風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2015年05月

5月31日(日)主日礼拝説教動画

5月31日(日)主日礼拝の説教動画をYouTubeにアップしました。


説教題 「一つ足りないもの」
聖書 マルコ福音書10章17~31節


静岡教会公式サイトも更新しています。
URL http://shizuoka-baptist.jimdo.com/

ご覧になってください。



5月31日(日) ネヘミヤ記3章

「大祭司エルヤシブは、仲間の祭司と共に羊の門の建築に取りかかり、それを奉献し、扉を付けた。次いでハンメアの塔まで、更にハナンエルの塔まで奉献した。」 ネヘミヤ記3章1節

 「エルサレムの城壁を建て直そうではないか」(2章17節)というネヘミヤの言葉で、「早速、建築に取りかかろう」(同18節)と、ユダの人々、祭司や貴族、役人たちはこの企てに奮い立ちました。3章には、城壁の修復工事を担当した大祭司をはじめ、様々な職業、地域の人々が登場します。それは、いかにイスラエルの民が城壁再建のために一致団結、協力し合ったかということを証明する内容です。

 創世記11章6節に、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない」という言葉があります。一致しているとき、何でも成し遂げることが出来るというのです。

 しかし、もともと民が一致していたわけではありません。城壁の修復に立ち上がろうとしていたわけでもありません。ハナニの報告を受けたネヘミヤが、祈りに祈って神の導きを受けたからこそ、この働きが進められているのです(1章4節以下、2章4,8,12,20節)。ということは、民が一つとなって工事にあたっていることも、神の導きということになります。

 ただし、5節後半に、「その貴族たちは彼らの指導者たちの作業に服そうとしなかった」と記録されており、団結を乱す者たちがいたことが分ります。ごく一部ながら、そのような人々もいたというのは、残念です。

 彼らが従おうとしなかった理由として考えられるのは、サンバラトをはじめとする反対者、また周辺諸国の攻撃を恐れたか、「貴族」という身分、立場が他の者と同じ作業に服することを恥ずべきことのように考えたか、あるいはまた、ネヘミヤの指導に従うのが面白くなかったというようなことでしょう。しかしながら、彼らがその作業に服そうとしなかったことは、ネヘミヤにではなく、神に従おうとしなかったということになるのではないでしょうか。

 工事従事者リストの冒頭に出てくるのが、大祭司エルヤシブとその仲間の祭司らで(1節)、彼らは羊の門の建築に取りかかり、それを奉献しました。羊の門は、エルサレムの北東角に位置する門で、そこから、ハンメアの塔、更にハナンエルの塔までを奉献したということは、羊の門から西側へ、反時計回りにエルサレムの城壁を築き直した人々のリストが記録されていることになります。

 1節の「羊の門」から6節の「古い(エシャナ)門」までが都の北側、7節以下、「広い壁」(8節)から13節の「谷の門」までが西側、14節の「糞の門」が南、そして15節の「泉の門」から29節の「東の門」までが東、そして30節以下、32節の「羊の門」までが再び北側の場所になっています。

 南が小さいのは、逆三角形の形になっているからです。そこに「糞の門」(14節)があります。ここは、ヒンノムの谷に通じるところで、ゴミ、廃棄物、糞の処理に使われたので、その名で呼ばれたようです。

 リストの最初に記されていた「羊の門」(1節)は、ベニヤミン門とも呼ばれています(エレミヤ書20章2節など)。この門の傍らに羊を売り買いする市場があったことや、その羊がこの門を通って神殿に引き入れられたことから、そのように呼ばれるようになったようです。

 また、ヨハネ福音書5章2節によれば、この門の近くにベトザタ(口語訳:ベテスダ)と呼ばれる池がありました。この池は、羊を洗い清めるためのもので、おそらくヘロデが第三神殿を造営するときに設けた、周囲を柱廊で囲まれている、二つ並んだ大きなプールです。

 羊の門を祭司たちが再建したというのは、意味深いものです。羊は、いけにえとして神に捧げられるものです。建て直された神殿の近くにあり、神にささげる羊の通る門が祭司たちの手で建て直されるというのは、神への礼拝の道筋が整えられることにつながります。そしてそのことが、大祭司なる主イエスが私たちのために自らをいけにえの小羊として捧げられた十字架の出来事につながっているのです。

 主イエスは、「わたしは羊の門である」(ヨハネ福音書10章7節)と仰り、続けて、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」と言われました(同9節)。主イエスは、羊に豊かな命を与えるために来られたのです(同10章10節)。

 その主を信じ、御言葉を聴いて従う者は、ベトザタの池で長患いの男性の病が癒され、立ち上がることが出来たように(同5章5節以下)、罪赦され、新しい力を得て立ち上がることが出来ます。

 世の罪を取り除く神の小羊として自らをささげられた私たちの大祭司なる主イエスを信じ、主の御言葉に聴き従う信仰生活をしっかりと築きましょう。

 主よ、イスラエルの人々が神の導きに従って、各々持てるもので城壁の修復に協力したように、主に心動かされた者が、賜物は違い、務めは違い、働きは違いますが、キリストの御名のもと一つとなって主の業に励み、主の栄光を表わすことが出来ますように。 アーメン




静岡いのちの電話 映画会

5月30日(土)12時50分から、「静岡いのちの電話 映画会」が開催されます。
 
上映されるのは、龍村仁監督作品の 「地球交響曲第八番」 です。 

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上映時間 12時50分~15時5分(開場 12時25分)

