風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2015年01月

ライバルが手を結ぶ日

今日もらったメルマに、「今日は、ライバルが手を結ぶ日」としるされていました。
それは、1866年(慶応2年)の今日、
長州の木戸孝允、薩摩の西郷隆盛らが土佐の坂本竜馬らの仲介で京都で会見し、倒幕の為に薩長同盟(薩長連合)を結んだからだそうな。

調べてみると、薩長が同盟を結んだのは、確かに慶応2年1月21日なのですが、新暦に合わせると、それは1866年3月7日のことで、京都の小松帯刀邸で結ばれた軍事同盟でした。

急進的攘夷論を奉じて討幕を目指す長州に対し、公武合体の立場で幕府の開国政策に同意しつつ幕政改革を進める薩摩は互いに相容れず、禁門の変以降、両者の敵対関係は決定的となりました。
その後、朝敵となって長州征伐を受けるなど窮地に立たされた長州と、幕政改革が一向に進まないことで幕府に対する強硬派が登場して来た薩摩が、紆余曲折を経て、坂本竜馬、中岡慎太郎らの斡旋を受けて和睦、6か条の軍事同盟を結ぶことになったということです。
それは主に、長州征伐に際して薩摩が京都に出兵して幕府に圧力をかけたり、朝廷に対する工作をしたりして、長州に物心両面で協力するという内容で、このときは未だ、共に討幕を目指すという内容ではなかったようです。

立場や主義主張を越えて手を結ぶために、人を介して両者が出会う場が設けられる、それを仲介する人がいるということが、あり得そうにないことを実現する第一歩だと、改めて思います。

以前、坂本竜馬が亀山社中を結成し、寄寓していた家(現在は記念館となっている)を見学したことがあります。
そこは、もともと、亀山焼という焼き物の再興を図った一族の屋敷だったそうです。
10畳、8畳、3畳、土間という間取りの母屋と、その北側に、今は残っていない土蔵と馬屋があったそうです。
3畳間の上に中二階が設けられていて、有事の際に大人数名が身を潜められる造りになっていました。
小さな家ですが、時代を変える大きな夢が描かれていたのだと思います。

薩長の軍事同盟が可能になった背景には、亀山社中が、長州藩のために薩摩藩名義で小銃や蒸気船の購入する仲立ちを成功させたことがあります。
つまり、長州が資金を出して、朝敵とされていた長州藩のために薩摩藩が名義を貸して、長崎のグラバー商会を通じて上海から購入・搬入する仲立ちをし、蒸気船の操船も亀山社中が請け負うという協定が功を奏したということです。

世界を平和にするために、仲立ちとなる知恵と行動力を持った人の登場が待たれます。








1月21日(水) サムエル記下19章

「あなたたちはわたしの兄弟、わたしの骨肉ではないか。王を連れ戻すのに遅れをとるのか。」 サムエル記下19章13節

 反乱軍の首謀者アプサロムが討ち取られ(18章15節)、ダビデ軍が勝利を収めました。けれども、素直に喜べません。アブサロムはダビデの息子です。本来ならば、王位継承順位で筆頭にいるはずの存在です。ダビデはアブサロムの存命を願いましたが(18章5節)、ヨアブはそれに従いませんでした(同11,14節)。

 ダビデはアブサロムの死を悼み、大声を上げて嘆きます(1,5節)。何故、こんなことになってしまったのでしょう。それはすべてダビデ自身が播いた種、自分の犯した罪の結果であると、改めて思い知らされていたのではないでしょうか。ダビデはむしろ、死ぬべきは若いアブサロムではなく、自分の方だったと考えていたのだと思います。

 そうしたダビデを察してか、凱旋軍が喪に服するかのように、音も立てないようにして都に戻って来ました(3,4節)。彼らはダビデを畏敬し、悲嘆の中から立ち上がるのを、じっと待つのです。 

 それを知った軍の司令官ヨアブは、嘆き続けているダビデのもとに行き、「アブサロムが生きていて、ダビデの兵が皆死んでいたらよかったのか。今出て来て兵に言葉をかけなければ、今後、ダビデのために働く者はいなくなる」と諭します(6節以下)。確かに、ダビデのために働いた兵士に感謝をもって報いなければ、今度は彼らが背く者となるでしょう。それで、ようやくダビデは、帰還した兵士に労いの挨拶をしました(9節)。

 一方、アブサロムを担いで王にしようとしたイスラエルの人々が、再びダビデを王として迎えるべく、動き始めます(10節以下)。そのとき、態度を決めかねていた部族があります。それは、ユダ族です。その大半がダビデを見限り、アブサロムの側についたのです。特に、ユダの長老たちは、ダビデの報復をどれほど恐れていたことでしょうか。だから、何も出来ずにいたのでしょう(11節参照)。

 中でも、軍の司令官アマサは、ダビデの懲罰を覚悟していたと思います。アマサはダビデの甥(ダビデの妹アビガイルの子)であり、ヨアブの従弟に当たります(6章25節、歴代誌上2章16,17節)。骨肉の争いといいますが、血を分けた者同士の争いは、他人同士以上の憎しみを生むものでしょう。

 そのような彼らに対して、ダビデの方から働きかけました(12節以下)。長男アムノンを殺し、謀反を起こした息子アブサロムの死を悼み、嘆いていたダビデです。どうして、自分の多数の親族を失うことが出来るでしょうか。彼は、腹心の友、祭司ツァドクとアビアタルを通して、ユダの長老たちに自分を王宮に連れ戻すように、伝言させたのです。そして、アマサをヨアブに代えて軍の司令官に迎えると誓うのです(14節)。

 これは、ヨアブが自分の命令に従わずに、息子アブサロムを殺したことに対する報復人事ということなのでしょう。けれども、この言葉は、ダビデの報復を恐れていたユダの人々を、どれほど安心させたことでしょうか。ダビデの寛大な処置を、どんなに喜んだことでしょうか。ですから、彼らは一致してダビデを迎えるのです。

 15節に、「ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした」とありますが、ダビデが寛容さを示していなければ、逆にユダ族は、アマサを自分たちの指導者として立て、ダビデ・イスラエルに敵対する勢力になっていったかも知れません。かくてダビデは、クーデター派の人々には、全く報復をしません。誰に対しても寛容さを示しました。それによって、ダビデはイスラエルのすべての部族の再統一に成功したのです。

