風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2015年01月

1月31日(土) 列王記上5章

「神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。」 列王記上5章9節(口語訳、新改訳は4章29節)

 神はソロモンに、冒頭の言葉(9節)のとおり、豊かな知恵と洞察力、広い心をお授けになりました。それは、かつて神が、「見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない」と約束されていたとおりでした(3章12節)。

 当代随一の知恵者としてその名が知れ渡ったソロモンのもとに(10,11節)、その知恵を聴くために世界中から使節が押し寄せ、近隣諸国からの貢ぎ物で豊かにされました(1,14節)。この豊かさも、神の知恵を求めたソロモンに、神が加えて与えると約束されていたものです(3章13節)。

 ソロモンは、この豊かな知恵と富を用いて、一大事業を興します。それは、神殿建築です(15節以下)。そのために、ティルスの王ヒラムと条約を結んで、木材を確保しました(20節以下)。ティルスに毎年提供することになった小麦2万コルは(25節)、貢物として日毎に納められた小麦粉60コルの1年分に相当します(2節)。つまり、国庫に入って来た貢物の小麦を、そのままヒラム王に提供するわけです。

 また、イスラエル全国から神殿建築のために3万人の労働者を徴用し、1万人ずつティルスに送って(27節)、杉材を切り出させます。他にも、荷役の労働者7万人、石を切り出す労働者8万人がいました。この石工の働きによって、石材も調達出来ました(31,32節)。

 ここに記されている労働者の数は、ソロモンがいかに壮麗な神殿を築こうとしているかを雄弁に物語っています。5年前、大牟田で新会堂建築の業に関わらせていただきましたが、建築工事においでくださっていた業者は、毎日多くて7~8人ほどでした。工期は7か月半、225日です。そうすると、延べ1800人ということになりますが、ソロモンの神殿建築との差は歴然ですね。

 ダビデによって長い間続いた近隣諸国との戦いに終止符が打たれ、広く平和が確立された今(17,18節)、ダビデの時から待望されていた神殿の建築が、ようやく始められるようになったわけです(19節)。ですから、徴用される者たちの方でも、勇んで労務に参加するという状況ではなかったかと思います。

 神はかつてモーセに、「王は馬を増やしてはならない」、「王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない」という、王に関する規定を授けられました(申命記17章16,17節)。ダビデが民の数を数えようとして咎められたのと同様(サムエル記下24章)、多くのものを持つことで安心しようとしたり、それを誇ろうとすることは、神を信頼せず物量に頼り、神の栄光を盗むことと考えられているわけです。

 ソロモンは、既に戦車用の馬の厩舎4万、騎兵1万2千を有しています(6節)。厩舎が4万ということで、そこに馬がどれだけいたのか分かりませんが、仮に、一つの厩舎に戦車一台分の馬がいたとして、4万台の戦車があったことになり、騎兵1万2千と合せて、それらは周辺諸国とは比較にならない数の多さです。

 ですから、並ぶ者なき知恵を授けられたソロモンは、加えて与えられる富を、これ以上馬や騎兵、戦車を増やすために用いたり、金銀を蔵に大量に蓄えるというのではなく、神に栄光を帰すために、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くして主なる神を愛し、礼拝するための神殿建設に用いることにしたということでしょう。言い換えれば、そのようにする者であるからこそ、霊的にもまた経済的にも豊かな祝福を得たといってよいでしょう。

 復活された主イエスが天にお帰りになるとき、手をあげて弟子たちを祝福されました。祝福しながら天に昇って行かれたのです。主イエスを見送った弟子たちは、大喜びしたと記されています(ルカ24章50~52節)。主イエスとお別れするのは悲しく辛いことだったでしょうけれども、主イエスの祝福、聖霊の力が弟子たちを喜ばせていたのです。

 そして、彼らは絶えず神殿で神をほめたたえていました(ルカ24章53節)。原語では、「祝福する」(50,51節)と「ほめたたえる」(53節)とは、同じ言葉(ユーロゲオウ)です。つまり、主イエスの祝福を受けた者が主イエスを祝福する、主イエスに祝福をお返しする、それが、「ほめたたえる」という言葉なのです。

 ソロモンが、神から受けた豊かな祝福によって神殿を建てようとすること、それが、豊かな恵みをお与えくださる主にその祝福をお返しすることであり、そのことを通して主をほめ讃えるのです。

 私たちも、日毎に主の豊かな祝福を受けています。主に栄光をお返しし、心から主に唇の実、賛美の生け贄をささげましょう(ヘブライ書13章15節)。

 主よ、あなたの慈しみはあまりにも豊かで、量ることが出来ません。私たちを常に最善の道に導き、その恵みを味わわせてくださっています。私の魂は主を賛美します。主は私の魂を贖い、主を避け所とする者を罪に定められることがないからです。どのようなときにも主を讃え、絶えることなく賛美を歌います。全世界で主の御名が崇められますように。 アーメン



1月30日(金) 列王記上4章

「ヨヤダの子ベナヤ、軍の司令官。ツァドクとアビアタル、祭司。ナタンの子アザルヤ、知事の監督。ナタンの子ザブド、王の友で、祭司。」 列王記上4章5節

 ソロモンは、祭司アザルヤ、ツァドク、アビアタル、ザブド、軍の司令官ベナヤなど、11人を高官として任命しました(2節以下)。その下に12人の知事を置き、王室の食料を調達する機構を整えました(7節以下)。これは、ダビデ時代にはなかった部門で、国家機構が王のもとで充実して来ています。

 ただし、知事として名が挙げられているのは11人で、19節に、「この地にもう一人の知事がいた」とあって、名が記されていません。ギレアドの地に知事が二人いたということでしょうか。そして、彼らが担当している地域には、ユダの地が入っていません。つまり、食料調達機構にユダ族の人々は組み入れられていなかったということです。ということは、7節のイスラエルは、ユダを除くという意味で、北イスラエルを指すことになりそうです。

 11人の高官のうち、補佐官ヨシャファト、軍の司令官ベナヤ(ダビデ時代は傭兵の監督官)、祭司ツァドクとアビアタルは、ダビデ時代の高官でもありました(サムエル記下8章16節以下、20章23節以下)。これは、王国としての体制が安定して続いている明確なしるしといってよいでしょう。

 そして、前述のとおり、ツァドクの子アザルヤ(2節)、ツァドクとアビアタル(4節)、ナタンの子ザブド(5節)の4人が祭司です。筆頭のツァドクの子アザルヤが、大祭司の役割を担ったのでしょう。ツァドクとアビアタルはダビデ王の時代からの祭司であり、ザブドの父ナタンは、ダビデに仕えた預言者でした。そのように神を畏れ、神に従う祭司たちがソロモン王の四方を固めています。

 ナタンの子ザブドは、「王の友」(5節)と呼ばれていることから、ソロモンの相談相手を務めていると言えます。ナタンは、ダビデの罪を鋭く追求した預言者です。ソロモンはその子ザブドに、自分の考えを支持するイエスマンを願っているのではなく、是は是、非は非とはっきり意見してくれることを期待していたわけです。

