風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2016年08月

8月31日(水) ホセア書12章

「エフライムは偽りをもって、イスラエルの家は欺きをもって、わたしを取り巻いた。ユダはいまだに神から離れてさまよい、偶像を聖なるものとして信頼している。」 ホセア書12章1節

 12章は、11章と打って変わって、厳しい裁きの言葉で終始しています。ここには、イスラエルの父祖ヤコブについての言及があります。それは、好意的なものではありません。むしろ、マイナス・イメージで語られています。

 冒頭の言葉(1節)で、「エフライムは偽りをもって、イスラエルの家は欺きをもってわたしを取り巻いた」と語ります。ここに、イスラエルについて語る言葉として「偽り」(カハシュ)、「欺き」(ミルマー)という言葉が出て来ました。

 続く、「ユダはいまだに神から離れてさまよい、偶像を聖なるものとして信頼している」という言葉は、原文を直訳すると、「ユダはなお神と共にさまよっていた、聖なる者たちと共に確かにされて」となります(口語訳、新改訳、岩波訳など参照)。新共同訳と他の訳では、意味内容が全く食い違ってしまいますし、「神と共にさまよう」をどう考えてよいのか、よく分かりません。

 ただ、エフライムの「偽り」、イスラエルの「欺き」に対して、ユダは「信じる、信頼する」(アーマン)という言葉が用いられているということは、ホセアの思いとして、イスラエルには真実、信頼を期待していたのに、偽りと欺きで応えたと、より一層強くイスラエルを非難する言葉のように思われます。

 そのことで、イスラエルの父祖ヤコブについて、「ヤコブは母の胎にいたときから兄のかかとをつかみ、力を尽くして神と争った。神の使いと争って勝ち、泣いて恵みを乞うた」(4,5節)と言います。兄エサウから長子の特権を奪い(創世記25章19節以下)、父の祝福を欺き取ったこと(同27章)、そして、ヤボクの渡しでの神の使いとの格闘のことを(同32章23節以下)、そのように言っているわけです。

 9節の、「エフライムは言う。『わたしは豊かになり、富を得た。この財産がすべて罪と悪とで積み上げられたとは、だれも気づくまい」という言葉は、ヤコブがハランでたくさんの子どもや家畜などを持つようになったことを示しているようです(創世記30章25節以下、31章参照)。

 勿論、ヤコブがそのように語ったという事実は、聖書の中に見出すことは出来ません。エフライムはヤコブの子ヨセフの次男です。つまり、ヤコブ=イスラエルの子孫の態度は、まるで神に向かってそのようにうそぶいているようなものだと、ホセアが語っているわけです。

 一方、イスラエルの偽りに対して、神の真実が示されます。父と兄を欺いて逃亡せざるを得なくなったヤコブを神はベテルで見出し、彼に語られました(5節、創世記28章10節以下参照)。そして、「神のもとに立ち帰れ。愛と正義を保ち、常にあなたの神を待ち望め」と招いています(7節)。

 「多くの預言者たちに言葉を伝え、多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示した」(11節)のも、神の愛と真実の表れです。一人の預言者モーセを遣わして、イスラエルの民をエジプトの奴隷の地から約束の地へ導き上ったのは(10,14節)、彼らが、愛と正義によって生きることが出来るようにするためだと語っているのでしょう。

 このように、神が愛と信実をもって語り続け、招き続けておられるのに、イスラエルは偽り、欺き、背き離れてさまよっています。そしてそれは、元来、ヤコブ=イスラエルが偽る者、欺く者だったからだ、と言われているわけです。

 具体的には、2節に、「アッシリアと契約を結び、油をエジプトへ貢ぐ」とあるように、真の王なる主に頼るのではなく、イスラエルを挟むアッシリアとエジプトという、南北の大国に対する外交政策で国を守ろうとしています。

 また12節に、「ギレアドには忌むべきものがある。まことにそれらはむなしい。ギルガルでは雄牛に犠牲をささげている。その祭壇は畑の畝に積まれた石塚にすぎない」と言われて、ヤロブアムがベテルとダンに配置した金の子牛を拝ませた偶像礼拝の罪(列王記上12章28節以下)が、イスラエルの各地に広げられていることを示します。

 そして、そのような偽り、欺き、背く者を愛し、真実をもって「神のもとに立ち帰れ」と招き続けられた神が、ここでイスラエルの民に、「エフライムは主を激しく怒らせた。主は流血の報いを彼に下し、その恥辱を彼に返される」(15節)と、最後通牒を突きつけておられるのです。

 神がイスラエルに求めておられるのは、自分の偽りと欺きを認めること、そして、自分自身を神の真実に委ねて従うことです。私たちは、「生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり」(エフェソ書2章3,4節)、救いの恵みに与らせてくださったのです。

 私たちが神の子と呼ばれることのために、父なる神が私たちをどれほど愛してくださっているか、考えて見ましょう(第一ヨハネ書3章1節)。神の恵みによって今日の私があるのです。その恵みを無駄にせず(第一コリント書15章10節)、主の業に常に励みましょう(同58節)。

 主よ、どうか霊と真理をもって礼拝する者とならせてください。あなたが霊であられ、また真理であられるからです。霊のあるところに自由があり、また、真理は私たちを自由にします。主イエスの愛と恵みが、常に私たちと共にありますように。昨日の台風10号は北日本に大きな被害をもたらし、犠牲者を出しました。主の慰めと平安を授けてください。 アーメン




8月30日(火) ホセア書11章

「わたしは、もはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。」 ホセア書11章9節

 11章では、神とイスラエルとの関係が、親子関係に比して述べられます。

 1節に、「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした」とあります。エジプトの奴隷として苦しめられていたイスラエルを神が憐れみ、養子縁組して、ご自分の子として迎えてくださったのです。そして、絶えず呼びかけ(2節)、手を取って立たせ、歩くことを教え、病のときに看病してやリ(3節)、また、食物を与えました(4節)。