 主イエスは、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5章44節)と命じられました。それは容易く出来ることではありませんが、主イエスご自身、十字架の上で、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか如らないのです」(ルカ福音書23章34節)と、ご自分を殺そうとする人々の赦しのため、執り成し祈られました。

 また、私たちが王なる主イエスを心の王座に迎えるよう、主イエスの方から私たちの心の戸口に立って、その扉をノックされます(ヨハネ黙示録3章20節)。主イエスが、私と共に食車を囲み、互いに親しい交わりをしようと言われるのです。実に、神の御子が私たちの兄弟、私たちの骨肉となってくださったのです。

 朝ごとに主に向かって心を開き、御言葉に従って、心の王座に主イエスをお迎えしましょう。

 主よ、世界は今、様々な力の台頭に振り回されています。平和で豊かな暮らしを守るために、知恵が求められています。不安や恐れによって徒に走り回ることなく、あるいは、力づくで相手を言いなりにするというのでなく、互いに信頼し、尊敬し合える関係を築くことが出来ますように。敵を愛し、迫害する者のために祈るように教え、十字架上で実践された主イエスを、絶えず心の王座に迎えます。私たちを主の望まれるような者に造り替えてください。御心がこの地の上でも行われますように。 アーメン



1月20日(火) サムエル記下18章

「王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じた。『若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ』。兵士は皆、アブサロムについて王が将軍たち全員に命じるのを聞いていた。」 サムエル記下18章5節

 ダビデ軍の戦いの用意が整いました。ダビデは軍を三つに分け、軍の司令官ヨアブとその兄弟アビシャイ、そして、傭兵のガト人イタイを部隊長に任じます(2節)。ダビデは、兵士たちの要求によって町に留まり(3,4節)、出陣して行くヨアブらに冒頭の言葉(5節)の通り、「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」と命じました。

 つまり、ダビデがこの戦いで最も気にかけていたのは、息子アブサロムの命だったわけです。そのことは、戦わずしてエルサレムの王宮を明け渡したところにも表れていました(15章14節)。ダビデが出陣しようとしたのも、アブサロムを何とか保護したかったからなのでしょう。この時ダビデは、王としてではなく、父親として振る舞っています。

 ただ、そうはいっても 、アブサロムは謀反人です。だから、「我が子アブサロム」ではなく、「若者アブサロム」と言います。また、新共同訳は、訳出されていませんが、「リー」(わたしのため(口語訳)、私に免じて(新改訳))と言っています。アブサロムには同情の余地はないが、ダビデが一人の父親として振る舞いたいと考えているという表現なのでしょう。

 しかしながら、ダビデは息子を「若者」と呼びましたが、アブサロムは、決して分別を弁えない成人前の若者などではありません。既に息子三人に娘一人を持つ、40歳の壮年です(14章27節、15章7節)※1。

 しかも、謀反を起こして父親を王の座から追放し、自ら王として振る舞っている男です。そのような人物を生かしておくことは、必ず、将来に禍根を残すことになるでしょう。ダビデの命が常に狙われることになりますし、国内の安定と幸福が絶えず脅かされることになります。

 既に、事態は後戻りを許さないところにまで来てしまいました。もはや、父子が和解し、交わりを回復する時期は過ぎてしまったのです。つまり、軍の司令官ヨアブにとっては、王ダビデを守り、国の安泰を図るためには、どうしても謀反人アブサロムは殺さなけれぱならない相手なのです。

 いよいよ、戦いが始まります。戦場は、「エフライムの森」と報告されています(6節)。ダビデはマハナイムに陣取り(17章24,27節)、アブサロム率いるイスラエル軍はヨルダン川を渡ってギレアドの野に布陣したのに(同24,26節)、何故また、ヨルダン川を渡ってエフライムの森に戦場を移したのか、よく分かりません。ただ、その戦いは、アブサロム率いるイスラエル軍の大敗北で、2万の兵を失いました(7節)。

 森林さえダビデに味方したことが、8節に記されています。そして、イスラエルの王アブサロムも、樫の大木に首をひっかけて宙づりになりました(9節)。「天と地の間に宙づりになった」ということで、神がアブサロムの身柄を捕捉し、それを見つけた者に取り扱いを委ねているかのようです。

 それを見つけた兵がヨアブに報告し(10節)、なぜその場で地に打ち落とさなかったのか」と尋ねます(11節)。それは、迷わず殺せということです。兵が、それは王の命に背くことだとして拒みむと(12,13節)、自ら手を下してしてしまいます(14節)。

 やがて、アブサロム戦死の報をがダビデのもとに届くと(32節)、ダビデは悲嘆にくれました(19章1節:口語訳は18章33節)。ダビデにとって、アブサロムは謀反を起こした憎むべき者であり、王位継承者として期待していた長男アムノンを殺害した(13章23節以下)、しばらく顔も見たくないと思った相手です(14章24節)。しかしながら、前述のとおり、確かにダビデにとって愛すべき息子でもあったのです。

 主イエスは、「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」と語られました(マタイ福昔書7章11節)。自分の子どもに対する父親の愛がそうであるならば、独り子イエスに対する天の父なる神の心は、何と複雑なものだったことでしょう。悪い者を救うために、その独り子を犠牲になさったのです。

 聖なる神にとって、「生まれながら神の怒りを受けるべき者」(エフェソ2章3節)であった私たち悪しき者の罪を、そのままに放置したり、裁きなしに赦したりすることは出来ません。そこで、私たちを愛し救うために、私たちのすべての罪の呪いを独り子に負わせたのです。

 そして、その罪を徹底的に裁かれました。それは、十字架の苦しみを味わわせ、黄泉にまで落とさなければなりませんでした(使徒2章27,31節)。主イエスが十字架の上で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれたとき(マルコ15章34節)、父なる神はそれをどのようにお聞きになられたのでしょう。父の呻き嘆く声が聞こえるようです。

 私たちはこの神の愛により、恵みによって救われました(エフェソ2章8節)。罪が赦されました(コロサイ1章14節)。神の子とされました(ヨハネ1章12節)。聖霊の導きによって、幼子が父親を呼ぷように、主なる神に向かって「アッバ(お父ちゃん)」と呼ぷことが許されたのです(ローマ8章15節)。主にあって、永遠の命に生きる者として下さったのです(第一ヨハネ5章11節)。