会場 サールナートホール1Fメインホール

特別前売鑑賞券 1000円

問合せ・予約 静岡いのちの電話事務局(TEL/FAX 054-272-4344) 



左写真をクリックすると、PDFファイルが開きます。








5月30日(土) ネヘミヤ記2章

「王に答えた。『もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。』」 ネヘミヤ記2章5節

 ネヘミヤがアルタクセルクセス王の杯にぶどう酒を注いでいるとき(1節)、王から、「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない」と声をかけられました(2節)。ネヘミヤは、心の内にあることを王に告げることが出来ず、悩みを深めていたのでしょう。それで、故郷の町が荒廃し、城門が焼かれたままであることを告げると(3節)、「何を望んでいるのか」と、王から尋ねられます(4節)。

 それは、「アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のこと」と言われています(1節)。治世第20年は、紀元前445年です。「ニサンの月」とは、バビロンの暦の1月で、捕囚後にユダヤの暦の1月になりました。今日の3~4月を指します。

 1章1節に「第二十年のキスレウの月(9月)」とあり、そこで衝撃の報告を受け、その痛みを抱えて王の前に出たのが「第二十年、ニサンの月(1月)」ということは、時間的にあべこべになっています。そこで、1章1節を、治世第20年ではなく、彼の統治が始まった時点(紀元前466年)から数えた「第20年」、つまり紀元前446年の9月と読み変えることを提案したいと思います。

 そうすると、ネヘミヤは、ハナニの報告を受けて5か月後に、ようやくそれを王に打ち明けることが出来たということになります。城壁は撃ち破られ、城門は焼け落ちたままになっていると知らされて以来(1章3節)、ネヘミヤは神の前に祈り続けて来ました(同4節以下)。それは、エルサレムの再建のために、アルタクセルクセス王の憐れみを受けることが出来るようにという祈りでした(同11節)。

 ネヘミヤがなかなか王に切り出すことが出来ず、思案して来たのは、城壁の破壊と修復工事の禁止が、アルタクセルクセス王の命によってなされたからです(エズラ記4章17節以下、21節)。どう話せば、王の理解と協力を得ることが出来るでしょうか。なかなかよい答えが見つからなかったでしょう。それが、王の方から声がかけられて、思いがけない展開になって来ました。

 そこで、すぐに自分の望んでいること、神に祈り求めて来たことを王に話してもよかったのでしょうけれども、ネヘミヤはあらためて天の神に祈りました(4節)。それは、瞬時の祈りだったのでしょうか、しばらく祈りの時間をとったのでしょうか。いずれにせよ、自分の考えや計画に従うのではなく、常に神の御旨に従いたいとネヘミヤは考えている証しです。

 ネヘミヤはそのように神の御旨を尋ね求めてから、冒頭の言葉(5節)のとおり、「わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます」と王に答えました。すると、王は傍らの王妃と共に、「旅にはどれほどの時を要するのか。いつ帰れるのか」と尋ねています(6節)。

 このとき、王は自分がエルサレムの町と城壁の再建を禁じる命令を出したことを忘れ、再建にかかる時間を尋ねているのです。あまりに長期間になるのは困るということでしょうか。これは、ネヘミヤが王から全幅の信頼を得ているだけでなく、王妃にとっても大切な存在となっているわけで、それほどにネヘミヤが真心込めて、王と王妃に仕えて来たという証拠でしょう。

 ネヘミヤは、王と王妃の問いに好意的なものを感じ(6節)、町の再建に必要な期間について説明した後、通行手形となるユーフラテス西方の長官たちに宛てた書状と(7節)、城門や城壁をしゅうふくするためと、自分の家を建てるための木材を提供するようにとの森林管理者に宛てた書状も求めました(8節)。

 そこには、自分の決意や勇気、期待以上に、神が導いてくださっているという信仰がありました。「神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた」(8節後半)と記しているからです。

 王の書状と、王が派遣した将校と騎兵に守られて、ネヘミヤは無事にエルサレムへと旅することが出来ましたが(9節)、それを良く思わない者たちがいました。ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤです(10節)。かつてサマリア人たちが神殿再建を妨害したように(エズラ記4章参照)、サンバラトらは、そのような勢力の代表者と考えられます。

 彼らの肩書きはここに記されていませんが、聖書外資料に、紀元前407年にサンバラトがサマリアの総督だったという記述があり、トビヤは、エルサレム神殿に仕える大祭司とも深い関係を築いていた人物で(13章3,4節)、アンモンの知事、サンバラトの部下に当たる者だったと考えられています。

 このような反対者のゆえに、城壁と城門が破壊され、工事が妨害されたままになっていたことを悟ったネヘミヤは、密かに城壁を調べた後(11節以下)、工事の計画についてユダの人々に話しました(17節)。それは、神がネヘミヤの心に示されていたことでした(12節)。

 私たちは、ことがうまく運ばないときには熱心に祈りますが、思い通りに行っているときは、祈りを忘れていることが少なくありません。どのようなときにもまず神の御旨を求めて祈ったネヘミヤの信仰に学びたいと思います。絶えず、神の御旨を求め、主の御言葉に聴きながら歩みましょう。

 主よ、ネヘミヤは主からなすべきことの示しを受けて行動していましたから、どんなときにも確信を持って行動することが出来ました。それは、不断の祈りによって培われた信仰でした。私たちも日々御言葉を求めて御前に進み、祈りをささげます。恵みと導きに与り、御旨に従って歩ませてください。御心が行われますように。その道具として用いていただくことが出来ますように。 アーメン




