風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2015年03月

3月31日(火) 歴代誌上17章

「あなたが生涯を終え、先祖のもとに行くとき、あなたの子孫、あなたの子の一人に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしのために家を建て、わたしは彼の家をとこしえに堅く据える。」 歴代誌上17章11~12節

 ダビデは少年時代、牧場で羊の群れの番をしていましたが、神に選ばれてイスラエルの指導者となりました(7節)。ダビデは、ヘブロンで全イスラエルの王となり(11章1節以下、サムエル記下5章1節以下)、その後、エルサレムに都を構えました(11章7節以下)。そこに立派な王宮が完成し(14章1,2節)、そして、ダビデの張った天幕に神の箱を迎えることも出来ました(16章1節)。

 そこでダビデは、預言者ナタンに、「見なさい。わたしはレバノン杉の家に住んでいるが、主の契約の箱は、天幕を張ってその下に置いたままだ」と、主なる神のために、神殿を建てる相談をします(1節)。ナタンは、「心にあることは何でも実行なさるとよいでしょう。神はあなたと共におられます」と、すぐに賛同しました(2節)。

 ところが、その夜、神は、「イスラエルの民をエジプトから救い出して神の民とした日から今に至るまで、家に住まず、天幕を住まいとして来たこと(5節)、その間、一度も、何故わたしのためにレバノン杉の家を建てないのかと言ったことはないことをお告げになり(6節)、ダビデの申し出を拒否されました(6節)。

 ここで、「天幕から天幕へ、幕屋から幕屋へと移って来た」(5節)と言われていることについて、シロの祭司エリの家を打たれた際、イスラエルを導き上った幕屋はギブオンに移され、その後、神の箱がエルサレムの戻された際、ダビデが新しい天幕を建てました。この二つ以外の幕屋、天幕に移されたことは知られていません。

 幕屋は、聖なる神がエジプトを脱出した民の中に住むための聖なる所として造られました。神は、シナイの荒れ野を民と共に旅されたように、バビロンに捕らえ移されたときも共におられたということを、こうした表現で示しているのでしょう。

 ダビデの申し出を拒否されたのは、神殿を建てる必要はない、神殿などには決して住まないということではありません。主は、「わたしのために住むべき家を建てるのではあなたではない」(4節)と言われました。ダビデは、神殿を建てるのにふさわしい人物ではない、別の人物が神殿を建てるということです。

 22章8節では、「わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない」と言われています。 ダビデの役割は、万軍の主の手先となって、「行く手からことごとく敵を断」つこと(8節)、「敵を・・ことごとく屈服させる」(10節)ことです。

 ともあれ、神のために神殿を建てたいというダビデの心を神は喜ばれています。だからこそ、「主があなたのために家を建てる」(10節)と言われるのです。主がお建てくださる「家」とは、建物ではなく、「王家」、王朝のことです。だから、冒頭の言葉(11,12節)で、ダビデの子の一人が跡を継いで王国を揺るぎないものとし、その子が神殿を建てること、それゆえにその王座をとこしえに堅くすると約束されているのです。

 これは、当然ダビデの子ソロモンによる神殿建設を示しています(列王記上6章、歴代誌下1章18節以下参照)。ソロモンは、準備された最高の材料を用いて、7年という歳月をかけ、壮麗な神殿を建てたのでした。ダビデに対する神の約束が、実現したわけです。

 しかし、歴代誌の記者は、バビロンによってソロモンの建てた神殿が焼かれ、エルサレムの町は壊滅させられ、その民は捕囚とされたことを知っています(歴代誌下36章)。それは、王をはじめイスラエルの民が神に背き、異教の偶像を礼拝したからです。エルサレム神殿の中にすら、偶像が置かれました(同33章4節以下)。民自ら、神との約束を反故にしてしまったというわけです。

 だからといって、主なる神は、その約束を反故にされたわけではありません。神は、「きのうも今日も、また永遠に変わることのない方」であり(ヘブライ書13章8節)、常に真実な方だからです(ローマ3章4節)。バビロンによって破壊された神殿を、捕囚から解放された民が再建します。それを指導するのも、ダビデの子孫の一人です(エズラ記参照)。

 主イエスは、ヘロデが46年かかって完成出来ていない神殿を壊し、それを三日で建て直すと言われました(ヨハネ2章19節)。それは、十字架で死なれた主イエスが三日目に甦られること、その復活の主の体のことを言っておられたのです(同21節)。実に、ダビデの子孫としてお生まれになった主イエスが、真の神殿を建てると言われているのであり、主イエスを通して、神の王国が堅く立てられるのです。

 主イエスは、十字架につけられたとき、その罪状書きに、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と記されました(同19章19節など)。祭司長たちがそれに異議を唱えると、総督ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えます(ヨハネ19章21,22節)。

 つまり、主イエスはピラトによって、十字架上でユダヤ人の王として即位されたのです。そして、主イエスは十字架で託された神の御業を完成されて息を引き取られました(同19章30節)。この主イエスこそ、真の王の王、主の主であられます。

 そして神は、主イエスを信じる者に、約束の聖霊を送ってくださいました。私たちは内に聖霊を宿す聖霊の宮、神の神殿であると教えられています。それは、主の憐れみと聖霊のお働きによるのです。御言葉と御霊の導きにすべてを委ね、示されるとおりに歩ませていただきましょう。それこそ私たちのなすべき礼拝なのです。

 主よ、御霊が私たちを神殿として内に住み、神の愛を心に注いでくださることを感謝します。御言葉と御霊により、私たちを清め、御心に適う者と造り替えてください。御名が崇められますように。宣教の御業が前進しますように。全日本に主の恵みと慈しみが豊かにありますように。 アーメン




3月30日(月) 歴代誌上16章

「主を求める人よ、主を、主の御力を尋ね求め、常に御顔を求めよ。主の成し遂げられた驚くべき御業と奇跡を、主の口から出る裁きを心に留めよ。」 歴代誌上16章10~12節

 ダビデは神の箱を都エルサレムに運び入れ、天幕の中に安置しました(1節)。この天幕は、ダビデが神の箱のために場所を整えて、張ったものです(15章1節)。主の契約の箱を運び入れるに当たり、ダビデが喜び踊るのを見て、サウルの娘ミカルはさげすみました(15章29節)。それは、サウルの時代には、神の箱がおろそかにされていたということを象徴しているような姿です(13章3節)。

 一方、39節によると、主の幕屋がギブオンの聖なる高台にあります。神の箱が失われたまま、主の幕屋での礼拝がギブオンで続けられていたわけです。ダビデは、神の箱をエルサレムに運び込みましたが、主の幕屋はギブオンに置いたままにし、祭司ツァドクとその兄弟たちをそこで仕えさせるようにしました。

 かくて、出エジプト以来の主の幕屋が立てられているギブオンに加え、神の箱を安置した天幕のあるエルサレムと、イスラエルに重要な礼拝の場所が二か所になりました。

 ダビデは、自ら張った天幕に神の箱を安置したのち、神の御前に焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげます(1節)。神の箱は主なる神との契約のしるし、神の御前にささげられる供え物は、神への感謝と共に、献身を表すものです。

