「わたしの主よ、どうぞこれからも好意を示してくださいますように。あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました。」 ルツ記2章13節
ナオミと共にユダのベツレヘムにやって来たモアブ人の嫁ルツは、落穂を拾いに畑に行くと、ナオミに告げます(2節)。それは大麦刈の始まるときでした(1章22節)。過去の飢饉が嘘のような情景です。ナオミにとって、モアブ行きは何のためだったのかと、あらためて嘆きたくなるような話です。
律法には、「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない」と規定されています(レビ記19章9,10節、23章22節、申命記24章19節以下など)。
しかし、モアブ人のルツが、この規定を知っていたということはないでしょう。あるいは、ナオミがユダヤにはそのような決まりがあるということを教えたので、ルツが、それでは行って来ますということだったのではないでしょうか。
ルツは、刈り入れをしている農夫たちを見つけて、落穂を拾い始めました。それは、「たまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地」(3節)でした。つまり、ナオミの夫エリメレクの親族の畑と知らずに、ルツは落穂拾いを始めたわけです。しかし、農夫たちのほうは、ナオミに着いて来たモアブの娘であるということを知っていました(4節)。そして、若い女性の動向が気になったのか、彼女の行動を観察していたようです。
というのは、主人ボアズがルツのことを召使いたちに、あれは誰の娘かと尋ねたとき(5節)、「ナオミと一緒に戻ったモアブの娘」(6節)と答えただけでなく、「『落穂を拾い集めさせてください』と願い出て、朝から今までずっと立ち通しで働いておりましたが、今、小屋で一息入れているところです」(7節)と報告しているからです。彼らはよそ者のルツに対して、誠実な働き者という大変よい印象を持ったようです。
ボアズはその後ルツに、「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、まったく見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました」(11節)と語っています。モアブの地で亡くなったエリメレクのこと、その後のナオミの苦労などについて、そして、その嫁ルツがナオミについてベツレヘムに来たことも、あらかじめ聞き知っていたわけですね。
自分の畑で働いている若い女性が、そのルツであったことを知り、しかもその誠実な働きぶりを召し使いから聞いて、ボアズはルツに親切を示します(8,9,12,14節以下)。5節の「誰の娘か」というのは、「召し使い」(ナアル)の女性形が用いられて、彼女の主人、父親などについて尋ねる言葉ですが、8節でルツに、「わたしの娘よ」(バトゥ)と呼びかけたとき、彼は自分の家族として守ろうという言葉遣いをしています。
思いがけない親切に、ルツはかえって警戒感をもって、「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは。好意を示してくださるのは、なぜですか」と問うていますが(10節)、それが確かに好意であると分かると、冒頭の言葉(13節)のように、「どうぞこれからも好意を示してくださるように」と、少々厚かましくお願いをしています。
自分の畑で働いている若い女性が、そのルツであったことを知り、しかもその誠実な働きぶりを召し使いから聞いて、ボアズはルツに親切を示します(8,9,12,14節以下)。5節の「誰の娘か」というのは、「召し使い」(ナアル)の女性形が用いられて、彼女の主人、父親などについて尋ねる言葉ですが、8節でルツに、「わたしの娘よ」(バトゥ)と呼びかけたとき、彼は自分の家族として守ろうという言葉遣いをしています。
思いがけない親切に、ルツはかえって警戒感をもって、「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは。好意を示してくださるのは、なぜですか」と問うていますが(10節)、それが確かに好意であると分かると、冒頭の言葉(13節)のように、「どうぞこれからも好意を示してくださるように」と、少々厚かましくお願いをしています。
ここで、「あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて」というのは、原文は、「あなたは、あなたのはしために親切に語られたからです。わたしはあなたのはしための一人のようではないのですけれども」という言葉です。
「はしための一人のようではない」というのを、新共同訳聖書は、「はしための一人にも及ばぬ」と、謙遜して語っているように訳していますが(岩波訳も同様)、反対に、「わたしは、ただのはしためではない」というニュアンスに訳出することも出来ます。ルツはここで、確かに謙遜に語ったと思います。ルツの誠実な働きぶり、姑のナオミに対して示した親切、そして、この謙遜な態度により、ボアズの心に好意以上のものが芽生えていたのでしょう。
そして、後に、ルツはボアズの妻として迎えられることになり(4章10節)、二人の間に子が授けられます。その子の孫が国王となります。確かに、ルツは、ただのはしためではありませんでした。ダビデ王の曾祖母となったのですから。
当然のことながら、このときルツは、自分がボアズの嫁となることはおろか、曾孫が国王になることなど、思いつきもしなかったことでしょう。ただただ、「はしための一人にも及ばぬ」自分に親切にしてくれるボアズに、感謝するばかりだったと思います。
「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かのときには高めていただけます」(第一ペトロ書5章6節)。
主よ、あなたはナオミを顧み、その嫁ルツに目を留めて、ボアズを通して恵みをお与えになります。まだ、ナオミもルツも、そしてボアズも知りませんが、彼らが出会うことは、あなたのご計画でした。主の御業が最善であると信じられる人は本当に幸いです。その幸いを私たちにも授けて下さい。御心がこの地になりますように。アーメン