セフェル」を固有名詞ではなく一般名詞として「書記(たち)」と訳しています。岩波訳の脚注に「(ヤベツとは)盆地の意か」と記されています。地名との関連もあって、ユダの系図の中におかれているのでしょうか。

 いずれにしても、創世記において、アブラハムの前に姿を現したメルキゼデクのように(創世記14章18~20節)、ただ一度突然現れて、そして忽然と去りました。ともかく、9,10節に僅か数行コメントされただけで、この前にも後にも、全く登場して来ないのです。

 冒頭の言葉(9節)によれば、母親が「わたしは苦しんで(オーツェブ)産んだから」ということで、文字順を入れ替えて「ヤベツ」と名付けたそうです。どのような苦しみであるか、定かではありませんが、出産の苦しみは死ぬほどのものだと聞きます。だからといって、それを子どもに思い知らせるかのような名付けを行うだろうかと思います。

 確かに主なる神は、出産を苦しみとして人にお与えになりました(創世記3章16節)。けれども、苦しんで産んだ後、その子どもの顔を見ると、苦しみを忘れてしまうとも聞きます。主イエスもそのことを引いて、主イエスの受難、離別の悲しみが、喜びに変えられることを説かれました(ヨハネ16章21~22節)。

 ヤコブの愛妻ラケルが二人目の息子を出産するとき、それは大変な難産で、結局ラケルは命を落としてしまいます。ラケルはその子を「ベン・オニ(苦しみの子)」と名付けました。彼女はベツレヘムの傍らに葬られました(創世記35章16節以下)。ベツレヘムはユダ族のダビデの町です。

 しかし、ラケルの二人目の息子「ベン・オニ」は、父ヤコブから特別に愛されました。ヤコブは彼を「ベニヤミン(幸いの子)」と呼んでいます。「苦しみの子」ではかわいそうだという解釈もありますが、母ラケルは苦しみの果て命を落としたけれども、それによって幸いが与えられた、祝福が生み出されたのだと受け取ることも出来ます。

 ベニヤミンは兄弟でただ一人、イスラエルの地で生まれました。他の兄弟は、ヤコブの母ラケルの故郷、ハランの地で生まれたのです(創世記29章31節以下)。イスラエル最初の王がベニヤミン族から選ばれたことも(サムエル記上10章20節以下)、12部族の中で特別な地位を占めていることを示します。

 これは、ヤベツが兄弟たちの中で最も尊敬されていたという言葉にも、重なるところではないでしょうか。そして、ヤベツが最も尊敬されたのは、苦しみを乗り越えて祝福されたことでしょう。その祝福の背後には、「ヤベツの祈り」がありました。その祈りが聞かれて、ヤベツは祝福を受けたのです。

 しかし、その祈りはヤベツの祈りというよりも、ヤベツに与えられた祈り、教えられた祈りでしょう。ヤベツに祈りを教えたのは、母親ではないかと思います。

 そうしたことを考え合わせると、ヤベツの出産のときに、たとえば夫と死別するといった苦しみ、深い痛みを味わい、失意のどん底にいたけれども、そこで主に祈りを捧げて、神の助けに与り、無事に出産を終えることが出来たので、その恵み、主の計らいを忘れないために、あえて苦しみを意味する「ヤベツ」という名をつけたのかも知れません。

 そのとき、ヤベツの母を祈りに導いたのは、聖霊なる神でしょう。そして、聖霊がヤベツを祈りに導き、そして今これを読み、学んでいる私たちをも、祈りに導いてくださるのです。

 聖霊ご自身が、産みの苦しみを味わっている私たちのために言葉に表せない「呻き」(ステナグモス)をもって執り成してくださいます(ローマ8章22~23,26節)。言葉で表現できない深く強い苦しみの感情が、ここに「呻き」として表現されているわけです。

 因みに、ここに用いられている「ステナグモス」があと一度、使徒言行録7章34節に用いられて「嘆き」と訳されています。また、動詞形「ステナゾー」がローマ書8章23節で「(霊の初穂をいただいているわたしたちも)うめきながら」と訳され、福音書では一箇所マルコ7章34節で主イエスが「(天を仰いで)深く息をつき」と訳されています。

 父なる神は、どう祈るべきかを知らない弱い私たちのために呻きをもって執り成される聖霊の祈りに応えられます。神は,聖霊の思いが何であるかを知っておられるからです(ローマ8章27節)。だから、万事が益となるように共に働き、どんなマイナスもプラスにしてくださるのです(同8章28節)。

 これからも、ヤベツの祈りの心をもって進んで参りましょう。そして主の祝福に共に与らせていただきましょう。

 主よ、苦しみの中で生まれたヤベツは、祈りに導かれて、豊かな祝福に与りました。どんなときにも感謝をもって祈り、インマヌエルの主の恵みと平安に与らせてください。御心がこの地の上になされますように。その器として、私たちを用いてください。そして、御名が崇められますように。 アーメン!