 感謝をもって主を仰ぎ、絶えず主の御言葉に耳を傾け、御旨に従って参りましょう。

 主よ、私たちは罪人の最たる者ですが、憐れみによって神の子とされ、御愛のうちに生かされています。その恵みを心から感謝致します。常に耳が開かれて、御声をさやかに聞くことが出来ますように。喜びと感謝をもって日々主と共に歩み、委ねられた使命に励むことが出来ますように。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン

註1・・18節に、「アブサロムは…跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思った…」とあり、14章27節と矛盾します。諸説あるようですが、三人の子があったけれども、何らかの理由で早く息子たちが亡くなり、石塚を立てていたと考えるのが、一番自然ではないかと思われます。



1月19日(月) サムエル記下17章

「アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案がアヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである。」 サムエル記下17章14節

 王宮を脱出したダビデにすぐ追っ手をかけるため、1万2千の兵を託して欲しいと、アヒトフェルがアブサロムに求めました(1節)。疲れて力を落としているところを急襲すれば、必ずダビデを討ち取ることが出来るというのです(2節)。

 この提案を聞いたアブサロムは、しかし、アルキ人フシャイの言うことも聞いてみようと言って呼び出します(5,6節)。フシャイは、15章30節に初めて登場して来ます。フシャイを同37節では、「ダビデの友」と呼んでいます。王の友とは、単なる友人ではなく、宮廷で王に仕える高官で(列王記上4章1節以下、5節参照)、相談役のことです。

 フシャイは、王宮を逃げ出したダビデの前に姿を現しましたが(15章32節)、ダビデはフシャイに、都に留まってアブサロムに取り入り、顧問アヒトフェルの策を覆すため(同34節)、祭司ツァドク、アビアタルと行動を共にするようにと要請しました(同35節)。フシャイはその要請を受けて、エルサレムに戻り、アブサロムに仕える者となります(16章16節以下)。

 アブサロムに呼び出されたフシャイは、アヒトフェルの提案を否定し(7節以下)、アブサロム王の下に、ダンからベエルシェバまで、全イスラエルの兵士を集結させ、全軍をアブサロム自身が率いてダビデに襲いかかれば、一人残らず滅ぼすことが出来ると提案しました(11節以下)。

 実際には、手持ちの兵ですぐ夜襲をかけるというアヒトフェルの提案の方が、より確実にダビデを打ち取ることが出来たと思われます。イスラエル全地から兵を集めるには、とても時間がかかリますし、そうなると、逃げ出したダビデも、態勢を整えることが出来ます。そうなると、戦いの行方はどちらに転ぶことになるか、分かったものではありません。

 ただ、アヒトフェルが自分で軍を率いると提案したのに対し、フシャイはアブサロムが率いて戦いに臨むと提案しているところが、決定の分かれ目になったのではないでしょうか。つまり、その戦いの功名をアヒトフェルが握るのか、それともアブサロムが手にするのかという点です。

 しかも、自分の檄でイスラエル全地の兵が集まるという提案は、どんなにアブサロムの耳に心地よく響いたことでしょう。そのうえ、アブサロムに災いを下すため、主なる神がそこに加担しておられます(14節)。かくて、優れたアヒトフェルの提案は退けられ、ダビデを逃亡させるために、ダビデの友フシャイの提案が採用されたのです。

 こうして、ダビデに危機を逃れ、態勢を立て直すための時間的な余裕が与えられました。フシャイは、そのことを祭司ツァドクとアビアタルに告げ、急いでダビデに使者を送り、荒れ野の渡し場を渡るよう伝えさせます(15,16節)。祭司らは、自分の息子ヨナタンとアヒマアツを使者としてダビデに送ります(17節、15章36節参照)。

 ところが、この二人のことをアブサロムに知らせた者がいて、追っ手がかかりますが(18,20節)、彼らは、バフリムのある男の家で匿われ、無事に務めを果たすことが出来ました(18節以下)。

 そこでダビデの一行は、直ぐにヨルダン川を渡り(22節)、マハナイムに行きました(24節)。マハナイムは、かつてサウルの子イシュ・ボシェトが都を置いたところです(2章8節以下)。当然、サウル家に加担したいと考えている人々が少なくないことでしょう。であれば、ダビデをアブサロムに売る、あるいは寝首をかくという人々が出て来るかもしれません。

 ところが、アンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ロゲリム出身のギレアド人バルジライがやって来て、寝具やたらい、陶器、そして、様々な食料品を差し入れ、ダビデたちを労いました(27節以下)。その理由は記されていませんが、サウルやヨナタンを葬ったヤベシュの人々にダビデが語ったこと(2章5節以下)、ヨナタンの子メピボシェトに行ったことを(9章1節以下)、好感していたのではないでしょうか。

 このように、ダビデのためには次々と、様々な協力者が現れます。ダビデには欠点が多くありますが、しかし、彼が軍人として、また王として、イスラエルのために行動して来たことが、どれほど多くの人々に支持されていたかということを、ここに見ることが出来ます。

 それにひきかえ、アブサロムは重要な人物を失います。なんと、彼の参謀アヒトフェルが、自分の提案が受け入れられなかったということで、自宅に戻り、首をつって死んでしまうのです(23節)。

 ダビデに態勢を立て直す時間を与え、そして戦いを交えることになればどうなるか、アヒトフェルには予想がついたのでしょう。そして、先にはダビデの顧問として仕えていた自分が、主君を見限ってアブサロムに乗り換えたわけですから、アブサロム軍が敗れれぱ、自分がどのような目に遭わされるのかということも、見当がついたのです。

 そして、前述のとおり、主の御手があります。アヒトフェルの提案を聞いたとき、アブサロムにもイスラエルの長老全員の目にも、正しいものと映っていたのに(4節)、アブサロムはフシャイの提案を聞いてみようと言い出しました。そして、フシャイの提案の方がアヒトフェルの提案よりも良いという、誤った判断に導かれます。それは、油注がれた父ダビデに手をかけて殺そうとするアプサロムに、主が災いを下す決定をなさったからです。

 神は地上の営みを見ておられます。それは、ご自身の御心が行われるためです。主を畏れ、主に聴き、主の御旨に従って歩みたいと恵います。

 主よ、私たちは心に様々なことを思い図りますが、しかし、あなたの御旨だけが堅く立ちます。あなたは、ダビデを憐れみ、救いを与えられました。その憐れみは、私たちの上にも日々注がれています。恵みに与った者として、主の御業のために用いられるものとしてください。御名が崇められますように。御心がこの地の上になされますように。 アーメン



