風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2018年06月

6月30日(土) 歴代誌上15章

「最初の時にはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである。」 歴代誌上15章13節

 ダビデ王は、再度エルサレムに神の箱を迎える準備をしました(1節、13章参照)。今回は「神の箱を担ぐのはレビでなければならない。彼らこそ、主の箱を担ぎ、永遠に主に仕えるために主によって選ばれた者である」(2節、民数記1章50節以下参照)といって、レビ人を招集しました。

 ここで、サムエル記では「神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった」(サムエル記下6章12節)のがきっかけで、再度、箱を担ぎ上ることにしたとされています。それが確認されなければ、ダビデは箱をエルサレムに運び込むのを断念したかもしれないといった扱い方でした。

 歴代誌は、「三ヶ月の間、神の箱はオベド・エドムの家族とともに、その家の中にあった」(13章14節)という報告に合わせるように、神の箱を迎える前に「ダビデ王の勢力増大」の記事を入れ、その後、再び神の箱を迎えるために準備を始めたというかたちにしています。

 ダビデによって呼び集められたのは、ケハトの一族120人、メラリの一族220人、ゲルショムの一族130人、エリツァファンの一族200人、ヘブロンの一族80人、ウジエルの一族112人、計962人でした(5節以下)。

 規定に従えば、神の箱を担うのはケハトの一族で(民数記3章6節以下、31節、4章4節以下、15節参照)、神の箱を担うのには10人も要らないのではないかと思われますが、長距離を運ぶので、何度も交代しながら、担ぎ上るのでしょう。また、誰も不用意に神の箱に近づいて打たれることがないように、周囲の警護などもかねて、大人数で進んで行くのでしょう。

 神の箱を担ぐのはレビ人でなければならないということを、ダビデはいつ知ったのでしょうか。冒頭の言葉(13節)でダビデは「最初の時にはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた」と言っています。箱を運ぶにはどうすべきかを知らなかったのなら、当然神に聴くべきでしたし、知っていたのなら、何故従わなかったのかということになります。

 「わたしたちが法に従って主を求めなかったからである」は、口語訳のように「われわれがその定めにしたがってそれを扱わなかったからです」と訳すことも出来ます。いずれにせよ、初めの方法は、神の法に背くことで、主を求めず、軽率にことを進めてしまったと、ダビデはここに自らの罪を言い表し、悔い改めています。

 この背後に、預言者ナタンらの指導があったのかも知れません。あるいは祭司、レビ人の進言があったのかも知れません。そして、素直に神に聴き、その教えに従ったのです。こうしてダビデは、ウザの命という重い代償を払って、神を畏れること、謙虚に神に聴くことを学んだのです。

 王の命に従い、祭司とレビ人は、イスラエルの神、主の箱を運び上げるために自らを聖別し(14節)、主の言葉に従ってモーセが命じたとおり、レビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担ぎました(15節)。

 ダビデは、神の箱が運ばれるとき、その周りに詠唱者を配し、楽器を奏で、声を張り上げて喜び祝わせました(16節以下)。ここで、20節の「アラモト」は、「アルマー(結婚可能な年齢の女性)」の複数形で、ソプラノという意味でしょうか。21節の「第八調」はオクターブの意味と考えられています。

 詠唱者のリストの中にオベド・エドムの名があります(18,21,24節)。詠唱者や門衛はレビ人の任務とされているので、13章14節のガト人(=ペリシテ人)オベド・エドムとは別人だと考えざるを得ません。

 箱を担ぐ者、楽器を奏で、詠唱する者たちを任務に就かせたイスラエルの王ダビデは、長老、千人隊の長たちと共に喜び祝いつつ、箱を運び上げます(25節)。ダビデは、亜麻布の上着をまとい、麻のエフォドを身に着けていました(27節)。そして、主の契約の箱の前で喜び踊ります(29節、サムエル記下6章14節)。

 それは単に、神の箱が町にやって来たということだけではないでしょう。だびでにとって、まさに神ご自身との交わりがますます近く、深く豊かに行われるということで、それを思うとき、喜びのあまり踊らざるを得なかったのだと思います。

 主イエスは、最後の晩餐の祈りの中で、「永遠の命とは、唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」(ヨハネ17章3節)と言われました。「永遠の命とは、神と、神のお遣わしになったイエス・キリストとを知ること」というのは、とても不思議な言葉でしょう。

 「知る」とは、聖書において単なる知識ではなく、人格的な交わりがあることを言います。だれかと人格的な交わりがあるということを、その人を知っているというわけです。それは、握手する、接吻を交わす、抱き合うという体の接触を伴うような、また同じ釜の飯を食うというような、親密な交わりです。

 確かに、真の神との交わり、主イエスとの交わり、そして、主が遣わされる真理の御霊との交わりこそ、私たちの命です。たとい永遠に生きることが出来たとしても、愛する者、親しい者がそこにいなければ、かえって空しいときを長く過ごさなければならないことでしょう。命は、信頼する人、愛すべき人々との親密な交わりがあればこそです。

 主イエスが「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10章10節)と仰いましたが、それはまさに、私たちと主との豊かな交わり、主を信じる者たちとの親密で豊かな交わりを授けてくださると言われているわけです。

 ダビデが、神との交わりで喜び踊ったように、私たちも絶えず御霊に満たされて、主イエスの御名によって「アッバ、父よ」と父なる神を呼び、三位一体なる神との交わりを通して、いよいよ豊かな喜びと平安に与らせていただきましょう。

