風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2015年05月

5月23日(土) エズラ記5章

「シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。」 エズラ記5章2節

 冒頭の言葉(2節)の通り、「ユダとベニヤミンの敵」(4章1節)によって中断された神殿建築が、もう一度開始されます。それは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤにより、神の預言がもたらされたからでした(1節)。そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは、神殿建築の再開に立ち上がったのです。

 エズラ記には、ハガイやゼカリヤがどのようなことを語ったのか記されていませんが、ハガイ書1章4節に、「今、お前たちは、この神殿を廃墟のままにしておきながら、自分たちは板で張った家に住んでいてよいのか」とあり、神殿再建を放棄している民を叱責し、同8節で、「山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる」と命じています。

 また、ゼカリヤ書4章9節に、「ゼルバベルの手がこの家の基を据えた。彼自身の手がそれを完成するであろう。こうして、あなたは万軍の主がわたしをあなたたちに遣わされたことを知るようになる」と記されています。敵の妨害に加え、凶作などもあって(ハガイ書1章10,11節参照)、神殿建築どころでなかった民が、預言者の言葉に励まされ、立ち上がる力を得たのです。

 ところで、神殿建築が中断したのは、敵の脅迫や妨害工作に加えて、ペルシア王の中止命令が出されたからだと、4章4,5節、17節以下に説明されていました。敵は、王の命令を錦の御旗にして、強引に工事を中止させることさえしたわけです(4章23節)。

 王に中止させられた工事を再開するには、あらためて王の許可命令を受ける必要があります。しかし、ゼルバベルらは、預言者ハガイらの告げた神の言葉に従い、その許可を待たないで工事を再開したのです。そのことで、どのような制裁があるかを考えると、軽々に出来ることではありません。

 使徒ペトロがサンヒドリンの議員たちから、「主イエスの名前で話したり教えたりするな」と脅迫を受けたとき(使徒言行録4章1節以下、17,18節)、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(同29,30節)と答えました。

 それと同様、ゼルバベルたちの行動は、主が命じておられることを行わないわけにはいかないという、明確な信仰の表明といってよいでしょう。そして、そのように信仰に立って行動するゼルバベルを、神の預言を告げた預言者たちが共にいて助けました(2節)。

 工事再開に驚いたユーフラテス西方の総督タテナイは、工事再開を誰が命じたのか、責任者は誰かと詰問します(3,4節)。それは、特にイスラエルの人々に対する敵対行為などではなく、総督として、事実を確認しようとしての当然の行動というべきものでしょう。

 そこで、総督らはペルシア王ダレイオスに報告し、詔勅を待ちます(5節)。6節以下に、ダレイオス王に送られた書簡の内容が記されていますが、その中に、タテナイの質問に対するゼルバベルらの返答が記録されています(11節以下)。

 それは、神殿建築命令はバビロン(ペルシア)の王キュロスが出したもの(13節)、責任者はキュロスが長官に任命したシェシュバツァルであるというものですが(14節)、合わせて、神殿はイスラエルの偉大な王(ソロモン)によって建てられたが(11節)、イスラエルの民らが神を怒らせたので、バビロンの王ネブカドネツァルの手に渡され、王が神殿を破壊し、民を捕囚としたと語っています(12節)。

 これが今、イスラエルの民の立っている場所です。神に従うべき民が、その命に背いて神の怒りを買い、捕囚という辛酸を嘗めたけれども、今、神によって神殿再建の号令が発せられ、再び神を礼拝するイスラエルの民がここに集められたのです。この発言の中に、彼らの悔い改めと、神の憐れみに対する感謝、ゆえに、神殿建設に向けての確たる決意を見ることが出来ます。

 もし、預言者たちによって神の預言がもたらされなければ、ゼルバベルたちは神殿の工事を再開することは出来なかったでしょう。むしろ、神殿再建の思いを断念さえしていたかも知れません。あのキュロス王は、イザヤが預言したとおりの救済者メシアだったのか(イザヤ44章24節以下、45章1節)、神は本当に自分たちと共にいてくださるのかと考えて、再建を放棄しても、無理はなかったと思われます。

 そして、神殿建築の目標を失い、何をしたらよいのかも分からなくなっていたのではないでしょうか。「幻がなければ、民は堕落する(預言がなければ民はわがままに振る舞う)」という御言葉のとおりです(箴言29章18節)。

 御言葉なしに、言い換えれば、神の導きと助けなしに、自分の意志で大きな壁を乗り越え、神の業を成し遂げることは出来ません。神はイスラエルの民に預言の言葉を与え、彼らの上に目を注ぎ、その働きが妨げられないようにしてくださいました。

 私たちも今、御言葉を聴き、主の御旨を求め、神の御前に進むように導かれています。日毎に主と共に歩み、主の業に励む者としていただきましょう。

 主よ、武力をもって自分の意志を相手に強要する戦争が終結し、全世界にキリストの平和が実現しますように。全身全霊をもって神を愛し、隣人を自分のように愛せよという戒めが守られますように。互いに愛し合うことを通して、私たちが神を畏れ敬う民であることを証しすることが出来ますように。 アーメン




上野由恵フルートコンサート

5月22日(金)午後7時~8時半、日本福音ルーテル小鹿教会で上野由恵フルートコンサートが、第12回世界の子ども支援チャリティーコンサートとして行われました。

 上野由恵さんは、世界の子ども支援チャリティーコンサートに、5年前から協力しておられるそうです。

今回は、クラシックギターの新井伴典さんとの共演でした。

写真などが取れませんでしたので、日本福音ルーテル社団のサイトから拝借して来ました。
よしえ6Arai_MG_6527












コンサートで聞いたこぼれ話

①フルートを吹くときの循環呼吸法 口に貯めた空気でフルートを吹きながら、鼻から息を吸うというもので、ギネス記録では、その呼吸法で49分途切れず演奏したそうですが、上野さんは、自分でも出来るのではと言っておられました。ぜひ挑戦してもらいたいと思ってしまいました。 

