風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2014年11月

11月30日(日) ルツ記2章

「わたしの主よ、どうぞこれからも好意を示してくださいますように。あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました。」 ルツ記2章13節

 ナオミと共にユダのベツレヘムにやって来たモアブ人の嫁ルツは、落穂を拾いに畑に行くと、ナオミに告げます(2節)。それは大麦刈の始まるときでした(1章22節)。過去の飢饉が嘘のような情景です。ナオミにとって、モアブ行きは何のためだったのかと、あらためて嘆きたくなるような話です。

 律法には、「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない」と規定されています(レビ記19章9,10節、23章22節、申命記24章19節以下など)。

 しかし、モアブ人のルツが、この規定を知っていたということはないでしょう。あるいは、ナオミがユダヤにはそのような決まりがあるということを教えたので、ルツが、それでは行って来ますということだったのではないでしょうか。

 ルツは、刈り入れをしている農夫たちを見つけて、落穂を拾い始めました。それは、「たまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地」(3節)でした。つまり、ナオミの夫エリメレクの親族の畑と知らずに、ルツは落穂拾いを始めたわけです。しかし、農夫たちのほうは、ナオミに着いて来たモアブの娘であるということを知っていました(4節)。そして、若い女性の動向が気になったのか、彼女の行動を観察していたようです。

 というのは、主人ボアズがルツのことを召使いたちに、あれは誰の娘かと尋ねたとき(5節)、「ナオミと一緒に戻ったモアブの娘」(6節)と答えただけでなく、「『落穂を拾い集めさせてください』と願い出て、朝から今までずっと立ち通しで働いておりましたが、今、小屋で一息入れているところです」(7節)と報告しているからです。彼らはよそ者のルツに対して、誠実な働き者という大変よい印象を持ったようです。

 ボアズはその後ルツに、「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、まったく見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました」(11節)と語っています。モアブの地で亡くなったエリメレクのこと、その後のナオミの苦労などについて、そして、その嫁ルツがナオミについてベツレヘムに来たことも、あらかじめ聞き知っていたわけですね。

 自分の畑で働いている若い女性が、そのルツであったことを知り、しかもその誠実な働きぶりを召し使いから聞いて、ボアズはルツに親切を示します(8,9,12,14節以下)。5節の「誰の娘か」というのは、「召し使い」(ナアル)の女性形が用いられて、彼女の主人、父親などについて尋ねる言葉ですが、8節でルツに、「わたしの娘よ」(バトゥ)と呼びかけたとき、彼は自分の家族として守ろうという言葉遣いをしています。

 思いがけない親切に、ルツはかえって警戒感をもって、「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは。好意を示してくださるのは、なぜですか」と問うていますが(10節)、それが確かに好意であると分かると、冒頭の言葉(13節)のように、「どうぞこれからも好意を示してくださるように」と、少々厚かましくお願いをしています。

 ここで、「あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて」というのは、原文は、「あなたは、あなたのはしために親切に語られたからです。わたしはあなたのはしための一人のようではないのですけれども」という言葉です。

 「はしための一人のようではない」というのを、新共同訳聖書は、「はしための一人にも及ばぬ」と、謙遜して語っているように訳していますが(岩波訳も同様)、反対に、「わたしは、ただのはしためではない」というニュアンスに訳出することも出来ます。ルツはここで、確かに謙遜に語ったと思います。ルツの誠実な働きぶり、姑のナオミに対して示した親切、そして、この謙遜な態度により、ボアズの心に好意以上のものが芽生えていたのでしょう。

 そして、後に、ルツはボアズの妻として迎えられることになり(4章10節)、二人の間に子が授けられます。その子の孫が国王となります。確かに、ルツは、ただのはしためではありませんでした。ダビデ王の曾祖母となったのですから。

 当然のことながら、このときルツは、自分がボアズの嫁となることはおろか、曾孫が国王になることなど、思いつきもしなかったことでしょう。ただただ、「はしための一人にも及ばぬ」自分に親切にしてくれるボアズに、感謝するばかりだったと思います。

 「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かのときには高めていただけます」(第一ペトロ書5章6節)。

 主よ、あなたはナオミを顧み、その嫁ルツに目を留めて、ボアズを通して恵みをお与えになります。まだ、ナオミもルツも、そしてボアズも知りませんが、彼らが出会うことは、あなたのご計画でした。主の御業が最善であると信じられる人は本当に幸いです。その幸いを私たちにも授けて下さい。御心がこの地になりますように。アーメン



11月29日(土) ルツ記1章

「ナオミは言った。『どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。出て行くときは、満たされていたわたしを、主はうつろにして帰らせたのです。なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。主がわたしを悩ませ、全能者がわたしを不幸に落とされたのに。』」 ルツ記1章20,21節

 これから、ルツ記の学びです。ルツ記で物語られているのは、イスラエルが誇る王ダビデが誕生する3世代前のことです(4章17節)。ダビデは、紀元前1000年ごろ、今からおよそ3000年前に登場して来ました。その三世代前とすれば、3100年ほど前ということになります。1節によれば、それはイスラエルで王制が採られる前の、士師によって国が治められていた時代のことでした。

 最初の舞台は「モアブの野」です(2節)。イスラエルが飢饉に襲われたので、ユダのベツレヘムから、夫エリメレク、妻ナオミ、マフロンとキルヨンという二人の息子の4人家族が(2節)、飢饉を逃れてモアブの野に移り住みました。

 かつて、イスラエルの父祖アブラハムが飢饉を逃れてエジプトに下ったのを皮切りに(創世記12章10節以下)、その子イサクはゲラルのペリシテ人の地に逃れ(同26章1節以下)、その子ヤコブとその家族は、ヨセフが宰相を務めるエジプトに下りました(同6章)。ユダの山地はおよそ肥沃な農地ではないので、そこに住む人々は、しばしば、家族を守るために食料を求めて移動しなければならなかったのです。

 ところが、モアブの野に移ってどれほどの時間が経ったときか分かりませんが、エリメレク一家の大黒柱が亡くなります(3節)。日本語に訳されていませんが、原文を見ると、2節では、「彼の二人の息子」ですが、3節では、「彼女の二人の息子」と言い換えられています。妻のナオミがエリメレクに代わって主役になったということです。

 やがて、残された二人の息子たちは、モアブの女性を妻に迎えました(4節)。婚姻関係を持つことで、生活の安定を図ったものと考えてもよいのでしょう。その後、10年ほどは安穏とした生活が営まれたようです。