 主よ、日毎に御言葉を聴き、その導きに従順に歩むことが出来ますように。御言葉に命があり、御言葉に聴き従うことこそ、私たちの力であることを教えてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。主イエスの十字架を仰ぎます。命の道、真理の道にまっすぐに導いてください。 アーメン



6月29日(金) 歴代誌上14章

「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を非常に高めてくださったことを悟った。」 歴代誌上14章2節

 隣国ティルスの王ヒラムが、エルサレムを都に定めた(11章4節以下、7節)ダビデのもとに使節を派遣しました。それは、都に王宮を建設するためです(1節)。ヒラムはレバノン杉に石工や大工など技術者と、建設に必要なものを送って来ました。

 神を畏れることを学んだダビデは、冒頭の言葉(2節)のとおり、主が王権を高めてくださったことを悟りました。それは、主に背いた罪のためにペリシテとの戦いにおいて息子たちと共に戦死し、王位をダビデに譲らなければならなくなったサウル王と比較して(10章13,14節)、まったく対照的な記述です。

 3節以下に、エルサレムで生まれたダビデの子らの名が記されています。これもサウル家との対比が示されます。9章39節以下にサウルの家系が記されていましたが、しかし、ギルボア山でのペリシテとの戦いでサウルの3人の息子たちが戦死し(10章2節)、サウル自身も深手を負い、自害して果てました(同3,4節)。

 その結果、歴代誌の著者は10章6節に「その家もすべて絶えた」と記しています。ただし、その時点ではエシュバアルが残っていたはずですし(8章33節、9章39節、サムエル記下2章8節:イシュ・ボシェトのこと)、ヨナタンの息子メリブ・バアル(8章34節9章40節、サムエル記下9章6節:メフィ・ボシェトのこと)もいました。

 サムエル記とは違い、歴代誌はエシュバアルが王位を継いだことや家臣に案去るされたこと、メフィ・ボシェトがダビデに保護されたことなどを記録に残していません。「すべて絶えた」と記述して、すべて割愛したというかたちです。

 一方、ダビデの家は主によって豊かに祝され、その王権を高めて頂きました。子らの名簿の中に、ダビデの跡を継いで家を確立することになるソロモンが含まれています(17章11節以下参照)。

 3章5,6節に、シャムア、ショバブ、ナタンとあわせて4人がアミエルの娘バト・シュアの子と記されていました。サムエル記はソロモンの母を「エリアムの娘バト・シェバ」(同11章3節、12章24節)と記しています。歴代誌はダビデが犯した罪とソロモン誕生の関係について(同11章参照)、全く触れてはいません。

 8節以下、ダビデ王即位を聞いたペリシテ軍が攻め上り、レファイムの谷に侵入したと記されています。神の託宣を受けたダビデは(10節)、これを討ち破りました(11節)。再び攻めて来たときも(13節以下)、神に命じられたとおりに行動して快勝しました(16節)。これで、10章の状況が逆転しました。そのため、ダビデの名声はすべての国々に及んだのです(17節)。

 11節に「彼らはバアル・ペラツィムに攻め上り、ダビデは敵を打ち滅ぼして」とあります。バアル・ペラツィムは、エルサレムからベツレヘムへと至るレファイムの谷にあります(9節)。ペラツィムは「破れ」と訳される「ペレツ」の複数形です。

 その動詞形は「破る、打ち破る」と訳されているパーラツという言葉です。それが13章11節で「打ち砕く」、「ペレツ・ウザ」というところに用いられています。即ちペリシテの方法で神の箱を運搬していた(サムエル記上6章7節参照)ウザを、主が打ち砕かれたという出来事です。

 話を元に戻して、ダビデの名声はますます広く伝えられ、諸国の民に恐れられるようになりました(17節)。そこには、ダビデの勇猛果敢な戦いぶりもあったと思いますが、それより何より、彼が神の御声に聴き従った結果だと、歴代誌の記者は告げているわけです。

 勿論、ダビデが高ぶったことがないというわけではありません。ダビデが人口調査をして神の怒りを買ったことがあります(21章、サムエル記下24章)。それは、王が自軍の兵馬の数など、目に見えるものを頼みとしているしるしで、そのとき、ダビデの心には、謙って神に聴くこと、万軍の主に信頼する思いが希薄になっていたのです。

 詩編33編16~18節に「主の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない。見よ、主は御目を注がれる、主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に」と詠われています。

 それは、勝利を賜る主への信仰の重要性を教えるものです。けれども、人がいかに見えるものに左右されるか、見えない主に信頼し続けることがいかに容易でないかということを示しているようです(44編7節、147編10節なども参照)。

 申命記17章14節以下に、イスラエルの王に関する規定が記されています。そこに「彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを造り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない」(同18~19節)と定められています。

 この規定を守る理由、その目的について、続く20節に「そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる」と告げられています。

 ダビデの王権は、ダビデのものではありません。彼が優秀だから与えられたのではありません。王位が揺るぎなく、王権が高められたのは、イスラエルの民のためです。ダビデが不動の王位、高い王権のゆえに高ぶってはならないのです。謙って神に聴き、民のために働かなければなりません。

 傍らに置かれている神の御言葉に耳を傾け、神の戒め、教えから右にも左にもそれることなく歩むならば、その時、彼はいよいよ高く上げられ、その王権はいよいよ堅くされるのです。そのように神を畏れ、謙って導きに従い、イスラエルの民に仕えるならば、王と民の間に尊敬と信頼の関係が築かれ、イスラエルに平和が訪れ、民は繁栄を喜ぶことが出来ます。

