風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2016年05月

5月31日(火) エレミヤ書37章

「ゼデキヤ王は使者を送ってエレミヤを連れて来させ、宮廷でひそかに尋ねた。『主から何か言葉があったか』。エレミヤは答えた。『ありました。バビロンの王の手にあなたは渡されます』。」 エレミヤ書37章17節

 「ヨヤキムの子コンヤに代わって、ヨシヤの子ゼデキヤが王位についた」(1節)のは、紀元前597年のことです。ヨヤキム以来の反バビロン政策に対し、バビロンがエルサレムに攻め寄せ、コンヤはバビロンに降伏して捕囚となります。これが、第一次バビロン捕囚です。そして、バビロンの王はエコンヤの叔父マタンヤを王とし、その名をゼデキヤと改めさせました(列王記下24章17節)。

 バビロンによる傀儡政権が誕生したわけですが、イスラエルには親エジプト派の高官たちがいて、エジプトと手を結んでバビロンに背くようゼデキヤに圧力をかけけます。またエジプトも、バビロンに対抗するため、イスラエルを初めパレスティナ諸国に同盟を呼びかけます。そのような動きに負け、ゼデキヤはついにバビロンに反旗を翻します。

 列王記下24章20節の「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した」という記述は、エルサレムとユダを御前から捨て去るために、ゼデキヤを頑なにしてバビロンに背かせたと読めます。 

 そこで、バビロンの王ネブカドネツァルは、全軍を率いてエルサレムを攻めます(同25章1節以下)。エルサレムはその攻撃に対し、2年の長きにわたり持ちこたえました(同2節)。三方を谷に囲まれているエルサレムは、確かに「シオン=要害」と呼ばれるにふさわしい都でした。

 その間、エジプトがエルサレムに援軍を送ったことがあります。紀元前588年のことです。それが5節で、「折しも、ファラオの軍隊がエジプトから進撃してきた」と言われていることです。そのため、バビロン軍は一旦エルサレムの包囲を解き、エジプト軍を迎撃するために向かいます。

 ちょうどその頃、ゼデキヤがエレミヤのもとに使いを遣わして、「我々のために、我々の神、主に祈って欲しい」(5節)と頼んでいたのです。日頃、エレミヤの預言には耳を貸そうともしていなかったのに(2節参照)、バビロン軍の包囲を受けて、溺れる者が藁をつかもうと、苦しいときの神頼みに走ったわけです。

 かつて、アッシリア軍がエルサレムを攻め囲んだときのこと(列王記下18章13節以下参照)、ユダの王ヒゼキヤが預言者イザヤに執り成しの祈りを依頼します(同19章1節以下)。そうすると、クシュの王ティルハカが戦いを交えようと軍を進めているという知らせがアッシリア軍のもとに届きます(同9節)。そこで、アッシリアはさらにヒゼキヤを脅し、降伏させようとします(同10節以下)。

 それを受けて、ヒゼキヤは主の前に祈りをささげると(同15節以下)、主はイザヤに、「主はアッシリアの王についてこう言われる。彼が都に入城することはない、そこに矢を射ることも、盾を持って向かって来ることもない」(同32節)、「わたしはこの都を守りぬいて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために」(同34節)とヒゼキヤに告げさせ、その夜の内に主の御使いがアッシリア軍を撃ち、全滅させたのです。

 ゼデキヤは、このような展開になることを期待していたのではないでしょうか。しかしながら、事態はそのようには動きませんでした。主はエレミヤに、「お前たちを救援しようと出動したファラオの軍隊は、自分の国エジプトへ帰って行く。カルデア軍が再び来て、この都を攻撃し、占領し火を放つ」(7,8節)と告げました。

 その後エレミヤは、無実の罪で書記官ヨナタンの家に監禁されました(11節以下、15節)。ゼデキヤが宮廷に召し、冒頭の言葉(17節)のとおり、「主から何か言葉があったか」と尋ねます。監禁された苦しみから解放されるために、ゼデキヤのためになる預言が引き出せないかと期待していたのかも知れません。けれども、エレミヤの答えは、「バビロンの王の手にあなたは渡されます」というものでした。

 王の気に入る言葉を語らないエレミヤは、その後も監禁生活が続きます。偽りの預言者は、自由に行動しています(19節参照)。ゼデキヤに限らず、私たちも、自分の気に入らない言葉は、たとい真実でも、それに耳を傾けることは困難です。嘘でも、自分に快い言葉を聞きたいと思うのです。

 ゼデキヤは、エレミヤを書記官ヨナタンの家の地下牢に戻さず、自分の監視下に置き、食べ物を与えました。洗礼者ヨハネを監禁していたヘロデのような心境だったのかも知れません(マルコ6章17節以下)。

 しかし、大切なことは、私たちの気に入る言葉が聞けるかどうかではなく、真実な主の言葉に耳を傾け、その導きに忠実に従うことなのです。

 「心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ書12章2節)。

 主よ、あなたの御言葉を聴かせてください。それによって御旨を悟り、真理のうちを歩むことが出来ますように。あなたの恵みを与えてください。それによって御心を行い、主の御名の栄光を表すことが出来ますように。 アーメン




5月30日(月) エレミヤ書36章

「このすべての言葉を聞きながら、王もその側近もだれひとり恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった。」 エレミヤ書36章24節

 1節に「ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムの第4年」とあるのは、紀元前605年のことで、バビロンがカルケミシュでエジプトを破り、メソポタミア地域を支配下に治めて、シリア・パレスティナへの進軍を始めた時期です。

 主がエレミヤに、「巻物を取り、わたしがヨシヤの時代から今日に至るまで、イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい」と命じられました(2節)。「ヨシヤの時代」とは、1章2節の「その治世の第13年」(紀元前627年)ごろということで、それから20年余りに亘り、エレミヤは預言者としての務めをなしてきたのです。

 それらの預言がすべて書き記されることで、「ユダの家は、わたしがくだそうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち帰るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す」(3節)と言われました。そこで、エレミヤはバルクを呼び、巻物に口述筆記させます(4節以下)。こうして、エレミヤ書のプロトタイプが出来ることになりました。

 「ヨヤキムの治世の第5年9月」(9節)、それは紀元前604年12月ごろのことですが、バルクは神殿でエレミヤの言葉を読みました。それを、「書記官、シャファンの子ゲマルヤの部屋からすべての人々の読み聞かせた」のです。

 「主の前で断食する布告が出された」というのは、国の危機にあたって断食が布告されたということで、その状況下、神殿に集まる人々にエレミヤの言葉を語り聞かせたわけです。