②フルートの材質には様々あります。フルートは木管楽器ですから、もともとは木製でしたが、現在は、様々な金属のほか、セラミックまであるそうです。因みに、上野さんが使っておられるのは18金だそうです。銀は明るい音がするそうですが、18金の深い音色が好みと仰っていました。純金もあるとか。でも、軟らかいので、ちょっとぶつけても変形してしまうから、管理が大変かな。フルートの8割は日本で造られているそうで、上野さんのフルートは所沢産とか。

③新井さんの使っておられるギターは、南米の教会堂を建て替える時の木を用いられているそうです。しかし、決してチャーチ(安物)ではないと思います。・・・一流の演奏者にダジャレで失礼ですが、「タンゴ発祥の地は丹後地方か」なんて洒落を仰っていたので、お許しいただけるかと。 

ギターとフルート、ジャンルが全く違っているようで、なかなか相性の良い楽器でした。


今回のコンサートのプログラム

 ピアソラ:「タンゴの歴史」よりボルデル

 マラン・マレ:ラ・フォリア

 カタルニア民謡=カザルス編:鳥の歌

 ウェーバー:わがゆくみちおぼろ(教会讃美歌より)
 
 作曲者不詳:アメイジング・グレイス

 ファリャ:「三角帽子」より市長の踊り、粉屋の踊り

 ・・・スライド上映・席上献金・・・

 イベール:寓話、間奏曲

 ジョビン:イパネマの娘

 ビジョルド:エルチョクロ

 ボルヌ:カルメン幻想曲

 (アンコール) ピアソラ:ナイトクラブ


アンコールは、ピアソラがフルートとギターのために作ったもので、なかなか雰囲気のある曲でした。

お二人の息の合った、ラテンのリズムと情熱あふれる演奏に心満たされて、家路につきました。


第12回世界の子ども支援チャリティーコンサート

5月22日(金)午後7時より、第12回世界の子ども支援チャリティーコンサートとして

上野由恵フルート・コンサートが、日本福音ルーテル小鹿教会で開催されます。

IMG_20150426_0003
世界の飢餓や貧困、病気などに苦しむ子どもたちを支援するためのチャリティーコンサートです。

写真をクリックすると、PDFファイルが開きます。

よろしかったらお出かけください。


なお、このコンサートは西日本の各地で開催が予定されています。
上野由恵公式サイトのスケジュールのページに、開催地などが紹介されていますので、ご覧ください。

上野由恵公式サイト「スケジュール」←ここをクリック!


上野由恵さん、新井伴典さん共演の動画がYouTubeにアップされていました。
ご覧ください。


5月22日(金) エズラ記4章

「建築を手伝わせてください。わたしたちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です。アッシリアの王エサル・ハドンによってここに連れて来られたときから、わたしたちはこの神にいけにえをささげています。」 エズラ記4章2節

 主の神殿の基礎を据え、建築工事を進めているイスラエルの民のもとに、アッシリア王に植民されてサマリアに住んでいる人々がやって来て、冒頭の言葉(2節)の通り、「建築を手伝わせてください」と協力を申し出ました。それは、自分たちがサマリアに住むようになって以来、自分たちも主なる神にいけにえをささげて来たからだというのです。

 ここに、「エサル・ハドンによってここに連れて来られた」とありますが、エサル・ハドンは、ユダの王マナセと同時期のアッシリアの王です。歴代誌33章11節の「アッシリアの王」は、エサル・ハドンのことと考えてもよいでしょう。サマリアを陥落させて異邦の民を連れて来たのは、シャルマナサル王でした(列王記下17章3節以下、24節、18章9節以下)。同じような移民政策を、エサル・ハドンも採ったということでしょう。

 植民された人々は、確かに主を畏れ敬うこともしたようですが(列王記下17章24節以下、32節)、しかし、自分たちの神々を拝んで、主の掟に従うことはなかったとも言われています(同34節以下)。そのような宗教的混淆が、ずっとイスラエルを迷わせ、結局、国を滅ぼしてしまうことになったのです。 

 だからこそ、最初に自分たちの所属を確認させ(2章59節以下、63節)、仮庵祭をはじめとする、主なる神を礼拝する姿勢を明確にし(3章1節以下)、それまでの祭壇を排除して、新たにイスラエルの神の祭壇を築いたのです(同3節)。ゼルバベルらイスラエルの指導者たちは、神殿を建てるのは自分たちに託された仕事だから、自分たちだけで主のために神殿を建てると答えて、サマリアの民の申し出を断りました(3節)。

 すると、協力を申し出た人々は手のひらを返したように、神殿建築が出来ないように、ユダの民を脅かして建築の士気を鈍らせる一方、参議官を買収して建築計画を挫折させようとするなど、様々な手段で妨害し始めました(4,5節)。協力を申し出て、それが受け入れられなかったら、今度は妨害するというのは、人情といえば人情なのかも知れません。しかし、そうであれば、もともとの協力の申し出はなんであったのかということになります。

 即ち、「わたしたちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です」(2節)と言いながら、申し出が断られて神殿の建築を妨害するということは、最初の申し出が、真実に神を求め、神のために行動したいということではなかったということを、自らはっきり表しているわけです。

 サマリアの民が考えていたのは、仲間になりたい、仲間になって欲しいということではないでしょうか。そしてそれは、イスラエルの民のようになりたい、真の神を拝むようになりたいということではなく、自分たちサマリア人のようになって欲しい、出来れば、自分たちの神を礼拝するようにもなって欲しいというメッセージでしょう。だから、エズラ記の記者は、「ユダとベニヤミンの敵」(1節)と記していたわけです。

 サマリアの民は、バビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムから連れて来られたと、列王記下17章24節に記されています。彼らは、確かにイスラエルに定住するために主を礼拝することを学びましたが(25節以下、28節)、しかし、自分たちの神の像を造り、礼拝し続けていました(29節以下)。即ち、一心に神を尋ね求め、その道に歩む者たちではなかったのです。

