風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2016年09月

9月30日(金) ナホム書3章

「お前はテーベに勝っているか。ナイルのほとりに座し、水に囲まれ、海を砦とし、水を城壁としていたあの町に。」 ナホム書3章8節

 ニネベの滅亡を語るナホムの預言の中に、冒頭の言葉(8節)のとおり、エジプトの「テーベ」の名が出て来ました。原文には「ノ・アモン」と記されています。「ノ」はエジプト語で「町」を意味し、「アモン」はエジプトの最高の太陽神アメンのことです。つまり、「ノ・アモン」とは、「アメン(神)の町」という意味です。テーベには、アメン神を祀る総本山のカルナック神殿があります。

 テーベは、カイロの南約500キロに位置し、紀元前2000年から紀元前662年まで、エジプト王国の首都として栄えました。世界史上最初の大都市と言ってもよいほどで、カルナックやルクソールの遺跡が、往時の繁栄ぶりを今に伝えています。

 テーベは、両側に険しい崖がそびえるナイル川の渓谷にあり、ナイルから水を引いて周囲に堀や水路をめぐらし、街を防衛するようにしていました(8節)。その上、クシュ、プト、リビアといった周辺の国々と同盟を結び、テーベの町は幾重にも守られていたのです(9節)。

 このように、長く繁栄を誇り、難攻不落と思われていた町も、滅ぼされるときが来ました(10節)。預言者ナホムは、テーベが陥落させられたことについて、同時代を生きていた者として、はっきり知っていたと思われます。そして、アッシリアの都ニネベは、「テーベに勝っているか」と尋ねるのです。

 実は、このテーベを陥落させたのが、アッシリアの王アシュルバニパルでした。ですから、その意味で、軍事力などは確かに、ニネベがテーベに勝っているということになるでしょう。しかし、ここで預言者が問題にしているのは、そのような力のことではありません。

 1節に、「災いだ、流血の町は。町のすべては偽りに覆われ、略奪に満ち、人を餌食にすることをやめない」と記されていました。これは、アッシリア軍が、テーベやその他の町に対して行ったことと思われます。また、4節で、「呪文を唱えるあでやかな遊女の果てしない淫行のゆえに」と言われますが、これは、ニネベの女神イシュタル礼拝と関わりがあると言われます。

 メソポタミア・アッシリアの優れた文化、文明、軍事力、その中核をなす異教の偶像礼拝のゆえに、多くの国々がそのとりことなったわけです。そして、19節にも、「お前の悪にだれもが常に悩まされてきたからだ」と記されています。1章11節の「主に対して悪事をたくらみ、よこしまなことを謀る者があなたの中から出た」という言葉も、それを指していると言ってよいでしょう。

 それゆえ5節に、「見よ、わたしはお前に立ち向かうと、万軍の主は言われる」と記されています(2章14節も)。つまり、主がニネベを打たれるのです。そして事実、紀元前612年に、ニネベはバビロニア軍によって陥落させられてしまいました。

 かつては繁栄を誇り、難攻不落と思われたエジプトの都テーベがアッシリアによって滅ぼされたように、どんなに権力、武力を誇っていても、悪事によって神の怒りを買ったニネベの都は、滅ぼされることになってしまったのです。

 ニネベの都が陥落すると、アッシリアはハランに遷都します。ハランが紀元前609年にバビロン軍に占領されると、今度はカルケミシュに遷都します。このとき、エジプトのファラオ・ネコがアッシリアを支援するため、出陣しました(列王記下23章29節)。アッシリア軍と合流してハラン奪回を試みますが、失敗。 その後、紀元前605年にカルケミシュにバビロン軍が攻め寄せ、アッシリア・エジプト連合軍を撃破しました。

 かくて、アッシリア帝国は歴史の舞台から姿を消すことになりました。 この戦いに敗れたエジプト軍は、シリア・ハマトでの戦いにも敗れ、それ以来、近東への足がかりを失ってしまいました。

 この預言はしかし、ニネベに向かって語られたのではありません。むしろ、ユダの人々に向けて語られたのです。ユダの人々はこの言葉をどのように聞くべきだったのでしょうか。自分たちを苦しめていたアッシリアが主に打たれたと喜ぶだけでよかったわけではないでしょう。

 何故、自分たちがアッシリアに苦しめられていたのか、その原因を省みる必要があります。「お前はテーベに勝っているか」という言葉を、自分自身に適応することです。すべての人々に、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩む」(ミカ6章8節)ことが求められているのです。

 山上の説教(マタイ福音書5~7章)の中に、「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」(同5章20節)という言葉があります。私たちの義は、律法学者やファリサイ派の人々の義に勝っているでしょうか。神の前に、「私の義は、彼らの義に勝っている」と、胸を張ることが出来るでしょうか。

 誰も、神の御前に自分で自分を義とすることが出来る者、自分の義を誇ることの出来る者はいないでしょう。しかし、主イエスを信じる者は、その信仰によって神の義を頂くのです。そして、その神の義によって、すべてのものに勝るのです。ハレルヤ!
 
 主よ、あなたはニネベを裁かれました。どうか、わが国を憐れんでください。平和と正義の名で剣を抜き、銃を取るような国にならないように、守り導いてください。正義を行い、慈しみを愛し、謙って神と共に歩み、世界の平和に仕える国とならせてください。 アーメン





9月29日(木) ナホム書2章

「見よ、良い知らせを伝え、平和を告げる者の足は山の上を行く。ユダよ、お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。二度と、よこしまな者がお前の土地を侵すことはない。彼らはすべて滅ぼされた。」 ナホム書2章1節(口語訳・新改訳では1章15節)
 
 長い間、アッシリアに圧迫されていたユダに、良い知らせがもたらされます。冒頭の言葉(1節)で、「良い知らせを伝え」は、ヘブライ語原典で「バーサル」という一つの単語です。70人訳(ギリシア語訳旧約聖書)も「エウアンゲリゾマイ」の一語でした。これは、「福音を告げる」という言葉です。福音というものは、告げ知らせるためにあると言わんばかりの言葉遣いですね。

 「平和を告げる者」(マシュミーア・シャローム)は直訳すると「平和を聞かせる者」という言葉で、良い知らせをもたらす者は、「平和(シャローム)」を叫びながら、山(複数形)の上を行きます。高い山々から全地に福音を届けるのです。

 これはイザヤ書40章9節の「高い山に登れ、良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ、良い知らせを伝える者よ」という言葉や、同52章7節の、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、とシオンに向かって呼ばわる」という御言葉を思い出させます。