 主イエスは、「わたしの名によって願いなさい」(ヨハネ福音書16章24節)と教えられました。主イエスと弟子たちとの間の信頼関係が築かれているということです。主に信頼する弟子の願いがかなえられ、喜びで満たされます。そして、願いが叶えられた弟子たちだけでなく、それを叶えられた主にも喜びがあり、共々に大きな喜びに満たされるのです。

 父なる神が遣わしてくださった真理の御霊によって真理を悟り(ヨハネ14章16,17節、16章13節など)、忠実に御言葉に聴き従って主に栄光を返しましょう。聖霊によって、私たちは「アッバ、父よ」と神を呼ぶことが出来ます(ローマ書8章15節、ガラテヤ書4章6節)。

 聖霊を通して心に神の愛が注がれています(ローマ書5章5節)。たえず御霊に満たしていただきましょう(エフェソ書5章18節)。聖霊の力を受けて、主の恵みを証ししましょう(使徒言行録1章8節)。そのために、常に謙って主の御言葉に耳を傾けましょう。主の導きを祈ります。

 主よ、あなたは十字架の死に至るまで従順であられた主イエスを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。すべての者が主の 御名にひざまずき、「イエス・キリストは主である」と宣言して神を称えるためです。絶えず主の前に謙り、命の言葉を聴かせてください。御業を行って主の御名を崇めさせてください。 アーメン




6月28日(木) 歴代誌上13章

「その日、ダビデは神を恐れ、『どうして神の箱をわたしのもとに迎えることができようか』と言って、ダビデの町、自分のもとに箱を移さなかった。彼は箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。」 歴代誌上13章12,13節

 ダビデは、長い間キルヤト・エアリムに置かれたままになっていた神の箱を、エルサレムに運んでくることにしました(1節以下)。サムエル記下6章に並行記事がありますが、1~5節は、サムエル記にはない歴代誌独自のもので、ダビデが即位のときから全イスラエルを代表する存在として示されるという執筆者の意図に基づくものと考えられます。 

 3節で「サウルの時代にわたしたちはこれ(神の箱)をおろそかにした」と言っていますが、サムエルの時代からずっと忘れられたような存在になっていました(サムエル記上7章1,2節)。この表現で、主との関係を蔑ろにしていたので、ペリシテに破れ、サウル王朝が滅びたといっているわけです。

 ダビデはいつ、どのようにして神の箱の存在に気付いたのでしょうか。詳細は全く不明です。しかし、「おろそかにした」という言葉遣いに、神を無視する状態にいたことで心を痛めている様子を窺うことが出来ます。その神の箱を都に持って来ることは、ダビデが、イスラエルの国の真の基礎は何かということを、国の内外に示そうとしたのでしょう。

 それはまた、歴代誌の読者に向けて、その当時(紀元前4世紀中盤以降)、既に神の箱は失われていましたが、あらためて主との関係、エルサレム神殿における主礼拝について、重要なこととしてに考えるよう促すものでもあります。

 そこで、「エジプトのシホルからレボ・ハマトまで」(5節)、即ち、「ダンからベエルシェバまで」(士師記20章1節)より大きな、南から北まで、国中の人々を集め、神の箱をエルサレムに運び上げます(5節)。

 シホルとは、ナイル川の支流か、エジプトの川と呼ばれるイスラエルとエジプトの国境線を指すものと思われます。レボ・ハマトについては、ダマスコ北80kmにある平原ベカアの谷にある、現在のレブウエのことと言われます。

 イスラエルの全地からキルアト・エアリムに集められた民は、神の箱を新しい車に載せ、アビナダブの子ウザとアフヨに御者を命じ(7節)、すべての民には主の御前に力の限り歌わせ、竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でさせました(8節)。まさに、鳴り物入りの都入りになるはずでした。

 ところが、運んでくる途中、キドンの麦打ち場で、御者の一人ウザが神に打たれて死ぬという事件が起こります(10節)。ここで、並行記事のサムエル記下6章では、ナコンの麦打ち場とされています。キドンが「投げ槍」という意味であることから、ウザが打たれた地名と考えられ、ナコンは麦打ち場を所有する人の名と考えると、矛盾ではなくなるかと思います。

 ウザが打たれたのを見たダビデは、冒頭の言葉(12節)のとおり、神を恐れて「どうして神の箱をわたしのところに迎えることができようか」と語り、もともと神の箱が置かれていたキルヤト・エアリムよりずっと遠くのガト人オベド・エドムの家に運ばせてしまいました(13節)。いったいどうしたことでしょうか。

 ウザが神に打たれたのは、牛がよろめいたので、箱を押さえようとして手を伸ばしたからだと説明されています(9,10節)。つまり、箱を守ろうとするウザの行為が打たれた原因だというのです。ただ、それでは箱が傷つき壊れるかもしれないけれども、手を出さずにただ見ていればよかったと言わんばかりです。

 しかしながら、実は、箱の運び方そのものに問題があったのです。それがそもそもの間違いでした。神の箱は、祭司、レビ人の肩に担がれて運ばれるように造られたのです(出エジプト記25章13節以下)。しかし、ダビデはそれを車に載せ、御者を頼んで牛に引かせました。新しい車に載せたのは、神への敬虔を示したつもりかも知れませんが、軽率な判断でした。

