風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2017年01月

1月31日(火) 使徒言行録9章

「サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。」 使徒言行録9章4節

 新共同訳聖書には、9章1節以下の段落に「サウロの回心」という小見出しがつけられています。しかし、ここに記されているのは、サウロの回心というよりも、サウロの召命、神による選びというのが、正確な表現ではないかと思われます。

 サウロは、エルサレム教会を荒らしただけでは収まらず、さらに外国にまでその手を伸ばします。そのために、大祭司に許可を求め、ダマスコにあるユダヤ教の諸会堂あての紹介状を受け取ります(1,2節)。サウロの内側に、悪いことをしているという感情は全く見られません。むしろ、律法に背き、神を冒涜しているキリスト教徒を迫害することこそ、神に喜ばれることと信じて、邁進しています。

 ところが、ダマスコに近づいたとき、天からの光に打たれ、地に倒れました(3節)。そして、声を聞きます。それが冒頭の「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(4節)という言葉でした。サウロは声の主に向かい、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねました(5節)。サウロは、声の主が「主」、すなわち神のような存在であることを認識していることが分かります。

 サウロは、神に熱心に仕えていると考えていました。ところが、声の主、サウロが「主」と認識した神のようなお方は、「なぜ、わたしを迫害するのか」と語られます。サウロは、それまでの確信が崩されてしまいました。それで、「あなたはどなたですか」と尋ねるのです。

 声の主は、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えました。サウロは、主イエスにお会いしたことがあるのでしょうか。ただ、主イエスを実際に迫害したという事実はないと思います。しかし、サウロはこの声に反発していません。主イエスに、「あなたを迫害したことはありません」とは言いません。

 サウロは、正確にこの言葉を理解しました。サウロは、主イエスの福音を宣べ伝える信徒たちを、神を冒涜する者たちと断罪し、教会を根絶やしにするため、熱心に働いてきました。もし主イエスが生きておられたら、彼は真っ先に主イエスを亡き者にしようとしたに違いありません。まさに、主イエスの弟子たちにしたことは、主イエスに対してしたことなのです。

 主イエスは、マタイ福音書25章40節で「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言われました。有力な信徒たちに対する行為がそのように評価されたのではありません。特にだれも顧みることがなさそうな、名前すらおぼえてもらえない、そんな「最も小さい者の一人」を「わたしの兄弟」とよび、その人にしたことをご自分にされたことと評価してくださるのです。

 「最も小さい一人」とは、私たちすべての者のことでしょう。だれもが主イエスに「わたしの兄弟」と呼ばれ、私たちが受ける悲しみも喜びも、ご自分になされたことと受け止めてくださっているのです。私たちは断じて、主イエスから見捨てられはしません。主イエスは私たちのことをご自分のこととして、その心と体で受け止めておられるのです。

 その主イエスの愛と憐れみが、迫害者サウロを捉えました。主イエスは、「私をよくも苦しめてくれたな、決して容赦はしないぞ」などと語られたのではありません。「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と告げられます(6節)。

 すなわち、自分の意気込みや大祭司たちの命令などではなく、主イエスによって、新しい使命に生きる者とされるということです。そこに赦しがあり、愛があります。サウロはこの赦しと愛を受けて、新しく生まれ変わるのです。

 サウロはその時、目が見えなくなっていて、人に手を引かれてダマスコに行きました(8節)。そして、「サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」(9節)と言われます。目が見えなくなっている中、三日間飲食を断って、サウロは何をしていたのでしょうか。

 それは、祈りです。11節に、「ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を尋ねよ。今、彼は祈っている」と記されています。サウロは、「あなたのなすべきことが知らされる」(6節)と言われて、飲食を断って祈りながら、それまでの自分の振る舞いを悔い改め、主なる神が示される「なすべきこと」のために祈り備えていたわけです。

 サウロのところに遣わされて来たアナニアが、サウロの上に手を置いて祈ると(17節)、「たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるように」(18節)なりました。「目からうろこ」という諺は、ここから出たものです。

 ファリサイ派の一員として教会を迫害するのは、神への熱心を示すものという、いわば身を飾る「うろこ」のようなものでしたが、それが、彼の目を見えなくしていました。その「うろこ」が取り去られたとき、サウロは自分のなすべきことがはっきりと見えたのです。そこで、「食事をして元気を取り戻し」(19節)ました。そして、「すぐあちこちの会堂で、『この人こそ神の子である』と、イエスのことを宣べ伝えた」(20節)のです。

 教会の迫害者であったサウロが、主イエスの福音を宣べ伝える伝道者となりました。まさに、コペルニクス的転回です。それは、サウロを赦し、愛された主なる神の深い憐れみがあればこそです。

 このように迫害者サウロをさえ心にかけ、愛された主は、私たちをも赦し、深い愛と憐れみをもって救いに導いてくださいました。私たちのなすべきことがはっきり分かるために、主の御言葉に耳を傾けましょう。聖霊の導きを求めて祈りましょう。

 主よ、サウロの召命にあなたの慈しみを示されます。迫害者サウロが救われたのは、すべての者が救われるというしるしです。私たちが救われたのも、主のご計画に従って、なすべき務めがあるからです。それがどのようなものであるのか、御言葉と聖霊の導きにより、はっきりと知ることができますように。そうして、御心がこの地になるため、私たちを用いてください。 アーメン