 この人事を見ると、かつてダビデが、「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」(サムエル記下23章3~4節)と詠ったように、ソロモン自身も、神に従い、神を畏れて国を治める者でありたいと考えていることが分かります。そして神は、まさしく太陽が輝き出る朝の光のごとく、ソロモンを豊かに祝福されたのです。

 このリストの中に、一つ驚くべきものがあります。それは、祭司アビアタルの名前です。彼は確かにダビデの代から忠実に仕えてきた祭司でした。しかしながら、ソロモンは先に、「お前は死に値する者だ」といって、アビアタルを祭司の座から追放し、アナトトの地に帰らせたのでした(2章26~27節)。これは、アドニヤを王としようとしたことに対する報復人事といってよいでしょう(1章7節参照)。

 その背後に、ツァドク家とアビアタル家の、大祭司の座を巡っての争いがあったと見る向きもあるようです。いずれにせよ、何故ここにアビアタルの名前があるのでしょうか。その理由は何も記されてはおりません。もう一度エルサレムに呼び戻されて、高官として直接ソロモンに仕えるようにされたとは、実際には考え難いところです。

 ただ、アビアタルの父アヒメレクとその家は、王に背いてダビデに手を貸したという無実の罪で、サウル王の命により、剣にかけて殺されたのです(サムエル記上21,22章)。そのとき、ただ一人難を逃れたアビアタルに、ダビデは自分の罪を認め、「わたしのもとにとどまっていれば、あなたは安全だ」と、保護するようになったのです(同22章20節以下)。

 その後、ダビデの子アブサロムの反逆の際にも、アビアタルはツァドク、フシャイと共に、ダビデのために意を用いて働きました(サムエル記下15章24節以下、30節以下、17章)。そのようなアビアタルの身の上や、アビアタルがダビデに示した忠誠を、ソロモンが再評価したのかも知れません。

 少なくとも、アビアタルを退けることを、父ダビデは喜ばなかったでしょう。父ダビデのゆえに神の慈しみを受けて、王となったと語っていたソロモンです(3章6節)。アヒメレクのゆえに、その子アビアタルに慈しみを施すことにしたと考えてもよいのかも知れません。

 私たちは、イエス・キリストの贖いの業、十字架の死に至るまで従順であられた主イエスのゆえに、一方的に神の憐れみと慈しみとを受けています。御霊に満たされ、絶えず感謝をもって主を賛美しましょう。

 主よ、あなたは恵みと慈しみに富む方です。イスラエルの野で羊を飼っていた少年を王として選び、その子に豊かな知恵を授けて、王国を堅くされました。それは、彼らの能力の故ではなく、神に従う素直な心の故でした。人は様々なことを計りますが、ただあなたの御旨だけが堅く立つのです。私たちも、御言葉に傾け、導きに素直に従います。私たちの心の目、耳を開いてください。御心を行う者としてください。御旨がなりますように。 アーメン




1月29日(木) 列王記上3章

「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁くことが、誰にできましょう。」 列王記上3章9節

 ソロモンが、ギブオンで千頭もの牛を焼き尽くす献げ物としてささげた夜(4節)、神がソロモンの夢に現れ、「何でも願うがよい。あなたに与えよう」と言われます(5節)。何でも願えと言われたソロモンは、冒頭の言葉(9節)の通り、「民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください」と求めました(9節)。

 人の善悪の判断基準は、時と場合によって変わります。特に、他人には厳しいけれども、自分には非常に甘くなります。否、過ちをはっきり認めようとしません。そういう私が、どうして善と悪を正しく判断することが出来るでしょうか。正しい物差しが必要です。誰が正しい物差しを持っているのでしょうか。それは、主なる神です。だからこそ、ソロモンは神の御声を正しく聞き分ける心を求めたのです。

 聞き分ける心を求める言葉の前に、6節で、「あなたの僕、わたしの父ダビデは忠実に、憐れみ深く正しい心をもって御前を歩んだので、あなたは父に豊かな慈しみをお示しになりました。またあなたはその豊かな慈しみを絶やすことなくお示しになって、今日、その王座につく子を父に与えられました」と、ソロモンは語っています。

 自分が王座につくことが出来たのは、何よりも神の慈しみによるのですが、それは、父ダビデが神の御前を、御言葉に従って忠実に歩んだから、主が豊かな慈しみを示され、それで、自分にも王位を受け継がせてくださったのだと言っているのです。

 そうであるならば、私たちの御言葉に聴き従う心も同様に問われ、それによって私たちの子孫にその影響が及ぶことになります。十戒の、「わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える」という言葉を思い出しました(出エジプト記20章5,6節)。

 そのように謙り、主に「聞き分ける心」を求めたソロモンを、神は喜ばれました(10節)。ですから、知恵に満ちた賢明な心だけでなく(12節)、求めなかった富と栄光、名声、長寿をも与えると約束されています(13,14節)。

 主イエスも、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらの(必要な)ものはみな加えて与えられる」(マタイ6章33節)と教えておられますが、ソロモンはその通りに行って、民の模範となりました。神と富に兼ね仕えることは出来ません。しかし、神に仕える者には、必要なものが十分に与えられるというわけです。

 ヨハネ福音書14章6節に、「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉があります。主イエスこそ、父なる神のもとに行く道です。人通りが絶えてしまうと、道は荒れ果ててしまいます。朝ごとに、主の御前に進みましょう。主の御言葉を聴きましょう。主と共に歩みましょう。

 主に従い、主の道を歩む者は、真理を悟り、自由を得ることが出来ます(同8章31節)。また、主イエスを信じる者は、死んでも死なない命の恵みに与らせていただくことが出来る、とも教えられているのです(同11章25,26節)。

 主イエスはさらに、「わたしの名によって願うことは何でもかなえてあげよう」と言われました(同14章13節)。これは、ソロモンに語られたのと同じですが、続けて、「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と仰いました(同14章16節)。

 つまり、「何でも願え」と言われた真意は、贖いの御業を成し遂げて天に携え挙げられる主イエスに代わり、「別の弁護者」を遣わし、永遠に私たちと一緒にいるようにして下さるように、私たちが父に願いなさいということです。

 「別の弁護者」とは、父なる神が主イエスの御名によってお遣わし下さる聖霊のことで(同14章26節)、真理の霊とも言われています(同14章17節)。パウロは、「聖霊に満たされなさい」と命じます(エフェソ5章18節)。信仰生活には、聖霊の満たしが必要です。それが神の御心だからです。

 そして、この方が来られると、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにします(ヨハネ16章7節)。ソロモンが求めた、「善と悪を判断することが出来るように聞き分ける心」とは、聖霊がお与えになる心、思いなのです。

 私たちもソロモンに倣い、主イエスの御言葉に従って聖霊に満たされ、神の御声を聞き分けることが出来るように祈りましょう。
 
 主よ、私たちに聖霊を注ぎ、満たしてください。聖霊の導きに従い、主イエスの道を歩みます。主との親しい交わりに加えてください。御言葉を聴き、祈りと賛美を通して主と交わることほど幸いなことはありません。日々、この豊かな恵みで私たちを養い、整えてください。主の御業のために用いられますように。 アーメン