 というのは、車で運ぶというのは、ペリシテ人が用いた方法でした(サムエル記上6章)。異邦人にとって、牛は神を運ぶ使者です。だから、牛の像を造り、それに乗る神を拝むわけです。主なる神は、カナンの地の宗教的習慣に従うことを嫌われました(レビ記18章3節)。ですから、牛がよろめいたのは偶然ではなく、主が牛に運ばれるのを拒否されたのです。

 ただ、神の箱に触れたことで主の怒りを買ったというなら、そもそも、神の箱を新しい車に乗せ、牛にひかせてアビナダブの家を出発すること自体出来なかったでしょう。なぜその時に打たれないで、キドンの麦打ち場で打たれることになったのでしょうか。その理由は詳らかではありません。

 神の箱を運ぼうという時に、神に仕える祭司やレビ人たちは何をしていたのでしょうか。彼らが自分たちの責任をきちんと果たしていれば、ウザが打たれることはありませんでした。

 ダビデが恐れて箱を遠くに運ばせたのは、ウザが打たれた理由を悟ったからでしょう。箱に触れようとしてウザは打たれましたが、運搬方法にそもそもの原因があるということで、その方法を選んだダビデは、自分が神に打たれると考えたのではないでしょうか。ダビデは神を恐れました。鳴り物入りで行おうとした神の箱の都入りでしたが、お祭り気分は吹っ飛びました。

 しかるに神は、神の箱が運び込まれたガト人オベド・エドムの家を祝福されました(14節)。ダビデが自分のところに神の箱を持ち込んだ理由を聞き、異邦人ながら、まさしく神に対する畏れの心をもって神の箱を守り、神を礼拝したことでしょう。

 主イエスは、「わたしはブドウの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ福音書15章5節)と言われました。主につながり、御言葉を守る者に、主は豊かに実を結ばせてくださると約束しておられます。

 神の御言葉を聴き、その教えに従うことこそ、主イエスを愛し、主イエスにつながることです(同7,10節)。オベド・エドムはそのようにして祝福されたのです。私たちも、主イエスにつながり、主の御言葉にとどまることで豊かに実を結ぶ祝福に与らせていただきましょう。

 主よ、ダビデは神を畏れて御言葉に忠実に従うことを疎かにした結果、神を恐れなければならない事態になりました。一方、神を畏れて神の箱を守り、仕えたガト人オベド・エドムの家は祝福されました。私たちにも、主を畏れることを学ばせ、御言葉にたち、信仰によって歩むことが出来るように導いてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン






6月27日(水) 歴代誌上12章

「ダビデよ、わたしたちはあなたのもの。エッサイの子よ、あなたの味方です。平和がありますように。あなたに平和、あなたを助ける者に平和。あなたの神こそ、あなたを助ける者。」 歴代誌上12章19節

 1節に「ダビデがまだキシュの子サウルを避けていなければならなかったとき、ツィクラグにいるダビデのもとに来た者は次のとおりである。彼らも戦いの補助要因として、勇士たちに連なっていた」とあります。ツィクラグは、ダビデがサウル王の手を逃れ、ペリシテの王アキシュを頼ったときに与えられた町でした(サムエル記上27章1節以下、6節)。

 そこに、ダビデを慕って人々が集まって来ました。彼らも、ダビデの勇士になりました。彼らは、サウルと同族ベニヤミン出身の者たちでした(2節)。サウルから逃げているダビデのもとに、ベニヤミンの勇士がやって来るとはどうしたことでしょう。しかも、「彼らは弓の名手で、右手でも左手でも石を投げ、矢を射ることができた」(2節)といいます。

 士師記20章16節に、ギブアの住民から選り抜かれた700人の兵士からなる部隊が皆左利きで、髪の毛一筋を狙って石を投げても、その的を外すことがなかったという記事があります。ギブアは、サウルが王として召され、王宮を置いた場所、即ち、都が置かれた場所です。いわばサウルの近衛兵ともいうべき左利きの石投げ、弓の名手たちが、外国に亡命しているダビデのもとにやって来たのです。

 サウルの死後、王位はダビデに渡されたと、10章14節に記されていましたが、王権の委譲は、ダビデがサウルを避けて隣国へ亡命生活をしているときに、このようなかたちで既に始まっていたということを示しているわけです。

 次は、ダビデが荒れ野の要害にいたとき、ガド族の勇士がやって来ました(9節)。「荒れ野の要害」は、ツィクラグに逃げ落ちる前にいた場所です。つまり、時間的な順序とは、異なっています。彼らは盾と槍を取ってカモシカのように速く走った一騎当千の勇将で、氾濫している川をものともしなかったとあります(9,15~16節)。

 さらにダビデと同族のユダ族(17節)、またマナセ族の名も挙げられます(20、21節)。そもそも、ダビデが要害にいたとき、同族のジフ人にその場所を密告され(サムエル記上23章19節、26章1節)、ペリシテへの亡命を決意したところがあります(同27章1節)。サウル王を恐れて、そうせざるを得なかったというところでしょう。

 明日をも知れないという逃亡・亡命の生活をしているときですから、そのような自分のもとに身を寄せてくる人々,勇士たちの存在というのは、ダビデにとってどんなに心強いものだったことでしょうか(23節参照)。

 1節に「補助要員」という言葉があり、スペアーとかサポーターというようなものを連想させますが、原語を直訳すれば、「助け」(アーザール:動詞・Qal分詞)です。救いといってもよいでしょう。自分ではどうすることも出来ないような状況から救い出されることを、聖書では助けというのです。ちょっと手を借りたというような意味合いではないのです。

