風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2018年03月

3月24日(土) サムエル記上19章

「彼は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた。」 サムエル記上19章24節

 サウル王は、娘婿ダビデの武勇にも拘わらず、否、どんなときにも必ず武功をあげるからこそ、それを妬み、今や公然と彼の殺害を家臣全員に命じます(1節)。ダビデは多くの人々から愛されていましたので、すべての家臣がサウルの命令を積極的に実行しようとは考えなかったと思います。

 しかしながら、一方でこれを機会に自分の名を上げ、サウルに取り立てられようと、その命に従う者も少なからずいたのかも知れません。となれば、王に狙われたダビデの命は、風前の灯火のように見えます。

 ところが、そのときにダビデの命運を吹き消そうとする風の盾になったのは、なんと、サウルの息子ヨナタンと娘ミカルです。ここに、皮肉以上のものを感じます。ヨナタンは、父サウルに対してダビデの功績を語り、翻意を促します(4,5節)。サウルはそれを受け入れ、「彼を殺しはしない」と誓いました(6節)。

 けれども、また主からの悪霊がサウルに下り(9節)、竪琴を奏でるダビデを槍で突き刺そうと狙います。ダビデはそれを避けて逃げ、難を免れました(10節)。そこでサウルは使者を送ってダビデを見張らせ、翌朝には殺させようとしました(11節)。それを知ったミカルは、寝台を偽装した上、夜の間にダビデを逃がします(11,12節)。

 そのようにヨナタンとミカルが行動したのは、ダビデ自身に、父サウルを退けて自ら王になろうとするような振る舞いがいささかもなかったこと、むしろサウルのため、イスラエルのために常に命を賭して敵と戦い、勝利して来たことを認めていればこそです。そして、そのようなダビデを、二人は愛していたのです。その上、ダビデを守られる神の御手があります。

 ミカルの機転で難を逃れたダビデは、ラマのサムエルのもとに行き、サウルのことを報告します(18節)。サムエルは、ダビデとナヨトに行きます。「ナヨト」は「住居」という意味で、これは固有の地名ではなく、ラマにサムエルを中心とする「預言者の一団」(20節)が生活する家があって、それを「ラマのナヨト」と言っているのではないかと考えられます。

 ダビデがラマにいることを知ったサウルは、そこに使者を差し向けますが(19,20節)、預言者の一団の先頭に立っているサムエルの前で、彼らにも神の霊が降り、預言する状態になって、ダビデを捕らえることが出来ません(20節)。

 三度使者を遣わして、その度に同じことが起こりました(21節)。最後にサウル自身がやって来ましたが、彼にも神の霊が降り、預言する状態になりました(22,23節)。

 預言には、言葉で語られる預言の他に、行動で示される預言もあります。それぞれ、どのような状態になったのか、何が語られたのか、述べられてはおりません。ただ、冒頭の言葉(24節)には、「彼(サウル)は着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた」と記されています。

 それこそ、サウルの真の姿です。神の霊が離れ、預言者サムエルが離れ、勇士ダビデが離れ、そして息子、娘までも自分から離れてしまい、たった一人、裸で倒れています。心からサウルに味方する者は誰もいません。しかしそれは、サウル自身が神の命を守らず、自分のため命懸けで働くダビデを亡き者にしようとして招いた結果でした。

 そのサウルに神の霊が降り、預言する状態になりました。そして今、裸でサムエルの前に倒れています。これはただ、興奮状態、恍惚状態になっていただけというのではないでしょう。神が霊をもってサウルに働きかけておられたのです。彼がまさに「裸の王様」であることを教え、諭しておられたのではないでしょうか。

 あるいは、彼が裸のまま一昼夜を過ごしても、誰も彼を襲って危害を加える者がないように、神の霊が彼を覆い、その身と心を守りながら、彼が神の御旨を受け入れ、もう一度神の御言葉に忠実に従うように促されていたのではないでしょうか。

 あの「放蕩息子」が、分与された財産すべてを使い果たして無一物となり、豚のえさを奪って食べたいと思うほどに落ちぶれ果て、我に返って父のもとに帰る決意をし、再び家族としての生活を取り戻したように(ルカ15章11節以下、17節)、すべてのものを失ったこの最大の危機が、サウルにとって、神の恵みに与る最大のチャンスだったのです。

 サウルは、そのことを悟って、チャンスをものにすることが出来るでしょうか。主なる神は、ご自分を信頼し、ご自分にすべてを委ねる者たちのために、万事を益としてくださるのです(ローマ書8章28節)。主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上ることができます(イザヤ書40章31節)。

 私たちも、主に信頼して一切を主の御手に委ね、御言葉と聖霊の導きを受けて、日々主と共に歩ませて頂きましょう。

 主よ、私たちは自分の弱さ、愚かさを認めることが苦手です。問題を感じながらも、それを手放すこと、ハンドルを委ねることが、なかなか出来ません。どうか助けてください。裸のサウルを霊で覆ってくださったように、私たちを御霊で覆い、守り導いてください。すべてを御手にお委ねします。イースター(4月1日)から始まる新しい一年も、主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン

 



3月23日(金) サムエル記上18章

「ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。」 サムエル記上18章1節

 ゴリアトを倒したダビデはその日、サウルに召し抱えられることになりました(2節)。ダビデは出陣するたびに勝利を収め、武功をあげるので、サウルはダビデを戦士の長に任命しました(5節)。それが、すべての兵士やサウルの家臣に喜ばれたと記されています。