 けれども、なんと、マフロンとキルヨン、二人とも相次いで亡くなってしまいます(5節)。彼らには、10年の結婚生活で子どもが与えられなかったようです。どう考えてよいのか分かりませんが、ナオミにとっては、夫と息子という、頼りとする男性すべてを、この地で失ってしまうことになりました。

 ただ、ヘブライ語を話す者にとっては、息子たちが亡くなることは、決して突飛なことではありません。というのは、マフロンとは「病気、弱さ」(ハーラー)と関連し、キルヨンは「失敗、虚無、絶滅」(キラーヨーン)と関連する名前だからです。名は体を表すと言いますが、名前の通りになったわけです。どこか、史実とは違うフィクションの匂いがしないでもない命名で、話をドラマ仕立てにしているかのようです。

 男たちを相次いで失ったナオミは、ついに帰国を決意しました(6節)。飢饉を逃れてモアブの地に来たのですが、そのときは、夫と二人の息子がいて、若さもあり、将来に不安を抱いていなかったことでしょう。しかしモアブの地で10年余を過ごし、生活の基盤を整えることが出来たわけでしょうけれども、将来を共に歩む最愛の家族を皆失ってしまったのです。

 これから、何を頼りに生きていけばよいでしょうか。不安を通り越して、絶望してしまいました。ただ、一縷の望みといってよいかどうか、自分が帰ろうとしている故郷では、「主がその民を顧み、食べ物をお与えになった」ということを、風の便りに聞いたのです(6節)。それで、どうせ死ぬなら故郷でというような思いを起こさせ、帰ろうということになったのでしょう。

 しかし、そこに働いているのは、主の御業です。主がイスラエルの民を顧みられたというのです。それが、ナオミの帰還を可能にしたということは、そこに主の導きの上にあったということ、それが主の御心であったということではないでしょうか。 

 それがまだ、ナオミ自身の希望となってはいなかったのは、故郷に帰ったナオミに、町の女性が「ナオミさんではありませんか」と声をかけられて(19節)、「はい、そうです」とは答えないで、冒頭の言葉(20節)の通り、「どうか、ナオミと呼ばないで、マラと呼んでください」と答えています。新共同訳聖書にはカッコ書きで注釈がつけられていますが、「ナオミ」は「快い」、「マラ」は「苦い」という意味です。

 国を出るときは、家族に囲まれて「ナオミ」でしたが、今はすべてを失って「苦しみ(マラ)」だというのです。しかも、そのようにしたのは主なる神だ、神が自分を不幸に堕とされたのだと、ナオミは考えています(21節)。夫を、そして息子たちを取り上げたのは、主の御手だと、嫁たちにも語っていました(13節)。確かに、そう言いたくもなる状況ではあります。

 しかしながら、彼女はすべてを失ったわけではありません。飢饉で逃げ出した故郷を主が顧みて、今は食べ物があるようになっています。将来を託した息子は失いましたが、七人の息子にもまさる嫁のルツが(4章15節)、家に帰れといっても(11節以下、15節)、「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神。あなたの亡くなられる所でわたしも死に、そこに葬られたい」といって(16,17節)、ナオミに着いて来ているのです。

 二人がナオミの故郷の「ベツレヘムに着いたのは、大麦の借り入れの始まるころ」でした(22節)。自分では、今は「苦しみ(マラ)」と思っていても、神は彼女を「ナオミ」と呼ばれます。主の計画は、平和の計画であって災いの計画ではなく、将来と希望を与えるものだからです(エレミヤ書29章11節)。

 主よ、あなたは私たちのために、ご自分の栄光の富の中から、必要のすべてを豊かに備えてくださるお方です。あなたが私たちに最善のことをしてくださいます。そう思えない状況の中で、主を信じられる者は本当に幸いです。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰を与え、導いてください。 アーメン



11月28日(金) 士師記21章

「共同体の長老たちは言った。『生き残った者に妻を与えるにはどうすればいいだろう。ベニヤミンの女は絶えてしまった』。」 士師記21章16節

 いよいよ、士師記最後の章です。ベニヤミンの町に残る者は皆、人も家畜も残らず撃たれ、ギブアのみならず、どの町にも見つけ次第火が放たれたので、荒れ野のリモンの岩場に逃れた600人の兵士以外、ベニヤミンの民は死に絶えてしまいました(20章47,48節)。

 イスラエルの人々は、ベニヤミンには嫁をやらないという誓いを立てました(1節)。これがどのタイミングでなされたのかは不明ですが、この誓いが実行されれば、男性600人しかいないベニヤミン族は、最終的に滅んでしまうことになります。かくて、ギブアでなされた非道に対する制裁が完了するわけです。

 ところが、イスラエルの民は、再びベテルに上り、神の御前に声を上げて泣きました(2節)。それは、ベニヤミンに勝利した嬉し泣きなどではありません。ギブアの住民は確かに酷いことをし(19章)、ベニヤミンはその罪を取り除こうとするどころか、皆ギブアに集まって、制裁しようとするイスラエルに刃向かいました(20章12節以下)。

 それによって、イスラエル軍の兵士に4万もの大きな犠牲が出ました。だから、徹底的な裁きを受けることになったのです。とはいえ、ベニヤミンもイスラエルの大切な家族です。だから、イスラエルの家族から、ベニヤミン一部族が欠けてしまうことを嘆いているのです(3節)。

 翌朝、民は祭壇を築き、神に献げ物をささげます(4節)。その後、全部族の中でミツパの集会に来なかった者がいるか、調べます。その者は死なねばならない、という誓いがなされていました(5節)。すると、ヤベシュ・ギレアドの住民が一人もいなかったことが判明します(8節)。そこで、イスラエルはヤベシュに1万2千の兵を送り、処女の娘4百人を残して、他は滅ぼし尽くしました(10~12節)。

 民は、リモンの岩場にいるベニヤミンの兵士たちに使者を送って和解を呼びかけ(13節)、ヤベシュの娘たちを彼らに与えました(14節)。しかし、女性がまだ2百人足りません。残りは、シロの町で行われる祭りに出て来る娘の中から、妻とする娘を捕らえてベニヤミンの地に連れ帰ることを許します(19節以下)。

 およそ、尋常なやり方ではありません。しかし、制裁のために、娘をベニヤミン人の嫁にはやらないと誓った手前、通常の方法で嫁を取らせることが出来ません。一方、嫁をとらせなければ、ベニヤミン族は滅びてしまいます。それを黙視しているわけにはいかないということで採られた、苦肉の策なのです。