1月28日(水) 列王記上2章

「わたしはこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている。あなたは勇ましく雄々しくあれ。」 列王記上2章2節

 ダビデは自分の死期を悟り(1節)、冒頭の言葉(2節)で始まる遺言を、王位継承者に決定した息子ソロモンに語りました。ここで、ダビデの語った、「この世のすべての者がたどる道」とは、死への旅路ということです。その道を歩まずにすむ者はいません。誰もが、遅かれ早かれ、その生涯を閉じる時を迎えます。

 それにも拘わらず、死について考えたり話したりするのは縁起でもないことといって、遺言の準備など全く考えようとしない人も、少なくありません。縁起でもないことかどうか、その備えの有無に拘わらず、誰にも死は訪れます。備えあれば憂いなしいう言葉がありますが、よく死ぬための備えが必要ではないでしょうか。

 よく死ぬというのは、人生を振り返って、これまで生きて来ることが出来て良かった、今ここで人生を閉じても思い残すことはない、という死に方をすることでしょう。それは、毎日を悔いのないように生きる、そのような生き方をするということです。つまり、よく生きることこそ、よく死ぬための備えなのです。

 遺言するとき、勿論、よく考え、言葉を選ぶでしょう。当然、大切なこと、必要なことを言い残そうとするでしょう。それが実践に裏打ちされた言葉であるとき、聞く者の心に深く刻まれる言葉となります。親の生き様を見て来た子が、その死に様を見て、しかも最後に遺した言葉を聞けば、親の生き方に倣いたい、その遺言を守ろうと決意するでしょう。

 私たちは、私たちの人生が死では終わらないことを学んでいます。人は一度死ぬことと、その後に神の御前で裁きを受けることが定まっていると、ヘブライ人への手紙9章27節にあります。つまり、死の道を通って、救いに与るか、滅びに至るか、主の御前で判断されることになるのです。それはまさに、よく生きることが出来たかどうかが、神の御前で問われるということです。

 ダビデはソロモンに、「勇ましく、雄々しくあれ」と語りました。かつて、モーセの後継者ヨシュアに対して、神が同じような言葉を語っておられます(ヨシュア記1章6,7節)。約束の地を獲得する戦いに、ヨシュアが赴かなければならないからです。そして、勇ましく、雄々しく歩むことの出来る根拠は、神がいつも共にいてくださるという約束でした(同1章5節)。

 ただ、ヨシュア記1章7節では、「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する」と言われていて、ヨシュアに求められている勇敢さは、単に政治的軍事的なものというより、主の律法を守り行うこと、主に信頼し、その力に依り頼むところにあります。 

 ダビデがソロモンに、「勇ましく、雄々しくあれ」と語っているのは、自分が死への旅路をたどり、それ以後、息子ソロモンの後見役を務められなくなるからです。けれども、モーセの後継者となったヨシュアに対する言葉と同じで、勇ましく、雄々しくあることが出来るのは、主なる神が共にいてくださるからこそです。

 この言葉に続いてダビデは、「あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ」と命じ(3節)、「そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても、良い成果を上げることができる」という祝福の言葉を語っています。主を信頼し、その御力に依り頼めば、何事も成功するというのは、前述のヨシュアに対する約束と、ぴったり重なっています。

 王として、すべきこと、すべきでないことを、モーセの律法、即ち主の教えに基づいて判断し、また、主の語られた命令を実行せよというわけです。「良い成果を上げることができる」というのは、平和の獲得、繁栄、発展などに表れてくるところでしょうけれども、何より、神がソロモンの信仰をよしとしてくださるということでしょう。

 ダビデは、自分の知恵と力では、その道を正しく歩むことが出来ませんでした。神の御前に姦淫と殺人という大罪を犯しました。しかも、預言者ナタンに罪を指摘されるまで、特別に罪責感を持ってもいなかったようです。絶対的権力者として、したいことは何でも出来るという立場にあったからです。

 しかし、主の教えという物差しを当てたとき、いかに自分が罪深い者であるかということを思い知らされました。特に、家庭が乱れ、その結果、国内に様々な亀裂を生むことになってしまいました。ダビデは、その罪を認め、悔い改めました。だから、勇ましく雄々しくあって、主の教えを守れというのです。

 主イエスが、「わたしは道であり、真理であり、命である」と仰せられました(ヨハネ14章6節)。主イエスの道は、父なる神によって罪人の世に敷設されました。荒れ野に道が敷かれたのです(イザヤ43章19節)。この道を歩む者が真理を知り、命を得、父なる神のもとへ行けるようになるためです。

 主の御言葉に従い、死んでも死なない命の恵みに与らせていただきましょう。

 主よ、私たちを信仰に導き、命の言葉を与えて、この道を歩めと教えてくださり、有り難うございます。御言葉は、私たちの歩みを導く灯火であり、道を照らす光です。日々御言葉によって開かれる道を、右にも左にも曲がらずまっすぐに歩み通すことが出来ますように。御霊の力と導きをお与えください。 アーメン



1月27日(火) 列王記上1章

「イスラエルの神、主はたたえられますように。主は今日わたしの王座につく者を与えてくださり、わたしはそれをこの目で見ている。」 列王記上1章48節

 今日から、列王記を読み始めます。現在、上下2巻に分けられていますが、原典は1巻の書物でした。ヘブライ語原典(マソラ本文)をギリシア語に翻訳したとき(ギリシア語旧約聖書=70人訳聖書)、字数が多くなり、2巻に分ける必要が生じたのです。また、70人訳聖書では、サムエル記と列王記が、「王国の書」として一つに括られています。もしかすると、それが本来の形だったのかも知れません。

 ユダヤ教の伝統では、列王記は預言者エレミヤが書いたのだと言われます。また、マソラ本文では、列王記は預言者の書に入れられています。それは、エレミヤが著したものと考えられているからでしょう。また、ソロモンやヒゼキヤ、ヨシヤという、他の王たちに比べて詳しく紹介されている王たちにまさって、多くの分量を割いて描かれているのが、エリヤ、エリシャたち預言者の活躍だからでしょう。

 さらに言えば、この書物が単なる歴史の記述ではなく、イスラエルの歴史の中に表わされた神の御業を通して、私たちが神の御言葉を聴き、御旨を悟るために記されたものだからではないかと、私は考えています。

 さて、年老いたダビデには、もう国を治めていく力がありません(1節)。それで、誰がダビデの後を継ぐのということが、最大の関心事になります。そのとき、4男アドニヤが(サムエル記下3章4節参照)、「わたしが王になる」と宣言しました(5節)。長男アムノンが3男アブサロムに殺され、アブサロムは父ダビデを追い落とそうとして命を落としました。現在、アドニヤが、王位後継争いの先頭にいるのです。