 それを聞いたゲマルヤの子ミカヤは、王の高官たちにそれを伝え、そこでバルクはもう一度読みます(13節以下)。高官たちは、「この言葉はすべて王に伝えねばならない」(16節)と言いますが、それによってエレミヤに危害の及ぶのを恐れ、「あなたとエレミヤは急いで身を隠しなさい」とバルクに言います(19節)。

 そして、宮殿の冬の家にいた王の前で、エレミヤの預言が記された巻物が読み上げられます(21節)。王は、読む端からその巻物を切り裂き、暖炉の火にくべてしまいました(23節)。単にエレミヤの言葉に腹を立てたというようなことではなく、その言葉を無力化するために、侮辱的な扱いをしたのです。

 彼らは、冒頭の言葉(24節)のとおり、エレミヤの言葉を聞きながら、だれも神の裁きを恐れず、神が期待したような、衣服を裂いて悔い改め、「悪の道から立ち返ろう」というそぶりも見せませんでした。

 その時、ヨヤキムは何を拠り所に、そのような振る舞いに及んだのでしょうか。それはここに記されてはいませんが、それが、生ける水の源である主を捨てて無用の水溜を掘り、しかもそれは、水をためることのできないこわれた水溜だったということです(2章13節)。

 かつて、ヨヤキムの父王ヨシヤは、神殿で律法の書が見つかり、書記官シャファンがそれを読み上げたとき、衣を裂き(列王記下22章8節以下、11節)、ユダとエルサレムのすべての民にそれを読み聞かせて、主の戒めと定めと掟を守り、契約の言葉を実行することを誓いました(同23章1節以下、3節)。そのように徹底的に主に従った王はいなかったと、賛辞が語られます(同25節)。

 ここに、ヨシヤ王と書記官シャファン、ヨシヤの子ヨヤキムとシャファンの子ゲマルヤという2世代の王と書記官の組み合わせがあります。しかしながら、書記官が伝えた神の言葉に対する王の対応は、全く違いました。ヨシヤ王は、書記官シャファンの朗読する神の言葉で衣を裂いて悔い改めましたが、その子ヨヤキムは、シャファンの子ゲマルヤが巻物を燃やさないようにと懇願するのに、耳を貸しませんでした(25節)。

 最上級の賛辞が献げられたヨシヤ王ですが、しかし列王記の記者は、「(ヨシヤの祖父)マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとはなさらなかった」(列王記下23章26節)と報告しています。焼け石に水ということでしょうか。

 しかし、エレミヤに語りかけられた3節の主の言葉からすれば、いかに焼け石に水でも、続けていけばその熱を冷まし、いつか炎を消すことが出来るということになるでしょう。けれども、ヨシヤの子ヨヤキムは、主の言葉に耳を傾けようともしません。逆に、火に油を注ぐような振る舞いをします。

 これが、31章29節で「先祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」と言われた、旧い契約に基づいて、先祖の罪で子孫が祟られるという、罪の呪いでしょう(出エジプト記20章5節)。

 けれども、主なる神は御子キリストをこの世に遣わされ、罪の呪いを断ち切り、「新しい契約」(31章31節)を結ぶために、十字架で贖いの業を完成してくださいました。主イエスを信じる信仰により、その救いに与ることが出来るようにしてくださったのです。

 主イエスが開いてくださった新しい道を、主を信じて真心から神に近づきましょう(ヘブライ書10章20,22節)。互いに愛と善行に励むように心がけ、共に集まり、励まし合いましょう(同24節)。主イエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう(13章15節)。

 主よ、ヨヤキムは神の言葉を暖炉の薪程度にしか考えず、その結果、そこに記されていた罪の呪いを身に受けることになりました。御言葉を蔑ろにし、わがままに振る舞う愚かな私たちを憐れんでください。聖霊に満たされ、心から御名を褒め称えつつ、御言葉の導きに従って歩むものとしてください。御名が崇められますように。 アーメン





5月29日(日) エレミヤ書35章

「我々はぶどう酒を飲みません。父祖レカブの子ヨナダブが、子々孫々に至るまでぶどう酒を飲んではならない、と命じたからです。」 エレミヤ書35章6節

 35章には、「レカブ人の忠誠」という小見出しがつけられていますが、ここに登場する「レカブ人」について、詳しいことはよく分かりません。歴代誌上2章25節に、「これらは、ベト・レカブの父ハマトから出たカイン人である」と記されており、ユダ南部の荒れ野のカイン人と血縁関係にあるものと思われます。

 冒頭の言葉(6節)に、「レカブの子ヨナダブ」という人物の名が記されていますが、この名は、列王記下10章15節に、「イエフがそこを出て進んで行くと、彼を迎えに出たレカブの子ヨナダブに会った」と記されており、そのときヨナダブは、イエフと協力してアハブ王の家を滅ぼし(同16,17節)、バアルに仕える者たちを一掃したと述べられています(同23節以下)。

 1節の「ヨシヤの子ヨヤキムの時代」とは、紀元前609年から598年までの間の11年間を指します(列王記下23章36節以下)。11節に、「今は、バビロンの王ネブカドレツァルがこの国に攻め上ってきたので」と記されているので、バビロンがアッシリアを支援したエジプト軍をカルケミシュで破り、パレスティナ一帯の制覇を目論んでエルサレムに攻め上って来た紀元前601年ころということになるでしょう(列王記下24章1節)。

 そのとき、レカブ人一族は、バビロン軍の攻撃により、エルサレムで避難生活をしていたのです(11節)。主はエレミヤに、彼らを神殿に招き、ぶどう酒を飲ませよと命じられました(2節)。そこでエレミヤは主の命に従い、一族全員を神殿の一室に招き、ぶどう酒を振舞います。

 ここで、異邦人がエルサレム神殿の一室に入ることが出来たというのは、とても不思議なことです(エゼキエル書44章7節、使徒言行録21章28,29節参照)。主のご命令ということで、特別に許可されたのでしょうか。それとも、イエフに協力して北イスラエルからバアルに仕える者を一掃した折りに、彼らは主に仕える者となったということでしょうか。

 話を元に戻して、エレミヤが「ぶどう酒を飲んでください」と言ったとき(5節)、レカブ人はだれ一人、振舞われたぶどう酒を飲もうとしませんでした。それは、父祖レカブの子ヨナダブが、子々孫々に至るまで、ぶどう酒を飲んではならないと命じていたからです(6節)。

 ヨナダブはまた、家を建てるな、種を蒔くな、ぶどう園を作るな、また、それらを所有せず、生涯天幕に住むようにと命じ(7節)、そうすれば、お前たちが滞在する土地で長く生きることが出来ると請け合っていました。ある種、農耕文化を拒否し、遊牧生活に留まるということを家訓としたわけです。そして、ヨナダブの子孫は、その家訓を忠実に守り続けていたのです(8~10節)。