 これまでも、ダビデは神を信じていなかったわけではありませんでしたし、神に従って来なかったわけでもありませんが、はっきりと神との契約の関係にあることを表明したのです。それは、主イエスを信じて受け入れた者が、神と人の前でそのことを公に言い表し、バプテスマを受けることにつながります。

 ここで、神の幕屋に関わる務めはレビ族が担っており(民数記3,4章参照)、献げ物を神にささげるのは、祭司の務めでした(レビ記1章以下参照)。既に見て来たとおり、ダビデはユダ族の出身であり(2章3節以下、15節)、また、王として立てられてはいますが(11章1節以下)、祭司ではありません。

 後に、ウジヤが神の前に香を炊こうとして、神に打たれたという事件がありました(歴代下26章16節以下)。また、サウル王がサムエルの到着を待てずに、自ら献げ物をささげたとき、そこにサムエルが来て、「あなたは愚かなことをしたから、王権は他者のものとなる」と断罪したということもあります(サムエル記上13章8節以下)。ダビデがそれを行い得たのは、神がそれを許されたからということでしょう。

 これは、ダビデの子孫として生まれる主イエス・キリストの予表でもあります。「キリスト」とは、ヘブライ語で「メシア」、油注がれた者ということですが、祭司や王が聖別され、即位するとき、頭に油が注がれます(レビ記4章3節、サムエル記上24章6節など)。つまり、ダビデの子イエスは、王であり、また祭司でもある「救い主」だということを、このときのダビデが、予め示しているということです。

 8節以下に、ダビデの歌が記されています。8~22節は詩編105編1~15節、23~33節は詩編96編1~13節、34節は詩編106編1節、35,36節は詩編106編47,48節の引用です。

 ここで、冒頭の言葉(10~12節)は、神の民イスラエルに対して、絶えず主なる神に心を向け、礼拝をささげるよう呼びかけるものです。神の民は、その生活の中で神の霊の力に与るように、主を慕い求めるよう、促されます。

 神の御前に出て、主を求め、主の御業を心に留めることが命じられますが、それは、単に自分たちのためだけのことではありません。神がおのが民をお選びになったのは、その恵みが、選びの民を通してすべての人々に広げられるためです。

 神の幕屋には、その周りに囲われた庭があり(出エジプト記27章9節以下)、その庭に祭壇と洗盤が置かれています(同40章6~8節参照)。祭壇はいけにえを献げるもので、これはキリストの十字架を意味しています。洗盤は祭司が身を清めるための水を入れている器で(同30章17節以下)、主イエスを信じる者が受けるバプテスマを表します。

 神の幕屋では、礼拝が行われます。神の幕屋には、12個のパンを供える机があります(同40章22,23節)。それは、キリストの体を表しています。教会は、命のパンであるキリストの御言葉で養われます。御言葉を守り行うことこそ、キリストの愛に留まることと教えられています。

 また、七枝の燭台(メノラー)があります(同24,25節)。このランプの光で幕屋の中を照らしています。これは、聖霊を表しています。聖霊が私たちに真理を悟らせます。礼拝は霊と真理をもってなされるのです。そして、香の祭壇があります(同26,27節)。神の御前に捧げられる賛美と祈りを表しています。

 聖霊とキリストの御言葉と賛美による礼拝を通して、至聖所へと導かれます。その奥殿には、神の箱が置かれています(同20,21節)。それは、私たちが神の民であり、主が私たちの神であるという契約のしるしです。そこで神と人が顔と顔とを合わせて、食事を共にするという親しい交わりをするのです。

 キリストの声を聴いて心の扉を開いた者は、キリストが心の内に来られ、共に食事をする親しい交わりが出来ると言われています(ヨハネ黙示録3章20節)。また、キリストの十字架で贖われた者は、聖霊を宿す聖霊の宮、神殿であるとも言われます(第一コリント3章16節、6章19節など)。

 神に創られ、キリストによって贖われた者として、御言葉に従い、心から賛美と祈りを捧げましょう。主は私たちを主との親しい交わりへと導かれ、その恵みに与らせてくださいます。絶えず主の御顔を求め、神の口から語られる御言葉に耳を傾けましょう。御霊に満たして頂きましょう。

 主よ、御子キリストの贖いを感謝します。キリストを心の王座にお迎えします。聖霊に満たされ、絶えず唇の実を主におささげします。霊と真実をもって主を仰ぎます。聖霊の力を受けて、主の恵みを証しします。御業のために用いてください。 アーメン




3月29日(日) 歴代誌上15章

「最初の時にはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた。わたしたちが法に従って主を求めなかったからである。」 歴代誌上15章13節

 ダビデ王は、再度エルサレムに神の箱を迎える準備をしました(1節、13章参照)。今回は、「神の箱を担ぐのはレビでなければならない。彼らこそ、主の箱を担ぎ、永遠に主に仕えるために主によって選ばれた者である」といって(2節、民数記1章50節以下)、レビ人を招集しました。

 ここで、サムエル記下6章にある並行記事との違いは、サムエル記では、「神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった」(サムエル記下6章12節)のがきっかけで、再度、箱を担ぎ上ることにしたとされています。それが確認されなければ、ダビデは箱をエルサレムに運び込むのを断念したかもしれないといった扱い方でした。

 歴代誌は、その箇所を省略して、代わりに神の法に従ってレビ人を招集することを記し、彼らが箱を担ぎ上る準備と聖別のためにスペースを割いています。エルサレムに神の箱を運び入れる手段を是正するために、三か月という時間を要したというかたちにしています(13章14節参照)。

 ダビデによって呼び集められたのは、ケハトの一族120人、メラリの一族220人、ゲルショムの一族130人、エリツァファンの一族200人、ヘブロンの一族80人、ウジエルの一族112人、計962人でした(5節以下)。

 規定に従えば、神の箱を担うのはケハトの一族で(民数記3章6節以下、31節、4章4節以下、15節参照)、神の箱を担うのには10人も要らないのではないかと思われますが、長距離を運ぶので、何度も交代しながら、担ぎ上るのでしょう。また、誰も不用意に神の箱に近づいて打たれることがないように、周囲の警護などもかねて、大人数で進んで行くのでしょう。

 それにしてもダビデは、神の箱を担ぐのはレビ人でなければならないことを、いつ知ったのでしょうか。冒頭の言葉(13節)で、ダビデは、「最初の時にはあなたたちがいなかったので、わたしたちの神、主はわたしたちを打ち砕かれた」と言っています。神の箱を運ぶにはどうすべきかを知らなかったのなら、当然神に聴くべきでしたし、知っていたのなら、何故従わなかったのかということになります。

 「わたしたちが法に従って主を求めなかったからである」は、口語訳のように、「われわれがその定めにしたがってそれを扱わなかったからです」と訳すことも出来ます。いずれにせよ、初めの方法は、神の法に背くことだった、主を求めず、軽率にことを進めてしまったと、ダビデはここに自らの罪を言い表し、悔い改めています。

