風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2015年10月

10月31日(土) 詩編91編

「彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう。生涯、彼を満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」 詩編91編15,16節

 91編は、「避けどころ、砦」(2節)なる神に対する「信仰の歌」です。イスラエルの歴史は、様々な苦難から救い出された神の御業の歴史でもあります。3節以下に記されているのは、これまでイスラエルが経験して来た出来事を箇条書きに羅列したようなものでしょう。

 4節の、「陥れる言葉」は、「疫病の惨事」といった言葉です(口語訳・新改訳「恐ろしい疫病」)。「疫病」(デベル)と「言葉」(ダバル)は同じ綴りなので、新共同訳は敢えてそのように読み替えたのでしょう。5節の、「昼、飛んで来る矢」は、敵の攻撃を示すものですが、それは、嘲りなどの言葉による攻撃も含みます(64編4節参照)。

 続く6,7節に、「暗黒の中を行く疫病も、真昼に襲う病魔も、あなたの傍らに一千の人、あなたの右に一万の人が倒れるときすら、あなたを襲うことはない」とありますが、5節と併せて、ヒゼキヤの代、南ユダに押し寄せたアッシリアの大軍18万5千人が、主の御使いに撃たれて全滅し、エルサレムは陥落を免れたという記事を思い出します(列王記下18章13節以下、19章35節)。

 歴史家ヘロドトスによれば、このときアッシリア軍は、ネズミの大群に襲われたのだそうです。ネズミはペスト菌を媒介するので、あるいはペストが蔓延してのことではないでしょうか。いずれにせよ、それによってエルサレムの町は守られたのです。

 「夜、脅かすものをも、昼、飛んでくる矢をも、恐れることはない。暗黒の中をいく疫病も、真昼に襲う病魔も」(5,6節)と、対をなしている夜と昼に襲い来る危険は、古代近東における悪魔的な諸力を示しているようです。その超自然的な危険に対処するために、呪術、魔術が用いられていました。

 それに対して、イスラエルにおいては、いと高き神に信頼することが、その危険を避ける唯一の、しかし最も強力な対処法、信仰的態度でした。それにより、神に逆らう者にはその危険が降りかかりましたが(8節)、主を避けどころとする者は災難を免れることが出来たのです(9,10節)。

 使徒パウロが、「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした」(第二コリント書11章23節)と記した後に、苦労したことのリストを発表していますが、それは、苦労したことが自慢なのではなく、そのような辛い目に遭いながらも、神に守られて使徒としての務めを果たして来たということです。

 さらに、パウロには自分の体を痛めつける一つのとげがあり、それを取り除いて下さるように、三度主に願ったと言います(同12章7,8節)。しかし、神の答えは、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」というものでした(同9節)。

 とげを取り除いてはいただけなかったのですが、パウロの弱さにも拘らず、否、弱いからこそ神に依り頼み、福音宣教の働きが前進したとき、それは神の御業であることが明らかになる、というわけです。パウロのとげとは実際に何だったのか、はっきりと分かりませんが、痛みを伴い、伝道の働きの妨げとなるからこそ、パウロは取り除いて下さるように三度も願ったわけです。

 けれども、繰り返し苦難を体験し、そして肉体のとげによって自分自身は弱くされているのに、福音の業が前進していくとすれば、それは実に神の御業と言わざるを得ないのです。そして、パウロの働きは、使徒言行録の記述とパウロの書き残した手紙によって、今もなお実を結び続けています。確かに神は、万事を益となるようにしておられるのです(ローマ書8章28節)。

 冒頭の言葉(15節)で、「彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう」というのは、まさにパウロの体験のようなことではないかと、改めて教えられました。

 そして、神がご自分を慕い、呼び求める者に与えられた祝福は、「生涯、彼を満ちたらせる」ことであり、そして、「救いを彼に見せよう」ということでした(16節)。

 主イエスが、「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ福音書10章10,11節)と言われたのは、そのことです。私たちは、主イエスの贖いの死により、罪と死の呪いから解放され、永遠の神の御国に住まう神の子供としての恵み、特権に与る者としていただいたのです。

 私たちを極みまで愛し、命を捨てて下さった主イエスを慕い、その御名を褒め称えましょう。

 主よ、御子イエスの贖いによって、神の子とされました。主を避けどころ、砦とした私たちのために御使いを遣わし、どこでも守っていてくださいます。はばからず御前に進み、「私の避けどころ、砦.私の神、依り頼む方」と、主の御名を褒め称えさせてください。 アーメン



10月30日(金) 詩編90編

「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」 詩編90編12節

 90編から、第4巻(90~106編)になります。

 90編は、人の命のはかなさ、それは人の罪に対する神の憤りのゆえであることを知り、神の救いを求める「わたしたち」会衆の祈りの詩です。詩人はまず、神の永遠性を詠い(1,2節)、人の命のはかなさに触れます(3~6節)。この箇所は、キリスト教の葬儀において、必ずと言ってよいほどよく読まれます。

 3節の、「あなたは人を塵に返し、『人の子よ、帰れ』と仰せになります」という言葉で、塵にまで返される「人」(エノーシュ)とは、弱い存在としての人間を意味し、「人の子」(ブネイ・アーダーム=「アダムの子」)は、土(アダマー)から造られ、土に返る人間のはかなさを示しています。

 人の歴史は、千年を単位として測る長さであったとしても、神の目には一日の長さで(4節、第二ペトロ3章8節)、一夜の夢のようなものであり(5節)、「朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい、夕べにはしおれ、枯れて行きます」(6節、イザヤ40章6節以下)。

 しかしながら、詩人が嘆いているのは、一般論としての人生のはかなさなどではありません。彼らが「得るところは労苦と災い」(10節)と言っているその苦難の原因が、神の怒り、憤りにあるということです(7~12節)。70年、80年という人生、罪人として「労苦と災い」に示される神の御怒りの内を歩み、「人の子よ帰れ」の声で塵に返される、その儚さを嘆くのです。

 詩人は、創世記3章17節以下に記されている神の言葉を思い起こす現実の中におかれているようです。そしてそれは、個人的なものではなく、全人類が置かれた嘆かわしい状況なのです。

 そこで、「主よ、帰ってきてください。いつまで捨てておかれるのですか。あなたの僕らを力づけてください」(13節)という祈りの言葉を発しているわけです。「いつまで」と問うということは、神の憤りによる裁きの時間が長く続いているということです。