 主イエスが、「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない」(マタイ福音書5章14節)と言われたのも、同じ消息でしょう。主イエスは、山の上で説教を語られました(5~7章)。また、復活された主イエスが山の上で弟子たちと会い、福音をすべての民を弟子とせよとの宣教命令を与えました(28章16節以下)。

 もたらされたグッドニュースは、「お前の祭りを祝い、誓願を果たせ。二度と、よこしまな者がお前の土地を侵すことはない。彼らはすべて滅ぼされた」というものでした。まず、「お前の祭りを祝い」は、アッシリアに隷属させられ、そのアッシリア化政策によって禁じられていたイスラエルの祭りを、再び喜び祝うことが出来るようになるということです。

 「誓願を果たせ」とは、神に誓ったことを実行せよということです。ユダの民は、もしもアッシリアから解放してくださるなら、感謝のいけにえをささげ、神の恵みの御業を記念する祭りを行うというようなことを、神に誓っていたのではないでしょうか。だから、「お前の祭りを祝い、誓願を果たせ」と言われるのでしょう。

 漢字の「祭」は、いけにえの肉を手に持って神に献げるという文字です。祭のメイン・イベントは、いけにえを神に献げることなのです。今日の箇所では、「満願の献げ物」(レビ記7章16節など)を感謝と喜びをもって神にささげるということになりまです。

 そして、「二度と、よこしまな者がお前の土地を侵すことはない」ということで、その支配が終わったことを告げます。ここで、「よこしまな者」の原語は「ベリアル」で、「価値がない、無価値」という意味の言葉です。申命記13章14節では「ならず者」と訳されていました。ここでは、ニネベのこと、そしてまた、アッシリアの王たちのことを指していると考えられます。

 2節の「襲いかかる敵」(メーフィーツ)は「散らす者」という言葉です(新改訳参照)。ニネベの町の人々を襲って散らす敵がやって来るというのです。4節に「勇士の盾は赤く、戦士は緋色の服をまとう」とありますが、これは、エゼキエル書23章14節の「朱色に描かれたカルデア人」という言葉もあり、敵がバビロン軍であることを示しているようです。それに対するアッシリア軍は紫(新改訳では青)でした(同23章6節)。

 ニネベの町は、西側にチグリス川が流れ、町の周囲13kmを8mから18mもある高い城壁で囲み、更に堀を巡らしていました。ただ、町の中をコスル川という水路が東から西に流れ、チグリス川に注いでいました。この水路の水を堀に引いていたのです。伝説によれば、この水路の水を操作されて、それがニネベが陥落する要因の一つになったそうです。7,9節の記述は、その水攻めを示しているようです。

 12節以下は、ニネベの町を「獅子の住みか」として描きます。かつてニネベは獅子のように周囲の国々を襲い、打ち破って来ました(13節)。しかし、「獅子の住みかはどこに行ったのか」(12節)ということは、壊滅させられてしまうということです。ニネベの守護神イシュタルは愛と肥沃の女神ですが、獅子に象徴される戦いの女神でもあります。ナホムはそれを嘲笑うかのように、「獅子の住みかはどこに行ったのか」というのです。

 というのも、「わたしはお前に立ち向かうと万軍の主は言われる」(14節)というように、襲いかかる敵とは、カルデア人を用いてアッシリアにその怒りを注ぎ出した主なる神ご自身だからです。だから、「砦を守り、道を見張れ。腰の帯を締め、力を尽くせ」(2節)というのは、思い切り皮肉を込めた言葉なのです。それは、主なる神の攻撃の前にはどんな防御も役に立たないからです。
 
 ところで、2節の「よこしまな者」という言葉は、やがて「破滅」を意味するようになり、新約時代にはサタン、悪魔を意味するようになります。第二コリント6章15節に、「キリストとベリアルにどんな調和がありますか。信仰と不信仰に何の関係がありますか」と記されており、「ベリアル」は、キリストに敵対する存在とされているわけです。

 その意味で、ナホムがここで、ニネベ、あるいはアッシリアの王たちを通して、ユダとエルサレムの住民を苦しめている悪魔を「ベリアル」と名づけ、よこしまで無価値、破壊する死の力が、まことの神によってまもなく滅ぼされると語っていることになります。主なる神はどのようにして、このベリアルを滅ぼされるのでしょうか。

 教会は、イエス・キリストの十字架と復活を通して、罪と死の力が破られたことを見ました。主イエスは、罪と死の力に打ち勝たれ、高く挙げられて神の右に座しておられます。このお方がもう一度この地上においでくださるとき、神の支配が完成するのを、私たちは期待し、待ち望んでいるのです。

 「主に望みをおく人は新たなる力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ書40章31節)とあります。私たちが望みを置いているのは、実に倦むことなく、疲れることなく、その英知は極め難いと言われるお方です((同28節)。

 今の時代、見えるものに惑わされず、真の主を仰ぎ、その導きに従って「よい知らせ」を携え、命の道、真理の道を、一歩一歩着実に歩んで参りましょう。

 主よ、御名をほめたたえます。あなたの時を待ち望んでいます。時が近づいていることを悟らせて下さい。眠りから目覚め、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身にまとわせてください。高い山に登り、キリストのシャロームを告げ歩かせてください。 アーメン



9月28日(水) ナホム書1章

「主は恵み深く、苦しみの日には砦となり、主に身を寄せる者を御心に留められる。」 ナホム書1章7節

 ナホム書の著者、預言者ナホムについて、詳しいことはほとんど何も分かりません。1節に「エルコシュの人」とありますが、エルコシュがどこにあったのか、まだ確定されていません。エルサレムの南方、シメオン族に属する町の出身という説が有力とされているようですが、確かなことは不明です。

 本書の預言が語られた時期について、「ニネベについての託宣」(1節)という言葉、そして特に3章7節の「ニネベは破壊された、だれが彼女のために嘆くだろうか」という言葉から、アッシリアの首都ニネベがバビロンによって陥落させられる紀元前612年の数年前、615年前後に預言されたものではないかと想定されています。

 「ナホム」とは「慰め」を意味する名前ですが、本書中に「慰め」と直結するような文言は見出せません。むしろ、ここに記されているのは、ニネベに対する厳しい裁きの言葉だけといってもよいほどです。

 アッシリアは、神に背いて罪を犯し、悪を行った北イスラエルを裁き、滅ぼすための神の器として用いられました(列王記下17章)。また、南ユダも、北イスラエルの風習に倣って歩んでいたため、エルサレムの都が陥落直前まで追い込まれました(同18章)。