 この背後に、預言者ナタンらの指導があったのかも知れません。あるいは祭司、レビ人の進言があったのかも知れません。そして、神に聴いて、神の教えに従ったのです。こうしてダビデは、ウザの命という重い代償を払って、神を畏れること、謙虚に神に聴くことを学んだのです。

 王の命に従い、祭司とレビ人は、イスラエルの神、主の箱を運び上げるために自らを聖別し(14節)、主の言葉に従って、レビ人たちが竿を肩に当てて神の箱を担ぎました(15節)。

 ダビデは、神の箱が運ばれるとき、その周りに詠唱者を配し、楽器を奏で、声を張り上げて喜び祝わせました(16節以下)。ダビデ自身はその中で喜び踊りました(29節)。それは単に、神の箱が町にやって来たということだけではなく、まさに神ご自身との交わりがますます近く、深く豊かに行われるということで、それを思うとき、喜びのあまり踊らざるを得なかったのでしょう。

 主イエスは、最後の晩餐の祈りの中で、「永遠の命とは、唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」と言われました(ヨハネ17章3節)。「永遠の命とは、神と、神のお遣わしになったイエス・キリストとを知ること」というのは、とても不思議な言葉でしょう。

 「知る」とは、聖書において、頭の知識のことではなく、人格的な交わりがあることを言います。だれかと人格的な交わりがあるということを、その人を知るというわけです。それは、握手する、抱き合う、接吻を交わすという体の接触を伴うような、また同じ釜の飯を食うというような、親密な交わりです。

 確かに、真の神との交わり、主イエスとの交わり、そして、主が遣わされる真理の御霊との交わりこそ、私たちの命です。たとい永遠に生きることが出来たとしても、愛する者、親しい者がそこにいなければ、かえって空しいときを長く過ごさなければならないことでしょう。命は、信ずるお方、最も愛すべきお方との親密な交わりがあればこそです。

 主イエスが、「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」と仰いましたが(ヨハネ10章10節)、それはまさに、私たちと主との豊かな交わり、主を信じる者たちとの親密で豊かな交わりを授けてくださると言われているわけです。

 ダビデが、神との交わりで喜び踊ったように、私たちも絶えず御霊に満たされて、主の御名によって「アバ、父よ」と神を呼び、神との交わりを通して喜びと平安に与らせていただきましょう。

 主よ、日毎に御言葉を聴き、その導きに従順に歩むことが出来ますように。御言葉に命があり、御言葉に聴き従うことこそ、私たちの力であることを教えてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。今日から受難週です。主イエスの十字架を仰ぎます。命の道、真理の道にまっすぐに導いてください。 アーメン



3月28日(土) 歴代誌上14章

「ダビデは、主が彼をイスラエルの王として揺るぎないものとされ、主の民イスラエルのために彼の王権を非常に高めてくださったことを悟った。」 歴代誌上14章2節

 神を畏れることを学んだダビデは、冒頭の言葉(2節)のとおり、主が王権を高めてくださったことを悟りました。それは、主に背いた罪のためにペリシテとの戦いにおいて息子たちと共に戦死し、王位をダビデに譲らなければならなくなったことと(10章13,14節)、まったく対照的な記述です。

 ダビデはエルサレムを都に定めましたが(11章4節以下、7節)、そこに王宮を建てるよう、隣国ティルスの王ヒラムが使節を送り、レバノン杉と石工、大工など技術者を送って来ました(1節)。

 3節以下に、エルサレムで生まれたダビデの子らの名が記されています。これも、10章のサウルの家との対比が示されます。9章39節以下にサウルの家系が記されていましたが、しかし、ギルボア山でのペリシテとの戦いでサウルの3人の息子たちが戦死し(10章2節)、サウル自身も深手を負い、自害して果てました(同3,4節)。その結果、歴代誌の著者は、10章6節に、「その家もすべて絶えた」と記しています。

 それに対して、ダビデの家は豊かに祝され、その王権を高めて頂きました。子らの名簿の中に、ダビデの跡を継いで家を確立することになるソロモンが含まれています(17章11節以下参照)。 

 さらに、攻め上ってきたペリシテ軍を完璧に討ち滅ぼすことが出来ました(8節以下、16節)。これは実に、10章の状況を逆転させるものです。そのためにダビデの名声はすべての国々に及んだのです(17節)。

 ダビデは、ペリシテの進軍を聞いて、神の託宣を求めました(10節)。「攻め上れ」との言葉を受けて、敵軍に攻め込み、討ち滅ぼすことが出来ました(11節)。ペリシテ軍が再び侵入して来たとき(13節)、再度託宣を求め、「彼らを避けて回り込み、反対側から敵に向かえ。神がイスラエルに先んじて出陣される」と言われて(14,15節)、命じられたとおりに行動しました(16節)。その結果、敵を完全に討ち滅ぼすことが出来たのです。

 11節に、「彼らはバアル・ペラツィムに攻め上り、ダビデは敵を打ち滅ぼして」とあります。バアル・ペラツィムは、エルサレムからベツレヘムへと至るレファイムの谷にあります(9節)。ペラツィムは、「破れ」と訳される「ペレツ」の複数形で、その動詞形は、「破る、打ち破る」と訳されているパーラツという言葉です。

 この言葉が13章11節で、「打ち砕く」、「ペレツ・ウザ」というところに用いられています。ペリシテの方法で神の箱を運搬しようとした(サムエル記上6章7節参照)ウザを、主が打ち砕かれた出来事だったわけです。

 こうして、ダビデの名声はますます広く伝えられ、諸国の民に恐れられるようになりました(17節)。そこには、ダビデの勇猛果敢な戦いぶりもあったと思いますが、それより何より、彼が神の御声に聴き従った結果だと、歴代誌の記者は告げているわけです。

 勿論、ダビデが高ぶったことがないというわけではありません。ダビデが人口調査をして神の怒りを買ったことがあります(21章、サムエル記下24章)。それは、王が自軍の兵馬の数など、目に見えるものを頼みとしているしるしで、そのとき、ダビデの心には、謙って神に聴くこと、万軍の主に信頼する思いが希薄になっていたのです。

 ただ、詩編の記者が、「主の勝利は兵の数によらず、勇士を救うのも力の強さではない。馬は勝利をもたらすものとはならず、兵の数によって救われるのでもない。見よ、主は御目を注がれる、主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に」(詩編33編16~18節)と記しているのは、人がいかに見えるものに左右されるか、見えない主に信頼し続けることがいかに容易でないかを示しているようです(44編7節、147編10節なども参照)。

 神はかつてモーセを通じて、イスラエルの王に関する規定を授けられました(申命記17章14節以下)。そこに、「彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを造り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない」と記されています(同18~19節)。

 この掟を守る理由、その目的について、続く20節に、「そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる」と告げられています。