1月18日(日) サムエル記下16章

「主がわたしの苦しみをごらんになり、今日の彼の呪いに変えて幸いを返してくださるかもしれない。」 サムエル記下16章12節

 ダビデは、息子アブサロムの謀反が明らかになってから、誰とも戦おうとしません。エルサレム城内に留まってアブサロム率いる反乱軍と戦えば、必ずダビデの方が負けるということでもなかったのではないかと思います。

 しかし、ダビデはエルサレムの町が戦乱で荒らされ、町の人々に危害が及ぶことを避けました(15章14節参照)。勿論、息子と血で血を洗う戦いをすることは、絶対にしたくなかったのでしょう。そして、自分の運命を主に委ねています(15章25~26節)。

 本章では、ダビデが先ず、ヨナタンの息子メフィボシェトの従者ツィバの出迎えを受け(1節)、その折、ツィバはメフィボシェトのことを、「『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す』と申していました」と、ダビデに告げます(3節)。ダビデが王宮を明け渡した今、王座がサウルの孫メフィボシェトに返されると考えているというわけです。 

 ただ、19章25節以下の記事と合わせて考えると、ツィバの言葉をそのまま鵜呑みには出来ません。恐らく、ツィバ自身が、エルサレムを追い落とされるダビデと、ダビデを追い出すアブサロム、どちらに着くべきかと考えていること、その考えの先には、あるいは、ダビデ家の内紛を通じて、サウル王家復興の目があるかどうかを考えていたのではないでしょうか。

 そして、このところは先ずダビデを応援しよう、ダビデの側に着こうと表明し、一方、メフィボシェトはアブサロムの反抗がサウル王家の復興を後押しすると考えているということで、サウル家の残党は、アブサロムに味方するだろうと、ダビデに伝えているわけです。そうすることで、ツィバは、自分の立場をより高いものにしようとしているのです。そう考えると、これはツィバの作り話である可能性は、決して小さくありません。

 しかるに、それを聞いたダビデは、何の調査をするわけでもなく、直ぐにツィバの言葉に基づいて、メフィボシェトを自分に反抗する側の人間だと断じ、9章9節でメフィボシェトに与えることにしたサウル家の所領を、すべてツィバのものとすると宣言します(4節)。

 これはまた、自分に反抗する者はその所領が取り上げられ、それを忠誠を示す者に与えることにするぞという、王として警告する言葉とも言えるでしょう。

 次に、サウル一族の生き残りシムイがダビデを呪います(5節以下)。そうした呪いの言葉を口にしながら、彼は、サウル王家の復興を願っているのです。ただ、シムイの言葉には誤解、曲解が多々あります。そもそも、ダビデがサウルとその家の者に手をかけようとしたことはありません。しかしながら、ダビデはシムイの言葉を甘受します。

 ダビデの司令官ヨアブの弟アビシャイが、シムイを討たせてくださいと進言しますが(9節)、「主がダビデを呪えとお命じになったのであの男は呪っているのだろう」と答えます(10,11節)。ダビデは、シムイの呪いの言葉を、神の裁きと受け止めました。サウルの家が退けられたのはまさに主の裁きでしたが、ダビデも確かに、「流血の罪を犯した男」(8節)だったのです。

 ダビデが逃げ出したあと、入城したアブサロムは(15節)、アヒトフェルの言葉に従って、王宮に残っていたダビデの側女のところに入りました(21,22節)。それは、王位を自分のものにしたというデモンストレーションです(3章6節以下参照)。また、ナタンがダビデを叱責した言葉のとおりのことです(12章11節)。かくて、アヒトフェルの提案は神託のようだと、アブサロムのみならず、ダビデも受け止めていたようです(23節)。

 ダビデは、誘惑の前に弱い人間の代表です。決して強い者ではありません。しかし、罪が示されるとそれを素直に認め、悔い改めることの出来る人物です。今ここに自分の罪に対する裁きが語られ、王位がアブサロムに渡されるというのなら、それをそのままに受け入れます。そのようにして徹底的に主に従う悔い改めの道を歩もうとする人物なのです。

 悔い改めとは、自分のしたことを後悔すること、懺悔することというよりも、はっきり向きを変えて神に従うこと、神の言われるとおりにするということです。詩編23編は、アブサロムに追われて放浪しているときに詠ったものだと聞いたことがあります。そこに見られるように、ダビデは、死を覚悟しなければならない状況の中で、主の御顔を仰ぎ、主の導きによって平安と希望を見出す経験をしたのです。

 ダビデは、シムイの呪いの言葉を主の裁きと聞いて、謙りました。そのように、主に従って歩む中で、冒頭の言葉(12節)の通り、「主がわたしの苦しみをご覧になり、今日の彼の呪いに変えて幸いを返してくださるかもしれない」、いや、憐れみの神はきっとそうしてくださると、信じることが出来たのです。

 主は、「打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」お方です(詩編34編19節)。どう祈ってよいのか分からずにただ呻いている弱い私たちを顧み、聖霊の執り成しの呻きを聞き届けて(ローマ書8章26節)、万事を益に変えてくださるお方、どんなマイナスもプラスにされるお方です(同28節)。そのように信じることの出来る者は幸いです。

 日々、愛と憐れみを限りなく注いで下さる主を信じる、幸せ者の道を歩ませていただきましょう。

 主よ、私たちの心を真理の光で照らしてください。私たちの内に迷いの道があるかどうかをご覧ください。どうか私たちを、永久の道に導いてください。私たちを憐れみ、万事を益となるように働いてくださることを感謝します。全世界に主の慈しみがとこしえに豊かにありますように。 アーメン



アルフォンス・デーケン先生 講演会

今日、静岡いのちの電話の開局15周年を記念して、アルフォンス・デーケン先生の講演会が、アイセル21(静岡市女性会館)大ホールで開かれました。
 
ご承知のとおり、デーケン先生は1959年に来日されて、長年上智大学で教鞭をとられ、現在名誉教授となっておられます。また、1952年にイエズス会入会、1965年に司祭に叙階されています。

講演の内容について、レジュメの項目で紹介します。

演題「よく生き よく笑い よき死と出会う」

1.生と死を考える
 
 A.「死への準備教育 death education 」の意義
  ★死の四つの側面
  ①心理的な死 psychological death  ②社会的な死 social death
  ③文化的な死 cultural death    ④肉体的な死 biological death
 
