風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2016年03月

3月31日(木) イザヤ書42章

「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。」 イザヤ書42章1節

 バビロン捕囚期に記されたと考えられる、第二イザヤ(40~55章)といわれる預言の中に、「主の僕の歌」と呼ばれる歌が4つあり(42章1~4節、49章1~6節、50章4~9節、52章13節~53章12節)、42章は、この「主の僕の歌」で始まっています。

 ここに語られている「主の僕」とは、誰のことでしょうか。それは第一に、イスラエルの民のことでしょう。41章8節に既に、「わたしの僕イスラエルよ、わたしの選んだヤコブよ」と語られていました。

 また41章2節で、「東からふさわしい人を奮い立たせ、足もとに招き、国々を彼に渡して、王たちに従わせたのは誰か」と言い、同25節で、「わたしは北から人を奮い立たせ、彼は来る。彼は日の昇るところからわたしの名を呼ぶ」と語られていて、このように神に奮い立たされたのは、その内容から、ペルシア王キュロスのことだろうと思われます。そこで、主の僕とは、キュロス王のことを指していると考えることも出来ます。

 44章28節の「キュロスに受かって、わたしの牧者、わたしの望みを成就させる者、と言う」という言葉や、45章1節の「主が油を注がれた人キュロスについて」、同4節の「わたしの僕ヤコブのために、わたしの選んだイスラエルのために、わたしはあなたの名を呼び、称号を与えた」などという言葉も、この解釈を支持するものでしょう。

 あるいは、「見よ」と言われている相手のことを考えると、40章1~9節と同様、それは天上の会議に列席している御使いたちでしょう。ということは、神が御使いたちに語りかけ、「見よ、わたしの僕」といって指し示されたのは、預言者イザヤのことだろうと考えられます。「彼の上にわたしの霊は置かれ」(1節)という言葉も、相手が預言者としての働きをなす者であることを想像させます。 

 さらに、「主の僕の歌」に歌われている主の僕とは、メシア、救い主のことを語っていると解釈することも出来ます。キリスト教会は、伝統的に、この解釈を採用して来ました。それは特に、4番目の「主の僕の歌」(52章13節~53章12節)が、主の僕の苦難と死を語っていて、それが、主イエス・キリストの受難を予告していると考えられたからです。

 冒頭の言葉(1節)で、「わたしが選び、喜び迎える者」は、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ福音書3章17節)という言葉を思い起こしますし、「彼の上にわたしの霊は置かれ」は、「イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった」(マタイ3章16節)という言葉を思い出します。

 また、「彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない」(2節)とは、「イエスは皆の病気をいやして、御自分のことを言いふらさないようにと戒められた」(マタイ12章15,16節)という言葉を思わせます。

 そして、マタイ12章17節に、「それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった」と記されて、冒頭の言葉を含む「主の僕の歌」(1~4節)を引用しています。マタイ福音書の著者は、イザヤが歌っている「主の僕」とは、実に主イエスのことである、と解釈した初代のキリスト者であるわけです。

 「主の僕」は、「民の契約、諸国の光として」形づくられました(6節)。人が「民の契約」として形作られたというのは、とても珍しい表現ですが、キリストが血を流されたことによって、すべての民と神との間に「契約」が結ばれるという預言と考えればよいでしょう。「諸国の光」とは、「見ることの出来ない目を開き、捕らわれ人をその枷から、闇に住む人をその牢獄から救い出すため」(7節)です。

 主イエスが、「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」と教えられたとき(マタイ20章26,27節)、その例証として御自分を引き合いに出して、「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」と言われました(同28節)。

 「主の僕」なる主イエスは、真の神であられましたが、遣わされて人の僕となられ(フィリピ書2章6,7節)、多くの人の身代金として、御自分の命を献げられ(マルコ10章45節、第一コリント7章23節)、その贖いの代価によって私たちは縛られていた罪の牢獄から、死の恐れの縄目から解放されたのです。

 そしてペトロは、「あなたがたが召されたのこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです」と記しています(第一ペトロ書2章21節)。「足跡に続く」とは、主イエスが歩まれた足跡に自分の足を乗せて、主イエスが歩まれたとおりに歩むことを指します。

 それが、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と主イエスが言われていたことなのです(ルカ福音書9章23節)。

 主イエスに従う主の僕として、常に目を開いて十字架の主に目を注ぎ、耳を開いて主の御言葉に耳を傾け、導きに従って歩みましょう。委ねられている主の業に励む者とならせていただきましょう。 