 ダビデの王権は、ダビデのものではありません。彼が優秀だから与えられたのではありません。王位が揺るぎなく、王権が高められたのは、イスラエルの民のためです。ダビデが不動の王位、高い王権のゆえに高ぶってはならないのです。謙って神に聴き、民のために働かなければなりません。

 傍らに置かれている神の御言葉に耳を傾け、神の戒め、教えから右にも左にもそれることなく歩むならば、その時、彼はいよいよ高く上げられ、その王権はいよいよ堅くされるのです。そのように神を畏れ、謙って導きに従い、イスラエルの民に仕えるならば、王と民の間に尊敬と信頼の関係が築かれ、イスラエルに平和が訪れ、民は繁栄を喜ぶことが出来ます。

 主イエスは、「わたしの名によって願いなさい」と教えられました(ヨハネ福音書16章24節)。それは、主イエスと弟子たちとの間の信頼関係が築かれているということです。主が弟子を信頼し、弟子が主に従うので、その願いがかなえられ、喜びで満たされます。願いが叶えられた弟子たちだけでなく、それを叶えた主にも喜びがあり、共々に大きな喜びに満たされるのです。

 主イエスが送ってくださる真理の御霊によって真理を悟り、忠実に御言葉に聴き従って主に栄光を返しましょう。この御霊によって、私たちは、「アバ父よ」と神を呼ぶことが出来ます。聖霊を通して心に神の愛が注がれています。たえず御霊に満たしていただきましょう。力を受けて主の恵みを証ししましょう。そのために、常に謙って主の御言葉に耳を傾けましょう。主の導きを祈ります。

 主よ、あなたは十字架の死に至るまで従順であられた主イエスを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。すべての者が主の 御名にひざまずき、「イエス・キリストは主である」と宣言して神を称えるためです。絶えず主の前に謙り、命の言葉を聴かせてください。御業を行って主の御名を崇めさせてください。 アーメン




3月27日(金) 歴代誌上13章

「その日、ダビデは神を恐れ、『どうして神の箱をわたしのもとに迎えることができようか』と言って、ダビデの町、自分のもとに箱を移さなかった。彼は箱をガド人オベド・エドムの家に向かわせた。」 歴代誌上13章12,13節

 ダビデは、長い間キルヤト・エアリムに置かれたままになっていた神の箱について、千人隊と百人隊の長、およびすべての指導者と協議し、エルサレムに運んでくることにしました(1節以下、サムエル記下6章1節以下)。「サウルの時代にわたしたちはこれをおろそかにした」(3節)と言っていますが、サムエルの時代にすでに忘れられた存在になっていました(サムエル記上7章1,2節)。

 ダビデはいつ、どのようにして神の箱の存在に気付いたのでしょうか。詳細は全く不明です。しかし、「おろそかにした」という言葉遣いに、神を無視する状態にいたことで心を痛めている様子を窺うことが出来ます。その神の箱を都に持って来ることは、ダビデが、イスラエルの国の真の基礎は何かということを、国の内外に示すということを示しています。

 そこで、エジプトのシホルからレボ・ハマトまで、即ち、「ダンからベエルシェバまで」(士師記20章1節)より大きな、南から北まで、国中の民を集め、神の箱をエルサレムに運び上げます(5節)。彼らは、神の箱を新しい車に載せ、アビナダブの子ウザとアフヨに御者を命じ(7節)、すべての民には主の御前に力の限り歌わせ、竪琴、琴、太鼓、シンバル、ラッパを奏でさせました(8節)。まさに、鳴り物入りの都入りになるはずでした。

 ところが、運んでくる途中、キドンの麦打ち場で、御者の一人ウザが神に打たれて死ぬという事件が起こります(10節)。ここで、並行記事のサムエル記下6章では、ナコンの麦打ち場とされています。キドンが「投げ槍」という意味の言葉であることから、ウザが打たれた地名と考えられ、ナコンの麦打ち場とは、ナコンが所有する麦打ち場と考えると、矛盾ではなくなるかと思います。

 ウザが打たれたのを見たダビデは、冒頭の言葉(12節)のとおり、神を恐れて、「どうして神の箱をわたしのところに迎えることができようか」と語り、もともと神の箱が置かれていたキルヤト・エアリムよりずっと遠くのガト人オベド・エドムの家に運ばせてしまいました(13節)。いったいどうしたことでしょうか。

 ウザが神に打たれたのは、牛がよろめいたので、箱を押さえようとして手を伸ばしたからだと説明されています(9,10節)。つまり、箱を守ろうとするウザの行為が打たれた原因だというのです。ただ、それでは箱が傷つき壊れるかもしれないけれども、手を出さないで、ただ見ていればよかったのだ、と言わんばかりです。

 しかしながら、実は、箱の運び方そのものに問題があったのです。それがそもそもの間違いでした。神の箱は、祭司、レビ人の肩に担がれて運ばれるように造られたのです(出エジプト記25章13節以下)。しかし、ダビデはそれを車に載せ、御者を頼んで牛に引かせました。新しい車に載せたのは、神への敬虔を示したつもりでしょうけれども、軽率な判断でした。

 というのは、車で運ぶというのは、ペリシテ人が用いた方法でした(サムエル記上6章)。異邦人にとって、牛は神を運ぶ使者です。そこで、牛の像を造り、それに乗る神を拝むわけです。神は、カナンの地の宗教的習慣に従うことを嫌われました(レビ記18章3節)。ですから、牛がよろめいたのは偶然ではなく、神が、牛に運ばれるのを拒否されたのです。

 ただ、神の箱に触れたことで神の怒りを買ったというなら、そもそも、神の箱を新しい車に乗せ、牛にひかせて出発すること自体出来なかったでしょう。なぜその時に打たれないで、キドンの麦打ち場で打たれることになったのでしょう。その理由は詳らかではありません。神の箱を運ぼうという時に、神に仕える祭司、レビ人は何をしていたのでしょう。彼らが自分たちの責任をきちんと果たしていれば、ウザが打たれることはありませんでした。

 また、ダビデが恐れて、箱を遠くに運ばせたのは、ウザが打たれた理由を悟ったからでしょう。箱に触れようとしてウザは打たれましたが、運搬方法にそもそもの原因があるということで、その方法を選んだダビデは、自分が神に打たれると考えたのではないでしょうか。ダビデは神を恐れました。鳴り物入りで行おうとした神の箱の都入りでしたが、お祭り気分は吹っ飛びました。

 しかるに神は、神の箱が運び込まれたガト人オベド・エドムの家を祝福されました(14節)。ダビデが自分のところに神の箱を持ち込んだ理由を聞き、異邦人ながら、まさしく神に対する畏れの心をもって神の箱を守り、神を礼拝したことでしょう。

 主イエスは、「わたしはブドウの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(ヨハネ福音書15章5節)と言われました。主につながり、御言葉を守る者に、主は豊かに実を結ばせてくださると約束しておられます。

 神の御言葉を聴き、御言葉に従うことこそ、主イエスを愛し、主イエスにつながることです(同7,10節)。オベド・エドムはそのとおりにして祝福されたのです。私たちも、主イエスにつながって豊かに実を結ぶ祝福に与らせていただきましょう。