 25節に、「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」と告げられて、士師記が閉じられます。民を治める指導者がなければ、いかにわがままになるかという表現と読めます。このような状況が、強力な指導者の登場を待望させることになるわけです。

 因みに、ベニヤミンのギブアは、イスラエルの初代の王となった、サウルの出身地です(サムエル記上10章20節以下、26節)。ならず者が首長として治めていたような町ギブアが、この苦しみを経験した後、イスラエルの初代の王を送り出す町になったのです。

 また、イスラエルの民がベニヤミンに制裁をするために集まった町ミツパは、サウルがサムエルによって油注がれ、王に即位する場所となりました。まさに、主の憐れみは限りなく豊かであり、その慈しみは永久に絶えることがないのです。

 そしてまた、17,18章でダン部族が北に移動する物語と、続く19,20章のベニヤミン族の犯行の物語にも、ユダのベツレヘム出身の人物が登場して来て、士師記の後に配置されているルツ記への道備えのようになっています。

 振り返って私たちのことです。私たちもベテル(「神の家」の意)に上りましょう。主が共におられるという信仰を新たにしましょう。御前に思いと願いを注ぎ出して祈りましょう。主が触れて下さいます。リモンの岩場に逃れましょう。主が私たちをご自身の命で豊かに養い、守って下さいます。主の恵み豊かに味わい、心から御名を褒め称えましょう。

 主よ、御名を崇めます。あなたは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流されます。ルズをベテルに換え、水をぶどう酒にし、万事を益となるように働いて下さいます。主を信じ、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主を愛する者とならせて下さい。 アーメン



 

11月27日(木) 士師記20章

「イスラエルの人々は皆、そのすべての軍団と共にベテルに上って行き、主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた。」 士師記20章26節

 レビ人の送りつけたものに全イスラエルは鋭く反応し、ミツパに集結しました(1節)。「一団となって一人の人のようになり」というところにその驚きぶりが窺え、その後の対応が全く一様であったということです。「ミツパ」とは、見張所、物見櫓という意味で、イスラエルの各所にその名で呼ばれるところがあります。ギブアで何があったのかを知ろうとして、そこに集まって来たのです。

 イスラエルの人々は、レビ人から事の次第を聞き(3節以下)、イスラエルの中で行われた非道を制裁することに決し(10節)、ベニヤミンに対し、ギブアで犯行に及んだ者を引き渡すように求めます(12,13節)。ところが、ベニヤミンの人々は引渡しに応じないだけでなく、ギブアに集結して、イスラエルの人々と戦うために出て来たのです(13,14節)。

 そこで、イスラエルの部隊はベニヤミンに制裁を加えるため、主の託宣を受けて、ギブアに攻め上りました。しかし、二度にわたってベニヤミン軍に打ち破られ、4万人もの犠牲者を出しました(21,25節)。神の命により、敵の10倍以上の軍勢を送り込んでいるのに、敵軍に倍するほどの犠牲者を出したのです(15,17節)。いったい、どうなっているのでしょうか。

 そのとき、イスラエルのとった行動が、冒頭の言葉(26節)に記されています。イスラエルの民は、ベテルに上り、主の御前で泣きました。あまりにも多くの犠牲が出たからです。イスラエルの中に起こった事件で、その悪を取り除こうとしているのに、悪に悪が重なるように犠牲が増えていくという、耐えられない状況でした。親が、伴侶が、子どもが犠牲になったとすれば、どんなに悲しいことでしょう。誰も笑ってはいられなかったのです。

 そして、夕方まで断食しました。イスラエルの民がその日一日断食したのは、あまりの悲しみのために食事をするにならなかったというのが真相かもしれませんが、断食するのは、祈るためです。命を懸けて主と対話するという姿勢です。人々は祈らずにおれなかったでしょう。それから、イスラエルの民は、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました。

 主の御旨に従いながら、多くの犠牲を払うことになり、ただ悲しく辛いという思で涙を流し、断食をしている中で、イスラエルの民は神の御声を聞き、あらためてその御心に触れたのではないでしょうか。

 ベタニヤのマルタとマリアが、兄弟ラザロの死を悼んで泣いているのをご覧になった主イエスは、私がいるのに何故泣くのか、泣く必要などないだろうとは言われませんでした。「イエスは涙を流された(Jesus wept)」と聖書には記してあります(ヨハネ11章35節)。主イエスは、涙する者と共に涙を流してくださるお方です。それこそ、主イエスの愛です。

 イスラエルの民は、主の御前で泣いたと記されていますが、それは、主なる神が、泣いているイスラエルの民の前においでくださった、泣くイスラエルの人々と一緒にいてくださったということでもあるでしょう。その主の愛に触れました。主の憐れみに触れました。それは、本当に心慰められ、癒される体験だったことでしょう。主の御心を聞いた民は、献げ物をささげました。それは、悔い改めの献げ物であり、また感謝の献げ物です。

 ベテルは、かつてイスラエルの父祖ヤコブが孤独な逃避行の中で神と出会った場所、そして、神の前に祭壇を築いた場所です(創世記28章、35章)。ベテルとは、「神の家」という意味です。荒れ野で神と出会った、ここにも神がおられたという信仰の表明ですね。

 士師記の時代には、ベテルに神の契約の箱が置かれ、祭司ピネハスが御前で仕えていた、と記されていますが(28節)、イスラエルの人々は長らく、それぞれが自分の目に正しいと見えることを勝手に行っていて(17章6節)、神に祈り、御旨に従うことをしておりませんでしたから、ここでもう一度神と出会い、神との交わりが再開されたということなのでしょう。神と民との心が通じ合うようになったのです。

 それから、イスラエルの民はあらためて、出陣すべきか否かを主に尋ねました。すると主は、「攻め上れ」と命じられ、そして、「彼らをあなたの手に渡す」と約束して下さいました(28節)。そして、約束通り、ベニヤミンをうち負かすことが出来ました。この勝利の秘訣は、イスラエルの民が神の前に謙り、泣いて祈ったこと、御旨を悟り、御旨に従ったことです。

 長い間不従順であった民は、二度の敗北で打ち砕かれ、謙遜を学びました。従順を学んだのです。祈りを回復することが出来ました。主の憐れみは無限大、その慈しみは永久に絶えることがありません。

 主よ、私たちに憐れみと祈りの霊を注いでください。真の悔い改めに導いてください。主の命に与り、清められ、癒され、救われ、平安になり、何より主との深く豊かな交わりに与るためです。御言葉と御霊の導きに聴き従うことが出来ますように。アーメン