 しかしながら、恩知らずにもイスラエルは神から離れ、バアルに身を屈めました(2節)。申命記21章18節以下に、両親に反抗するわがままな息子は、町の長老に訴え出て、町の全住民によって石を投げつけられると規定されています。ということは、神はイスラエルを子とした親として、どんなに愛を注いでも神の御声に耳を傾けようとしないわが子イスラエルに石を投げつけ、この悪を取り除く義務があるわけです。

 「彼らはエジプトの地に帰ることもできず、アッシリアが彼らの王となる」(5節)と言われます。いわば、町の全住民として、エジプトやアッシリアが親に背くイスラエルに石を投げつけることになるわけです。

 8章13節には、「今や、主は彼らの不義に心を留め、その罪を裁かれる。彼らはエジプトに帰らねばならない」とありました。これは、エジプトの奴隷状態から救い出されたイスラエルが、元の奴隷状態に戻されるということで、神の救いが無効となったということを表わしています。

 11章5節で、「彼らはエジプトの地に帰ることもできず」というのは、「彼らが立ち帰ることを拒んだからだ」という言葉に対応しています。即ち、神に立ち帰ることとエジプトに帰ることが対比されているわけです。そして、その裁きは、エジプトに戻ることではなく、アッシリアによって滅ぼされ、奴隷とされることであるというわけです。

 しかし、神はイスラエルを愛し、憐れまれるがゆえに、イスラエルを裁くことを苦しまれました(8節)。愛することは、苦しみを担うことでもあると教えられます。神がイスラエルの痛みをご自分の苦しみとして味わわれると言ってもよいでしょう。

 沖縄の言葉で、憐れむことを「肝苦(ちむぐり)さん」と言います。ギリシア語の「憐れむ」(スプランクニゾマイ)は、腸が痛むという言葉です。いずれも他者の苦しみを自分の内臓の痛みとして感じるという言葉で、それほどに相手のことを思っているという表現です。

 ヘブライ語には、「ラハミーム(憐れみ、compassion)」という言葉があります。これは、「子宮(レヘム)」の複数形です。おなかを痛めて産んだ我が子のことを愛する母親の思いが、そのような言葉になっているのでしょう。

 「ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き離すことができようか。アドマのようにお前を見捨て、ツェボイムのようにすることができようか」と言われます(8節)。アドマ、ツェボイムは、ソドムとゴモラ同様、その罪ゆえに神が怒って滅ぼされた町です(申命記29章22節、創世記19章25節)。

 イスラエルに対して、同じ扱いが出来るかと自問され、選びの民に対する憐れみが、主の御心の内に燃え上がります。憐れみゆえの苦しみを担われた神は、冒頭の言葉(9節)のとおり、「もはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことはしない」と決心されました。憐れみが怒りを覆い、イスラエルの赦しを決意されたわけです。

 「わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない」(9節)とは、「神は愛です」(第一ヨハネ書4章8,16節)ということですが、罪の赦しは妥協ではありません。甘やかしでもありません。

 赦しの前には裁きがあり、罰があります。神は、罪の裁きと罰を曖昧にしたのではありませんでした。裁きと罰を神がご自分の身に受けられるのです。神が自らに裁きを課すのです。それが神の愛であり、それゆえの独り子イエス・キリストの十字架の死なのです。即ち、神の義と愛は対立する概念ではなく、同義と言ってよいでしょう。御子の贖いのゆえに私たちは赦され、生かされ、愛されているのです。

 私たちは、罪と死の奴隷の苦しみから贖われました。神の子として生きる道が開かれました。私たちのために、永遠に住むべき場所が用意されました。平安のうちに豊かに歩むことが出来ます。神の愛と憐れみに瞬間瞬間感謝しましょう。いつも喜んで歩みたいと思います。祈りを通して絶えず神と交わりましょう。どんなことにも神の導きと勝利を信じて感謝しましょう。

 主よ、あなたの深い愛と憐れみのゆえに、心から感謝致します。絶えず主の慈しみの御手のもとに留まらせてください。弱い私たちを助け、御言葉と祈りによって義の道、平和の道に導いてください。台風10号が岩手県に上陸しました。進路にあたる地域の被害が最小限に留められますように。特に、犠牲者を出すことがありませんように。 アーメン




8月29日(月) ホセア書10章

「ベテルよ、お前たちの甚だしい悪のゆえに、同じことがお前にも起こる。夜明けと共にイスラエルの王は必ず断たれる。」 ホセア書10章15節

 1節に「イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木。実もそれに等しい」と言います。イスラエルがいかに成長し、繁栄しているかを思い起こさせる言葉です。しかしながら、繁栄するにつれて異教の祭壇が増え、バアルを示す石柱がかしこに立てられていきました。だから、「彼らの偽る心は、今や罰せられる。主は彼らの祭壇を打ち砕き、聖なる柱を倒される」(2節)と、裁きが宣せられるのです。

 3節の「今、彼らは言う。『我々には王がいなくなった。主を畏れ敬わなかったからだ。だが王がいたとしても、何になろうか』と。」とは、アッシリアに攻め込まれてサマリアが陥落し、ホシェア王が捕虜となることを預言したものでしょう(列王記下17章)。あるいは、王の名に値する者がいないということでしょうか。それは、仮に王がいても、主を畏れ敬わなかったので、滅びを免れることはできないからです。

 14節に、「シャルマンがベト・アルベルを破壊し、母も子らも撃ち殺したあの戦の日」という言葉があります。シャルマンという人物名はここにしか出て来ませんが、アッシリア王ティグラトピレセルをプルと呼ぶ慣習から(列王記下15章19節)、列王記下17章3節、18章9節のシャルマナサル(5世、紀元前727~722年)か、同名のシャルマナサル3世(ティグラトピレセルの子、紀元前859~824年)とする意見があります。

 聖書中にその記述はありませんが、シャルマナサル3世の碑文によれば、紀元前853年に、オロンテス地域のハマト北方で北イスラエルのアハブと対決しています。アハブは、アラムのベン・ハダド(アハブとベン・ハダドについては、列王記上20章1節以下も参照)に戦車2千両と兵士1万を提供してアッシリアに対抗したとされています。つまり、シャルマナサル3世はイスラエルに侵入して来た最初のアッシリア王ということになります。