 B.「悲嘆教育 grief education 」の果たす役割
  ★悲嘆のプロセスの12段階
  ①精神的打撃と麻痺状態  ②否認  ③パニック  ④怒りと不当感
  ⑤敵意とルサンチマン(恨み)  ⑥罪意識  ⑦空想形成、幻想
  ⑧孤独感と抑鬱  ⑨精神的混乱とアパシー(無関心)
  ⑩諦め―受容  ⑪新しい希望―ユーモアと笑いの再発見
  ⑫立ち直りの段階―新しいアイデンティティーの誕生
 
 C.「配偶者の死に備える教育 pre-widowhood education 」の必要性
  ◆「大きな苦しみを受けた人は、恨むようになるか、優しくなるかのどちらかである」
    アメリカの著述家ウィル・デューラントの言葉
 
2.心のケアに携わる人に望ましい基本的な態度
 
 A.傾聴する姿勢~こころを開いて相手の話に耳を傾ける
 
 B.個性の尊重~相手の気持ちに寄り添う
 
 C.出会いによる癒し
  ①sterbebegleitung(末期患者と共に歩む)~「すること doing」と「いること being」
  ◆「Der Helfer ist die Hilfe 助け人自身が助けである」
    デンマークの実存哲学者キルケゴールの言葉
  ②共同体体験による癒し
  ◆「Geteilte Freude ist doppelte Freude,geteiltes Leid ist halbes Leid
    共に喜ぶのは2倍の喜び、共に悲しむのは半分の悲しみ」
    ドイツの古い諺
 
 D.希望
  ①思い煩いからの解放 「晴れてもアーメン、雨でもハレルヤ!」
  ②苦しみの意義~永遠の生命への希望
  ★希望への祈り
  「神よ、私に変えられないことは、そのまま受け入れる平静さを。変えられることは、直ぐにそれを行う勇気
   を。そして、それらを見分けるための知恵を、どうぞお与えください。」
 
 E.発想の転換~「第三の人生」への六つの課題
  ①手放すこころ~執着を断つ(英 let go 独 loslassen)
  ②赦しと和解~こころのケア spiritual care の大切さ
  ③感謝の表明 think と thank  考えれば考えるほど感謝が生まれる
  ④さよならを告げる   ⑤遺言状の作成
  ⑥自分なりの葬儀方法を考え、それを周囲に伝えておく
  ◆何を「持つ」かよりも、いかに「ある」か  ガブリエル・マルセルの説
 
3.こころの絆を結ぶユーモア
 
 A.ユーモアは愛と思追い遣りの表れ
 
 B.自己風刺のユーモアの大切さ
  ◆「Humor ist,wenn man trotzdem lacht. ユーモアとは、『にもかかわらず』笑うことである」
    ドイツの有名な定義

 
項目だけではわからないことが多いでしょうけれど、中身は先生の著書なり、全国各地で行われる講演会に参加されるなりして埋めてください。
とても意義深い、そして愉快な講演会でした。

1月17日(土) サムエル記下15章

「主は生きておられ、わが主君、王も生きておられる。生きるも死ぬも、主君、王のおいでになるところが僕のいるべきところです。」 サムエル記下15章21節

 ダビデは、軍の司令官ヨアブの言葉を受け入れて、アブサロムの帰国を許しました(14章21節)。そして、2年の謹慎の後、アブサロムはダビデの前に出ることを許されます(同33節)。

 14章25節以下には、特にアブサロムの美しさに触れられています。また、軍の司令官ヨアブの肩入れもあります。それらのことから、次第にイスラエルの民は、アブサロムがダビデ王の正当な後継者になると期待するようになったのではないでしょうか。

 しかし、一連のダビデの態度から、このままの成り行きで自分に王位を譲るはずはないと悟ったアブサロムは、時間をかけて父から王位を奪い取る計画を立てました。先ず、自分のために戦車と馬、50人の護衛兵を整えます(1節)。それから、城門の傍らに立って、王に裁定を求めてやってくる人々の心をつかむために腐心します(2節以下)。

 やがて多くの人々の心をつかんだアブサロムは、40歳を機にヘブロンに向かい、旗揚げの用意をします(7節以下)。さらに、ダビデの顧問であったギロ人アヒトフェルを参謀として迎えることにも成功し(12節)、ついに、父ダビデに対して反旗を翻したのです。

 アヒトフェルの子エリアムは、ダビデの勇士の一人に数えられています(23章34節)。また、ダビデが妻として迎え入れたバト・シェバは、エリアムの娘です(11章3節)。つまり、アヒトフェルは、バト・シェバを妻として迎えた時点でダビデの義祖父になったわけです。そのような人物が、ダビデを離れてアブサロムにつくようになったのです。

 それを皮切りに、アブサロムのもとに集まる民の数が数を増していったということは(12節)、ダビデが年齢を重ねて代替わりの時が近づいていることに加え、彼の犯した罪や、ダビデ家内の騒動が国内に様々な影を落とし、それで心がダビデから離れたという人々もかなりいたということなのでしょう。

 けれども、ダビデには頼りになる友も少なくありませんでした。「友の振りをする友もあり、兄弟よりも愛し、親密になる人もある」という言葉があるように(箴言18章24節)、息子アブサロムに背かれたダビデを、命がけで守ろうとする友人たちがいるのです。その一人が、ガト人イタイです。

 ガトは隣国ペリシテの都です。イタイは、ダビデに雇われた傭兵部隊の隊長です(18章2節参照)。昔の王は、国内の政治状況に左右されない外国人を個人的な護衛兵として雇うということがあったのです。

 ダビデがサウルに追われて、ガトに逃避していたことがあります(サムエル記上27章)。サウルの死後、ダビデはユダの王となり(サムエル記下2章)、やがて全イスラエルの王となりました(5章1節以下)。その後、攻め上って来たペリシテを返り討ちにし、彼らを討ち滅ぼしました(同17節以下)。

 エルサレムを逃げ出すに際し、クレタ人、ペレティ人、ガト人がダビデについて行こうとしていました(18節)。クレタ人もペレティ人も、ペリシテの人々です。長い間敵対し、自分たちを討ち滅ぼしたダビデのところに亡命し、傭兵となっているというところに、彼の仁徳があらわされているのでしょうか。