 主なる神はエレミヤに、レカブ人はその父祖ヨナダブの命令に聞き従っているのに、ユダの人々とエルサレムの住民が、神である主の言葉に聞き従おうとしないのはどういうことか。だから、予告していたとおり、あらゆる災いをユダとエルサレムの全住民に送るとエレミヤに告げさせます(12節以下、17節)。

 主は今、イスラエルの民が断酒を実行するよう求めておられるわけではありません。禁欲的な生活を求めておられるというわけでもありません。

 何を求めておられるのか、それは、「おのおの悪の道を離れて立ち帰り、行いを正せ。他の神々に仕え従うな」(15節前半)との主の命令に、レカブ人のごとく忠実に聴き従うことです。そうするならば、「わたしがお前たちと父祖に与えた国土にとどまることができる」と約束されていました。それはヨナダブが子孫に、お前たちの滞在する土地で長く生きることができると請け合っていたことに通じています。

 主なる神は繰り返し預言者を遣わして、御言葉に聴き従うよう、招き続けてこられました(14,15節)。7章25節には、「お前たちの先祖がエジプトの地から出たその日から、今日に至るまで、わたしの僕である預言者らを、常に繰り返しお前たちに遣わした」と記されていました。けれども、ユダの人々は、主の御言葉に耳を傾けず、その招きに応答しませんでした。

 主が繰り返し語られ、繰り返し預言者が遣わされたのは、民がその言葉に耳を傾けようとしなかったからです。それゆえ彼らの上にあらゆる災いが臨み(17節)、結局、主が彼らに与えた国土に留まることが出来ないようになってしまったわけです。

 主が忠実さを求められるという点で思い出されるのは、マタイ福音書2章14節以下にある「タラントンのたとえ話」です。主人が僕たちに財産を預けて旅に出、帰って来たときにそれを精算するという話です。

 預けられたもので商売し、利益をもたらした僕には、「忠実なよい僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(22,23節)と言い、そうしなかった僕には、「怠け者の悪い僕だ」(26節)と言って彼に預けた財産を取り上げ(28,29節)、外の暗闇に追い出します(30節)。

 忠実な僕と怠惰な僕の違いは、主人に委ねられたものに態度であり、それは、主人に対する信頼の違いといってもよいのでしょう。怠惰な者は、主人を信頼するより恐れていて、主人から委ねられたものを活かして用いることが出来ませんでした。

 私たちの命、私たちの人生は、主から預けられたものです。私たちが自分の好き勝手に出来るものではありません。自分の人生という主から委ねられているものをどのように受け止めているのか、どう活かしているのかが問われます。人生を精算するとき、「忠実なよい僕だ。よくやった」と言われたいものです。

 そのために、主に信頼して日々御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩ませて頂きましょう。

 主よ、エルサレムの民には、エレミヤの言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、民と、信仰によって結び付かなかったためです。あなたの憐れみによって、主を信じ、キリストの教会に連なることを許された私たちが、キリストから離れることがないように、絶えず御言葉をお与えください。御霊の導きに与り、忠実な僕とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン






5月28日(土) エレミヤ書34章

「ところがお前たちは、またもや、態度を変えてわたしの名を汚した。彼らの望みどおり自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としている。」 エレミヤ書34章16節

 バビロンによる攻撃が続く中、エレミヤに主の言葉が臨みました(1節)。それは、ゼデキヤ王がバビロンの捕囚となること(3節)、しかし、平和(シャローム)のうちに死に、葬りの儀が行われるということでした(5節)。

 3節の言葉は、32章4,5節とほぼ同じものです。しかし、5節は、そのとおりに実現しませんでした。39章4~7節、52章7~11節に、その実態が記されています。そのことを、預言が外れたと解する向きもあるようですが、38章17,18節などとの関連で、エレミヤの言葉を受けてバビロンに降伏するならばという条件付きの預言だったのではないかと思います。

 しかしながら、8節以下の段落には、ゼデキヤ王が主の言葉に聞き従う思いのないことが明らかにされています。

 8節に、「ゼデキヤ王が、エルサレムにいる民と契約を結んで奴隷の解放を宣言した」という言葉が記されています。申命記15章12節に、ヘブライ人の奴隷を買うなら、7年目には無償で自由の身として去らせなければならないという規定があります。

 また、レビ記25章39節以下に、同胞が貧しく、あなたに身売りしたならば、その人をあなたの奴隷として働かせてはならない。雇い人か滞在者として共に住まわせ、ヨベルの年の後、家族のもとに帰ることが出来ると規定されています。

 これらの規定は、かつてイスラエルの民がエジプトの奴隷であったとき、主なる神が強い御手をもって彼らを救い、約束の地へ導き入れてくださったことを忘れず、更に主の恵みに与らせるために定められたものでした(申命記15章14節以下、18節参照)。しかしながら、民はこの規定を守ってはいませんでした(14節)。

 ここで、この契約が成立した背景には、律法の規定を守ることで、バビロン軍の攻撃(7節)からエルサレムの都が守られるのではないかという期待があったと思われます。また、エルサレムの都がバビロン軍に包囲されて兵糧攻めが行われ(列王下25章1~3節)、奴隷を養うことが困難になったことが考えられます。

 ところが、この契約は直ぐに反故にされます。一旦自由の身として去らせたものを、再び奴隷とします(11,16節)。それは、エルサレムを包囲していたバビロン軍が、その包囲を解いて撤退したためでした(21節)。というのは、バビロン軍を背後から攻めるため、イスラエル待望のエジプト軍が北上して来たからです。

 それにより、かつてヒゼキヤの代にエルサレムを包囲したアッシリア軍が全滅させられたように(列王下19章)、バビロン軍が敗走して平和が回復するなら、奴隷を解放するという契約は必要ない、元通りの生活が出来るようになるなら、やなり奴隷は必要だというわけです。

 これは、エジプトの王が初子が打たれるという苦しみを味わって、イスラエルの民を解放した後(出エジプト記12章29節以下)、再び頑迷になって(同14章5節)彼らの後を追い(同6節以下)、結局、葦の海の中に投げ込まれて、一人残らず命を落とした(同27,28節)という記事を思い起こさせます。

 身勝手な振る舞いに対して、主は、冒頭の言葉(16節)のとおり、「お前たちは、またもや、態度を変えてわたしの名を汚した」と断じ、「お前たちが、同胞、隣人に解放を宣言せよというわたしの命令に従わなかったので、わたしはお前たちに解放を宣言する。それは剣、疫病、飢饉に渡す解放である」と宣告されます(17節)。即ち、神の守りが彼らを離れ、彼らは裁きに渡されるわけです。

