「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」 ヤコブの手紙1章21節
ヤコブの手紙の著者は、ゼベダイの子ヤコブではなく、主イエスの弟、肉親のヤコブであると考えられています。主の兄弟ヤコブは、主イエスの生前にはクリスチャンではありませんでした。彼が信仰に入ったのは、復活された主イエスに会ったからでしょう(第一コリント書15章7節)。後に、ゼベダイの子ヤコブが殉教した後、選ばれて教会の使徒となりました(使徒言行録12章2,17節)。
ただ、この手紙は豊かな語彙を持つギリシア語の文体を持っていることから、パレスティナを一歩も出たことがない主の兄弟ヤコブのものとするのは難しいというのが大方の見方で、恐らく日常的にギリシア語を使うパレスティナ外に住むユダヤ人キリスト者の作であろうと考えられます。
本書は、パウロの信仰義認の考え方を誤解し、信仰による行いが軽んじられ始めた時代に、これを批判するために書かれたと考えられることから、1世紀末から二世紀初め頃に執筆されたと思われます。執筆場所はパレスティナないしその周辺でしょう。
この手紙は、最初(1章)と最後(5章)に「試練(誘惑)と忍耐」についての教えがあり、これがこの手紙の大きなテーマであることが分かります。
12節に「試練を耐え忍ぶ人は幸いです」と記されていますが、この忍耐というのは、じっと我慢の子でいるという感じではありません。13節に「誘惑」という言葉が出てきますが、12節の「試練」と同じ言葉です。そして、神は人を誘惑されない(13節)、人を誘惑するのは、その人自身の欲望である(14節)、欲望が罪を行わせ、そして死に至らせる(15節)と言われています。
それに対して、神は良いものをくださる(17節)、私たちクリスチャンは真理の言葉によって新しく生まれた者だ(18節)と言われています。つまり、おのが欲に引かれて罪を犯す誘惑に陥り、死に至るのではなく、神の真理の御言葉によって試練に打ち勝ち、約束されている命の冠をいただきなさいというわけです。
19節で「聞くに早く、話すに遅く」というのは、昔からよくある格言です。箴言19章16節でも「口数が多ければ罪は避け得ない、唇を制すれば成功する」と言われています。
人はどうも、自分の言いたいことだけ言って、他人の言うことは聞かないという傾向を持っているようです。話す前によく聞きなさい。相手の話をよく聞き、理解しなければ、よい交わりは出来ないということですね。
人はどうも、自分の言いたいことだけ言って、他人の言うことは聞かないという傾向を持っているようです。話す前によく聞きなさい。相手の話をよく聞き、理解しなければ、よい交わりは出来ないということですね。
ヤコブはこの格言に、「怒るのに遅いようにしなさい」を付け加えました。そして、「人の怒りは神の義を実現しないからです」(20節)と説明しています。ここで「神の義」は「救い」と言い換えてもよいでしょう。人の怒りが神の救いをもたらすことなど、あり得ません。
ヤコブが「聞くにの早く、話すにの遅く」の格言に「怒るのに遅いように」を付け加えたのは、相手の話をよく聞き、よい交わりを築くことを妨げる最大の要因が、「人の怒り」であると考えているからではないでしょうか。「怒り」はヤコブにとって、冒頭の言葉(21節)で言うとおり「あらゆる汚れやあふれるほどの悪」の現われなのです。
ヤコブは、怒りによって耳をふさがず、相手との交わりを喜ぶ心を開くために、その悪、つまり「怒り」を素直に捨て去り、そして、「心に植えつけられた御言葉を受け入れなさい」(21節)と教えています。「捨て去れ」とは「脱ぎ捨てなさい」(アポティセーミ)という言葉です。
「素直に」を、新共同訳は怒りを捨てることと関連させていますが、口語訳は御言葉と関連させて「素直に受け入れなさい」と訳しています。「素直」とは「柔和」(プラウテース)という言葉です。つまり、「怒り」ではなく「柔和」が心を占領するようにせよと解釈することが出来ます。
相手の話に耳を傾けるには、柔和な心が必要だと言っているわけです。そして、心を柔和にするためには、「心に植えつけられた御言葉を受け入れる」ことです。
主の兄弟ヤコブは、兄イエスの気が変になったということで、取り押さえに行ったことがあります(マルコ福音書3章21,31節以下)。しかし、そのヤコブが主イエスを信じて新しくされたのです。ヤコブを生まれ変わらせた主イエスの福音は、それを受け入れるすべての人に神の義を実現し、魂を救うことが出来ます。
自分が話し、また怒る前に、救いと愛を説いて実践された主イエスの御言葉をまず聞きなさい、それがあなたを、怒りに心奪われることなく、あらゆる悪からあなたを解放し、柔和を身に着けて、何を語るべきかを教え、よい交わり、よい人間関係を築くことが出来ると説いているのです。
朝毎に主の御前に進みましょう。御言葉に耳を傾けましょう。そして、御言葉を行う人になりましょう(22節)。聞くだけで行わない者は、忘れてしまいます(24節)。知恵に欠けた者となるのです(5節)。それは、聞いていないのと同じことなのです。
朝毎に主の御前に進みましょう。御言葉に耳を傾けましょう。そして、御言葉を行う人になりましょう(22節)。聞くだけで行わない者は、忘れてしまいます(24節)。知恵に欠けた者となるのです(5節)。それは、聞いていないのと同じことなのです。
主よ、世の中には様々な悲しみ、怒りがあります。それによって感情が害され、よい関係が損なわれてしまいます。まず、あなたの御言葉に耳を傾けることが出来ますように。心が主にある平安な喜びで満たされますように。その恵みを隣人と分かち合う知恵と力を授けてください。 アーメン