 その中にいたガト人イタイに、「あなたは外国人だ。しかもこの国では亡命者の身分だ。昨日来たばかりのあなたを今日我々と共に放浪者にすることはできない。わたしは行けるところへ行くだけだ。兄弟たちと共に戻りなさい」(19,20節)と、帰国を勧めます。

 そのときに、ガト人イタイがダビデに語ったのが、冒頭の言葉(21節)です。イタイは、ダビデの曾祖母、モアブ人ルツが姑ナオミに示したのと同じ忠誠と献身を、ここに示したのです(ルツ記1章16~17節)。もしかすると、自分自身の危機において、自分のことより傭兵のことを心にかけてくれるダビデの心情に触れて、何があってもダビデについて行こうと決めたのでしょうか。

 私たちは、主イエスが十字架の上で、自分を殺そうとする者のために父なる神に執り成し祈られた、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)という言葉で、深い主の憐れみに触れました。そうして、主を信じ、主に従う者とならせていただきました。

 イタイのように、「主は生きておられます。生きるも死ぬも、主がおいでになるところが僕のいるところです」と、常にその信仰を言い表す者にならせていただきましょう。いえ、私たちの主は、既に私たちのところにおいでになり、常に共にいて下さいます。主イエスは、「インマヌエル」(「神我らと共にいます」という意味)と唱えられるお方なのです(マタイ1章23節、28章20節)。ただただ感謝です。

 主よ、アブサロムの反逆は、元を正せば、ダビデの罪でした。預言者ナタンが告げていたとおりです。しかし、あなたはダビデを憐れまれました。同じ憐れみが、私たちにも注がれています。20年前、阪神淡路大震災が襲いました。4年前、東日本を地震と津波が襲ったとき、阪神淡路の経験が生かされる部分もありました。未曽有の、想定外の経験が、これから一つ一つ事前に想定し、対策することを教えてくれています。全世界に、インマヌエルの主の平安と喜びが常に豊かにありますように。 アーメン



1月16日(金) サムエル記下14章

「王様は神の御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上に起こることをすべてご存じです。」 サムエル記下14章20節

 アムノンを殺してゲシュルに逃げたアブサロムをどうすべきか、ダビデは悩みました(13章37節以下)。ゲシュルは、妻であり、アブサロムの母であるマアカの母国ですし、ゲシュルの王アミフドの子タルマイは、アブサロムの祖父です(3章3節参照)。放置しておけば、二度とアブサロムはダビデの下に帰って来ないかも知れません。皇太子を失った今、続けてアブサロムも失うことになるのは、ダビデとしては、どうしても避けたいところでしょう。

 ダビデは、イスラエルの王として、「裁きと恵みの業(公正と正義)」を行うために、皇太子を殺害したアブサロムを処罰すべきで、国外追放となってもやむを得ないと、その頭では考えるのですが、その心は、父親としてアブサロムに愛を示し、その罪を赦してやりたいのです。13章39節で、「アムノンの死をあきらめた王の心は、アブサロムを求めていた」というのはそのことでしょう。

 そもそも、アブサロムがアムノンを討ったのは、妹タマルの復讐のためでした。初めにダビデがアムノンに対して断固とした態度を取っていれば、アブサロムが妹のことでアムノンに憎悪の炎を燃やし、殺害する必要はなかったと考えられるからです。

 ダビデの心を察した軍の司令官ヨアブは、アブサロムを連れ戻すために一計を案じました(1節)。ヨアブに命じられて、ダビデのもとに一人の女性が遣わされ、ダビデの知恵を求めます(2節)。それはちょうど、ダビデが自分の罪を悟るように、神がナタンを遣わして語らせたのに似ています(12章1節以下参照)。

 女性の話を聞いたダビデは、それがヨアブの入れ知恵であると気づきました(19節)。それを女性に確かめたとき、その女性は冒頭の言葉(20節)のとおり、ダビデの知恵をたたえて、「王様は神の御使いのような知恵をお持ちである」と語りました。そしてダビデは、ヨアブの考えどおり、アブサロムを赦し、家に連れ戻すことを許可します(21節)。一件落着、めでたしめでたし、と言いたいところですが、事情はそんなに単純ではありません。

 ヨアブはなぜ、王子アブサロムを連れ戻したいと思ったのでしょうか。ヨアブはかつて、弟アサエルがイスラエルの司令官アブネルに戦いを挑んで敗れ、殺されたのを恨み、策略を用いてアブネルを殺し、復讐を果たしました(3章22節以下)。つまり、ヨアブは決して寛大な人物ではありません。

 ヨアブは女性に、「はしために残された火種を消し、夫の名も跡継ぎも地上に残させまいとしています」と言わせました(7節)。つまり、アムノン亡き後、続いてアブサロムを失うことは、ダビデの名も、そして跡継ぎも、この地上に残らない、それは、国を危うくすることだというのです。

 ヨアブはダビデの王位を継承する者をアブサロムと定めて、国の安定を願っているのです。あるいは、アブサロムがダビデの跡継ぎとなるとき、アブサロムに肩入れした自分の地位がさらに堅くなると考えていたのかも知れません。

 あらためて、この女性は、「王様は御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上で起こることをすべてご存じです」(20節)と言いました。確かに、王として国を治めるためには、そのような知恵が必要でしょう。けれども、本当にダビデがそんな知恵を持っているわけではありません。故に、しばしば過ちを犯します。彼も、知恵ある者の助言を必要としている者なのです。その知恵とは、主を畏れる心に基づくものです(箴言1章7節)。

 本当に御使いの知恵のような知恵をダビデが持っていたのであれば、ダビデはその決定の前に、神の知恵を求めたことでしょう。彼の決定が神の御旨に適うところとなれば、神への感謝、御名をたたえる賛美を主にささげたことでしょう。

 後に、へロデ王の演説に聴衆が、「神の声だ。人間の声ではない」と叫んだとき、その栄光を神に帰さなかったため、ヘロデは主の御使いに打たれました(使徒言行録12章20節以下参照)。今日の箇所では、神の知恵を求めて祈ることも、託宣を求めて預言者に尋ねることもありません。また、この女性の王を讃える言葉を聞いて、ダビデがその誉を神にお返しすることもありません。