1月30日(月) 使徒言行録8章

「しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女もバプテスマを受けた。」 使徒言行録8章12節

 ステファノが殉教したその日、エルサレム教会に対して大迫害が起こりました(1節)。サウロがその先頭に立ち、「家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に」(3節)送りました。

 当時の教会は、独自の集会所を持たず、有力な信徒の家を集会所としていたと思われます。サウロは、その家に押し入って、エルサレム教会を根絶やしにする勢いで、クリスチャンたちを根こそぎ牢に入れたのです。「男女を問わず」というところに、その徹底振りが示されていますが、あるいは、教会の大切な働きが女性によって担われていることを、迫害者たちが知っていたからとも考えられます。

 そのため、使徒たちを除き、6人の執事たちをはじめ多くのクリスチャンは、ユダヤとサマリアの地方に散らされました(1節)。しかしそれは、逃避行というよりも、福音をイスラエル全地に宣べ伝える伝道旅行の様相を呈しています。ここに、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(1章8節)という約束が実現しました。

 万事がプラスになるように共に働かれる神は、御言葉の約束を実現するために、迫害をさえお用いになられるのです。ということは、迫害の先頭に立っていたサウロは、知らないうちに神に用いられていたわけです。

 執事の一人フィリポは、サマリアの町に下り、人々にキリストを宣べ伝えました(5節)。「群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った」(6節)と記されています。フィリポの活躍がユダヤの人々とは疎遠のサマリアにまで伝わっていたということは、どれほど目覚しいものであったのかと想像させられます。

 かつて、主イエスがサマリアにあるシカルの町の井戸辺で一人の女性と出会い、それによってサマリアの多くの人々が主イエスを信じるようになりました(ヨハネ福音書4章参照)。それが再現されたような出来事が起こったのです。それは、先に述べた御言葉を実現しようとされる聖霊なる神の御業があったということでしょう。

 フィリポの伝道により、その町の有力な人物が主イエスを信じるようになりました。それは、魔術師シモンと呼ばれる人物です。彼はその魔術で人々を驚かせ、偉大な人物と自称していました(9節)。そして、町の人々はその魔術を「神の力」(10節)と言って注目していたのです。

 ところが、冒頭の言葉(12節)のとおり、「フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女もバプテスマを受け」ました。シモン自身も信じてバプテスマを受けたのです(13節)。

 シモンは、魔術を自分を偉大に見せるために行いました。けれども、フィリポはしるしと奇跡を見世物にして、自分を偉大に見せようとしたのではありません。そのような力がフィリポにあったということでもないでしょう。フィリポは、「神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせ」(12節)たのです。

 すると、「すばらしいしるしと奇跡」(13節)が現われました。即ち、フィリポが福音を告げ知らせているところに、「神の国」つまり神の御支配と、「イエス・キリストの名」の力が示されたのです(3章6,16節、4章9~12節参照)。福音が宣べ伝えられ、それが信じ受け止められるところに神の国が訪れ、主イエスの御名の権威が現されるということです。

 マルコ福音書16章20節に、「弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」と言われていて、フィリポの宣教に伴って、しるしと奇跡が現れ、サマリアの人々が信仰に入ったことを、そのように言い表しているかのようです。

 主イエスが、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ福音書6章33節)と言われました。神の国も神の義も、神のご支配について示すものと言えます。そこで、私たちの心とからだ、そして私たちの生活を、神が愛と義をもってご支配くださり、私たちの福音宣教を通して、神の国と主の御名の力、権威がそこに現されるように、祈り求めましょう。

 主よ、霊と知恵に満ちたフィリポは、ステファノ殉教と教会の大迫害という逆風の中で、大胆に福音を告げ知らせて行きました。彼の人生が、神の国とキリストの御名の力に支配されていたからです。ただひたすら、御言葉に従い、御霊の導きに従って歩んでいるフィリポに倣わせてください。私たちの生活を神の愛と義をもって治めてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン



1月29日(日) 使徒言行録7章

「都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」 使徒言行録7章58節

 エルサレム教会が選任した7人の執事の一人ステファノは、恵みと力に満ち、素晴らしい業を行っていました(6章8節)。彼に議論を吹っかける者もいましたが、知恵と霊によって語るステファノに太刀打ちできませんでした(同10節)。そこで、偽証人を立てて最高法院に訴え出ました(同12,13節)。

 弁明をするように促されたステファノは、旧約聖書を用いて長い説教を行います(7章1節以下)。使徒言行録に記された最長の説教です。それは、自分の立場をよくしようというものではありません。むしろ、ユダヤの人々がいかに神に背いているかと、その罪を糾弾する内容になっています。それに憤ったユダヤ人たちは、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、石を投げ始めます(54,57,58節)。

 ステファノは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言い、それから、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んで、息を引き取りました(59,60節)。この最期は、主イエスの十字架での最期を髣髴とさせるものでした(ルカ福音書23章34,46節)。