 こうした背景には、やはりバビロン捕囚の苦しみがあるということなのでしょう。だから、第3巻の終わり、89編に続いて、第4巻の初めに、この詩が置かれることになったのでしょう。

 表題には、「神の人モーセの詩」とあります。モーセの詩と呼ばれるのは、90編だけです。明らかに時代状況が違いますが、神の人モーセがイスラエルの民のために、繰り返し執り成しの祈りをささげていたことを思い出します。そして、モーセが同胞を救い出すために、神に召されてエジプトに遣わされたのは、80歳のときでした(出エジプト記7章7節)。

 ファラオの娘に拾われ、王宮で育てられたモーセは(同2章1節以下、10節)、成人して同胞が重労働に服し、エジプト人に苦しめられているのを見て血気に逸り、そのエジプト人を打ち殺しました(同2章11節以下)。

 その後、モーセはエジプトからミディアンの地に逃れ(同2章15節)、そこで、ミディアンの祭司の娘ツィポラと結婚し、羊の群れを飼う者となりました(同2章21節、3章1節)。何十年もの間、エジプトで奴隷をしている同胞のことを思いながら、荒れ野で羊を飼っていたモーセの思いを、この詩に重ね合わせたということでしょうか。

 神は、モーセを遣わしてイスラエルの民をエジプトから救い出されたように、ペルシアの王キュロスによって、バビロンからも救い出して下さいました(歴代誌下36章22節以下、エズラ記1章1節以下)。彼らに、喜びの歌を歌わせられたのです(14,15節)。

 詩人は、冒頭の言葉(12節)のとおり、「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」と求めています。「生涯の日を正しく数える」とは、人間の命が有限のものであること、それを定められたのが神であられること、即ち、人間は神の被造物であるということを示しています。

 また、「知恵ある心」とは、箴言1章7節に「主を畏れることは知恵の初め」とあるように、「主を畏れる心」ということが出来ます。つまり、神に造られたものとして、神を畏れ、謙虚に神に聴き従う心を求めているのです。

 確かに私たちは有限の存在です。一回限りの人生、私たちを創造し、慈しみの御手で守り導いて下さる主を信じ、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝して歩みましょう。そして、やがて召される日、「ハレルヤ!主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ」(1節)と賛美しつつ、天に携え上げられたいと思います。

 主よ、あなたは代々に私たちの宿るところ。山々が生まれる前から、大地が、人の世が生み出される前から、世々とこしえにあなたは神であられます。私たちに主を畏れ、その御言葉に聴き従う従順な心をお与えください。あなたの僕らが御業を仰ぎ、子らもあなたの威光を仰ぐことが出来ますように。 アーメン


10月29日(木) 詩編89編

「しかしあなたは、御自ら油を注がれた人に対して、激しく怒り、彼を退け、見捨て、あなたへの僕への契約を破棄し、彼の王冠を地になげうって汚し、彼の防壁をことごとく破り、砦をすべて廃墟とされた。」 詩編89編39~41節

 表題の「エズラ人エタン」について、列王記上5章11節(口語訳・新改訳は4章31節)にはソロモンの時の知恵者として、その名が記されます。また、歴代誌上1517,19節には、レビ人クシャヤの子で、ヘマン(88編1節)と共に、楽器を奏で、歌をうたう詠唱者として記されています。

 89編には、38節と39節の間に、渡ることが出来ないほど深い淵があります。前半には、ダビデとの契約を結ばれた主への賛美、後半には、ダビデの子孫にもたらされた苦難による嘆きが記されています。これは、詩編の編者が、二つの詩を一つにまとめたのではないか、と解釈する学者もいます。

 その真偽は分かりませんが、50節の、「主よ、真実をもってダビデに誓われた、あなたの初めからの慈しみは、どこに行ってしまったのでしょうか」という言葉で、かつて、真実をもってダビデとの永遠の契約を結ばれた神が、その契約を破棄し、エルサレムの都を廃墟のままにしておられるのはなぜか、あの慈しみ深き神はどこへ行ってしまわれたのかと神に問う構成になっているのです。

 そうであれば、4,5節でダビデとの契約について語った後で、6節以下に天上の神々の会議について語る必要はないように思われます。そこでは、イスラエルの主が神々の中の神、王の王、主の主であられることが讃えられ(7,8節)、それが、9節以下の主の御業によって確証されています。

 主は、混沌の海の支配者ラハブを砕き(10,11節、ヨブ記26章12節、イザヤ書51章9節)、天地に秩序をもたらされました。天地創造の御業は、無から有を生じさせ、混沌に秩序を与えることだったわけです(創世記1章1節以下,ローマ書4章17節)。

 このように述べることで、20節以下にも語られるダビデとの永遠の契約、ダビデの子孫をとこしえに立て、王座を代々に備えるという約束は(5,30節)、天上における神の王権に基礎づけられたものであることを示しているわけです。 

 紀元前597年、バビロン帝国の王ネブカドネツァルがエルサレムを包囲し、南ユダの若い(18歳!)王ヨヤキンは捕囚の身となり(列王記下24章8節以下、12,15節)、以来37年、獄につながれていました(同25章27節)。

 ヨヤキンに代えて王とされたゼデキヤは(同24章17節)、紀元前587年、エジプトに援軍を頼み、バビロンに反旗を翻しましたが、直ちに返り討ちに遭い、子らは殺され、ゼデキヤは両目をつぶされて足枷をはめられ、連行されました(同24章18節以下、25章6,7節)。神殿や王宮、エルサレムのすべての家屋は焼き払われ、城壁も取り壊されました(同25章9,10節)。

 そういう事態に陥ったのは、ダビデの子孫が主の目に悪とされることをことごとく行ったからであり、それゆえ、ユダは主の怒りによって、ついにその御前から捨て去られることになったのです(同24章19,20節)。

 しかし、イスラエルの歴史はそれで終わりにはなりませんでした。列王記下25章27,28節に、「ユダの王ヨヤキンが捕囚となって37年目の第12の月の27日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。バビロンの王は彼を手厚くもてなし、バビロンで共にいた王たちの中で彼に最も高い位を与えた」と、驚くべきことが記されます。

 さらに、「ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。彼は生きている間、毎日、日々の糧を常に王から支給された」(同29,30節)と記して、列王記は閉じられます。なにゆえ、ヨヤキンは土牢から出され、他の王たちに勝る高い位を与えられ、毎日、王と共に食事をすることが出来るようになったのでしょうか。