 しかしながら、今やニネベが、「主に対して悪事をたくらみ、よこしまな事を謀る者があなたの中から出た」(11節)と、神に断罪される存在となりました。神がご自分の民を選ばれるのは、ご自身に仕えるものとするためです。イスラエルは徹底的に神に背いて、神の怒りを買いました。

 神の裁きの器として選ばれたアッシリアが「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩む」(ミカ書6章8節)なら、神の慈しみは彼らに注がれ続けていたことでしょう(ヨナ書3,4章も参照)。けれども、彼らはイスラエルよりも悪を行う者だったわけです。ここに、アッシリアに対する裁きが語られることで、神が望んでおられるのは、やはり、「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」であると言えます。

 2節から8節までのヘブライ語本文の各行の文頭に「アレフ」から「カウ」までのアルファベットが、順番に並べられるという形になっています。ただし、2節後半と3節前半の2行が、アルファベットによる詩のリズムを壊すかたちで挿入されています。

 2節から、ニネベに対する神の裁きが語られ始めています。そこでは、「主は報復を行われる方」(ノーケーム・アドナイ)という言葉が3度繰り返され、その対句が、「熱情の神」(エル・カンノー)、「憤りの主」(バアル・ヘーマー)、「怒り(原文は「彼」)を保持される方」(ノーテール・フー)となっています。妬みを起こして、激しく憤られ、その怒りをずっと保持しておられるという図です。

 3節の「忍耐強く」は「怒るに遅く」(エレフ・アパイム)という言葉です。ずっと忍耐して怒られなかったからこそ、その悪に報復される主の怒りは激しく、一層恐ろしいのです。「その道はつむじ風と嵐の中にあり、雲は御足の塵である。主は海を叱って乾かし、すべての川を干上がらせる」(3,4節)というのは、主の怒りが大自然の異変として現れるということです。

 2~10節の段落の中で、冒頭の言葉(7節)は、異なった光を放っています。ここで、主は恵み深いお方であると言われます。「恵み深い」(トーブ)とは、「よい=good」という意味の言葉です。

 「神」を意味する英語の「God」(ゴッド)は、「good」(グッド)の短縮形だと聞いたことがあります。「よい」(トーブ)が「恵み深い」と訳されているのは、「苦しみの日には砦となり、主に身を寄せる者を御心に留められる」という、助けを必要としている者に対する主の恵み深さが、「よい」(トーブ)ここに語られているからです。

 「砦」(マーオーズ)は、「避難所、安全な場所」という意味の言葉です。この砦は、あらゆる敵の攻撃から安全に守ってくれることでしょう。「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも。海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも」(詩編46編2~4節)と、詩編の作者も詠っています。

 また、「御心に留める」(ヤーダー)とは、「知る」という意味で、聖書がこの言葉を用いるとき、それは、知識の獲得という意味というよりも、体験的に理解すること、即ち、相手に対する関心を表わしており、それは、「愛する」ということと同義語といってもよいものです(たとえば創世記4章1節)。

 神は、私たちの頭髪の数までも数えておられるほどに注意深く(マタイ福音書10章30節)、眠ることなく、まどろむことなく見守っていてくださいます(詩編121編3節以下)。詩編46編11節には、「力を捨てよ、知れ、わたしは神。国々にあがめられ、この地であがめられる」とあります。

 つまり、冒頭の言葉(7節)で主のよさが、主を信頼する者の保護として示されるのは、かつてイスラエルを裁くための神の道具として用いられたアッシリアが、今度は神の裁きの対象とされることで、あらためてイスラエルに対し、主の前に謙ること、主に信頼し、主に身を寄せることを求めているわけです。

 自分の力を誇り、その強さを頼みとするのではなく、私たちを恵み深く守り支えてくださる主を信頼し、主の下に謙りましょう。

 私たちに目を留め、絶えず見守っていてくださる神様、あなたの深い恵み憐れみに感謝します。日々私たちの砦となり、私たちに御心を留めていてくださる主に信頼し、御言葉に耳を傾け、御霊の導きに従って歩みます。絶えず、心から御名をほめたたえさせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン




9月27日(火) ミカ書7章

「あなたのような神がほかにあろうか。咎を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業の民の残りの者に、いつまでも怒りを保たれることはない、神は慈しみを喜ばれるゆえに。」 ミカ書7章18節

 これまで見て来たように、神は私たちの犯す罪を、黙って見過ごしにはされません。むしろ、厳しく断罪されます。けれども、神は罰を与えたくて、私たちを裁かれるわけではありません。誰が、愛する者を裁きたいでしょうか。可愛い子どもに鞭を当てるのは辛いこと、悲しいことです。

 ミカは、「悲しいかな、わたしは夏の果物を集める者のように、ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく、わたしの好む初なりのいちじくもない」(1節)と語ります。「夏の果物」(カイツ)は、アモス書8章1節にも登場します。それは、北イスラエルの「最後」(ケーツ)を示す、語呂合わせによる裁きの預言でした。ミカが告げているのは、ぶどう園に赴いたが、摘むべき実がなかったということです。

 2節に、「主の慈しみに生きる者はこの国から滅び、人々の中に正しい者はいなくなった。皆、密かに人の命を狙い、互いに網で捕らえようとする」とあります。つまり、摘むべきぶどうの実とは主の慈しみに生きる者、初なりのいちじくとは、正しい者ということで、公正と正義という実を実らせているべきエルサレムの町に、何ひとつその実を見ることが出来なかったということです。

 むしろ、都の人々は暴力をもって人の命を奪い、また隣人を陥れることばかり考えています(2節)。役人、裁判官が私利私欲のため、賄賂を取って公道を曲げています(3節)。「最善の者も茨のよう」(4節)とは、トゲばかりあって無益なものということでしょう。隣人、友人も信頼できず(5節)、家族の中にも信頼や尊敬を見ることができません(6節)。

 「悲しいかな」(1節)と歌い始めているとおり、ミカにとって、エルサレムの都は嘆くほかない状況であり、 「お前の見張りの者が告げる日、お前の刑罰の日が来た。今や、彼らに大混乱が起こる」(4節)と、神の裁きが目前に迫っていることを告げるのです。

 しかし、預言者はそのような悲しみの中で、ただ絶望しているわけではありません。「しかし、わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる」(7節)と、信仰の言葉を語ります。同胞には期待が持てなくても、むしろ失望せざるを得ない状況にあって、そこでなお憐れみの神に頼り、救いを待ち望むのです。