 ステファノが、自分を殺す者を赦し、その罪を彼らに負わせないでくださいと祈ることが出来たのは、確かに、彼のために立ち上がって応援してくださった主イエスの励ましと慰めのゆえではないでしょうか。そしてまた、私たちが互いに愛し合い、赦し合って生きるようにと、その模範が示されているようにも思います。

 ステファノ殉教後、エルサレムの教会に対して大迫害が起こりました(8章1節)。それも、ステファノの説教に端を発して、キリスト教をこのままのさばらしているのは、ユダヤ教にとってよいことではないという判断がなされた結果ではないかと思われます。

 その大迫害で一翼を担い、大活躍したのが、ステファノの殺害に賛成し、冒頭の言葉(58節)のとおり、彼を処刑する証人たちの上着を預かっていたサウロという若者でした。このサウロが、後に初代キリスト教最大の伝道者となります。クリスチャンになったばかりのころはサウロと呼ばれていましたが、後にローマ名のパウロを名乗るようになります。

 サウロは、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人という自負を持っていました(フィリピ書3章5節)。ベニヤミンは、ヤコブの12人の息子のうち、ただ一人イスラエル生まれでした。そして、イスラエルの初代の王はベニヤミン族から選ばれました。その名はサウルです(サムエル記上9章参照)。サウロは、明らかにサウルに因んで名づけられたものです。

 また、彼はキリキア州タルソスの出身ですが(使徒21章39節)、そこはローマ帝国の直轄地であったため、生まれながらローマの市民権が与えられていました。それで、パウロというローマ名も持っていたわけです。

 彼が家系や学歴などを重んじる立場であれば、ユダヤ名のサウロを名乗るのが当然と考えられます。しかし、自らサウロと名乗ったことはありません。むしろ、パウロ(「小さい」という意)と名乗ることに意味を見出していたわけです。ここに、キリストを信じて180度変えられたパウロの信仰を見ることが出来るように思います。

 しかし、なぜステファノを殺すことに賛成していた迫害者サウロが、主イエスを信じる者に変えられたのでしょうか。神のなされた憐れみの御業というほかありませんが、しかし、それこそ、ステファノが「この罪を彼らに負わせないでください」と執り成し祈ったからではありませんか。ステファノにかく祈らしめた主の御名を崇めます。

 自分に仇なす者を前にして、ステファノのように祈れるかと問われて、いつでも「はい」と答えることができる者ではありませんが、 「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9章23節)と招かれた主の御言葉に立ち、憐れみの源なる主に導きを祈りましょう。
 
 主よ、あなたはステファノが殉教したとき、彼に石を投げつける者の上着を預かり、その殺害に参与していたサウロを、主イエスの証人としてお選びになりました。それはあなたの深い憐れみによることでした。そして、その憐れみが私たちにも向けられ、私たちも主を知る者、信じる者として頂くことが出来ました。ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。栄光が神に永遠にありますように。 アーメン



1月29日(日)主日礼拝

02

 1月29日(日)主日礼拝では、使徒言行録16章から「主イエスを信じなさい」と題して説教を頂きます。


午後、第5回教会一日愛修会(聖書と祈りによる修養会)を行います。
主の御言葉に対して耳の開かれた者にしていただきたいと願っています。









 

1月28日(土) 使徒言行録6章

「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。」 使徒言行録6章7節

 6章には、「ステファノたち7人の選出」(1~7節)と「ステファノの逮捕」(8~15節)が記されています。

 まず、「7人の選出」が必要になった理由が説明されます。それは、「弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た」(1節)というのです。

 弟子の数が増えたのは、弟子たちが聖霊の力を受けて大胆に伝道を進めた結果であり、また、信者たちが一つになって、すべての者を共有にするほどの愛の交わりに好感を持たれていたからあり(2章44節以下など)、それらすべてが神の豊かな恵みによるものでした。しかし、それが問題を生むことになりました。

 ギリシア語を話すユダヤ人というのは、外国に住んでいたユダヤ人でイスラエルに帰って来たか、時折エルサレムにやって来て居住している人々です。対して、ヘブライ語を話すユダヤ人とは、生まれながらイスラエルにいるユダヤ人ということでしょう。

 その二つのグループの人々が、主イエスを信じるキリスト者として共に集っていたわけです。そこには、上述のとおり、すべてのものを共有にするという麗しい愛の関係が存在していました。けれども、信徒の数が増えるに連れ、この二つのグループの間に問題が生じたというのです。その問題は、ギリシア語を話すユダヤ人のやもめたちが、日々の分配でヘブライ語を話す人々から差別されているということでした(2節)。

 ユダヤの社会では、やもめは特別な配慮を受けてきました。その配慮がエルサレム教会でも実践されていました。それをヘブライ語を話さないやもめたちにも同じように枠を拡げるべきだとは、当初考えられていなかったわけです。

 苦情を受けた12人の使徒たちは、信徒をすべて集めて総会を開きました。そして、食事の世話をする者たちを7人選んで欲しい、と提案しました(3節)。2節の「(食卓の)世話をする」は、ギリシア語で「ディアコネオー」と言います。その名詞形が4節の「奉仕、ディアコニア」という言葉です。さらに「奉仕する者、召使い」という意味の「ディアコノス」という言葉があります。ここから「deacon、執事」という言葉が生まれました。