 若いダビデが戦士の長に取り立てられて、それを兵士や家臣たちが妬んだというのではなく、すべての者が喜んだということは、ダビデの勇敢さや戦術の巧みさなどを、彼らが認めていたということでしょう(17章18節)。

 また、ペリシテの勇士ゴリアトを倒した者に、サウルが大金を与え、王女もくださり、その父の家には特典を与えると言われていましたので(同25節)、ダビデが王家の一員となることを歓迎していると見ることも出来ます。

 女たちもダビデを喜び迎え(6節)、「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」(7節)と歌い交わします。こうして、ダビデはすべての人々から愛されるようになりました。

 しかし、ただ一人サウル王は、そのようにダビデが讃えられるのを聞いて腹を立て、悔しがります(8節)。王の心はダビデへの嫉妬の念で満たされてしまいました(9節)。そして、ダビデを壁に突き刺そうと、槍を振りかざします(11節)。

 聖書はそれを悪霊の仕業と表現していますが(10節)、地位の高い者が自分の地位を危うくする者を憎み、退けようとするのは世の常です。ということは、地位の高い者が、武功のある忠臣に嫉妬心や猜疑心を抱いて退けようとしたり、時には殺してしまうように仕向けるという手を、悪霊はよく用いるということでしょう。

 だから、一介の羊飼いから取り立てたダビデに対して、サウルは本気で殺意を抱いているのです。それは、サウルがダビデを恐れているということです(12,15節)。主がダビデと共にいて戦いに出れば連戦連勝(14節)、そして人望も厚く、人気は上がる一方となれば(15,16節)、主の霊が離れた自分から、王の地位が奪われるのも時間の問題と、サウルは考えていたのかも知れません。

 そこで、自ら手を下すことなくダビデを亡き者とするために、敵ペリシテの手を借りる手立てを考えます(17節)。それは、長女メラブの婿となり、サウルの戦士として先陣を切らせることです。

 それはダビデがこれまでも常にして来たことで(13節)、だからといって王の婿となれるとは考えていませんでした(18節)。実際にサウルにもその気はなく、メラブは別の男性に嫁がせられました(19節)。

 ところが、次女ミカルがダビデを愛していることを知ったサウルは(20節)、それを利用して罠を考えます(21節)。それは、ダビデを次女の婿として迎える条件として、ペリシテ人への報復のしるしに、彼らの陽皮百枚を結納金代わりに差し出すようにということです(25節)。それによって、サウルはペリシテ人からダビデを返り討ちにしてもらおうと考えたわけです。

 初めは受けられる話ではないと固辞していたダビデですが(23節)、家臣たちの重ねての要請にそれを受けることにしました(22,25節)。そうなると、ダビデはすぐに行動を起こし(26節)、要求された倍の200人分の陽皮を持ち帰りました(27節)。

 ここにサウルは、主がダビデと共におられることを、改めて思い知らされます(28節)。また、自分の娘ミカルまでもダビデを愛しているということで、ますますダビデを恐れ、敵意すら抱くようになりました(29節)。

 そうした中で、王子ヨナタンの態度は注目に値します。ダビデの登場で一番不利な立場になるのが、ヨナタンです。王位を継ぐ最短距離にいる自分が、その地位を赤の他人に奪われるのです。年齢も、ヨナタンの方が10歳以上も上ではないかと考える注解者がいます。

 しかし、それらのことは、ヨナタンにとってどうでもよいことでした。彼は冒頭の言葉(1節)の通り、誰よりもダビデに惹かれ、自分自身のようにダビデを愛したのです。

 3節に「ヨナタンはダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び」と記されています。それは、王子と羊飼い上がりの若者が、対等の立場にいるということを示します。このことは、ダビデが望んで出来ることではありませんから、ヨナタンがダビデをいかに大切に思っているかということの、何よりの証拠です。

 そして、自分の着ていた上着をダビデに着せ、また装束を剣、弓、帯に至るまで、すべて与えます(4節)。これはまるで「乞食王子」の物語よろしく、この日、ヨナタンがダビデとその立場を取り替えたことを象徴しているような出来事です。

 今日、神の独り子なる主イエスは、私たち人類をご自分のように深く愛され、一方、私たちはその愛に相応しい者でもないのに、むしろ、敵対していたような者なのに(ローマ書5章6節以下、10節)、ご自身を十字架に贖いの供え物とされ、私たちを罪の呪いから解放してくださいました。

 それは、ご自分を信じる者に神の子となる資格をお与えになるためであり(ヨハネ1章12節)、主が私たちのために貧しくなられ、それによって私たちが豊かになるためだったのです(第二コリント8章9節)。これは、全く一方的に与えられた恵みなのです。

 その御子イエスが十字架にかかられ、死んで葬られ、三日目に墓を破って甦られたことを喜び祝う日、それがイースターです。キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けた私たちは、その死に与り、そしてキリストが死者の中から復活させられたように、私たちも新しい命に生きる者とされます。

 イースターの希望と喜びが全世界のすべての人々にありますように。 

 主よ、私たちに豊かな恵みをおあたえくださり、心から感謝致します。私たちが神の子とされるためにどれほどの愛を賜っていることか、いつも覚えさせてください。それによって愛を知った私たちが、感謝をもって互いに愛し合い、赦し合い、助け合う神の家族として、主と共に歩むことが出来ますように。 アーメン