 そうして、冒頭の言葉(18節)を語ります。ここで、神は私たちの「咎を除き、罪を赦される」お方であると言います。そして、神は私たちの咎を除き、罪を赦すために、御子イエス・キリストを贖いの供え物として十字架にかからせなさいました。それによって私たちは、主イエスを信じる信仰を通して義とされるのです(ローマ書3章21節以下、24節)。

 義とは、神との正しい関係ということを表します。「義」という漢字は、「羊」の下に「我」と書きます。罪を取り除く神の小羊である主イエスのもとにひれ伏すとき、私たちは義とされるという文字になっているわけです。さらに、「我」という漢字を調べると、これは「手に持った刀を振り下ろす」という字で、義は羊を殺すことによって成立するということでした。

 つまり、羊を殺して神にささげ、それによって私たちの罪を赦していただき、神との関係が回復され、元通りの交わりが持てるようになるのです。かくて、5章1節が救い主の誕生を預言したものと受け止められたように、冒頭の言葉(18節)は、救い主による贖いの業を預言したものと受け取ることが出来ます。

 不義な私たちを義とするため、キリストを十字架の犠牲とされたのは、神の深い愛のゆえ、憐れみのゆえでした。神は私たちを愛し、義とするために罪を裁かれるのです。そして、神との関係が正された私たちは、光に導かれます。9節に「主はわたしを光に導かれ、わたしは主の恵みの御業を見る」とあるとおりです。

 ヨハネ福音書8章12節で主イエスは、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と言われました。また第一ヨハネ1章7節に、「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」とあります。

 この交わりは、何よりも素晴らしい神との交わりです。罪が清められ、神の子どもとされます。永遠の命を受け、永遠の関係に入れられます。これは、神が一方的に私たちに与えてくださったものです。決して私たちの行いによるのではありません。まさしく、「主の恵みの御業」です。主イエスを信じたとき、主はこの恵みを味わわせてくださいました。

 そして、キリストの光を頂いた私たちは、主イエスが語られたごとく、この地において、人々の前にその光を輝かす「世の光」とならなければなりません(マタイ福音書5章14~16節)。私たちの天の父なる神が崇められるようになるためです。そのために、神は私たちを約束の聖霊で満たし、主イエスの証人となる力をお与えくださいます(使徒言行録1章8節)。

 聖霊の満たしと導きを求め、主の愛の証し人、救いの証し人とならせて頂くことが出来るように祈りましょう。

 主よ、あなたの義と愛による恵みの御業に心から感謝致します。私たちもあなたの光に導かれました。どうか、私たちを用いて御業を行い、あなたの光をこの地に輝かせてください。そのために、私たちを絶えず聖霊に満たしてください。この地において御心が行われ、いよいよ御名が崇められますように。 アーメン





9月26日(月) ミカ書6章

「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」 ミカ書6章8節
 
 6章には、裁判所での裁判の様子が描かれているようです。原告は神、その代理人・弁護士は預言者ミカ、山々、峰々が裁判官・証人、そして被告はイスラエルです。

 3節に、「わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか」という神の訴えがあります。この言葉から、イスラエルの民が、神にはついて行けない、もう疲れたと不平を言っているということが想像されます。この背景には、度重なるアッシリアの攻撃があり、神がアッシリアの脅威を取り除いてくださらないことに対する不信、不満があるのではないかと思われます。

 それに対して、「わたしはお前をエジプトの国から導き上り、奴隷の家から贖った。また、モーセとアロンとミリアムを、お前の前に遣わした」(4節)と、主なる神がモーセらを遣わし、イスラエルの民をエジプトの奴隷の苦しみから解放されたことを語ります。

 続いて、「わが民よ、思い起こすがよい。モアブの王バラクが何をたくらみ、ベオルの子バラムがそれに何と答えたかを。シティムからギルガルまでのことを思い起こし、主の恵みの御業をわきまえるがよい」(5節)と、モアブ王バラクがイスラエルの民に呪いをかけようとして、預言者バラムがそれを祝福に変えたこと、また、シティムからギルガルへとヨルダン川をどのように渡ったのか、思い起こせと訴えます。

 6,7節は被告の反問で、ではどんな犠牲をささげればよいのかと問いかけます。当歳の子牛(今年生まれた子牛)をささげればよいのか(6節)と問うた後、幾千の雄羊、幾万の油の流れ(7節)と量を増やし、最後に、長子、胎の実をささげるべきかと言います。北イスラエルが滅亡する直前、子どもを火で焼いて犠牲にすることが流行りました(列王記下16章3節、17章17節)。

 それは、最も高い犠牲を払って、国難を去らせようとしてのことと考えられます。しかしながら、それは神の忌み嫌われる、モレクという異教の神に対して行う儀式でした(レビ記18章21節、20章2~5節、エレミヤ書7章31節など)。

 モレクとは、ヘブライ語の「王(メレク)」という言葉に「恥(ボシェト)」の母音をつけて発音したものです。それはアンモン人の神ミルコムのことで、ミルコムとは「王」という意味です(列王記上11章5,7節)。それを揶揄するように、「モレク(恥の王)」というように呼んでいるのでしょう。

 神の忌み嫌われる偶像礼拝、それも、子どもを火で焼いて犠牲にするというようなことで、どうして国難を去らせることが出来るでしょうか。「主は喜ばれるだろうか」と問われていますが、答えは「否」に決まっています。

 それに対して、冒頭の言葉(8節)が述べられました。神の求めは、いけにえをささげることではありません。「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」を、主なる神は求めておられるのです。「正義」は「ミシュパート(公正、裁きの意)」、「慈しみ」は「ヘセド(慈しみ、善、誠実の意)」という言葉が用いられています。つまり、主が求めておられるのはいけにえではなく、神と人とに謙虚に仕えることなのです。

 これは、申命記で、「イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、わたしが今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸いを得ることではないか」(10章12,13節)と語られている言葉と同様です。

 また、預言者サムエルがサウル王に告げた、「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる」(サムエル記上15章22節)という言葉を思い出します。

 9節以下は神による告発で、「正義」と「慈しみ」と「へりくだり」がいかに欠如しているかが述べられ、それゆえに滅びを刈り取らなければならないと告げられます。

 こうしてみると、イスラエルがエジプトの奴隷の苦しみから解放されて以来、神は一貫して同じことを民に求めておられ、それに対してイスラエルの民は、神を畏れず、不正を行い、偽りを語り、異教の神に心迷わされ続けて来たわけです。