 主よ、御子キリストの命の恵みに与り、罪と死の縄目から解放していただきました。主に倣い、仕えられるより仕えることを喜びとし、主に喜ばれる道を主と共に歩ませてください。御旨をわきまえ、御業に励む者とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン




3月30日(水) イザヤ書41章

「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える。」 イザヤ書41章10節

 41章には、「恐れるな、恐れることはない」という言葉が3度(10,13,14節、いずれも原語は「アル・ティーラー」)記されています。ということは、イスラエルの民が恐怖に戦いている現実があるわけです。そして、その都度、「あなたを助ける」と神が語られます。恐れないでいられる根拠は、主なる神の助けが与えられるということです。

 そのとき、イスラエルの民が恐れていたのは、ペルシアの王キュロスのことでしょうか(2節以下参照)。キュロスはエラムの出身ですが、メディア、リディアをはじめ周辺諸国を征服しました。当時、バビロンの奴隷となっていた民は、次第に迫ってくるペルシアの脅威に、恐れを抱かずにはいられなかったのです。

 北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、アッシリアを滅ぼしたバビロンによって南ユダが滅ぼされました。バビロンがペルシアに滅ぼされるようであれば、バビロンに捕囚とされているイスラエルの民の運命はどうなるのでしょうか。

 しかし、キュロスを奮い立たせ、「国々を彼に渡して、王たちを従わせたのは」(2節)、主なる神です。即ち、キュロス王は神の手先なのだから、恐れる必要はないのです。キュロスはバビロンに無血入城し、そして、イスラエルの民を解放しました。イスラエルの民にとって、全く思いがけない展開になったのです。

 40章27節に、「ヤコブよ、なぜ言うのか、イスラエルよ、なぜ断言するのか。わたしの道は主に隠されている、と。わたしの裁きは神に忘れられた、と」と語られていました。50年に及ぶ捕囚の生活は、帰国の希望を失わせるほど耐え難いものであり、長いものでした。だから、イスラエルの民は、神に見捨てられた、忘れ去られたと嘆いていたわけです。

 けれども、神はイスラエルを見捨ててはいなかったのです。神は、「あなたはわたしの僕、わたしはあなたを選び、決して見捨てない」(9節)と言われます。即ち、彼らはバビロン捕囚から解放されたというだけではなく、神の使命のために再び選ばれ、立てられたと語られているのです。

 希望を失っていた捕囚の民に何が出来るのでしょうか。14節に「虫けらのようなヤコブよ」という言葉があります。かつて、出エジプトの民が、カナンの地を偵察した際、そこに住む先住民に恐れをなして、彼らを巨人と言い、そして自分のことはイナゴのように見えたと言いました(民数記13章32,33節)。

 イスラエルにとっては、バビロンもペルシアも巨人で、その力の前に自分は虫けらのような存在と考えていたことでしょう。しかし、その「虫けらのようなヤコブ」を、神は捕囚の地から呼び出し、御自分の使命のために選んで立てました。

 パウロが、「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを思い起こして見なさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません」(第一コリント1章26節)と語って、コリント教会の構成メンバーに、自分たちの「召されたときのこと」(クレーシス「召しcalling」の意)に目を向けさせています。

 そして、「ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力なものとするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」(第一コリント1章27~29節)と語っています。

 ギリシアの人々にとっては、知恵があること、力があること、地位があることなど、質量共に持っているものの豊かさが重要であったけれども、神は、学のない者、力のない者、無きに等しい、身分の卑しい者、見下げられている者を選んで義とされたのだということです。このように異邦人が神の民、キリストの者として選ばれたことは、出エジプトの民がイスラエルとして選ばれたことに通じます(申命記7章7節参照)。

 知恵ある者、力ある者に恥をかかせ、地位のある者を無力にするとは、具体的にどういうことなのか、何も記されてはいませんが、あるいは、コリント教会において、少数の知恵者、有力者、地位のある者たちがはばを利かせて教会内に問題を生じさせ、そのことをパウロが指摘、糾弾しているのではないかと思われます。

 話を元に戻して、「恐れるな」と言われて、それで恐れが消え失せるわけでもないでしょう。だから、繰り返し、「恐れるな」と言われるのです。そして、何度も神の助けを経験するのです。神がイスラエルと共におられ、恐れる民に平安と導きを授けてくださるのです。

 主イエスは、「インマヌエル」と唱えられるお方です(マタイ1章23節、イザヤ書7章14節)。それは、神が私たちと共におられるという意味です。主イエスがいつも私たちと共におられ、内におられて、弱い私たち、無力な私たちを慰め、励ましていてくださいます。

