「しかし、彼女の利益と報酬は、主の聖なるものとなり、積み上げられも、蓄えられもしない。主の御前に住む者たちの利益となり、彼らは飽きるほど食べ、華やかに装おう。」 イザヤ書23章18節
第二部、イスラエルの周辺諸国に対する預言(13~23章)の最後に、「ティルスの審判」が語られます。1節に、「ティルスについての託宣」とありますが、3,4節に「シドン」についての預言もあり、ティルスやシドンに代表される、イスラエルの隣国フェニキヤについての預言と考えればよいだろうと思います。
7節に、「町の初めは、遠い昔にさかのぼり」とあります。ティルスもシドンも、紀元前15世紀以前に存在していたことが、古文書によって知られています。ティルスは地中海沿岸、フェニキヤの南端に位置しています。
ダビデが王となったとき、ティルスの王ヒラムが使節を派遣し、王宮建設のためのレバノン杉に木工、石工を送って来ました(サムエル記下5章11節)。また、ソロモンの神殿建設の際には、レバノン杉、糸杉と石工を提供しています(列王記上5章15~32節)。
ダビデ、ソロモン時代を通じて、イスラエルとフェニキヤの関係は大変良好なものでした。イザヤがこの預言を告げていたときも、両国の関係に特に問題があったわけではないようです。
当時のティルスは、スペインにまで貿易船を送り、交易する力を有していました。1節の「タルシシュ」は、南スペインにあったとされる港町で、ヨナ書1章3節にもその名が出て来ます。地中海の西の果てまで船団を送れたということは、地中海を縦横に行き巡って貿易する力を有していたということでしょう。
北イスラエルを滅ぼし、エジプトにも勝利したアッシリアですが、ティルスの町を征服することが出来ませんでした。また、バビロニアのネブカドネザルがティルスを13年間も攻撃しましたが、果たせませんでした。紀元前332年にアレキサンダー大王が7ヶ月間包囲して、ようやく陥落させましたが、その後も、影響力を保持していたという資料もあるようです。
北イスラエルの王アハブの妻イゼベルは、「シドン人の王エトバアルの娘」と列王記上16章31節に記されていますが、イスラエル史の研究者M.ノートによれば、「王の名はイトバアルであるが、旧約聖書では誤って母音がつけられた。シドン人とティルス人との関係は、フェニキア人は一般にシドン人と言い表され、イトバアルはティルスに居住していたフェニキア人の王であった」とされています。
イトバアルとは、「バアル神と共に(生きる)」という意味の名であり、その娘イゼベルの名は、バアルの栄誉を表わすフェニキヤ名をヘブライ語化したものであろうと言われます。このイゼベルがイスラエルにバアル信仰を持ち込み、アハブ王は、首都サマリアにさえバアルの神殿を建てて、エリヤをはじめ、預言者たちの批判を浴びています。
ここに、ティルス、シドンを代表とする「海辺の住人たち」(2,6節)たるフェニキアへの審判が語られているということは、おのが貿易力、海洋権を頼みとし、また、異教の偶像を拝んで、真の神に栄光を帰さないこと、その意味で、彼らの奢り、高ぶりが裁かれているわけです。
しかしそのことは、単にティルスや北イスラエルのことだけでなく、実にエルサレムの問題であり、そしてそれは、私たちの問題でもあるのです。誰もが、武力や経済力、知力があれば国が守れる、自分たちの生活が守れると考えてしまいます。逆に、経済力などに陰りが見られるとき、不安と恐れにかられ、パニック状態を呈してしまいます。そのとき、真の神の御心を尋ね求めること、その導きに従うことを忘れてしまっているのです。
神は、ティルスを裁かれた後、70年して顧みられると言われます(15,17節)。上に記したとおり、紀元前332年にアレキサンダー大王によって陥落させられましたが、60年後の紀元前274年、エジプトの王プトレマイオス2世がティルスの自治権を回復させました。プトレマイオスは、ヘブライ語旧約聖書のギリシア語訳(70人訳)をなさせたことでも知られています。
ティルスが顧みられたのは、彼らが主なる神の前に謙り、悔い改めたからというのではありません。「彼女は再び遊女の報酬を受け取り、地上にある世界のすべての国々と姦淫する」(17節)と言われます。ならばなぜ、神はティルスを顧みられるのでしょうか。それは、冒頭の言葉(18節)にあるとおり、彼女の利益と報酬が、「主の聖なるものとなり」、「主の御前に住む者たちの利益となる」からというわけです。
箴言13章22節に「善人は孫の代にまで嗣業を残す。罪人の富は神に従う人のために蓄えられる」という言葉があります。善人は豊かになり、罪人は富を失う、その富は神に従う人のものになるという考え方で、ティルスの富は、イスラエルのためだと読んでも良さそうです。
さらには、終わりの日にすべてのものが主のもとに呼び集められ、主の御名が賛美される日が来る、そこに、ティルスの町の民もいるということではないかと思われます。
だからこそ、「全世界に行って、すべての造られたものに(主イエス・キリストの)福音を宣べ伝えなさい」(マルコ福音書16章15節)と命じられているのです。
主よ、私たちはあなたの深い愛によって選ばれました。それは、私たちがあなたから委ねられた使命を果たすためです。それは、全世界に行って、すべての造られた者に福音を述べ伝えることです。聖霊が降るとき、私たちは力を受けて主イエスの証人となると言われています。福音宣教の使命をよく果たすことが出来ますように。そのために、聖霊の満たしと導きに豊かに与らせてください。そして、絶えず心をキリストの平和が支配しますように。 アーメン