 「剣、疫病、飢饉に渡す」というのは、これまで何度も語られて来た裁きの言葉です(14章12節、21章9節、24章10節、27章8節、29章17節、32章14,36節)。 剣を逃れても、疫病や飢饉が待ち受けていて、死を免れることは出来ないということです。

 契約を結ぶとき、彼らは子牛を二つに切り裂き、その間を通るという儀式を行いました(18節)。これは、アブラハムが神と契約を結ぶときにも行われた方法です(創世記15章9節以下、17,18節)。もしも契約を破るようなことをすれば、その身が二つに裂かれることになるという呪いの誓いなのです。だから、「あの子牛のようにする」と言われるのです。

 そして、契約に参加したユダとエルサレムの貴族、役人、祭司、および国の民のすべてが敵に手に渡され、その死体は鳥や獣の餌食となると告げられます(20節)。そして、それを実行するために、神はゼデキヤ王と貴族たちを敵の手に渡し、エルサレムの都を占領して火を放ち、ユダの町々を廃墟とするよう命令を下すと言われました(22節)。

 振り返って考えてみると、苦しいときの神頼みで、祈りをかなえて欲しくて神に善行を誓ったりしますが、苦しみが去るとその誓いを忘れ、善行に励むことを怠ったという経験があります。私には、ゼデキヤを非難する資格はありません。

 あらためて、神がイスラエルの民に同胞を奴隷とすることを禁じ、奴隷を解放するように命じたのは、彼らが神の憐れみによってエジプトでの奴隷生活から救い出されたからでした(申命記15章15節)。私たちが神の憐れみに与ったのは、その憐れみを受けて他者と愛し合う生き方をするようにと、導かれているわけです。

 「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなた方も罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」(ルカ6章36,37節)。

 「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(第一ペトロ3章9節)。

 主の救いに与ったアブラハムの子として、隣人を愛し、常に祝福を祈るものとならせていただきましょう。 

 主よ、ここに見るゼデキヤの罪は、あなたの恵みに慣れ、自分のなすべき務めを忘れて人を裁き、不平を言う私たち自身の罪の姿です。どうか私たちの罪を赦してください。心を清め、新しい霊を授け、人を裁かず、罪人と定めず、互いに赦し赦され、祝福を祈り合う者とならせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン




5月27日(金) エレミヤ書33章

「わたしを呼べ。わたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる。」 エレミヤ書33章3節

 冒頭の言葉(3節)で、「わたし」と言われるのは主なる神で、2節に、「創造者、主、すべてを形づくり、確かにされる方。その御名は主」と紹介されています。万物の創造者であり、主である神が、「わたしを呼べ」、即ち、祈り求めよと言われるということは、その祈りを聞いてくださるということです。

 そして、「あなたの知らない隠された大いなることを告げ知らせる」というのですから、今までにない新しい神の御業が告げられるというわけです。しかも、神の言葉は必ず実現するのですから(創世記1章3節、詩編33編6,9節、イザヤ55章11節、ルカ1章45節参照)、そこに創造的な御業が起こされることになります。

 あらためて、ここで「わたしを呼べ」と言われるということは、イスラエルの民が主なる神を呼んでいなかった、主に祈りをささげていなかったということになります。エルサレムがバビロン軍に包囲されて、命運尽きかけているときにも、なお、まことの神に頼らず、自分たちの力に加えてエジプトの援軍に期待し、その上、異教の偶像に祈り願っていたのでしょうか。

 だからこそ、神の怒りを買い、亡国の憂き目を見なければならないようにされたわけです。「彼らはカルデア人と戦うが、都は死体に溢れるであろう。わたしが怒りと憤りをもって彼らを打ち殺し、そのあらゆる悪行のゆえに、この都から顔を背けたからだ」(5節)と言われます。

 けれども、それによってイスラエルを破壊し尽くし、民をこの世から完全に消し去るというのではありません。そのことについて、31章2節に、「民の中で、剣を免れた者は、荒れ野で恵みを受ける」という言葉がありました。

 荒れ野に引き出されることは、絶えず命が脅かされる、死に直面させられるということです。しかし、バビロンという荒れ野に導かれた者、即ち、バビロンの捕囚とされた者はその地で恵みを受け、それを拒む者は剣で滅ぼされてしまいます。

 主イエスは、バプテスマの後、聖霊の導きで荒れ野に行かれ(マタイ4章1節)。悪魔の誘惑を受けられました(同3節以下)。「誘惑をうける」(ペイラゾー)は、「試みにあう」という言葉です。艱難辛苦を試練と考えて耐え忍ぶならば、豊かな成長の時となり、信仰を確固たるものとするでしょう。

 ヘブライ書5章8節には、「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」と記されています。荒れ野でなければ、その苦しみを経なければ学び得ないものというものがあるということです。

 イスラエルの民は、バビロン捕囚という荒れ野の苦しみを経て、神への従順を学び、予想もしていなかったところからの大いなる恵みに浴することになると言われているわけです。そのときの鍵となるのが、そこで主の御名を呼ぶこと、神に祈り求めることです。

 故榎本保郎先生が、列王記上18章のエリヤとバアルの預言者との戦いの箇所で、「彼(エリヤ)は壊された主の祭壇を修復した」(30節)という言葉から、「あなたの祈りの祭壇は壊れていませんか。主の御名を呼ぶ祈りが絶えず芳しい香りとして主の御前に立ち上っているでしょうか。実に、壊れやすいのは祈りの祭壇です」と語られていました。もっと熱く、信仰をもって祈る者になりたいと思います。

 6節に、「見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復をもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す」とあります。30章17節にも、「さあ、わたしがお前の傷を治し、打ち傷をいやそう、と主は言われる」と記されていました。

 ペトロがイザヤ書53章5節を引用しながら、「(キリストが)十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが罪に死んで、義に生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」(第一ペトロ書2章24節)と語っています。

 こうして、私たちの身代わりとなられたキリストの受難、荒れ野の苦しみを通して、私たちに癒やしと平和が与えられたのです。

 詩編にも、「彼はわたしを慕う者だから、彼を災いから逃れさせよう。わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう。生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう」(詩91編14~16節)という言葉があります。

 主の恵みに与り、喜びと感謝を込めて、絶えず主の御名を呼び、祈りと願いをささげましょう。  

 主よ、あなたは今も生きて私たちと共におられ、私たちの内に働いていてくださいます。絶えず、御名を呼び求めます。祈りをささげます。私たちの人生に、この町に、日本に、不思議な大いなる御業を表してください。主イエスを信じる信仰により、神の恵みと助けをしっかりと受け取ることが出来ますように。 アーメン