 現在、わが静岡教会にも執事が選任されていますが、それは、この記事に根拠を置いています。つまり、この「7人」が現在の執事制度の原型プロトタイプと考えられているわけです。

 そこで、この「7人」が選び出された基準を見てみましょう。それは、「霊と知恵に満ちた評判の良い人を選びなさい」というものでした(3節)。「評判の良い人」とは、差別なく公平な仕事が出来るということでしょう。「霊と知恵に満ちた」というのも、その仕事が公正に行われるために、適切な方策を立てることが出来るということでしょう。「霊」が加えられているのは、事務的な能力だけでなく、信仰的な配慮が出来ることを重んじているからです。

 それによって選ばれた「7人」の名前が5節に記されていますが、これはいずれもギリシア名であることから、ギリシア語を話すユダヤ人の中から選び出されたのではないかと想像されます。まるで、「12人」の使徒がヘブライ語を話すユダヤ人であるので、それとバランスをとるかのような人選になっています。

 この後、選出された「7人」が日々の分配についてどのような仕事をしたのか、何も記されていません。しかし、同じような問題が他に起きてきていないことを見れば、12人の使徒たちと7人の執事たちの働きは、非常に良いバランスをもって問題を解決することが出来たと言えます。

 この後のステファノやフィリポの活躍を見ると、使徒と執事の働きがはっきりと区別されているということでもないようです。そこに、聖霊の導きに従う自由さがあると思います。

 こうして、「12人」の使徒の権威に基づいて「7人」の執事が選任されたことにより、教会の基礎が固まり、より強く一致することが出来、そこに聖霊の満たしと導きがあったので、神の言葉がますます力強く宣べ伝えられ、それによって弟子の数がますます増え、その結果、ユダヤ教の祭司たちも大勢信仰に導かれました(7節)。

 祭司たちというのは、以前、主イエスを十字架につけた側の指導者たちです。しかし今、彼らも聖霊の導きによって主イエスを信じる者と変えられたのです。ここに神の深い憐れみがあります。そして、すべての人にこの神の憐れみは注がれているのです。

 問題が起こることは問題ではありません。それは、人間社会において、当然のように起こることです。問題にどのように対処するのかが、まさに問題なのです。主なる神はその問題の中にお働きくださって、そのことも教会にとってプラスにしてくださいました。

 万事を益としてくださる主に信頼し、問題を主の御前に持ち出しましょう。解決をお与えくださる主に問題を委ねましょう。その際、私たちは何をすべきなのか、どこに立ち、何をどのように語ればよいのか、主の御心を尋ね、導きを待ち望みましょう。 

 主よ、エルサレム教会は、教会内に生じた問題に対して、霊と知恵に満ちた評判の良い者を7人選んだ結果、神の言葉がますます広められ、信徒の数が増えるという結果を生じました。問題が教会を前進させ、拡大させました。そこに聖霊の導きがありました。私たちも、祈りによって問題をあなたの御前に持ち出し、聖霊の導きに与らせて頂きたいと願います。御名が崇められますように。 アーメン



1月27日(金) 使徒言行録5章

「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。」 使徒言行録5章3節

 エルサレム教会では、神を畏れる思いが支配し、人々は心も思いも一つになり、一人も持ち物を自分のものだといわず、すべてのものを共有にしていました(2章43~45節、4章32節)。

 その例証として、キプロス島生まれのレビ族に属する、使徒たちからバルナバ(「慰めの子」という意味)とあだ名されていたヨセフという人物が、持っていた畑を売ってその代金を教会に献げたとあります(4章36,37節)。この行為がわざわざ聖書に記されているということは、それが信徒の交わりに影響を与えたということです。信者たちの模範とされた出来事でしょう。

 勿論、ヨセフが自分の行為を誇ったというわけではないと思います。ヨセフが使徒たちからバルナバ、すなわち「慰めの子」と呼ばれていたということから、使徒のために様々な心遣いをしていたのだろう、たとえば、迫害などを受けて辛い思いをしていても、バルナバの奉仕によって慰められたというような経験をしたのではないかというような想像を致します。

 まさに私心なく神に仕え、使徒たちに仕え、教会に仕えていたわけです。後にヨセフ=バルナバは、教会によって重く用いられるようになります。

 ヨセフの行為が模範として取り上げられたのを見て、真似をする人がたくさんいたと思いますが、その中に、アナニアとサフィラという夫婦がいました(5章1節)。彼らは土地を売って教会に献げることにしました。けれども、全部献げることを惜しみ、夫婦して代金をごまかし、その一部を持って来たというのです(2節)。一部だったのに、これが全部だと言ったということです。

 一部であったとしても、あるいは、金額はヨセフ=バルナバが献げたよりも多かったかも知れません。だから、一部といわず、全部といって誤魔化そうとしたのではないでしょうか。しかし、ペトロは、その行為を厳しく糾弾しました。アナニアがした行為が、サタンに心を奪われ、聖霊を欺き(3節)、神を欺くものだというのです(4節)。ここに、偽善は神を欺く行為であるという教えが示されています。

 財産を売ってそれを教会に献げるというのは、自発的になされていたことで、そうしなければ救われないというようなものではありません。また、財産を売ることを強要されはしませんでした。財産を処分しても、それを全額献げなければならないというものでもありませんでした(4節)。ですから、正直に土地を売った代金の一部であると言えば、それで十分だったのです。そしてそれは、天の御国に徳を積む行為でしょう。