 主よ、ダビデは神を畏れて御言葉に忠実に従うことを疎かにした結果、神を恐れなければならない事態になりました。一方、神を畏れて神の箱を守り、仕えたガト人オベド・エドムの家は祝福されました。私たちにも、主を畏れることを学ばせ、御言葉にたち、信仰によって歩むことが出来るように導いてください。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン




3月26日(木) 歴代誌上12章

「ダビデよ、わたしたちはあなたのもの。エッサイの子よ、あなたの味方です。平和がありますように。あなたに平和、あなたを助ける者に平和。あなたの神こそ、あなたを助ける者。」 歴代誌上12章19節

 1節に、「ダビデがまだキシュの子サウルを避けていなければならなかったとき、ツィクラグにいるダビデのもとに来た者は次のとおりである。彼らも戦いの補助要因として、勇士たちに連なっていた」とあります。ツィクラグは、ダビデがサウル王の手を逃れ、ペリシテの王アキシュを頼ったときに与えられた町でした(サムエル記上27章1節以下、6節)。

 そこに、ダビデを人々が集まって来ました。彼らも、ダビデの勇士になりました。彼らは、サウルと同族で、ベニヤミン出身の者たちでした(2節)。サウルから逃げているダビデのもとに、ベニヤミンの勇士がやって来るとはどうしたことでしょう。しかも、「彼らは弓の名手で、右手でも左手でも石を投げ、矢を射ることができた」といいます(2節)。

 士師記20章16節に、ギブアの住民から選り抜かれた700人の兵士からなる部隊が皆左利きで、髪の毛一筋を狙って石を投げても、その的を外すことがなかったという記事があります。ギブアは、サウルが王として召され、王宮を置いた場所、即ち、サウル王朝時代の都が置かれた場所です。いわば、サウルの近衛兵ともいうべき左利きの石投げ、弓の名手たちが、外国に亡命しているダビデのもとにやって来たのです。

 このことで、サウルの死後、王位はダビデに渡されたと、10章14節に記されていますが、王権の委譲は、ダビデがサウルを避けて逃亡生活をしているときに、既に始まっていたということを示しているわけです。

 次は、ダビデが荒れ野の要害にいたとき、ガド族の勇士がやって来ました(9節)。「荒れ野の要害」は、ツィクラグに逃げ落ちる前にいた場所です。つまり、時間的な順序とは、異なっています。彼らは盾と槍を取ってカモシカのように速く走った一騎当千の勇将で、氾濫している川をものともしなかったとあります(9,15~16節)。

 さらにダビデと同族のユダ族(17節)、そしてマナセ族の名も挙げられます(20節)。そもそも、ダビデが要害にいたとき、同族のジフ人にその場所を密告されて(サムエル記上23章19節、26章1節)、ペリシテへの亡命を決意したところがあります(27章1節)。サウル王を恐れて、そうせざるを得なかったというところでしょう。

 そのように明日をも知れないという逃亡生活をしているときですから、そのような自分のもとに身を寄せてくる者の存在というのは、ダビデにとってどんなに心強いものだったことでしょうか(23節参照)。

 1節に「補助要員」という言葉があり、スペアーとかサポーターというようなものを連想させますが、原語を直訳すれば、「助け」(アーザール:動詞・Qal分詞)です。救いといってもよいでしょう。自分ではどうすることも出来ないような状況から救い出されることを、聖書では助けというのです。ちょっと手を借りたという意味合いではないのです。

 「助け」(アーザール)の名詞形は、「エゼル」という言葉です。ベニヤミン族の頭が「アヒエゼル(兄弟の助け)」と3節に記されています。兄弟として助けますよというのでしょう。そして、10節。ガド族の頭が「エゼル(助け)」、まさに助けです。単なる偶然の一致ではありません。人の名前も本当に興味深いでしょう。この章には繰り返し、「助け」が語られており、主要テーマであることが分かります。

 そして、ユダ族のアマサイが、大変重要な言葉をダビデに告げます。それが冒頭の言葉(19節)です。これは、ダビデと彼を助ける者に平和(シャローム)があるようにという祈りです。そして、神こそダビデを助ける者(アーザール)であるという宣言です。

 また、助けが与えられることとは、平和が与えられることであると教えられます。それは、神との関係が正しくなることです。神との関係においてもたらされる真の平和です。先ず神との平和を求め、神との関係が正されると、私と周りの人々の関係が平和になります(マタイ6章33節参照)。

 ちょうど十字架の関係、縦軸が神と私たちの架け橋、横軸が私と周りの人々の架け橋、その真ん中にキリストがいて、私たちを橋渡しして下さる、真の仲介者となって下さるということです。

 そして、「ダビデと彼を助ける者に平和があるように」という祈りと、「ダビデの神こそダビデを助ける者である」という宣言は、アマサイに聖霊が降った結果、彼に与えられたものです(19節)。その意味では、これは単なるお世辞や美辞麗句、アマサイの願望の表明などではなく、アマサイに託された神の預言と考えることが出来ます。

 つまり、アマサイたちがダビデを助けるというより、ダビデを助ける者は神であられる、神がアマサイたちを通してダビデを助けられるのだから、ダビデは必ず平和に与ることが出来るという預言です。

 私たちには、救い主イエス・キリストが与えられています。キリストによって私たちは罪が赦され(コロサイ書2章13節)、神の子どもとされ(ヨハネ福音書1章12節)、永遠の命が授けられました(同5章24節)。そして、主イエスは私たちのために、ご自分が持っておられた平和を与えて下さいます(同14章27節)。

 パウロが、「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ書4章6,7節)と教えています。神を求める者に、神の平和が授けられるのです。

 パウロは、神を「平和の源なる神」と呼んでいます(ローマ書15章33節)。神のお与えくださる平和は、平和を創り出すことの出来る神の力、神の権威によって、キリスト・イエスを通してもたらされるのです。心に主の平和を頂き、主の御霊に満たされて、主のために働く者となりましょう。

 主よ、あなたは私たちのために助ける者を用意し、平和の内に力強く歩むことが出来るようにして下さり、感謝致します。何より、主ご自身が助ける者であられます。その御手に依り頼み、導きに従って歩みます。私たちを平和を創り出す御業のために用いてください。御名が崇められますように。 アーメン




3月25日(水) 歴代誌上11章

「ダビデは次第に勢力を増し、万軍の主は彼と共におられた。」 歴代誌上11章9節

 サウルの死後、イスラエルの民が、ヘブロンにいたダビデのもとに集まりました(1節、サムエル記下5章1節)。そして、主の御前に契約を結んでダビデに油を注ぎ、全イスラエルの王とします(3節)。

 サムエル記には、サウルの死後、ダビデはヘブロンでユダ族の王となり、全イスラエルはサウルの4男イシュ・ボシェト(歴代誌ではエシュバアル)を王としましたが(サムエル下2章)、同族の家臣に暗殺されたということが記されています(サムエル下4章)。その後、ダビデが全イスラエルの王となったのです(サムエル下5章)。