 ベト・アルベルという町の名前も、ここ以外に記されてはいませんが、ヨルダン川東部ギレアドの町でガリラヤ湖の南東30㎞にある今日のイルビドのことであろうと考えられています。この町は交通の要衝にあって、軍事的にも重要な町であったことが知られています。

 聖書に記されていないこの戦いも、当時の人々はよく知っていたことでしょう。だから、ベト・アルベルの戦いを取り上げた上で、冒頭の言葉(15節)で、「ベテルよ」と呼びかけているのです。そしてホセアは、「お前たちの甚だしい悪のゆえに、同じことがお前にも起こる」と言います。

 ベテルは、イスラエルでよく知られた町です。かつてここは、イスラエルの父祖ヤコブが、兄エサウの祝福を奪ったことで、ベエル・シェバからハランの地まで逃れる旅をしている途中(創世記28章10節)、神と出会い、祝福を受けた場所です。

 そのとき神は、「①この地を与える。②数が増し、四方へ広がる。③神が共にいる。④どこに行っても守る。⑤必ずこの地に連れ帰る。⑥約束が実現するまで見捨てない」と約束されました(同13節以下)。そして、神の約束どおり、ヤコブは多くの財産を携え、ハランの地から故郷へ戻って来ました(同31章)。

 神の御言葉は信ずべきです。神の約束は必ず実現するのです。ベテルとは「神の家(ベト=家、エル=神)」という意味ですが、ヤコブは荒れ野で神と出会い、その地をベテルと名づけたのです。

 神と出会い、御言葉を聴くところがベテルであれば、今日のベテルはどこにあるのでしょうか。そうです。どこにでもベテルがあります。私たちが神を求め、御言葉を聴こうとするなら、どこもベテルです。

 ところが、この町が滅ぼされ、「夜明けと共にイスラエルの王は必ず断たれる」と言われています。

 かつてイスラエルが南北に分裂したとき、北イスラエルを治めた初代の王ヤロブアムは、金の子牛の像を2体作り、一つをベテルに、もう一つをダンに置きました(列王記上12章28節以下)。さらに、ベテルに異教の神の像を祀る神殿を建て、祭司を配置しました(同31節以下)。

 以後、北イスラエルの王は、神に背く罪を繰り返します。列王記の記者はそのことを、「彼は主の目に悪とされることを行って、ヤロブアムの道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を繰り返した」と語っています(同15章34節、16章19節、30,31節、22章53節など)。

 ところで、5節の「サマリアの住民は、ベト・アベンの子牛のためにおびえ」という言葉は、ベテルのことを語っているものと考えられます。「ベト・アベン」とは、昨日も学んだように、「邪悪の家」という意味です。ホセアはここで、ヤロブアム以来、北イスラエルの人々は、真の神と出会うべき「ベテル(=神の家)」を、「ベト・アベン(=邪悪の家)」にしてしまったと断罪しているわけです。

 ベテルの町、ベテルに置かれた神殿がイスラエルを祝福するのではありません。金の子牛がイスラエルを守ることもありません。イスラエルを祝福されるのは、生けるまことの神です。イスラエルの民を守られるのは、真の主なる神のみです。異教の神を祀ってまことの神を怒らせ、その保護を失った北イスラエルは、ホセアが語ったとおり、アッシリアに滅ぼされ、今に至るまで再び王国を再建することは出来ていません。

 「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節)と言われます。主を信じ、愛しましょう。

 主よ、私たちの耳を開いてください。主の御言葉に耳を傾け、御旨を深く悟ることが出来ますように。主を信じ、従うことが出来ますように。今、強い台風10号が南の海上を北東に向けて進んでおり、明日、北日本に上陸する恐れが高まっています。進路にあたる地域に被害が出ませんように。犠牲者が出ないようにお守りください。 アーメン




8月28日(日) ホセア書9章

「彼らの悪はすべてギルガルにある。まさにそこで、わたしは彼らを憎む。その悪行のゆえに、彼らをわたしの家から追い出し、わたしは、もはや彼らを愛さない。」 ホセア書9章15節

 1節に「イスラエルよ、喜び祝うな」とあります。5節の「祝いの日、主の祭りの日に、お前たちはどうするつもりか」という言葉で、イスラエル建国を祝う三大祭に、ホセアが「喜び祝うな」と叫んでいるということが分かります。それは、イスラエルの民が自分の神を離れて姦淫しているからです(1節)。

 それで、「彼らは主の土地にとどまりえず、エフライムはエジプトに帰り、アッシリアで汚れたものを食べる」(3節)と告げられます。かつて、イスラエルはエジプトの奴隷状態から解放され、約束の地に来ました。エフライムがエジプトに帰るとは、再び奴隷とされるということ、アッシリアで汚れたものを食べるとは、アッシリアの奴隷とされて屈辱のパンを食べさせられるということです。

 ホセアのこのような宣告が、イスラエルの民に受け入れられることはなかったようです。むしろ、「預言者は愚か者とされ、霊の人は狂う」(7節)と言われるように、彼は愚か者と言われ、はたまた狂人扱いをされたのです。それゆえ、裁きを刈り取ることになってしまいます。

 冒頭の言葉(15節)に、「彼らの悪はすべてギルガルにある」とあります。「ギルガル」という地名が出て来たのは、本書中これが2回目です。1回目の4章15節では、「お前が遊女であっても―ユダは罪を犯すな―ギルガルに赴くな、ベト・アベンに上るな」と言われていました。

 「ベト・アベン」とは、「邪悪の家」という意味で、そこに異教の神が祀られていることを示しています。あるいは、ヤロブアムが「ベテル(「神の家」の意)」に金の子牛像を置いて拝むようにさせ、歴代の王がその罪を離れなかったということから、ホセアはベテルのことを「ベト・アベン」といっているのかも知れません。

 その関連で、「遊女」というのは、神殿娼婦のことでしょう。ギルガルとベト・アベンを並べているということは、ギルガルにも異教の神が祀られ、神殿娼婦による淫行が行われていたものと考えられます。実際、12章12節(口語訳、新改訳は11節)に、「ギルガルでは雄牛に犠牲をささげている」と記されています。それは、神の忌み嫌われることですから、冒頭の言葉のとおり、「まさにそこで、わたしは彼らを憎む」と言われるのです。