 それを正直に言わず、全部と偽るところに、人間の愚かさがあります。すべてを献げた人という栄誉を受けようと考えたのです。一部を全部という、文字にすればわずかの違いですが、それが神の御前に裁かれました。神に打たれて息絶えてしまいました(5,10節)。

 このことで、滅ぼし尽くして献げるべきものの一部を盗み取ったアカンに下された罰を思い起こします(ヨシュア記7章1節以下)。アカンは、一枚の上着と銀200シェケル、50シェケルの金の延べ板を盗みました(同21節)。今の価格にして、金は270万円余り、銀は15万6千円余り、上着がどれほどの価値のものかは分かりませんが、それで命を落とさなければならないほどのものとは、およそ考えられません。

 にも拘わらず、神はアカンだけでなく、彼の家族も石で打ち、牛、ろば、羊、天幕など全財産を火で焼きました(25節)。神のものを盗んだということで、徹底的な裁きが下されたのです。実に厳しいものだと思います。
 
 同じ基準が適用されれば、誰も神の御前に生きられる者はいないかも知れません。私が今生きているのは、偽りがないからではなく、神の豊かで深い憐れみであることを知ります。どれほど神の憐れみによって守られてきたことでしょうか。

 けれども、神の憐れみに甘えて、神の御心を悲しませる生活を続けているわけには行きません。神の慈しみと同時に、その厳しさをも考えなければなりません(ローマ書11章22節)。アナニアらが特別なのではなく、私たちも悔い改めなければ、同じ裁きを受けると警告されているわけです。

 信仰によってはばかることなく神に近づき、その御言葉と御霊の導きに与ることの出来る恵みを感謝しましょう。しかし、神は侮られる方ではありません。真の畏れをもって主を礼拝しましょう。

 主よ、御子キリストを送ってくださり、感謝します。今、私たちの生活の中心に、心の王座にお迎えします。いつも私たちを、義の道へ、命の道へ導いてください。神の慈しみの道から逸れて、サタンの誘惑に陥ってしまうことがありませんように。たえず弱い私たちを憐れみ助けてください。 アーメン





1月26日(木) 使徒言行録4章

「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。」 使徒言行録4章13節

 ペトロとヨハネが神殿で民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、宗教指導者たちはいらだち(2節)、二人を捕らえて牢に入れました(3節)。腹が立ったので投獄とは、ずいぶん乱暴な話ですが、彼らは、二人を最高法院の中に立たせ、「何の権威でああいうことをしたのか」と尋問します(7節)。ここで、二人が神を冒涜して処刑された主イエスの名を語るならば、二人も処罰するつもりです。

 それに対して、二人は足の癒された男と共に立ち、「この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです」(10節)と答え、さらに、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(12節)と宣言します。

 つまり、処罰しようと考えている指導者たちの核心をついて、彼らが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられた主イエスの御名の権威が、この男を立たせたのだ。この御名によって、この男を救われた。この御名による以外に、人を救うことの出来るものはないのだと語ったのです。

 宗教指導者たちは、二人の大胆な態度を見、そして、二人が癒した人もその傍らにいて、言い返す言葉がありません(14節)。居並ぶ宗教指導者たちが、二人の無学な普通の人に圧倒されているのです(13節)。それは、二人が大胆に語っている以上に、彼らが語っている主イエスの御名の権威と力が、その場を支配しているからです。

 しかも、その権威と力の具体的な証人として、癒された男がそこに立っているのです(14節)。結局、二人を罪に問うことが出来ず、これ以上、主イエスの名によって誰にも話すなと脅迫するのが関の山でした(17節)。
 
 勿論、脅迫はただの言葉ではありません。無視すれば、次には実力行使が待っています。指導者たちにはその力があります。使徒言行録が著述されていた当時、既にペトロもパウロも殉教しています。教会は、迫害に苦しめられていました。当局者による脅迫は、彼らにとって現実の脅威だったのです。

 けれども、二人は、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と答えて(19,20節)、脅しに屈しない態度を表明しています。二人は、この言葉によって、主イエスを受け入れようとしない宗教指導者たちは、神に従ってはいないと言っているのです。

 かつてペトロは、大祭司の家の中庭で、「この人もイエスと一緒にいました」と言われて、それを三度否定したことがありました(ルカ福音書22章54節以下)。ところが今、大祭司一族の前で、「この人もイエスと一緒にいました」と言われることを喜び、胸を張っています。むしろ、尋問している宗教指導者たちのほうが、腰が引けています。何がペトロをそのように変えたのでしょうか。

 8節に、「ペトロは聖霊に満たされて言った」とあります。ペトロが変わったとか、ペトロに力があるというのではなく、聖霊の力で語ったということが示されているのです。ペンテコステの日に働いた聖霊、使徒たちを大胆に語らせ、聞く者たちの耳を開いて、その真理を悟らせ、悔い改めに導いた聖霊が、ペトロに主イエスを大胆に証しさせているのです。