 本来なら、アブサロムの前に、2男キルアブ(アビガイルの子、歴代誌上3章1節ではダニエル)がいるはずですが、彼の名が取り沙汰されることはありません。その理由は不明ですが、王位後継が話題になる前に、若くして亡くなったためではないかと考えられています。

 王になると宣言したアドニヤは、軍の司令官ヨアブと祭司アビアタルに相談し、二人の支持を得ました(7節)。そこでアドニヤは、自分の兄弟やダビデの家臣たちを招き、宴会を催しました(9節)。これは、自分の支持基盤を固めるためのものですが、司令官ヨアブと祭司アビアタルが同席していて、事実上の王位継承の儀といってもよいでしょう。

 ただし、列王記の記者は、アドニヤが王位継承の意思を表したのを、「ハギトの子アドニヤは思い上がって」(5節)と記しています。即ち、アドニヤが選ばれるべくして選ばれたものではないと、はっきり示しているわけです。また、預言者ナタンや護衛長ベナヤ、そして兄弟ソロモンは招かれませんでした(10節)。彼らは、アドニヤの即位をよしとしない人々です(8節)。

 アドニヤらの動きを知った預言者ナタンが、ソロモンの母バト・シェバに、アドニヤが王になったことを聞いているかと尋ね(11節)、すぐにソロモンを王とするよう、ダビデに働きかけることを進言します(12節以下)。ソロモンは主なる神に愛されいて、以前そのことを、ナタンがダビデに示したことがありました(サムエル記下12章24,25節)。それで、ソロモンは、「エディドヤ(主に愛された者)」とも呼ばれていました。

 先ず、バト・シェバがダビデに、後継者について尋ね(15節以下)、次いでナタンがアドニヤのことを報告して、ダビデの意向を確認します(22節以下)。それを聞いたダビデは、バト・シェバを呼び(28節)、ソロモンを王とすることを告げます(30節)。そしてすぐに、祭司ツァドクと預言者ナタン、護衛長ベナヤを呼び(32節)、ギホンでソロモンに油を注ぎ、即位式を行わせます(33節以下、39節)。

 郊外で宴会を催していたアドニヤたちは、ソロモン王即位を祝う角笛の音を聞き(41節)、やって来た祭司アビアタルの息子ヨナタンから、そのときの様子を知らされます(42節)。それで、アドニヤと宴席を共にしていた者たちは、自分たちが勝ち馬に乗り損ねたというか、王位継承の判断を誤ったことを悟り、恐怖に包まれ、それぞれ帰途につきました(49節以下)。

 ダビデは非常に年老いていますが、ソロモンに王位を譲る決定をするとき、王としての使命を果たしています。そして、ダビデには信仰がありました。王位を譲った後、彼は寝床の上でひれ伏し、冒頭の言葉(48節)のとおり、主を賛美します。ダビデはここで、主が王座につく者を与えてくださり、それをこの目で見ていると言っています。ダビデにとって、ソロモンの即位は自分の選び、自分の決断ではなく、神の賜物だというのです。

 司令官ヨアブや祭司アビアタルの目には、アドニヤがダビデの後継者となるのに相応しい人物と映ったのですが、神の決定はそうではありませんでした。確かに神は外側ではなく、内を、心を見られます(サムエル記上16章8節)。絶えず神の前にひれ伏す者であるか、神の御旨を求める者であるか、神の御声に聴き従う者であるかが問われているのです。

 そしてそれは、今ここに王とされたソロモンも例外ではありません。右にも左にも曲がらずに主の道を歩むことは、王となることよりも難しい道でしょう。だから、常に神の御言葉に耳を傾け、その導きに従わなければなりません(詩編119編9節)。ことごとに主の御心を尋ね求める信仰が必要です。それで、絶えず祈れと教えられるのです(一テサロニケ5章17節)。しかも、喜びと感謝をもって(同5章16,18節)。

 何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを主に捧げ、主の平安で心と思いを守っていただきましょう(フィリピ4章6,7節)。主の導きに従って、行動しましょう。そこに平和の神が共におられるのですから(同9節)。

 主よ、今日も、王の王、主の主なるキリスト・イエスの御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩ませてください。欲に惹かれて道を違えることがありませんように。主の使命を果たすために必要な知恵と力を授けてください。ここ静岡に、そして全日本に、主イエスを信じる信仰の恵みが広げられますように。 アーメン



1月26日(月) サムエル記下24章

「その日ガドが来て、ダビデに告げた。『エブス人アラウナの麦打ち場に上り、そこに主のための祭壇を築きなさい。』」 サムエル記下24章18節

 主がイスラエルに対して怒りを発し、ダビデに人口調査をする思いを起こさせました(1節)。軍の司令官ヨアブは、ダビデを思いとどまらせようとするのですが(3節)、王の言葉が厳しく、調査の旅に出発することになります(4節)。

 9ヶ月と20日の調査の旅で(8節)、戦いに出ることの出来る戦士の数がイスラエルに80万、ユダに50万、合わせて130万人に及ぶことが報告されました(9節)。この報告を受けたダビデは、罪の呵責を覚えて神の前に出ました(10節)。

 神が何を怒られたのか、何も記されておりません。また、ヨアブはなぜ、王に対し人口調査を思いとどまらせようとしたのでしょうか。そして、ヨアブの報告を聞いたダビデが罪の呵責を覚えるのは、なぜでしょうか。ここに、神の怒りの真相が隠されているようです。

 兵の数を知りたくなるのは、それによって軍事力を計ろうとする行為でしょう。兵の数が少なければ、外敵を恐れなければなりませんが、兵の数が多ければそれだけ安心出来ます。そのように、自分の持てる力を知っておくことは、国防上、大切なことではないかと考えられるのです。けれども、イスラエルにとって、国に勝利を与え、平和をもたらしているのは、兵の数と力ではありません。

 かつてサウル王の子ヨナタンが語ったとおり、「主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない」のです(サムエル記上14章6節)。また、ダビデ自身が若者であったとき、「主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ」と語っていました(同17章47節)。

 つまり、兵の数の多少は問題ではない、救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないというような、主なる神への絶対的信頼、信仰に立っていれば、兵の数を数え、それによって安心しようという思いになることはない、というわけです。数えてみようかという誘惑の背後に、神への信頼を失った不安な心か、あるいは、神に頼らずとも、自分の持てる力でやっていける、これだけの力を持てば大丈夫だという高ぶりの心があると考えられるのです。

 ということは、そのようなダビデの不信仰や高慢が神の怒りを呼んだわけです。そして、その罪をはっきりさせるために、人口を数えるように、ダビデを誘われたのだと示されました。ヨアブが、「主がこの民を百倍にも増やしてくださいますように」といって(3節)、人口調査を思いとどまらせようとしたのは、この人口調査にダビデの不安、あるいは高ぶり、そして、神に対する不信を感じたからでしょう。