 ヨハネ4章18節で、サマリアの女性のことを主イエスが、「あなたには5人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と言われます。「5人の夫」というのは、アッシリアの王がサマリアに連れて来た五つの民のこと、そして、「今連れ添っているのは夫ではない」とは、五つの民が混血してサマリア人となり、ゲリジム山で神を礼拝してはいるが、それは真の神ならぬ異教の偶像礼拝だということを表わしているという解釈があります。

 ゼルバベルがそのようなサマリアの民のことを、詳しく知っていたかどうかは分かりません。しかし、捕囚からの帰還民の中で、イスラエルの血筋に属する者であるかどうかを示せなかった者を区別して、神の託宣を受けることの出来る大祭司が登場するまで、彼らを交わりに入れなかったほどですから(2章59節以下)、サマリアの民の申し出を聞いたとき、すぐに受け入れてはならないと考えたのでしょう。

 そしてそれは、御霊の導きだったのではないでしょうか。その判断が正しかったことが、彼らによる神殿建築の妨害によって、直ちに明らかにされたわけです。その妨げによって、建築工事はダレイオスの治世まで、中止のやむなきに至りました(4節)。

 その後、久セルクセス王の治世(紀元前486~465年)、また、アルタクセルクセス王の治世(紀元前465~425年)に告訴状がその地の住民から出されたことが記録されています(6節以下)。これは、第二神殿の建築という出来事(紀元前515年)から随分後の時代のことです。つまり、6~23節までの記事は、第二神殿建設に反対した者たちが、繰り返し敵対行動をとったという記録なのです。

 そして、アルタクセルクセス王の返事と(17節以下)その結果(23節)が示すように、反対派の行動が功を奏し、ペルシア王の力で神殿建設のみならず、イスラエル再建のための働きがしばしば妨げられることになります。

 主に心動かされたキュロスの命によって始められたのに、それがしばしば妨げられるというのは、出エジプトのときにも、繰り返しエジプトの王が心を頑なにして、民を自由にすることがなかったこと、また、約束の地に入るのに荒れ野で40年を過ごさなければならなかったことなどを思い起こさせます。そうしたことを通して信仰が練られ、何よりも先ず主を求める心をイスラエルの民が持つように、導いておられるのです。

 反対派によって繰り返された敵対行為にも拘らず、やがて、神殿を完成することが出来るように導かれます(6章13節以下)。真剣に神の御心を尋ね求め、その導きに従って歩んでいる者には、神の守りと助けが与えられるという証しです。

 私たちも、絶えず真実をもって主を求め、その導きに従順に従わせていただきましょう。

 主よ、真実をもって主を畏れ、神を尋ね求める人々の上に、恵みと慈しみが常に豊かにありますように。全世界に、主イエスの平和が与えられますように。御国が来ますように。御心を行う者とならせてください。御名が崇められますように。 アーメン




5月21日(木) エズラ記3章

「昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声を上げて泣き、また多くの者が喜びの叫び声を上げた。」 エズラ記3章12節

 捕囚から帰国した民は、第七の月にそれぞれの町からエルサレムに集まりました(1節)。イスラエルでは、7月1日を安息の日として守り、聖なる集会を開きます(レビ記23章24節)。10日は贖罪日です(同27節)。最も厳かな安息日として苦行(断食)をします(同32節)。そして、15日から一週間、仮庵祭を守ります(同34節以下)。

 エルサレムに集まって来た人々は、「律法に書き記されている通り、焼き尽くす献げ物をその上にささげ」ようと(2節)、「昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげ」ました(3節)。さらに、「書き記されているとおり仮庵祭を行い、定めに従って決められた数を守って日毎の焼き尽くす献げ物をささげ」ています(4節)。レビ記に記されている通りの祝祭を行ったわけです。

 ここに、彼らは仮庵祭を祝いつつ、自分たちがバビロンから解放されたことを第二の出エジプトとして記念しているといってよいでしょう。その献げ物の祭壇について、「イスラエルの神の祭壇」で、「昔の土台の上に」築いたといいます。捕囚前の礼拝との連続性を示されます。

 ただ、3節の、「その地の住民に恐れを抱きながら」という表現から、帰還した民とその地の住民との間に、越えられない隔てがあることが分かります。捕囚を免れて残っていた人々と、アッシリアによって植民された人々が、「その地の住民」です。列王記下17章32,33節によれば、彼らは、主を畏れ敬いつつ、異教の神々にも仕えていました。そのような混淆を排除するために、真の神を礼拝する祭壇を築いたのです。

 「第七の月の一日に、彼らは主に焼き尽くす献げ物をささげ始めた」という6節の言葉で、イスラエルの民が真の神を礼拝する生活が始まったこと、エルサレムに集い、「一人の人のように」(1節)なって神を礼拝するところに、彼らの信仰が表明されているようです。

 それから、民は神殿建築に着手します(8節)。手始めに、神殿の基礎を据えました。彼らは基礎が据えられると、レビ人、祭司たちは祭服を身に着けて、主を賛美しました(10節)。民も、「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と唱和し、大きな賛美の叫び声となりました(11節)。

 かつて、ソロモンの神殿が完成したとき、祭司たちが賛美をすると、神の臨在を表す雲が神殿に満ちました(歴代誌下5章13節)。賛美は、主の住まい、または主の椅子であると言われます(新改訳、口語訳:詩編22編3節)。それは神が、賛美を最高の喜びとされるということです。

 神殿は、神の住まいです。どんな立派な建物を建てても、神が住まわれなければ、神殿ではありません。イスラエルの民は、自分たちが建てようとしている建物が神殿となるために、その基礎を据えるところから、神を迎えようとして賛美を歌っているのです。

 今日、神は、私たちの心を神の神殿、聖霊の宮として住まわれます。どのようにして神を心に迎えるのですか。それは賛美です。賛美して主を迎えるのです私たちの据える神殿の基礎とは、どんなときにも救い主を信じ、感謝すること、賛美することと学ぶことが出来ます。

