「『一緒に来て、主に対するわたしの情熱を見てください』と言った。二人は彼の戦車に一緒に乗り、サマリアに行った。」 列王記下10章16,17節
ラモト・ギレアドで預言者の従者から油注がれて(9章6節)、イスラエルの王となったイエフは(同13節)、告げられた通りにアハブ家を撃ち滅ぼすため、アハブの子ヨラムを殺し(同14節以下、24節)、ヨラムを見舞っていたユダの王アハズヤ(アハブの娘アタルヤの子)を撃ち(同27節)、次いでアハブの妻イゼベルを殺しました(同30節以下、33節)。
1節に、アハブには子どもが70人いたと、記されています。イゼベル以外にも多数の妻がいて、そのように多くの子を得たのでしょう。文字通り70人というよりも、完全数7と10の倍数で、たくさんの子どもということを示す概数といってよいでしょう。
イエフは、サマリアの町の指導者たちに、アハブの子ら70人の中から最も優れた正しい指導者を立て、自分と戦えという手紙を送ります(1節以下、3節)。町の指導者たちはイスラエルとユダの王を撃ったイエフに恐れをなし(4節)、仰せに従うと、イエフに対する恭順の態度を示します(5節)。
そこでイエフが、70人を残らず殺すよう彼らに命じると(6節)、ただちに実行されました(7節)。さらに、アハブの姻戚となっていたユダの王アハズヤの身内の者42人を殺しました(12節以下、14節)。それは、エリヤによってアハブに告げられた言葉のとおりでした(10,17節、列王上21章21節)。
その後、イエフは、自分を出迎えに来たレカブの子ヨナダブに会います(15節)。聖書中、初めてここにレカブの子ヨナダブが登場して来ました。しかし、イエフとヨナダブは、既知の間柄でした。イエフがヨナダブに挨拶して、「わたしの心があなたに心に対して誠実であるように、あなたの心も誠実ですか」(15節)と尋ねたのは、その関係に変化がないか確認したのでしょう。
さらに、冒頭の言葉(16節)のとおり、「一緒に来て、主に対するわたしの情熱を見てください」と語っている言葉から、イエフがヨナダブに、自分の行動を認めてもらいたいと考えているということが分かります。イエフの行動は、主に対する情熱によるものだというのです。
だとすれば、ヨナダブは、主なる神に対する信仰において、イエフに一目置かれる教師のような存在であるということになるでしょう。そのことで、エレミヤ書35章6節に「父祖レカブの子ヨナダブが、子々孫々に至るまでぶどう酒を飲んではならない、と命じたからです」とあります。
ヨナダブの子孫のレカブ人たちは、ヨナダブの言葉に従って禁欲的な生活を忠実に守って来たと語っています(同7節以下)。そして、それを引き合いに出しながら、主が、ヨナダブの一族は父祖の命じた命令を堅く守っているのに、ユダの人々が神の言葉を受け入れないのはなぜかと仰っています(同12節以下)。
ここで主ご自身が、レカブ人ヨナダブとその一族の生き方を認め、賞賛しておられるのです。また、ヨナダブという名前は、高貴な主、寛大な主という意味です。ここにも、ヨナダブの家の主に対する信仰を見ることが出来るでしょう。
ヨナダブは、アハブの家を滅ぼしたイエフの働きを認め、アブラムを祝福したメルキゼデクのように(創世記14章17節以下)、イエフを祝福するために出て来たのではないでしょうか。それは、エリヤを通して示されていた主の御心だったからです。二人は共にサマリアに向かい、アハブの家の者をことごとく撃ち殺して、一族を全滅させました(17節)。
そして、イスラエルからバアルの預言者とバアルに仕える者たちを一掃するため、策を講じます。自分はアハブ以上にバアルに仕えるつもりだから、バアルのすべての預言者、祭司を自分のもとに集めよ、来ない者は生かしておかないと、すべての民に命じたのです(18節以下)。
そして、バアルに仕える者が神殿に満ちたとき、イエフは近衛兵と侍従たちに命じて彼らを剣にかけて殺させ(25節)、神殿を破壊させました(26,27節)。かくて、イスラエルからバアルの預言者とバアルに仕える者たちを一掃したのです。それは主を喜ばせ、イエフの子孫4代にわたってイスラエルの王座に就くと約束されます(30節)。
ただ、ネバトの子ヤロブアムの罪を離れず、ベテルとダンの金の子牛を退けなかったので(29節)、主なる神はイスラエルを衰退に向かわせ、アラム王ハザエルがイスラエルの領土を侵略し始めました(32節)。北イスラエル初代の王の過ちをだれも是正することができず、親の呪いが子々孫々に影響を与え続けているわけです。
そうしたこともあり、自分の知恵や力で主に従うことを徹底するというのは、とても難しいもののようです。だからこそ、主の御前に謙り、その導きと助けに与る必要があります。
私たちも、主に対する情熱を見ていただくため、私たちの心と生活から、主の御前に相応しくないものを一掃しませんか。まず主イエスの御言葉に耳を傾けましょう。示される罪を主の前に告白し、主の血潮によって清めていただきましょう。聖霊を心に迎え、絶えず御霊に満たしていただきましょう。そして、心から主に向かって賛美をささげましょう。
主よ、私の心を探ってください。御前に相応しくない思い、醜い考えを取り除いてください。キリストの血潮によって、すべての罪を赦し、汚れを清めてくださったことを感謝します。主の御言葉を心に豊かに宿すことが出来るよう、聖霊に満たし、その力と導きに与らせてください。 アーメン