 ギルガルは、かつてエジプトを脱出したイスラエルの民が、ヨシュアに率いられてヨルダン川を渡り、約束の地カナンに入って最初に宿営した場所です(ヨシュア記4章19節)。神はヨシュアにヨルダン川で12の石を拾わせ、宿営した場所に据えさせました。それは、「地上のすべての民が主の御手の力強いことを知るためであり、また、あなたたちが常に、あなたたちの神、主を敬うためで」です(ヨシュア記4章24節)。

 そして、「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた」と主は言われています(同5章9節)。ここで、「取り除く」と訳されているのが、ガーラルという言葉で、そこから、ギルガルという地名が生まれたということになっています。

 そのような主なる神の御業を記念する大切な場所に、イスラエルの民は異教の神々の祭壇を築いていけにえをささげ、神殿娼婦たちによる淫行を行っていたのです。「まさにそこで、わたしは彼らを憎む」(15節)というのは、このことを言っているのです。イスラエルの恥辱を取り除いた場所、神の救いの御業が実現した場所が、神に憎まれる場所、イスラエルの民が捨てられる場所となったのです。

 10節には、「荒れ野でぶどうを見いだすように、わたしはイスラエルを見出した。いちじくが初めてつけた実のように、お前たちの先祖をわたしは見た。ところが、彼らはバアル・ペオルに行った」とあります。バアル・ペオルは、モアブの地にある町です。ペオルは、モアブで礼拝されている神で、民数記25章3,5節に「ペオルのバアル」と記されており、「モアブのバアル」と呼ばれることもあったようです。

 エジプトを脱出した民が、モアブの娘たちと異教の神の儀式に加わり、神の怒りを招きました。つまり、イスラエルの民は、エジプトを脱出し、約束の地に到着する以前から、神に背く者たちだったわけで、その意味で、「彼らの悪はすべてギルガルにある」ということは、約束の地に入ったとき、その初めから彼らは偶像礼拝の罪を犯していたということでしょう。

 そしてまた、ギルガルは、イスラエルの初代の王サウルが即位したところでもあります(サムエル記上11章14,15節)。そのこと自体に問題があるというわけではありませんが、しかし、イスラエルの民が王を立てるように求めたことについて、サムエルの目には悪と映ったと記されておりました(同8章6節)。

 さらに、サムエルの祈りに主が、「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨することを退けているのだ」と語られ(同7節)、続けて「彼らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、彼らのすることといえば、わたしを捨てて他の神々に仕えることだった」(同8節)と言われています。

 8章4節で、「彼らは王を立てた。しかし、それはわたしから出たことではない」と言われていましたが、それは、サムエル記上8章の出来事を指しているということも出来ます。

 私たちはどなたを王としているのでしょうか。どなたの言葉に耳を傾け、どなたの言葉に従って歩んでいるのでしょうか。絶えず心の王座を主イエスに明け渡して、王の王、主の主として拝し、その御言葉に聴き従って参りたいと思います。

 主よ、私たちは常にあなたの助けと導きを必要としています。あなたなしに生きることは、到底出来ません。あなたこそ私たちの神、あなたこそ私たちの王です。どうぞ私たちの心の真ん中においでくださり、瞬間瞬間、私たちの人生を導いてください。そうして、あなたの望まれるとおりの者とならせてください。 アーメン




8月27日(土) ホセア書8章

「彼らは風の中で蒔き、嵐の中で刈り取る。芽が伸びても、穂が出ず、麦粉を作ることができない。作ったとしても、他国の人々が食い尽くす。」 ホセア書8章7節

 1節で、「角笛を口に当てよ」と言われます。角笛は、町に危険が迫っていることを警告する警笛として、城壁の上で吹き鳴らすものです。預言者ホセアはこのとき、櫓の上にいる見張り役として、[鷲のように主の家を襲うものがある」ので、警笛を吹き鳴せと、主なる神から命じられているのです。申命記28章47~57節によれば、外敵の来襲を「鷲」に準えています。つまり、イスラエルに外敵来襲の危機が迫って来ているわけです。

 それは、彼らが神の契約を破り、律法に背いているからでした(1節)。それにも拘わらず、「わが神よ、我々はあなたに従っています」(2節)というのは、神の恵みを自ら退ける偽善の罪です(3節)。「恵み」と訳されているのは、「善」(トーブ)という言葉です。だから、「敵に追われるがよい」と言われるわけです。

 また、神によらず王を立て、高官たちを立てました(4節)。それは、神の指導には従わないということでした。そして、金銀で偶像を造りました。神の禁じられた偶像礼拝を行っていることです(4~6節、出エジプト記20章3~5節)。

 「お前の子牛を捨てよ」(5節)とは、ヤロブアムがベテルとダンに金の子牛像を置いてそれを拝ませたことを思わせます(列王記上12章28節以下)。その後、アハブが北イスラエルの首都サマリアにバアルの神殿を建て、バアルの祭壇を築きましたが(同16章31,32節)、ホセアはそこにも子牛像が置かれていたことを明らかにしています(6節)。

 冒頭の言葉(7節)に、「彼らは風の中で蒔き、嵐の中で刈り取る」と記されています。イスラエルの種蒔きは、わが国のそれとはかなり違っています。畑を耕し、畝を起こして、一粒でも無駄にならないように丁寧に蒔くというのではありません。

 種の入った袋を振り回して一帯に種を蒔き散らした後、そこを耕すというやり方をするのだそうです。遠くまで種を蒔くためには、少々風が吹いていたほうが都合がよかったでしょう。「風の中で種を蒔き」とは、そのことです。

 そういう蒔き方をすれば、主イエスが種まきのたとえで語られたように(マルコ福音書4章1節以下)、あるものは道端に落ち、あるものは石地に落ち、またあるものは茨の中に落ちたというのは、さもありなんということになります。多くの種が蒔かれたところが耕されて、そこがよい畑となるわけです。よい地に落ちた種は、30倍、60倍、100倍の実を結びます。