 詩人はこの日を見ることが出来なかったのでしょうが、ここに、神の真実があります。神がイスラエルのために立てられた計画は、平和の計画であって、災いの計画ではなかったのです。その計画に基づき、将来と希望が与えられたのです(エレミヤ記29章11節)。

 そしてまた、冒頭の、「あなたは、御自ら油を注がれた人に対して激しく怒り、彼を退け、見捨て、あなたの僕への契約をはきし、彼の王冠を地になげうって汚し」(39,40節)という言葉に、ダビデの子イエス・キリストの十字架の苦しみを見ることが出来ます。

 「油を注がれた人」は、メシア=キリストという言葉です。そして、主イエスこそ、イザヤ書53章に預言されている「苦難の僕」です。ダビデの子キリスト・イエスの苦しみのゆえに私たちは癒され、十字架の贖いのゆえに罪赦され、神の子として、天の御国の食卓に共に着くことが出来るようになったのです。

 詩人は、神の契約はなぜ捨てられたのか、神の真実はどこにあるのかと訴えましたが、神は旧い契約に変えて、イエス・キリストの血による新しい契約を、すべての民のために備えてくださいました。

 そのことを知ってか知らずか、第三巻の終わりであるこの詩は、「主をたたえよ、とこしえに。アーメン、アーメン」(53節)と、未だ主イエスの十字架と復活を見てはいないけれども、主の真実を信じて御名をほめ讃えているのです。

 主よ、あなたの慈しみをとこしえに歌います。あなたの真実と慈しみが私たちと共にあり、御名によって私たちは高く上げられます。変えられることのない御言葉を堅く握り、主の真実に信頼して、日々歩ませてください。キリストにある平和が、わが日本に、就中苦しみ痛みの中にある方々にありますように。 アーメン


10月28日(水) 詩編88編

「主よ、わたしはあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向かいます。」 詩編88編14節

 88編は、重い病などの苦しみから、神に救いを求める「祈りの詩」です。

 ここには、神に対する信頼の言葉や賛美の言葉は、全く記されていません。4節に、「わたしの魂は苦難を味わい尽くし、命は陰府にのぞんでいます」とあるように、まさに死に直面して、嘆き苦しんでいたのです。そこで、ただ一つの願い、この祈りが神に聞き届けられることを求めて続けているわけです(2,3節)。

 6節には、「汚れた者と見なされ、死人のうちに放たれて、墓に横たわる者となりました」とあり、詩人は、死に直面させる病いなどの苦しみがある上に、その病のゆえに神の前に汚れた者、神に捨てられた者と見なされます。そのために、家族や知人との交わりから隔離され、生きながら死者の中に住まいする者とされていることが、詩人を一層苦しめています。

 16節には、「わたしは若いときから苦しんできました。今は、死を待ちます。あなたの怒りを身に負い、絶えようとしています」と記されています。若いころには、将来に期待して耐えることも出来たでしょう。周りの家族や友人も様々に慰め、励ましてくれたことでしょう。しかし、長い年月が過ぎ去り、もはや若くはありません。明日に希望をもてなくなり、死を待つばかりとなりました。

 19節の、「愛する者も友も、あなたはわたしから遠ざけてしまわれました。今、わたしに親しいのは暗闇だけです」という言葉は、愛する者や友が詩人に愛想をつかしたというようなことなのでしょうか。それとも、「汚れた者と見なされ」(6節)たことによって、彼らが詩人に近づくことが出来なくなったということなのでしょうか。

 あるいはまた、愛する者や友も、年老いたり、また、病を得たりして、詩人を支えることが出来なくなったということなのでしょうか。色々と想像致しますが、いずれにせよ、彼の孤独な状況を思うと、身につまされるものがあります。

 詩人のような苦悩の中にいる人々に対して、何をどのように語れば、慰めとなり、励ましとなるでしょうか。うずくまっている人を立ち上がらせるのは、容易なことではありません。私たちには、人を慰める言葉も力もないことを、あらためて思い知らされますし、自分がこの詩人であったらと思うと、やりきれないような思いにされます。

 しかしながら、一つ思うことは、この詩人は神の御前に諦めてはいないということです。「昼は、助けを求めて叫び、夜も、御前におります」と語り(2節)、そして冒頭の言葉(14節)のとおり、「主よ、わたしはあなたに叫びます。朝ごとに祈りは御前に向かいます」と言っているからです。

 「今、わたしに親しいのは暗闇だけです」(19節)と語る詩人にも、朝の光が差し込んでいます。昼、助けを求めて叫び、御前に眠れない思いで夜を過ごした詩人が、朝の光の中で身仕舞を整え、姿勢を正して神に祈っています。

 彼を取り巻く現実は、少しも変わっていないかも知れません。詩人が神の前に祈る言葉は、昨日も今日も同じかも知れません。けれども、事毎に神の御前に座り、訴え叫ぶ詩人の祈りの姿勢の中に、その祈りを聞いておられる神の御顔を見るように思います。

 そして、神が詩人にそのように祈らせておられるのではないかと思えます。詩人は、ほかの誰でもない神ご自身によって、その祈りに導かれ、そこに力を得て昼叫び、夜深く神を思い、朝を迎えて再び神に祈るのです。

 ベトザタの池の傍らで、38年間の長患いの男に「良くなりたいか」と主イエスが声をかけられたとき(ヨハネ福音書5章6節)、その男は、「はい」とも「いいえ」とも答えませんでした。彼は、「わたしを池に入れてくれる人がいないのです」(同7節)と答えました。

 この人にとって、病も苦しいものだったとは思いますが、それ以上に、「愛する者も友も、あなたはわたしから遠ざけてしまわれました」と語る詩人と同様、助ける者のない孤独な状況が、彼を苦しめていたわけです。それは、病気が治ったところで解消しない苦しみだったのです。

 しかし、このやり取りができたとき、この人の心には明るい光が差し込んでいたのではないでしょうか。この人の関心を寄せ、「良くなりたいか」と声をかけてくださる方が現れたからです。そのお方に、神の愛を見ることが出来たのです。

 詩人を祈りに導かれた主なる神は、病む者の中にいて孤独に苦しんでいたこの男性の口を開かせられました。朝ごとに主の御前に向かい、祈りをささげましょう。その御声に耳を傾け、御旨に従って歩ませていただきましょう。 