 ヘブロンで全イスラエルの王としてなったダビデは、難攻不落のエブス人の町、シオンの要害を攻略して、そこに移り住みました(4節以下)。そこで、その町がダビデの町と呼ばれます(7節)。ダビデの町といえば、新約聖書において、彼の生まれ故郷ベツレヘムを指して用いられますが、旧約聖書にはその用例はありません。今日、ベツレヘムの西側に「ダビデの町」と呼ばれるところがありますが、いつごろからの名称かは不明です。

 ダビデは、町の周囲を城壁で固めました。町のたの部分は、真っ先に町に攻め上って軍の頭となったヨアブが修復しました(6,8節)。ダビデは、サムエル記下5章の記述によれば、ギホンと呼ばれる泉に水汲みに降りるトンネルから侵入して、陥落させたようです。ヒゼキヤの時代に、町の防備を強化するため、泉から城内に水道を掘り、シロアムの池に水をためるようにしました(列王記下20章20節)。

 ダビデの周りには、名のある勇士たちが大勢集まりました(10節以下、サムエル記下23章8節以下)。彼らはダビデが王として国を治めることに協力します。そこには、ダビデがベツレヘムの井戸の水が飲みたいと言ったとき、敵の囲みを突破してベツレヘムの井戸の水を汲み、再び敵陣を突破して戻って来るという、まさしく献身的な行動を取った勇士たちもいます(15節以下、サムエル記下23章16節)。

 ここで、ダビデがアドラムの洞窟にいたときというのは(15節)、サウルの手を逃れて逃避行をしていたときのことでしょう(サムエル記上22章1節)。そのときに、三十人の勇士の中の三人が、ダビデのもとに来たということになります。

 サムエル記には、「困窮している者、負債のある者、不満のある者も皆彼のもとに集まり、ダビデは彼らの頭領になった。四百人ほどの者が彼の周りにいた」と記されています(同22章2節)。この背景には、保身のためにダビデを追い回し、王としての務めを果たさないサウルに対する不満、失望があったわけです。

 だから、ダビデを王とするとき、「これまで、サウルが王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした」とイスラエルの民は告げたのです(2節)。それは、逃避行のさなかにあっても、イスラエルの民のことを思って行動をするダビデに感心していた人々が、少なからずいたということでしょう(同23章1節以下など参照)。

 また、ダビデの信仰を上げることも出来ます。ダビデはまっすぐ神を求め、主に従いました。勿論、完璧に清く正しく生きたというのではありませんけれども、罪を指摘されると、それを誤魔化さず、罪を認めて悔い改めました(サムエル記下12章13節など参照)。

 ただ、冒頭の言葉(9節)の通り、ダビデが勢力を増したのは、万軍の主がダビデと共におられたからだと言われます。ダビデがエルサレムに神殿を建てたいと願ったとき(サムエル下7章1節以下)、神は預言者ナタンを通して、「あなたがどこに行こうとも、わたしは共にいて、あなたの行く手から敵をことごとく断ち、地上の大いなる者に並ぶ名声を与えよう」と約束しておられました(同9節)。その約束を、神が忠実に実行されたわけです。

 イスラエルの主は、眠ることもまどろむこともなく見守ってくださる方であり(詩編121編4節)、杖と鞭で彼に道を教え、敵に囲まれて四面楚歌という状態でも、主と食卓を共にし、ダビデの杯はいつも喜びと平安で満ち溢れているのです(同23編5節)。

 翻って、主は私たちと共にいてくださるのでしょうか。答えはイエスです。主イエスはインマヌエルと称えられるお方と言われます(マタイ1章23節)。インマヌエルとは、神が私たちと共におられるという意味です。主イエスは、「神が私たちとご一緒だ」という名をもって呼ばれるお方だというのです。

 つまり、私たちが「イエス様」と呼べば、そのとき、神が私たちとご一緒くださるといってよいでしょう。そして、愛の上に更に愛を加えて、私たちに恵みをお与えくださるのです。

 絶えず主の御名を呼び、新しい歌をもって主をたたえ、日々主の御言葉に耳を傾け、真理を悟り、御旨に従って歩ませていただきましょう。

 主よ、御子キリストをこの世に遣わし、十字架で贖いの業を成し遂げ、私たちの罪を赦し、神の子とする道を開いてくださいました。聖霊が私たちのウチに住まわれ、常に共にいて、御心に適う執り成しをし、万事を益に変えてくださいます。絶えずその大いなる御愛に感謝し、御言葉に従って歩む者とならせてください。福音の交わりが豊かにされますように。 アーメン




3月24日(火) 歴代誌上10章

「戦士たちは皆立って、サウルとその息子たちの屍を取りに行き、ヤベシュに持ち帰って、彼らの骨をヤベシュの樫の木の下に葬り、七日間、断食した。」 歴代誌上10章12節

 歴代誌の記者は、キシュの子サウルに関するベニヤミンの系図を2度記していますが(8章33節以下、9章35節以下)、サウルの業績やダビデとの確執などは、記録したくなかったのでしょうか。「ダビデ王の登場」(11章)を急がせるかのごとく、10章1節以下に突然「サウルの死」の記事を登場させています。

 サウルは、戦いを挑んで来たペリシテ軍に対し、ギルボア山に陣を敷いて迎え撃ちますが、打ち負かされて、多くの兵がギルボア山上で倒れます(1節)。そして、ペリシテ軍がサウル本陣に迫り、サウルの息子たちを討ちます(2節)。その後、サウルもペリシテ軍の放った矢で深手を負い(3節)、もはやこれまでと自害します(4節)。これにより、サウル王朝はサウル一代で潰えてしまったように記されています(6節)。

 しかし、サムエル記下2章8節以下によれば、サウルの軍の司令官アブネルが、サウルの末子イシュ・ボシェト(歴代誌上8章33節、9章39節によればエシュバアル) を擁立してイスラエルの王としています。サウルとイシュ・ボシェトの二代で、サウル王朝は姿を消してしまったわけです。

 イシュ・ボシェトは40歳で即位して、2年間王位にあったと、サムエル記下2章10節に記されていますが、サウルについて、正確な記述がありません。サムエル記上13章1節に、「サウルは王となって一年でイスラエル全体の王となり、二年たったとき」とありますが、王位が2年間しかなかったとすると、サウルが王になったのは幾つのときかが問題になります。

 新改訳は、「サウルは三十歳で王となり、十二年間イスラエルの王であった」としています。NEBは、50歳で王となり、22年イスラエルを治めたということにしています。一方、使徒言行録13章21節に、「後に人々が王を求めたので、神は40年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり」とあります。

 サウルがサムエルに見いだされたのは、「若者」のときだったということ(サムエル記上9章2節)、そして、イシュ・ボシェトの即位の年齢から考えれば、正確なことは分かりませんが、30歳より前に即位し、40年ほどその地位にあったと考えるべきなのでしょう。
 