 しかし、「嵐の中で刈り取る」ということは、せっかく種が芽を出し実っても、収穫前に嵐が来れば、すべてが無駄になってしまう、すべての労苦が水の泡となってしまうということでしょう。これは、イスラエルの人々は国際情勢の風を読みながら、うまく舵取りが出来ているように思っているかもしれないこと、しかしながら、それが一切無駄になってしまうということを示しているようです。

 ただし、原文を直訳すると、「彼らは風を蒔いて、嵐を刈り取る」という言葉になります(口語訳、新改訳、岩波訳も参照)。コヘレトの言葉1章14節に、「わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった」という言葉があり、風を追うことは空しいことと言っています。

 「風」を蒔くことは、風を追うことと同様、何の助けにならない空しいことだということです。だから、「嵐」に象徴される「滅び」を刈り取ることになるのです。たとえ、「(麦粉を)作ったとしても、他国の人々が食い尽くす」ということで、自分たちの努力が無駄になるというより、他国に奪い去られることを明示しています。

 7章11節に、「エフライムは鳩のようだ。愚かで、悟りがない。エジプトに助けを求め、あるいは、アッシリアに頼って行く」と記されていました。それは、真の造り主を忘れ、その保護をあてにしないことです(14節)。エジプトに助けを求め、アッシリアに頼ることは、まさに風を追っているようなもので何の力にもならず、最後は時代の嵐に飲み込まれてしまいます。

 かつて栄えたエジプトやアッシリア、バビロン、ペルシア、ギリシア、ローマ、また、蒙古、大英帝国など。どの国が人類の希望となれるでしょうか。どの国が究極的な救いを保障してくれるでしょうか。

 人の力に頼るのは空しいことです。人は誰も、自分ひとりを救うことさえ出来ません。あなたを、私を救ってくれるのは、主イエス・キリストだけです。真の主を信じ、真の主に依り頼みましょう。日々の生活の中で、主を仰ぎ、主に従う道を歩み、確かな実を収穫することが出来るようにしていただきましょう。

 主よ、導きを感謝します。私たちにはもはや、罪の償いの祭壇は必要ありません。主イエスの十字架という確かな祭壇が、主ご自身によって打ち立てられたからです。私たちは十字架の主を仰ぎます。御言葉に耳を傾けます。どうぞ、御霊に満たしてください。あなたの御言葉がこの身になりますように。 アーメン





8月26日(金) ホセア書7章

「なんと災いなことか。彼らはわたしから離れ去った。わたしに背いたから、彼らは滅びる。どんなに彼らを救おうとしても、彼らはわたしに偽って語る。」 ホセア書7章13節

 預言者ホセアは、淫行の女性を妻としてめとり(1章2節)、夫に愛されていながら姦淫を犯す妻を愛せよと、主に命じられました(3章1節)。そのようにして、神に背いて偶像礼拝の罪を犯し続けるイスラエルを愛し続けて下さる神の、深い愛と憐れみを知ったのです。

 ホセアの目には、淫行を続ける妻と神に背き続けるイスラエルが、二重写しになっているのでしょう。そして今ホセアは、自分と神とを重ね合わせながら、1人称の「わたし」という言葉で、神のメッセージを語っています(6章11節以下)。神は繰り返し、イスラエルを御自分に立ち帰らせ、神の民を回復しようと働きかけておられます(6章11節、7章1,13,15節)。

 しかし、冒頭の言葉(13節)のとおり、イスラエルは神から遠く離れ去り、主の招きに応えようとはしません。応えても、それは偽りです(6章1節以下、4節参照)。異教の神々の儀式を行い、主には背を向けています(14節)。悪事を企みます(15節)。ねじれた弓のように空しいものに向かいます(16節)。

 事態は確実に悪くなって来ているのに、主を尋ね求めようともしません(10節)。それは、高慢だからと言われます(10節)。また、鳩のように愚かで悟りがないからだと言われます(11節)。「鳩」について、岩波訳の脚注に「鳩は愛の女神イシュタルの聖なる鳥で、その鳴き声が愛のささやきとも嘆きの声とも解釈されていたという」と記されています。異教の神や異国の力に頼ることの愚かさを言っているわけです。

 そうして、結局、自ら滅びを招いてしまうのです。冒頭の「なんと災いなことか」という言葉からは、諦めにも似た主なる神の悲しい思いが伝わって来ます。

 確かに神は、イスラエルの民が自ら方向転換してご自分のもとに返ってくることは、諦められたのかもしれません。しかし、それで人を救うことを諦められることはありませんでした。神は、「人が心に思うことは、幼いときから悪い」ということを承知の上で、それゆえ、人をこの大地の上から消し去ろうというのではなく、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」と決心されるお方なのです(創世記8章21節)。

 それはしかし、人の悪い行いには目をつぶり、人の悪を見ても見ないことにするということではありません。罪には裁きがあります。主は聖なる方、義なるお方です。罪を見過ごしにはなさいません。

 しかしながら、主なる神は、その裁きを私たち罪人に対してではなく、ご自分の独り子キリストの上に下し、十字架にかかられた主イエスの命の代価によって私たちを贖い、その罪を赦そうとお決めになったのです。贖いの血が流されることなしには罪の赦しはあり得ないからです(ヘブライ書9章22節)。

 ローマ書3章23,24節には、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただ、キリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」とあり、ガラテヤ書3章23節では、「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。『木にかけられた者は、皆呪われている』と書いてあるからです」と記されています。

 これは、まったく一方的に与えられた神の恵みです(エフェソ書2章8節)。「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」(第一テモテ書2章4節)。ここに、神の愛があります(第一ヨハネ書4章10節)。

 キリストを信じる信仰とは、この神の愛を受け止めることです。神がこの私を愛してくださっているんだと。そして、神に感謝することです。私を愛して下さって有難うございますと。そして、神を愛することです。主よ、私もあなたを愛しますと。神が、「わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」(6章6節)と語っておられる通りです。