11月26日(水) 士師記19章

「イスラエルの人々がエジプトの地から上って来た日から今日まで、このようなことは決して起こらず、目にしたこともなかった。このことを心に留め、よく考えて語れ。」 士師記19章30節

 「エフライム山地の奥に一人のレビ人が滞在していた」(1節)とあります。エフライムには、シケム、ゲゼル、キブツァイム、ベト・ホロンというレビ人の町があると、ヨシュア記21章20~22節に記されています。ここで、「一人のレビ人が滞在していた」という表現は、その理由は不明ですが、彼がレビ人の町を出て、エフライム山地の奥に、他のレビ人から離れて一人で生活していたということになるでしょう。

 そして、ユダのベツレヘムから一人の女性を側女として迎えたと記されます(1節)。レビ人は側女を持ってはならないというような律法はありませんが、神に仕えるために身を清めなければならない者として(民数記8章5節以下)、それはいかがなものでしょうか。

 ところが、その側女がレビ人のもとから逃げ出し、実家に帰ってしまいます。「側女はを裏切り」(2節)ということについて、岩波訳には、「側女は夫を〔裏切って〕淫行に走り」と記されています。そして、「恐らくヤハウェ祭司である夫の立場を無視してバアルの祭儀に参加したことを示唆するもの」と注釈をつけています。

 なぜそのような行動に走ったのか、理由は記されていません。彼は、4ヶ月たって側女を迎えに出向きます(3節)。「その心に話しかけて」は、イザヤ書40章2節、ホセア書2章16節にも同様の言葉遣いがあり、それは、主なる神から離れていた者の帰還を促す愛情を示す表現です。

 義父はレビ人の訪問を喜び、彼が帰ろうとするのを何度も引き留めます(4節以下)。それは、婿との交わりを楽しんでいるというより、娘のことを案じてのことだったのではないかと思われます。一方、レビ人は直ぐにも家路につきたかったのでしょうが、再び側女が離れて行くようなことがないようにと、気を使っていたのでしょう。

 ようやく、5日目の夕暮れ近くに帰途につきました(9,10節)。同行の若者が、エルサレムで一泊してはどうかと勧めるのに(11節)、「異国人の町には入るまい」とレビ人は答え、ベニヤミン領のギブアまで足を伸ばすことにします(12節以下)。確かに、エルサレムは、ダビデが攻め落として「ダビデの町」とするまでは、エブス人の支配していたところでした(サムエル記下5章6節以下)。

 レビ人はギブアに宿をとることにしましたが、レビ族の中でも祭司となるアロンの子孫の住むギブオンやゲバ、アナトト、アルモンという町が、ベニヤミンの嗣業の地にはあります(ヨシュア記21章17,18節)。どうして、それらレビ人の町に向かわなかったのかは、不明です。

 そして、ギブアには、「彼らを家に迎えて留めてくれる者はいなかった」(15節)と記されています。仕方なく、彼らが広場で夜を過ごすようにしていると、一人の老人が畑仕事を終えて通りかかり、彼らに声をかけ(16,17節)、家に迎えてくれました(20,21節)。

 ところが、そこに事件が起こります。町のならず者が家を囲み、「お前の家に来た男を出せ」と要求します(22節)。「我々はその男を知りたい」というのは、男色をするということでしょう。主人は、それを思いとどまらせるつもりで、自分の処女の娘と、旅人の側女を出すという提案をしますが(24節)、彼らは聞く耳を貸そうとしません(25節)。

 これは、かつて、ソドムのロトの家に二人の御使いがやって来たときに起こった出来事に、よく似ています(創世記19章1節以下、5,9節)。 違いは、この時、老人の家に御使いはいなかったということです。

 そこで、レビ人が側女を押し出すと、彼らは一晩中もてあそびます(25節)。朝になって、解放された女がようやく老人の家までたどり着きますが、そこに倒れて息絶えます(26~28節)。レビ人は、側女の遺体をロバに乗せてエフライムの家に帰り、それを12の部分に切り離して、イスラエル全土に送りつけます(28,29節)。冒頭の言葉(30節)は、それを見た人々の反応です。

 これは、神の選びの民イスラエルに本当にあったことでしょうか。旅人を慰み者にしようとするのは、当然、言語道断でしょう。また、神に仕えるレビ人が、危機を逃れるために側女を町のならず者に差し出したことは、神の前に問題にならないでしょうか。神に仕え、律法を人々に教える使命を持ったレビ人や、祭司たちが住む町ギブアの人々のこの非道な振る舞いは、どう考えればよいのでしょうか。

 そしてまた、レビ人が側女の遺体を12に切り離して、イスラエル全土に送りつけたというのには、どんな目的があったのでしょうか。これらのことについて、本当に、「このことを心に留め、よく考えて語る」必要があります。

 今日の箇所には、神の言葉がありません。祈りもありません。それが一番の問題でしょう。詩編119編9節に、「どのようにして、若者は歩む道を清めるべきでしょうか。あなたの御言葉通りに道を保つことです」(詩篇119編9節)と言われるとおり、神の御言葉を聞くことです。その導きに従うことです。レビ人、祭司たちがその務めを果たさなければなりません。

 今日、我が国でも、性をもてあそび、命を粗末に扱うような事件があとを絶ちません。キリスト教会に重い課題が委ねられています。世の光であり、地の塩であるキリストの教会が、御霊の力を受け、御言葉と祈りをもって、その責任を果たせるようになりたいと思います。

 主よ、私たちの国に、町に、御言葉の光を与えて下さい。皆の心が光で照らされ、希望、愛、喜びで命が輝きますように。キリストの教会が、その使命を果たすことが出来ますように。私たちの上からの知恵と力を授けて下さい。真理の御霊の助けが常に豊かにありますように。 アーメ




11月25日(火) 士師記18章

「その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた。しかし、その町の元来の名はライシュであった。」 士師記18章29節

 1節に、「ダンの部族は、住み着くための嗣業の地を探し求めていた。そのころまで、彼らにはイスラエル諸部族の中で嗣業の地が割り当てられていなかったからである」とあります。けれども、ヨシュア記19章40節以下には、ダン部族に与えられた嗣業の土地の領域が記されています。

 ヨシュア記と士師記の間に乗り越え難い断絶があるようですが、間をとって、ダン部族には、ヨシュアの時に割り当てられた領域があったけれども、そこは、国境を接する隣国ペリシテによって絶えず脅かされる場所だったので、安住の地を探し求めていたということではないかと思われます。