 神は、預言者ガドをダビデのもとに遣わし、7年の飢饉か、3ヶ月敵に追われることか、三日間の疫病か、一つを選べと言わせます(13節)。ダビデは、「主の御手にかかって倒れよう」(14節)と、疫病を選びます。それで、国に疫病が起こり、たちまち7万もの人々が病死します。いわば、これで安心と思っていた力が、神の前に全く何の頼りにもならないことを思い知らされるのです。

 ダビデは、イスラエルの民が御使いに打たれ、疫病で倒れるのを見て、「罪を犯したのはわたしです。わたしが悪かったのです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように」(17節)と言います。心が痛み、とても見ていられなかったのです。ここに、ダビデの人間性、神の前に出る謙虚さを見ることが出来ます。

 そこへガドがやって来て、冒頭の言葉(18節)のとおり、主のための祭壇を築くように進言します。祭壇を築くように示されたエブス人アラウナの麦打ち場は、主がイスラエルに下された災いを思い返されて、御使いの手を止めさせられたところでした(16節参照)。

 ダビデは告げられたとおり、エブス人アラウナの麦打ち場を譲り受け(19節以下、24節)、そこに主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました(25節)。主はその祈りに答えられて、疫病はやんだと記されています。

 ダビデが、災いの一つを選ぶとき、「主の慈悲は大きい」といって、「主の御手にかかって倒れよう」と、疫病を選びました(14節)。 それは、主の災いを安易に考えていたということではありません。神は恐るべきお方ですが、しかし、その裁きの中にも神の慈悲を信じたのです。そして、それに応じられたかのように、エルサレムを滅ぼそうと手を伸ばす御使いの手を止められました(16節)。

 その場所は、かつてアブラハムが神に命じられて、息子イサクを捧げようとしたところです(創世記22章2節)。やがて、その場所に、ソロモンによって壮麗なエルサレム神殿が建てられることになります(歴代誌下3章1節)。そして、この地にキリストの十字架が立てられます。十字架という祭壇に、「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1章29節)なるキリストが、贖いの供え物とされるのです。

 ダビデは、「無償で得た焼き尽くす献げ物をわたしの神、主にささげることはできない」と言って、麦打ち場と牛の代価を払いました(24節)。ダビデの子イエスは、ご自身を贖いの供え物とされ、私たちは全く無償でその恵みに与っています。 

 神の前に謙り、十字架の主を仰ぎ、心いっぱい主を愛し、主の御言葉に従っていきたいと思います。

 主よ、私たちは肉や心の欲するままに行動していた、生まれながら神の怒りを受けるべき者でしたが、その豊かな憐れみにより、その愛によって、罪のために死んでいた私をキリストと共に生かし、共に復活させ、共に天の王座に着かせて下さいます。私たちの主イエス・キリストの父である神は、ほめ讃えられますように。 アーメン


1月25日(日) サムエル記下23章

「イスラエルの神は語り、イスラエルの岩はわたしに告げられる。神に従って人を治める者、神を畏れて治める者は、太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光。」 サムエル記下23章3~4節

 2節以下は、ダビデの最後の言葉であると紹介されています(1節)。彼はこの詩を、主の霊に導かれて作りました。「主の霊はわたしの内に語り、主の言葉はわたしの舌の上にある。イスラエルの神は語り、イスラエルの岩はわたしに告げられる」(2~3節)と語っているとおりです。その意味では、神から詠うべき言葉を授けられた、預言的な詩ということも出来ます。
 
 ダビデは冒頭の言葉(3節)で、「神に従って人を治める者、神を畏れて治める者」といって、イスラエルで王位につく者は、神に従い、神を畏れて人を治める者でなければならないと教えています。これは、王となるための心得といって良いでしょう。なお、「神に従って」は、「正義(ツァッディーク)」という言葉です。聖書における「義」は、神との正しい関係という意味ですから、新共同訳は、「神に従う」と意訳したのでしょう。
 
 そして、神に従い、神を畏れて治める者は、「太陽の輝き出る朝の光、雲もない朝の光、雨の後、地から若草を萌え出させる陽の光」(4節)であると、語られます。ここに、太陽の光についての言及がなされています。

 それは、「地から若草を萌え出させる」という表現で、命を育むものであることを思わせます。そのことから、イスラエルの王は、神に従う正しい統治によって、神の恵みをイスラエルにもたらす者であるということが示されているのです。

 「ソロモンの詩」と表題がつけられた詩編72編5,6節でも、「王が太陽と共に永らえ、月のある限り、代々に永らえますように。王が牧場に降る雨となり、地を潤す豊かな雨となりますように」と詠われています。しかも、興味深いことに、その詩は、「エッサイの子ダビデの祈りの終り」(同20節)という言葉で閉じられているのです。ということは、詩編の編者が、ソロモンはダビデの子なので、これもダビデの祈りではないかと考えたわけです。

 ところで、ダビデの子孫は皆、神に従って人を治める者、神を畏れて治める者でしょうか。6節の「悪人(ベリアル:口語訳、新改訳では「よこしまな者」)」という言葉は、ここではダビデに逆らう者、従わない者を指していると思われ、さしあたり、ダビデの息子アブサロムやビクリの子シェバなどが考えられていると思います。サムエル記上2章12節ではエリの息子たち、25章17節ではナバルをそう呼んでいました。

 しかし、アブサロムだけでなく、ダビデに連なる者の中から、そう呼ばざるを得ない者が出て来るということではないでしょうか。サム下16章7節では、シムイがダビデをそう呼んでいますし、22章5節で「奈落(口語訳・新改訳は「滅び」)」と訳されています。これは、ダビデを脅かすものということで、アブサロムらのことと言ってもよいですが、ダビデ自身の罪のこととも考えられます。ダビデを、罪の力が、抗いようもなく悪へ、滅びへと誘っていくという様子を思い浮かべます。

 そのため、「触れる者は槍の鉄と木を満身に受ける。火がその場で彼らを焼き尽くすであろう」(7節)と警告されているのです。そして、残念ながらというべきでしょうけれども、その悪のゆえに、エルサレムの都がバビロンに攻め落とされ、多くの者が剣によって殺され、町は火で焼き尽くされ、残りの者は捕囚の憂き目を見るという結果を招きました。

 ダビデはしかし、霊の導きによって、もっと先のことを垣間見ていたのではないでしょうか。冒頭の言葉(3,4節)で、ダビデは自分の子孫に、神に従って人を治める者、神を畏れて治める真の王者が出ること、その統治は、輝き出る朝の光のようだと、ここに預言しているわけです。

 それは、預言者イザヤが、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、乎和の君』と唱えられる」(イザヤ9章5節)と、王なるメシア到来を預言しているのと同じようなものではないでしょうか。

 ヨハネ福音書において、主イエスのことを、「言(ことば::主イエスのこと)の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(1章4節)、「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」(同12節)、「わたしたちは皆、この方(主イエス)の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けた」(同16節)と語っています。

 主イエスは、東方の博士たちに「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」と呼ばれ(マタイ2章2節)、十字架の罪状書きに、「これはユダヤ人の王イエスである」と記されました(同23章37節)。