 「助け」(アーザール)の名詞形は「エゼル」です。ベニヤミン族の頭が「アヒエゼル(兄弟の助け)」と3節に記されています。兄弟として助けるというのでしょう。そして、ガド族の頭が「エゼル」(10節)、まさに助けです。単なる偶然の一致ではありません。人の名も実に興味深いものです。この章には繰り返し「助け」が語られて、主要なテーマであることが分かります。

 そして、ユダ族のアマサイが、大変重要な言葉をダビデに告げます。それが冒頭の言葉(19節)です。これは、ダビデと彼を助ける者に平和(シャローム)があるようにという祈りです。そして、ダビデの神こそダビデを助ける者(アーザール)であるという宣言です。

 また、助けが与えられることとは、平和が与えられることであると教えられます。それは、神との関係が正しくなることです。神との関係においてもたらされる、真の平和です。神との平和を求めること、それが「義」を求めることです。先ず神の義を求め、神との関係が正されると、私と周りの人々の関係が平和になります(マタイ6章33節参照)。

 ちょうど十字架の関係、縦軸が神と私たちの架け橋、横軸が私と周りの人々の架け橋、その真ん中にキリストがいて、私たちを橋渡ししてくださる、真の仲介者となってくださるということです。

 そして、「ダビデと彼を助ける者に平和があるように」という祈りと、「ダビデの神こそダビデを助ける者である」という宣言は、アマサイに聖霊が降った結果、彼に与えられたものです(19節)。その意味では、これは単なるお世辞や美辞麗句、アマサイの願望の表明などではなく、アマサイに託された神の預言と考えることが出来ます。

 つまり、アマサイたちがダビデを助けるというより、ダビデを助ける者は神であられる、神がアマサイたちを通してダビデを助けられるのだから、ダビデは必ず平和に与ることが出来るという預言です。

 私たちには、救い主イエス・キリストが与えられています。キリストによって私たちは罪が赦され(コロサイ書2章13節)、神の子どもとされ(ヨハネ福音書1章12節)、永遠の命が授けられました(同3章16節)。そして、主イエスは私たちに、ご自分が持っておられた平和を与えてくださいます(同14章27節)。

 パウロが、「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ書4章6,7節)と教えています。神を求める者に、神の平和が授けられるのです。

 パウロは、神を「平和の源なる神」と呼んでいます(ローマ書15章33節)。神のお与えくださる平和は、平和を創り出すことの出来る神の力、神の権威によって、キリスト・イエスを通してもたらされるのです。心に主の平和を頂き、主の御霊に満たされて、主のために働く者となりましょう。

 主よ、あなたは私たちのために助ける者を用意し、平和の内に力強く歩むことが出来るようにして下さり、感謝致します。何より、主ご自身が助ける者であられます。その御手に依り頼み、導きに従って歩みます。私たちを平和を創り出す御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン





6月26日(火) 歴代誌上11章

「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられた。」 歴代誌上11章9節

 サウルの死後、イスラエルの民が、ヘブロンにいたダビデのもとに集まりました(1節、サムエル記下5章1節)。そして、主の御前に契約を結んでダビデに油を注ぎ、全イスラエルの王とします(3節)。

 サムエル記は、サウルの死後の出来事をもう少し詳しく記しています。ダビデはヘブロンでユダ族の王となりましたが、全イスラエルはサウルの4男イシュ・ボシェトを王としました(サムエル記下2章)。ところが、イシュ・ボシェトは同族の家臣に暗殺されました(同4章)。その後、ダビデが全イスラエルの王となったのです(同5章)。

 歴代誌は、サウルの死と擁立を直結させることで(10章13,14節、11章以下)、ダビデの主に背き、主の言葉を守らなかったサウル王がペリシテとの戦いで殺され、イスラエルが崩壊する危機を救う者として、エッサイの子ダビデが主によって選び出されたということを、印象的に表現しているかたちです。

 ヘブロンで全イスラエルの王となったダビデは、難攻不落のエブス人の町、シオンの要害を攻略して、そこに移り住みました(4節以下)。そこで、その町がダビデの町と呼ばれます(7節)。サムエル記下5章の記述によれば、ギホンと呼ばれる泉に水汲みに降りるトンネルから侵入して、陥落させたようです。

 ダビデの町といえば、新約聖書において、彼の生まれ故郷ベツレヘムを指して用いられますが(ルカ2章4,11節)、旧約聖書にはその用例はありません。今日、ベツレヘムの西側に「ダビデの町」と呼ばれるところがありますが、いつごろからそのように呼ばれているのかは不明です。

 ダビデは、エルサレムの町の周囲を城壁で固めました。それは、新たに城壁を築いたというより、改築したというべきでしょう。その他の部分は、真っ先に町に攻め上って軍の頭となったヨアブが修復しました(6,8節)。サムエル記には、ティルスの王ヒラムが使節を送り、ダビデの王宮を建てたことが記されていました(サムエル記下5章11,12節)。

 ダビデの周りには、名のある勇士たちが大勢集まりました(10節以下、サムエル記下23章8節以下)。彼らはダビデが王として国を治めることに協力します。

 そこには、ダビデがベツレヘムの井戸の水が飲みたいと言ったとき、敵の囲みを突破してベツレヘムの井戸の水を汲み、再び敵陣を突破して戻って来るという、まさしく献身的な行動を取った勇士たちもいます(15節以下、サムエル記下23章16節)。