 今日も、神は私たちを助け導いてくださいます。その神の御言葉を聞いたときに、心を頑なにせず、「はい」と答えて従いたいと思います。心の真ん中に主イエスを迎え、主の御心を絶えず中心に受け止めたいと思います。「愛」という漢字は、「心」を真ん中に「受ける」と書きます。神の愛を頂き、神を愛する者とならせて頂くのです。

 前からも後ろからも私たちを囲み、御手を私たちの上に置いていてくださる主に、いつも感謝しましょう。御手をもって私たちを導き、右の御手をもって私たちを捕らえてくださる主に従って歩みましょう。  

 主よ、絶えず御顔を慕い求め、主の御言葉に耳を傾けることが出来ますように。その深い御旨を悟ることが出来ますように。御言葉と御霊の御導きに従うことが出来ますように。そうして、主の御心がこの地になされるために用いられますように。 アーメン





即席ラーメンの日

今日8月25日は「即席ラーメンの日」だそうな。
それは、日清食品のチキンラーメンが1958年に発売された日。

発明したのは、安藤百福(ももふく)氏。
氏は台湾出身で日本人女性と結婚、帰化して妻となった女性の姓・安藤を名乗るようになりました。 

妻の仁子さんが天ぷらを揚げているのを見て、麺を油で揚げて乾燥させる「油熱乾燥法」を発明、お湯を注ぐだけで美味しく食べられる「チキンラーメン」を、58年前の今日、発売したのです。

社名を「日清食品株式会社」としたのは、「日々清らかに、豊かな味を作ろう」という思いからだったそうです。

瞬く間に人気商品となったチキンラーメンを見て、粗悪品、模造品が出回るのを懸念し、商標を登録し、製法特許を取りましたが、その際、113社が特許違反で警告を受けたそうです。
 しかし、6年後に日本ラーメン工業協会を設立して加盟メーカーに特許の使用を許可し、製法を公開します。
それは、「特許を独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展した方がいい」 と考えたからといいます。

それが、今日の日清食品ホールディングスの礎をより強固なものにしたのでしょう。


ラーメンといえば、小学生の頃、マルタイラーメンという棒状のラーメンをよく食べました。
一袋に二食分入っていて35円だったかな(1965年ごろ)。
昼食代を30円もらっていて、一人分では買えないので、兄弟の誰かと一緒にマルタイラーメンとソーセージなどを買って、作って食べるというのが、日曜日の昼食の定番メニューでした。

福岡市西部に本社を置くマルタイは、当然、豚骨味のスープでした。
1954年の発売ということですから、チキンラーメンよりも前のことですね。
URL http://www.marutai.co.jp/products/stick/post_20.php

今でも売られているマルタイラーメンを見ると、昔のことを懐かしく思い出します。




 

8月25日(木) ホセア書6章

「二日の後、主は我々を生かし、三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。」 ホセア書6章2節

 1節に「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし、我々を打たれたが、傷を包んでくださる」という悔い改めの言葉が記され、3節で「我々は知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ、降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように、我々を訪れてくださる」(3節)と、信仰を表わす言葉を告げます。

 何がイスラエルの民に、悔い改めの言葉を口にさせたのでしょうか。これまで語られて来たイスラエルに対する裁きの言葉(4,5章参照)に恐れをなしたのでしょうか。それとも、「わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め、苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで」(5章15節)という御言葉に応答したということなのでしょうか。

 しかしながら、4,5節に「お前たちの愛は朝の霧、すぐに消えうせる露のようだ。それゆえ、わたしは彼らを、預言者たちによって切り倒し、わたしの口の言葉をもって滅ぼす。わたしの行う裁きは光のように現れる」(4,5節)と告げられます。

 新共同訳は、1節から6節までの段落に「偽りの悔い改め」という小見出しをつけています。3節までの悔い改めの言葉を真実と認めず、その場しのぎの口先だけの言葉だと断じ、その不実のゆえに滅ぼすと主なる神がつげでおられる言葉だと解釈するのです。

 ホセアが預言者として働いた時代、ヤロブアム2世を筆頭に、ゼカルヤ、シャルム、メナヘム、ペカフヤ、ペカ、ホシェア、計7人の王たちの生涯が列王記下14章27節以下に短く紹介されていますが、その治世が1ヶ月と短かったシャルムを除き、「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を離れなかった」と評されています(同14章24節、15章9,18,24,23節、17章2節)。

 主イエスが弟子たちに、「あなたがたは皆わたしにつまずく」と話されたとき(マルコ福音書14章27節)、ペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」、「たとえ、ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(同29,31節)と答えました。

 それは、本心であったと思います。けれども、弟子たちは、主イエスを見捨てて逃げてしまい(同50節)、ペトロも、翌朝を迎えるまでに、「そんな人は知らない」と三度も、最後には呪いの言葉さえ口にしながら、主イエスとの関係を否定してしまい(同68,70,71節)、結果的に、ペトロの本心がその場しのぎの口先の言葉ということになってしまいました。

 そしてそれは、他人事ではありません。実際に口でそのように言うことはなくても、私たちの行動や態度で、およそ「イエスなど知らない」と語り続けているのではないでしょうか。そのような私たちのために主イエスが十字架に死に、私たちの信仰がなくならないように祈ったと仰せくださいます。その祈りと深い愛の御業によって守り、支えられている私たちです。

 イスラエルの人々は、冒頭の言葉(2節)のとおり、「二日の後、主は我々を生かし、三日目に、立ち上がらせてくださる」、と語りました。なぜ二日の後に生かされると語り得たのでしょう。「三日目に立ち上がらせてくださる」とは、何を根拠にしたものでしょう。「苦しみの短からんことを」という期待を込めた言葉なのでしょうか。

 ただ、4節以下から、神はこの言葉を民の真実な悔い改めと信仰の言葉として聞かれたとは思われません。にも拘らず、この言葉は重要な意味を持っています。パウロが、この言葉を念頭において、「聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(第一コリント15章4節)と記しています。つまり、この言葉を、主イエスの復活の預言と解釈したわけです。それは、主の贖いの業の完成であり、それにより、救いの道が開かれたということです。

 イスラエルの民の願い、祈りが、イエス・キリストの十字架と復活の出来事を通して成就したことになります。まさに、すべてのことは益となるということを明示している出来事です。そして、ここに神の真実な愛があります。