 ダビデは、国の安定を願うヨアブの計画に従って、アブサロムを連れ戻すのを許します(21節)。ヨアブは、自分の意見が受け入れられて喜びます(22節)。けれども、ダビデ自身の心は、なお複雑でした。アブサロムを連れて戻ってきたヨアブに(23節)、「自分の家に向かわせよ。わたしの前に出てはならない」(24節)というのです。王としてのプライドが言わせた言葉なのでしょうか。

 このようなダビデの決定、解決方法が神の御旨に適うものでなかったことは、直に明らかになります(15章以下参照)。ダビデはさらに辛い経験をしなければなりません。神の裁きが明らかになります。つまり、ヨアブは国の安定を願ってダビデに入れ知恵したのですが、それが却って国を混乱させ、ダビデの苦しみを増す結果になったのです。

 実に、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心」です(詩編51編19節)。罪の赦し、神の救いが安価な恵みとならないように、絶えず神の前に謙り、御言葉に耳を傾けて参りましょう。

 主よ、他人の相談に乗ることは出来ても、自分のことは分からない私たちです。よかれと思っても、間違っていることがあります。どうか憐れんで下さい。御名により、正しい道に導いて下さい。御言葉を聴く耳を与えて下さい。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン



1月15日(木) サムエル記下13章

「ダビデ王は事の一部始終を聞き、激しく怒った。」 サムエル記下13章21節

 妹のタマルに恋したダビデ王の長男アムノンは、自分の強い恋愛感情をもてあましていました(1,2節)。アムノンの母は、イズレエル人アヒノアムです(3章2節)。そして、タマルは、ゲシュルの王タルマイの娘マアカの子で、兄はダビデ王の3男アブサロムです。つまり、アムノンとタマルは母の違う兄妹ということになります。

 姉妹との結婚は、律法で禁じられています(レビ記18章9節、20章17節など)。また、「タマルは処女で」とあり、王家の未婚の女性はむやみに人前に出ないようしつけられ、隔離されていたようです。だから、アムノンが彼女に近づくことも、なかなか適わず、一人タマルを恋い慕って悩んでいたのです。

 そのとき、ヨナダブがアムノンの悩みを知り、入れ知恵します。ヨナダブについて、「友人」と記されていますが(3節)、「ダビデの兄弟シムアの息子」というのですから、正確には「従兄弟」と紹介すべきでしょう。シムアは、サムエル記上16章9節で、「シャンマ」とされている人物です。

 ヨナダブは、アムノンが仮病を使い、父ダビデを仲介にして、妹タマルを看病によこしてもらえと言いました(5節)。そこで、アムノンは早速それに従い、父にタマルへの仲介を依頼します(6節)。ダビデは、アムノンの腹の内を知らず、メッセンジャーの役を果たします(7節)。それは、ウリヤが、ダビデに持たされた手紙の内容を知らずにその配達役を果たし、その手紙により、戦死させられたことを思い起こさせ、歴史の皮肉を覚えます。

 タマルは、父ダビデの要請でアムノンのもとに行き、レビボットというハート型の菓子を焼きます(8節)。レビボットは、「心臓」という言葉から派生した言葉で、その菓子に強壮作用があると信じられていたのでしょう。アムノンは人払いをして(9節)、タマルの手で食べさせてほしいと、彼女を寝室に招き入れ(10節)、そこで、無理やり関係を持とうとします(11節以下)。

 タマルは、アムノンのしようとしていることの愚かさを告げ(12節)、むしろ、父ダビデに正式に話せば、結婚も許されるだろうと提案しますが(13節)、アムノンはその声に耳を貸さず、その激情の赴くままに行動してしまいました(14節)。
 
 ところが、力づくでタマルと床を共にしたアムノンは、今度は激しい憎悪の念に襲われ、タマルを追い出して戸を閉ざしました(15節)。情と欲とは満たされたけれども、力づくの行為は、後に空しさを残すだけという結果になったのでしょう。それまで、アムノンが「愛」と思っていたものは(1節)、激しい情欲に過ぎなかったのです。

 それで、自ら力づくで行為に及んでおきながら、暴力的に辱めたタマルを、激しく憎むようになったのです。そうしなければ、彼は心の平静を保つことが出来なかったのです。それは、何と罪深いことでしょうか。人を傷つけ、踏みにじっておいて、しかもなお、それを相手のせいにしているわけです。けれども、それが私たちの罪の現実なのです。

 タマルは、灰を被り、処女のしるしであった着物を引き裂き、嘆きの叫びを上げながら歩き、兄アムノンが密室で自分にしたことを告発します(19節)。そこに、タマルの実兄アブサロムが登場し、相手が長兄アムノンであることを確かめた後、「何も言うな、このことを心にかけてはいけない」と言います(20節)。それは、妹を心配してのことではありますが、しかし復讐の機会を狙うため、しばらく沈黙させておくということでした。

 実際、彼は異母兄アムノンを殺す計画を立て、2年後、それを実行に移します(23節以下)。これらのことは、「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ書1章15節)という御言葉を思い出させます。

 そして、タマルにとって、これらのことは何の慰めにも励ましにもなりません。全く過失のないタマルが、自分の身と心に受けた傷を誰にも打ち明けられず、沈黙が強いられたのです。兄たちの激しい感情に翻弄され、その痛みから癒されることもなく、ただただ絶望するしかありませんでした(21節)。彼女の思いを知るのは、ただ神のみだったのです。

 そして、家長のダビデがこの話の一部始終を聞きました。そして、冒頭の言葉(21節)の通り、「激しく怒った」と言います(21節)。しかしながら、ダビデは何もしませんでした。アムノンを罰することも、タマルを慰めることも、してはいません。ダビデはいったい何を怒ったのでしょうか。誰を怒ったのでしょうか。そして、なぜ何もしなかったのでしょうか。その内容について、理由について、そこには何も記されていません。

 ただ、これが、預言者ナタンによって告げられていた、ダビデが犯した罪に対する罰かも知れません。ナタンは、「見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう」という主の言葉を告げていました(12章11節)。

 つまり、ダビデが犯した罪を、息子たちがなぞったのです。彼がしたように隣人のものを欲しがり、姦淫し、そして、殺し合うのです。ですから、一部始終を聞いたダビデは激しく怒ったものの、彼には息子たちを罰する資格はなかったわけです。

 8章18節で、「ダビデの息子たちは祭司となった」という御言葉を学びましたが、彼らにとって、祭司となるということはどういうことだったのでしょうか。子らのうち、誰が主の祭司となったのでしょうか。