5月29日(金) ネヘミヤ記1章

「『どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにして下さい』。この時、わたしは献酌官として王に仕えていた。」 ネヘミヤ記1章11節

 今日から、ネヘミヤ記を読み始めます。ネヘミヤの人となりについて、ハカルヤの子で(1節)、アルタクセルクセス王の献酌官(11節)ということ以外の情報はありません。王に酌をする係ということですが、主な任務は王の護衛という、王の信任厚い大切な務めでした。側近中の側近で、ナンバーツーの位置にいると考える註解者もいます。豊臣秀吉の茶頭を務めた千利休のような立場といってもよいでしょうか。

 ときは、「第二十年のキスレウの月」(1節)で、「第二十年」は、2章1節の「アルタクセルクセス王の第二十年」と同じ、紀元前445年のことと考えてよいでしょう。そして、「キスレウの月」は、ユダヤの暦で9月、今日の11~12月のことです。

 ペルシャの首都スサにいたネヘミヤのもとに、ユダからハナニがやって来たことでした。ハナニに関して、「兄弟の一人」と言われますが、後に、エルサレムの行政を託されていて(7章2節)、親族というより、ユダヤの同胞でエルサレムの住民の代表といった立場の人物でしょう。

 ネヘミヤが、捕囚を免れてユダに残っている人々とエルサレムの様子をハナニに尋ねると(2節)、ハナニは、「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです」と答えました(3節)。

 ユダヤの人々が捕囚から帰還して既に100年近く経過しているのに、「捕囚を免れて残っているユダの人々」について尋ねたということは、帰還したユダヤの人々と捕囚を免れて残っていた人々との間に抜き差しならない壁があって、再び一つの民となることが出来ないようになっているのではないかと想像されます。

 それはエレミヤが、エレミヤ書24章8節以下で、エルサレムの残りの者でこの国にとどまっている者、エジプトの国に住み着いた者を、非常に悪くて食べられないいちじくのようにする。・・・わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送って、わたしが彼らと父祖たちに与えた土地から滅ぼし尽くす」と預言していた言葉が成就したようなものです。

 また、「城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです」ということが、バビロンによるエルサレムの破壊ということであれば、そのことを知らないネヘミヤではないと思います。しかしながら、それから140年余りが経過し、捕囚から帰った人々がエルサレムで新しい生活を始めてかなり経つというのに、いまだに「恥辱を受けている」ような有様というのは、思ってもみなかったことでしょう。

 ただ、エズラ記4章6節以下の、エルサレムの都の再建について反対するアルタクセルクセス王への書簡が、この時期のものであると考えられるので、イスラエルの民が修復した城壁がサマリア人らに破壊され、工事再開がアルタクセルクセス王に禁じられるなど(同17節以下)、再建は全く覚束ないという状況だったと思われます。 

 それらのことを聞いたネヘミヤは、「座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげ」(4節)ました。この姿勢は、祭司エズラが同胞の異民族の娘との結婚を知って示した悔い改めに通じます(エズラ記9章3節以下)。残っていた人々の不幸と城壁が打ち破られままにされているのは、イスラエルの罪だと考えているわけです。

 しかも、6節後半に、「わたしたちはあなたに罪を犯しました。わたしも、わたしの父の家も罪を犯しました」と告白していることから、ネヘミヤは、エルサレムに住む者たちの罪だけを考えているわけではありません。「わたしも、わたしの父の家も」、その犯罪者のリストから漏れてはいないのです。そしてこのことも、エズラの祈りと共通しています(エズラ記9章6,7,10節など参照)。

 ネヘミヤが献酌官の地位に上るのは、容易ではなかったでしょう。そのために、あるいはペルシアの習わしに従い、形式的にペルシアの神の前に膝をかがめることさえあったかも知れません。また、彼の家は、バビロンから帰還する群に加わっていません。エズラの帰国の時にも、同行しませんでした。ペルシアでのその地位と豊かな生活を捨ててまで、エルサレムに行かねばならないとは考えなかったのでしょう。

 だから、エルサレムの城壁が破壊されたままになっているというのは、そのまま、自分自身の信仰の姿を現わしていると、ネヘミヤは考えたのかも知れません。それを示されたからこそ、神の前に自らの罪を言い表し、モーセの戒めを引き合いに出して(8,9節、申命記30章1~4節)、神の憐れみを乞うのです。神の愛と恵みに訴え、建て直しを願うのです。

 私たちの信仰生活、神との交わりの門はどうなっているでしょうか。私たちの心を守る城壁、霊の武具はきちんと整備されているでしょうか。御言葉の剣は磨かれ、切れ味鋭く研がれているでしょうか。信仰の祈りが、芳しい薫香として、神の御前にささげられているでしょうか。

 絶えず神の御言葉に耳を傾けましょう。神の御旨に従いましょう。神の愛と恵みに応えて、まず第一に神の国と神の義を求めて生きる者として頂きましょう。

 主よ、エリヤはカルメル山上で壊された主の祭壇を修復しましたが、実に壊れやすいのは祈りの祭壇です。私たちの信仰がいつも生きて働くものであるように、御言葉と祈りによる霊的な交わりが常に豊かでありますように。私たちの耳を開き、目を開き、心を開いてください。御声を聞くことが出来ますように。御業を拝することが出来ますように。御足跡に従って歩ませてください。 アーメン




