風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2018年02月

2月28日(水) 士師記20章

「イスラエルの人々は皆、そのすべての軍団と共にベテルに上って行き、主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた。」 士師記20章26節

 レビ人の送りつけたものに対して全イスラエルは鋭く反応し、ミツパに集結しました(1節)。「一団となって一人の人のようになり」というところにその驚きぶりが窺えます。それで、その後の対応が全く一様であったということです。

 「ミツパ」とは、見張所、物見櫓という意味で、イスラエルの各所にその名で呼ばれるところがあります。ここに記されているのは、ベニヤミンの嗣業の地にある町のことでしょう(ヨシュア記18章26節)。ギブアで何があったのかを知ろうとして、皆がそこに集まって来たのです。

 レビ人がイスラエルの人々に事の次第を説明しますが(3節以下)、5節の説明は、19章22節以下に物語られている状況とは違うように思われます。彼らを襲ったのは「町のならず者」で「ギブアの首長たち」ではなかったし、「殺そうとし」たわけでもありません。そして「側女」はレビ人が彼らに差し出したものであることが説明されていません。

 その説明を聞いてすべての民が立ち上がり、イスラエルの中で行われた非道を制裁することに決し(8~10節)、ベニヤミンに対し、ギブアで犯行に及んだ者を引き渡すように求めます(12,13節)。ところが、ベニヤミンの人々は引渡しに応じないだけでなく、ギブアに集結して、イスラエルの人々と戦うために出て来たのです(13,14節)。

 そこで、イスラエルの部隊はベニヤミンに制裁を加えるため、主の託宣を受けようとベテルに上ります。「我々のうち誰が最初に上って行ってベニヤミンと戦うべきでしょうか」と尋ねると、「ユダが最初だ」という主の答えがありました(18節)。そこでギブアに攻め上りましたが、返り討ちに遭って2万2千人が打ち倒されました(21節)。

 しかし、態勢を立て直してもう一度主の前に出、「兄弟ベニヤミンと、再び戦いを交えねばなりませんか」と問うと、「彼らに向かって攻め上れ」という答えです(23節)。再び出陣しましたが(24節)、またも1万8千人の死者を出しました(25節)。主の託宣を求め、敵を圧倒する軍勢を送り込んでいるのに、4万もの犠牲者を出したのです。いったい、どうなっているのでしょうか。

 最初の問いに対する「ユダが最初だ」というのは、1章1,2節のカナン人に対する戦いのときと同じです。しかし、ここでは同胞のベニヤミン人との戦いです。それを主が望まれたのでしょうか。自分の目に正しいとすることを行って来たイスラエルの民に、主が御心を示されたというより、彼らが主に自分たちの願いを是認するよう求めて、主がそれを許容されたという流れではないでしょうか。

 思わぬ結果を受けてイスラエルの民のとった行動が、冒頭の言葉(26節)に記されています。彼らはベテルに上り、主の御前で泣きました。あまりにも多くの犠牲が出たからです。

 イスラエルの中に起こった事件で、その悪を取り除こうとしているのに、悪に悪が重なるように犠牲が増えていくという、耐えられない状況でした。親や伴侶、子どもが犠牲になったとすれば、どんなに悲しいことでしょうか。誰も笑ってなどいられなかったのです。

 そして、夕方まで断食しました。イスラエルの民がその日一日断食したのは、あまりの悲しみのために食事をするにならなかったというのが真相かもしれませんが、断食するのは、祈るためです。命を懸けて主と対話するという姿勢です。祈らずにおれなかったでしょう。

 それから、イスラエルの民は、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました。これまで、主に背いてその目に悪とされることを行って来た民が、同族同士の戦いで多くの犠牲を出し、主の前に出るほかはなかったのです。

 ベテルは、かつてイスラエルの父祖ヤコブが孤独な逃避行の中で神と出会った場所、そして、神の前に祭壇を築いた場所です(創世記28章、35章)。ベテルとは、「神の家」という意味です。荒れ野で神と出会った、ここにも神がおられたという信仰の表明です。

 士師記の時代には、ベテルに神の契約の箱が置かれ、祭司ピネハスが御前で仕えていたと記されていますが(28節)、イスラエルの人々は長らく、それぞれが自分の目に正しいと見えることを勝手に行っていて(17章6節)、神に祈り、御旨に聴き従うということをしていなかったから、ここでもう一度神と出会おうとしたということなのでしょう。

 それから、イスラエルの民はあらためて、出陣すべきか否かを主に尋ねました。すると主は「攻め上れ。明日、わたしは彼らをあなたの手に渡す」(28節)と告げられました。そして、その通り、ベニヤミンをうち負かすことが出来ました。

 ベニヤミンの打ち滅ぼされた兵が2万5千1百人に上ったということは(35節)、ギブアに馳せ参じた兵士が2万6千、ギブアの選りすぐりが7百、合わせて2万6千7百だったので(15節)、残りは1千6百という壊滅の状態です。その内、6百人は荒れ野のリモンの岩場に逃げて、4ヶ月そこに留まっていました(47節)。