 希望と平和、慰めの源なる主に信頼し、日々その御言葉に耳を傾け、絶えず御霊の導きを祈りつつ、御心に従って歩みましょう。

 主よ、あなたの導きを感謝します。私たちを贖い、神の民の一員としてくださいました。私たちの体を、神に喜ばれる聖なる生ける供え物として、あなたにささげます。それこそ、日毎に私たちのなすべき礼拝だからです。絶えず聖霊の導きにより、真理なる主イエスを通して、主なる神を崇めさせてください。御心がこの地になされますように。御業のため、私たちをも用いてください。 アーメン



日本平

昨日(29日)天城山荘まで行った帰り道、日本平に寄って来ました。

日本平は、旧静岡市(現静岡市葵区、駿河区)と旧清水市(現清水区)を分ける位置にある、標高307メートルの有度山の山頂一帯を指す呼称で、その名は日本武尊の伝説に由来します。

写真は、日本平山頂展望台から見える光景です。

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①西に清水港、三保半島が見えます。


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②北東に由比の町、その向こうに富士が見えるはずなのですが、雲に隠れて。。。


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③南に久能山(標高216メートル)があり、その山腹に家康の亡骸が眠る、久能山東照宮が建立されています。日本平から、ロープウエイで渡ることが出来ます。
久能山の南麓では、石垣イチゴの栽培が盛んになされています。
その向こうに、駿河湾、太平洋が広がります。

北麓には、県立美術館、図書館、県立大学、英和学院大学、日本平動物園等があります。

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④北西に静岡市葵区の市街地が広がっています。このどこかにウチもあります。


久しぶりに日本平までやって来て、静岡に住む70万の市民の心と生活に、主の希望と平安が日々豊かにあるよう、祝福をお祈りしました。





3月29日(火) イザヤ書40章

「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」 イザヤ書40章8節

 40章からは、第二イザヤと呼ばれています(さらに、56章以下を第三イザヤと呼んで区別することもあります)。39章までは、主に、紀元前700年頃、ヒゼキヤの代に預言者イザヤによって語られた、イスラエルの裁きが預言されているのに対し、第二イザヤには、バビロンにいる捕囚の民に希望と慰めを与える預言が記されます。

 第二イザヤの最初の段落(1~11節)は、「帰還の約束」という小見出しが示す通り、捕囚の民に故国への帰還を約束する内容になっています。そしてこの段落は、第二イザヤ全体の序章でもあります。

 1節に、「慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる」と記されています。原文は、「ナハムー」(原形ナーハム、「慰める、憐れむ」の意、ピエル・命令形・複数)が二度繰り返される表現で、意味を強めています。「ナーハム」という動詞がイザヤ書中17回用いられる中で、40章以降に14回用いられていて、預言の基調を示すものとなっています。

 ヘンデル作曲のオラトリオ「メサイア」は、三部構成の第一部「メシア到来の預言と誕生」において、最初にテノールが「Comfort ye comfort ye(慰めよ、慰めよ)」と歌い出します。この段落が、メシアの到来を預言したものだと考えられているわけです。

 ここで神が「わたしの民」と呼ぶのは、2節に「エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ」と言われているので、捕囚とされているイスラエルの民のことです。

 イスラエルの民に慰めを与えよというのは、「苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」から、「罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた」からです(2節)。つまり、50年に及ぶバビロン捕囚の苦しみは、イスラエルの背信の罪が神に裁かれたゆえであり、苦役をもって賠償させられていたというわけです。

 ここで、神は誰に、イスラエルの民を「慰めよ」と命じておられるのでしょうか。それは、イザヤではありません。というのは、「ナハムー」は複数形ですし、「あなたたちの神は言われる」と、複数の人々に呼び掛けているからです。これはおそらく、天上における御前会議で神が御使いたちに向かって語っているのを、イザヤが聞いたということでしょう。

 しかしながら、それはただ単に、立ち聞きをしたということではありません。御前会議を傍聴していて、「呼びかけよ」という神の声を聞いた預言者をして、「なんと呼びかけたらよいのか」と答えるように、神が仕向けられたのです(6節)。ということは、6章と同様、この箇所は、第二イザヤを神が預言者として召し出された物語と言ってよいのでしょう。

 預言者に与えられたのは、冒頭の言葉を含む6~8節の、「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」という言葉でした。

 これは、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰の理をあらわ。奢れる者は久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には亡びぬ、偏に風の前の塵に同じ」という平家物語の一節を思わせるものです。

 けれども、この草や花とは、人の儚さというより、国や都を表す表現でしょう。いかに富み栄えている国も、いかに堅固な町も、それで永遠に繁栄を誇ることは出来ないということです。イスラエルは、神の民として選ばれましたが、滅びました。エルサレムは神の都と呼ばれましたが、バビロンの前に陥落し、神殿は焼かれてしまいました。町や国の力は、繁栄の保証とはならないのです。