 この言葉を聞いて、私たちはどうしたらよいのでしょうか。それはまず、神の恵みを数え、感謝をささげることです。また、神を愛し、隣人を愛することです。そして、怠惰と不従順を悔い改めることです。思い上がらず、主に従って歩み、顔を上げ、胸を張り、誠心誠意働かせていただきたいと思います。

 主の御名が崇められますように。主を信じ、主に仕える者たちによって、御心が地の上に行われますように。御言葉が聖であること、御言葉の内に命があることを、たえず弁えさせてください。主と共に歩む喜びと平安を常に味わうことが出来ますように。 アーメン





9月25日(日) ミカ書5章

「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者、お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。」 ミカ書5章1節(口語訳・新改訳では2節)

 4章14節(口語訳・新改訳は5章1節)に、「今、身を裂いて悲しめ、戦うべき娘シオンよ。敵はわれわれを包囲した」とあります。これは、アッシリアの大軍がエルサレムの城壁を取り囲んだときのことでしょうか。

 ヒゼキヤ王がエジプトなどと組んでアッシリアに反旗を翻し、それが一時期は功を奏して、アッシリアからの独立を果たせたかに見えましたが(列王記下18章7,8節)、再びアッシリアが体勢を立て直してイスラエルに進軍してきたときには、それに対抗することが出来ませんでした(同18章13節)。そして、高い賠償金を払わなければなりませんでした(同18章14~16節)。紀元前701年のことです。

 しかし、大軍がエルサレムを包囲してイスラエルの神を冒涜し、無条件降伏を求めました(同18章17節以下、27節以下、19章10節以下)。それは、再び背くことがないように、ヒゼキヤ王を退位させ、アッシリアの言いなりになる別の王を立てるためだったのでしょう。ただし、これからのことは、聖書外の資料で史実を確認できません。

 ヒゼキヤは、この苦境で預言者イザヤに託宣を求めました。イザヤは、アッシリアの王が都に入場することはおろか、戦いを仕掛けることもないと、神の言葉を告げました(同19章20節以下)。そして、神は御使いを遣わして一夜のうちにアッシリア軍を撃ち、アッシリアの王はひとり、ニネベに逃げ帰り、ニスロクの神殿で暗殺されたと、列王記の記事には記されています(同35節以下)。

 センナケリブは紀元前681年に亡くなり、その子エサルハドンが王位に就いています。であれば、列王記下18章16節と17節の間に、20年という時間の経過があったということになります。 

 今日の箇所は、イザヤの預言とその成就を見る前なのかどうか、よく分かりませんが、冒頭の言葉(1節)にあるように、ミカは、イスラエルを治める新しい王がベツレヘムから登場することを語ります。

 ベツレヘムは、語られているようにイスラエルの中で小さな町ですが、しかし、ここはダビデ王の出身地です。ですから、ダビデのように、主なる神への堅い信仰をもって国を治める王の登場を期待したものと言えます(3節)。小さい町ですが、そうであればこそ、町を守るのに自分の力などではなく、神に信頼するほかはなかったでしょう。そして、神はその信頼に応えてくださるのです。

 そして、クリスチャンにとって、冒頭の言葉は、特別な意味を持つものとなりました。それは、救い主イエス・キリストの誕生を預言する言葉となったからです(マタイ福音書2章6節)。主イエスは、暗闇に閉ざされている人々に希望の光、愛の光、命の光を与えてくださいます。これが、クリスマスのメッセージです。

 ここで目を留めていただきたいのは、マタイがミカの預言を引用している中で、一箇所不正確なところがあることです。それは、「いと小さき者」というところが、「決して一番小さいものではない」と変えてあるのです。このような変更が加えられたのは、マタイ自身の体験に基づいているのかもしれません。

 彼は、人々に蔑まれながら占領国ローマのために税金を徴収する徴税人でした(マタイ福音書9章9節)。しかし、キリストと出会い、弟子となり、12使徒の一人に選ばれました。マタイにとって、自分は実際には小さい者ではあっても、キリストがこの世にお生まれになったということ、そのキリストと出会うことが出来たということは、決して小さいものではない、否むしろ、それは大きなことだということでしょう。

 だから、主イエスの生まれたエフラタのベツレヘムは、かつては「いと小さき者」だったかもしれませんが、今は、「決して一番小さいものではない」と言えるものに変えられた。誰でも、主イエスと出会うならば、同じように、「決して小さい者ではない」といわれる恵みに与ることが出来るというわけです。

 マタイの書いた福音書が、今日も、全世界で読まれています。それこそ、決して小さいことではありません。神は私たちを、能力や知恵、財産などによって選ばれたのではありません。それらのものを持たない、無学で普通の人だからこそ選ばれました。それは、ただ神に信頼するためです。主に信頼するとき、決して小さくない働きが神によってなされていくのです。

 「ミカ」とは、「誰が主のようなお方か」という意味の名前です。この問いの答えは、主のようなお方は他にはいない、主なる神だけが私たちの信頼に足るただひとりのお方だということです。

 私たちのためにご自身を犠牲とされた主イエスを信頼し、御言葉に素直に耳を傾けましょう。 

 主よ、あなたはいと小さい者を選び、主の力、御名の威厳をもって平和を打ち立てられます。それが、主イエスの十字架と復活を通して明らかにされました。どうか、世界中にキリストの平和を与えてください。すべての人々の心にキリストの平和がありますように。 アーメン




9月24日(土) ミカ書4章

「娘シオンよ、子を産む女のように、もだえて押し出せ。今、お前は町を出て、野に宿らねばならない。だが、バビロンにたどりつけば、そこで救われる。その地で、主がお前を敵の手から贖われる。」 ミカ書4章10節

 1~3節には、イザヤ書2章2~4節とほぼ同じ言葉が記されています。ミカとイザヤは、ヒゼキヤ王の代に活動が重なる部分もありますので、どちらかが相手の預言を引用したのではないかと考えられています。勿論、共通の預言が神から与えられたと考えることも出来ます。

 1節冒頭に、「終わりの日に」とあります。はっきりといつと特定されてはいませんが、未来にこの世が終わりを迎えるときと考えたらよいでしょうか。そのとき、あらゆる国民が高くそびえる主の神殿のある山に来て、どのように生きるべきかを教える神の言葉を学ぶと言います(2節)。つまり、エルサレムが世界の中心になるということです。