 イスラエル人はベニヤミンの町の男たちから家畜まで、見つけ次第、残らず剣で撃ち、すべての町に火を放ちました(48節)。ベニヤミン族の全滅を図っていたわけです。これを勝利と呼ぶのでしょうか。主は、イスラエルの民の祈りに応えて、この勝利を賜ったというのでしょうか。

 むしろ、主の目に悪とされることを行い続け、自分の目に正しいとすることを行っていた彼らが、一人の女性が暴行されたことをきっかけに、全部族的内戦状態になって、6万5千人もの犠牲者を出したということ、それにより、12部族の内の一部族が消滅の危機に陥っているということです。

 イスラエルの人々が泣かなければならないのは、犠牲の大きさもさることながら、自分たちの主に対する罪、不従順がこのような結果を招いてしまったということではないでしょうか。そして、誰もその償いをすることは出来ないということです。

 そこに、泣く者と共に泣き、喜ぶ者と共に喜び給う主がおられ(ローマ書12章15節、ヨハネ福音書11章33~36節)、彼らがその涙をぬぐうときをお与えくださるのです(イザヤ書25章8節、エレミヤ書31章16節、黙示録21章4節)。

 主の御前に謙り、御言葉に日々耳を傾けましょう。聖霊の満たしと導きを願い求め、その力に与りましょう。御心をわきまえ、主の御業に励む者とならせていただきましょう。

 主よ、私たちに憐れみと祈りの霊を注いでください。真の悔い改めに導いてください。主の命に与り、清められ、癒され、救われ、平安になり、何より主との深く豊かな交わりに与るためです。御言葉と御霊の導きに喜びをもって素直に聴き従うことにより、御心がこの地になりますように。 アーメン



静岡教会公式サイト更新

静岡教会の公式サイトを更新しました。

①「礼拝説教」に2月25日主日礼拝の礼拝プログラムと説教動画(YouTube)を掲載しました。

②「今週の報告」を更新しました。

③「お知らせ」は随時更新しています。

④「今日の御言葉」は毎日更新しています。



御覧ください。



2月27日(火) 士師記19章

「イスラエルの人々がエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは決して起こらず、目にしたこともなかった。このことを心に留め、よく考えて語れ。」 士師記19章30節

 「エフライム山地の奥に一人のレビ人が滞在していた」(1節)とあります。エフライムには、シケム、ゲゼル、キブツァイム、ベト・ホロンというレビ人の町があると、ヨシュア記21章20~22節に記されています。「一人のレビ人が滞在していた」という表現は、理由は不明ですが、彼がレビ人の町を出て、エフライム山地の奥に、他のレビ人から離れて一人で生活していたということでしょう。

 そして、ユダのベツレヘムから一人の女性を側女として迎えたと記されます(1節)。レビ人は側女を持ってはならないというような律法はありませんが、神に仕えるために身を清めなければならない者として(民数記8章5節以下)、それはいかがなものでしょうか。

 ところが、その側女がレビ人のもとから逃げ出し、実家に帰ってしまいます。「側女はを裏切り」(2節)ということについて、岩波訳には「側女は夫を〔裏切って〕淫行に走り」と記されています。そして、「恐らくヤハウェ祭司である夫の立場を無視してバアルの祭儀に参加したことを示唆するもの」と注釈をつけています。

 なぜそのような行動に走ったのか、理由は記されていません。彼は、4ヶ月たって側女を迎えに出向きます(3節)。「その心に話しかけて」は、イザヤ書40章2節、ホセア書2章16節にも同様の言葉遣いがあり、それは、主なる神から離れていた者の帰還を促す愛情を示す表現です。

 義父はレビ人の訪問を喜び、彼が帰ろうとするのを何度も引き留めます(4節以下)。それは、婿との交わりを楽しんでいるというより、娘のことを案じてのことだったのではないかと思われます。一方、レビ人は直ぐにも家路につきたかったのでしょうが、再び側女が離れて行くようなことがないようにと、気を使っていたのでしょう。

 ようやく、5日目の夕暮れ近くに帰途につきました(9,10節)。同行の若者が、エルサレムで一泊してはどうかと勧めるのに(11節)、「異国人の町には入るまい」とレビ人は答え、ベニヤミン領のギブアまで足を伸ばすことにします(12節以下)。確かに、エルサレムは、ダビデが攻め落として「ダビデの町」とするまでは、エブス人の支配していたところでした(サムエル記下5章6節以下)。

  レビ人は、ギブアに宿をとることにしましたが、レビ族の中でも祭司となるアロンの子孫の住むギブオンやゲバ、アナトト、アルモンという町が、ベニヤミンの嗣業の地にはあります(ヨシュア記21章17,18節)。どうして、それらレビ人の町に向かわなかったのかは、不明です。