5月26日(木) エレミヤ書32章

「イスラエルの神はこういわれる。これらの証書、即ち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。」 エレミヤ書32章14節

 1節に、「ユダの王ゼデキヤの第十年、ネブカドレツァルの第十八年のこと」とあるのは、紀元前587年のことです。39章1,2節(列王記下25章1節以下も参照)によれば、バビロン軍はその前年に押し寄せてエルサレムを攻撃していたので、いよいよ陥落させられる直前という状況です。

 そのとき、「預言者エレミヤは、ユダの王の宮殿にある獄舎に拘留されて」(2節)いました。それは、バビロン軍に都が包囲されている中、エレミヤがエルサレムの民の士気をくじくような言動が出来ないよう、そしてまた、敵国バビロンへ投降することが出来ないようにするということでしょう(37章参照)。

 ただ、その拘留は緩やかなものだったらしく、叔父シャルムの子ハナムエルの面会が許されただけでなく、ハナムエルの求めに応じて、アナトトの畑を銀17シェケルで買い取り、その証書をネリヤの子バルクに預けることも出来ました。

 1シェケルは銀11.4グラムで、17シェケルは193.8グラム。現在の銀価格は、1グラム65円前後ですから、銀17シェケルは12,600円程度という安価。2600年前のイスラエルでは、銀の価値はもっと高かったのでしょうね。

 拘留されているエレミヤのもとにハナムエルがやって来たのは、エレミヤが、土地を買い戻す義務を負うべき、最も近い親戚だったからでしょう(レビ記25章25節以下参照)。ハナムエルが嗣業の畑を売ることにしたのは、バビロンに占領されるのを恐れ、国外へ逃亡するための資金を得たかったのかも知れません。

 しかし、エレミヤがその土地を購入することにした理由は、主がハナムエルの来訪について、予めエレミヤに告げられ(6,7節)、御言葉どおりハナムエルがやって来たことです(8節)。つまり、ハナムエルの求めに応ずることが、主の御心であるとエレミヤは信じたのです(9節以下)。

 そこでエレミヤは、封印した購入証書と封印していない写しをネリヤの子バルクに預け(11,12節)、冒頭の言葉(14節)のとおり、「素焼きの器に納めて長く保存せよ」と命じ、それは、「イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取るときが来る』と言われるからだ」(15節)と、その理由を説明しています。即ち、バビロン捕囚の後、国を再建するときが来るということです。

 「長く保存せよ」というのは、バビロンでの奴隷生活が「70年」と言われているからです(25章11節、29章10節など)。 実際には、紀元前587年から538年までの足かけ50年でした。

 エレミヤが、その行為で示したのは、未来の希望でした。それは、ヒゼキヤのときのような、エルサレムを包囲しているバビロン軍を滅ぼし、絶体絶命の危機から救われるという希望ではありません(列王記下19章参照)。エルサレムが焼かれ、イスラエルの国が滅びてしまおうとも、それによって完全に押し潰されることはない、もう一度国を再興することが出来るという希望です。

 イスラエルの父祖ヤコブの寵愛を受けた11番目の息子ヨセフが、兄弟たち、家族が自分の前に跪くという夢を見ました(創世記37章5節以下)。その話を聞いて嫉妬の念に燃えた兄たちは、弟ヨセフを殺してその夢がどうなるか見てやろうと計りますが(同20節)、命まで取るのはよそうという長子ルベンの意見でヨセフを空井戸に投げ込み(同21,24節)、その後、エジプトに奴隷として売られていくことになります(同28節)。

 そこでさらに主人の妻の機嫌を損ね、無実の罪で獄につながれてしまいますが(同39章1節以下、20節)、そこで腐らず、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、彼のすることをすべて上手くはからわれたので(同21,23節)、紆余曲折を経てエジプトの総理大臣に抜擢されることになります(同41章40節)。

 やがて、世界的な飢饉でエジプトに穀物を買いに来たヨセフの兄弟たちは、弟ヨセフが宰相になっているとはつゆ知らず、その前にひれ伏します(同42章6節)。そのとき、ヨセフがかつて見た夢が実現したわけです(同8節)。そこに、神の与えられた夢は必ず実現するということが示されると同時に、その夢が実現したことで、ヤコブ=イスラエル一族が飢饉から守られる役割を果たしたということを見ることが出来ます。

 エレミヤ自身、捕囚となった民が解放され、家、畑、ぶどう園を再び買い取るときが来るという預言の言葉の実現を見ることは出来ませんでした。イスラエルの民が捕囚となったのち、彼はエジプトに連れて行かれ、そこで殉教したと考えられています。しかし、捕囚の民は、エレミヤの預言に希望を置き、その恵みに与ることが許されるのです。

 彼らはエルサレムに帰り、主が彼らの神となり、彼らは主の民となります(38節)。これが、主なる神と民との契約で、40節には、「わたしは、彼らと永遠の契約を結び、彼らの子孫に恵みを与えてやまない」と告げられています。31章31節に述べられた「新しい契約」が、ここでは「永遠の契約」と言われています。

 31章3節で「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ」と語られたように、イスラエルとの関係は、その愛と慈しみに支えられて「永遠」に続くのです。そこに、神の愛があります。「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ書5章5節)と言われているとおりです。

 とこしえの愛、変わることのない慈しみを注がれた者として、日々主の御言葉に耳を傾け、信仰をもって主の恵みに応えて参りましょう。 

 主よ、御子キリストの贖いにより、恵みによって救いに導かれ、神の栄光に与る希望を感謝しています。信仰の歩みに苦難が伴っても、神の恵みによってそれが希望となることを味わうからです。今、悲しみの中にいる人々に慰め、苦しみの中にいる人々に安らぎ、失望している人々に希望、何よりも信仰による喜びを与えてください。忍耐と慰めの源であり、希望の源、平和の源である神が常に共にいてくださいますように。 アーメン





5月25日(水) エレミヤ書31章

「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。」 エレミヤ書31章31節

 新共同訳聖書は31章に「新しい契約」という見出しをつけています。これは、冒頭の言葉(31節)を含む27~34節の段落に視点を置いたものです。旧約聖書中ここだけに、「新しい契約」(ブリート・ハダーシャー)という言葉が記されています。

 2節に、「主はこう言われる。民の中で、剣を免れた者は、荒れ野で恵みを受ける、イスラエルが安住の地に向かうときに」と言われます。剣を免れて、荒れ野で恵みを受けるとは、エルサレムがバビロンに攻め寄せられた際、剣を免れた者たちが捕囚の地で恵みを受けたということでしょう。それで、安住の地イスラエルに向かうことが許されるのです。