 そして、賛美しているとき、人の悪口は言えません。賛美しながら、無駄口を叩くことが出来る人もいません。「言葉で過ちを犯さないなら、それは自分の全身を制御できる完全な人です」とあります(ヤコブ書3章2節)。主を賛美する思いで互いに語り合い、主に感謝をささげながら互いに交わることが出来れば、どんなに素晴らしいことでしょうか。

 冒頭の言葉(12節)に、「昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声を上げて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた」とあります。ここで、昔を知る者たちの泣き声、その涙は何を意味しているのでしょうか。

 第一に、昔の神殿を知っている者は泣き、他の者は喜ぶのですから、ソロモンの神殿を比較して、規模の小ささ、みすぼらしさ涙がこぼれた、ということではないでしょうか。あるいはそこに、捕囚とされた自分たちの哀れな姿を重ねたのかも知れません。そして、それが先祖の犯した罪の結果であったことを考えての悔い改めの涙であり、神に赦しを請う祈りでもあったのでしょう。

 そうすると、13節で、「人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することが出来なかった」と言われている意味も分かります。神殿の基礎が据えられたということは、神がもう一度、ご自分のための神殿を建てさせようとしておられるわけです。神がイスラエルの民の罪を赦され、祈りを聞かれたということです。

 天地をお造りくださった主なる神に相応しい神殿を建てたいと願うのは、尊いものだと思います。けれども、神殿に神がご臨在くださるならば、神殿が大きいか小さいか、豪華かみすぼらしいかということなど、問題ではありません。ソロモンは、持てるすべてのものを用いて、この上ないほどに立派な神殿を建てましたが、主の礼拝が行われなくなった神殿を、神は捨てられました。

 大切なのは、神を礼拝する民の心です。神は、打ち砕かれ、悔いる心を喜ばれるのです(詩篇51編18,19節)。それが分かれば、彼らの涙はもう、悲しみの涙ではないでしょう。むしろ感謝の涙、喜びの涙に変わっているでしょう。だから、人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別出来なかったのです。

 十字架の主を仰ぎ、感謝をもって主を賛美し、心の王座に主をお迎えしましょう。主の御言葉に従い、主の民に属する者として、主に用いて頂きましょう。

 主よ、どうぞ私たちの生活の中心に、心の王座においでください。あなたの御心に適う者となるように、取り扱ってください。この地に御心が行われますように。御国が来ますように。全地に主の恵みと導きが豊かにありますように。 アーメン!




5月20日(水) エズラ記2章

「総督は、ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで彼らが聖なる食べ物にあずかることを禁じた。」 エズラ記2章63節

 2章には、「帰還した捕囚の民」の一族ごとの数が記されています。リーダーはシェシュバツァルで(1章8,11節)、その他に、ゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、セラヤ、レエラヤ、モルドカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと11名の名が記されています(2節)。

 これら合計12名は、どのような立場の人物であるか明記されてはいませんが、12名ということで、イスラエル12部族の長という印象を与えようとしているのではないでしょうか。もっとも、アッシリアに滅ぼされた北イスラエル10部族は、アッシリア帝国の各地に散り散りにされ、その後の行方は分かっていません。

 また、帰国した人々の一族は、3節以下で、氏族や家族の名で数えられてはいるようですが、それは、たとえば21節のベツレヘム、25節のキルヤト・アリム、28節のベテルとアイ、34節のエリコなど、町の名前で一族が数えられているという特徴があります。

 これは、ヨシュア記13章以下で各部族に領地として割り当てられた地域が列挙されていたことに似て、各一族は、神から与えられた嗣業の地と結びついて存在していることを示していると言ってよいでしょう。つまり、捕囚前の嗣業が、捕囚後も連続しているということです。

 エルサレムに戻って来たのは、イスラエルの神、主の神殿を建てるために神に心を動かされた者たちでしたが(1章5節)、その中に、自分の家族と血筋がイスラエルに属するかどうか示せなかった者がいたという記述があります(59,61節以下)。

 バビロンとの戦いに負けて捕囚となり、50年の奴隷生活をしていたのですから、きちんと家系図を保管していて、求められればいつでも直ぐにそれを示すことが出来るというほうが驚きでしょう。また、神殿再建のために神に心動かされた者たちが帰国したのですから、家系は問題ではないのではないか、と言ってもよさそうです。

 しかし、彼らはそれを問題にしました。イスラエルが滅ぼされたのは、神との関係をいい加減にしたからです。今、神に促されて国を建て直す基礎を作ろうとしているところです。そのための神殿建築です。ですから、本当に主の民イスラエルの属する者なのか、神によって選び分かたれたレビの祭司の家系に属する者なのか、はっきりさせようとしているのです。

 その証拠を示すことが出来なかった者たちは、冒頭の言葉(63節)のとおり、「ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで」、祭司職に就くことが出来ませんでした。ここで、「ウリムとトンミムをつけた祭司」とは大祭司のことで、「ウリムとトンミム」は神の託宣を求めるのに用いるくじのようなものでした。

 つまり、大祭司が立って、彼らが主の民イスラエルに属する者であるのか、レビ族、祭司の家系に属する者であるのか、神に託宣を求め、真実を明らかにしようというわけです。そこで、証拠を示せなかった者たちが主なる神に属する者であるか、主の選び立てられた祭司の家系に属する者であるかどうか、大祭司を通して神御自身がお示し下さるのを待ったのです。

 68,69節に、エルサレムに戻って来た人々の中で、家長の幾人かが神殿再建のために随意の献げ物をしたと記されています。エジプトを脱出した民が、主のために聖なる所を造れという命令に従い(出エジプト記25章8節)、神に心動かされた人々が進んで主への献納物を持って来たという出来事を思わせ(35章4節以下、21節)、バビロンからの帰還が第二の出エジプトであることを物語っています。

 今日、私たちが神に属する者であるか、神に選ばれた祭司の系統であるかどうかを示してくださる大祭司がおられます。それは、私たちの主イエス・キリストです(ヘブライ書2章17節以下参照)。私たちは主イエスによって、国籍を天に持つ者とされました(フィリピ3章20節)。キリストを信じて神に属する者とされた私たちの名が、天の命の書に記されているのです(ルカ10章20節)。

 そして、私たちが神の子であることを証明するのは私たち自身ではなく、私たちが主イエスを信じることが出来るようにしてくださった聖霊です。聖霊は私たちに、「イエス様こそ私たちの主です」という信仰を与え(第一コリント12章3節)、そして、私たちが神の御国の世継ぎであることを保証してくださるのです(エフェソ1章13,14節)。

 絶えず感謝と賛美をもって歩ませていただきましょう。ハレルヤ!