 そして、彼らは戦争をやめ、剣や槍という武器を、鋤や鎌などの農具に打ち直します(3節)。争いは過去のものとなり、「人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もない」(4節)平和を味わいます。人類はいつの日か、この預言が実現するのを見ることが出来るでしょう。しかしそれは、ぼんやり待っていれば、そうなるということではありません。

 主イエスが、「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と語られたように(マタイ福音書5章9節)、平和の実現に向けて行動することが求められており、そのための祝福がなされているのです。平和の実現のための行動とは、剣や槍などをを用いない、隣人を愛し、その祝福を祈ることです。それこそ、主イエスが十字架を通して、私たちに手本を示されたものです。

 このような預言がここに記されているのは、これからイスラエルの民の上に起こるであろう過酷な運命の中でも、希望を失わないように、主を信じるようにということではなかったかと思います。ミカは、冒頭の言葉(10節)で、「お前は町を出て、野に宿らねばならない。だが、バビロンにたどりつけば、そこで救われる」と語っています。

 アッシリアがサマリアを滅ぼし、いよいよエルサレムに迫ってくるという状況にあります。そのとき、ミカがこの預言を語ったわけです。バビロン捕囚というのは、これから100年以上も後のことで、バビロンはまだ国を形成していませんでした。

 ただ、サマリアが陥落したとき、アッシリアの王はイスラエルの民を捕囚として連行し、バビロンから人々を連れて来て、サマリアに住まわせました(列王記下17章24節)。ですから、エルサレムが陥落すれば、同じようにその民をバビロンに連れて行き、エルサレムに別の民を住まわせるというのは、十分想定されるところでしょう。

 そして、100年余り後の紀元前587年に、エルサレムがバビロン軍によって陥落させられ、民が捕囚とされる事態となり、ミカの預言が彼の想定を越えて実現したかたちです。  

 しかし、ここで見逃せないのは、「バビロンにたどりつけば、そこで救われる。その地で、主がお前を敵の手から贖われる」という言葉です。なぜ、バビロンに連行されることが救いなのでしょう。その地で、敵の手から贖われるとはどういうことでしょうか。

 イスラエルが滅亡し、バビロンで奴隷として働かされるのは、悲劇です。それが救いとなり、贖いとなるということは、この背後に神の御計画、神の御業があるわけです。つまり、単にイスラエルがアッシリアやバビロンとの戦いに敗れたから、亡国、捕囚という憂き目を見るのではないということです。

 そのことが11節以下で、イスラエルに対し、神の裁きを実行するために集結している諸外国、たとえばアッシリア、そして後のバビロン、イスラエルを取り巻いている国々が、イスラエルが裁かれたように裁かれて、イスラエルによって滅亡という苦難を味わうというところに示されます(13節)。そのことを通して、主なる神こそが究極的な主権者であることを表されるわけです(7,8節参照)。

 イスラエルは、その罪のゆえに神に裁かれなければなりませんでした。しかしながら、神はイスラエルを攻め滅ぼしてしまいたいのではありません。救いたいのです。その罪を贖う用意が、神にあるということでしょう。そこに神の愛があります。憐れみがあります。亡国・捕囚という苦しみを通らなければ学ぶことの出来ない恵みが、そこにあるのです。

 「娘シオンよ、子を産む女のように、もだえて押し出せ」(10節)と語られているように、その苦しみは、出産時の陣痛、産みの苦しみなのです。後にエレミヤがバビロン捕囚について、「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」と記しています(エレミヤ書29章11節)。

 「今、身を裂いて悲しめ」(14節)と言われているように、主の御前に罪を告白し(第一ヨハネ書1章7,9節)、謙りましょう。万事を益としてくださる主を信じ(ローマ書8章28節)、その導きに従いましょう。

 主よ、あなたの恵みと憐れみのゆえに感謝します。私たちの国には様々な問題があります。およそ平和を実現しようとしての所業とは思われません。しかし、その問題のかなたにあなたの導きの御手があると信じます。私たちを主の器として整え、用いてください。御心がこの地に実現しますように。御国が来ますように。 アーメン





9月23日(金) ミカ書3章

「それゆえ、お前たちには夜が臨んでも、幻はなく、暗闇が臨んでも、託宣は与えられない。預言者たちには、太陽が沈んで昼も暗くなる。」 ミカ書3章6節

 イスラエルの不正を糾弾する預言者ミカの言葉は、次第に激しさを増して来ます。神に立てられて、正義を行うことが期待されている「ヤコブの頭たち、イスラエルの家の指導者たち」(1節)が、善を憎み、悪を愛する者となっているからです(2節)。

 1節の「正義」は「ミシュパート(公正、定め、裁きの意)」という言葉で、神の律法に基づく社会的な正義を示します。指導者たちは正義を知っているはずなのに、本当の意味で、それを知り、味わい、行使することがなかったことを糾弾しています。

 これは、ホセアが「この国には、誠実さも慈しみも、神を知ることもないからだ」(ホセア書4章1節)と言い、アモスが「悪を憎み、善を愛せよ」(アモス書5章15節)と語っていることに通じます。北王国でも南王国でも、その指導者たちに正義が見られないのです。

 「人々の皮をはぎ、骨から肉をそぎ取る者らよ。彼らはわが民の肉を食らい、皮をはぎ取り、骨を解体して、鍋の中身のように、釜の中の肉を砕く」(2,3節)というのは、彼らがおのが腹の満足のみを追い求め、その権力を笠に、いかに民を食い物にしているかということを、比喩的に表現したものです。

 そのため、「今や、彼らが主に助けを叫び求めても、主は答えられない」と言われます(4節)。預言者たちについて、「歯で何かをかんでいる間は、平和を告げるが、その口に何も与えない人には、戦争を宣言する」(5節)と言います。「地獄の沙汰も金次第」ではありませんが、神の言葉を告げるのに袖の下を要求しているわけです。

 11節にも「預言者たちは金を取って託宣を告げる。しかも主を頼りにして言う。『主が我らの中におられるではないか。災いが我々に及ぶことはない』と」(11節)と記されていて、ワイロで裁きを曲げ、貧しい者から搾取したものを神に献げながら、なお神の保護を確信するという、彼らの厚顔無恥ぶりを言い表しています。

 だから、冒頭の言葉(6節)のとおり、「お前たちには夜が臨んでも、幻はなく、暗闇が臨んでも、託宣は与えられない」と言われるのです。災いに際して主に叫び求めても、主は何も答えてくださらないのです。「太陽が沈んで昼も暗くなる」とは、彼らの行う占いや呪いが意味をなさない空しいものとなるというのでしょう。