 そこで、ダンの人々は、士師サムソン所縁のツォルア(13章2節)とエシュタオル出身の勇士5人を選び、相応しい地を探させます(2節)。彼らはエフライム山地のミカ(17章参照)の家の近くまで来て、そこで一夜を過ごし(2節)、そこにいたレビ人の声を聞いて(3節)、祭司の務めをしていることを知ると(4節)、旅の成否を祭司に尋ねました(5節)。

 祭司は、「安心して行かれるがよい。主はあなたたちのたどる旅路を見守っておられる」と答えました(6節)。そこで、5人は勇気づけられて、北方のライシュまで進みました。それは、ヘルモン山の麓、ヨルダン川の水源地フィリポ・カイサリアの側にあります。5人はそこをつぶさに調べ、仲間のところへ戻りました(7,8節)。

 そして、「彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた。あなたたちは黙っているが、ためらわずに出発し、あの土地を手に入れて来るべきだ。行けば、あなたたちは穏やかな民の所に行けよう。神があなたたちの手にお渡しになったのだから、その土地は大手を広げて待っている。そこは、この地上のものが何一つかけることのないところだ」と報告しました(9,10節)。

 そこで、ダンの人々はすぐに出発し、ユダとベニヤミンの相続地の境界線の町キルヤト・エアリム(「森の町」の意)の西に陣を敷きました。その地に宿営したという意味でしょう。そこが、「マハネ・ダン」(「ダンの陣営」の意)と呼ばれました(12節)。

 彼らは、そこからエフライム山地のミカの家まで進み、先の五人の者が家の中に入り、彫像、エフォド、テラフィム、鋳像を奪いました(17節)。さらに、そレを咎めた祭司に、ダン族の祭司となるよう求めました(19節)。すると、彼は快くそれに応じました(20,21節)。 

 レビ人のすべてが祭司となれるわけではありません。アロンの子孫だけが祭司となるのです(出エジプト記28章1節)。彼は、ユダのベツレヘムから、適当な居留地を求めてエフライム山地にやって来ていました(17章7,8節)。恐らく、アロンの子孫ではなかったのではないかと思いますが、ミカによって一個人の家の祭司となり、今度は、イスラエルの12部族の一つ、ダン部族の祭司となるのです。

 祭司を連れ去られ、 彫像、鋳造を奪われたことを知ったミカが、家族を呼び集め、ダン部族を追いかけました(22節以下)。ところが、ダンの人々は、神々と祭司を奪ったことを詰問するミカに、「そんなたわごとを我々に聞かせるな」(25節)といって、彼を脅します。敵わないと見たミカは、すごすごと引き下がるほかありませんでした(26節)。

 やがて、ダン族の人々はライシュを襲って焼き払い、そこに住み着くために町を再建します(27,28節)。そして、冒頭の言葉(29節)の通り、町の名をダンと改めます。ヨシュア記19章47節に、「ダンの人々は領地を奪われた後、北上し、レシェムを攻めてこれを占領し、剣をもって住民を撃ち、そこを手に入れて、そこに住んだ」とありますが、これが、同じ出来事を指しているといってよいのかも知れません。

 ダン族の人々は、ミカの家から盗って来た彫像を安置し、そこで礼拝を行います(30節)。前述の通り、ライシュはヨルダン川の水源地フィリポ・カイサリアの側にあるのですが、そこは、主イエスが弟子たちに、「あなたがたはわたしを何者だというのか」と尋ね、シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた場所です(マタイ16章13節以下)。

 ちなみに、ヨルダンとは、「下る」という意味の「ヤーラド」という動詞と関連のある言葉です。おそらく、「ダンから下る」ということで、ヨルダン(原語で「ヤルデーン」)と言われるのであろうと思われます。 

 フィリポ・カイサリアについて、水源地にはパン神が祀られていて、もともとパネアスと呼ばれていました。紀元前193年にシリアのアンティオコスⅢがエジプト軍を破った場所として、初めて文献にその名が登場します。紀元前20年にアウグストゥスがヘロデ大王にこの地を下賜し、ヘロデは皇帝の像を安置した神殿を建てて皇帝に敬意を表わしました。

 後にヘロデ大王の子ヘロデ・フィリポが町の名をカイサリアと改め、父が地中海沿岸に設立したカイサリアと区別するため、自分の名を加えてフィリポ・カイサリアとしたのです。その後、ネロ皇帝の名を冠してネロニアスと呼ばれたこともありますが、現在は、もとのパネアスに戻っています。

 主イエスとシモン・ペトロのやりとりは、かつてダン部族によって彫像が安置され、パン神が祀られるところとなり、後にローマ皇帝の神殿が建てられたこの地で、誰を礼拝するのか、誰を主と呼ぶのかということを、確認したわけです。

 また、主イエスを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになると言われたように(ヨハネ7章38節)、ヨルダン川水源地でのペトロの信仰告白は、この信仰が聖霊によってイスラエル全地に広められることを示しているとも言えるでしょう。それはまた、ダン部族のむさぼりと偶像を礼拝した罪が全イスラエルを汚染して来たので、主イエスを信じる信仰が、それを清めたというかたちでもあります。

 「神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(第一ヨハネ書1章7節)。主イエスに対する信仰を言い表し、主の恵みの光のうちを歩ませていただきましょう。 

 主よ、人は自分の知恵や行動で救いを獲得することは出来ませんでした。聖書がいうとおり、人々は腐敗して忌むべき行いをし、善を行う者はいないのです。けれども、主はなおもこの世を愛され、私たちのために御子イエスをお遣わし下さり、主を信じる者に永遠の命を与え、神の子となる資格をお与え下さいました。ただ感謝するほかありません。御名が崇められますように。 アーメン



11月24日(月) 士師記17章

「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた。」 士師記17章6節

 17章、18章の物語は、「エフライムの山地に名をミカという男がいて」という書き出しで始まります(1節)。「士師記」の中にある物語ですが、17章以降に、士師は登場して来ません。ミカは母親に、「銀千百シェケルが奪われたとき、あなたは呪い、そのことをわたしにも話してくれました。その銀はわたしが持っています。実はわたしが奪ったのです」と告げました(2節)。

 10節で、ミカがレビ人と、年に銀十シェケル、衣服ひとそろい、および食糧で祭司として雇うという契約を結んでいます。それを見ると、銀千百シェケルがいかに大金であるかが分かります。母親が盗人を呪ったのも当然です。ただ、レビ人の年棒の110倍という大金を盗まれても、その後の生活に特に支障を来し、困窮したということでもなさそうですから、ミカの家は相当の資産家だったということでしょう。