 そして、ギブアには、「彼らを家に迎えて留めてくれる者はいなかった」(15節)と記されています。仕方なく、彼らが広場で夜を過ごすようにしていると、一人の老人が畑仕事を終えて通りかかり、彼らに声をかけ(16,17節)、家に迎えてくれました(20,21節)。

 ところが、そこに事件が起こります。町のならず者が家を囲み、「お前の家に来た男を出せ」と要求します(22節)。「我々はその男を知りたい」というのは、男色をするということでしょう。主人はそれを思いとどまらせるつもりで、自分の処女の娘と、旅人の側女を出すという提案をしますが(24節)、彼らは聞く耳を貸そうとしません(25節)。

 これは、かつてソドムのロトの家に二人の御使いがやって来たときに起こった出来事に、よく似ています(創世記19章1節以下、5,9節)。 違いは、この時は老人の家に御使いがいなかったということです。

 そこで、レビ人が側女を押し出すと、彼らは一晩中もてあそびます(25節)。朝になって、解放された女がようやく老人の家までたどり着き、家の入り口に倒れています(26節)。26~28節は、女性の死を象徴的に物語っているようです。

 レビ人は、側女の遺体をロバに乗せてエフライムの家に帰り、それを12の部分に切り離して、イスラエル全土に送りつけます(28,29節)。冒頭の言葉(30節)は、それを見た人々の反応です。

 これは、神の選びの民イスラエルに本当にあったことなのでしょうか。旅人を慰み者にしようとするのは、当然、許されざることです。また、神に仕えるレビ人が、危機を逃れるために側女を町のならず者に差し出したことは、神の前に問題にならないでしょうか。

 そしてまた、レビ人が側女の遺体を12に切り離して、イスラエル全土に送りつけたというのには、どんな目的があったのでしょうか。これらのことについて、本当に「このことを心に留め、よく考えて語る」必要があります。

 ギブアの男たちの振る舞いの非道さを全土に知らしめているかのようですが、しかしながら、レビ人の行っていることも、およそ主に仕える祭司を補佐する宗教者としての立場に立っているとは到底思えません。いずれもが、「自分の目に正しいとすることを行っていた」(17章6節)のです。

 19章には、主なる神が語られた言葉がありません。また、主への祈りの言葉もありません。それが一番の問題でしょう。詩編119編9節に「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉通りに道を保つことです」(詩篇119編9節)と言われるとおり、主の御言葉を聞くことです。その導きに従うことです。レビ人、祭司たちがその務めを果たさなければなりません。

 今日、我が国でも、性をもてあそび、命を粗末に扱うような事件があとを絶ちません。キリスト教会に重い課題が委ねられています。世の光であり、地の塩であるキリストの教会が、御霊の力を受け、御言葉と祈りをもって、その責任を果たせるようになりたいと思います。

 主よ、私たちの国に、町に、御言葉の光を与えてください。皆の心が光で照らされ、希望、愛、喜びで命が輝きますように。キリストの教会が、その使命を果たすことが出来ますように。私たちに上からの知恵と力を授けてください。真理の御霊の助けが常に豊かにありますように。 アーメン

 

2月26日(月) 士師記18章

「その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。しかし、その町の元来の名はライシュであった。」 士師記18章29節

 1節に「ダンの部族は、住み着くための嗣業の地を探し求めていた。そのころまで、彼らにはイスラエル諸部族の中で嗣業の地が割り当てられていなかったからである」とあります。けれども、ヨシュア記19章40節以下には、ダン部族に与えられた嗣業の土地の領域が記されています。

 ヨシュア記と士師記の間に乗り越え難い断絶があるようですが、間をとって、ダン部族には、ヨシュアの時に割り当てられた領域があったけれども、そこは、国境を接する隣国ペリシテによって絶えず脅かされる場所であり、サムソンの時代には40年に亘って支配を受けていたので(13章1節、15章11節)、安住の地を探し求めていたということではないかと思われます。

 このことも、ペリシテによって圧迫される事態があったとはいうものの、主より受けた嗣業の地を離れて「それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」(17章6節)という言葉をまさに地で行く振る舞いということになります。

 それでダンの人々は、士師サムソン所縁のツォルア(13章2節)とエシュタオル出身の勇士5人を選び、相応しい地を探させます(2節)。彼らはエフライム山地のミカ(17章参照)の家の近くまで来て一夜を過ごし(2節)、レビ人の声がするのに気づいてその家に立ち寄り(3節)、彼が祭司の務めをしていることを知ると(4節)、旅の成否を彼に尋ねました(5節)。

 祭司は「安心して行かれるがよい。主はあなたたちのたどる旅路を見守っておられる」(6節)と答えました。そこで、5人は勇気づけられて、北方のライシュまで進みました。それは、ヘルモン山の麓、ヨルダン川の水源地フィリポ・カイサリアの側にあります。5人はそこをつぶさに調べ、仲間のところへ戻りました(7,8節)。

 そして、「彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた。あなたたちは黙っているが、ためらわずに出発し、あの土地を手に入れて来るべきだ。行けば、あなたたちは穏やかな民のところに行けよう。神があなたたちの手にお渡しになったのだから、その土地は大手を広げて待っている。そこは、この地上のものが何一つ欠けることのない所だ」(9,10節)と報告しました。