 それはまた、イスラエルを滅ぼしたバビロン帝国がいかに武力や経済力に優れていても、それで永久に立つことは出来ないと語られていることになります。確かに、やがてバビロン帝国はペルシア帝国によって、そして、ペルシア帝国はアレキサンダー率いるマケドニア帝国によって、滅ぼされることになるのです。

 預言者は、「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」という言葉を与えられました(6節)。神の言葉こそ、私たちが拠って立つべき永遠の基礎であるというわけです。ということは、イスラエルが滅ぼされ、捕囚の苦しみを味わうことになったのは、神の御言葉という基礎の上に、堅く立たなかったからということになります。

 そして、確かにイスラエルの民は、亡国と捕囚の苦しみを味わわされましたが、今再び、神の声を聞いています。まさに、「神の言葉はとこしえに立つ」というわけです。

 冒頭の言葉(8節)が、第一ペトロ1章24,25節に引用されています。第一ペトロ書が書かれた当時、クリスチャンたちは、ローマ帝国において厳しい迫害を味わっていました。「身にふりかかる火のような試練」(同4章12節)、「敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」(同5章8節)という言葉が、それを示しています。

 しかし、いかに繁栄を誇り、強さを誇っているローマ帝国も、決して永遠のものではないと語っているのです。そして、それだから、主なる神に信頼し、永遠に確かな神の御言葉にしっかり立とう、御言葉によって生きようと、ペトロが励ましの言葉を告げているのです。

 私たちも、主イエスの贖いの死によって罪赦され、神の子とされました。その恵みに感謝し、いよいよ篤く主を信じ、日々み言葉に耳を傾け、その導きに従って歩みましょう。聖霊に満たされ、その力を受けて、救いの喜びを告げ知らせる主の証人にならせていただきましょう。

 主よ、まことの神を信じ、その御言葉に耳を傾けることの出来る幸いを心から感謝致します。どのようなときにも、御言葉に戻って主の御心を求め、御言葉に土台して、信仰に堅く立つことが出来ますように。主が私たちを慰めてくださったその慰めをもって、今悲しみの中にある方々を慰め、励ましてくださいますように。 アーメン




3月28日(月) イザヤ書39章

「ヒゼキヤはイザヤに、『あなたの告げる主の言葉はありがたいものです』と答えた。彼は、自分の在世中は平和と安定が続くと思っていた。」 イザヤ書39章8節

 本章は、列王記下20章12節以下とほぼ同じです。ヒゼキヤの病気が回復したと聞いたバビロンの王メロダク・バルアダンが使者に手紙と贈り物を持たせ、遣わしました(1節)。それに気をよくしたヒゼキヤは、宝物庫、武器庫、倉庫にある一切のものを彼らに見せたと言われます(2節)。イザヤは、見せたものすべてがバビロンに奪われる日が来ると、ヒゼキヤに告げます(3節以下、6節)。

 ヒゼキヤの召天が紀元前687年頃であれば、寿命が15年延ばされたということですから、メロダク・バルアダンが使節を遣わしたのは前702年頃になるでしょうか。

 メロダク・バルアダンは、紀元前721年にアッシリアの王位継承(シャルマナサルの急死でサルゴンが即位)の混乱に乗じてバビロンを支配しました。サルゴンに追われ、逃亡しますが、サルゴンの死後、センナケリブの即位の翌年(前704年)、西方諸国に反アッシリア同盟の結成を呼びかけています。しかし、701年にセンナケリブによって滅ぼされてしまいました。

 つまり、ヒゼキヤのもとにやって来た病気見舞いの使節は、本当は、反アッシリア軍事同盟の締結のためにやって来たわけで、ヒゼキヤが使節を歓迎したということは、同盟が締結されたということです。だから、イザヤはそのことを批判して、この軍事同盟が、やがて南ユダがバビロンに滅ぼされる結果となるというのです。

 ヒゼキヤの父アハズが採った親アッシリア政策、すなわち、シリア・エフライム連合軍に対抗するためにアッシリアに貢ぎを贈って援護してもらうことで、危機を回避することが出来ましたが(列王記下16章5節以下)、この朝貢外交は国家財政を圧迫しただけでなく、アッシリアの神アッシュール礼拝を強要されるようになったのです。列王記下16章10節以下に記されているのは、そのことです。