 主よ、捕囚から戻った人々は、礼拝する民として、主の民に属する者であるか、祭司の系統であるかを尋ねました。今、私たちは御言葉により、神を礼拝する民、祭司の系統に属する者であることが明確にされています。喜びと感謝をもってその務めを果たし、その恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン





5月19日(火) エズラ記1章

「あなたたちの中で主の民に属する者は誰でも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。」 エズラ記1章3節

 今日から、エズラ記を読みます。エズラについて、7章1節以下に、祭司の家系に属し(1節以下5節)、ペルシアの書記官となっている人物で(6節)、アルタクセルクセス王の治世第7年にエルサレムにやって来たと紹介されています(7,8節)。

 アルタクセルクセス王の治世第7年とは、紀元前458年のこととされていますが、その治世第20年にイスラエルに戻って来たネヘミヤよりも(ネヘミヤ記1,2章)、エズラの方が後だったのではないかと考える学者も少なくありません。彼らは、アルタクセルクセス2世の治世第7年、即ち紀元前398年にエズラが帰還したとしています。その説の最大の問題点は、ネヘミヤ記8章で、ネヘミヤとエズラが共に行動しているところです(同9節)。

 いずれにせよ、歴代誌の末尾(歴代誌下36章22節以下)とエズラ記の冒頭(1章1節以下)が文書資料的にほぼ同一の記述となっていることからも分かるように、エズラ記は、歴代誌の続編としての役割を果たしています。即ち、歴代誌には、キュロス王による捕囚からの帰還命令が出たというところまでが記され、エズラ記には、その命令に基づいて行動した人々のことが記録されているわけです。

 主の目に悪を行って神の呪いを受け、バビロン捕囚の憂き目に遭ったイスラエルの人々のために、ペルシア王キュロスから冒頭の言葉の通り(3節)、「主の民に属する者は誰でも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい」という勅令が出ます。それは、紀元前538年のことでした。

 エズラ記の著者は、これはエレミヤの預言によって約束されていたことが成就するように、主なる神がペルシアの王キュロスの心を動かされたのだと言います(1節)。このことについて、エレミヤ書29章10節に、「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」と告げられていました。

 また、イザヤも、「キュロスに向かって、わたしの牧者、わたしの望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い、神殿には基が置かれる、と言う。主が油を注がれた人キュロスについて、主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない」(イザヤ書44章28節~45章1節)と預言しています。

 捕囚の民とされていたイスラエルの人々は、このキュロス王の言葉をどのように聞いたのでしょう。50年にわたる捕囚生活、奴隷生活の中、どれだけの人が本当に祖国に帰ることが出来ると考えていたでしょうか。しかも、単に帰国を果たすだけでなく、その目的が、主の神殿を建てるためだというのです。そうすることにで、ユダヤの民の忠誠を確保し、さらに、おのが治世の祝福を祈らせようとしているわけです。

 ところが、バビロン捕囚の期間は50年でした。バビロンに連行されて来た民の中で、主だった者たちは、もう既に天に召されていたでしょう。当初10代、20代の若者だった人々も、既に60過ぎ、70過ぎです。世代交代もかなり進んでいたものと思われます。そのような状況では、祖国に帰ることなど、すっかり諦めていたとしても不思議ではありません。

 しかし、神はイスラエルの人々を奮い立たせます。冒頭の言葉(3節)でキュロスは、「あなたたちの中で主の民に属する者は誰でも」と言っていました。主から離れて久しく、主に捨てられたようになっていたイスラエルの民を、「主の民に属する者」と呼んでいるのです。

 これは、主なる神が、イスラエルの人々をご自分に属する民と呼ばれていることに繋がります。そこに、神の憐れみがあります。神は、もう一度ご自分に属する民を形作るため、呼びかけに応えて立ち上がるのを待っておられるわけです。

 そこで、キュロスが心動かされたように(1節)、神によって心を動かされた者たちが立ち上がりました(5節)。そこには、バビロンで生まれた若者もいたでしょう。エルサレムがどんなところか、そこにどのような神殿が建っていたのかも知らない者が、神に心動かされて立ち上がったのです。

 神殿は、神の前にいけにえを供え、賛美と祈りをささげて神を礼拝する施設です。神殿を建て直すことは、礼拝する生活を回復するということです。神がキュロスを通じて、エルサレムに神殿を建てることを命じられたということは、神がイスラエルの人々、ご自分の民に属する者と呼ばれる人々を、神を礼拝する者として再び呼び集めておられるわけです。

 今日、私たちは、イエスを主、メシアと信じる信仰を言い表して、キリストの教会を形成しています。「教会」(エクレシア)とは、呼び集められたものという意味です。つまり、私たちはキリストにより、神を礼拝するために呼び集められた、主の民に属する者なのです。

 また、私たちは神の神殿、聖霊の宮であると言われています(第一コリント3章16,17節)。神が私たちの心にお住まいくださっているのです。教会は主を礼拝する群れです。主なる神が、霊と真理をもって礼拝する、まことの礼拝者を求めておられるのです(ヨハネ福音書4章23節)。