 主よ、私たちは自分で自分を救うことが出来ません。私にはその力がありません。あなたを信じることが出来ること、あなたに祈りをささげることが出来ることは、本当に幸いです。どんな時にも、主を信じて祈るようにと導いてくださいます。主の愛の光を受けて、朝ごとに新しく、主を仰がせてください。御声を聴かせてください。御名が崇められますように。 アーメン


10月27日(火) 詩編87編

「歌う者も踊る者も共に言う、『わたしの源はすべてあなたの中にある』と。」 詩編87編7節

 87編は,神の都シオンについての歌です。冒頭の言葉(7節)から、この詩は礼拝で用いられていたようです。というのは、シオンにやって来た巡礼者たちが歓喜の内に歌い踊り、シオンを讃える様子が示されているからです。

 「聖なる山に基を置き、主がヤコブのすべての住まいにまさって愛されるシオンの城門よ」(1,2節)とは、エルサレムの都の城門に呼びかける言葉です。「城門」は複数形で、エルサレムの町を指します(9編15節参照)。つまり、次節冒頭の「神の都よ」と同じ意味ということです。

 「聖なる山」とは、神がお選びになった山ということです。シオンはエブス人の住む町でしたが、ダビデがここを陥れ、城壁を築き、「ダビデの町」としました(サムエル記下5章6節以下、7,9節)。にもかかわらず、都をシオンに据えられたのは主なる神だと言っているのです。

 神の都の栄光について人々は語ると記した後(3節)、4節以下に一人称で語られた言葉が記されていますが、それは、人々が神の都の栄光について語った言葉ではありません。むしろ、神の都の栄光について語る人々に対して、神ご自身が語られた言葉と考える方がよいかも知れません。

 そこには、いくつかの地名が挙げられています。まず、「ラハブ」は、89編11節、ヨブ記26章12節、イザヤ書51章9節などでは、海の龍のような悪しき存在を思わせますが、イザヤ書30章7節には、「エジプトの助けは空しくはかない。それゆえ、わたしはこれを『つながれたラハブ』と呼ぶ」とあり、エジプトのことをラハブと呼んでいることが分かります。
                                                                                                                                                                                                                                                            
 次いで、「バビロン」は南ユダ王国を滅ぼし、その民を捕囚とした敵ですが、アッシリア、ペルシアなど、イスラエルを支配したメソポタミアの強国の代表として呼び出されたのでしょう。

 「わたしを知る者」とはイスラエルのことですから、「エジプトとバビロンの名を、イスラエルの名と共に挙げよう」と言っています。イスラエルは、ダビデ王朝時代、南はエジプト、北はメソポタミア諸国によって絶えず苦しめられて来たのです。それがここで、イスラエルと共に名を挙げると言われるのです。

 それから、「ペリシテ」は地中海沿いのイスラエルの隣国で、イスラエルの民がカナンの地にやって来て以来、度々苦しめられました。続く「ティルス」は、北隣のフェニキヤの町です。また、「クシュ」はエチオピアのことで、当時、南の地の果てのように考えられていたそうです。

 隣国のペリシテやティルス、地の果てのクシュが、「この都で生まれた、と書こう」と言われています。つまり、それらの国民はエルサレム生まれと記されるというのです。「ペリシテ、ティルス、クシュをも」と言われていますので、「ラハブとバビロンをも」ということが前提になります。

 ですから、「いと高き神御自身がこれを固く定められる。主は諸国の民を数え、書き記される、この都で生まれた者、と」(5,6節)と記されているわけです。しかしながら、どうして、諸国の民がエルサレムの都で生まれた、と言われるのでしょうか。

 それは、神が諸国の民を御自分の都に招きたい、神を知るイスラエルの民にように、神を知る者にしたいとお考えになっているわけです。そして、彼らがエルサレムにやってきたとき、神によって新しく生まれたエルサレム生まれとして登録してくださるのです。

 このことについてガラテヤ書3章26~28節に、「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。バプテスマを受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分のものもなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」とあります。

 パウロは、キリストの贖いのゆえに、あらゆる隔ての壁が取り除かれ(エフェソ2章14節以下)、一つとされたのだと語っています。それは、パウロがバルナバと共に宣教旅行に赴いて(使徒言行録13章1節以下)、異邦人にも信仰の門が開かれたのを見る(同14章27節など)などして得た確信でしょう。そして、詩人は知らずして、ここに、このキリストの贖いを預言しているわけです。

 先に記したように、冒頭の言葉(7節)に、シオンにやって来た巡礼者たちが、喜びをもって歌い踊り、「わたしの源はすべてあなたの中にある」と語るとあります。「源」とは、「泉、井戸」(アイン)という言葉です。巡礼者たちにとって、シオンが命の泉、喜びや幸いの源だというのです。

 主イエスは、主イエスを信じる人に与えられる恵みを、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4章14節)と言われました。

 そして、「この山(ゲリジム)でもエルサレムでもないところで、父を礼拝するときが来る」(同21節)、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝するときが来る。今がその時である」(同23節)と言われているのも、主イエスとの交わりに入り、その水を飲むことだと示されます。

 主イエスという同じ井戸から命の水を飲ませて頂いたお互いが、歌をもて、踊りをもて、神に喜び感謝するいうことです。主から命の水を飲ませて頂いた人、主の招きに従った人々は、それを本当に知ることが出来るのです。

 渇く思いで主を慕い求め、この喜び、恵みを味わせて頂きましょう(ヨハネ7章37,38節参照)。

 主よ、あなたは私がまだ弱かったとき、罪人であったとき、敵であったときに、私たちのために死んで、贖いの業を成し遂げてくださいました。それによって永遠の都に国籍を持つ者として頂きました。絶えず主を仰ぎ、すべての人と相和し、赦し合い、愛し合い、助け合って歩むことが出来ますように。 アーメン






10月26日(月) 詩編86編

「主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください。」 詩編86編11節

 86編は、神に苦難からの救いを求める「祈りの詩」です。

 表題に「祈り、ダビデの詩」とありますが、原文には、「詩」(ミズモール)という言葉はありません。つまり、「祈り、ダビデの」(テフィラー・レ・ダビード)と記されているのです。

 「ダビデの祈り」の詩は、72編20節で終りと記されていましたが、第3巻(73~89編)で、「アサフの詩」(73~83編)に続く「コラの子の詩」(84~88編)の中に、「ダビデの祈り」の詩が一つぽつんと置かれるかたちになり、異彩を放っています。