 そこで、ダンの人々はすぐに出発し、ユダとベニヤミンの相続地の境界線の町キルヤト・エアリム(「森の町」の意)の西に陣を敷きました。その地に宿営したという意味でしょう。そこが、「マハネ・ダン」(「ダンの陣営」の意)と呼ばれました(12節)。

 彼らは、そこからエフライム山地のミカの家まで進み、先の五人の者が家の中に入り、彫像、エフォド、テラフィム、鋳像を奪いました(17節)。祭司がそれを咎めると、彼らは「一個人の家の祭司であるより、イスラエルの一部族、氏族の祭司である方がよいのではありませんか」(19節)といって同行を求めました。すると、彼は快くそれに応じたのです(20,21節)。 

 レビ人のすべてが祭司となれるわけではありません。アロンの子孫だけが祭司となるのです(出エジプト記28章1節)。彼は、30節によれば「モーセの孫でゲルショムの子であるヨナタンとその子孫」ですから、正統な祭司の家系ではないのですが、ユダのベツレヘムからやって来て(17章7節)ミカの家の祭司となり、今度は、イスラエルの12部族の一つ、ダンの祭司となるのです。

 祭司を連れ去られ、 彫像、鋳造を奪われたことを知ったミカが、家族を呼び集め、ダン部族を追いかけました(22節以下)。ところが、ダンの人々は、神々と祭司を奪ったことを詰問するミカに、「そんなたわごとを我々に聞かせるな」(25節)といって、彼を脅します。敵わないと見たミカは、すごすごと引き下がるほかありませんでした(26節)。

 やがて、ダン族の人々はライシュを襲って焼き払い、そこに住み着くために町を再建します(27,28節)。ライシュにいたのは「静かに、また、穏やかに安らかな日々を送っている」(7,27節)人々でした。それを暴力で奪い取ったのです。そして、冒頭の言葉(29節)の通り、町の名をダンと改めます。

 ヨシュア記19章47節に「ダンの人々は領地を奪われた後、北上し、レシェムを攻めてこれを占領し、剣をもって住民を撃ち、そこを手に入れて、そこに住んだ」とありますが、これが、同じ出来事を指しているといってよいのかも知れません。

 ダンの人々は、ミカの家から盗って来た例の彫像を安置し、同じくミカの家から連れてきたレビ人を祭司として、「その地の民が捕囚とされる日まで」(30節)そこで礼拝を行います。ダンの人々が礼拝をささげていた神は、彼らを敵の手から守ってはくれず、むしろ主なる神の怒りによって亡国の憂き目を見たわけです。

 前述の通り、ライシュはヨルダン川の水源地フィリポ・カイサリアの側にあるのですが、そこは、主イエスが弟子たちに、「あなたがたはわたしを何者だというのか」と尋ね、シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた場所です(マタイ16章13節以下)。

 因みに、ヨルダンとは「下る」という意味の「ヤーラド」という動詞と関連のある言葉です。おそらく「ダンから下る」ということで、ヨルダン(原語で「ヤルデーン」)と言われるのであろうと思われます。 

 フィリポ・カイサリアについて、水源地にはパン神が祀られていて、もともとパネアスと呼ばれていました。紀元前193年にシリアのアンティオコスⅢがエジプト軍を破った場所として、初めて文献にその名が登場します。紀元前20年にアウグストゥスがヘロデ大王にこの地を下賜し、ヘロデは皇帝の像を安置した神殿を建てて皇帝に敬意を表わしました。

 後にヘロデ大王の子ヘロデ・フィリポが町の名をカイサリアと改め、父が地中海沿岸に設立したカイサリアと区別するため、自分の名を加えてフィリポ・カイサリアとしたのです。その後、ネロ皇帝の名を冠してネロニアスと呼ばれたこともありますが、現在は、もとのパネアスに戻っています。

 主イエスとシモン・ペトロのやりとりは、かつてダン部族によって彫像が安置され、パン神が祀られるところとなり、後にローマ皇帝の神殿が建てられたこの地で、誰を礼拝するのか、誰を主と呼ぶのかということを、確認したわけです。

  また、主イエスを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになると言われたように(ヨハネ7章38節)、ヨルダン川水源地でのペトロの信仰告白は、この信仰が聖霊によってイスラエル全地に広められることを示しているとも言えるでしょう。

 それは、ダン部族のむさぼりと偶像を礼拝した罪が全イスラエルを汚染し、それゆえ主を怒らせて、アッシリア、バビロンを始め、エジプト、ペルシア、ギリシア、シリア、そしてローマによる支配に苦しめられて来ましたが、主イエスを信じる信仰が、それを清めたというかたちでもあります。

 「神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(第一ヨハネ書1章7節)。主イエスに対する信仰を言い表し、主の恵みの光のうちを歩ませていただきましょう。 