静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に6月17日主日礼拝の礼拝プログラムと説教動画(YouTube)を掲載しました。

②「今週の報告」を更新しました。

③「お知らせ」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。



御覧ください。




6月18日(月) 歴再誌上3章

「ペダヤの子はゼルバベル、シムイ。ゼルバベルの子は、メシュラム、ハナンヤ、彼らの姉妹シェロミト。」 歴代誌上3章19節

 3章1節から16節までに、ダビデからエコンヤまで19代、およそ400年のダビデ王朝を紡いだ王の名が記されています。それは、サムエル記、列王記に記されているものと若干違いがあります。例えば、サムエル記下3章3節でダビデの次男はキルアブとなっています。また、ヨシヤのあとを継いだのはヨアハズですが(列王記下23章30節以下)、その名がありません。

 また、ヨヤキムの子は列王記下24章5節以下でヨヤキンとされています。また、列王記にヨヤキンの子らの名は出て来ません。ところで、16節に「その(エコンヤの)子はゼデキヤである」と言いますが、17節以下の「捕虜となったエコンヤの子は」以下、列挙されている子らにゼデキヤがいないのはどうしてでしょうか。理由は不明です。

 エコンヤの後に、伯父のゼデキヤ(ヨシヤの3男。本来はマタンヤ、列王記下24章17節以下)が、ダビデ王朝最後の王として王座に着きました。紀元前587年にエルサレムが陥落してゼデキヤがバビロン軍に捕らえられ(同25章6節)、王朝の幕が閉じられました。

 17節以下は、捕囚となったエコンヤの子ら12代の系図です。16節までの系図と遭わせて、ダビデから31代の子らの名前によって、ダビデ王朝時代、バビロン捕囚からペルシア帝国末期時代までを描いて見せているのです。

 エコンヤは18歳で王となり、3ヶ月エルサレムでユダを治め(列王記下24章8節)、捕囚となりました(同15節)。何時結婚したのか不明ですが、17,18節に7人の子の名が記されているので、捕囚の地で生まれた子もあったということでしょう。獄中で家庭生活を営むのは難しかったでしょうから、獄を出されてから子をなしたのでしょう(同25章17節以下)。

 冒頭の言葉(19節)の中に、「ゼルバベル」の名を見つけました。ゼルバベルは、バビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻って来た民の指導者です(エズラ記2章2節、3章2節)。

 「ゼルバベル」とは、「バビロンの種」という意味です。ゼカリヤ書3章8節に「わたしは今や、若枝であるわが僕を来させる」と記されていますが、これは、ダビデの子孫を思わせる表現であり、ゼルバベルを指しているものと考えられます。

 ただ、ゼルバベルは、歴代誌ではペダヤの子とされているのに対し(19節)、エズラ記などではシェアルティエルの子となっています(マタイ福音書1章12節も)。シェアルティエルは、第一次捕囚でバビロンに連れて行かれたエコンヤ王の長男(17節)、ペダヤはエコンヤの三男(18節)です。

 このことについて、シェアルティエルが子をなさないまま亡くなったので、レビラート婚の規定により(申命記25章5節以下)、ペダヤがシェアルティエルの妻を迎えて子をもうけ、長男ゼルバベルをシェアルティエルの子どもとしたというように考えられています。

 19,20節に記されたゼルバベルの子らの名について、旧約聖書には、この箇所以外に記されてはいません。新約聖書において、マタイではアビウド(マタイ1章13節)、ルカはレサ(ルカ4章27節)の名を上げておりますが、いずれも、旧約聖書には出て来ない名前です。つまり、それぞれが全く違った名を記していて、いずれが正確なのか確証することは不可能です。 

 ところで、ダビデ王直系の子孫ということで、ゼルバベルがイスラエルの民の指導者、ユダヤの総督になったのであれば、それはゼルバベルの指導力もさることながら、ダビデとの契約をなお重んじておられる主の導きだということです。

 ゼルバベルの祖父エコンヤは(17節)、主の目に悪を行い、エルサレムに攻めてきたバビロンの王ネブカドネツァルに投降して捕囚とされたわけですが(列王記下24章8節以下)、後にエビル・メロダク王の憐れみを受けて獄を出され、王と食事を共にする恵みを得ました(列王記下25章27節以下)。