 「わたし」(1節以下)が主なる神を「あなた」(2節)と呼んで、一対一の談判を行っています。ここに、詩人が救いを求めているのは、14節に「傲慢な者がわたしに逆らって立ち、暴虐な者の一党がわたしの命を求めています」とあるように、彼を苦しめる敵の存在があるのです。

 1節に「わたしは貧しく、身を屈めています」とありますが、これは,40編18節、70編6節にも出て来ました。「身を屈める」と訳されているのは、「貧窮している」(エブヨーン)という言葉で、苦しめる敵を前に、自分で自分を守るすべがないこと、それゆえに一切を主の御手に委ねますという表現です。

 だから、2節に、「わたしはあなたの慈しみに生きる者。あなたの僕・・・あなたはわたしの神、わたしはあなたに依り頼む者」と語るわけです。ここで、「僕」(エベド)は、主人に仕える奴隷です。

 「主よ」という呼びかけが繰り返されている内、3,4,5,8,9,12,15節は、「主人」という意味の「アドーン」に、「わたしの」という意味の接尾辞が付けられていて、「わたしの主よ」と訳すことも出来ます。「あなたの僕」に対応するかたちで、7度「わたしのご主人様」と呼びかけているということです。それ以外は、「ヤハウェ」を「主」と訳しています(1,6,11,17節)。

 詩人は、この祈りを神が聞いてくださることを信じています(5,7節)。それは、主が恵み深く、豊かな慈しみをお与えになる方だからです(5,15節)。そして、主のほかに神はおられません(8,10節)。

 詩人が主の豊かな恵みと慈しみとに目を留めたとき、自分の信仰の有様を省みました。そこで、冒頭の言葉(11節)のとおり、「主よ、あなたの道を教えてください。わたしはあなたのまことの中を歩みます」と言います。

 ここで、「まこと」は「エメト(真理、真実、忠実さ、堅固の意)」という言葉です。「あなたのエメトの中を歩きます」とは、あなたの真実な道を歩きますということで、あなたの真実に応えて誠実に、忠実に歩きますという意味といってよいでしょう。

 そのために、「一筋の心をわたしにお与えください」と求めます。直訳は、「わたしの心を一つにしてください」となります。あれこれと千々に乱れている心を一つに結合して下さいという意味と取るのが一番スムーズだと思います。新共同訳の訳を生かして、「あなた一筋の心にしてください」といってもよいでしょう。

 神の真実、その慈しみは計り知れません。というのは、深い陰府から詩人の魂が救い出されたのです(13節)。死の淵から神に引き上げられ、癒された、救われたということでしょう。

 そういう経験をしながらも、なお様々な出来事、特に自分を苦しめる事態に遭遇すると、神に信頼し切ることが出来ず、思い煩ってしまうのです。そして自分を支える様々な助けが欲しくなり、あちらこちらを見回している自分を見出すのです。そうすると、「深い陰府」とは、必ずしも死の淵などではなく、不信仰な私たちの心の有様を表しているとも考えられます。

 それにも拘らず、神の慈しみに圧倒された、満たされたということでしょう。それは、決して詩人の努力などではなく、まさに神の憐れみだったのです。だから、「主よ、わたしの神よ、心を尽くしてあなたに感謝をささげ、とこしえに御名を尊びます」(12節)というのです。

 そう考えれば、14節の「傲慢な者」、「暴虐な者の一党」は、敵を指すだけでなく、自分の心の深みにあるものとも思えます。私たちの心が傲慢になり、また荒れすさぶ時、神を前に置いていない状態になります。自分で自分の前に神を置いたなどと考えると、すぐにそこに傲慢な思いが首をもたげてきます。

 私が目の前に神を見ることが出来るのは、神が私を憐れみ、ご自身の御顔を私に向けてくださっているから、そして、主の方から近づいてくださったからです。私が不真実なときでも、主は絶えず真実です(ローマ書3章3,4節)。この主の真実に答える誠実さとは、主を信頼する信仰が心に満ちているということです。

 絶えず主を畏れ敬うことが出来るように、神様一筋の心にしていただきましょう。

 主よ、あなたの道を教えてください。私たちはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことが出来ますように、主一筋に求め、信頼する心を私たちにお与えください。いつも、御名を崇め、心を尽くして感謝をささげることが出来ますように。 アーメン



10月25日(日) 詩編85編

「わたしは神が宣言されるのを聞きます。主は平和を宣言されます。御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に、彼らが愚かな振る舞いに戻らないように。」 詩編85編9節

 85編は、神に救いを求める「祈りの詩」です。

 2節に、「主よ、あなたは御自分の地をお望みになり、ヤコブの捕らわれ人を連れ帰ってくださいました」と言います。ここで、カナンの地を「御自分の地」(アルツェハー:直訳「あなたの地」)というのは、サムエル記下7章23節とここだけに出る珍しい表現です。勿論、すべては神の被造物です。ここでは、イスラエルの民に再び嗣業の地を与えることを望まれたという表現でしょう。

 イスラエルが捕囚の地から戻ることが出来たのは、ただ主の憐れみでした。3節の、「御自分の民の罪を赦し、彼らの咎をすべて覆ってくださいました」という言葉がそれを示しています。神の怒りを買ってエルサレムの都がバビロン軍の手に落ち、捕囚とされたとき、イスラエルの民は、再びエルサレムに戻る日が来るとはとても思えなかったでしょう。しかし、50年後、それが現実となったのです。

 ただ、エルサレムに戻って来れば、以前のような生活が直ぐに営めるようになったということではありません。ペルシア王キュロスによってバビロンから解放され、エルサレムに戻れたものの、町は破壊され、城壁も崩れたままでした(ネヘミヤ記1章3節)。

 神殿再建、城壁再建を妨害する敵の存在に加え(エズラ記4章、ネヘミヤ記6章)、旱魃による飢饉に見舞われ、さらに役人に課せられた重税によって打ちのめされました(ヘネミヤ記5章)。

 エルサレムに帰還後、100年以上経っても、そういう有様だったのです。だからということでもないかも知れませんが、多くのユダヤ人たちが、イスラエルに戻ろうとせず、バビロンに留まっていたのです。