 ところで、本章は、サムエル記上31章と字句的にほぼ一致する記事になっていますが、歴代誌の記者は、サウルの死について、「サウルは、主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに渡された」(13,14節)という評価を加えています。

 この評価について、サウルがどのような罪を犯したのか、歴代誌にはその記述が全くないので、サムエル記の記事を前提としていることになります(サムエル記上13,15,28章など参照)。そして、サウルの犯した罪は歴代誌の記者にとって、情状酌量の余地のないものだったのです。

 けれども、そこに美しい話が挟まれています。ペリシテとの戦いで死んだサウルと息子たちの首がペリシテに持ち帰られ、ダゴンの神殿にさらされました(10節)。サムエル記上31章では、ガリラヤ湖南方のベト・シャンの城壁に遺体をさらしたとされています。首の切られた遺体はベト・シャン城壁に、首はアシュドドのダゴン神殿に、ということでしょうか。

 そのことを伝え聞いたギレアドのヤベシュの住民は(11節)、冒頭の言葉(12節)のとおり、戦士を遣わしてサウルとその息子たちの屍を取って来させ、ヤベシュの樫の木の下に葬り、彼らのために七日間断食して、その死を悼みました。

 ベト・シャンの城壁であれ、アシュドドのダゴン神殿であれ、あるいは両方かも知れませんが、ペリシテ人の支配地域に行って、屍を取り返すのは、まさに命がけのことです。また、遺体に触れる者はその汚れを身に受けると言われますし(レビ記21章1~4節)、さらしものにされたものは、神に呪われていると考えられていました(申命記21章23節参照)。その宗教的タブーを犯すというのは、並大抵のことではありません。

 ヤベシュの人々はかつて、アンモン人ナハシュの攻撃を受け、降伏しても全員の右目をくりぬき、それをもって全イスラエルを侮辱すると脅されました(サムエル記上11章2節)。その時に立ち上がったのが、油注がれて王となったばかりのサウルでした。

 ヤベシュのニュースを聞くや、御霊がサウルに激しく臨み(同6節)、サウルは立ち上がって、アンモンをさんざんにうち破りました(同11節)。そのときの恩を、ヤベシュの人々は忘れていなかったわけです。ヤベシュの人々の感謝が、サウルの葬りとなりました。

 それはちょうど、主イエスが十字架にかけられて殺される数日前、マリアが純粋で高価なナルドの香油を主イエスの足に塗り、主イエスの葬りの用意をしたことに通じます(ヨハネ12章3,7節)。マリアは、その兄弟ラザロを主イエスが甦らせて下さったことに感謝し、自分の最も大切にしていた宝を主におささげしたのです。それは、マリアの感謝の気持ちの大きさを表します。

 その香油の香りは家中に広がり、また、何日も香り続けます。主イエスが十字架につけられたときも、その香りが主イエスの身体から離れてはいなかったでしょう。人々の裏切りや嘲りの中で、その香りが立ち上って主イエスの心を暖かく包んでいたと想像するのは間違いでしょうか。

 私たちが神の子とされるために、どれほどの愛を神から頂いたことかをよく考え(第一ヨハネ3章1節)、自分を知り、主の愛と恵みを知って、感謝と喜びをもって主に仕える者とならせていただきましょう。

 主よ、ヤベシュの人々がサウルの恩を忘れず、それに命がけで報いたように、私たちも主イエスを通して示された御愛に応え、すべてを献げて主にお仕えする者とならせてください。主の御業が前進しますように。御国が来ますように。 アーメン




3月23日(月) 歴代誌上9章

「レビの家系の長である詠唱者たちは、祭司室にとどまり、他の務めを免除されていた。彼らは昼も夜も果たすべき務めを持っていたからである。」 歴代誌上9章33節

 9章前半には、バビロン捕囚後、エルサレムに住んだ人々の系図が記されています。これは、ネヘミヤ記11章と共通するところです。そこには、イスラエルの人々、祭司、レビ人、神殿の使用人がいました(2節)。3節で、イスラエルの人々とは、ユダ、ベニヤミン、エフライムとマナセ、各部族の一部だと言われています。

 4節以下にユダの家系、7節以下にベニヤミンの家系を記した後、10節以下に祭司の家系、14節以下には、レビ人の系図が出ていて、17節以下には神殿の門衛の働き、そして、33節には詠唱者のことが記されています。捕囚後のエルサレムの住民が大事にしたのは、神殿での礼拝だと示しているような扱い方です。

 19節に、「幕屋の入り口を守る者」という言葉が出て来ますが、この表現は、ソロモンの神殿が完成する前の時代を示しています。22節には、「ダビデと先見者サムエルが彼らにこの仕事を任せた」という言葉も出て来ます。つまり、ダビデ王の時代のレビ人の職務が、このように記されているわけです(26章2節参照)。

 そうすることで、バビロン捕囚によって一旦途切れてしまった神殿の務めが、捕囚後にしっかり引き継がれたこと、その役割は、ダビデ王の時代から連綿と続いているものであるということを、ここに示そうとしているようです。

 さらに、35節以下は、8章29節以下と寸分違わないキシュの子サウルにまつわるベニヤミン族の系図が、再び登場して来ます。冗長ではありますが、これは、10章のサウルの物語に続く序章としての役目を果たしています。

 ところで、冒頭の言葉(33節)の「詠唱者」について、それに任ぜられた人々の名は、6章16節以下に既に記されていました。今日の箇所には、「レビ人の家系の長である詠唱者」とあり、詠唱者すべてが「家系の長」と考えてよいかどうか微妙ですが、ともかく、詠唱者に任ぜられた家系の長たちは、昼も夜も果たすべき務め、即ち、神の御前に賛美をささげるという務めを持っていました。

 だから、「祭司室にとどまり、他の務めを免除されていた。彼らは昼も夜も果たすべき努めを持っていたからである」と言われます。つまり、門衛として幕屋を警護したり、祭司室や宝物庫の管理をする仕事や(17節以下)、祭儀用具に責任を持つような仕事(28節以下)、その他の雑用などが免除されたわけです。

 余談ながら、「(昼も夜も果たすべき)努め」とは、「仕事、公務」(メラーカー)という言葉なので、それが「努め」となっているのは、誤植でしょう。引照つき聖書や小型聖書などでは、正しく「務め」と記されていました。

 話を戻して、詠唱者が他の仕事を免除されたのは、彼らが歌ってさえいれば、楽器を奏でてさえいれば、他の仕事をしなくてもいいというようなことではないでしょう。むしろ、神の御前に楽を奏し、歌を歌って賛美をささげる務めが、何にもまして最も重要なものとされていたということです。「レビの家系の長」たちが詠唱者に任ぜられているというのも、それを示しているといってよいでしょう。

 詠唱者たちは、昼も夜も絶やすことなくその務めを果たし続けました。交代でその務めに当たっていたわけです。即ちそれは、詠唱者たちが賛美したいときに、したいように賛美するというものではありません。務めに当たるとき、自分が今どのような心境であろうと、どのような境遇であろうと、いつでも主を賛美するよう務めに任ぜられているのです。