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ福音書6章33節)と告げられた主イエスの御言葉に従い、日毎に新しく神のご支配と神との正しい関係を慕い求めて御前に進み、御霊に力づけられ、告げられる御言葉に耳を傾け、主イエスと共に歩ませていただきましょう。

 主よ、私たちは御子イエスを信じて神の民とされました。日毎御前に進み、その御言葉に耳を傾け、心から感謝をもって、賛美と祈りをささげます。私たちを、あなたを礼拝する真の礼拝者として整え、日々心の一新により、何が神の御心であるか、何がよいことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを弁えさせてください。御心が行われますように。 アーメン




5月18日(月) 歴代誌下36章

「こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、70年の年月が満ちた。」 歴代誌下36章21節

 ヨシヤの死後、ヨアハズ(1節以下)、ヨヤキム(5節以下)、ヨヤキン(9節以下)、ゼデキヤ(11節以下)と、次々に王がたてられますが、彼らは主の目に悪とされることを行い(5,9,12節)、ついにユダ王国は滅びます(16節以下)。ヨアハズの評価が記されていませんが、列王記下23章32節には、「彼は先祖たちが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」と語られています。

 ヨヤキンが王となったのは8歳の時であれば(9節)、自ら望んで悪を行ったということではないでしょう。列王記では18歳のときとされていて、そちらの方が正しいと思われます。いずれにせよ、父親がしているようにして、悪を行ったとすれば、父がどのような姿をその子に見せるのかということが、とても大切な問題であることが分かります。それが国を治める王であるならば、なおさらです。

 神は最後の最後までイスラエルの民を憐れみ、繰り返し御使いを送られました(15節)。そうして悔い改めの機会をお与えになったのですが、彼らは神の御使いを嘲笑し、預言者を愚弄したのです(16節)。これは、12節の、「主の言葉を告げる預言者エレミヤの前にへりくだらなかった」というのが、一度や二度ではなかったということです(エレミヤ書21章1節以下、27章1節以下、32章1節以下、34章1節以下、37章1節以下など参照)。

 そこで、カルデア人が攻め込み、多くの者を剣で殺しました(17節)。神殿の祭具や宝物がすべて奪われ(18節)、神殿は火で焼かれ、エルサレムの城壁は崩されました(19節)。剣を免れた者は、捕囚としてバビロンに引いて行かれました(20節)。これで、400年に及んだダビデ王朝に幕が下ろされたのです。

 冒頭の言葉(21節)で、「主がエレミヤの口を通して告げられた言葉」というのは、「お前たちがわたしの言葉に聞き従わなかったので、見よ、わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる、と主は言われる」(エレミヤ書25章8,9節)という預言でしょう。

 また、エレミヤ書11,12節に、「この地は全く廃墟となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える。七十年が終わると、わたしは、バビロンの王とその民、またカルデア人の地をその罪のゆえに罰する、と主は言われる」と告げられています。 エレミヤが出したイエローカード(警告)を無視したため、ピッチ(約束の地)を退場(捕囚)させられたのです。

 また、「この地はついに安息を取り戻した」と記されているのは、ダビデ以降、イスラエルの王と民が主に背き続けた結果、地は汚され続け、呪われ続けていたということです。そして、イスラエル王国が滅亡し,ダビデ王朝が倒された結果、地を汚す者、地に呪いをもたらす者がいなくなったので、約束の地は安息を取り戻したと言われているのです。

 「70年の年月が満ちた」というのは、「70」が完全数の7と10を掛け合わせた象徴的な数字で、完全な安息、完全な更新を意味しているということが出来ます。即ち、神がその地に完全な安息を与え、そしてそこに新しい国を築かれるということです。

 実際には、エルサレムの都が陥落し、民が捕囚となったのがBC587年頃、そして、ペルシャのキュロス王による解放がBC538年頃ですから、捕囚期間は50年というのが正確なところです。これはちょうどヨベルの年にあたります(レビ記25章8節以下参照)。

 レビ記の規定によれば、同胞から買い取った土地や奴隷は、50年たてばもとの持ち主に返さなければなりませんでした(同13節以下)。神に背いて地を汚し、バビロンの奴隷とされたイスラエルの民でしたが、彼らは、ヨベルの年に神の憐れみによって、再び約束の地に帰還することを許されたわけです。

 そして、そのことも、予め預言者エレミヤの口を通して主が告げておられたことでした(22節、エレミヤ書29章10節以下)。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」と言われますが(箴言19章21節)、主が告げておられたとおりにイスラエルが滅び、そして主が告げられていたとおりに国を建て直すことになりました。それは、まず神の神殿を築くことです。

 第二神殿の完成が「ダレイオス王の治世第6年のアダルの月の23日」、すなわち、紀元前516年ごろのことです。それは、エルサレムが陥落して神殿が破壊されてから70年が過ぎたときということになります。歴代誌の著者は、エレミヤの告げた70年を、そのように理解したのではないでしょうか。 

 私たちは、心に主を住まわせている神の宮です(第一コリント書3章16,17節、6章19,20節。主によって心に真の安息を頂き、絶えず主に向かって祈りと賛美を捧げましょう。

 主よ、私たちと常に共におられ、希望と平安をお与えくださる主に、心から賛美と感謝の祈りをささげます。様々な不安や恐れに襲われている全世界の人々に、主の安息が与えられますように。そうして、御名を崇めさせてください。 アーメン






5月17日(日) 歴代誌下35章

「しかし、ヨシヤは引き返さず、攻撃のために変装して、神の口から出たネコの言葉を聞かなかった。そして彼はメギド平野の戦いに臨んだ。」 歴代誌下35章22節

 ヨシヤ王がエルサレムで過越祭を祝い、律法の定めに従って(レビ記23章5節、申命記16章1節以下)、第一の月の14日に過越のいけにえを屠ります(1節)。ヨシヤは祭司、レビ人を励まし、神殿の奉仕を行わせます(2節以下)。そして、ヨシヤが羊、小羊、子山羊を3万匹、牛を三千頭提供したほか(7節)、政府高官や祭司、レビの指導者たちも、それぞれ多数のいけにえを提供しました(8,9節)。