 その恵みを受けたのは、ただ主なる神の深い憐れみによるもので、そのことを、「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ」(3節)と告げられています。その愛と慈しみがなければ、荒れ野で滅ぼされてしまったり、そうでなくても、捕囚の地からの帰還が適わなかったことでしょう。

 冒頭の言葉(31節)に、「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる」と記されています。この預言の言葉が、主イエス・キリストにおいて成就しました。ルカ福音書22章20節に、「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」と語られた主イエスの言葉が記されています。

 これは、キリストが十字架で流された血潮によって、主なる神と、主イエスを信じる人々との間に、新しい契約が結ばれるという表現です。ここに語られている「新しい契約」という言葉から、「新約聖書」(新しい契約の書)なる言葉が作られたのです。

 新しい契約があれば、古い契約もあります。それが記されているのが、「旧約聖書」(古い契約の書)です。古い契約は、エジプトを脱出したイスラエルの民と主なる神との間で、モーセがシナイ山に登ったときに結ばれました。そしてその契約書として、石の板に記された十戒を授かりました(出エジプト記19章5節、24章、31章18節、34章)。

 けれども、イスラエルの民はそれを守ることが出来ませんでした。「わたしが彼らの主人であったにもかかわらず」(32節)という、結婚関係を思わにせる言葉遣いから、その関係を破壊する姦淫の罪が行われたことが示されます。即ち、神ならぬものを神としたということです。

 ですから、「彼らはこの契約を破った」(32節)という言葉は、単に契約内容を蔑ろにしたということではなく、契約を無効にする違反をあえて行う罪を犯したということを意味しているのです。そのゆえに、イスラエルとユダの民はその家を出され、主人たる神の保護を失ってしまったため、アッシリア、バビロンとの戦いに敗れ、捕囚とされるという結果を招いてしまったわけです。

 ところが、「新しい契約を結ぶ日が来る」と主が言われます。ということは、古い契約を破棄させた罪が赦されたということです。新しい契約の新しさとは、契約内容の新しさではありません。「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(33節)というのは、旧約においても、新約においても語られる契約の内容です(創世記17章7,8節、出エジプト記19章5,6節参照)。

 つまり、契約の新しさとは、まず、授けられ方にあります。古い契約は、石の板に記されていました(十戒:出エジプト記31章18節)。けれども、新しい契約は、その律法が人々の胸の中に授けられ、心に記されます(33節)。それは、新しく神と契約を結ぶ民は、神の御言葉に従うことが、彼らの心にある思いとなるということです。

 そのことをパウロは、「神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします」 (第二コリント書3章6節)と言っています。

 この契約が、主イエスによって成就したと、先に記しました。そして、主イエスを信じる者は誰でも、この新しい契約を結んだ者とされます。そこでは、民族としてのユダヤ人であるか、そのために割礼を受けたものであるかどうかは、問題になりません。

 ローマ書2章29節に、「文字ではなく、霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです」とあり、また、フィリピ書3章3節に、「わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです」と記されています(コロサイ書2章11節以下も参照)。

 ただ、新しい契約が心に記されて、お互いに「主を知れ」といって教えることはないと言われますが(34節)、主イエスを信じている者は、御言葉を教わる必要がない人々ではありません。むしろ、信仰に熱心な者ほど、御言葉を学びたい、さらに深く主の御心を知るために教えが必要だと言います。

 それは、「主を知る」ということが、単なる知識としてではなく、主を愛し、主との交わりをとおして、人格的に相手を理解するということだから、主を愛すれば愛するほど、交わりを持てば持つほど、さらにそれを深めたいと思うのです。その意味で、契約が心に記されるとは、主イエスを信じて、主イエスを私たちの心の王座、日々の生活の中心にお迎えすることなのです。

 日々主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾け、聖霊の助けと導きを受けて、示された道に従い、主の御心を行う者とならせていただきましょう。  

 主よ、私たちに信仰の恵みをお与えくださり、感謝致します。私たち人間が神の律法に完全に従うことは不可能です。しかし、人には出来ないことも神には出来ると言われた主イエスを信じ、日毎に主の御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩みます。御心を行わせてください。御名が崇められますように。 アーメン



5月24日(火) エレミヤ書30章

「わたしの僕ヤコブよ、恐れるなと主は言われる。イスラエルよ、おののくな。見よ、わたしはお前を遠い地から、お前の子孫を捕囚の地から救い出す。ヤコブは帰って来て、安らかに住む。わたしがお前と共にて救うと、主は言われる。」 エレミヤ書30章10,11節

 30~33章は、未来の希望を告げる預言が集められており、「慰めの書」と呼ばれます。1~3節は、「回復の約束」という見出しがつけられていますが、「慰めの書」の前半部、30,31章の序文と考えられます。ここに、捕囚からの解放が告げられています。

 6節に、「尋ねて、見よ、男が子を産むことは決してない。どうして、わたしは見るのか、男が皆、子を産む女のように、腰に手を当てているのを。だれの顔も土色に変わっている」とあります。男が子を産むことは不可能です。それなのに、なぜ子を産む真似をしようとしているのでしょうか。

 4章31節に、「産みの苦しみのような声が聞こえる。初めて子供を産む女のような苦しみの声が、あえぎながら手を伸べる娘シオンの声が。『ああ、殺そうとする者の前に、わたしは気を失う』」と記されていました。それは、子を生む喜びの呻きではなく、彼らが愛し慕うものによって命が奪われようとする苦しみであり、嘆きの声なのです(同30節)。

 子を産めないはずのイスラエルとユダ、それは、神ならぬものに依り頼んで神の怒りを買い、裁かれることになったからです。7節の、「災いだ、その日は大いなる日、このような日はほかにない。ヤコブの苦しみの時だ」というのはそのことを示しています。

 ところが、最後に、「しかし、ヤコブはここから救い出される」と言います。この言葉で、「子を産むことは決してない」ヤコブでしたが、罪が裁かれ、国滅び、バビロンの捕囚とされた苦しみが、まさに産みの苦しみとなるということです。

 12,13節に、「主はこう言われる。お前の切り傷はいえず、打ち傷は痛む。お前の訴えは聞かれず、傷口につける薬はなく、いえることもない」とあり、その理由が14節後半で、「お前の悪が甚だしく、罪がおびただしいので、わたしが敵の攻撃をもってお前を撃ち、過酷に懲らしめたからだ」と言われています。