 ミカが自分の罪を告白したとき、大金を盗んだのが自分の息子だったと知った母親は、その罪を咎めもせず、「わたしの息子に主の祝福がありますように」と言います(2節)。自分のかけた呪いが息子に及ぶことがないようにという親心でしょうか。

 息子が金を母親に返すと、「息子のために彫像と鋳造を造っていただこうとして、この銀はこの手で聖別し、主におささげしたものです」と言い(3節)、二百シェケルを取って彫像と鋳像を造らせます(4節)。息子を祝福してくれる神の像を、彫像と鋳像で造ったということです。5節によれば、それは、エフォドの彫像、テラフィムの鋳像ということのようです。

 ただ、千百シェケルは、そのために聖別していたものだと言いながら、実際には二百シェケルでその像を造らせたというのですから、この母親の言動は、神を愚弄しているというか、とても滑稽です。

 主なる神は、十戒に於いて、「あなたはいかなる像も造ってはならない」(出エジプト記20章4節)、「あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない」(同5節)と命じておられます。申命記27章15節には、「職人の手に業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、密かに安置する者は呪われる」と規定されています。

 また、ナホム書1章14節でも、「お前の名を継ぐ子孫は、もはや与えられない。わたしは、お前の神の宮から、彫像と鋳像を断ち、辱められたお前のために墓を掘る」と断じられています。つまり、息子を祝福するつもりで造らせた彫像と鋳像は、実際には、息子の呪いとなるのです。

 ミカは神殿を持ち、エフォドとテラフィムを造ってそれを神殿に安置し、息子の一人を祭司としていました(5節)。そこに、母親が造らせた彫像と鋳像も置かれました。18章14節は、そのことを示しています。神の御心を尋ね、幸いを得ようとして偶像を造り、拝んでいるわけですが、それは、神を喜ばせる礼拝ではなかったのです。

 息子を祭司としたことについて、出エジプト記28章1節によれば、神が祭司として立てたのは、アロンとその子らであり、民数記3章10節には、「アロンとその子らを監督して、その祭司職を厳守させなさい。ほかの者がその務めをしようとするならば死刑に処せられる」と規定されています。

 後で、ユダのベツレヘムの町から来たレビ人が祭司として雇われることになりますから(7節以下、12節)、ミカ自身、息子を祭司とするのは変だと思っていたわけでしょう。10節で、祭司として雇うレビ人の若者に、「わたしの家に住んで、父となり、祭司となってください」と頼んでいますが、ミカは、祭司とした息子に対しても、「父」として、また「祭司」として、敬意を払っていたとは考えられません。

 「ミカ」というのは、「誰がヤハウェのようなものであるか」(ミカーイェフー)という名前です。それは、ヤハウェのような神はどこにもいない、誰もヤハウェに並びうる者はないという信仰を表明しているものです。けれども、ここには、主に対する畏れも、主の御言葉に従おうとする信仰も、全く見出されません。

 冒頭の言葉(6節)は、相応しい指導者が不在で、「自分の目に正しいとすることをする」というのが、自分の思いどおりに生きることだったということを示しています。そこに、すべての問題の根源があるのです。このことが、後に、指導者として、王を立ててほしいということになっていくのですが(サムエル記上8章5節)、それも、「自分の目に正しいことをする」ということでした。主はそれを喜んでおられなかったからです(同8章7節)。

 私たちの内から、神の御旨に沿わないものをとりのぞき、「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6章33節)と言われた主イエスの御言葉に、日々耳を傾けましょう。

 主よ、日々、御言葉をお与え下さり、有り難うございます。私たちは、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる者だからです。開かれた耳を持ち、絶えず御言葉に聞き従う者とならせて下さい。御名が崇められますように。 アーメン



11月23日(日) 士師記16章

「わたしの神なる主よ、わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください。」 士師記16章28節

 1節に、「サムソンはガザに行き、一人の遊女がいるのを見て、彼女のもとに入った」とあります。ガザは、ペリシテ南部の町で、ツォルアからは勿論、ユダの地のエタムからでも、かなりの距離があります。サムソンがそこまで遊びに行けたということは、彼を恐れて、その行動を妨げることが出来なかったということでしょうか。

 ガザの町の人々が門のところで彼を待ち伏せして殺してしまおうと一晩中見張っていたところ、夜中に目を覚ましたサムソンは、町の門の扉と両脇の門柱を掴んで引き抜き、肩に担いでヘブロンを望む山の上に運び上げました(3節)。その恐るべき怪力に、待ち伏せしていた町の人々は、手を出すことが出来ませんでした。

 その後、サムソンは、ツォルアの近くのソレクの谷にいるデリラという女性を愛するようになります(4節)。ソレクの谷は、エルサレムの西南西約20㎞から始まり、ヤッファの南で地中海にそそぐワーディ・エ・サラールと同定されています。ワーディとは、降雨の時だけ水が流れる、涸れた川のことです。通常は、地中海とユダの山地を結ぶ要路の一つで、それに沿って、ベト・シェメシュ、ティムナ、ツォルアなどの町々があります。

 ペリシテの領主たちがデリラのところにやって来て、サムソンの力の源がどこにあり、どうすればサムソンを縛り上げ、苦しめることが出来るのか、その秘密を探り出すよう頼みます。ということは、デリラはペリシテの女性だったのだろうと考えられます。

 その際、ペリシテの領主たちがそれぞれ銀1100枚ずつ与えると約束しています(5節)。ヨシュア記13章3節に、「五人のペリシテ人の領主の治めるガザ、アシュドド、アシュケロン、ガト、エクロン」とあることから、5人の領主が揃ってやって来たと考えると、銀1100枚ずつ、計5500枚を与える約束をしたことになります。

 銀1100枚は、エフライムのミカという人物が母親から盗んだという金額と同額であり(17章2節)、また、ミカが雇ったレビ人の年棒が十シェケルであったことを考えると、銀5500シェケルは驚くべき高額です。それほどの報酬を用意したということは、サムソンの人間離れした怪力に本当に手を焼いていたということが覗えます。

 高報酬に目がくらんだデリラは、早速サムソンに力の秘密を教えるように、迫ります(6節)。サムソンはしばらく適当にあしらっていました。けれども、しつこく迫るデリラの攻勢に耐えきれず(15,16節)、ついに、生まれながらのナジル人で、髪を剃られたら力が抜けてしまうということを打ち明けてしまいます(17節)。愛する女性に秘密を持ち続けることが出来なかったわけです。