 4節に、「怒りをことごとく取り去り、激しい憤りを静められました」と語られているのに、続く5節で、「わたしたちの救いの神よ、わたしたちのもとにお帰りください。わたしたちのための苦悩を静めてください」と祈り、6節に、「あなたはとこしえにわたしたちを怒り、その怒りを代々に及ぼされるのですか」と尋ねています。

 上述のような事態の中で、エルサレムに戻されたことについて、私たちをここで苦しませるために、連れて来たのか、神はいつまでお怒りになるのか、こんなことならバビロンにいる方がましだったという嘆きや不満の声が上がったのは、想像に難くないところです。

 しかし、そこに神を畏れ、その御声を聞く人々がいました。冒頭の言葉(9節)にあるように、彼らは主が「平和(シャローム)」を宣言される声を聞いています。「平和」を「救い、幸福」と訳してもよいでしょう。神の御声を聞いている人々は、自分の置かれている環境は、厳しいものがあっても、しかしそこに神の救い、幸福を見ることが出来たのです。

 「主を畏れる人に救いは近く、栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう」と言い(10節)、さらに、「慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけし、まことは地から萌えいで、正義は天から注がれます。主は必ず良いものをお与えになり、わたしたちの地は実りをもたらします」と語ります(11~13節)。

 9節以下の段落の動詞は殆ど未完了形ですから、未来に成就されるものとして未来形のように訳されます。ただ、11節は完了形です。

 「慈しみとまことは出会った。正義と平和は口づけした」ことにより、この地に平和が実現すると信じるといった表現です。主を畏れる詩人は、主なる神のうちに、「慈しみ(ヘセッド)」と「まこと(エメット)」が一つとなっていること、その恵みが私たちに「正義(ツェデク)」と「平和(シャローム)」として与えられたことを知りました。

 つまり、神が慈しみとまことをもって私たちとの関係を正しくし、正しい秩序をもたらしてくださること、そこに神の平和、平安が支配するということを、信仰によって受け止めているのです。それが、詩人を始め、イスラエルの人々が依って立つところ、主に助けを祈り求める根拠でした。

 2節にいう、主がお望みになる「御自分の地」とは、そのように主を畏れ、主の御言葉を聴く者が住む地であり、そこで私たちが正義と平和の恵みに与るように、私たちを招いてくださっているのです。

 招きに応え、主を畏れ、日々主の御言葉に耳を傾けましょう。そこで主の慈しみとまことに触れ、正義と平和に与りましょう。  

 主よ、御子キリストの贖いにより、私たちの罪を赦し、咎をすべて覆ってくださいました。御前に謙り、御声を聴きます。今、苦しみの中にある多くの人々に、必ずよいものをお与えくださり、私たちの嗣業の地は豊かな実りをもたらすことを信じます。 アーメン






10月24日(土) 詩編84編

「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう。」 詩編84編7節

 84編は、万軍の主の神殿での礼拝を慕い求める詩人の「神をたたえる歌」です。

 表題に、「コラの子の詩」とありますが、コラは、レビ族のケハトの家に属し、モーセやアロンの従兄弟にあたります(出エジプト記6章18節以下、21節参照)。ダビデに選ばれた詠唱者ヘマンは、コラの子孫です(歴代誌上6章18節以下)。

 「万軍の主」(2,4,9,13節)と4度呼ばれる主なる神の神殿は、シオンの山に建てられています(8節)。そこで、主を慕い求める人は、巡礼をいたします。「祭壇に、鳥は住みかを作り」(4節)と、主にまみえる場所がいかに望ましい場所であるかということを語ります。

 5,6節に、「いかに幸いなことでしょう」(アシュレイ)という言葉を重ねて、神の宮における礼拝に与る者と(5節)、神を慕って巡礼の旅に出る者(6節以下)を讃えています。そして、詩の最後に、それを、まとめて、「万軍の主よ、あなたに依り頼む人は、いかに幸いなことでしょう」と、三度目のアシュレイを語ります。

 冒頭の言葉(7節)で、「嘆きの谷」というところを、口語訳では「バカの谷」と訳しています。実は、「嘆き」と訳されたのが「バカ(bk’)」という言葉で、それを口語訳は固有名詞と考えたのです。英語訳のKJV、RSVなども、「バカの谷(valley of Baca)」としています。

 ところが、「バカ」は、「嘆き、涙」という意味ではありません。これは、「バルサムの木」のことです。その幹からミルクのような樹液が出、それは乳香として用いられます。バルサムの木は、乾燥した高地によく生息しているそうです。

 サムエル記下5章23節に「バルサムの茂み」(ベカイーム)という言葉があり、レファイムの谷に陣取ったペリシテ軍を迎え撃つため、ダビデの軍勢はその茂みに身を隠して、待ち伏せ攻撃をしました(同24節)。その場所は、エルサレムの南にあるヒンノムの谷の北部の谷のあたりであろうと想定されています。

 それが「嘆きの谷」(新改訳は「涙の谷」)と言われるのは、70人訳(ギリシャ語訳旧約聖書)の「涙」(クラウスモウン:weeping)という訳を参考にしたのでしょう。「涙、嘆き」は、ヘブライ語で「ベケー(bkh)」といい、「バカ」によく似ているということもあります。

 ヒンノムの谷は、今日アラビア語でワーディ・エル・ラバビと言われます。ワーディは、雨が降ったときだけ水が流れ、いつもは川の水が全く流れていない涸れた川です。巡礼の旅人が水を求めて谷底に降りても、水が得られません。まさに、旅人を嘆かせる嘆きのなの谷です。

 しかし、一旦雨が降れば、そこに水が流れ、さまざまな命が芽吹きます。嘆きの谷が泉となるのは、恵みの雨が降ったからです。長旅の渇きも、泉の水で癒されます。人生の旅路において、様々な嘆きの谷を通過した人々が、神の宮にやって来て、主の恵みに触れたとき、喜びが泉となって内から湧き上がります。

 「いよいよ力を増して進み」(8節)とは、神の宮で新しい恵みを受けた旅人が、家を出たときよりも元気になった、益々強くなったというような表現です。が、原文は、「力から力へと進み」(メイハイル・エルハーイル:口語訳、新改訳参照)という言葉です。自分の力ではなく、神よりの新しい力をうけてという意味でしょう。

 7節後半の、「雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう」という言葉や、8節後半の、「ついに、シオンで神に見えるでしょう」という言葉などから、その力とは、単に体力や気力というのではなく、新約の時代において、あのペンテコステに降り注いだ聖霊によって与えられる「力」(使徒言行録1章8節、2章1節以下)を指しているように思われます。