 ヒゼキヤは、サルゴンの死に伴う王位継承の時に朝貢をやめ、宗教改革、即ち、エルサレム神殿からアッシュール神や他の神々の像や祭壇を取り除く宮清めを断行しました(列王記下18章3節以下)。その背後に、預言者イザヤの指導があったと思われます。そして、それに従うヒゼキヤにイザヤは大きな期待をしていたと思います。

 ところが、アッシリアのサルゴンによって追放されていたメロダク・バルアダンがサルゴンの死後立ち上がり、反アッシリア同盟を呼びかけると、イザヤの反対を押し切って同盟に加わることにしてしまいました。それでイザヤは、異教の神々を礼拝し続けていた北イスラエルがアッシリアに滅ぼされ、捕囚とされたのと同じ運命が、南ユダにも及ぶと告げるわけです。

 財宝がすべて奪われ(6節)、さらに、息子の中に、バビロンの宦官として連行される者もあると語られたとき(7節)、ヒゼキヤは冒頭の言葉(8節)のとおり、「主の言葉はありがたいものです」と返答します。まるで反省する様子もありません。すべて奪われ、家系が途絶えるかもしれないと聞かされて、何が「ありがたい」のでしょうか。自分さえ安泰であれば、子孫はどうでもよいというのでしょうか。

 ただ、これはヒゼキヤの増長というよりも、当時のイスラエルが置かれていた環境の厳しさということでしょう。生き残りをかけて、どこと同盟し、軍事協定を結ぶのか、始終周囲に目を配っている必要があり、ヒゼキヤには気の休まるときもなかったことでしょう。自分の時代、アッシリアから守られるのであれば、王としての責任は果たせると考えたのかもしれません。

 同様に、イスラエルの民も今を生きることに必死で、他人のことよりもまず自分のこと、15年後のことなどではなく、まずは自分の目の前にある問題に対処することしかなかったのでしょう。

 しかし、イスラエルの王という立場の者が間違えば、国を危うくします。ヒゼキヤの瀕死の病は、イスラエルの国の状況とも言えます。ヒゼキヤの祈りを受けて神が寿命を15年延ばされたように(38章5節)、絶体絶命の危機にあったイスラエルは、イザヤの執り成しを通して、奇跡的な救いを味わいました(37章16節)。

 けれども、それは期限付きのもので、バビロンの使節派遣によって、「神はヒゼキヤを試み、その心にあることを知り尽くすために、彼を捨て置かれた」(歴代誌32章31節)とされ、相応しく対応出来なければ、イザヤが告げたとおり、バビロンによって滅ぼされ、すべてのものが奪われてしまうことになるのです。

 ヒゼキヤは、どうすればよかったのでしょうか。それは、癒しを与えてくださった神に感謝すること、栄光を神に帰すことです。彼が誇るべきは、主の恵み、慈しみでした。そして、どんなときに喪主なる神に信頼をおくことです。バビロンの使者に対して、宝物庫の財宝や武器庫の武具、武器などではなく、主なる神を信じる信仰の喜び、主に依り頼むことの確かさ、主に結ばれている平安な様子を見せなければならなかったのです。

 30章15節で「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と言われていたとおりです。それが出来なかったところに、ヒゼキヤの、そしてわたしたちの弱さがあります。そして、その弱さを克服することは、容易に出来るものではありません。

 パウロが、「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです」(第二コリント書12章9,10節)と言っています。それこそ、私たちは自分の弱さを主に委ね、主の守りを祈り求め、その導きに従うほかありません。

 主の憐れみを受け、神の子として生かされている私たちは、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝するという信仰の姿勢を、周りの人々に示して行くことが、主なる神によって求められています(第一テサロニケ書5章16~18節)。

 日々主の御言葉に耳を傾け、その御心を知り、聖霊の導きに従って歩むことが出来るよう、喜びと感謝を込めて主の導きを祈り求めましょう。

 主よ、私たちは自分のしていることが分かりません。なさんと欲する善はなす力がなく、欲しない悪は、それをしてしまいます。まさに、罪人の頭です。どうか憐れんでください。助けてください。導いてください。私たちの内に、清い心、新しい霊を授けてください。主の恵みと平安が常に私たちと共にありますように。その恵みを周囲の人々に証しする者とならせてください。 アーメン




3月27日(日) イザヤ書38章

「ヒゼキヤは言った。『わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか』。」 イザヤ書38章22節

 ヒゼキヤが死の病にかかり、イザヤから死の宣告を受け、それに対してヒゼキヤが主に祈ると、主はその祈りを聞いて寿命を15年延ばされるという本章の記事は、列王記下20章にもあります。