 準備が整っていけにえが屠られ、律法に従って献げ物が主にささげられ、他の聖なるものは鎌や平鍋で煮られてすべての民に配られました(10節以下、13節)。そうして、イスラエルの民は過越祭を祝い、続く七日間、除酵祭を祝いました(17節)。歴代誌の記者は、ヨシヤが祝ったような過越祭を行った者は、イスラエルの歴代の王の中一人もいなかったと評しています(18節)。

 ただし、列王記下23章22節にもそのように記されていますが、歴代誌の著者は、ヒゼキヤ王の時代に過越祭を行ったことを、歴代誌下30章に記録しています。同5節に、「規定どおりにその祭りを行っている者は多くなかった」と言います。旧約聖書中、ヒゼキヤとヨシヤ以外に、それを行ったと言われる王はいません。二人は、エルサレムの神殿で、中央集権的に過越しを祝ったのです。

 そして、ヨシヤ王は、レビ人が神の箱を運ぶ必要がなくなったことを確認し、新たな使命として、主とその民イスラエルに奉仕せよと命じました(3節)。そして、過越しの祝いの準備を指示しています(4節以下、6節)。それが、ヨシヤのように行った者はいないという意味なのでしょう。 

 そして、「この過越祭はヨシヤ王の治世第18年に祝われた」と注記しています(19節)。治世第18年は、神殿の修理中に主の律法の書を見つけたという年です(34章8,14節以下)。ヨシヤは主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されている契約の言葉を実行することを誓っていましたので(同31節)、早速その誓いを、過越祭の実施において守ったかたちです。

 ただ、1月14日に行われる過越祭と、律法の書発見、どちらが先だったのか、はっきりしません。もしかすると、過越祭の方が早かったのかも知れません。であれば、神の救いの御業を喜び祝うヨシヤの信仰が主を喜ばせ、それゆえに、律法の書を見つけさせてくださったということになります。

 過越祭は、出エジプトにおける神の救いの御業を記念するものですが、ヨシヤがそれを心を込めて祝ったのは、律法の規定によるということだけでなく、今も神の救いの御業を味わうことが出来ると信じているからでしょう。そして、捕囚後に著わされた歴代誌が、ヒゼキヤやヨシヤによる過越祭を記しているのも(30章、35章)、バビロンからの解放を第二の出エジプトの出来事と考えていることを示しています。

 そのように熱心に、徹底的に主に従う道を歩んで右にも左にもそれることがなかったヨシヤですが(34章33節)、その治世31年目に思いがけないことが起こりました。エジプト軍がイスラエルを通過しようとしたときのことです。

 当時、北イスラエルを滅ぼしたアッシリア帝国の力が弱り、ヨシヤは、ほぼソロモン時代の国土を回復することが出来ました。さらに、新興のバビロニアがアッシリアに迫り、ユーフラテス川上流のカルケミシュまで追い詰めていました。エジプト軍は、アッシリアを救援するためにカルケミシュに急行しようとしていたのです(20節)。

 ヨシヤはそれを迎え撃とうと出て行きましたが、エジプトの王ネコは、「今日攻めて来たのはあなたに対してではなく、わたしが敵とする家に対してである。神はわたしに急ぐようにと命じられた。わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる」と言います(21節)。

 しかし、冒頭の言葉(22節)の通り、ヨシヤはこのとき、ネコの語る言葉を、神の言葉と考えることは出来ませんでした。勿論、外国の王が語る言葉を神の言葉として聴くのは、当たり前のことではありませんし、誰にでも出来るということでもありません。

 ここで、なぜヨシヤはネコに戦いを挑んだのでしょうか。国力を考えれば、エジプトに敵対出来るものではなかったと思われます。北イスラエルを滅ぼした憎きアッシリアを、エジプトが救援することを許すことは出来ないという思いだったのでしょう。また、アッシリアの国力が弱って国土を回復出来たことが、ヨシヤの自信となり、あるいは過信となっていたのかも知れません。

 だからこそと言うべきでしょうか、律法の書を見出した時、主の御旨を尋ねるために預言者フルダに使者を遣わしたヨシヤですが(34章21節以下)、彼はネコの北上を知ってどうすべきか、主の託宣を求めようとはしていません。そして、変装して、メギド平野に軍を進めます。そうして、残念ながら、ヨシヤは滅びを刈り取ってしまったのです(23,24節)。

 「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」と、主は言われます(黙示録2章10節)。ヨシヤの生前の善行が神に忘れられることはありませんが、しかし、授けられる命の冠に自ら傷をつけてしまったのではないでしょうか。

 絶えず神の前に謙り、主を求め、御心を尋ねてしゅの御言葉に聴き従う者としていただきましょう。

 主よ、私たちもヨシヤの高慢の罪と無縁ではありません。常に主を畏れ、謙って主の御言葉に耳を傾けることが出来ますように。いつも主を喜び、絶えず主に祈り、どんなことも主に感謝する、主の望まれる信仰に歩ませてください。 アーメン




5月16日(土) 歴代誌下34章

「あなたはこの所とその住民についての主の言葉を聞いて心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。」 歴代誌下34章27節

 マナセに代わって王となったアモンは、父と同じように主の目に悪とされることを行って罪悪を積み重ね、なんと、家臣たちの謀反によって殺害されてしまいました。そこでユダの民は、謀反を起こした者たちを討ち、アモンの子ヨシヤを王とします(33章21節以下)。

 ヨシヤは王となったとき、8歳であったとされます(1節)。父アモンは22歳で王となり、即位2年で暗殺されたので、ヨシヤがすぐに王位に就いたとすると、彼は父アモンの16歳の時の子ということになります。ただ、民がクーデター政権を倒し、ヨシヤを王として即位させるには、ある程度の時間が必要で、あるいはそれに数年を要したかも知れません。そうすると、ヨシヤが生まれたときのアモンの年齢はもう少し進んでいることになります。