 また、バビロンにいた王たちの中で最も高い位がエコンヤに与えられたということがあって、その孫ゼルバベルがユダの総督とされることに、異を唱えることが出来る者はいなかったのであろうと思われます。

 しかも、ゼカリヤ書4章6節に「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる」と記されているように、ゼルバベルを立てたのは主なる神ご自身であり、主の霊によって、神に委ねられた使命を果たすことが出来るというのです。

 このゼカリヤの言葉や、ハガイ書2章2節以下に記されている預言を見ると、神殿再建工事がサマリヤ等の妨害で中断させられ(エズラ記4章)、帰還した民は物心両面で貧困の日々を過ごさざるを得なかったので、ゼルバベルの指導に疑義を抱いたり、軽視する者たちが少なからずいたのではないかとも思われます。

 そうした中で、ゼルバベルは祭司イエシュアたちと共に立ち上がり、エルサレムの神殿を再建することが出来ました(エズラ3章以下6章14節)。預言者ハガイやゼカリヤの預言と援助、励ましがなければ、適わなかったかも知れません(エズラ5章1~2節、ハガイ書、ゼカリヤ書)。

 元に戻って、19節以下には、ゼルバベルから数えて11代目までの子孫の名前があります。それが、歴代誌の著者が名を確認できた時代、即ちペルシア帝国末期の紀元前350年頃までのダビデの子孫です。

 当時の人々がどのような生活を送っていたのか、詳らかではありませんが、主が預言者イザヤを通して告げられたとおり(イザヤ11章1節以下)、いったんはバビロン捕囚によって切り倒されたように思われたダビデの家系が、切り株から新たな芽を伸ばし、しっかり実を結ぶことが出来るよう、主の恵みで守られていたのです。

 この系図を書き記した歴代誌の著者の心には、バビロン捕囚以降ずっと苦難続きではありますが、ダビデの家系をこのように守り続けておられる主の恵みに対する感謝と喜びがあったのではないでしょうか。

 38年の長患いの男を安息日にお癒しになった主イエスが「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」とお語りになりました(ヨハネ5章17節)。父なる神が恵みによって選びの民を守り支えて来られたように、御子イエスもこの世においでになって、主を信じる人々を永遠の主の安息に招き入れてくださったのです。

 そして今や、私たちもその恵みに与らせていただいています。日々主の恵みに感謝して御言葉に耳を傾け、その導きに誠実に応えるものでありたいと思います。

 主よ、私たちがあなたの召しに与ったのは、私たちの能力などの故ではなく、ただ主の霊によって御業が成し遂げられるためです。召しに忠実に歩むことが出来るように、御前に謙り、日々御言葉と御霊の導きに常に与らせてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン






6月17日(日) 歴代誌上2章

「エッサイには長男エリアブ、次男アミナダブ、三男シムア、四男ネタンエル、五男ラダイ、六男オツェム、七男ダビデが生まれた。」 歴代誌上2章13~14節

 2章のはじめに,イスラエル(=ヤコブ:創世記32章)の12人の子らの名が列挙されています。ただ、創世記29章31節以下、30章24節までに記されている子らの名前と順番が違います。理由はよく分かりません。

 イスラエル12部族の中で、先ずユダ族の系図が記されています(2節以下)。この部族に、王ダビデが誕生しました(15節)。また、20節のウリの子ベツァルエルは、神の幕屋を造る知恵を授けられた者です(31章2節以下)。歴代誌の著者は、ダビデ王と神の幕屋とを関連付ける意図をもって、ベツァルエルの名を記しているといってよいでしょう。

 ただ、ベツァルエルがカレブの子孫とされていることについて、カレブの父の名をヘツロンとしていますが、民数記32章12節では「ケナズ人エフネの子カレブ」とされています。

 ケナズ人とは、エサウの子孫でしたが(創世記36章10節以下)、カレブはカナンを偵察する際のユダ族の代表となっています(民数記13章6節)。そこで、ヘツロンの養子となってイスラエルの民に加えられたのではないかと考えると、辻褄が合うことになります。

 ダビデの王としての業績については、11章以下に詳しく述べられています。歴代誌に占めるダビデについての記事量の多さに、著者がダビデに対して抱いている信頼や敬意を見ることが出来るようです。とはいえ、ダビデの家系は、決して理想的と言えるようなものではありませんでした。

 ダビデは上述のとおりユダ族の出身ですが、族長ユダの長男エルだけでなく、その弟オナンも、主の御旨に背いて主に撃たれます(3節、創世記38章7節以下)。その後、嫁タマルが義父のユダと関係し、子をもうけました(4節、創世記38章18節)。その子孫カルミの子アカルは、イスラエルに災いをもたらしました(7節、ヨシュア記7章では「アカン」)。