 秘密を知ったデリラは、ペリシテの領主に使いを出し(18節)、サムソンが眠ったところで髪の毛を剃らせました(19節)。聖別のしるしを失ったサムソンは、主が彼から離れられたので、力を失ってしまいました(20節)。デリラとは、「だれる、元気がなくなる、衰える」という意味の「ダーラル」という動詞と関係の深い名前です。名は体を表すというごとく、デリラと関わって、サムソンはその力が衰えてしまったのです。

 ペリシテ人らはサムソンを捕らえ、目をえぐり出してガザに連れ下り、青銅の足枷をはめて牢屋で粉をひかせます(21節)。そのとき、サムソンは何を思っていたでしょうか。それは何よりも、髪を剃られて聖別のしるしを失ったこと、それゆえ、士師としてペリシテからイスラエルを守るために戦う力を失ってしまったことを、深く後悔していたことでしょう。

 「しかし、彼の髪の毛はそられた後、また伸び始めていた」と、22節に記されています。それは、人間としての普通の現象ですが、あらためてそのように告げられているのは、生まれながらのナジル人として聖別された者であることが、再び示されたということでしょう。それは、サムソン自身というより、母親の献身のゆえであり、サムソンを士師とされた主の深い憐れみのゆえです。

 ペリシテの領主たちは、宿敵サムソンを捕らえることが出来たとして、神ダゴンに盛大な生け贄を献げ、祭りを行っていました(23節)。宴会が進み、彼らは上機嫌でサムソンを引き出し、見世物にして楽しもうということになります(25節)。自分たちを苦しめてきたサムソンの惨めな姿を笑いものにして、留飲を下げるわけです。

 一方、異教の神が礼拝される中、そこに引き出されたサムソンは、主なる神に祈りを捧げます。それが冒頭の言葉(28節)です。サムソンが主に祈ったというのは、これが最初で最後です。それまでサムソンは、主を側近くに感じながら、力に満ちて活躍して来ました。しかし今は、三千もの人々が自分を嘲笑するために集う競技場のようなところで、見えない目を神に向けます。

 神の助けがなければ何も出来ない自分であることを、いやというほど思い知らされています。愚かにも聖別のしるしを失って主から見放されてしまいました。主が顧みて下さるという確信もなく、けれども、祈らざるを得なくて祈りました。「わたしの神なる主よ、わたしを思い起こしてください。神よ、今一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの二つの目の復讐を一気にさせてください」と。

 「復讐のために」という祈りの言葉に問題を感じないわけではありませんが、しかし、神はサムソンの祈りを聞かれました。主は、御前に謙り、助けを求める祈りを聞かれないお方ではありません。打ち砕かれ悔いる心を神が侮られることはないのです(詩編51編19節)。

 建物を支えている柱にもたれかかり(29節)、力を込めて押したところ、建物は崩れ落ち、サムソンも、ペリシテの領主たちも、その建物の中にいたすべての人が死にました(30節)。サムソンは、その死をもって40年に亘るペリシテの支配に終止符を打たせ、イスラエルの士師としての務めを全うしたのです。

 私たちの主イエス・キリストは、何の罪も犯されませんでしたが、人々に捕らえられ、嘲られ、罵られ、十字架に死なれました。その死により、すべての人々の罪を赦し、永遠の命に与る救いの道を開かれました。私たちは、信仰により、恵みによって救われたのです(エフェソ書2章1節以下、8節)。 その恵みに感謝しつつ、主の愛の証し人としての使命を全うさせて頂きましょう。

 主よ、私たちも弱さ、愚かさをもっています。何度もあなたを悲しませて来ました。あなたの憐れみにより、今、ここにいます。どうか私たちの祈りに耳を傾け、御霊の力をお授けください。赦す愛を授けて下さい。あなたの慈しみ深さを証しすることが出来ますように。 アーメン



11月22日(土) 士師記15章

「神はレヒのくぼんだ地を裂き、そこから水が湧き出るようにされた。彼はその水を飲んで元気を取り戻し、生き返った。それゆえ、その泉はエン・ハコレ(祈る者の泉)と呼ばれ、今日もレヒにある。」 士師記15章19節

 サムソンが、子山羊を携えてティムナに妻の家を訪ねると(1節)、義父は14章12節以下の謎かけの一件により、娘はサムソンに嫌われてしまったと考えて、サムソンの友人に嫁がせたと言います(2節、14章20節)。「嫌った」は、申命記22章13,16節との関連で、「離縁された」と考えたということです。

 それに腹を立てたサムソンは、この件で「ペリシテ人に害を加えても、わたしには罪がない」と語り(3節)、300匹のジャッカルを捕らえて、結び合わせた尾の真ん中に松明を取り付けて火をつけ、刈り取った麦束や麦畑、ブドウ畑にオリーブの木まで、皆燃やしてしまいました(4,5節)。

 サムソンの犯行と知ったペリシテ人は、腹いせにサムソンの妻の父の家に火を放ち、妻とその父親を焼き殺してしまいます(6節)。それを知ったサムソンは、今度はそれを口実に、報復と称して、ペリシテ人を徹底的に打ちのめしました(7,8節)。

 そこで、ペリシテ人がユダに上って来て、レヒに向かって陣を敷きます(9節)。それは、サムソンを縛り上げて、仕返しをするためでした(10節)。ペリシテ軍の展開に驚いたユダの人々がサムソンに質すと、彼らがしたようにしただけ、とサムソンは答えます(11節)。これではラチがあきません。双方とも、相手が悪いと言うからです。

 ユダの人々はサムソンを縛ってペリシテに渡すと言い(12節)、危害が加えられないことを条件に、サムソンは縄につきます(13節)。ペリシテ人は、縛られているサムソンを見て、「歓声をあげて彼を迎え」ます(14節)。ここで、「歓声」(ルーア)というのは、原語を調べると、戦い開始の鬨の声という意味です。つまり、勝利を確信した雄叫びだったわけです。

 ところが、そのとき神がサムソンに味方し、主の霊が彼の上に激しく降ります。すると、縛っていた縄が簡単に千切れてしまいます(14節)。サムソンは、落ちていたロバのあご骨で、千人を撃ち殺します(15節)。「あご骨」のことを、ヘブライ語で「レヒ」と言います。それで、その場所がレヒと呼ばれるようになったということでしょう。主の霊の力が加えられれば、ロバのあご骨でも、主によって用いられる道具、主の器となるのです。

 その後、サムソンは主なる神に祈ります。まずは、「あなたはこの大いなる勝利を、この僕の手によってお与えになりました」と感謝します。それに続いて、「しかし今、わたしは喉が渇いて死にそうです」と訴えます(18節)。死んでしまっては、もはや、勝利をもたらしたこの手で主のために働くことが出来ない、というわけです。