 ダビデの子孫としてお生まれになり、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられた(第ニテモテ2章8節、ローマ書4章25節)主イエスこそ、ダビデが詠い、イザヤが預言した、真の「王の王、主の主」(黙示録17章14節、第一テモテ6章15節)なのです。

 主イエスを心の王座、生活の中心にお迎えし、賛美のいけにえ、唇の実を絶えず主にお捧げしましょう。

 主よ、御子イエスを私たちの王の王、主の主として、私たちの生活の中心、心の王座にお迎えします。主は命の神です。私たちの岩を讃えます。主と共にあって、私たちの家は堅く立ちます。真にあなたは、私たちの救いと願いを、すべて育て上げてくださいます。いよいよ御名が崇められますように。 アーメン



1月24日(土) サムエル記下22章

「敵は力があり、わたしを憎む者は勝ち誇っているが、なお、主はわたしを救い出される。彼らが攻め寄せる災いの日、主はわたしの支えとなり、わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜ぴ迎えてくださる。」 サムエル記下22章18~20節

 22章には、「ダビデの感謝の歌」とされる詩が記されています。これとほとんど同じ詩が、詩編18編にあります。1節に言うとおり、ダビデが自分の生涯を振り返り、その時々に救いの御手を延べてくださった主なる神に対する感謝と賛美の言葉を連ねているという内容です。

 サムエル記上2章1節以下に「ハンナの祈り」とされる歌があり、その歌と、この「ダビデの感謝の歌」によって、サムエル記が枠づけられています。即ち、サムエルの誕生からサウルの登場、そして、ダビデに至るイスラエルの歴史は、単なる権力と戦いの物語というのではなく、主の権威、御力による救いの物語であり、それに対して、イスラエルは感謝と賛美をささげるというかたちです。

 この歌には、1節の「救い出す」(ナーツァル)という言葉が、冒頭の言葉(18節)と49節(「助け出す」と訳されている)にもあります。3節には、「救い」(エイシャー)という名詞が、36節、47節にあり、また同根の「救う」(ヤーシャー)という動詞が3節に2度(一つは「勝利を与える」と訳されている)、4節、28節、42節(「助ける」と訳されている)に用いられています。救いをテーマに、様々な表現を用いているわけです。

 主なる神は、イスラエルに様々な指導者を立て、正義と公正をもってあらゆる苦難からイスラエルを助け出すようにさせられました。初めはモーセ、次にヨシュア、その後は士師たち、そして、最後の士師としてのサムエルに、イスラエルの歴史に初めて登場して来た王たち。しかし、そこでイスラエルに真の救いをもたらさられたのは、主なる神御自身だったということです。

 ダビデの人生は苦難の連続でした。内に外に、様々な戦いや試練がありました。若い日には、サウル王に妬まれ、命をつけ狙われました(サムエル記上18章以下)。サウルの死後、ダビデが王となってから、今度は息子アブサロムが謀反を起こしました(サムエル記下15章以下)。その後、シェバの反逆もありました(同20章)。

 そのようにして、何度も死線を越えるような経験をしています。それを、「死の波がわたしを囲み、奈落の激流がわたしをおののかせ、陰府の縄がめぐり、死の網が仕掛けられている」(5,6節)と詠っています。確かに、私たちにとっても最大の敵は「死」です。誰も、この戦いを免れることは出来ません。そして、誰も死の力に打ち勝つことは出来ません。

 けれども、「苦難の中から主を呼び求め、わたしの神を呼び求めると、その声は神殿に響き、叫びは御耳に届く」(7節)と詠うダビデは、主が救い出してくださるので、どんな相手に対しても、私たちは常に勝利することが出来ると確信しているのです。

 それは、ダビデが助けを求めて主に叫ぶ度に、主が答えてくださったという経験に基づく確信です。ダビデはそれを、冒頭の言葉(18節)のとおり、「敵は力があり、わたしを憎む者は勝ち誇っているが、なお、主はわたしを救い出される」と詠いました。

 また、続けて、「彼らが攻め寄せる災いの日、主はわたしの支えとなり、わたしを広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる」(19~20節)と語っています。苦難の間、主がダビデを守ってくださったので、今や全イスラエルの王として広い国土を確保することが出来、近隣には敵対する者がいなくなっているという様子を、そこに見ることが出来ます。

 そして、その主を信頼して、私たちにも戦いに勝利するように励ましているのです。「わたしを喜び迎えてくださる」とは、私たちが神様に喜ばれるような良い者であるということではありません。ダビデ自身、その資格があると考えていなかったでしょう。むしろ、そのような資格がないにも拘わらず、神はいつでも、神を呼び求める声に耳を傾け、その都度、御手を伸べて守り助けて下さったことを、素直に喜び、感謝しているのです。

 「わたしは主の道を守り、わたしの神に背かない。わたしは主の裁きをすべて前に置き、主の掟を遠ざけない。わたしは主に対して無垢であろうとし、罪から身を守る」(22~24節)とは、ダビデが自分で獲得した境地ではありません。ダビデは主の前に、多くの罪を犯して来たからです。

 しかしながら、罪が示される度にそれを認め、神の御前に素直に悔い改めました。そして、神はダビデを憐れみ、その罪を赦されたのです。それゆえ、「御目の前にわたしは清い」と語ることが許されているわけです(25節)。

 私たちも神に招かれて、広い所に導き出されます。神は私たちを迎えるために、独り子を犠牲になさいました。独り子がこの世に来られたとき、宿屋には泊まる場所がありませんでした(ルカ2章7節)。公生涯に入ってからも、「人の子には枕するところもない」(同9章58節)という日々でした。私たちは主イエスのために場所を用意せず、むしろ、十字架につけて殺してしまったのです。

 しかるに神は、私たちが神の御国に入ることを、喜び迎えてくださいます。そこはとても広く、あらゆる者を迎え入れることが出来ますし、死の波も奈落の激流も、陰府の縄も死の網も届きません。

 さらに、主イエスをメシア、生ける神の子と信じる信仰を土台としてその岩の上に立てられるキリストの教会には、陰府の力も対抗出来ないと、主は仰いました(マタイ16章18節)。キリストが死の力を撃ち破って甦られたように、私たちも、復活の恵みに与ることが出来るのです。

 主の恵みを喜び、感謝のいけにえ、賛美のいけにえを主にささげましょう。

 主よ、あなたは私の灯火であり、私の闇を照らしてくださいます。あなたの他に神はいません。あなたは私の逃れの岩です。あなたは救いの盾を私に授け、私を強い者としてくださいます。主よ、国々の中で私はあなたに感謝をささげ、御名をほめ歌います。私たちの父である神に、栄光が代々限りなくありますように。 アーメン



1月23日(金) サムエル記下21章

「アヤの娘リツパは粗布を取って岩の上に広げた。収穫の初めのころから、死者たちに雨が天から降り注ぐころまで、リツパは昼は空の鳥が死者の上にとまることを、夜は野の獣が襲うことを防いだ。」 サムエル記下21章10節