 主よ、人は自分の知恵や行動で救いを獲得することは出来ませんでした。聖書がいうとおり、人々は腐敗して忌むべき行いをし、善を行う者はいないのです。けれども、主はなおもこの世を愛され、私たちのために御子イエスをお遣わしくださり、主を信じる者に永遠の命を与え、神の子となる資格をお授けになりました。ただ感謝するほかありません。御名が崇められますように。 アーメン

 


2月25日(日) 士師記17章

「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。」 士師記17章6節

 17章、18章の物語は、「エフライムの山地に名をミカという男がいて」という書き出しで始まります(1節)。「士師記」の中にある物語ですが、17章以降に、士師は登場して来ません。ミカは母親に「銀千百シェケルが奪われたとき、あなたは呪い、そのことをわたしにも話してくれました。その銀はわたしが持っています。実はわたしが奪ったのです」(2節)と告げました。

 10節で、ミカがレビ人と、年に銀十シェケル、衣服ひとそろい、および食糧で祭司として雇うという契約を結んでいます。それを見ると、銀千百シェケルがいかに大金であるかが分かります。母親が盗人を呪ったのも当然です。

 ただ、レビ人の年棒の110倍という大金を盗まれても、その後の生活に特に支障を来し、困窮したということでもなさそうですから、ミカの家は相当の資産家だったということでしょう。

 ミカが自分の罪を告白したとき、大金を盗んだのが自分の息子だったと知った母親は、その罪を咎めもせず、「わたしの息子に主の祝福がありますように」(2節)と言います。自分のかけた呪いが息子に及ぶことがないようにという親心でしょうか。

 息子が金を母親に返すと、「息子のために彫像と鋳造を造っていただこうとして、この銀はこの手で聖別し、主におささげしたものです」(3節)と言い、二百シェケルを取って彫像と鋳像を造らせます(4節)。息子を祝福してくれる神の像を、彫像と鋳像で造ったということです。

 ただ、千百シェケルは、そのために聖別していたものだと言いながら、実際には二百シェケルでその像を造らせたというのですから、この母親の言動は、神を愚弄しているというか、とても滑稽です。

 主なる神が十戒に於いて「あなたはいかなる像も造ってはならない」(出エジプト記20章4節)、「あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(同5節)と命じておられます。申命記27章15節には「職人の手に業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、密かに安置する者は呪われる」と規定されています。

 また、ナホム書1章14節でも「お前の名を継ぐ子孫は、もはや与えられない。わたしは、お前の神の宮から、彫像と鋳像を断ち、辱められたお前のために墓を掘る」と断じられています。つまり、息子を祝福するつもりで造らせた彫像と鋳像は、実際には、息子の呪いとなるのです。

 また、ミカは神殿を持ち、エフォドとテラフィムを造ってそれを神殿に安置し、息子の一人を祭司としていました(5節)。「手を満たす」は任命するという慣用句です(レビ記8章33節、16章32節参照)。そこに、母親が造らせた彫像と鋳像も置かれました。18章14節は、そのことを示しています。

 神の御心を尋ね、幸いを得ようとしてミカがエフォドとテラフィムを造り、さらに息子のためにとミカの母親が彫像と鋳像まで造って置かせたのです。それは、当然ながら主を喜ばせる礼拝ではあり得ません。

 「(わたしは・・こう告げた。・・)あなたたちもこの地の住民と契約を結んではならない、住民の祭壇は取り壊さなければならない、と。しかしあなたたちは、わたしの声に聞き従わなかった」(2章1,2節)という主の御使いの言葉が、ここでも妥当しています。サムソン以後、士師が立てられず、イスラエルの状況はますます悪化していると言わざるを得ません。

 息子を祭司としたことについて、出エジプト記28章1節によれば、神が祭司として立てたのは、アロンとその子らであり、民数記3章10節には、「アロンとその子らを監督して、その祭司職を厳守させなさい。ほかの者がその務めをしようとするならば死刑に処せられる」と規定されています。

 後で、ユダのベツレヘムの町から来たレビ人が祭司として雇われることになりますから(7節以下、12節)、ミカ自身、息子を祭司とするのはよいことではないだと思っていたわけでしょう。

 10節で祭司として雇うレビ人の若者に「わたしの家に住んで、父となり、祭司となってください」と頼んでいますが、ミカは祭司とした息子に対しても、同様に「父」として、また「祭司」として敬意を払っていたとは考えられません。

 「ミカ」というのは、「誰がヤハウェのようなものであるか」(ミカーイェフー)という名前です。それは、ヤハウェのような神はどこにもいない、誰もヤハウェに並びうる者はないという信仰を表明しているものです。けれども、ここには、主に対する畏れも、主の御言葉に従おうとする信仰も、全く見出されません。

 冒頭の言葉(6節)は、相応しい指導者が不在で「自分の目に正しいとすることをする」ということですが、それは14章3節で「彼女が好きです」と訳されている言葉と同様の言葉遣いですから、自分の思いどおりにするということを示しています。そこに、すべての問題の根源があるのです。