5月28日(木) エズラ記10章

「お立ちください。あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください。」 エズラ記10章4節

 エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていました(1節)。「身を伏せる」というのは、分詞形の動詞が用いられていて、身を起こして祈り、罪を告白して身を伏せるという動作が反復されている様子を窺わせます。エズラがひたすら嘆き祈る姿に、イスラエルの人々は深く心さされ、彼のもとに集まりました。彼らも激しく泣きます。

 その一人、エヒエルの子シェカンヤがエズラに、「わたしたちは神に背き、この地の民の中から、異民族の嫁を迎え入れました」と罪を告白し(2節)、そして、「今、わたしの主の勧めと、神のご命令を畏れ敬う方々の勧めに従ってわたしたちは神と契約を結び、その嫁と嫁の産んだ子をすべて離縁いたします」と悔い改める約束をしました(3節)。

 シャカンヤは、「今でもイスラエルには希望があります」と言い(2節)、そして、冒頭の言葉(4節)のとおり、「あなたにはなすべきことがあります。協力いたしますから、断固として行動してください」と告げました。それは、イスラエルの民の総意を代弁した発言でした。

 ここで、エヒエルとは、「神は生きておられる」という意味、シェカンヤとは、「主が住まわれる」という意味です。「神に背いて、異民族の嫁を迎え入れた」という者自身が、「イスラエルには希望がある」(2節)と語るのは、心中複雑なものがありますが、しかし、「神は生きておられる」という名の父を持つ、「主が住まわれる」という名の人物が立ち上がり、エズラを励ますというところに、神の赦しと導きを見ることが出来るようです。

 「なすべきことがある、断固として行動してください」と言われて立ち上がり、エズラが行ったのは、律法に従って嫁と嫁の産んだ子を離縁するというシェカンヤの提言どおりに実行すると、イスラエルのすべての民に誓わせることでした(5節)。

 集まった者たちが誓いを立てた後、エズラはヨハナンの祭司室に行き、飲み食いせずに徹夜で民の背信を嘆き続けていました(6節)。神の赦しをいただくまで、神の御前で悔い改めの祈りを献げ続けていたのでしょう。

 その後、エズラはイスラエルの全会衆を呼び集め(7節以下)、「今、先祖の神なる主の前で罪を告白し、主の御旨を行い、この地の民からも、異民族の嫁からも離れなさい」(11節)と言うと、全会衆は、「必ずお言葉どおりにいたします」と答えました(12節以下)。

 それから3ヶ月に及ぶ調査の後(16,17節)、異民族の女性を嫁に取った者のリストが作成されました(18節以下)。1月1日に調査が終わり、祭司らは、妻を離縁することに同意し、罪を認めて償いのいけにえをささげました(19節)。新しい年を心新たに主に従う年とするということでしょう。

 25節以下には、その他の人々のリストがありますが、彼らはどのように行動したのでしょうか。その結果、何が起こったのでしょうか。神はそれを喜んで下さったでしょうか。エズラ記の記述はこのリスト作成で終わっていて、その後のことは分りません。

 しかし、ネヘミヤ記13章23節以下を読めば、ユダの人々がアシュドド人やアンモン人、モアブ人の女性と結婚していることが分かります。ということは、イスラエルの民は、エズラと共に立てた誓いを徹底して守り行うことが出来なかったわけです。同じ罪を繰り返しているというこの事実は、人間が自分で罪から離れること、罪の誘惑に打ち勝つことは、容易ではないというより、不可能だということを表しています。

 イスラエルの民のなすべきこととは、何だったのでしょうか。まず、自分で罪の力から逃れることは出来ないという事実を認めることです。救いは神から与えられるものです。義を追い求めながら、神に背く人間の罪深さを悟ったパウロは、救い主を求めました。

 「だれが私を救ってくれるのでしょうか」と神に訴え、救い主なる神を求めるとき(ローマ書7章13節以下、24節)、真に罪を赦し、救って下さる主と出会うことが出来ます。ここに、罪の赦し、救いの確信があります。エズラはその事実を悟ったからこそ、民に誓わせた後も、神の前に嘆き、祈り続けていたのです(5,6節)。誓ったことは守らなければなりませんが、それを実行させてくださるのは、神の力、御霊の導きだということです。

 主イエスが復活された後、弟子たちに姿を現わして、「約束の聖霊を待て」と言われました(使徒言行録1章5節)。聖霊が降ると力を受けて、立ち上がることが出来ます。そして主の使命を果たすことが出来ます。主イエスの十字架の血潮で罪清められ、聖霊に満たされ、その力を受けて、主の御用に用いて頂きましょう。

 主よ、私たちは常にあなたを必要としています。私たちの心の王座においでくださり、私たちをあなたの望まれるような者に造り替え、御旨のままに用いてください。主の祝福と導きが常に豊かにありますように。 アーメン



5月27日(水)エズラ記9章

「イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。だからこそ、わたしたちは今日も生き残りとしてここにいるのです。御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」 エズラ記9章15節

 エルサレムに到着したエズラのもとに、「イスラエルの民も、祭司も、レビ人も、この地の住民から離れようとはしません」という知らせがもたらされました(1節)。それは、カナンの地の娘を娶り、彼らの習慣に従って生活するということでした(2節)。