 ここで、ダビデがアドラムの洞窟にいたときというのは(15節)、サウルの手を逃れて逃避行をしていたときのことでしょう(サムエル記上22章1節)。そのときに、三十人の勇士の中の三人が、ダビデのもとに来たということになります。

 サムエル記には「困窮している者、負債のある者、不満のある者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた」(同22章2節)と記されています。この背景には、保身のためにダビデを追い回し、王としての務めを果たさないサウルに対する不満、失望があったわけです。

 だから、ダビデを王とするとき、「これまで、サウルが王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした」(2節)とイスラエルの民は告げたのです。それは、逃避行のさなか、イスラエルの民のことを思って行動をするダビデに感心していた人々が、少なからずいたということでしょう(同23章1節以下など参照)。

 また、ダビデの信仰を上げることも出来ます。ダビデはまっすぐ神を求め、主に従いました。勿論、完璧に清く正しく生きたというのではありませんが、罪を指摘されると、誤魔化さずに罪を認めて悔い改めました(サムエル記下12章13節など参照)。

 ただ、冒頭の言葉(9節)の通り、ダビデが勢力を増したのは、万軍の主がダビデと共におられたからだと言われます。「万軍の主」(ヤハウェ・ツェバオート)は、歴代誌では用例が少なく(他に17章7,14節の3回だけ)、それらは資料(サムエル記上5章9節)をそのまま採用した箇所と考えられます。

 ダビデがエルサレムに神殿を建てたいと願ったとき(サムエル記下7章1節以下)、主は預言者ナタンを通して、「あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう」(同9節)と約束しておられました。その約束を主が忠実に実行されたわけです。

 イスラエルの主は、眠ることもまどろむこともなく、常に見守ってくださる方であり(詩編121編4節)、杖と鞭で彼に道を教え、敵に囲まれて四面楚歌という状態でも、食卓を共にしてくださるので、ダビデの杯はいつも喜びと平安で満ち溢れているのです(同23編4,5節)。

 翻って、主は私たちと共にいてくださるのでしょうか。答えは「イエス」です。主イエスは「インマヌエル」と唱えられるお方と言われます(マタイ1章23節)。インマヌエルとは、「神は我々と共におられる」という意味です。主イエスは人となってこの世に来られ、「神が私たちとご一緒だ」ということを、身をもってお示しくださったのです。

 主イエスは十字架に死なれましたが、三日目に甦られました(第一コリント15章3,4節)。今も、そしてとこしえまで生きておられるお方です。だから、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28章20節)と言われたのです。

 エフェソ書2章4~6節には「憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって,罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、ーあなたがたの救われたのは恵みによるのですーキリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました」と記されています。

 憐れみ豊かな主を信じて絶えず御名を呼び、新しい歌をもって主をたたえ、日々主の御言葉に耳を傾け、真理を悟り、御旨に従って歩ませていただきましょう。

 主よ、御子キリストをこの世に遣わし、十字架で贖いの業を成し遂げ、私たちの罪を赦し、神の子とする道を開いてくださいました。聖霊が私たちを神の宮として住まわれ、常に共にいて、御心に適う執り成しをし、万事を益に変えてくださいます。絶えずその大いなる御愛に感謝し、御言葉に従って歩む者とならせてください。福音の交わりが豊かにされますように。 アーメン





静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に6月24日主日礼拝の礼拝プログラムと説教動画(YouTube)を掲載しました。

②「今週の報告」を更新しました。

③「お知らせ」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。



御覧ください。

6月25日(月) 歴代誌上10章

「戦士たちは皆立って、サウルとその息子たちの屍を取りに行き、ヤベシュに持ち帰って、彼らの骨をヤベシュの樫の木の下に葬り、七日間、断食した。」 歴代誌上10章12節

 歴代誌は、キシュの子サウルに関するベニヤミンの系図を2度記していますが(8章33節以下、9章35節以下)、サウルの業績やダビデとの確執などは、記録したくなかったのでしょうか。「ダビデ王の登場」(11章)を急がせるかのごとく、系図に続いて10章1節以下に突然、「サウルの死」の記事を登場させています。

 サウルは、シュネムに布陣して戦いを挑んで来たペリシテ軍に対し(サムエル記上28章4節)、ギルボアに陣を敷いて迎え撃ちますが、打ち負かされて、ペリシテ軍の前から敗走した多くの兵がギルボア山上で倒れます(1節、サムエル記上31章1節)。

 そして、ペリシテ軍がサウルの本陣に迫り、ヨナタンら息子たちを討ちます(2節)。その後、サウルもペリシテ軍の放った矢で深手を負い(3節)、もはやこれまでと、自害します(4節)。これにより、サウル王朝はサウル一代で潰えてしまったかのように記されています(6節)。

 しかし、サムエル記下2章8節以下によれば、サウルの軍の司令官アブネルが、サウルの末子イシュ・ボシェトを擁立してイスラエルの王としています。ところが、アブネルの死後、イシュボシェトは家臣によって暗殺されました(同4章1節以下、6節)。サウルとイシュ・ボシェトの二代で、サウル王朝は消滅してしまったわけです。

 イシュ・ボシェトは40歳で即位して、2年間王位にあったと、サムエル記下2章10節に記されていますが、サウルについては、正確な記述がありません。サムエル記上13章1節に「サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき」とありますが、王位が2年間しかなかったとすると、サウルが王になったのは幾つのときかが問題になります。