 私たちに思いを起させ、実現に至らせてくださる主の御言葉に耳を傾け、その御心に従って歩む者とならせて頂きましょう。

 主よ、深い愛と憐れみをもって私たちを守り導いてくださることを感謝します。絶えず、「我々は知ろう、主を知ることを追い求めよう」と語らせ、全身全霊をもって真実に神を愛することを学び、実行させてください。弱い私たちを助け、常に信仰に立つことが出来ますように。 アーメン






8月24日(水) ホセア書5章

「彼らは羊と牛を携えて主を尋ね求めるが、見いだすことはできない。主は彼らを離れ去られた。」 ホセア書5章6節

 5章の前半(1~7節)には、北イスラエルに対する審判が語られています。後半(8節以下)には、南ユダと北イスラエル、両王国の罪を裁く言葉が記されています。ホセアは、北イスラエルの預言者として、主の言葉を語っているわけですが、南ユダも神の裁きから無縁でいられないのです。

 1,2節に、ミツパ、タボルの山、シッテムという地名が挙げられています。ミツパは「見張り所」という意味で、イスラエルに何箇所か、その名で呼ばれる場所がありますが、この箇所では、ベニヤミン族に割り当てられ(ヨシュア記18章26節)、サムエルが断食と祈りのために民を招集した(サムエル記上7章3節以下)、南ユダとの国境近くにある町のことでしょう。

 タボル山はガリラヤ湖の西方約20km、イズレエル平原の北東端にある標高588mの山です。周囲にこれに並ぶ山はなく、ヘルモン山などと並び称されることもあります。後に、主イエスの姿代わりのした山であるという伝説が生まれました。その伝説に基づいて、コンスタンティヌス帝の母ヘレナが教会を建てました。

 シッテムは死海の北東部、エリコの対岸に位置する町で、出エジプトの民がヨルダン川を渡って約束の地に入る前、最後に宿営したところです。宿営中、彼らがモアブの娘たちに従ってペオルのバアルを慕ったので、主が憤られて、背信の者たちを撃たせるという出来事がありました(民数記25章1節以下)。

 「シッテム」は、「反逆者、反抗者」という意味があり、新改訳はこれを、「曲がった者たち」と訳しています。神に従うように指導すべき者が、道を曲げて異教の偶像礼拝に誘っていると解釈しているわけです。

 このように三つの地は、北イスラエルの南と北と東の場所を示しています。そして、罠、網、深く掘った穴という言葉で表現されているように、そこに異教の神々を祀る礼拝場所が設けられて、人々を惑わしていたのです。そして、異教の礼拝がその三箇所だけでなく、東に南に北に広がり、北イスラエルの全地で行われていたことを示していると考えられます。

 冒頭の言葉(6節)に、「彼らは羊と牛を携えて主を尋ね求めるが」とあります。異教の礼拝も行いながら、主への礼拝も続けられていたわけです。それは、国の安全を求め、家庭の平和を求め、生活の豊かさを求めて、そのために手当たり次第、何でも拝むということです。イスラエルの主なる神を信じ頼リ切ることが出来ず、より確かな安全保障を得るために、カナンの神々をも礼拝しているのです。

 主なる神は、モーセを通して十戒をイスラエルの民にお与えになりました。主は、「あなたには、わたしをおいて他に神があってはならない。あなたはいかなる(神の)像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(出エジプト記20章3~5節)と命じておられます。

 それは、主なる神がイスラエルの民を憐れみ、エジプトの国、奴隷の家から導き出されたから(同2節)、その熱情(愛)に応えて歩むことを期待しておられるわけです(同5,6節)。けれども、イスラエルの民はその命令に背いて異教の神々の像を造り、神殿に祀り、拝んでいたのです。祭司たちや王の家の者たちも(1節)、それを止めさせるどころか、神に逆らって、自ら落とし穴を大きくするという役割を果たしていたわけです。

 そうしながら、羊と牛を携えて主を尋ね求めたということは、いけにえを献げれば、偶像礼拝の罪を赦してもらえるとでも思っていたということでしょうか。むしろ、そのように主なる神に頼りつつ、他の神々の御利益にも期待していた、あれもこれもに保険をかけたつもりなのではないでしょうか。

 主なる神を信じ、仕えるとは、羊と牛を携えて来ることではありません。神の御言葉を聴いて行うこと、神に従うことです(エレミヤ書7章23節)。ですから、神は彼らの生け贄を神は喜ばれず、彼らから離れ去ってしまわれたのです。

 そのことが、8節以下「戦争の罪と罰」の段落において、「懲らしめの日が来れば、エフライムは廃墟と化す」(9節)と、具体的に告げられています。

 「ギブアで角笛を、ラマでラッパを吹き鳴らせ。ベト・アベンで鬨の声をあげよ」(8節)とは、南ユダ王国との国境線から侵入してくる者たちのために警戒警報をならせということです。侵入してくるのは南ユダの軍隊で、10節の「ユダの将軍たちは国境を移す者となった」もそれを示しています。

 ホセアの活動中、南ユダと戦争を構える事態というのは、北イスラエルの王ペカがアラムの王レツィンと連合してユダを攻めようとしたときのことです(列王記下16章5節以下)。そのとき、ユダの王アハズはアッシリアの王ティグラト・ピレセルに援軍を求め、アッシリアの王はそれに応じてダマスコを占領し、イスラエルとアラムの連合軍は瓦解しました。

 ホセアの預言は、北イスラエル王国が北はアッシリアに、南はユダに脅かされ、やがて滅ぼされることを告げていますが、その原因が北イスラエルの背信にあること、それゆえ、主なる神が真の敵となられたことを示しているのです。 

 しかし、主なる神は彼らを断罪し、滅ぼし尽くそうとしておられるわけではありません。16節に、「わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め、苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで」と言われます。主は、彼らが悔い改めること、真実に主を尋ね求めることを願っておられるのです。

 私たちも、「論語読みの論語知らず」ならぬ「聖書読みの聖書知らず」という者にならないように、御言葉を聞いても行わない者とならないように、日々御言葉に耳を傾け、主の御心に従って歩んで参りましょう。