 そもそも、祭司は神と人との間を取り持つものとして、罪の償いのためにいけにえを献げて民のために執り成し祈る者です。またウリムとトンミムで神の御心を尋ね、神の託宣を民に告げ知らせる者です。その務めを果たすために、先ず、おのが身を清めます(レビ記8章7節、ヘブライ書7章27節)。つまり、自分自身のために贖いの供え物を献げなければならない罪人であることを、徹底的に学んだ者だと言わなければなりません。

 そして、その罪の贖いのために、主イエスがダビデの子孫として生まれ、ご自身を犠牲となさったのです。そして、このお方が私たちに、ご自分の命によって、「あなたの罪は赦された」と宣言して下さるのです。この福音を携えて、家族に、友に、周囲の人々に、そして地の果てにまで、その恵みと喜びを伝えたいと思います。

 主よ、私たちは絶えず主イエスの救いを必要としている罪人です。主から離れ、その憐れみなしに生きることは出来ません。いつもブドウの木なる主イエスにつながり、その御言葉に留まって、豊かな実を結ぶ人生を歩ませて頂くことが出来ますように。福音に与り、その恵みと喜びを多くの方にお知らせすることが出来ますように。 アーメン



1月14日(水) サムエル記下12章

「ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。『主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。』」 サムエル記下12章5節

 貪りと姦淫、さらに殺人の罪まで犯したダビデに対して(11章参照)、主なる神は預言者ナタンを遣わされました(1節)。ナタンはダビデに一つの話をします。それは、多くの羊や牛を持つ豊かな男が、来客をもてなすのに自分の家畜を惜しみ、近くに住む貧しい男が飼っているただ一匹の、娘のように可愛がっている雌の小羊を取り上げて、それを客に振る舞ったという話です(1節以下、4節)。

 その話を聞いて激怒したダビデ王は、冒頭の言葉(5節)のとおり、「その男を死罪にせよ」と言い、さらに、「奪ったものを4倍にして償え」と言います(6節)。それは、正しい判断です。他人の罪は、正しく裁くことが出来ました。

 しかしながら、ダビデにはそのように裁きを行う資格はありません。ナタンはダビデに、「その男はあなただ」と告げました(7節)。ダビデこそ、すでに8人以上の妻、側女を持ちながら(3章2節以下、5章13節以下など参照)、隣人ウリヤから小羊バト・シェバを奪った男なのです(9節)。

 4節の「取り上げる」も、9節の「奪う」も、11章4節の「召し入れる」も、すべて「取る」(ラーカー)という動詞です。それはまた、サムエル記上8章11、13,15節の「徴用する」という言葉でもあります。即ち、王は、「徴用」という言葉ですべてのものを隣人から取り上げ、奪うのです。そう考えると、11章4節の「召し入れる」は、無理やり連れて来るというニュアンスで読まれるべきなのでしょう。 

 ダビデは、ナタンから「その男はあなただ」と指摘されるまで、自分の罪をそれほど自覚してはいなかったようです。王は、そうするものだからでしょうか。まさしく彼は、神の御前に、自分が何をしているのか、分からずにいたのでしょう(ルカ23章34節)。

 そしてこれは、私たちの現実でもあります。他人の過ちは、どんなに小さくても断じて赦せないと思うのに、自分の過ちには極めて寛大です。主なる神が私たちの罪を裁かれるならば、言うまでもなく、「そんなことをした男は死罪」なのです。

 ダビデは、「わたしは主に罪を犯した」と、直ちにそれを認めめました(13節)。詩編51編9,12,13節の、「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください、わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。・・・神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください」という言葉は、そのときのダビデの悔い改めの祈りです(同1節)。

 ダビデは、自分が犯した罪は、もはや自分がその命をもって償うほかはないことを、はっきり自覚しました。もしも 罪人の自分が生きるのを許されるのであれば、それには魂の清めが不可欠だ。それも、生半可のことではない、修理や改善などでは到底間に合わない、あらためて清い心を創造し、確かな霊を授けて頂くほかはないというのです。

 これは、ずいぶん手前勝手な願いのように聞こえます。自分が罪で汚した霊魂を、清いものと取り替えてもらいたい、そこに、神の確かな霊を満たして欲しいというのですから。けれども、ダビデが詠うとおり、罪人が神の御前にあって生きるには、そのように神の憐れみに寄り縋るほかはないのです。

 4人の男に連れられてきた中風の男が、家の屋根を破って主イエスの前につりおろされたことがあります(マルコ2章1節以下)。そのとき、癒しに先立って、「あなたの罪は赦される」と、宣言されました(同5節)。これは、中風という病気の原因が、病人の罪にあるということではありません。

 この宣言は、中風の男を主イエスの前につり下ろした男たちの信仰を見られて、なされました。主イエスが見られた信仰とは、なんとか、この病人を主イエスのところにお連れしたい、主イエスに会わせたいという思いでしょう。その思いに、「罪の赦しの宣言」で主がお答えになったのです。

 中風の男だけでなく、連れて来た4人の男たちも、そして私たちも、先ず、主イエスに赦しの宣言を聞かなければならない罪人なのです。主イエスの、その罪の赦しの宣言を聞いて初めて、私たちは、自分が罪人であるということを正しく悟ることが出来るのです。そして、その罪の贖いのために、罪なき神の御子の命が支払われたのです。

 預言者ナタンは、「主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる」と言い(13節)、続けて、「しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」(14節)と告げました。

 それを聞いたダビデはその子のために神に願い、断食します(16節)。子に罪はない、罪の呪いは自分にと願っての断食ですが、七日目に子は息を引き取りました(18節)。自分の罪のために死んだその子を思うダビデの心の痛みはどれほどのものだったでしょう。

 それは、誰よりも神ご自身が深く知っておられます。神は、御自分の独り子なるキリスト・イエスを、私たちの罪のために、贖いの供え物としてささげられたからです。それは、罪のない御子が十字架で血を流すこと以外に、罪人の私たちを清め、生かす術がなかったからです。

 人知を遙かに超えた主の恵みに日々感謝し、今日も主の御旨に従って歩ませていただきましょう。

 主よ、あなたは御子イエスを私たちの身代わりに十字架に磔になさるために地上にお遣わしになりました。私たちはキリストによって贖われ、自由にされました。そのことを心から感謝し、主を証しします。私たちを聖霊に満たし、主の証人として用いてください。救いの喜びが全世界に広げられますように。 アーメン


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