 イスラエルで飢饉が三年間続きました(1節)。その原因は、この地方によくある干魃だと思われますが、ダビデが主に託宣を求めると、それは、「ギブオン人を殺害し、血を流したサウルとその家に責任がある」という答えです。ギブオンはべニヤミン族の土地の中にある町ですが、ヨシュアの時代、この町のカナン人が巧みにイスラエルと平和条約を結んで、そこに住み続けていました(ヨシュア記9章参照)。

 サウルがいつギブオン人を殺したのか、サムエル記にはその記述はありませんが、「イスラエルとユダの人々への熱情の余り、ギブオン人を討とうとしたことがあった」(2節)とは、カナン人が国内に安住しているのはイスラエルとユダの人々のためによくないと考えて、それで、サウルは彼らを殺害したということでしょう。その罪が呪いとなって、3年続いて飢饉が起こったというわけです。

 それで、ダビデが罪の償いについてギブオン人に尋ねると(3節)、彼らは、「わたしたちがイスラエルの領土のどこにも定着できないように滅亡を謀った男、あの男の子孫の中から7人をわたしたちに渡してください。わたしたちは主がお選びになった者サウルの町ギブアで、主の御前に彼らをさらし者にします」と答えました(5,6節)。

 ある註解者が、この話は、ダビデがサウル家に脅威を感じていて、それを合法的に取り除くために、どこにも証拠のない、飢饉が襲ったのはサウルの罪のためだという神の託宣があったことにしたのではないか。つまり、ダビデは冷酷な日和見主義者なのではないか。だから、16章8節でシムイが、「サウル家のすべての血を流して王位を奪った」と非難しているのではないか、と記しています。

 ことの真偽は不明ですが、王位を守るために不安の種を取り除いておこうとする行為は、ダビデ自身が自分の命をサウル王に絶えず狙われるという経験をしています。また、ヘロデ大王は、主イエスを亡き者にする目的でベツレヘム周辺の2歳以下の男児を殺させただけでなく、自分の最愛の妻や子どもたちも、自分の王座を狙っているという中傷、また疑心暗鬼のために殺しました。王というものが持つ悲しさ、愚かさでしょうか。

 いずれにせよ、ダビデは、サウルの子ヨナタンの息子メフィボシェトを渡すわけにはいかないと考え(7節)、サウルの側女リツパの二人の息子と、サウルの娘ミカルの五人の息子を捕らえて(8節)、ギブオン人に引き渡しました。

 ダビデは、サムエル記上20章12節以下でヨナタンと、ヨナタンの家からダビデの慈しみを絶やさないこと、同24章22節でサウルと、サウルの子孫を断たないことを約束していました。リツパは側女であって、その子らはサウルの正統な後継者ではないということ、また、アドリエルに嫁したミカルの子らについても、サウルの後継者ではないということで、約束違反にはならないというのでしょう。

 ここで、ミカルの息子とありますが、実際にはミカルの姉メラブの息子たちのことでしょう。ミカルが結婚したダビデとの間に子はなく(6章23節)、また、アドリエルに嫁いだのはメラブです(サムエル記上18章19節)。

 ギブオン人は、7人の子らをギブアの山で一度に処刑し、主の前にさらし者にしました(9節)。その7人の遺体を、サウルの側女リツパが、冒頭の言葉(10節)のとおり、烏や獣の襲撃から守ったとあります。それは、「(大麦の)収穫の初めのころから、死者たちに雨が降り注ぐころまで」と記されています。

 「収穫の初めのころ」は、9節で、リツパの子らが処刑されたときです。「死者たちに雨が降り注ぐころ」とは、大麦の収穫後に降る雨となると、イスラエルにおいては、季節外れの雨ということになります。つまり、その雨は、干ばつが終わりを告げ、飢饉を脱したことを示すものです。ということは、ギブオンの人々の血の呪いが解けたということでもあります。

 そんな雨が降るまでということは、実際にどれくらいの日月であったのかは不明ですが、親が子を思うまさに献身的な愛情を、そこに見ることが出来ます。絶えず死体に群がってくる猛禽に立ち向かうというのは、生半可なことではありません。まったく親心の有り難さというものです。

 リツパの行動の報告を受けたダビデは(11節)、ヤベシュ・ギレアドの人々からサウルとヨナタンの遺骨を受け取り(12節)、そして、今回さらし者にされたサウルの子孫の遺骨を集め(13節)、それらを、サウルの父キシュの墓に葬りました(14節)。殺された七人の子に、罪はありません。サウルの罪の身代わりに、その呪いを受けたかたちです。

 私たちは、サウルの7人の子孫にはるかにまさる、神の独り子の血の贖いによって、雨のように降り注いでくる神の恵みに与ることが出来ます。そして主は、昼も夜もまどろむことなく眠ることなく、私たちの盾となり、絶えず右にいて、私たちを討とうとするすべてのものから守ってくださるのです(詩編121編4節以下)。

 この豊かな恵み、御子の命によって与えられる重い恵みを無駄にして、主の御言葉を聴くことの飢饉に陥ることがないように(アモス書8章11節)、常に心して主の御声に耳を傾けたいと思います。

 主よ、あなたの深い憐れみに感謝します。私たちが被るぺき罪の呪いを、神の御子キリストがすぺて身に負ってくださいました。あなたの恵みにより、今の私があるのです。その恵みに応え、その召しに従い、後ろのものを忘れ、前のものに向かって、ひたすら走ります。御名が崇められますように。この地に御心が行われますように。 アーメン



1月22日(木) サムエル記下20章

「わたしはイスラエルの中で平和を望む忠実な者の一人です。あなたはイスラエルの母なる町を滅ぼそうとしておられます。何故、あなたは主の嗣業を呑み尽<そうとなさるのですか。」 サムエル記下20章19節

 アブサロムの謀反を鎮圧して、ようやく王国再統一が出来たと思ったのに、今度はベニヤミン族のシェバがダビデに反旗を翻します。それは、ダビデ王を巡るイスラエルとユダの諍いが発端でした(19章41~44節)。

 どちらが先にダビデを呼び戻そうと言ったのか、どちらが先に行動を起こしたのか、どちらが数が多いのかなど、いずれにしても大した問題ではなさそうですが、言葉を交わすうちに激論となり、ついには戦争にまで発展してしまったのです。こんな些細なことで、戦争に発展してしまうことを、心しておくべきだと思います。

 しかしながら、こうした背景には、ダビデ王家をめぐるユダ部族に対する嫉妬心のようなものがあるのでしょう。だから、シェバの反乱が功を奏していれば、彼がイスラエル(ユダ部族を含まない)の王となって、ベニヤミン族の伝統を引き継ぐことになったことのではないでしょうか。

 ベニヤミン族ビクリの子シェバの檄でイスラエル10部族はダビデから離れていきます。ダビデは、シェバはイスラエル王国にとって危険な存在だと考えて追跡させます。しかし、シェバにはそれほどの力はありませんでした。初めは、イスラエルの民が皆彼に従ったようでしたが(2節)、全イスラエルを通ってベト・マアカのアベルまで来たとき、彼に従っていたのは、ごくわずかな人数だったようです(14節)。