 主よ、日毎にあなたを畏れることを学び、御言葉に耳を傾け、御心に従って忠実に歩ませてください。御霊の力を受け、その導きにしたがって御名の栄光を常に賛め称え、周囲の人々に主イエスの恵み、神の愛を証しすることができますように。 アーメン




8月23日(火) ホセア書4章

「わが民は知ることを拒んだので沈黙させられる。お前が知識を退けたので、わたしもお前を退けて、もはや、わたしの祭司とはしない。お前が神の律法を忘れたので、わたしもお前の子らを忘れる。」 ホセア書4章6節


 先週から、ホセア書を読んでいます。ホセア書からマラキ書までを小預言者と言います。大預言者とは、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書のことです。大預言者はそれぞれが一つの巻物に記されましたが、小預言者は、12の預言書をまとめて一つの巻物に記されています。それで、ユダヤ教の正典の中では「12預言者」と呼ばれています。

 本書にその名が記されているホセアについて、具体的なことはよく分かっていません。ホセアという名前は、「ヨシュア」の変形で、「主は救う」という意味があります。ヌンの子ヨシュアは、もとはホシェアという名であり(民数記13章8,16節)、モーセがそれをヨシュアと呼びました。原語は、ホセアとホシェアは同じ綴りです。

 1章1節の王のリストから、ホセアが紀元前750年から721年頃にかけて、北イスラエルにおいて活動した預言者と考えられます。 北イスラエルの王ヤロブアム(在位・紀元前786~746年)の晩年に働きを始め、王国がアッシリアに滅ぼされるまで続きました。

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 4章以降は、3章までとはうって変わって、イスラエルを裁かれる主の言葉が記されています。1節に、「主の言葉を聞け」と記されていますが、「主の言葉」というのは、この箇所と、1章1節の2箇所に出て来るだけです。即ち、「主の言葉」が、3章までの第一部と、4章以下の第二部を始める合図、鍵言葉になっているわけです。

 第一部では、預言者ホセアの結婚生活に関係する言葉で、イスラエルの回復と救いを告げていたのに対し、第二部は、イスラエルの罪を法廷で告発するような言葉になっています。これは、回復と救いの言葉を告げたけれども、思い返して、やはり裁くことにしたということではありません。

 第一部で回復と救いの言葉が告げられていますが、イスラエルはいかなる罪を犯して神に裁かれたのか、そして、どんな罪の呪いから解放され、回復と救いが与えられるのかを明らかにするために、第一部を補足する目的で、第二部が記されたと考えるべきでしょう。

 主がイスラエルの罪を告発して、「この国には、誠実さも慈しみも、神を知ることもない」と言われます(1節)。誠実さと慈しみは、主と民との関係、民同士の関係の真実さ、愛情の深さを示すものです。「呪い、欺き、人殺し、盗み、姦淫がはびこり、流血に流血が続いている」のは(2節)、誠実さも慈しみもないことの明白な証拠です。

 冒頭の言葉(6節)でホセアは、「お前が知識を退けたので、わたしもお前を退けて、もはや、わたしの祭司とはしない」と語っています。ここに言われている「知識」とは、1節で「神を知ることもない」と言われているように、主を知る知識のことです。そしてそれは、主を畏れる知恵のことと言ってよいでしょう(箴言1章7節参照)。

 「わが民は知ることを拒んだので」と言われていますから、祭司には、主の御言葉を人々に教える務めがありましたが、民はそれを聞こうとしなかったということです。それだけでなく、「お前が知識を退けたので」と言われていますので、祭司自ら、主の御言葉を聞こうとしなかった、神への畏れを失ってしまっていると断罪されているのです。

 「知識を退けた」ということについて、8節には、「彼らはわが民の贖罪の献げ物をむさぼり、民が罪を犯すのを当てにしている」と記されています。これは、サムエル記上2章12節以下で、シロの祭司エリの息子たちが犯していた罪と同様です。おのが腹を満たすため主への供え物を軽んじ、神を侮ったので(同2章17,30節)、エリの家に裁きが下りました。

 特に、「淫行にふける」という表現で、異教の神々を祀る偶像礼拝に民を巻き込む罪が告発されています(10節以下)。ネバトの子ヤロブアムの罪が、彼に続く王たちから祭司、民に至るまで浸透していて、神が遣わされる預言者の声に耳を貸そうとしなかったということです。それを、「ぶどう酒と新しい酒は心を奪う」(11節)、「彼らは酔いしれたまま、淫行を重ね」(18節)という言葉で表現しています。

 「沈黙させられる」(ダーマー)と訳されている言葉は、「止める、止めさせる、破壊される、荒廃する」という意味の言葉で、口語訳では、「わたしの民は知識がないために滅ぼされる」と訳しています。イスラエルが滅ぼされるのは、彼らが主の知識を退け、主の教えを拒んだからだというのです。

 それを「沈黙させる」(5節)、「沈黙させられる」(6節)と訳すのは、詩編の「国々の偶像は金銀に過ぎず、人間の手が造ったもの。口があっても話せず、目があっても見えない」(詩編115編4,5節)、「偶像を造り、それに依り頼む者は皆、偶像と同じようになる」(同8節)という言葉から、神の裁きを受けて、口のきけない偶像と同じようにされたと考えたらよいのでしょう。

 今日、私たちは、「選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です」(第一ペトロ2章9節)。私たちには、主を知ること、すなわち主と深く交わることの出来る恵みと特権が与えられており、そして、主の愛と恵みを証しする務めに立てられています。

 知識がないために滅ぼされるということがないように、知識を捨てたので退けられるということがないように、知ることを拒んで沈黙させられることがないように、御言葉を忘れて主に忘れられるということがないように、日々主の御言葉に耳を傾け、導きに従って歩みましょう。

 主よ、私たちの歩みの上に、主の恵みと慈しみが絶えず豊かにありますように。御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩むことが出来ますように。御霊に満たされ、主の証人として御業に励むことが出来ますように。御心がこの地に行われ、御名が崇められますように。 アーメン




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