 ただし、21,22節の言葉は、列王記下20章の記事に従えば、6節と7節の間に置かれることになります。それが、今の位置に置かれることになった理由は何でしょうか。

 列王記下20章では、癒しの約束に対してヒゼキヤがしるしを求め、日時計の影を10度後戻りさせるというしるしが与えられたとされますが、イザヤでは、癒しの約束に続いて、しるしが与えられ、「ヒゼキヤの詩編」(9~20節)が詠まれた後に回復して(21節)、そして、ヒゼキヤのしるしを求める言葉で終わっています。

 内容的に考えると、イザヤ書の編者が、列王記の記事(1~8節)に「ヒゼキヤの詩編」(9~20節)を導入した際、何故か、ヒゼキヤのしるしを求める言葉など(21,22節)を間違って「ヒゼキヤの詩編」の後ろに配置してしまったということなのでしょう。

 また、「ヒゼキヤの詩編」がヒゼキヤ王の作なのか、あるいはイザヤによる作文なのか、あるいは、どちらでもないのかなど、詳しいことは何も分かりません。それこそ、イザヤに聞いて見たいところです。

 列王記の記者は、ヒゼキヤについて、「彼は、父祖ダビデが行ったように、主の目に正しいことを行い」と記しており(王下18章3節)、理想的な王として描いています。国内から徹底的に異教の偶像を排除したということから(同4節)、そのように語られることについて、ことさらに異論を差し挟むものではありません。

 しかしながら、王下20章12節以下、バビロンからの見舞い客を迎えたとき、ヒゼキヤの心が完全に主と結びついていたのかといえば、それをイザヤから厳しく咎められていることから、そうではなかったと言わざるを得ません。小国の南ユダが近隣諸国と渡り合っていくために、どうしても右顧左眄せざるを得なかったのでしょう。

 そうしたことを考えると、なぜ冒頭の言葉(22節)が列王記のように、7節の前に置かれないのかということについて、なにやら理由があるようにも思えて来ます。それは、ヒゼキヤの父アハズが、「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」と語るイザヤに対して、「わたしは求めない。主を試すようなことはしない」と答えてその言葉に従わなかったという出来事があったからです。

 それと同じように、主が日時計の影を10度後戻りさせるという「しるし」について語られ、それが実現したにも拘わらず、ヒゼキヤは「わたしが主の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか」とあらためて尋ねているわけです。

 即ち、アハズもヒゼキヤも、語っている言葉は一見信仰深い言葉に聞こえるけれども、どちらも神の言葉を注意深く聞いて、それに忠実に従おうとしてはいないという批判が、もしかすると、ここで表明されているのではないでしょうか。

 私たちはしかし、ヒゼキヤを批判できません。口では信仰深そうなことを言うことは出来ますが、生活で、日ごろの行いでそれを否定するところがあります。見られるところは整えますが、見られないところはいい加減になってしまいます。まことに不徹底です。

 ヒゼキヤが、死の病が癒されて再び公務につけるようになるのは、それは、ヒゼキヤが「まことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきた」(3節)からと読めますが、訴えるヒゼキヤに目を留めてくださった主なる神の憐れみがあればこそです。

 神は、私たちに対しても、絶えず憐れみをもって語りかけ、礼拝へと招いていてくださいます。パウロが、「神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ書12章1節)といっています。

 ここで、「憐れみ」には複数形が用いられています。何度も何度も呼びかけ、私たちのなすべき礼拝へと招いてくださっているということです。私たちに与えられたキリストの十字架というしるしを胸に、絶えず主の神殿に、神の宮に上りましょう。

 主よ、私は罪人です。私の罪を赦してください。私はあなたを必要としています。あなたの招きに従い、心の扉を開きます。どうか私の心の真ん中に、その王座にお着きくださり、あなたの望まれるような者に造り変えてください。絶えず十字架の主の御顔を拝し、御言葉に聴き従って、神に喜ばれる礼拝を行うとが出来ますように。 アーメン





3月27日(日)イースター礼拝説教

3月27日(日)イースター礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

賛美 「ガリラヤの風かおる丘で」
説教 「恐ろしかったから」
聖書 マルコ福音書16章1~8節


静岡教会の公式サイトを更新しました。
①「礼拝説教」の動画、式次第を掲載しました。
②「今週の報告」を更新しました。
③「お知らせ」は随時更新しています。
④『今日の御言葉』は毎日更新しています。
URL http://shizuoka-baptist.jimdo.com/

ご覧ください。


3月26日(土) イザヤ書37章

「主がアッシリアの王に向かって告げられた言葉はこうである。おとめである、娘シオンはお前を辱め、お前を嘲る。娘エルサレムはお前に背を向け、頭を振る。」 イザヤ書37章22節