 イザヤ書40章31節に、「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」という預言があります。鷲は、自分で羽ばたくのではなく、翼を大きく張り広げ、上昇気流に乗って空高く舞い上がります。

 ヘブライ語で風と霊は同じ言葉(ルーアッハ)ですから、鷲を高く舞い上がらせる風の力という表現で、主に望みを置く人が得る新しい力とは、霊の力であるということを示しています。また、出エジプト記19章4節に、「あなたたちを鷲の翼に乗せて、わたしのもとに連れてきた」という言葉があり、神の助けを「鷲の翼」と表現しています。

 そのことから、イザヤの預言は、バビロンに連れて行かれた捕囚民に与えられた、エルサレムに帰ることが出来るという約束の言葉とみることが出来ます。神の助けなしに、バビロンから自由になれるとは考えられません。だからこそ、主を待ち望むのです。

 主イエスが仮庵祭の大切な日に、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」と言われましたが(ヨハネ福音書7章37,38節)、これも同様です。

 というのは、湧き出した生きた水の川(複数形:rivers)について、「イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている御霊について言われたのである」と説明されているからです(同39節)。

 どんなときにも、私たちの内に、私たちと共にいて下さる御霊なる神の恵みと力に満たされて、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌を歌いたいと思います。

 主よ、弱く貧しい私たちを顧み、絶えず新しい恵みに与らせてくださることを、心から感謝します。涙の谷を通ることがあっても、そこを恵みの雨に与る場所としてくださる主を仰ぎます。キリストの言葉を心に豊かに宿らせ、御霊に満たされて、心から御名をほめ讃えさせてください。主の御名は賞むべきかな。 アーメン



10月23日(金) 詩編83編

「彼らが悟りますように。あなたの御名は主、ただひとり、全地を超えて、いと高き神であることを」 詩編83編19節

 83編は、イスラエルを取り囲む敵の脅威の中から、神に救いを求める「祈りの詩」です。
 
 2節に、「神よ、沈黙しないでください」とあります。これは、神は必ず自分たちを守ってくださるという確信に立っているというよりも、むしろ、祈り求めても神が助けてくださらないのではないかと感じているような表現です。様々な敵の攻撃に際して何度も助けを祈り求めたのに、神は沈黙しておられるかのごとくに、何の助けも得られなかったという経験に基づいた言葉遣いではないでしょうか。

 7節以下に、「敵」が列挙されています。エドム人から8節最後のティルスの住民まで、いずれもそれはイスラエル周辺の国々、民族です。そして最後にアッシリアが登場して、ロトの子らに腕を貸したといわれます(9節)。ロトの子らとは、モアブとアンモンのことです(創世記19章36節以下)。つまり、7節以下に列挙された国々の民が徒党を組んで襲って来たということになります。

 アッシリアとイスラエル周辺諸国、諸部族が同盟を組んでイスラエルを攻撃したことがあるかといえば、歴史的にそれを裏付ける証拠はありません。むしろ、これらの国々とイスラエルが手を組んで、アッシリアやバビロンというメソポタミアの強国に対抗したことはあります。

 ただ、これらの国々がそれぞれイスラエルの「敵」となり、その攻撃に苦しめられたことがあるのは事実です。また、文化的、宗教的影響を強く受け、イスラエルの民が主なる神から離反する原因となりました。

 10節から13節までは、士師記4~8章に記されている出来事です。この時代、イスラエルが主の目に悪とされることを行い、それで神が周辺諸国にイスラエルを売り渡され、イスラエルの人々が主に助けを求めて叫ぶと、神が士師をたてて助けてくださるということが繰り返されました。

 ですから、イスラエルに敵する同盟軍に対して、かつてのようになさってくださいと求めるということは(10節)、この危機の原因が、イスラエルの背きの罪にあるということを示すことでもあります。

 今、詩人が恐れ戦いているのは、アッシリアの脅威が迫っているからです。5節に、「彼らは言います、『あの民を国々の間から断とう。イスラエルの名が再び思い起こされることのないように』」とありますが、アッシリア軍の残忍さは尋常ではなかったようです。

 アッシュル・ナシル・パルという王様(紀元前883~859年)は、自分の碑文に、「敵対者たちの血で山々を赤く染め、谷を死体で満たし、人々を火で焼いた。謀反を企てる者の皮をはいで磔にし、あるいは手足を切り落とした」と刻ませているそうです。

 預言者ヨナが神に、「ニネベに行きなさい」と命じられてそれを拒んだのは(ヨナ書1章参照)、ニネベがアッシリアの都だからで、このような残忍なことをする人々に神の言葉を語り、彼らが悔い改めて救われることを快しとしなかったからなのでしょう。

 神はしかし、アッシリアの攻撃の前に沈黙しておられました。アッシリア軍はサマリアを陥落させ、北イスラエル王国は滅ぼされてしまいました(列王記下17章1節以下、6節)。

 そのことについて列王記の記者は、「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである」(同7,8節)と評しています。

 さらに、「ユダもまた自分たちの神、主の戒めを守らず、イスラエルの行っていた風習に従って歩んだ。主はそこでイスラエルのすべての子孫を拒んで苦しめ、侵略者の手に渡し、ついに御前から捨てられた」(同19,20節)と言います。その言葉の通り、ヒゼキヤの代にアッシリアが南ユダ王国にも攻め込み、ユダの砦の町をすべて占領し、エルサレムの都に迫りました(同18章13節以下)。

 「あの民を国々の間から断とう」(5節)というのは、アッシリア王がヒゼキヤのもとに遣わしたラブ・シャケが、「主がわたしに、『この地に向かって攻め上り、これを滅ぼせ』とお命じになったのだ」(歴代誌下18章25節)と告げた言葉を思わせます。

 その時、ヒゼキヤにはアッシリア軍を追い返す力はありませんでした。ヒゼキヤは高官たちを預言者イザヤのもとに遣わし、「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない」(同19章3節)と言わせ、祈りを要請しました(同4節)。

 そしてヒゼキヤ自身も、「わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼(アッシリア王)の手から救い,地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください」(同19節)と祈りました。

 詩人が冒頭の言葉(19節)のとおり、「彼らが悟りますように。あなたの御名は主。ただひとり、全地を超えて、いと高き神であることを」と,この詩の最後に記しています。ヒゼキヤのささげた祈りに似ています。