 エズラは衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、呆然として座り込みました(3節)。それは非常に激しい驚き、悲しみ、憤りを表しています。どうして、イスラエルの一般民衆のみならず、祭司やレビ人まで、そのようなことをするのか、エズラには到底理解が出来なかったのです。

 かつて、エジプトの奴隷の苦しみから救われた神は、イスラエルの民にカナンの住民と婚姻を結び、その地の習わしに従ってはならないと命じられました(レビ記18章3節、申命記7章3節など)。それなのに、イスラエルの民はその戒めを守ることが出来ず、神の裁きを受けて国は南北に分裂し、なお罪を重ねた結果、北はアッシリアに、南はバビロンによって滅ぼされ、捕囚の憂き目を見たのです。

 しかし、神はイスラエルを完全に滅し去ることをよしとはなさらず、深い憐れみによってイスラエルの民が生き残るようにされました。それは、バビロンで捕囚として生きるという道でした。しかも、永遠に捕囚となるというのではなく、70年の捕囚生活によって罪を償い、その後にエルサレムに帰り、国を建て直すことが出来るように計画しておられたのです(エレミヤ29章10~14節)。

 神は、ペルシアの国庫負担で民に神殿を建て直させ(6章)、そして、大祭司エズラを派遣して、再建されたイスラエルの民に、掟と法を教えさせられました(7章)。それなのに、再び神に背く道を歩み始めるのです。しかも、「長たる者、官職にある者」、即ち民の指導者たちが率先して道を踏み外したのです(2節)。

 1節に、「カナン人、ヘト人、ペリジ人、エブス人、アンモン人、モアブ人、エジプト人、アモリ人」と、イスラエルの民と婚姻を結んだ「この地の住民」の名が列挙されていますが、エズラの時代、既にヘト人、ペリジ人、エブス人らはこの世に存在していません。これらの名を上げることで、出エジプトのときの課題が繰り返されていることを、印象づけています(申命記7章1~3節など参照)。

 かつて、出エジプトの民は、約束の地カナンでの生活を始めるにあたり、異民族と婚姻を結び、その習慣を採り入れたので、彼らの宗教行為にも関わるようになりました(士師記2章2,11節以下など)。バビロンから戻って来た民がイスラエルでの生活を始めるに当たり、同じようにする誘惑に駆られ、またも神に背いたわけです。

 ここに私たち人間の罪の現実があるとしか、言いようがありません。何度叱られても、どんなに罰を受けても、同じように罪を繰り返し、本当に悔い改めることが出来ないのです。

 そのことを、エズラは祈りの中で神に懺悔し、「わたしたちの神よ、こうした御恩をいただきながら、今何を申し上げればよいのでしょうか。わたしたちは御命令に背いてしまったのです」と告げます(10節)。

 そのことをご存知でない神ではありません。洪水ですべてが滅ぼされた後、箱舟を出て祭壇を築き、いけにえをささげたノアに、「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」(創世記8章21節)と仰っています。深い憐みをもって、罪深い私たちに関わり続けてくださるのです。 

 また、エズラはここで、「彼らは罪深い者です。やっつけてください」と言っているのではなく、「お怒りになって、わたしたちを一人残らず滅ぼし尽くされても当然です」と言っており(14節)、続けて冒頭の言葉(15節)のとおり、「御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております」と語っています。即ち、自分もその罪深い者の一員だという告白が、ここにあります。

 この姿勢は、シナイ山で神に背いた民のために、「確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください」(出エジプト記34章9節)と祈ったモーセに倣うものであることを思い起こさせます。 

 これはパウロが、「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(ローマ書9章3節)といって、ユダヤの民の罪を神から見捨てられるべきものだと断じながら、彼らの救いのためならば、自分がそれを身に受けてもよいと、同胞との強い絆を示していることに通じます。

 勿論、主なる神は、ユダヤの民の救いのためにパウロを見捨てるようなことはなさいません。かつて迫害者であったパウロを憐れんで救いに導き、さらに伝道者としてお立てになったように、今は不従順の中にいる同胞イスラエルの人々も、憐れみを受けるようになると、パウロは信じているのです(ローマ書11章25節以下、31節)。そしてそれは、すべての人を憐れみ救うことにつながると言っています(同32節)。 

 「主は打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」(詩編34編19節)、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(同51編19節)、「わたしは、高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」(イザヤ57編15節)と言われています。

 自分を知り、エズラのように、パウロのように、神の御前にぬかずきましょう。神に向かって祈りましょう。神を求めましょう。神の御心を聴きましょう。

 主よ、あなたは私のことをよくよくご存じです。あなたの目に隠れているものはありません。このような有様で御前に立ち得ないのですが、憐れみにより御前に額ずいております。主の憐れみと慈しみが常に豊かにありますように。恵みに応えて歩むことが出来ますように。御名を崇めさせたまえ。 アーメン




5月26日(火) エズラ記8章

「わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。『わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります』と王に言っていたからである。」 エズラ記8章22節

 大祭司アロンの子孫で、ペルシャの書記官エズラ(7章1節以下、6,11節)の帰国に随伴した者は、2000名に満ちませんでした(8章2~14節)。彼らはアハワの川のほとりに集まり、部族毎の登録をしました。

 その場所は同定されていませんが、アハワの町とユーフラテスを結ぶ運河があったものと考えられています。そしてそこが、西方への旅を始める重要拠点だったのでしょう。

 そこで予め一行を調べてみたところ、レビ人がいないことが分かりました(15節)。そこで、随伴者の頭たちを遣わして、主の神殿に仕えるレビ人を送り出して欲しいと要請します(16,17節)。