 そこで主は冒頭の言葉(19節)の通り、サムソンの願いを聞き入れて、そこに水の湧き出る泉を設けられました。サムソンはその水を飲んで、「元気を取り戻し、生き返った」と言われます。ここで、「元気を取り戻し」というのは、彼の霊(息)が戻った、即ち、死んでいたのに生き返ったという言葉遣いです。

 文字通り、泉の水を飲んで一息ついたということでしょう。先には、御霊が降って力づけられたサムソンですが、今度は、命の水でリバイブしたのです。

 そうしてサムソンは、20年にわたって士師として、イスラエルを裁きました(20節)。特にそれは、ペリシテ人の手からイスラエルを守る務めですが、40年にわたってペリシテに苦しめられていたイスラエルのために、よくその使命を果たしました。

 主イエスが、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4章14節)と言われました。この水は御言葉を象徴しており、それを飲むとは、信じるということを表しています。

 さらに、「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」と言われ(ヨハネ7章37,38節)、それは、信じる人々に与えられる御霊のことと説明されます(同39節)。

 絶えず、御言葉の恵みに与り、生き生きとした信仰生活を歩ませていただきましょう。御霊の力を受けて、主イエスの証し人としての使命を全うさせていただきましょう。

 主よ、あなたはご自分の選びの器として、敢えて無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれます。それは、有力な者、知恵ある者、家柄のよい者に恥をかかせ、だれ一人、神の御前で誇ることがないようにするためでした。故に、主よ、あなたに呼ばわります。助けを求めます。御言葉を与えてください。御霊に満たして用いて下さい。求める者に、聖霊をお与えくださるという約束の成就を信じて、感謝します。 アーメン



11月21日(金) 士師記14章

「そのとき主の霊が激しく彼に降ったので、彼は手に何も持たなくても、子山羊を裂くように獅子を裂いた。」 士師記14章6節

 マハネ・ダンで士師としての働きを始めたサムソンは(13章25節)、ティムナに下って行き、ペリシテ人の娘に心惹かれ(1節)、自分の両親に結婚の承諾を求めます(2節)。けれども、両親は、「無割礼のペリシテ人の中から妻を迎えようとは」といって、ペリシテ人女性を妻に迎えることに難色を示します(3節、創世記17章、28章1節、34章14節参照)。

 当時、イスラエルは40年に及ぶペリシテ人の支配を受けていました(4節)。それは、イスラエルの民が神に背いて異教の神々に仕え、神を怒らせたからです(13章1節)。ですから、両親には、サムソンの異邦の娘を娶るという振る舞いがますます神を怒らせると思われ、およそ承諾することは出来ないことだったでしょう。

 ところが4節に、「父母にはこれが主のご計画であり、主がペリシテ人に手がかりを求めておられることがわからなかった」と記されています。サムソンがペリシテ女性を妻に迎えることが主のご計画というのは、驚くべき言葉です。それは、主はカナンの風習に習うこと、カナンの住民と契約を結び、互いに縁組みすることを禁じておられたからです(出エジプト記34章11節以下、申命記7章1節以下)。

 これはしかし、今後もペリシテ人との縁組みは許可するということではありません。いわゆる、方針転換などではないのです。「主がペリシテ人に手がかりを求めておられ」たので(4節)、サムソンがペリシテ女性に一目惚れしたのを幸い、それを利用してペリシテを打とうとされたといいますか、サムソンの婚姻を通してペリシテ人との間に問題を生じさせ、サムソンが暴れてペリシテ人を打つようにさせたということでしょう。

 そのために、サムソンがペリシテの女性に目を引かれるように、神が仕向けられたということになるのかもしれません。このあとも、ガザの遊女のもとに行きますし(16章1節)、デリラという女性を愛するようにもなりました(同4節以下)。もしもサムソンが、無割礼の異邦の女性を娶ることなど、断じてしないと考える人物であれば、このような神のご計画は、成り立たなかったことでしょう。

 サムソンは婚礼のため、両親を伴ってティムナに下ります(5節)。ティムナのブドウ畑まで来たとき、一頭の獅子が吠えながら向かって来ました。サムソンはそのとき、冒頭の言葉(6節)の通り、獅子に素手で立ち向かい、子山羊を裂くように、獅子をいとも簡単に引き裂きました。

 勿論それは、人間業ではありません。聖書はそれを、「そのとき主の霊が激しく彼に降ったので」と説明しています(6節)。まさに超人的な神の力が彼のうちに働いたので、サムソンには、獅子が子山羊のように見えたのでしょう。そして、獅子を引き裂くことが出来たのです。

 獅子と戦うといえば、ローマ皇帝がキリスト教を弾圧し、捕らえたクリスチャンたちを見せしめに獅子と戦わせたと伝えられています。第一ペトロ書5章8節に、「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています」と記されているのは、クリスチャンに襲いかかっている獅子、教会を迫害しているローマ帝国の力の背後に、悪魔を見ているということになります。

 ペトロは続けて、「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」と言い(同5章9節)、「あらゆる恵みの源である神、即ち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神ご自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます」(同10節)と語ります。

 これは、サムソンが獅子に立ち向かって、子山羊を裂くようにそれを簡単に裂いたというような話ではありません。吠え猛る獅子の前に立ったクリスチャンたちは、それによって命を落としたことでしょう。帝国の圧倒的な力の前に、なすすべなく裂かれるほかないようなことだったでしょう。ところが、そのように命を賭して信仰に踏みとどまったクリスチャンたちの証しが、ローマ帝国を変えました。

 福音がヨーロッパ中に伝えられました。ルターがプロテスタントの運動を始めた頃、地球を東回りに幾つもの海を越え、我が国に、カトリックの宣教師によって福音が届けられました。また、信教の自由を求めた清教徒たちが大西洋を越えてアメリカ大陸に渡り、それから、太平洋を越えて我が国に、つまり、地球を西回りに、プロテスタントの信仰がもたらされたのです。

 信仰に立つ者は、どんな困難も、主の助け、御霊の導きによってそれを乗り越えさせていただくことが出来るのです。御霊の満たしと導きを祈りましょう。

 主よ、サムソンの結婚は、あなたを喜ばせる話ではなかったと思いますが、それを用いてペリシテ人を打たれます。しんがりを守って下さる主が責任をもって、私たちの過ちをも益となるように働いて下さいます。主よ。私たちをも聖霊に満たし、力を受けて信仰に堅くたち、悪魔との戦いに勝利を得させて下さい。あなたの御業が前進しますように。 アーメン



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