 そのことで、サムエル記上3章1節に、「その頃、主の言葉が望むことは少なく、幻が示されることもまれであった」とあり、それは、祭司エリの息子たちがならず者で、主を知ろうとしなかったからでした(同2章12節以下)。また、同28章に、侵攻して来たペリシテに恐れをなしたサウルに対し、主が何もお答えにならなかったと言われます(同5,6節)。それは、サウルが主に聞き従わないからでした(同18節)。

 ただしかし、これは昔のイスラエルのことで、自分とは関係ないとは思えませんでした。むしろ、これが私たちの現実ではないでしょうか。善を憎み、悪を愛するという自覚はありませんが、生活の忙しさにかまけて、神の御言葉を聴くことが疎かになります。祈りの生活が疎かになります。

 なかなか、聖書を自分に向かって語りかけられている神の御言葉として、真剣に読むことが出来ません。祈りを通して神の御前に進み、神と交わりをするという静かな時間をとることが出来ません。私たちの事情が神の御言葉よりも優先するのです。そしてそれを、やむを得ないこととして来ました。

 故榎本保郎先生が、「壊れやすいのは、祈りの祭壇です。あなたの祈りの祭壇は壊れていませんか。あなたの祈りの祭壇から、芳しい香りが主の前に絶えず立ち上っていますか」と語っておられた言葉を思い出します。人の顔色を伺い、人の事情が優先するような聖書の読み方、祈り方をしていて、どうして、生ける神の御言葉を聴くことが出来るでしょうか。

 私たちに対して語りかけられる神の御言葉をはっきり聴くことなしに、その御心を悟ることは出来ません。どんなに教理的に正しく教えることが出来ても、それは、どこまでも人間の知恵、知識による言葉であって、それで人の魂を揺さぶり、真の悔い改めに導くことは出来ません。それで、まことの神の愛が伝わるはずがありません。

 信仰に入って以来、私たちはどれほど成長してきたでしょうか。いえ、むしろ後退しているのではないでしょうか。神から断罪されれば、言い逃れることは出来ません。ただ素直に、「あなたの仰るとおりです」と認めるほかありません。

 しかし今、この裁きの言葉を自分に語りかけられている神の御言葉として真剣に聴くならば、神は私たちの歩むべき道、私たちがなすべきことをも語り示してくださるでしょう。主の御前に謙りましょう。

 「皆互いに謙遜を身に着けなさい。なぜなら、『神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる』からです。だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます」(第一ペトロ5章5,6節)と言われているとおりです。

 主よ、あなたこそ真の羊飼いです。あなたの他に良い羊飼いはいません。あなたは絶えず私たちのことを心にかけ、必要のすべてを豊かに満たしてくださるからです。主よ、私たちの耳を開いてください。あなたの御声に聴き従います。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなただけなのです。御言葉を聞いて行う者にならせてください。御国が来ますように。御心が行われますように。 アーメン




9月22日(木) ミカ書2章

「ヤコブよ、わたしはお前たちをすべて集め、イスラエルの残りの者を呼び寄せる。わたしは彼らを羊のように囲いの中に、群れのように、牧場に導いてひとつにする。彼らは人々と共にざわめく。」 ミカ書2章12節

 ユダの国に悪がはびこり、貪欲が国を支配しています(1,2節)。それを神が裁かれます(3節)。それは、彼らが不正に手に入れた土地、畑は取り上げられて他者のものになり、嘆きの歌を歌う羽目になるということです(4節)。

 このミカの預言を、権力者、裕福な者たちは「たわごと」と決めつけ、「こんなことについてたわごとを言うな。そんな非難は当たらない。ヤコブの家は呪われているのか。主は気短な方だろうか。これが主のなされる業だろうか」と言って、真剣に耳を傾けようとはしません(6,7節)。

 「たわごとを言う」と訳されている原語は、「流れる、滴り落ちる」(ナータフ)という意味の言葉で、あまり意味のない言葉を口から溢れさせる、たわごとを言うという表現に用いられます。岩波訳は、「涎(よだれ)を流す」と訳しています。神の霊的な導きを受けて語る預言者の言葉を「たわごと、涎」というのは、それこそ、神に向かってたわごとを語っていることになるでしょう。だから、滅びを刈り取らなければならないのです。

 神は、「立て、出て行くがよい。ここは安住の地ではない。この地は汚れのゆえに滅びる。その滅びは悲惨である」(10節)と言われました。神の都と言われ、神殿の置かれたエルサレムが、安住の地にならず、汚れのゆえに滅びるというのです。

 けれども、それによってすべての者が撃たれ、滅ぼし尽くされるわけではありません。冒頭の言葉(12節)にあるように、「イスラエルの残りの者」がいます。神は彼らを呼び寄せると言われます。

 「彼らを羊のように囲いの中に、群れのように、牧場に導いてひとつにする」は、口語訳では、「これをおりの羊のように、牧場の中の群れのように共におく」、新改訳は、「彼らを、おりの中の羊のように、牧場の中の群れのように一つに集める」と訳されています。

 いずれにせよ、「残りの者」とは、今は囲いの中にいない、群れとならず追い散らされている弱い羊のような存在、それは即ち、貪欲な権力者によって畑が奪われ、家を取り上げられ、虐げられてきた人々のことと考えられます。あるいはまた、神がイスラエルの家を打たれ、裁かれて、遠く散らされる人々のことを語っていると考えることも出来ます。

 神は、「わたしはお前たちをすべて集め」、「わたしは彼らを羊のように囲いの中に、群れのように、牧場に導いてひとつにする」と言われています。エレミヤ書31章10節にも、「イスラエルを散らした方は彼を集め、羊飼いが群れを守るように彼を守られる」と記されていましたが、神ご自身がイスラエルの牧者となられ、あらためて彼らをご自身の宝の民とされるのです(出エジプト記19章5,6節)。

 主イエスが、「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われました(ヨハネ福音書10章11節)。そして、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊を導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」と語られました(同10章16節)。つまるところ、旧約の預言者たちが語っていた羊飼いとは、主イエスのことだったのです。

 囲いに入っている羊とはユダヤ人のこと、囲いに入っていない他の羊とは異邦人のことと言ってもよいでしょう。主イエスの前にはユダヤ人も異邦人もなく、皆をその救いの恵みに招いておられるのです。