 

3月22日(木) サムエル記上17章

「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々に渡される。」 サムエル記上17章47節

 前にペリシテ軍と戦ったときには、戦車3万、騎兵6千、砂粒のように多い兵士というペリシテ軍に対し、サウル王の息子ヨナタンと従者が二人で敵の先陣に攻め入って大混乱に陥れ(14章1節以下)、その後イスラエル全軍でペリシテをたたくことが出来ました(同16節以下)。

 ところが、またもペリシテ軍がイスラエルに向かって、エルサレム南西およそ27kmの地にあるソコに集結し、その北西方向エフェス・ダミムに陣を張りました(1節)。対するイスラエル軍はエラの谷に陣を敷き(2節)、谷を隔てて対峙します(3節)。

 先にペリシテ軍が守備隊を配置していたゲバは(13章3節)、ベニヤミン領内・エルサレムの北方9kmにある、アロンの子孫に与えられた「レビ人の町」(ヨシュア記21章17節)の一つで、した。今回は、エルサレム南西27kmのソコということは、ギルガルを拠点にイスラエルを治めるサウルの統治が、一定の効果を上げているということでしょう。

 今回は全軍による戦闘ではなく、ゴリアトという戦士が進み出て(4節)、双方の代表者による一騎打ちを申し出ました(8,10節)。そして、勝利した方が相手方の全兵士を奴隷とするという取り決めです(9節)。

 ペリシテ代表のゴリアトは身長6アンマ半(約3メートル)の巨人で(4節)、五千シェケルと言えば50kgを優に超える重さになる青銅の鎧兜に身を包み(5,6節)、鉄の穂先を持つ青銅の投げ槍を肩に担いで立っています(6,7節)。その上、彼は歴戦の勇士です(33節参照)。

 おかげで、全イスラエルはゴリアトの前にすっかり怖じ気づいてしまい(11節)、40日に亘って戦いを挑まれますが、誰もそれに答えることが出来ませんでした(16節)。かつて、従卒一人だけを連れてペリシテの先陣に切り込んだヨナタンも(14章1節)、軍の司令官アブネルも(55節、14章50節)、全く沈黙していたようです。

 主の霊がサウル王を離れ、悪霊にさいなまれるようになった結果(16章14節)、恐れが全イスラエルに蔓延してしまったのでしょう。指導者が主の命に背いて、神の臨在と聖霊の油注ぎを失うことは、神の民イスラエルにとって致命的な問題なのです。御言葉に従って歩み、主の霊の恵みを絶えず豊かに味わい、主の賜物と恵みを主のために用いさせていただかなければなりません。

 そこに、サウルに代わって油を注がれた少年ダビデが登場します。ダビデは竪琴の奏者としてサウル王に召され、気に入られてサウルの武器を持つ者とされていましたが(16章14節以下、21節)、常にサウルに同行していたわけではなく、サウルに仕えたり、ベツレヘムで羊の世話をしたりしていました(15節)。

 ダビデは、父親に頼まれて、戦いに参加している兄たちにパンを届けがてら、チーズ十箇を千人隊長に渡して、兄たちの安否を確かめ、そのしるしをもらうために戦場に赴きました(17,18節)。

 ダビデはそこで、ゴリアトの口上を聞きます。兵士たちは恐れ戦きますが、ダビデは、「あのペリシテ人を打ち倒し、イスラエルからこの屈辱を取り除く者は、何をしてもらえるのですか。生ける神の戦列に挑戦するとは、あの無割礼のペリシテ人は、いったい何者ですか」(26節)と、周りにいた兵に尋ねます。

 何しろ、ダビデはまだ少年で、戦争に参加したこともありません。自分が行ってペリシテ人と戦いましょうというダビデに(32節)、サウルは、戦いにならないと答えています(33節)。

 しかし、ダビデには主の霊が激しく臨んでいました(16章13節)。羊の群れを襲う獅子や熊の口から羊を取り戻すことができたのだから、無割礼のペリシテ人ゴリアトを打ち倒してみせようと言い(36節)、続けて「士師の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるに違いありません」(37節)と語ります。

 36節の「取り戻す」と37節の「守ってくださる」は、同じ「ナーツァル」という言葉が用いられています。熊や獅子の手から羊を救ったダビデを、主が救ってくださったので、ゴリアトの手からイスラエルを救い出す自分を必ず救ってくださるという言葉遣いで、ここに、ダビデの信仰の核心があります。

 ダビデが書いたという詩に、「わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません」(詩編16編8節)という言葉があります。これは、常に自分の目の前に主を見ているということです。

 それは、必ずしもダビデが「常に」主を仰いでいたということではないでしょう。むしろ、主が「常に」ダビデの前にお立ちになって、ダビデをお支えくださっていたのです。ダビデは自分の右に立ち、ゴリアトと戦われる万軍の主の御姿を信仰の目で見ており、それゆえ、恐れることがなかったわけです。

 ダビデの信仰の表明を受けて、サウルも「行くがよい。主がお前と共におられるように」という祈りの言葉を口にします。主の霊がサウルを離れ、悪霊にさいなまれるようになって、ついぞ祈りを忘れていたのではないでしょうか。