 さらに脅されて釈放されたペトロたちは(21節)、仲間のところに戻ってことの顛末を報告しました(23節)。そして、皆で神に祈りをささげます(24節以下)。それは、権力者の暴力から守ってくださいとか、権力者たちを退けてください、彼らに報復してくださいという内容ではありません。

 彼らが求めたのは、冒頭の言葉(29節)のとおり、「今こそ彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」ということです。イエスの名によって語ってはならないという脅しに逆らって、「思い切って大胆に」と、これまでに勝って思うまま自由に語ることができるように求めたのです。

 そして、彼らが語りたいのは、自分の思いや考えではありません。「御言葉」です。文字通りには「あなたの言葉」(ホ・ロゴス・スー:the word of you)、つまり、主の御言葉です。聖霊の力を受けたキリストの証人として、足の不自由な男を立ち上がらせたキリストの御名をもって、主なる神が語らせてくださるまま思う存分語りたいと祈るのです。

 神はその祈りを聞かれました。「祈りが終わると、一同の集まっていた場所が揺れ動き、御名、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語り出した」(31節)と記されています。2章1節以下に記されているペンテコステの出来事が再現されたかのような記録です。

 つまり、こういう出来事は一度あればそれで十分というのではなく、繰り返し引き起こされるべきこと、そのために絶えず聖霊の満たしと導きを祈り求めるべきこと、その力を受けて宣教の働きを進めるべきであることを、このように示しているのです。

  私たちも、御言葉を語り伝える伝道の働きに用いられる器となれるよう、心を合わせて聖霊の満たし、導きを祈りましょう。

 主よ、あなたが共におられなければ、聖霊に満たされていなければ、私たちは全く無力です。しかし、あなたはその無力な、無きに等しい者を選び、その傍らに立っておられます。共にいてくださいます。感謝のほかありません。いつも御顔を拝します。絶えず御言葉に耳を傾けます。どうか聖霊によって満たし、主の御業に用いてください。 アーメン




1月25日(水) 使徒言行録3章

「ペトロは言った。『わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』」 使徒言行録3章6節

 ペトロとヨハネが午後3時の祈りのときに神殿に上りました(1節)。信仰深いユダヤ人たちは、一日に三度祈りの時間をもうけ、エルサレム神殿に出向いていたようです。出向けなかったときには、その場所で祈りをささげました(ダニエル書6章11節、9章21節参照)。

 ルカ福音書の最後のところに、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」(ルカ福音書24章53節)と記されています。初代のクリスチャンたちにとっても、神殿は主なる神をほめたたえ、祈りをささげる大切な場所でした。そのようにして約束の聖霊が注がれるのを待ち(1章5,8,14節)、そうして、再びおいでになる主イエスを待ち望んだのです(1章11節)。

 かつて、主イエスがエルサレムの神殿から商人たちを追い出されたとき、「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした」(ル軽く韻書19章46節)と言われました。誕生したばかりのエルサレム教会の信徒たちは、主イエスが「祈りの家」と呼ばれた神殿で、時を定めて祈りをささげていたわけです。

 「美しい門」、すなわちエルサレム神殿の異邦人の庭から婦人の庭に入る青銅製の美しい門、作者の名をつけてニカノル門と呼ばれることもあるこの門の傍らに、生まれながら足の不自由な男が運ばれてきました(2節)。それは、物乞いをするためでした(3節参照)。礼拝をするためではなかったのです。

 ユダヤ教では、祈りや断食と共に、施しをすることが、神の前に徳を積むこととして奨励されていました。「山上の説教」(マタイ5~7章)の中で主イエスが施しや祈り、断食について教えられているのは(6章1節以下)、そのためです。その施しを当てにして物乞いをするため、神殿に連れられて来ていたのです。

 この男が二人に施しを乞うたとき、二人は、「わたしたちを見なさい」と言います(4節)。何をもらえるのかと期待する男に、冒頭の言葉(6節)のとおり、「金や銀はない」と、その期待を打ち砕きます。ペトロたちが金銀を持っていないということではなく、その男に施す金はないという意味でしょう。

 しかし、話はそれで終わりではありませんでした。続けて「持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」(6節)と語られます。そして、男の右手を取って立ち上がらせると、すぐに足がしっかりして、歩き出すことが出来ました(7節)。

 彼はそれまで、「美しい門」の傍らで物乞いするしかありませんでした。動かない足が、彼の生活を縛っていました。そして、その動かない足で物乞いをしながら生活していました。そういう生活が生まれてこのかた40年続いていました(4章22節)。足で立ち上がる日が来るという夢を見ることなど、とうになくなってしまっていたことでしょう。

 しかし今、彼はナザレの人イエス・キリストの名が持つ力を知りました。この後、この出来事を聞きつけて集まって来た民衆にペトロが、「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです」(16節)と説いています。

 彼は特別な勉強をしたり、難行苦行をしたりしたわけではありません。主イエスについて、どれほどの知識を持っていたか分かりません。ただ、二人に注目し、ペトロの「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」という言葉に従っただけです。それだけで、この男は、願い求めた以上のものを受け取りました。即ち、彼は施しを求めたのですが、癒されて立ち上がることが出来たのです。