 14節前半に「愛人たちは皆、お前を忘れ、相手にもしない」という言葉があり、「愛人たち」とは、イスラエルが頼りとしたエジプトなど近隣列強国のことを指していると思われます。しかし、神の怒りの前に、それらは何の役にも立ちません。紀元前588年にエジプトはバビロンと戦って敗れ、その数ヶ月後にエルサレムはバビロンに攻め落とされました。

 あるいはまた、異教の偶像のことを言っているとも考えられます。異教の偶像を慕い、偶像礼拝をやめなかったことが、神を憤らせた原因です。しかし、異教の偶像は、まことの神の裁きの前に、何の助けも与えてはくれません。「お前を忘れ、相手にもしない」とは、そのことでしょう。

 神に捨てられ、人に捨てられて、絶望的な状況がそこにありますが、そうなったときに、「さあ、わたしがお前の傷を治し、打ち傷をいやそう」と、主なる神が言われます(17節)。ここに、真に畏れるべきは主であり、また真に頼るべきも、主なる神であることが示されます。そのことを、イスラエルの民がこれから経験する苦難を通してしっかりと学ぶならば、まさにその苦難は産みの苦しみになるのです。

 「イスラエル」という名は、彼らの父祖ヤコブが神の使いから、祝福として頂いた名前です(創世記32章29節)。ヤコブは、父イサクが兄エサウに与えるはずの祝福の祈りを、母リベカと一緒になって騙し取りました(同27章1節以下)。それを知った兄エサウが激怒して、「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟を殺してやる」と決意します(同41節)。

 そこで、リベカは嫁娶りを理由に、偏愛する息子ヤコブを自分の故郷ハランの地に逃がします(同42節以下、46節)。かくて、神の祝福を受けるどころか、それが呪いとなったごとくに、ヤコブはひとり家を出て、遠い地まで行かなければならなくなりました。

 ところが、ルズの地で石を枕に野宿していたとき、枕辺に天にまで達する階段が立ち、神の御使いが上り下りしている幻を見ます。そのとき、ヤコブはその階段を上りませんでした。およそ神の前に立つことの出来る心境ではなかったと考えられます。

 畏れ入っているヤコブの傍らに主が立たれ、ヤコブを祝福して、「①見よ、わたしはあなたと共にいる。②あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、③必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない」と言われました(同28章10節以下、15節)。ヤコブはそこをベテル(「神の家」の意)と言います。主なる神は、絶望の荒れ野を、栄光の神の家にすることが出来るのです。

 この祝福が、あらためて冒頭の言葉(10,11節)で、「わたしの僕ヤコブよ、恐れるなと、主は言われる。イスラエルよ、おののくな。③見よ、わたしはお前を遠い地から、お前の子孫を捕囚の地から救い出す。ヤコブは帰って来て、安らかに住む。②彼らを脅かす者はいない。①わたしがお前と共にいて救うと主は言われる」と記されているわけです。ここに、神の真実があります。

 そして主イエスは私たちに、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書28章20節)と約束してくださいました。神が私たちと共におられるというのを、ヘブライ語で「インマヌエル」(同1章23節)と言います。

 十字架の死をもって贖いの業を成し遂げてくださり、罪と死の力を打ち破って甦られ、今も生きて共にいてくださる主に信頼し、「行って、すべての民をわたし(主イエス)の弟子にしなさい。かれらに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(同28章19,20節)と語られた主イエスの宣教命令に、喜びをもって従うものとなりましょう。

 主よ、父祖ヤコブの祝福が世代を超え、また民族の壁を越えて、今日の私たちにも届けられています。絶望の夜を希望の朝に代え、意気消沈の荒れ野を栄光の神の国としてくださる主の御名を賛美し、その恵みを感謝します。常に聖霊に満たされ、主の慈しみの御手のもとに留まり、主の御業に励むことが出来ますように。 アーメン



5月23日(月) エレミヤ書29章

「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」 エレミヤ書29章7節

 エレミヤは、第一次バビロン捕囚(BC597年)で連れて行かれた長老、祭司、預言者たち、及び民のすべてに手紙を書き送りました(1節)。それは、「家を立てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない」というものです(5,6節)。

 8節に、「あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない」と記しているということは、捕囚の民の間に、バビロンからすぐにエルサレムに戻れると考える立場の者がいたわけです。

 それは、28章2節以下で預言者ハナンヤが、主が2年の内にバビロンの王の軛を打ち砕き、捕囚の民を神殿祭具と共に帰らせてくださると預言したのと同様に、エコンヤ王と共に捕囚となった者たちの中に偽りの預言者や占い師たちがいて、捕囚の民に偽りの預言を語っていたのです(21節、24節以下)。

 さらに、彼らはそうした預言に基づいて、謀反などを計画していたようです。だから、バビロンの王が彼らを捕囚民の前で、火あぶりにされたのでしょう(22節)。また、そうした偽預言者の中には、エレミヤを取り締まり、手枷足枷をはめるよう、書き送ってくる者もいました(26節以下)。

 エレミヤが手紙を持たせたのは、ゼデキヤ王がバビロンの王ネブカドネツァルに遣わした二人の使者たちでした(3節)。ゼデキヤの使者がエレミヤの手紙を携えているということは、王がその手紙の内容を了解していることをあらわしていると考えるべきでしょう。それによって、ゼデキヤは、バビロンに弓引く意志がないということを示したわけです。

 また、使者として派遣された一人が「シャファンの子エルアサ」と記されています。エレミヤはかつて、ヨヤキム王に命を狙われた際、シャファンの子アヒカムによって保護されたことがありました(26章24節)。エルアサはその兄弟ということでしょう。であれば、エレミヤは安心して手紙を託すことが出来たでしょう。

 そういう人物をゼデキヤが選んで使者としたと考えると、ゼデキヤはそのとき、エレミヤと歩調を合わせていたということになるのではないでしょうか。

 エレミヤは、冒頭の言葉(7節)のとおり、「わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちのも平安があるのだから」と告げます。神の御心は、捕囚の民がバビロンで、平安のうちに70年のときを過ごすことです(10節参照)。

 70年は、完全数の「7」と「10」を乗じた年数ですから、神の定めた期間が満ちることを示します。また、70年は人の一生を示す期間であり、捕囚として連行された人々がそこで一生を過ごす間という表現と考えてもよいでしょう。

 西南学院大学名誉教授の関谷定夫先生は、「ベルゼブルとイェシュアの指導によって、ダレイオス1世の治世第6年の前515年にやっと第2神殿が完成した。・・それは第1神殿が破壊されてから70年目のことである。これはエレミヤが捕囚期間を70年と預言したことと対応する。つまりエレミヤの預言した70年とは、第2神殿の完成までを捕囚とみなした事後預言と見なされる」(『図説・旧約聖書の考古学』P.223)と述べておられます。