 これが、信仰から出た言葉ではなかったので、ダビデに自分の武具を着せようとします(38節)。目に見えない万軍の主の守りよりも、武具の方が確実に身を守れると考えたのでしょう。けれども、ダビデはまだ少年ですし、イスラエルのだれよりも背の高いサウルの武具は、それを身に着けて歩くことさえできませんでした(39節)。

 ダビデは、それらを脱ぎ去ると、杖と石投げ紐、五つの石を持ってゴリアトの前に立ちます(40節)。それを見たゴリアトはダビデを侮り(42節)、ペリシテの神々によってダビデを呪って(43節)、「お前の肉を空の鳥や野の獣にくれてやろう」(44節)といいます。

 それに対して「お前は剣や槍や投げやりでわたしに向かってくるが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう」(45節)とダビデは言い、そして冒頭の言葉(47節)を語ります。

 ダビデが語ったとおり、神がイスラエルを救うのに用いられたのは、剣や槍ではありません。それを巧みに操る勇士でもありません。未だ成人していない少年ダビデの、石投げ紐に石一つでした(50節)。まさにそれは、戦列の神、万軍の主が勝利をダビデ=イスラエルにお与えになったというしるしです。

 今日、私たちにとって勝利とは何でしょうか。それは、どんなときでもイエスを主と告白し、神が死人の中から主イエスを甦らせてくださったと信じることです(第一ヨハネ書5章4,5節)。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことでも感謝する信仰を固く持つことです(第一テサロニケ書5章16~18節)。

 主よ、有力な者を辱めるために無力な者を選び、用いられます。ダビデを用いられたのは、まさにそれです。ゴリアトはダビデを侮りましたが、それが彼の致命傷でした。彼には、ダビデと共におられる神が見えなかったからです。主よ、私たちは絶えず御顔を仰ぎ、御言葉に耳を傾けます。聖霊で満たし、主の望まれるような者にしてください。イースターから始まる新しい年度が、主の恵みで満ちあふれますように。 アーメン

 

3月21日(水) サムエル記上16章

「しかし、主はサムエルに言われた。『容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。』」 サムエル記上16章7節

 主なる神はサムエルに、「いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。わたしは、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。わたしはその息子たちの中に、王となるべき者を見出した」(1節)と告げられます。

 サムエルは、サウルのことで嘆き続けていました(15章35節参照)。主もまた、サウルを王としてたてたことを悔いられたと記されています(同上)。サムエルは、もともと王を立てることには反対でした(8章6節)。そして、立てられた王が神の命に従わないことから、イスラエルの行く末を思って嘆いていたのでしょう。

 けれども主なる神は、サムエルとは別の将来を見ておられました。信仰生活において、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」(フィリピ書3章13節)、ひたすら進むことが求められているのです。

 また、「どこにも主の御目は注がれ、善人をも悪人をも見ておられる」(箴言15章3節)と言われる通り、主は、サウルのことだけでなく、次の王として立てられるべきものを、既に見つけておられました。そこで、油注ぎの用意をして、ベツレヘムのエッサイのもとへ行けと命じられるのです。 

 サムエルは、ラマに拠点を置いて、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩きながらイスラエルのために裁きを行っていました(7章16,17節)。南方ユダ族の所領、ベツレヘムに足を運ぶのは、初めてのことでしょう。これまでとは違う、新しいことが始まろうとしているようです。

 ベツレヘムに赴いたサムエルは(4節)、町の長老たちの不安を余所に、早速エッサイとその息子たちを会食に招きます(5節)。やって来たエッサイとその息子たちを見て、サムエルは、長男エリアブに目を留め、彼こそ、イスラエルの新しい王に相応しい者だと思いました(6節)。

 けれども、主は冒頭の言葉(7節)のとおり、「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言われます(7節)。

 ここに、「容姿や背の高さに目を向けるな」と言われます。初代の王サウルは「美しい若者で、彼の美しさに及ぶ者はイスラエルにはだれもいなかった。民のだれよりも肩から上の分だけ背が高かった」(9章2節)という人物でした。「わたしは彼を退ける」は、エリアブのことでしょうけれども、サウルのことでもあるわけです。

 また、「目に映ること」の原語は、「アイナイム=両眼(アイン=目)」という言葉です。目に代表される「外観」ということでしょうか(岩波訳参照)。同席した「七人の息子」らはいずれも、主によって選ばれる者ではありませんでした(10節)。残念ながら、彼らは主の御目にかなわなかったわけです。

 ところが、エッサイには、食事の席に来ていないもう一人の息子がいました。完全数の「七」人の内に数えられない、8番目の息子です。それは、その子がまだ成人していなかったということでしょう。そして、主なる神は最も小さな、取るに足りないと考えられたその息子を選ばれました(12節)。

 その子の名は「ダビデ」といいます(13節)。主は「容姿や背の高さに目を向けるな」(7節)と言われましたが、しかし「彼は血色がよく、目は美しく、姿も立派であった」(12節)と記されています。「心によって見」られたダビデの内面が、外側に美しく示されていたということでしょうか。

 ただ、ダビデは、王として名を上げた後、他人の妻と姦淫し、それで女性が懐妊したと知るや、その夫を戦場から呼び戻して事実を誤魔化そうとしました。それが出来ないとなると、夫を戦死と見せかけて殺し、未亡人となった女性を自分の妻とするという、とんでもない罪を犯します(サムエル記下11章)。