 彼は、ペトロのように語る者に初めて出会ったのでしょう。そして、彼の内に常識とか人間の知識を超えた導きがあったのでしょう。素直にペトロの言葉に従って立ち上がりました。そして歩き始めたのです。ここに、聴いた言葉に従うことが「信仰」と呼ばれており、「イエスによる信仰」(16節)という言い方で、その信仰も、主イエスによって与えられたものであることを教えています。

 そうして、この男は主イエスの力を実際に味わいました。彼は、主を知る者となったのです。立ち上がり、歩き出した彼の足の向かった先は神殿でした。彼は生まれて初めて、自分の足で神殿に向かいました。何のためでしょうか。自分を癒し、歩かせてくださった神を礼拝するため、賛美をささげるためです(8,9節)。
 
 主イエスは私たちをも、ご自身の御名によって日々歩むように、朝ごとに右の手を取って立ち上がらせようとしておられます。御名をほめ称え、主の御言葉に耳を傾けましょう。聖霊の導きを祈りつつ、聴いたところに従って歩みましょう。

 主よ、この世の荒波にもまれ、心萎えている私たちが、今日も主イエスの御名によって立ち上がることが出来ますように。どうか御言葉をお与えください。聖霊の導きと力に与らせ、おのが十字架を負い、主イエスに従った歩むことが出来ますように。私たちに信仰を与え、その恵みに与らせてくださることを信じて感謝致します。 アーメン




1月24日(火) 使徒言行録2章

「わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。」 使徒言行録2章25節

 冒頭の言葉(25節)は、ペンテコステの日にペトロが語った説教(14~40節)の一部で、詩編16編8節から引用されたものです。

 詩編16編には、「ミクタム、ダビデの詩」という表題がついています。ミクタムというへブライ語の意味は、まだ分かっていません。「金(ケテム)」と関わりがあるとか、「汚す(カータム)」と関連して、「覆う、隠す」という意味ではないかといった解釈を聞いたこともあります。

 70人訳(セプチュアジンタ=ギリシャ語訳旧約聖書)では、「石碑、碑文(ステイログラフィア)」という言葉があてられています。詩を記念として石に刻み、後世に永く伝えるという意味にとればよいのではないかと思われます。

 そして、ダビデの時代から千年という時間を経て、ペトロがこの詩に新しい光を当てました。それは、この詩を書いたダビデは、自分のことを「わたし」と言っているというのではなく、この「わたし」とは、主イエスのことなのだというのです。それが、25節に「ダビデは、イエスについてこう言っています」と記されている意味です。

 ペトロがかく語り得たのは、27節に「あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない」とあるからです。即ち、その言葉が、キリストが神によって甦らされることを預言しているもので、「わたし」が主イエス、「あなた」が父なる神と解釈されます。

 ペトロは、ダビデは預言者だったので(サムエル記上16章13節、同10章10節参照)、キリストの復活について前もって知ることが出来て、そう記しているのだと30,31節で語り、その預言どおり主イエスは甦られたこと、ペトロたちがその証人であることも告げています(32節)。

 ペトロが、キリストについての預言として引用した冒頭の言葉にもう一度目をとめます。ここで、「わたし」が主イエス、そして「主」とは父なる神のことと考えられます。そうすると、この言葉は、主イエスはいつも父なる神を見ておられ、そして、父なる神が主イエスの右におられるということになります。

 私たちは、ことが順調に運び、自分の思い通りに進むときに、神が私と共にいて、祝福しておられると考え、逆境に出会い、困難が続くと、神はおられるのだろうかと思ってしまいます。しかし、主イエスは「いつも」父なる神を見ておられました。特に、十字架の死を前にしながら、弟子たちに裏切られ、宗教指導者たちによって苦しめられるときにも、主イエスは父なる神を信頼して、揺らぐことがなかったというのです。

 「見る」というのは、「予見する」(プロオラオー)という動詞の未完了中態1人称単数形で、「目の前に置いている、目の前で見ている」という意味になります。現実には苦難と死の壁しか見えないときにも、信仰によってそこに神の御顔を見ているということです。

 永井訳聖書は、「我は常に我が面前に主を透視せり」と訳しています。問題の向こうに、直面している現実の向こうに、主を透かして見るという訳で、なかなか味わい深いものです。

 旧約聖書・詩編16編8節には、「わたしは絶えず主に相対しています」と記されています。「相対している」は、「比較する」(シャーヴァー)という言葉のピエル・完了形1人称単数の動詞が用いられています。ピエル形は、「置く」という意味になります。「自分の前に置く」ということで、新共同訳は「相対する」と意訳したのでしょう。それが、70人訳で「見る」(プロオラオー)と訳されたのです。

 私たちが自分の前に主なる神を置くことなど、出来ることではありません。もし、「絶えず主に相対しています」と言えるとすればそれは、主がわたしの前に常にいてくださったということです。私たちの目に主が見えなくても、主は常にわたしの前におられるというのです。

 それは、すべてのことが神の御手の中で、神の主権のもとでなされていると信じていることでしょう。自分自身にとっては最悪と思われることでも、それが神の御心によってなされていること、それが神のなさる最善のことと信じるということです。