 キュロス王の命令を受け(1章2節以下)、神に心動かされた者たちは、ゼルバベルらに導かれて帰国しました(同5節、2章)。アルタクセルクセス王の第7年、即ちBC458年にエズラ率いる一団がエルサレムに上ったと7章7節に記されており、それはキュロス王によるイスラエルの解放、即ち第一陣の帰国(BC538年)からからおよそ80年後ということになります。

 ということは、エルサレムが滅ぼされ、捕囚としてバビロンに連れられて行って、既に130年という年月が経過しています。イスラエルに戻っても、そこに親族がいるわけではありません。また、住む家が予め備えられているわけでもありません。その上、先住の異邦人との戦いに直面することもあるのです。となれば、イスラエルで苦労するよりも、引き続きバビロンで落ち着いた生活を続たいと考える者の方が多かったということでしょう。

 実際、エズラがペルシアの書記官になれたのも、彼の能力があればこそですが、その能力を発揮できる環境が、ユダヤの民にも与えられていたわけです。また、バビロンでは、神殿で献げ物をささげることがなかったわけですから、レビ人が祭司の補助としての務めを行うことはなく、世俗化して一般的な務めを持ち、資産さえ有するようになっていたかも知れません。

 そのような状況において、エズラがレビ人の同行を願ったのは、捕囚からの解放、バビロンからの帰還が、第二の出エジプトであるならば、第一の出エジプトにおいて神の契約の箱と幕屋、祭具などを持ち運ぶ役割をレビ人が担ったように、第二の出エジプトにおいても、重要な役割を担うべく、立ち上がって欲しかったのです。

 この旅が第二の出エジプトと捉えられるのは、2節以下の帰還民のリストの中で、ピネハスとイタマルという祭司族に、ダビデ一族という王家に続いて、12の一族が登録されていることにも示されます。王と祭司、それを補佐するレビ人に率いられて12部族が旅する、そして、約束の地イスラエルに入るという構図です。

 エズラの呼びかけに応えて立ち上がる者が出ました。「有能な人物」と称されるシェレブヤに、その子らと兄弟18人(18節)、ハシャブヤに、兄弟エシャヤとその子ら20人です(19節)。そこには、神の御手の導きがありました(18節)。彼らは、安定した豊かな生活よりも、主に従って、その使命を担うことを選び取る決意をしたのです。

 エズラは神の助けを喜びつつ、集まった人々に断食を呼びかけ、旅の無事を祈りました(21節)。特に断食を呼びかけたのは、この旅が必ずしも安全なものではなかったからです。そこには、盗賊の剣や獣の牙が待ち受けていたのです。

 エズラは、祭司、レビ人の中から12人ずつを選び、神殿への礼物としてささげられた金銀や祭具を、彼らの手に託しました。それは、銀650キカル(22.23トン)、銀の祭具100キカル(3.42トン)、金百キカル(3.42トン)などです(26,27節)。その重さもさることながら、たとえば、金100キカルは現在の価格にして170億円余りという、大変な価値のものです。

 エズラは、ペルシャの書記官として派遣されるわけですから、当然、道中の護衛を王に頼むことが出来たはずです。あるいは、王の方から護衛の兵を同行させようと言われていたのではないでしょうか。ネヘミヤ記2章9節では、ネヘミヤの帰国に際して、アルタクセルクセス王が将校と騎兵を共に派遣してくれたとあります。

 しかしながら、冒頭の言葉(22節)にある通り、エズラは王に護衛兵の派遣を要請することを恥とした、と言います。それは、「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手がさしのべられる」と、王に対して証しをしていたからだというのです。

 第二神殿建設の折、強力なペルシャの支援を受けました(6章1節以下、8,9節)。その背後には、神の御手があったのですが、今ここでエズラは、目に見えるペルシャの力ではなく、目には見えないけれども、背後にあって歴史を動かしておられる神のみに頼る道を示され、それを実行しようとしているのです。

 レビ人がエズラの呼びかけに応えたように、エズラは、神にのみ信頼を置いて、道を歩むことにしたのです。そのためにも、主の召しに応えるレビ人の参加がどうしても必要だったわけです。そして、主なる神はエズラの祈りを聞き入れられ(23節)、無事エルサレムに到着することが出来ました(31,32節)。

 私たちも、主イエスに属する者として、日々自分の十字架を背負って主に従う者にしていただきたいと思います。

 主よ、あなたの恵みと導きが私たちの上に常に豊かにありますように。それは、私たちがエズラの如く、「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手がさしのべられる」と語って主の愛と恵みの証し人となるためです。御名が崇められ、御心がこの地になされますように。そうして、全世界にキリストの平和がなりますように。 アーメン




5月25日(月) エズラ記7章

「エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。」 エズラ記7章10節

 ペルシア王アルタクセルクセスの治世に、祭司エズラがエルサレムに帰って来ました(1節以下)。それは、紀元前458年頃のことと推定されています。ということは、エルサレム神殿が破壊されてから130年後、キュロス王の帰国・神殿再建命令が発布されてから80年後、そして、第二神殿完成からおよそ60年後のことです。