 今日、主イエスの贖いにより、主イエスを信じる信仰を通して、誰でも神の民となることが出来るようになったのは、感謝この上もないことです。これは、まったく一方的な神の憐れみです。羊を奪い、追い散らす狼から(同10章12節)、主イエスが御自分の命をはって守ってくださるのです。

 主は、私たちが命を受けるため、しかも豊かに受けるために来られました(同10章11節)。その豊かさは、物質的なものではなく、私たちと神との交わりの豊かさであり、そしてまた、私たちと隣人との交わりの豊かさを示しています。「一人の羊飼いに導かれ、一つの群れとなる」という親密な交わりのことです。

 この神の深い愛と計画に従い、いつも、主イエスと共に歩ませて頂きましょう。

 主よ、あなたの恵みを感謝します。深い憐れみのゆえに、神に敵対し、たわごとを語っていたような私たちを、主の群れに加えてくださいました。主に選ばれ、名を呼ばれた者として、その声を聞き分け、ただ主にのみ従うものとしてください。御旨のままに出て行き、豊かな実を結ばせてください。御名が崇められますように。 アーメン








9月21日(水) ミカ書1章

「まことに、痛手はいやし難く、ユダにまで及び、わが民の門エルサレムに達する。」 ミカ書1章9節

 著者のミカは、南ユダ王国の王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に活動した預言者です(1節)。彼らは、紀元前740年ごろから680年ごろまで南ユダ王国を統治していました。この時期、北イスラエル王国では、ホセアやアモスが預言者として働いていました。南ユダでは、イザヤと活動時期が重なります。

 勿論、ミカの活動がこの全時代に及ぶとは思われません。しかし、この時代は、ユダにとって激動の時代でした。長期安定政権を築いていたウジヤ王が亡くなって、その子ヨタムがその跡を継いで王となったとき、北にアッシリア帝国が勢力を伸ばして来ていて、ユダにとっても次第に大変な脅威となって来ました。

 アハズ王のとき、そのアッシリアと対抗するため、北イスラエルはシリアと同盟を組み、南ユダにもその同盟に加わるように申し入れてきました。アハズがそれを断ると、シリア・イスラエル連合軍がユダに攻め込んで来ました(列王記下16章5節、紀元前734年)。そのため、アハズはアッシリアに援軍を依頼します(同16章7節以下)。そして、紀元前721年に北イスラエル王国の首都サマリアがアッシリアによって滅ぼされたのです。

 ミカの活動は、おそらくサマリア陥落の少し前に開始されただろうと思われます。ユダは、シリア・イスラエル連合軍からは守られましたが、それ以後、アッシリアに従属させられることになり、その結果、アッシリアの神々を受け入れることにもなります(同16章10節以下)。

 アハズの死後、跡を継いだヒゼキヤ王は、国内に宗教改革を断行し、異教の神々を排除しました(同18章3,4節)。そして、紀元前704年、皇帝がセンナケリブに変わったのを好機と見てエジプトと結び、アッシリアに反旗を翻し(同18章7節)、独立を宣言します。

 初めは順調でしたが、やがてアッシリアの国力が増大し、ついにユダの防衛線が突破され(同18章13節)、エルサレムに迫ってきました。ヒゼキヤは莫大な賠償を支払うことになりました(同18章14節)。紀元前701年のことです。

 ミカ自身のことは、殆ど知られていません。しかし、エレミヤ書26章18,19節に「モレシェトの人ミカはユダの王ヒゼキヤの時代に、ユダのすべての民に預言して言った。『万軍の主はこう言われる。シオンは耕されて畑となり、エルサレムは石塚に変わり、神殿の山は木の生い茂る丘となる』と」と記されているように、ミカの活躍は1世紀経った後の時代にもはっきりと記憶されていました。

 ミカとは、「誰が主のようであるか」という意味の言葉(ミカイェフー)の短縮形で、ヘブライ語ではごく普通の名前のようです。旧約聖書に、ミカと称する人が9人います(士師記17章1節、サムエル記下9章12節、ネヘミヤ記10章11節など)。

 1節に、「モレシェトの人」という紹介があります。それは、14節に出てくる「モレシェト・ガト」のことと考えられ、エルサレムの南西約30キロの田舎町の出身者ということです。出身地で活動していれば、「モレシェトの人」と呼ばれることはないでしょう。ミカは、エルサレムで預言者として働いたので、他のミカなる人物と区別するために出身地をつけて、「モレシェトの人ミカ」と呼ばれたのでしょう。

 本書でミカは預言者と呼ばれてはいませんが、彼に幻を通してサマリアとエルサレムについての主の言葉が望んだと記されていて、確かにそれを民に告知することは、まさに預言者としての務めです。 サマリアは北イスラエル、エルサレムは南ユダの首都です。両首都についての預言ということですが、本来的には、エルサレムと南ユダ王国に向けてなされたものです。

 さて、5~7節にサマリアに対する裁きの言葉があり、次いで8,9節にユダのために悲しみ嘆く言葉があります。サマリアに裁きの手が降るときが来たこと、そして、その影響はユダにも無視できないことを示します。というのも、サマリアが裁かれるのは、ヤロブアム2世以来の神に対する背きの罪のためですが、ユダもそれと無縁ではないからです。

 ただ、神が正義を行われることに、喜びを感じておられません。神の心を支配しているのは、怒りではなく、悲しみです。「わたしは悲しみの声をあげ、泣き叫び、裸、はだしで歩き回り、山犬のように悲しみの声をあげ、駝鳥のように嘆く」と言われ、次いで冒頭の言葉(9節)のとおり、「まことに、痛手はいやし難く、ユダにまで及び、わが民の門エルサレムに達する」と語られています。

 ここに示される神の悲しみ、痛手は癒し難いものでした。それは、神がイスラエルの民を深く愛しておられるからこその嘆き、悲しみです。神の厳しい裁きの背後には、民を愛してやまない神の深い嘆きがあるのです。ということは、この預言は、単に裁きを告知しているのではなく、ユダの民が神に立ち返ることを求めて、神が忍耐をもって招いておられるのです。

 私たちも、愛の神を信じ、主の導きに絶えず従っていきたいと思います。愛する同胞の救いのため、執り成し祈りたいと思います。聖霊に満たされ、その力を受けて、救霊の業に励みたいと思います。

 主よ、私たちの町を、私たちの国を憐れんでください。御名のゆえに正しい道に導いてください。主こそ、私たちのまことの羊飼いだからです。主が愛と慈しみをもって、わが国、同胞を憐れみ、必ず救いの恵みをお与えくださると信じて、感謝致します。 アーメン




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