 神はイスラエルの民に、捕囚を「災い」と考えるのではなく、そこで、新しい将来と希望を与える「平和の計画」が実行されていることを学びぶよう求めます(11節)。それゆえ、「町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい」と主に命じられるのです(16節)。

 これはしかし、驚くべき言葉でしょう。祖国を滅ぼし、自分たちを捕囚として様々な苦しみを味わわたバビロンのためには、その滅亡を願う呪いにも似た祈りをささげてもおかしくありません。しかしながら、バビロンの町の平安が、捕囚の民の平安につながるからと説明されています(7節後半)。「平安」と訳されている「シャローム」は、「繁栄」をも意味します(新改訳はそう訳します)。

 そして、「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」(12~14節)と言われます。即ち、ここでバビロンの平和を祈り求めることこそが、神を尋ね求め、主と出会う道であると言われているわけです。

 これは、主イエスが、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5章44節)と語られた言葉につながります。主イエスは、その御言葉どおりに歩まれました。そうして、私たちが父なる神と出会い、交わることが出来るように、私たちのための「道」となってくださったのです(ヨハネ福音書14章6節)。

 主に倣い、御言葉に従って、すべての人々の平安と祝福を祈りましょう。

 主よ、敵を愛し、迫害する者のために祈るのは、たやすいことではありません。しかし、主はそれを自ら実践されました。それによって、私たちは罪赦され、神の子とされ、永遠の命を受けるという恵みに与ったのです。祝福を受け継ぐ者として、御言葉に従い、平和と祝福を祈らせてください。そのために、聖霊の力と恵みに満たしてください。御心が行われますように。御国が来ますように。 アーメン






5月22日(日) エレミヤ書28章

「そして、ハナンヤは民すべての前で言った。『主はこう言われる。わたしはこのように、二年のうちに、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く。』そこで、預言者エレミヤは立ち去った。」 エレミヤ書28章11節

 1節に、「その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第4年の5月に」とあります。27章1節と同じ年というのですから、紀元前594年、ゼデキヤがバビロンに反旗を翻したときのことです(列王記下24章10節)。

 ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしはバビロンの王の軛を打ち砕く」(2節)と語ります。これは、27章2,11,12節でエレミヤに示された預言を取り上げ、その反対のことを告げるものです。エレミヤはバビロン軍の侵攻を主による裁きと捉え、捕囚に服するよう語りましたが、ハナンヤは、愛国主義的な立場でそれに反対します。

 そして、「2年のうちに、わたしはバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。また、バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、わたしはこの場所へ連れ帰る、と主は言われる。なぜなら、わたしがバビロンの王の軛を打ち砕くからである」(3,4節)と告げています。

 けれども、27章16節には、「主の神殿の祭具は今すぐにもバビロンから戻って来る、と預言している預言者たちの言葉に聞き従ってはならない。彼らは偽りの預言をしているのだ」と語られた主の言葉がありました。その流れから言えば、ハナンヤはここで、偽りの預言をしているということになります。

 しかしながら、ハナンヤも、「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる」という語り方をしており、エルサレムの民にとって、エレミヤとハナンヤ、どちらが本当の預言者なのか、外見上は見分けがつけ難いでしょう。エレミヤが軛をつけて、「バビロンの王の軛を負い、彼とその民に仕えよ。そうすれば、命を保つことができる」(27章12節)と語っていましたが、28章で、ハナンヤがエレミヤの首からその軛をはずして打ち砕きました(10節)。

 そして冒頭の言葉(11節)のとおり、あらためて「2年の内に、あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く」と語りました。それを聞いた預言者エレミヤは、そこを立ち去ります(11節)。エレミヤのその行動は、そこに居合わせた人々に、ハナンヤがエレミヤに勝った、ハナンヤに言い負かされてエレミヤが退場したという印象を与えたことでしょう。

 なぜエレミヤは、このときハナンヤに、「あなたは偽りの預言をしている」と、はっきり言わなかったのでしょうか。エレミヤの語った言葉とハナンヤの言葉、二人の言葉を聞いた祭司やすべての民は、どちらを歓迎し、どちらの声に耳を傾けたでしょうか。それは言うまでもなく、ハナンヤの言葉でしょう。ですから、歓迎されない言葉を繰り返し告げる空しさを、エレミヤ自身が一番感じていたのかも知れません。

 そして、もう一つ考えるべきポイントがあります。12節に、「預言者ハナンヤが、預言者エレミヤの首から軛をはずして打ち砕いた後に、主の言葉がエレミヤに臨んだ」と記され、13節以下にその預言が記されています。そして15節で、「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前をつかわされてはいない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ」と糾弾しています。

 何が言いたいのかというと、エレミヤに主の言葉が臨んで、それでハナンヤに語っているのです。ということは、主の言葉が臨まなければ、エレミヤには語る言葉がないわけです。自分の預言がハナンヤに否定されたからといって、あるいは、それによってイスラエルの民がますますエレミヤから離反するようになったからといって、それで、自分を弁護するような言葉を語るわけには行かなかったのです。

 主に聞いて語るエレミヤは、主に逆らって語るハナンヤに、「それゆえ、主はこう言われる。『わたしはお前を地の面から追い払う』と。お前は今年のうちに死ぬ。主に逆らって語ったからだ」(16節)と告げます。そして、そのとおりになりました(17節)。主に逆らって語った者に対する死罪の宣告は29章32節にもあり、申命記13章6節がその判決の根拠となる規定といってよいでしょう。 

 あらためて、ヤコブが語った、「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」(ヤコブ書1章19節)という御言葉を思い出しました。この言葉を守れるかと尋ねられて、胸を張って「ハイ」と答えられる人がどのくらいあるでしょうか。私自身には殆ど実行不可能に思われる言葉です。

 けれども、主が私にそう言われたのであれば、「やっても無駄です、答えは見えています」というのではなく、「お言葉ですから、やってみましょう」と言うべきでしょう。わたしの能力の問題ではなく、神の御心が行われることが重要だからです。

 日々主の御前に謙り、聴くべき言葉を聞き、立つべきところに立ち、行くべきところに行き、語るべき子とを語り、なすべきことを行って、主の御心を行うものとならせていただきましょう。。

 主よ、御言葉を聞かせてください。あなたは命のパンであり、それなしに、新しい命を生きることは出来ないからです。聖霊をお与えください。その力を受けずに、主の証人となることが出来ないからです。御心を行わせてください。この地において、主の御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン





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