 ダビデの曾祖父ボアズは、その父サルマ(ルツ記では「サルモン」)と遊女ラハブとの間に生まれた子です(11節、マタイ1章5節)。また、ダビデの祖父オベドは、曾祖父ボアズとモアブ人女性ルツとの間に生まれました(12節、ルツ記4章)。申命記23章4節には、モアブ人は主の会衆に加わることが出来ないとあります。およそ、イスラエルの王たるに相応しいとは言い難い婚姻関係です。

 そして、歴代誌に寄れば、ダビデは冒頭の言葉(14節)のとおり、7人兄弟の末子として生まれました。ただ、サムエル記上16章では、エリアブ、アビナダブ、シャンマを含む7人の息子がサムエルの前に呼ばれて共に食事し(同6節以下10節)、その後、末の子ダビデが呼ばれています。つまり、8人兄弟と読めるわけです、

 エッサイの息子たちの中から王を選ぶとき、神の人サムエルは長男エリアブに目を留め、「彼こそ主の前に油を注がれる者だ」(サムエル記上16章1節以下、6節)と思いました。けれども、主はそれを受け入れず、「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」(同7節)と言われて、末子ダビデを選び(同12節)、油を注がせました(同13節)。

 ダビデはその心の清さによって選ばれたようですが、しかし、そのダビデが、部下ウリヤを戦死させてその妻バト・シェバを横取りするという、誰よりも重い罪を犯したのです(サムエル下11章)。ここに見る限り、このようなダビデの家系が選ばれ、祝福に与ることが出来たのは、一方的な主の恵みであり、憐れみというほかありません。

 そもそも、主はダビデの心をどのように見られたというのでしょうか。それは、罪など犯さない全き清さということなどではありません。そうではなく、罪を指摘されたときにそれを素直に認め、直ちに悔い改める従順さ、そして、自分のメンツなどよりも主に従うことを喜ぶ純真な信仰でしょう(サムエル記下6,12,24章参照)。

 私たちの主イエスは、ダビデの子孫として、ダビデの町ベツレヘムの家畜小屋でお生まれになり、飼い葉桶をゆりかごとされました(ルカ2章)。罪人の系譜の中に誕生され(マタイ1章1節以下、ルカ3章23節以下)、そのすべての罪を引き受けて十字架で死なれたのです(ルカ23章)。

 御子イエスの死により、私たち人類のすべての罪が赦され、新しい命に生きることの出来る道が開かれました(ローマ3章21節以下、6章23節、8章3節)。誰でも、主イエスを受け入れ、その名を信じた者には、神の子となる資格が与えられたのです(ヨハネ1章12節)。

 主イエスがサマリアで一人の女性に対して、「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(同4章14節)と語られ、また、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝するときが来る。今がそのときである。なぜなら、父はこのように礼拝する者たちを求めておられるからだ」(同23節)と話されます。

 それは、罪の中にいたその女性に救いを与えるためです。名前も記されないサマリアの女性ですが、彼女は主イエスと出会って変えられ、主イエスを証しする者となりました(同28,29節)。

 私たちも、自分が何者であるか、また、どれほど愛されている者であるかを悟り、主イエスの愛と恵みを証しするために用いられる器として頂きましょう。そのために、聖霊に満たされて、私たちの内から生きた水が川となって流れ出るようにして頂きましょう(同7章38,39節)。主は、求める者に聖霊をお与えくださいます(ルカ11章13節)。聖霊の満たしと導きと祈り求めましょう。

 主よ、朝に夕に賛美のいけにえ、御名を讃える唇の実を御前に献げます。主の御言葉に耳を傾け、その導きに従います。聖霊に満たし、主を証しする力を授けてください。祝福が常に豊かにありますように。 アーメン





6月17日(日)主日礼拝説教

6月17日(日)の主日礼拝には、教会員15名、来賓12名(子ども2名を含む)がお見えになりました。礼拝後の昼食会は19名の参加でした。感謝です。


主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「求めよ」
聖書 ルカ福音書11章5~13節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


御覧ください。





6月17日(日)主日礼拝案内

03
6月17日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。

「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・コリントの信徒への手紙から、共に聖書の学びと交わりを行います。


主日礼拝を10時半から行います。

礼拝では、ルカ福音書11章5~13節より、「求めよ」と題して、原田牧師より説教をいただきます。


写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。


キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


礼拝後、昼食会(有料・自由参加)があります。

昼食会後、各会の例会を行います。






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