 このことが後に、ほかのすべての国々と同様、指導者として王を立ててほしいという要求になっていくのですが(サムエル記上8章5節)、それもここに言う「自分の目に正しいことをする」ということでした。主はそれを喜んでおられなかったからです(同8章7節)。

 私たちの内から、神の御旨に相応しくないものをとりのぞき、「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6章33節)と言われた主イエスの御言葉に日々聴き従いましょう。

 主よ、日々、御言葉をお与えくださり、有り難うございます。私たちは、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる者だからです。開かれた耳を持ち、絶えず御言葉に聞き従う者とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン

 

2月25日(日)主日礼拝説教

2月25日(日)の主日礼拝に、教会員13名、来賓7名がお見えになりました。
感謝です。

主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教 「神の国を宣べ伝え」
聖書 ルカ福音書9章1~9節
説教者 原田攝生 日本バプテスト静岡キリスト教会牧師

ぜひ御覧ください。




 

2月25日(日)主日礼拝案内

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2月25日(日)は、教会学校小学科、少年少女科(中学生~18歳)を9時半から、成人科(18歳以上)を9時45分から行います。
「聖書教育」誌にもとづいて、新約聖書・マルコ福音書から、共に聖書の学びと交わりを行います。

主日礼拝を10時半から行います。
礼拝では、ルカ福音書9章1~9節より「神の国を宣べ伝え」と題して、原田牧師の説教を頂きます。


キリスト教の集会は初めてという方もお気軽にご参加ください。

写真をクリックすると静岡教会公式サイトの礼拝説教の頁が開きます。
そこで、当日の礼拝プログラムを見ることができます。


教会学校、主日礼拝を通して、皆様に主の恵み、導きが豊かに広がりますように。

 
礼拝後、信徒会を行います。







2月24日(土) 士師記16章

「わたしの神なる主よ、わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」 士師記16章28節

 1節に「サムソンはガザに行き、一人の遊女がいるのを見て、彼女のもとに入った」とあります。ガザは、ペリシテ南部の町で、ツォルアからは勿論、ユダの地のエタムからでも、かなりの距離があります。サムソンがそこまで遊びに行けたということは、ペリシテの人々が彼を恐れて、その行動を妨げることが出来なかったということでしょうか。

 ガザの町の人々が門のところで彼を待ち伏せして殺してしまおうと一晩中見張っていたところ、夜中に目を覚ましたサムソンは、町の門の扉と両脇の門柱を掴んで引き抜き、肩に担いでヘブロンを望む山の上に運び上げました(3節)。その恐るべき怪力に、待ち伏せしていた町の人々は、手を出すことが出来ませんでした。

 その後サムソンは、ツォルアの近くのソレクの谷にいるデリラという女性を愛するようになります(4節)。ソレクの谷は、エルサレムの西南西約20㎞から始まり、ヤッファの南で地中海にそそぐワーディ・エ・サラールと同定されています。ワーディとは、降雨の時だけ水が流れる、涸れた川のことです。通常は、地中海とユダの山地を結ぶ要路になっていて、それに沿って、ベト・シェメシュ、ティムナ、ツォルアなどの町々があります。

 ペリシテの領主たちがデリラのところにやって来て、サムソンの力の源がどこにあり、どうすればサムソンを縛り上げ、苦しめることが出来るのか、その秘密を探り出すよう依頼します。ということは、デリラはペリシテの女性だったと考えられます。

 その際、ペリシテの領主たちがそれぞれ銀1100枚ずつ与えると約束しています(5節)。ヨシュア記13章3節に、「五人のペリシテ人の領主の治めるガザ、アシュドド、アシュケロン、ガト、エクロン」とあることから、5人の領主が揃ってやって来たと考えると、銀1100枚ずつ、計5500枚を与える約束をしたことになります。

 銀1100枚は、エフライムのミカという人物が母親から盗んだという金額と同額であり(17章2節)、また、ミカが雇ったレビ人の年棒が十シェケルであったこと(同10節)を考えると、銀5500シェケルは驚くべき高額です。それほどの報酬を用意したということは、サムソンの人間離れした怪力に本当に手を焼いていたということが覗えます。

 高報酬に目がくらんだのか、デリラは早速サムソンに力の秘密を教えるように、迫ります(6節)。サムソンはしばらく適当にあしらっていました。けれども、しつこく迫るデリラの攻勢に耐えきれず(15,16節)、生まれながらのナジル人で、髪を剃られたら力が抜けてしまうということを打ち明けてしまいます(17節)。

 愛する女性に秘密を持ち続けられなかったわけです。このことは、愛したゆえに秘密を明かしてしまう危険性について、サムソンがティムナの女性との経験(14章14~20節)から何も学べていなかったことを示しています。

 秘密を知ったデリラは、ペリシテの領主に使いを出し(18節)、サムソンが眠ったところで髪の毛を剃らせました(19節)。聖別のしるしを失ったサムソンは、主が彼から離れられたので、力を失ってしまいました(20節)。