 新改訳は、「サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった」としています。NEBは、50歳で王となり、22年イスラエルを治めたということにしています。一方、使徒言行録13章21節に、「後に人々が王を求めたので、神は40年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり」とあります。

 サウルがサムエルに見いだされたのは、「若者」のときだったということ(サムエル記上9章2節)、そして、イシュ・ボシェトの即位の年齢から考えれば、正確なことは分かりませんが、30歳より前に即位し、40年ほどその地位にあったと考えるべきなのでしょう。

 ところで、本章は、サムエル記上31章と字句的にほぼ一致する記事になっていますが、歴代誌はサウルの死について、「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された」(13,14節)という評価を加えています。

 この評価について、サウルがどのような罪を犯したのか、歴代誌にはその記述が全くないので、サムエル記の記事を前提としていることになります(サムエル記上13,15,28章など参照)。そして、サウルの犯した罪は歴代誌の記者にとって、情状酌量の余地のないものだったのです。

 けれども、そこに美しい話が挟まれています。ペリシテとの戦いで死んだサウルと息子たちの首がペリシテに持ち帰られ、ダゴンの神殿にさらされました(10節)。サムエル記上31章では、ガリラヤ湖南方のベト・シャンの城壁に遺体をさらしたとされています。首の切られた遺体はベト・シャン城壁に、首はアシュドドのダゴン神殿に、ということでしょうか。

 そのことを伝え聞いたギレアドのヤベシュの住民は(11節)、冒頭の言葉(12節)のとおり、戦士を遣わしてサウルとその息子たちの屍を取って来させ、ヤベシュの樫の木の下に葬り、彼らのために七日間断食して、その死を悼みました。

 ベト・シャンの城壁であれ、アシュドドのダゴン神殿であれ、あるいは両方かも知れませんが、ペリシテ人の支配地域に行って、屍を取り返すというのは、まさに命がけのことです。

 また、遺体に触れる者はその汚れを身に受けると言われますし(レビ記21章1~4節)、さらしものにされたものは、神に呪われていると考えられていました(申命記21章23節参照)。その宗教的タブーを犯すというのは、並大抵のことではありません。

 ヤベシュの人々はかつて、アンモン人ナハシュの攻撃を受け、降伏しても全員の右目をくりぬき、それをもって全イスラエルを侮辱すると脅されました(サムエル記上11章2節)。その時に立ち上がったのが、油注がれて王となったばかりのサウルでした(同5節)。

 ヤベシュのニュースを聞くや、御霊がサウルに激しく臨み(同6節)、サウルは立ち上がって、アンモンをさんざんにうち破りました(同11節)。そのときの恩を、ヤベシュの人々は忘れていなかったわけです。ヤベシュの人々の感謝が、サウルの葬りとなりました。

 それはちょうど、主イエスが十字架にかけられて殺される数日前、マリアが純粋で高価なナルドの香油を主イエスの足に塗り、主イエスの葬りの用意をしたことに通じます(ヨハネ12章3,7節)。マリアは、主イエスが兄弟ラザロを甦らせくださったことに感謝し、自分の最も大切にしていた宝を主におささげしたのです。マリアの感謝の気持ち表れです。

 主イエスは,[わたしの葬りの日のために,それを取って置いた」(同7節)といって喜ばれました。その香油の香りは家中に広がり、また、何日も香り続けます。主イエスが十字架につけられたときも、その香りが主イエスの身体から離れてはいなかったでしょう。人々の裏切りや嘲りの中で、その香りが立ち上って主イエスの心を暖かく包んでいたと想像するのは間違いでしょうか。

 私たちが神の子とされるために、どれほどの愛を神から頂いたことかをよく考え(第一ヨハネ3章1節)、自分を知り、主の愛と恵みを知って、感謝と喜びをもって主に仕える者とならせていただきましょう。

 主よ、ヤベシュの人々がサウルの恩を忘れず、それに命がけで報いたように、私たちも主イエスを通して示された御愛に応え、すべてを献げて主にお仕えする者とならせてください。主の御業が前進しますように。御国が来ますように。 アーメン





6月24日(日) 歴代誌上9章

「レビの家系の長である詠唱者たちは、祭司室にとどまり、他の務めを免除されていた。彼らは昼も夜も果たすべき務めを持っていたからである。」 歴代誌上9章33節

 9章前半には、バビロン捕囚後、エルサレムに住んだ人々の系図が記されています。これは、ネヘミヤ記11章と共通するところです。そこには、イスラエルの人々、祭司、レビ人、神殿の使用人がいました(2節)。

 3節で、イスラエルの人々とは、ユダ、ベニヤミン、エフライムとマナセ、各部族の一部だと言われています。ただ、エフライムとマナセという北イスラエルの部族が帰還してエルサレムに住むようになったという記事は、これ以外にはありません。並行箇所と目されるネヘミヤ記11章3節以下にも、エフライム、マナセの記述はありません。

 これは、ネヘミヤがエフライム、マナセを削ったというより、歴代誌がこの二つを書き加えたものだと考えられます。つまり、エフライム、マナセ各部族の一部がエルサレムに住んでいたというのは歴史的事実ではなく、新生イスラエルは、南ユダ王国だけでなく、北のマナセ、エフライムをも包含する全イスラエルを代表するものだという表現だと思われます。

 ユダ族(4節以下)、ベニヤミン族(7節以下)、祭司(10節以下)、レビ人(14節以下)の系図はありますが、エフライム、マナセのものは存在しません。これも、3節の捕囚から帰還してエルサレムに住んだとされるユダとベニヤミンに加え、後からエフライムとマナセが追加されたと考える根拠です。