 主なる神は、イザヤの執り成しとヒゼキヤの祈りに応え、エルサレムを包囲していたアッシリア軍を一夜のうちに全滅させ(同35節)、ひとりニネベに逃げ帰ったセンナケリブ王も、謀反の剣に倒れました(同37節)。イスラエルに主なる神がおられることを、はっきりと思い知らされる結果となったのです。

 しかし、本当にそれを悟らなければならなかったのは、イスラエルの民自身でした。ヒゼキヤの死後、王位に就いたヒゼキヤの子マナセは主の目に悪とされることを行います(同21章2節以下)。その後、主の目に正しいことを行ったと言われるのは、ヒゼキヤの孫ヨシヤ一人で(同22章2節)、残りは皆、マナセの後を歩みました。

 その結果、マナセから数えて7代目のマタンヤ改めゼデキヤの代に、バビロンの王ネブカドネツァルに攻められ、エルサレムが陥落しました(同25章1節以下)。町中が焼かれ、城壁も破壊されました(9,10節)。捕囚の苦しみを通して、主が「ただひとり,全地を超えて、いと高き神であることを」悟らされたのです。

 絶えず主の御顔を慕い求め、謙って主の御言葉に聴き従いましょう。

 主よ、絶えず主の御名を求めさせてください。御前におのが愚かさ、罪を永久に恥じ、恐れ、あなたこそ唯一の主、ただひとり、全地を超えて、いと高き神でいますことを、悟らせてください。御名が崇められますように。御国が来ますように。この地に御心がなされますように。 アーメン



10月22日(木) 詩編82編

「わたしは言った、『あなたたちは神々なのか、皆、いと高き方の子らなのか』と。」 詩編82編6節

 82編は、神に逆らう者に味方して正義を行わない神々を裁き、主なる神が立ち上がられることを願い、その支配を讃える歌です。

 1節は、場面設定です。「神聖な会議」(1節)という名の法廷で、神が神々を裁かれます。ここで「神聖な会議」と訳されているのは、「神の集まり」(アダト・エル)という言葉で、この表現は、ここ以外には用いられていません。「エル」は単数ですから、神々の集まりというより、神が集めた会衆といった言葉遣いです。

 主なる神は、「いつまであなたたちは不正に裁き、神に逆らう者の味方をするのか」と言われます(2節)。ここに、神々が、それぞれの国を司る王、あるいは裁判官のような存在として描かれています。そして、不正な裁きを行なって神に逆らう者の味方をしているたと糾弾されているわけですから、主なる神は、この地に正義が行われることを期待しているということになります。

 神は、「弱者や孤児のために裁きを行い、苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ」(3節)、「弱い人、貧しい人を救い、神に逆らう者の手から助け出せ」(4節)と命じられ、それが、神の願っている正義を行うことだと言われるのです。

 しかし、神々は自分の使命を理解せず、その役割を果たさないので、その地は混乱に見舞われます。「地の基はことごとく揺らぐ」(5節)という言葉で、神々のなしていることが、神の創造された世界が揺るがせられていること、つまり、神の創造の秩序を破壊するようなことであるというのです。

 そこで、神は彼らを罷免し、死を宣告します(6,7節)。冒頭の言葉(6節)を新共同訳は疑問文にしていますが、口語訳、新改訳のように、「あなたがたは神々、あなたがたは皆、いと高き方の子ら」と肯定文として訳すべきではないでしょうか。

 主イエスがヨハネ10章34節でこの言葉を引用して、「あなたたちの律法に、『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか」と語られていることも、ここを肯定文とすべきだという論拠になるでしょう。

 さらに、言葉を続けて、「神の言葉を受けた人たちが『神々』を言われている。そして、聖書が廃れることはありえない。それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか」(同35,36節)と言われました。主イエスは、詩人の語った「神々」を、「神の言葉を受けた人たち」と解釈しておられます。

 6節で「神々」は、「いと高き方の子ら」と言い換えられています。「いと高き方」(エルヨーン)とは神のことです。だから、神々、すなわち神の言葉を受けた人々は、神の子らだと言われていることになるというわけです。

 イザヤ書3章13~15節に、「主は争うために構え、民を裁くために立たれる。主は裁きに臨まれる、民の長老、支配者らに対して。『お前たちはわたしのぶどう畑を食い尽くし、貧しい者から奪って家を満たした。何故、お前たちはわたしの民を打ち砕き、貧しい者の顔を臼でひきつぶしたのか』と」という言葉があります。

 民の長老、支配者たちが貧しい者を虐げ、食い物にしていると告発し、彼らを裁くという言葉です。詩編82編で神々が告発されているのと同じ状況です。つまり、神が民の長老、支配者たちを立てられたのは、彼らが「神々」として民の上に君臨し、その権威、権力をもって民を支配するためではなく、弱い者、貧しい者を守り助けるという正義を実行させるためなのです。  

 神の命に背き、不正をなして神の御心を蔑ろにするなら、退けられるほかはありません。「人間として死ぬ。君候のように、いっせいに没落する」(7節)とは、「神々」、「いと高き方の子ら」と言われた人々も、ただの人として死を迎えさせられるということです。

 最後に詩人は、「神よ、立ち上がり、地を裁いてください」と願い、「あなたはすべての民を嗣業とされるでしょう」と歌って、詩を閉じます(8節)。

 「神よ、立ち上がり」は、神の契約の箱が進むときにイスラエルが祈った祈りの言葉でした(民数記10章35節、詩編132編8節、74編22節)。裁きを願うとは、未だ地に正義が行われていないことが示され、神が正義を行ってくださるように求めているのです。

 それにより、「すべての民を嗣業とする」とは、すべての民をご自身の所有とするということで、主なる神が全地の支配者となられることを意味しています。

 主イエスは私たちに、「御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも」(マタイ6章10節)と祈るように、教えてくださいました。悪しき者が権力を握り、弱い者を抑圧しているような状況であっても、そこに神の支配のあることを信じ、御心が行われるようにと祈るのです。ここに、私たち信仰者の務めがあります。

 主よ、お立ち上がりください。そして、全世界を治めておられるあなたの正義が、この地に実現されますように。自然災害の被災者をはじめ、困難な生活状況にある方々に、今日もこの日の必要な糧をお与えください。私たちはあなたの口から出る一つ一つの生ける言葉によって生かされているからです。御名が崇められますように。 アーメン



 
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