 そして、8歳の王子に国が治められるはずもありません。ヨシヤが自ら、「父祖ダビデの神を求めることを始め」た治世第8年(3節)までは、祭司ヒルキヤや書記官シャファン、あるいはまたクーデター政権を倒すのに力あった者たちが、幼いヨシヤを補佐していたのでしょう。そして、その指導が実を結び、ヨシヤは自分で主を求める者となりました。

 治世第12年、20歳になったヨシヤは、国内の異教の偶像をすべて取り除き、ユダのみならずイスラエルの各地方まで、国中を清め始めます(3節以下)。6年後の第18年には、エルサレムと神殿を清め、祖父マナセ、父アモンの時代に荒らされた神殿を修理し始めたということですから(8節以下)、偶像を取り除き、異教礼拝を排除するのに6年を要したわけです。それだけ、国中に偶像礼拝がはびこっていたことになります。

 歴代誌によれば、祖父マナセが主の目に悪とされることで神の怒りを招き(33章1節以下)、アッシリアの王に攻められて、バビロンに引いて行かれましたが(同11節)、苦悩の中で謙り、悔い改め(同12節)、町の守りを固め、異国の神々、偶像を除き去りました(同15,16節)。ということは、父アモンのとき、再び偶像が持ち込まれたということでしょう(同22,23節)。 

 神殿修復のため、寄せられた献金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤがモーセによる主の律法の書を見つけました(14節)。列王記の記述では、それは申命記の一部だろうと考えられていますが、ここでは、モーセ五書全体を指しているようです。

 というのは、列王記では、書記官シャファンがヒルキヤから手渡された律法の書を、自ら一度読み(列王記下22章8節)、そして、王の前であらためてそれを読み上げていますが(同10節)、歴代誌の著者は、シャファンがまず読んだという言葉を省略し(15節参照)、「王の前でその書を読み上げた」(18節)というところ、ヘブライ語原文では、「その中から読み上げた」と、一部分を読んだように記されています(岩波訳参照)。

 つまり、モーセ五書全体を読むには時間がかかるので、王の前でその一部分を読み上げたのだと、歴代誌の著者は、列王記の記述を修正しているわけです。

 いずれにせよ、ここで見つけたと言われているということは、契約の箱の傍らに置かれているはずの律法の書を(申命記31章26節)、紛失していたということになりますし、それが、ヒゼキヤの改革のときにも見つけ出されなかったということは、このことが、主に忠実に従うヨシヤに与えられた最も大きな栄誉、祝福ということになるのでしょう。

 見つけられた律法の書は、すぐにヨシヤのもとにもたらされ(16節)、王の前で読み上げられました(19節)。律法の言葉を聞いたヨシヤは、衣を裂いて悔い改めの姿勢を表します(19節)。それは、これからさらに積極的に、主の御言葉に聴き従う決意を示したということです。

 ヨシヤは、主の御旨を求めて女預言者フルダのもとに祭司らを遣わします(21,22節)。フルダは当時有名な主の預言者だったと思われます。後に神殿城壁の南の門がフルダの名前で呼ばれていることからも、その事実を確認することが出来るでしょう。

 ヨシヤはこの時、「イスラエルとユダに残っている者のために」(21節)と言っています。9節にも、「マナセとエフライム、イスラエルのすべての生き残りの者」という言葉がありました。南北イスラエルの再統一が、ここに実現しているという表現です。 

 フルダは、主の律法の書に記された災いと呪いが、ユダとその住民に臨むと明言しましたが(24,25節)、主の御旨を求めて謙っているヨシヤは、その災いを見ることはないと語っています(28節)。主の律法の書が見つかったことで、神の裁きが明示される結果となりましたが、ヨシヤはそれを悔い改めの時となし、神はその祈りを聞かれたのです。

 つまり、神は、ヨシヤをその悔い改めに導くために律法の書を見つけさせたのではないでしょうか。勿論、ヨシヤ一人が謙って主を求めても、主の御心を変えて災いが降るのを中止させることは、出来ない相談でした。けれども、ヨシヤに次ぐ王たちが皆、ヨシヤと同じように心から主を求め、見出された律法の書の教えと定めに従って歩もうとすれば、彼らも、その災いを見ることはないとされたことでしょう。

 そうすれば、結果的に主が災いを下すのを思い返されることになったでしょう。神はイスラエルを滅ぼしたかったのではありません。民が悔い改めの実を結ぶのを待っておられるのです。悔い改めとは、正しく主の方に向き直ること、その御顔を拝し、主の御言葉に耳を傾けることです。

 私たちも、日毎聖書を開き、祈る恵みに導かれています。すべてを主に委ね、御言葉に聴き従いましょう。

 主よ、あなたのなさることは、常に最善です。私たちも、日々主に信頼し、御言葉に従って歩みます。弱い私たちが、道を踏み外すことのないように、誘惑に遭わせず、悪しき者からお救いください。主の守りと導きが常に豊かにありますように。 アーメン




プロフィール

pastabco

記事検索
最新コメント
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • 11月10日(日)主日礼拝案内
  • 11月3日(日)主日礼拝説教
  • 11月3日(日)主日礼拝案内
  • 10月27日(日)秋期特別礼拝説教
  • 10月27日(日)秋期特別礼拝説教
  • 10月27日(日)秋期特別礼拝説教
  • 10月27日(日)秋の特別礼拝案内
  • 秋の特別礼拝ご案内
  • 10月20日(日)主日礼拝説教
  • 10月20日(日)主日礼拝案内
  • 10月13日(日)主日礼拝説教
  • 10月13日(日)主日礼拝案内
  • 10月6日(日)主日礼拝説教
  • 10月6日(日)主日礼拝案内
  • 9月29日(日)主日礼拝説教
livedoor 天気
「J-CASTニュース」は提供を終了しました。
楽天市場
「Amazonライブリンク」は提供を終了しました。
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