 「主は心によって見る」というのは、まさか、そのような大罪を犯すダビデを選ぶのが神の御心であるという表現ではないでしょう。エリアブら、彼の七人の兄たちはもっと重い罪を犯すということでもないはずです。国王という権力には、様々な誘惑があるということです。

 ただ、ダビデは、預言者ナタンにその罪を指摘されると、それを素直に認めました(同12章13節)。あるいは、その素直さを主は見ておられたということかも知れません。ダビデは、父親や兄たちが食事をしている間、羊の番を忠実に果たしていました(11節)。そのような、主に素直に聴き従う心が見られたのです。

 勿論、だからと言って、ダビデの罪を不問にされるわけではありません。ダビデとその子らの罪だけでなく、全人類の罪の呪いを身に受けて贖いの業を成し遂げさせるため、主なる神は、御心に適う者をダビデの末裔から生まれさせます。それが、主イエスなのです(マタイ1章1節、3章17節)。

 話をもとに戻して、サムエルがダビデに油を注ぐと、彼の上に主の霊が激しく降るようになりました(13節)。これは、かつてサウルに起こったことです(10章6,10節)。しかし、サウルはその恵みを失ってしまいました。

 神の恵みは、神に仕え、また人に仕えるために与えられます。御旨に従って働くなら、さらに豊かに与えられるでしょう。しかしながら、それを死蔵したり、御旨に沿わないかたちで用いようとするなら、朽ち果ててしまうことでしょう。

 神の栄光を盗むことは出来ません。欲望がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます(ヤコブ書1章15節)。聖書が語る死とは、肉体の死というより、関係が絶たれることを意味します。罪によって人との関係が壊れ、神との関係が途絶するのです。サウルは神の命に従わず、自分の欲望に流されたために神に退けられ、主の霊が彼から離れ去ってしまったのです。

 それだけではなく、「主から来る悪霊が彼をさいなむようになった」(14節)と言われます。「主から来る悪霊」というのは、主なる神が自ら悪霊を送り出すというのではなく、悪霊といえども主なる神の許しなしに人を苛むことは出来ないということでしょう(ヨブ記1章6節以下、12節、2章1節以下、6節参照)。

 悪霊に苛まれるようになったサウルは、竪琴の名手を召し抱えるようにします(15節以下)。それはなんと、サムエルに油注がれたエッサイの子ダビデでした(18節)。ダビデが竪琴を奏でると、サウルの心が安まり、悪霊が彼を離れました(23節)。これは、音楽療法の始まりといってよいのかも知れませんが、ダビデを通して、主がそこに働かれたということです。 

 かつて、蛇がエバを、「神のように善悪を知るものとなる」(創世記3章5節)といって誘惑しました。それで、エバとアダムは神の命に背き、善悪の知識の木の実を食べてしまいました(同6節)。その結果、エデンの園から追放され、苦しみながら生きる者とされてしまいます(同16節以下、23節)。

 高慢と反逆によって退けられたサウルは(15章23,26,28,35節)、ますますその罪を拡大させ、彼に替わって油注がれたダビデを妬み、殺そうとするようになります(サム上18章8節以下)。

 ある人から出て行った悪霊が戻って来てみると、空き家できちんと整理整頓されているのを見て、他の七つの霊を連れて来て入り込み、住み着くと、その人の状態は前よりも悪くなると、主イエスが例え話をされたことがありますが(ルカ11章24~26節)、このときのサウルは、まさにそのような状態でした。

 神様から与えられた恵みを疎かにせず、神のため、人のために用いて神に栄光をお返しするため、日々主の御前に謙って御言葉に耳を傾け、聖霊の導きに従って歩み、絶えずその油注ぎを保ち続け、後の状態は前よりもよくなったと言われるようにして頂きたいものです。

 主よ、あなたはダビデを選ばれました。それは、ダビデが清かったからではありません。ダビデの子孫として、御子キリストを誕生させ、全人類の罪の贖いを成し遂げさせるためでした。ダビデが選ばれたのは、主の恵み以外の何ものでもありません。主は私たちもお選び下さいました。その召しに答え、御言葉に従い、主の御心を行う者となることが出来ますように。 アーメン

 

3月20日(火) サムエル記上15章

「反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。御言葉を退けたあなたは、王位から退けられる。」 サムエル記上15章23節

 サムエルが主の言葉として「行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」(3節)と、サウルに命じました。創世記36章12節によれば、アマレクはエサウの孫で、イスラエルにとっては親族という間柄です。

 しかし、エジプトを脱出したイスラエルの民にレフィディムで攻撃を仕掛けたり(出エジプト記17章8節以下)、その後も近隣諸国の民と共にイスラエルに攻め上って来たりして(士師記3章13節、6章3節)、絶えず敵対しています。

 アマレクを滅ぼし尽くせという命令は、レフィディムの攻撃に報復するためだと、2節にその理由が記されています。そして、申命記25章17節以下にモーセを通じて、この命令は既にイスラエルの民に告げられていました。

 「滅ぼし尽くす」は「滅ぼす、献げる」(ヘーレム)という言葉で、新改訳、岩波訳はそれを「聖絶する」と訳しています。「聖絶」とは、戦いに敗れた民やその家畜を絶滅させることで、勝利をもたらされた神にそれを儀礼的に献げ尽くすことを意味します。