 4節以下にユダの家系、7節以下にベニヤミンの家系を記した後、10節以下に祭司の家系、14節以下には、レビ人の系図が出ていて、17節以下には神殿の門衛の働き、そして、33節には詠唱者のことが記されています。捕囚後のエルサレムの住民が大事にしたのは、神殿での礼拝だと示しているような扱い方です。

 19節に「幕屋の入り口を守る者」という言葉が出て来ますが、この表現は、ソロモンの神殿が完成する前の時代を示しています。22節には「ダビデと先見者サムエルが彼らにこの仕事を任せた」という言葉も出て来ます。つまり、ダビデ王の時代のレビ人の職務が、このように記されているわけです(26章2節参照)。

 そうすることで、バビロン捕囚によって一旦途切れてしまった神殿の務めが、捕囚後にあらためてしっかりと引き継がれたこと、その役割は、ダビデ王の時代から連綿と続いているものであるということを、ここに示そうとしているようです。

 さらに、35節以下は、8章29節以下と寸分違わないキシュの子サウルにまつわるベニヤミン族の系図が、再び登場して来ます。冗長ではありますが、これは、10章のサウルの物語に続く序章としての役目を果たしています。

 ところで、冒頭の言葉(33節)の「詠唱者」について、それに任ぜられた人々の名は、6章16節以下に既に記されていました。今日の箇所には、「レビ人の家系の長である詠唱者」とあります。

 詠唱者すべてが「家系の長」と考えてよいかどうか、とても微妙なところでしょう。ですが、ともかく詠唱者に任ぜられた家系の長たちは、昼も夜も果たすべき務め、即ち、神の御前に賛美をささげるという務めを持っていました。

 だから、「祭司室にとどまり、他の務めを免除されていた。彼らは昼も夜も果たすべき努めを持っていたからである」と言われます。つまり、門衛として幕屋を警護したり、祭司室や宝物庫の管理をする仕事や(17節以下)、祭儀用具に責任を持つような仕事(28節以下)、その他の雑用などが一切免除されたわけです。

 余談ながら、「(昼も夜も果たすべき)努め」とは、「仕事、公務」(メラーカー)という言葉なので、それが「努め」となっているのは、誤植でしょう(2012年に求めたA5版聖書)。引照つき聖書や小型聖書などでは、正しく「務め」と記されていました。

 話を戻して、詠唱者が歌ってさえいれば、楽器を奏でてさえいれば、他の仕事をしなくてもいいというようなことではないでしょう。むしろ、神の御前に楽を奏し、歌を歌って賛美をささげる務めが、何にもまして最も重要なものとされていたということです。「レビの家系の長」たちが詠唱者に任ぜられているというのも、それを示しているといってよいでしょう。

 詠唱者たちは、昼も夜も絶やすことなくその務めを果たし続けました。交代でその務めに当たっていたわけです。即ちそれは、詠唱者たちが賛美したいときに、したいように賛美するというものではありません。務めに当たるとき、自分が今どのような心境であろうと、どのような境遇であろうと、いつでも主を賛美するよう務めに任ぜられているのです。

 確かに、私たちがどのようにして神の子とされたのかということを考えると、すべてが感謝、すべてが賛美となるでしょう。しかし、現実はなかなか厳しいです。歌う気持ちになれない。感謝の念が湧いてくるような境遇じゃないということもあるでしょう。心を込めて、心から主を讃えるのでなければ、賛美ではないという考え方もあるでしょう。

 けれども、ヘブライ書13章15節に「イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう」と記されています。「賛美のいけにえ」とは、賛美する者が犠牲を払って献げるものであるという表現ということが出来ます。

 歌う気になれなくても、感謝する心境でなくても、むしろ、心に痛みを覚えているような状況でも、神は賛美されるべきお方だから賛美する、感謝すべきお方だから感謝する、そのときに出来る最高の賛美を心を込めてささげるということです。

 それにはどうすればよいのでしょうか。賛美を与えてくださるのは聖霊です。聖霊に満たされ、常に聖霊の導きに与ることです。「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェソ書5章18,19節)と言われる通りです。

 今日も、限りなく聖霊をお与えくださる主を仰ぎ、御霊の満たしを求めましょう(ヨハネ3章34節)。主は求める者に聖霊を満たし与えてくださいます(ルカ11章13節)。そして、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する者としていただきましょう(第一テサロニケ5章16~18節)。

 主よ、御名を賛美します。あなたの慈しみは命にもまさる恵み。私の唇はあなたをほめ讃えます。命のある限り、あなたを讃え、手を高く上げ、御名によって祈ります。私の魂は満ち足りました。床に就くときにも御名を唱え、あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。あなたは必ず私を助けてくださるからです。 アーメン






6月24日(日)主日礼拝説教

6月24日(日)主日礼拝には、教会員12名、来賓7名(子ども1名を含む)がお見えになりました。感謝です。


主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「新しい時代のしるし」
聖書 ルカ福音書11章14~28節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師


御覧ください。





  

6月24日(日)主日礼拝案内

03

6月24日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。

「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・コリントの信徒への手紙から、共に聖書の学びと交わりを行います。


主日礼拝を10時半から行います。

礼拝では、ルカ福音書11章14~28節より、「新しい時代のしるし」と題して、原田牧師より説教をいただきます。


写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。


キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


礼拝後、信徒会を行います。















 
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