 デリラとは、「だれる、元気がなくなる、衰える」という意味の「ダーラル」という動詞と関係の深い名前です。名は体を表すというごとく、サムソンはデリラと関わって、その力が衰えてしまったのです。

 ペリシテ人らはサムソンを捕らえ、目をえぐり出してガザに連れ下り、青銅の足枷をはめて牢屋で粉をひかせます(21節)。そのとき、サムソンは何を思っていたでしょうか。それは何より、髪を剃られて聖別のしるしを失ったこと、それゆえ、士師としてペリシテからイスラエルを守るために戦う力を失ってしまったことを、深く後悔していたことでしょう。

 「しかし、彼の髪の毛はそられた後、また伸び始めていた」と、22節に記されています。それは、人間としての普通の現象ですが、あらためてそのように告げられているのは、母の胎にいるときから神に献げられたナジル人として、縛られているゆえにぶどう酒も濃い酒も飲まず、頭にカミソリを当てない献身のしるしがその髪に示されているわけです(民数記6章2~8節参照)。

 それは、サムソン自身というよりも、母親の献身のゆえであり(13章3~5節)、選びの民イスラエルが異邦人に抑圧されているのを見過ごしに出来ない主の深い憐れみのゆえでしょう。

 ペリシテの領主たちは、宿敵サムソンを捕らえることが出来たとして、神ダゴンに盛大な生け贄を献げ、祭りを行っていました(23節)。宴会が進み、彼らは上機嫌でサムソンを引き出し、見世物にして楽しもうということになります(25節)。国を荒らし、多くの同胞を殺した敵を渡してくれたダゴンの神をたたえ(24節)、サムソンの惨めな姿を笑いものにして、留飲を下げるわけです。

 一方、異教の神が礼拝される中、そこに引き出されたサムソンは、主なる神に祈りを捧げます。それが冒頭の言葉(28節)です。サムソンが主に祈ったというのは、これが二度目ですが(15章18節)、ナジル人ながら神の使命のためではなく、「今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください」というのです。

 サムソンは今、主の助けがなければ何も出来ない自分であることを、いやというほど思い知らされています。愚かにも聖別のしるしをそられて、主が離れられ、力が抜けてしまいました。女性の裏切りから何も学ばないサムソンは、自分の使命にも無関心で、最後まで自己中心的です。

 「復讐のため」という祈りの言葉に問題を感じないわけではありませんが、しかし、主はサムソンの祈りを聞かれました。「ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう」(13章5節)という御使いの言葉どおり、サムソンの最後の働きをイスラエルの救助の始まりとして、主が用いられるのです。

 建物を支えている柱にもたれかかり(29節)、力を込めて押したところ、建物は崩れ落ち、ペリシテの領主たちだけでなく、サムソンも含めてその建物の中にいたすべての人が死にました(30節)。サムソンは、それでペリシテのイスラエル支配が終焉を迎えたわけではありませんが、その死をもって大打撃を与えることが出来ました。

 この働きが、サムエルに引き継がれ、ダビデによって完成を見ることになります。となると、サムソンが最後にペリシテに打撃を与えることが出来たのは、彼の復讐心という手を利用してそれをなさしめた主の御心、サムソンを用い、その祈りを聞かれた主の憐れみがあればこそということです。

 私たちの主イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、人々に捕らえられ、嘲られ、罵られ、十字架に死なれました。その死によってすべての人々の罪を赦し、永遠の命に与る救いの道を開かれました。私たちは、信仰により、恵みによって救われたのです(エフェソ書2章1節以下、8節)。 その恵みに感謝しつつ、主の愛の証し人としての使命を全うさせて頂きましょう。

 主よ、私たちも弱さ、愚かさをもっています。何度もあなたを悲しませて来ました。あなたの憐れみにより、今、ここにいます。どうか私たちの祈りに耳を傾け、御霊の力をお授けください。互いに赦し、愛し合う愛を授けてください。あなたの慈しみ深さを証しすることが出来ますように。 アーメン

 

竜爪山9条の会11周年記念講演会

032月24日(土)午後1時半より、瀬名公民館で竜爪山9条の会11周年のつどいが開かれました。

今回は、記念講演の講師として、菅官房長官記者会見で注目されるようになった東京新聞の記者・望月衣塑子さんがおいでになりました。

演題は「安倍改憲とマスメディアの責任」です。

とても興味があり、特に、安倍政権による改憲が現実的になって来ているので、参加してきました。







 







10これが、会場となった瀬名公民館です。
竜爪山9条の会は、11年前、ここで産声を上げ、ここ静岡で善い働きを続けています。













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講演の音声をYouTubeにアップしました。
少々長いですが、ぜひ聴いてみてください。


立憲主義、平和主義を守る戦いを、地道に続け、広げていきたいと思います。


2月23日(金) 士師記15章

「神はレヒのくぼんだ地を裂き、そこから水が湧き出るようにされた。彼はその水を飲んで元気を取り戻し、生き返った。それゆえ、その泉はエン・ハコレ(祈る者の泉)と呼ばれ、今日もレヒにある。」 士師記15章19節