 バビロンからエルサレムまでおよそ1600㎞、ちょうど4か月の旅路でした(9節参照)。因みに、江戸城の無血開城に大きな役割を果たした天璋院・篤姫が江戸参府のとき、女中の警護の者200名余りを引き連れた1300㎞ほどの道程でおよそ2か月要しました。物見遊山を兼ねて少々のんびりした旅だったと言われます。

 エズラの旅に時間がかかったのは、15節以下にある通り、多額の金品を所持していることから、警護が物々しかったであろうということ、そして、献げ物のための雄牛、お羊、小羊、穀物にぶどう酒を買い集めて持参するという手間もあったからでしょう。さらに、8章には、レビ人を連れて行くために時間を要したことが記されています(8章15節以下)。

 1節後半から、エズラが大祭司アロンの子孫であることが、系図で示されます。その系図によれば、初代の大祭司アロンからエズラまで、合計17人となっています。しかしこれは、実際の数ではありません。アロンからエズラまで、ざっと800年以上の開きがありますから、30人近くいて当然というところです。

 また、歴代誌上5章27節以下に記されている大祭司の系図では、アロンからバビロンに連行されたヨツァダクまで23人の名が記されています。エルサレムが陥落した時、ヨツァダクの父セラヤが祭司長だったと、列王記下25章18節に記されています。つまり、セラヤが最後の大祭司で、ヨツァダクは大祭司になれなかったものと考えられます。ヨツァダクよりも後の系図は不明です。

 歴代誌の系図のうち、9人目のアマルヤから14人目のヨハナンまで、6人の名を除き、そして、最後のヨツァダクをエズラに変えるという手法で、エズラ記の17人の系図が作られたといってよいでしょう。ヨツァダク以降、エズラまでの間の子孫の名が省略されているのは、彼らが大祭司とならなかったからです。

 エズラ記の系図は、系図末尾のエズラと筆頭アロンを除く15人が、中間のアザルヤを挟んで、前後7人ずつに分けることが出来ますられます。つまり、エズラ、7人、アザルヤ、7人、アロンという順に並んでいるわけです。

 この系図で、エズラがアロンに連なる祭司の直系の子孫であることを示すと同時に、アロンが神に選ばれた最初の大祭司、そして、アザルヤはソロモンの神殿建築の時の大祭司(歴代誌上5章36節)であることから、エズラは、第二神殿が建てられて最初の大祭司となった、ということを示そうとしています。

 しかも、彼は表向き、祭司としてではなく、イスラエルの律法に詳しい書記官とされています(6節)。つまり、ペルシアの行政官に選ばれているのです。12節のアルタクセルクセス王の親書には、「天にいます神の律法の書記官」と記されています。即ち、ユダヤ関係担当者として、ペルシア王から派遣されて公式にイスラエルを訪問する訪問団の代表の務めを担っているわけです。

 王の親書には、①神の律法に従ってユダとエルサレムの事情調査をすること(14節)、②エルサレム神殿のために献金を持参すること(15,16節)、および、供え物を献納すること(17節)、③ユーフラテス西方の役人に対する神殿への銀、小麦、葡萄酒、油、塩の供給命令(22,23節)、④神殿に仕える者の免税(24節)、⑤司令官、裁判官を任命すること(25,26節)が記されています。

 つまり、これは、イスラエルの律法、祭儀をよく知っている内容となっているわけです。ということは、この親書を作成するのに、エズラが深く関与していたのであろうと思われます。

 どのようにして彼が書記官の立場に就いたのか、分かりませんが、「神なる主の御手の加護」があったと、6節に記されています。バビロン捕囚という荒れ野を経験することで練り鍛えられ、新しい主の民イスラエルを建て上げるために、その力と知恵が用いられるのです。

 エズラは、大祭司という家系を示し、ペルシアのユダヤ担当書記官という立場でエルサレムに派遣されましたが、冒頭の言葉(10節)のとおり、彼の働きは、主の律法を研究して実行し、イスラエルの民に掟と法を教えることでした(10節)。

 帰国したエズラは先ず、主の律法を研究しました(9,10節)。彼は既に律法に精通していましたが、主の民に教えるためにさらに深く学んだのです。そして、それを実行しました。エズラにとって、神の掟と法を学ぶことは、単なる法律の研究ではありません。神の御心を探り知ることでした。だから、神の御旨が分かったとき、彼はそれを実行し、民に律法を教えたのです。

 初めに、キュロス王の命により、第二神殿を建築するためにユダヤの民の帰還が行われ、次いで、アルタクセルクセス王の命により、律法に精通した書記官であり、大祭司であるエズラの一行が派遣されて、神の民イスラエルが整えられて行きます。

 ゆえに、冒頭の言葉(10節)の「教えることに専念した」というところに、エズラの強い意思が表われています。主の御心を学び、それを行うこと以外に、イスラエルを主に属する民として活かす道はない、とエズラは考えていたのです。

 主イエスも、山上の説教の最後に、「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」と教えておられます(マタイ福音書7章24節)。私たちは日毎に御言葉を頂いています。主の御言葉を深く学び、実行する者としていただきましょう。主の導きを祈ります。

 主よ、あなたはご自分の民を礼拝の民として整えるために、祭司エズラをペルシアの書記官として立て、王に命じさせてエルサレムに派遣されました。万事を益とされる主の御名を崇めます。今日も御言葉に耳を傾け、御心を学びます。日々、主の御業に励む者としてください。御心がこの地になされますように。 アーメン