 サウルは21万の兵を集め、イスラエル南方のアマレクの町に攻め込み(4節以下)、アマレク人を討ちました(7節)。ところが、滅ぼし尽くせという命令にも拘わらず、サウルはアガグ王を生け捕りにし(8節)、羊と牛の最上のもの、肥えた動物、小羊など、上等なものは、惜しんで滅ぼし尽くしませんでした(9節)。

 それを見た主はサムエルに、「わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしの命令を果たさない」(11節)と告げます。サムエルは翌朝サウルのもとに赴き、主の命令に従っていないことを指摘すると(14節,17節以下)、それは神への供え物にしようと、最上のものをとっておいたのだと言い訳けをします(15節,20,21節)。

 もしかすると、その供え物によって、サウルは敬虔な王だという評判を得ようとしていたのかも知れません。しかしながら、その敬虔そうな振る舞いは偽りで、自分の強欲さを隠す隠れ蓑にすぎません。

 サムエルは「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(22節)と語り、冒頭の言葉(23節)のとおり、反逆と高慢によって主の御言葉を退けた故に、サウルは王位から退けられると、厳しく宣告します。

 エフェソ書5章5節に「た貪欲な者、つまり、偶像礼拝者」という言葉があります。偶像礼拝者すべてが「貪欲な者」だとは思いませんが、神に聴き従うというのではなく、自分の願いを実現し、欲望を満たすために宗教を利用しようとする姿勢を偶像礼拝だと規定しているのでしょう。

 偶像を仰ぐことや占いや呪術を行うことは、主の目に悪とされ、そのようなことを行う者は神に厭われます(レビ記19章4,26節など)。「口寄せや霊媒を訪れて、これを求めて淫行を行う者があれば、わたしはその者にわたしの顔を向け、彼を民の中から断つ」(同20章6節)という言葉もあります。

 今サムエルは、サウル王に対して、神の命令に従わないこと、御言葉に耳を傾けないことは、神への反逆、高慢な所業であり、聖絶すべきものを惜しんで残したのは、貪欲のなせる業で、神の忌み嫌われる占いや偶像礼拝の罪に等しいものだと、断罪しているのです。

 さらに、サウルの高慢は、命令に忠実に従おうとしなかっただけでなく、勝利をお与えになった主に感謝して賛美をささげることはせず、自分のために戦勝記念碑をカルメルに建てたというところにも表われています(12節)。そのときサウルは、サムエルに報告することさえしていません。

 サムエルによる厳しい断罪の言葉を聞いて、サウル王は慌てて罪を認めますが、しかし、「兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました」(24節)と、それを部下の所為にします。勿論、王として君臨している者に、このような言い訳が許されるはずがありません。

 さらに、「民の長老の手前、イスラエルの手前、どうかわたしを立てて、わたしと一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します」(30節)とサウルは答えます。およそ真の悔い改めとはほど遠い、王の位にしがみつき、そのためにサムエルに媚びへつらおうとする権力者の哀れな姿をここに見ます。

 サウルは、神に喜ばれることよりも、自分自身を喜ばせることを優先し、神を畏れるよりも人々の前に体面を失うことを恐れています。これは、サウルの息子ヨナタンの信仰とは全く好対照です(14章6節)。

 サウルのこうした姿勢が、やがて登場してくるダビデに対して、地位を守るためになりふり構わず、その命をしつこく狙うという行動に出させるのです(18章6節以下)。それゆえ、主によってその地位から退けられるのです。

 私たちの主なる神は、私たちを愛し、あらゆる罪の呪いから解き放つため、独り子を贖いの供え物とされました。ただ信じるだけで、救いに恵みに与ることが出来ました。感謝と喜びをもって主の御声に耳を傾け、御旨に従って歩ませていただきましょう。聞き従うことは、どのようないけにえにも勝るものだからです。

 主よ、御慈しみをもって御子をお遣わしになり、深い御憐れみをもって、私たちの愚かな背きの罪をぬぐってくださいました。また、私たちの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてくださいました。神よ、私たちの救いの神よ、恵みの御業をこの舌は喜び歌います。主よ、私たちの唇を開いてください。この口はあなたの賛美を歌います。 アーメン




静岡キリスト教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に3月18日主日礼拝の礼拝プログラムと説教動画(YouTube)を掲載しました。

②「今週の報告」、「フォトギャラリー」を更新しました。

③「お知らせ」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。



御覧ください。


3月19日(月) サムエル記上14章

「さあ、あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らってくださるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない。」 サムエル記上14章6節

 ミクマスに陣を敷いたペリシテ軍の先陣が、ミクマスの渡しまで進んで来ました(13章23節)。それを見たヨナタンは、自分の武器を持っている従卒に、「向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう」と言い出します(1節)。

 3万の戦車に6千の騎兵、無数の兵士に攻め込まれて、それを迎え撃つ自軍イスラエルの兵はわずか6百。戦闘の火蓋が切られれば、結果は見えています。そこで、自分たちの方から打って出ようというわけです。

 とは言っても、ヨナタンの手には杖(24節)、従者の手に一本の剣、それが彼らの武器です。たった二人で、鉄の戦車や馬で武装してやってくるペリシテ軍に、どう立ち向かおうというのでしょうか。言うまでもなく、敵の方が圧倒的に数は多く、強力な武器を持っているのです。やってみなくても、結果は火を見るより明らかなのではないでしょうか。