 いつもそう思うことが出来るでしょうか。私には出来ません。逆風に悩まされ、逆境に陥る度に、その都度神の御心を問うでしょう。この杯を取り去りたまえと願い求めることでしょう。それが神の御心であるという信仰に達するまで、祈り続けるでしょう。けれども、もしそれが神の御心であるという信仰が与えられたならば、信じて進むことが出来るように、御心を行う知恵と力を与えてくださいと祈ります。

 いずれにしても、神の導きと助けなしには、自分の力では何もすることが出来ません。何があっても、主の御前に進みましょう。主の御顔を求めて祈りましょう。御声に耳を傾けましょう。

 そのとき、何事にも揺り動かされることのない主イエスが、私たちと共に、私たちの右にいて、私たちを助け導いてくださいます。御言葉を示してくださいます。それは、真理の言葉です。それにより、平安と自由が与えられます。約束通り、主にある喜びに満たしてくださるのです。
 
 主よ、私たちの信仰の目を開き、いつも主の御顔を拝させてください。現実に目が奪われて平安を失ってしまう私たちの右にいつもいてください。不信仰で失意の底にいるとき、義の御手をもって希望の光の内に引き上げてください。私たちの名を呼び、真理の御言葉によって私たちを導いてくださることを感謝します。御旨を弁え、主の御業のために励む者とならせてください。 アーメン



 

1月23日(月) 使徒言行録1章

「イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。」 使徒言行録1章3節

 使徒言行録はルカ福音書と同一人物によって記されました。著述時期は90年代、パレスティナ以外のエーゲ海沿岸地域の教会を背景とした場所であろうと想定されています。

 1節に、「先に第一巻を著して」とあるのは、ルカによる福音書のことを指しています。第一巻は、「敬愛するテオフィロさま」に献呈されていました(ルカ福音書1章3節)。「テオフィロ」とは、神を愛するという意味です。「敬愛する」はローマの高官であることを示す形容詞で、口語訳では「閣下」と訳されていました。

 第二巻である使徒言行録も、「テオフィロさま」に献げられていますが、「閣下」と記されていません。閣下と言われなくてもカッカしない人物であったのかも知れませんが、あるいは、第一巻によって信仰に導かれたので、ルカとの関係が神の家族、主にある兄弟になったために、テオフィロ自身が閣下と呼ばれることを却下したのかも知れません。

 第二巻の書き出しは、冒頭の言葉のとおり、主イエスが甦られて使徒たちに姿を現されたことから始っています。ここに、福音書では見ることの出来なかった二つの事実が明らかになっています。

 一つは、主イエスが40日にわたって姿を現されたことです。ここには「現れる」という動詞の現在分詞形が用いられており、それは文法上、動作が継続していることを示しているので、時々現れたというのではなく、ずっと一緒におられたという表現になっています。

 もう一つは、40日にわたって姿を現されていた主イエスが、「神の国について話された」と記されていることです。「神の国」とは、神が王として支配されているという、その支配のことを指している場合と、神が支配している地域と言いますか、場所を指している場合があると言われます。厳密に二者択一的に考えなければいけないというよりも、いつもその両方の意味を含んでいると考えるほうがよいと思います。

 主イエスは生前、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と神の福音を宣べ伝えられ(マルコ福音書1章15節)、また、たとえ話を用いて「神の国」について度々使徒たちに教えておられました(同4章26節以下、30節以下など)。

 それは、終わりのときに神によって完成される神の国、完全な救いを表していると同時に(同9章47節、10章15節、23節以下、14章25節など)、主イエスの宣教と働きによって既にこの世にもたらされていることを示しています(ルカ福音書11章20節、17章20,21節)。

 主イエスが40日に渡って現れ、神の国について話されたというのは、さながら神がモーセと40日にわたってシナイ山で語り合い、契約のしるしとして十戒を授けられたようなものです(出エジプト記24章18節、34章28節)。

 使徒たちは、復活の主の教えを受け、約束の聖霊が天から降り(2章1節以下)、その力に満たされて大胆に福音を語り始めました(同4節)。それにより、一度に3千人もの人々がクリスチャンになり(同41節)、さらに、救われる人々が日々仲間に加えられましたが(同47節)、それらの人々に使徒たちが教えたのが、神の国の教えだったのです。

 それは、神の国では何が大切なのか、どのような生活をしなければならないのかというような、教義的なことから具体的な生活に至るまでの様々なことが含まれていたことでしょう。彼らは教えられたとおり、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」(同42節)というわけです。

 私たちも使徒言行録を通して、神の国の教えを彼らがいかに実践したかを学びながら、神の国の到来を待ち望みつつ、復活の主の証人として神の国の福音を生きるために、聖霊の力に与りたいと思います。弟子たちはそのために一つところに集まり、皆で「心を合わせて熱心に祈って」(14節)いました。彼らに倣い、聖霊を求めて祈り合いましょう。

 主よ、キリストによって罪が贖われ、神の子とされました。「アッバ、父よ」と呼ぶことが許されており、聖霊が、私たちが神の子であることを保証してくださいます。私たちの信仰の目を開いて、さらに深く主を知ることが出来ますように。聖霊の導きに与り、神の国の力、栄光を悟らせてください。聖霊に満たされ、その力を受けて、復活の主の証人としての使命を果たし、主の教会を神の国としてくださいますように。 アーメン



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