5月24日(日) エズラ記6章

「祭司とレビ人は共に身を清めていたので皆清く、捕囚の子ら皆のため、また彼ら自身のために過越のいけにえを屠った。」 エズラ記6章20節

 ユーフラテス西方の長官タテナイらの調査以来の書簡を受けて(5章6節以下)、ダレイオス王の命令でバビロンの記録保管所が調べられ(1節)、メディア州エクバタナでキュロス王の勅令が記された巻物が発見されました(2節)。それは、神殿を再建すること、その規模は以前と同規模にすること(3節)、費用は国庫負担とすること(4節)、神殿祭具は返還すること(5節)、という内容のものでした。

 3節に、「建物の高さは60アンマ、間口は60アンマとする」と記されていますが、ソロモンの神殿は、「奥行きが60アンマ、間口が20アンマ、高さが30アンマ」(列王記上6章2節)だったので、かなりサイズアップすることになります。

 その「覚書」(2節)を見たダレイオス王は、神殿再建の干渉を辞め(6節)、むしろそれを援助するように、ユーフラテス西方の税収をその費用に充てるように命じました(8節)。かくて、神殿再建がキュロス王の命令であったことが確認され、ダレイオス王によって、ペルシアの公式事業として推進されることになったわけです。

 さらに、神への献げ物に必要な牛、羊、穀物などは毎日欠かさず提供することを命じ(9節)、イスラエルの民が神を礼拝するときに、ペルシア王と王子たちの幸福を祈るようにさせます(10節)。そして、この定めに違反し、彼らの礼拝を妨げようとする者は厳罰に処すということさえ、つけ加えました(11,12節)。

 そこで、長官タテナイらは王の命令どおりに実行し(13節)、イスラエルの民は順調に建築を進めることが出来たので(14節)、ダレイオス王の治世第6年のアダルの月の23日に無事完成しました(15節)。ダレイオス王の治世第6年といえば、紀元前516年頃のことです。キュロス王の解放令が出されて20年余り、エルサレムが陥落し、神殿が破壊されて70年という年月が経ったことになります。

 完成した第二神殿をソロモンの神殿と比較すれば、サイズはともかく、壮麗さ、細かい装飾などをそのとおりに再現することは出来なかったでしょう。けれども、ここに主に属詞、主なる神を礼拝するイスラエルの民が回復されたのです。

 出エジプトの際、神の幕屋を造るために、金、銀、青銅、青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛、雄羊の毛皮、ジュゴンの皮、アカシヤ材、灯火のための油、種々の香料、縞めのうやその他の宝石を集めました(出エジプト記35章5節以下)。

 長年に亘る奴隷生活をしていたイスラエルの民が、それらをすべて所有していたわけではありません。彼らは、エジプトを出る際、エジプトの民から金銀の装飾品や衣類を得ました(同11章2節、12章35,36節)。それが用いられて、主が共に住まわれる神の幕屋を作ることが出来たのです。

 今回は、キュロス王の命令により、そして、ダレイオス王がそれを確認したことから、ペルシャの国庫から神殿再建に必要なすべてのものが供給されることになりました(4節)。こうした出来事の背後に主なる神がおられること、主に属する民を礼拝する民として整えるために歴史を動かしておられるのは神であること、御旨の実現のために、異邦人をさえお用いになるということが、ここにはっきりと示されています。

 神殿完成を祝い、雄牛百頭、雄羊二百匹、小羊四百匹が献げられ、また、全イスラエルの贖罪の献げ物として雄山羊12匹がささげられました。それを、「イスラエルの部族の数に従って」と言っています。即ち、バビロンによって滅ぼされた南ユダだけでなく、アッシリアに滅ぼされた北イスラエルの罪も贖われ、清められたということです。

 今回、エルサレム神殿を再建した民4万2千人余りは、かつて、イスラエルを建国した民の十五分の一というようなものでしょう(2章64節、民数記1章46節、26章51節参照)。まさしく、「イスラエルの残りの者」です(イザヤ書10章20,21節、46章3節、エレミヤ書31章7節など)。

 神殿が完成した翌月(アダルの月はユダヤの12月、太陽暦の2~3月)、彼らは過越祭を祝います(19節)。それは、バビロンからの解放を第二の出エジプトと見なし、これまでの古いパン種を取り除いて、新しく完成した神殿で、心を込めて主なる神を礼拝するのです。そうして、神の救いは遠い過去の出来事ではなく、今現在、私たちが味わうことの出来る御業であることを知って、それを喜び祝うのです。

 冒頭の言葉(20節)に、祭司、レビ人たちが身を清めていたと記されています。これは、神殿が出来、礼拝が行われるようになったから身を清めたというのではなく、神殿再建の工事が再開されて以来、彼らが常に身を清めて、礼拝に、祭に備えていたということでしょう。この献身により、過越祭を滞りなく行うことが出来たのです。

 私たちは、主イエスを信じる信仰によって神の子とされ(ヨハネ1章12節)、私たちの内に聖霊を住まわせる神殿とされました(第一コリント3章16節)。主の恵みの御業を日毎に確認し、喜びをもって主と共に歩ませていただきましょう。「キリストと結ばれる人は誰でも、新しく創造された者なのです」(第二コリント5章17節)。

 主よ、イスラエルの人々は、主の憐れみを受けて神殿を再建し、再び主を礼拝する民として整えられました。今、私たちも礼拝の民として、自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げるよう、招かれています。日々新たに、感謝をもってその招きに応えることが出来ますように。 アーメン








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