 確かに、私たちがどのようにして神の子とされたのかということを考えると、すべてが感謝、すべてが賛美となるでしょう。しかし、現実はなかなか厳しいです。歌う気持ちになれない。感謝の念が湧いてくるような境遇じゃないということもあるでしょう。心を込めて、心から主を讃えるのでなければ、賛美ではないという考え方もあるでしょう。

 ヘブライ書13章15節に、「イエスを通して賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえる唇の実を、絶えず神に献げましょう」と記されています。「賛美のいけにえ」とは、賛美する者が犠牲を払って献げるものであるという表現ということが出来ます。歌う気になれなくても、感謝する心境でなくても、神は賛美されるべきお方だから賛美する、感謝すべきお方だから感謝する、そのときに出来る最高の賛美を心を込めてささげるということです。

 それにはどうすればよいのでしょうか。賛美を与えてくださるのは聖霊です。聖霊に満たされ、常に聖霊の導きに与ることです。「霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい」(エフェソ書5章18,19節)と言われる通りです。

 今日も、限りなく聖霊をお与えくださる主を仰ぎ、御霊の満たしを求めましょう(ヨハネ3章34節)。主は求める者に聖霊を満たし与えてくださいます(ルカ11章13節)。そして、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する者としていただきましょう(第一テサロニケ5章16~18節)。

 主よ、御名を賛美します。あなたの慈しみは命にもまさる恵み。私の唇はあなたをほめ讃えます。命のある限り、あなたを讃え、手を高く上げ、御名によって祈ります。私の魂は満ち足りました。床に就くときにも御名を唱え、あなたへの祈りを口ずさんで夜を過ごします。あなたは必ず私を助けてくださるからです。 アーメン




3月22日(日) 歴代誌上8章

「ヨナタンの子は、メリブ・バアル。メリブ・バアルにはミカが生まれた。」 歴代誌上8章34節

 8章には、7章6節以下に記されている「ベニヤミンの子孫」とは別の、「ベニヤミンの子孫」のリストがあります。ベニヤミンの長男ベラ以外は、全く違う名が列挙されています。そして、双方とも、創世記46章21節のベニヤミンの子らのリストと一致しません。どう考えてよいのか分かりませんが、違いを推理してみるのも一興でしょう。

 この箇所で、ユダ、レビを除く他の部族に比べて大きく取り扱われています。また、最後にベニヤミンを扱っているのは、ヤコブ=イスラエルの12人の子らの中で最後に生まれたものだからです。そして、最初にユダ、真ん中でレビ、そして最後にベニヤミンを扱うことで、全部族を囲みこむユダ-レビ-ベニヤミンという枠が完結します。

 ベニヤミン族の中でサウルの家系が突出して記されています。ベニヤミン族出身のキシュの子サウルは(33節)、イスラエルで最初の王様になりましたが(サムエル記上10章)、神の言葉に従わなかったために、王位をダビデに譲らねばなりませんでした(同16章)。王権の委譲を嫌ったサウルは、ダビデの命を執拗に狙いましたが(同18章以下)、結局果すことが出来ないうちに、ペリシテとの戦いで命を落としてしまいます。

 その上、愛息ヨナタンも戦死します(同31章)。ヨナタンは信仰心篤く、逃亡中のダビデを支え続けた素晴らしい人格の持ち主ですが(同14章6節、18章1,3節、19章1節以下、20章1節以下、23章18節以下)、父の罪の呪いを受けた形となりました。

 これらのことは、新しくユダヤの王となる赤ん坊がベツレヘムに生まれたというニュースを聞いたヘロデ大王が、ベツレヘム周辺の2歳以下の男児を皆殺しにして、主イエスを亡き者としようとしたこと、けれども、神に守られて、結局果たせなかったということにも通じているようです(マタイ福音書2章)。

 主イエスは、ダビデの子孫として、この世においでになりました(マタイ1章1節、ローマ書1章3節など)。そして、「わたしはよい羊飼いである。よい羊飼いは羊のために命を捨てる」と語られ(ヨハネ福音書10章11節)、十字架で死なれました。因みに、十字架に掲げられた罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書かれていました(同19章19節)。

 主イエスの前に来た者は、神の栄光を盗み、御子の命を奪おうとする強盗でした(同10章8節)。しかし、真の王は、よい羊飼いとして、「羊」(私たち人間のこと)のために命を捨てます。それは、羊が命を受け、しかも豊かに受けるためです(同10章10節)。

 羊が命を受けられるのは、ただ神の憐れみ、神の恵みです。しかしそれは、御子イエスの命とひきかえに与えられた、とても重い恵みです。量ることが出来ないほどの豊かな恵みです(エフェソ書2章4節以下、8節)。

 サウルは、自分の蒔いた罪の結果を刈り取らなければなりませんでした。その子ヨナタンも、3,4代に及ぶ罪の呪いを受ける形で、父サウルと共に戦死しましたが(出エジプト記20章5節参照)、ただ一人、ヨナタンの子メリブ・バアル(「バアル(主)に愛される者」の意、サムエル記下9章6節ではメフィボシェト=「恥を振りまく者」の意)だけは、ダビデとヨナタンとの契約のゆえに守られました(サムエル記上20章15,16節参照)。

 メリブ・バアルはいつもダビデと一緒に食卓を囲む者とされました(サムエル記下9章7,13節)。冒頭の言葉(34節)には、メリブ・バアルの子孫の名が挙げられています(歴代誌上8章34節以下)。そこに、神の憐れみを感じます。

 というのは、ダビデとヨナタンとの間に交わされた契約は、ダビデの子らがダビデのゆえに祝福に与り続ける間、有効に機能しているということを、その系図が示しているからです。そしてそれは、ダビデとヨナタンとの契約だからというだけでなく、メリブ・バアルがダビデの前に全く謙遜に歩んだからです。

 召使いツィバに欺かれるようなことがあり(サムエル記下16章3節)、ダビデはツィバの讒言を真に受けてしまいますが(同19章26,30節)、メリブ・バアルの謙遜な態度は終始一貫、ダビデの前に生涯変わることがありませんでした(同9章8節、19章27~29,31節)。主なる神は、心の謙った者を決して軽しめられはしないのです(詩編51編19節など)。

 私たちも主イエスの深い憐れみにより、主と共に食卓を囲むという、主との親しい交わりに加えて頂いた者として(黙示録3章20節、第一コリント1章9節、第一ヨハネ1章3節)。常に主の御前に謙り、絶えず御言葉に耳を傾けながら、従順に歩ませて頂きたいと思います。

 主よ、今日も御言葉と祈りの交わりに導いてくださり、感謝致します。恵みに与って喜びに満たされ、隣人にその恵みを分かち合う福音の交わりが前進しますように。御霊の満たしと導きに常に与らせてください。御心が行われますように。弱い私たちを試練に遭わせないで、悪からもお守りください。 アーメン




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