 37章は、列王記下19章とほぼ同一の記事が記されています。

 アッシリアの司令官ラブ・シャケの言葉を伝え聞いたヒゼキヤ王は、主の神殿に行きます(1節)。「粗布を身にまとって」とは、悔い改めのしるしです。アッシリアの王の代替わりを機に朝貢を辞め、エジプトを頼りに反旗を翻した南ユダの王ヒゼキヤは、かえって絶体絶命の危機を招いてしまいました。

 国内の砦の町々が占領され、20万ともいう人々が捕虜としてアッシリアに引いて行かれ、その勢いをもって大軍がエルサレムに迫って来ました。一度はアッシリアの王に対しておのが非を認め、貢ぎ物を差し出して和睦しようとしたヒゼキヤですが(列王記下18章14,15節)、大軍をもってエルサレムが包囲され、ラブ・シャケの嘲りの言葉(36章16節以下)を聞いて、腹を決めたのでしょう。

 悔い改めて主の御前に進んだヒゼキヤは、同様に高官たちに粗布をまとわせてイザヤの下に遣わし、執り成しを願います(2節以下)。そこで、「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない」(3節)と言います。無事に出産を終えることが出来ない母と胎児は、医師の助けがなければ、いずれも死を待つほかないという非常に危険な状態にあるでしょう。

 助けを頼もうとしても、周りに頼りになるものはなく、また自ら出て戦うには力がない、絶体絶命のピンチです。ここにヒゼキヤは、まさに苦しいときの神頼みではありますが、神の前にひれ伏し、助けを求めたのです。

 その中で、アッシリア王センナケリブがラブ・シャケに告げさせたのは、「生ける神をののしるため」(4,17節)と言っています。センナケリブがイスラエルの神を「生ける神」(エロヒーム・ハイ)と言うはずがありません。ヒゼキヤが、主は「生ける神」、木や石で造られた命のない偶像などではない、他国の神々とは違うという思いを明らかにした言葉遣いです。

 使徒パウロが、「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(第二コリント4章8,9節)と言いました。それは、パウロ自身の強さではありません。

 「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために」(同7節)というとおりです。即ち、絶望的な状況の中で、共におられる主を仰ぐことが許されており、その御力に依り頼むことが出来るのです。

 「あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない」(6節)という神の言葉を聞いて、ヒゼキヤは心励まされました。

 それで、「お前が依り頼んでいる神にだまされ、エルサレムはアッシリアの王の手に渡されることはない、と思ってはならない」(10節)と神を嘲るラブ・シャケの手紙を受け取ると、それを主の前に広げて、「わたしたちの神、主よ、どうか今、わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください」と祈ります(20節)。

 37章は、列王記下19章とほぼ同一と、冒頭に記しましたが、僅かながら違っている箇所の一つが16節の「万軍の主」(ヤハウェ・ツェバオート)という言葉で、列王記下19章15節ではただ「主」としていたものを、イザヤは「万軍の主」としています(岩波訳は何故か、「万軍の」を訳出していません)。これも、上述の「生ける神」と同様、万軍の主は、ラブ・シャケが語った諸国の神々とは違うということを表明した用語でしょう。 

 ヒゼキヤの祈りを受けて、イザヤが告げたのが、冒頭の言葉(22節)です。アッシリアがいかに強大であり、自分の知恵、力を誇っていても、それは所詮、人の知恵、力に過ぎません。イスラエルの神を嘲ったアッシリアは、「おとめ」と言われるエルサレムの町によって嘲られ、辱められます。「頭を振る」は、相手を侮辱する行為です(ヨブ記16章4節、詩編22編8節など)。

 神は、かつてアブラハムに、「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」と約束されました(創世記12章3節)。神を嘲り、イスラエルを侮辱したアッシリアの王センナケリブは、自分の身にそれを受けなければなりません。

 彼は、18万5千という大軍でエルサレムを囲んでいましたが、矢を射ることも、土塁を築くことも、ましてエルサレムに入場することもなく(33節)、一夜のうちに主の御使いによって撃たれ、皆死体となりました(36節)。センナケリブひとりニネベに帰り、ニスロクの神殿で礼拝をささげていたとき、息子らに背かれて暗殺されてしまいます(37,38節)。

 「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか」(ローマ書8章31,32節)。

 絶えず主を仰ぎ、その御言葉に聴き従って力を頂きましょう。主の力強い御手の下で、自分を低くしましょう。神がわたしたちのことを心にかけていてくださるからです。

 主よ、信仰に固く立ち、思い上がって神に背く者となることがありませんように。神は高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えくださいます。絶えず私たちのことを心にかけていてくださる主に信頼し、一切を主に委ねて、主と共に歩ませてください。力が世々限りなく神にありますように。 アーメン