 しかし、ヨナタンはそのように考えませんでした。冒頭の言葉(6節)で、彼はペリシテ人を「無割礼の者ども」と呼んでいます。当時、割礼をしているのはイスラエル人だけではありませんでしたが、ここに、ペリシテ人は割礼をしていないという「情報」を従者に提供しているのではありません。主なる神を信じていない、異教徒だということです。

 主を信じていない異教徒が、主なる神を信じ、主が味方してくださるイスラエルの軍隊に勝てるはずがないと、ヨナタンは確信しているのです。だから、「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」というのです。

 理屈から言えば、人間がどんなに束になってかかっても、神に打ち勝つことなど、あり得ないでしょう(ローマ書8章31節参照)。けれども、目に見えない神に依り頼むというのは、言うほど易しくはありません。

 ヨナタンの父サウルは、ペリシテの大軍が迫って来ている中、主に信頼して、七日間、ギルガルでじっとサムエルを待っているということが出来ませんでした。目の前に大軍が集結して来ているのを見て、イスラエル軍の中に逃亡する兵が続出したからです(13章8節)。

 だから、神を味方していただくため、サムエルを待たず、自分で献げ物をささげようとしました(10章8節、13章8節以下参照)。先にギレアドにおいて、神の霊の力を受けてアンモンの王ナハシュの軍を徹底的に打ち破った(11章6,7,11節)、あの勇敢なサウルは、どこに行ってしまったのでしょう。

 けれども、ヨナタンには、主を信じる信仰がありました。彼の信仰の目には、ペリシテの大軍よりも、自分たちに味方される神の方が大きく見えていたのです。だからでしょうか、先に、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を千の兵で打ち破ることができました(13章2,3節)。

 後に、アラム軍に町を包囲された折、怖じ惑う召使いゲハジに預言者エリ者が「恐れてはならない。わたしたちと共にいる者の方が、彼らと共にいる者よりも多い」(列王記下6章15節以下)と告げるという出来事がありました。そのとき、火の馬と戦車がエリシャを囲んで山に満ちていたのです。

 神が共におられることを信じる心、主の御業を見ることの出来る信仰の目、主が語られる御言葉を聴く信仰の耳を持つ者は幸いです。とはいえ、それは一朝一夕に獲得されるものではありません。常日頃から、主との親しい交わりを持つことを通して、培われて行くものでしょう。

 このとき、敵を撃ち破るために用いられたヨナタンの手足、その心は、日頃から主の御前に跪き、賛美と祈りをささげるために用いられていたものと思われます。彼が、神の御前で時を過ごす者であったからこそ、どんなときでも神が味方してくださることを信じることが出来たのです。そして、主なる神もまた、その信仰にお答えくださったわけです。

 ペリシテ軍の混乱に気づいたサウルは、祭司アヒヤに神の箱を運んで来るようにと命じました(18節)。その目的は不明です。あるいは、神が共におられるしるしとしようとしたのでしょうか。しかし、ペリシテ軍の混乱が拡大するのを見て、祭司に「もうよい」(19節)と言い、それを中止させました。

 口語訳は、ギリシア語訳旧約聖書(セプチュアギンタ:七十人訳)に基づいて「神の箱」を「エポデ」(新共同訳の「エフォド」)と訳しています。それは、神の託宣を求め、神意を尋ねるためのくじ(ウリムとトンミム)をポケットに収めているものです。37節、41節との関連から、このところでもエフォドを持って来させ、軍を進めるべきかどうか、神意を尋ねようとしたというのでしょう。

 しかしながら、実際には祭司の手を留めさせています。つまり、きちんと神意を尋ねることはしませんでした。情勢が自分たちに有利になったのを見て、行動を起こすことにしたわけです。

 サウルは、神にいけにえをささげることは知っていても、謙って主の御言葉に聞き従う者ではありませんでした。彼は常日頃、神の御前に両手を上げ、主の御名を呼ぶことがあったでしょうか。だから、信仰が萎えてしまって、いざというときに力にならなくなってしまうのです。

 パウロが、「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソ書6章12節)と言っています。主との交わりのために時間を割き、日々御言葉に耳を傾け、絶えず御前に祈りをささげることこそ、私たちがいつも勝ち取らなければならない信仰の戦いなのです。そうして、主を信じ仰ぐならば、勝利は常に私たちのものとなるでしょう。

 絶えず主を仰ぎ、御言葉に耳を傾け、聖霊の導きを求めつつ、感謝をこめて賛美と祈りを主に捧げましょう。 

 主よ、あなたはいつも取るに足りない者、数少ない者を用いられます。彼らが勝利を得るのは、主に依り頼んでいるからです。主イエスの弟子は一握りでしたが、主は彼らを用いて全世界に福音の業を広げられました。私たちも主に選ばれた者として、主と主の御言葉に信頼して宣教の働きを進めることが出来ますように。 アーメン






3月18日(日) サムエル記上13章 

「しかし、今となっては、あなたの王権は続かない。主は御心に適う人を求めて、その人をご自分の民の指導者として立てられる。主がお命じになったことをあなたが守らなかったからだ。」 サムエル記上13章14節

 サウルは、サムエルに命じられた通りにギルガルで七日間、サムエルの到着を待っていました(8節)。けれども、約束の日になっても、なかなかサムエルが現れません。サウルは気が気ではありませんでした。