 新共同訳で、「選び抜かれた兵」と訳されているのは、「ベリーム」(ベリ人)という言葉です。新改訳はそのまま「ベリ人」と訳し、口語訳はこれを「ビクリびと」と訳していました。岩波訳も「ビクリ人」として、「原文はベリ(人)」と註をつけています。つまり、シェバと同族のビクリ家の人々だけが、彼に従ったということです。

 ベト・マアカは、北の国境線の町です。イスラエル全部族を通ってそこまで行ったというのは、ダビデの軍に追跡されていると知って、全部族を動員しつつ、落ち着くべき場所を探したけれども、彼に従う者は乏しく、彼を受け入れるところもなかったので、そこまで逃げたということなのでしょう。

 一方、シェバを追跡するため、ダビデはユダの人々を動員するよう、ヨアブの後任として司令官に任じたアマサに命じました(4節、19章14節)。アマサは、ヨアブとは従弟同士であり、ダビデの妹の子(甥)ですが、アブサロムの反乱のとき、彼はアブサロムについて、軍の司令官に任命されています(17章25節)。そんなアマサを司令官にしたのは、反乱に加担したユダ族に対する配慮であり、また、自分の命令を守らず、アブサロムを殺害したヨアブを降格させる意図があったと考えられます。

 しかし、アマサは、軍の司令官としては力量不足でした。そもそも、全イスラエル軍をまとめて、ダビデの軍としっかり立ち向かうことが出来なかったわけですが、今回も、言われた期日を守ることが出来ませんでした(5節)。そこで、アビシャイに代役を命じます(6節)。ここでも、実績のあるヨアブではなく、その兄弟アビシャイを立てるところに、やはりアブサロムを殺したヨアブに対するダビデの思いが現れています。

 彼らがギブオンにさしかかったとき、アマサが姿を現しました(8節)。しかし、ヨアブが彼を殺します(10節)。ヨアブが、アブサロムの反乱に加担していたアマサを信用せず、ダビデに危害が及ぶ危険な芽を取り除くということだったと思いますが、加えて、軍の司令官に戻りたいというヨアブの思いの表れでもありました。この後、ヨアブが実際上の司令官として、兵を率いています(13節以下)。

 さて、シェバが逃げ込んだ町アベルとは「牧場」という意味です。そして、ベト・マアカは「搾る家」という意味です。家畜の乳搾りをする小屋の周辺に牧場があるという光景を思い浮かべてみるとよいでしょう。そんな平和な場所が戦場になろうとしているのです。

 アベルの町をヨアブの軍が取り囲み、塁を築いて町の城壁を破壊しようとしたとき、一人の女性がヨアブに呼ばわり、冒頭の言葉(19節)のとおり、「何故あなたは主の嗣業を呑み尽くそうとされるのですか」と語ります(19節)。女性は、町の長老たちに代わり、知恵をもってヨアブに語りかけ、町を取り囲み、攻め込もうとしている理由を尋ねています。この言葉がなければ、シェバ一人のためにアベルの町を全滅させていたかも知れません。

 女性の言葉に対してヨアブは、「決してそのようなことはない。呑み尽くしたり、滅ぼしたりすることなど考えてもいない」(20節)といい。ダビデ王に向かって手をあげたシェバ一人を渡してくれれば、この町から引き揚げようと答えています(21節)。

 かつて、アンモンが軍を引いた時に、刃を交えないまま引き揚げ、エルサレムに戻ったヨアブでしたが(10章14節)、ここでも、問答無用、勢いに任せて攻め込むというのではなく、平和的な解決を選び取る知恵を発揮したのです。

 女性はシェバの首を渡すと約束し(21節)、町の人々のところに行きました。そのとき、シェバ一人のために町を滅亡させてもよいのか、彼を差し出せば町が守られるのだと、町の人々を説得したのでしょう。そして、逃げ込んだシェバの首をはねさせ、ヨアブに投げ落としました。

 ヨアブは角笛を吹いて全軍を帰還させます(22節)。こうして、たった一人の犠牲で、町の平和を守ることが出来ました。そしてそれは、ダビデのもとでイスラエルの平和が保たれることにもなりました。

 しかし、今日の箇所には、シェバが反逆したことについて、神の御心を問う言葉が出て参りません。預言者に尋ねることも、神に祈る言葉もありません。サムエル記の記者は、そのことに気づかせようとしているのではないでしょうか。アベルでの戦いは、どちらが良くてどちらが悪いというものではありません。勝てば官軍でもないでしょう。イスラエル民族同士が分かれ争っているところに問題があるのです。力と力の対決は、真の平和を生み出しません。相手を思い遣る心、相手の言葉に耳を傾ける心がなければ、一致することは出来ません。

 ところで、今日の箇所には、シェバが反逆したことについて、神の御心を問う言葉が出て参りません。預言者に尋ねることも、神に祈る言葉もありません。サムエル記の記者は、そのことに気づかせようとしているのではないでしょうか。この戦いは、どちらが良くてどちらが悪いというものでもありません。勝てば官軍でもないでしょう。イスラエル民族同士が分かれ争っているところに問題があります。

 主イエスが、「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない」と仰ったことがありますが(マタイ12章25節)、ダビデを巡る小さな諍いが国の分裂に発展しました。確かに、力と力の対決は、真の平和を生み出しはしません。相手を思い遣る心、相手の言葉に耳を傾ける心がなければ、一致することは出来ません。
 
 シェバが、「我々にはダビデと分け合うものはない。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、自分の天幕に帰れ」と語っていますが(1節)、ソロモンの死後、ネバトの子ヤロブアムがソロモンの子レハブアムに対して同様に語り、イスラエルは南北に分裂してしまいます(列王記上12章16節)。これが、力ずくで自分の思いを成し遂げようとする人間の罪の姿なのです。

 すべての隔ての壁を取り壌して神と和解させ、二つのものを一つにするキリストの十字架が立てられました(エフェソ書2章14節以下。キりストー人の犠牲により、すべての罪が赦され、神との和解が完成しました(第ニコリント5章18,19節)。こうして、私たちが外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、キリストにおいて共に建てられ、霊の働きによって神の住まわれる神殿となるのです(エフェソ2章19,21節)。

 パウロは、私たちの神こそ、「平和の源」と言います(ローマ書15章33節、16章20節)。御子キリストの贖いの業を通して私たちと和解を成し遂げて下さった平和の源なる神を仰ぎ、日々キリストにある喜びと平安をもって歩ませていただきましょう。

 主よ、私たちはこの世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。けれども、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって神と和解し、神に近づくことが出来ます。聖霊を通して、私たちの心に神の愛が注がれています。ここから、常に希望をもって前進します。キリストの平和と喜ぴが、全世界に広げられますように。平和のないところに平和を造り出すために、知恵を与えてください。真の知恵に基づいて、行動することが出来ますように。 アーメン




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