3月25日(金) イザヤ書36章

「しかし彼らは、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。」 イザヤ書36章21節

 36章は、列王記下18章13節以下とほぼ同じです。違いは、列王記には、ヒゼキヤがアッシリアに降伏する意を伝え、金銀を贈ったという記事がありますが(王下18章14~16節)、イザヤ書には、それが抜けていることです。

 エジプトを頼みとしてアッシリアに反旗を翻したヒゼキヤ王ですが(30章1,2節、31章1節)、頼みのエジプトがアッシリアに撃破され、ユダの町は次々と占領されていきます(1節)。2節の「ラキシュ」は、エジプトからユダの地にやって来る重要な隊商路を確保するための町ですが、この時点で既にアッシリアの手に落ちてしまっているようです。というのは、ラキシュからアッシリアの大軍がエルサレムに迫って来るからです。

 軍の司令官ラブ・シャケ、恐らくアッシリアの王センナケリブに次ぐ位置にいる人物ですが、この人物とユダの高官らが会談することになります(3節)。

 ラブ・シャケは、「お前はエジプトというあの折れかけの葦の杖を頼みにしているが、それはだれでも寄りかかる者の手を刺し貫くだけだ」(6節)と言います。これは、イザヤが既に30,31章で語っていて、頼るべき主なる神に従わず、人の力により頼む不信仰のゆえに、アッシリアに攻め込まれているのです。

 また8節で、「もしお前の方でそれだけの乗り手を準備できるなら、こちらから二千頭の馬を与えよう」と言います。兵士が二千人もいないということはないと思いますが、たとい、それだけの騎兵がいても、アッシリアの大軍には、全く歯が立たないと考えての、嘲りの言葉です。

 詩編33編16,17節に、「王の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない」とあり、ここで、救いは主なる神がお与えくださるものだと宣言しています。つまり、アッシリアは大軍だから戦いに勝利出来るのではなく、敵を打つ道具として主が用いられるので、連戦連勝ということになるわけです。

 10節で、「わたしは今、主と関わりなくこの地を滅ぼしに来たのだろうか。主がわたしに、『この地に向かって攻め上り、これを滅ぼせ』とお命じになったのだ」というのは、そのことを示しているわけです。しかし、それが真実ならば、そのとおりに実現したはずです。

 アッシリアは北イスラエルを滅ぼし、南ユダを苦しめました。確かにそれは、主と無関係であるとは思いません。しかしながら、彼らがエルサレムを陥落させることはありませんでした。つまり、南ユダの不信仰を裁くためにアッシリアが用いられましたが、それは、神がアッシリアの味方となられるということではありません。彼らが神の御心に従わず、思い上がるなら、御前から退けられるのです。

 このようなラブ・シャケの嘲りや脅しの言葉に対して、高官らは何ら答えませんでした。それは、「答えてはならないと王に戒められていた」からです(21節)。

 圧倒的な敵の力の前に何も言い返せない苦しみもありますが、何より主に信頼する姿勢がそこに込められています。「お前たちは、立ち帰って静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」(30章15節)と言われているとおりです。焦って、不安と恐れによって不信仰なことを口にするくらいなら、沈黙しましょう。

 洗礼者ヨハネの父ザカリアは、天使による告知からヨハネが生まれるまでの間、口が利けませんでした(ルカ福音書1章20節)。それは、沈黙して、神がなさる御業にひたすら注目させるためであったと考えられます。だから、舌のもつれがほどけて話せるようになったとき、ザカリアは神を賛美し始めたと言われます。ザカリアは、天使が告げたとおり、神の言葉は時が来れば実現することを、その目で見、その体で味わったわけです。

 ヤコブ書に、「だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」(1章19節)とあります。何よりも先ず神の御言葉に耳を傾け、祈り深く御言葉を心に受け止めましょう。自分の思いではなく、神の御心に従って語り、その導きに従って歩むことが出来るように、祈りましょう。

 主よ、言葉数に反して実を結ぶことの少ない私であることを御前に告白し、悔い改めます。自分を誇るため、あるいは弁護するために口数が多くなりますが、そんな時、御前に沈黙させて下ください。ただ主に信頼し、静まって主の導きに従うことが出来ますように。そして、喜びと感謝をもって御名を崇めさせてください。 アーメン




3月25日(金)受難日礼拝説教

3月25日(金)受難日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。

説教題 「十字架の愛」
聖書 ルカ福音書23章33~49節


ご覧ください。







 
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