 というのは、イスラエルに向かって、ペリシテ軍が大軍をもって戦いを挑んで来ているからです。その数は、戦車3万、騎兵6千、兵士は海辺の砂のように多い、つまり、数え切れないほどの大軍です(5節)。対するイスラエルの兵士は、わずか3千です(2節)。国土は、イスラエルの方が大国のようですが、戦争する体制には、ずいぶん差があります。

 この戦いのきっかけは、3千の兵のうち千を預けられたサウルの子ヨナタンが(2節)、ゲバに配置されていたペリシテの守備隊を打ち破ったからでした(3節)。ペリシテ軍は、打ち破られた守備隊の報復にやって来たかたちです。

 ゲバの地というのは、ベニヤミン族の所領です。そこにペリシテの守備隊が配置されていたということは、その地を実効支配していたのはペリシテの方だったわけです。だから、ヨナタンは自分たちの所領の地を取り戻そうと考えて、守備隊を打ち破ったのでしょう。

 その当時、イスラエルには鍛冶屋が一人もいませんでした(19節)。それは、ペリシテ人が製鉄、鍛冶の技術を徹底的に管理、独占していたからです。というのも、イスラエル人が刀や槍を作り出させないようにするためです。鋤や鍬、斧などを研ぐのも、ペリシテ人のところに行かなければなりませんでした(20節)。

 だから、ペリシテとの戦いにおいて、鉄の剣や槍を手にしていたのは、サウルとヨナタンだけでした(22節)。つまり、イスラエルの兵士たちは、武器さえまともに持ってはいなかったのです。兵の数だけでなく、武器の質と量にも、大きな差があります。これでは全く戦いになりません。主なる神の助けがなければ、とても生き残れないという状況です。

 だからこそ、ギルガルに踏みとどまっているサウルは(7節)、サムエルに一刻も早く来てほしいと、その到着を待ちわびているのです。なかなかサムエルがやって来ないので、ペリシテに恐れをなしたイスラエル兵の中には、逃亡する者が続出するようになりました(8節)。

 危機感を募らせ、ついにしびれを切らしたサウルは、自ら焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を神にささげて、戦勝の祈願をすることにしました(9節)。ともかく、主の助けと導きを得たかったし、主が助けてくださると期待することによって、兵の逃亡を防ぎたかったのです。献げ物をするところに、彼の信仰心が表れているとは言えるかも知れません。

 サウルが献げ物をささげ終わったとき、サムエルが到着しました(10節)。そしてサムエルは、冒頭の言葉(14節)のとおり、主の命令を守らなかったから、あなたの王権は続かないとサウルに告げます。

 サムエルは先に「わたしよりも先にギルガルに行きなさい。わたしもあなたのもとに行き、焼き尽くす献げ物と、和解の献げ物をささげましょう。わたしが着くまで七日間、待ってください。なすべきことを教えましょう」(10章8節)と命じていました。

 なすべきことを教えるので、先にギルガルに行って、サムエルの到着を七日間待てというのは、サウルに課せられた試験です。目に見える状況に振り回されないで、神を仰ぐことが出来るかどうか。兵の数や軍備などよりも、主なる神に信頼することが出来るかどうか。そして何より、自分の知恵や力よりも、主の御言葉に耳を傾け、それに従うことが出来るかどうかです。

 ペリシテの大軍が攻め寄せたのも、その大軍に恐れをなしたイスラエル兵が戦線を離脱して逃げ出したのも、主の差し金だったのかも知れません。そしてサウルは、残念ながらこの試験に失敗してしまいました。命令どおり従うことが出来なかったからです。

 私たちはどうでしょうか。状況に動かされないで、常に主に信頼することが出来るでしょうか。御言葉に忠実に従うことが出来るでしょうか。見える状況が最悪の時、見えない神に頼るというのは、決して容易いことではありません。むしろ、とても困難なことです。まさに、その信仰が問われます。

 日毎、主なる神の御前に謙り、主の御旨が行われることを信じて祈りましょう。目には見えませんが、常に共にいて私たちを慰め、励ましてくださる主の御言葉に耳を傾けましょう。死者を甦らせ、無から有を呼び出す方を信ずる真の信仰に与らせていただきましょう。

 そして、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って、主イエスに従いましょう。試練を通して開かれてくる主の新しい恵みに与り、心から主を賛美させていただきましょう。

 主よ、幼子が母親の胸で安心して憩うように、外に何がありましても、あなたに信頼し、御言葉に従って歩むことが出来ますように。弱い私たちを憐れみ、聖霊の導きを受けて常に信仰に歩ませてください。祈り求める者に平和をお与えになる主の御名が崇められますように。 アーメン

 

3月18日(日)主日礼拝説教

3月18日(日)主日礼拝には、教会員13名、来賓11名(子ども2名を含む)がお見えになりました。感謝!

主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「栄光の望み」
聖書 ルカ福音書9章28~36節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師

御覧ください。



3月18日(日)主日礼拝案内

02

3月18日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。
「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・マルコ福音書から、共に聖書の学びと交わりを行います。


主日礼拝を10時半から行います。
礼拝では、ルカ福音書9章28~36節より「栄光の望み」と題して、原田牧師の説教を頂きます。


キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。


写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。


教会学校、主日礼拝を通して、皆様に主の恵み、導きが豊かに広がりますように。

 
礼拝後、昼食会・自由参加)を行います。

昼食会後、各会例会を行います。




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