 サムソンが、子山羊を携えてティムナに妻の家を訪ねると(1節)、義父は14章12節以下の謎かけの一件により、娘はサムソンに嫌われてしまったと考えて、サムソンの友人に嫁がせたと言います(2節、14章20節)。「嫌った」は、申命記22章13,16節との関連で、「離縁された」と考えたということです。

 それに腹を立てたサムソンは、この件で「ペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない」と語り(3節)、300匹のジャッカルを捕らえて、結び合わせた尾の真ん中に松明を取り付けて火をつけ、刈り取った麦束や麦畑、ブドウ畑にオリーブの木まで、皆燃やしてしまいました(4,5節)。

 サムソンの犯行と知ったペリシテ人は、腹いせにサムソンの妻の父の家に火を放ち、妻とその父親を焼き殺してしまいます(6節)。それを知ったサムソンは、今度はそれを口実に、報復と称してペリシテ人を徹底的に打ちのめしました(7,8節)。

 そこで、ペリシテ人がユダに上って来て、レヒに向かって陣を敷きます(9節)。それは、サムソンを縛り上げて、仕返しをするためでした(10節)。ペリシテ軍の展開に驚いたユダの人々がサムソンに質すと、彼らがしたようにしただけとサムソンは答えます(11節)。これではラチがあきません。双方とも、相手が悪いと言うからです。

 ユダの人々はサムソンを縛ってペリシテに渡すと言い(12節)、危害が加えられないことを条件に、サムソンは縄につきます(13節)。ペリシテ人は、縛られているサムソンを見て、「歓声をあげて彼を迎え」(14節)ます。ここで、「歓声」(ルーア)というのは、戦い開始の鬨の声という意味です。つまり、勝利を確信した雄叫びだったわけです。

 ところが、そのとき神がサムソンに助勢し、主の霊が彼の上に激しく降ります。すると、縛っていた縄が簡単に千切れてしまいます(14節)。サムソンは、落ちていたロバのあご骨で、千人を撃ち殺します(15節)。

 「あご骨」のことを、ヘブライ語で「レヒ」と言います。それで、その場所が「レヒ」と呼ばれるようになったということです(17節)。主の霊の力が加えられれば、ロバのあご骨でも、主によって用いられる道具、主の器となるのです。

 その後、喉の渇きを覚えたサムソンは主なる神に祈ります。まず、「あなたはこの大いなる勝利を、この僕の手によってお与えになりました」と言います。自分の手で戦ったので、ペリシテに打ち勝ったということです。

 ただ、サムソンは「大いなる勝利」と言っていますが、それがペリシテのイスラエル支配を終わらせることになってはいません。それは、この戦いが主によって、主のためになされたものではなく、「我々(ペリシテ人)に対する仕打ちのお返し」(10節)として引き起こされ、それをサムソンが返り討ちにしただけのことだったからです。

 それに続いて、「しかし今、わたしは喉が渇いて死にそうです」(18節)と訴えます。死んでしまっては、もはや、勝利をもたらしたこの手で働くことが出来なくなると、少々恩着せがましく願っているです。

 それに対して主は冒頭の言葉(19節)の通り、サムソンの願いを聞き入れて、そこに水の湧き出る泉を設けられました。サムソンはその水を飲んで、「元気を取り戻し、生き返った」と言われます。ここで、「元気を取り戻し」というのは、「彼の霊(息)が戻った」(ターシャーブ・ルーホー)、生き返ったという言葉遣いです。

 文字通り、泉の水を飲んで一息ついたということでしょう。先には、御霊が降って力づけられたサムソンですが、今度は、命の水でリバイブしたのです。

 そうしてサムソンは、「20年間、士師としてイスラエルを裁いた」(20節)と言われますが。特にそれは、40年にわたってペリシテに苦しめられていたイスラエルを、彼らの手から救い出し、主に立ち帰らせる働きではありませんでした。自分一人をさえ、守り支えることが出来なかったのです。

 主イエスが「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4章14節)と言われました。この水は御言葉を象徴しており、それを飲むとは、信じるということを表しています。

 さらに、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(ヨハネ7章37,38節)と語られます。それは、信じる人々に与えられる御霊のことと説明されます(同39節)。

 絶えず、御言葉の恵みに与り、生き生きとした信仰生活を歩ませていただきましょう。御霊の力を受けて、主イエスの証し人としての使命を全うさせていただきましょう。

 主よ、あなたはご自分の選びの器として、敢えて無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれます。それは、有力な者、知恵ある者、家柄のよい者に恥をかかせ、だれ一人、神の御前で誇ることがないようにするためでした。主よ、あなたに呼ばわります。助けを求めます。御言葉を与えてください。御霊に満たして用いてください。求める者に、聖霊をお与えくださるという約束の成就を信じて、感謝します。 アーメン

 

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