風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2014年10月

10月22日(水) ヨシュア記8章

「主はヨシュアに言われた。『恐れてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す。』」 ヨシュア記8章1節

 前章に続き、再びアイの町を攻撃することになりますが、今回は、主の命令に従って行動を起こします。主は、冒頭の言葉(1節)のとおり、「全軍隊を引き連れて攻め上れ」と言われます。そこで先ず、「ヨシュアは、三万の勇士をえりすぐって」(3節)送り出します。

 先の攻撃では、斥候に行った者たちは、全軍が出るまでもなく、二、三千人も行けば十分、とヨシュアに進言していました(7章3節)。けれどもそれは、主の命令を受けてということではありませんでした。そして、その判断が相当に甘かったということ、やはり、この戦いにも主の助けが必要であるということを、徹底的に思い知らされたわけです。

 4節で、選ばれた勇士3万が、裏手から町を伺う伏兵とされ、彼らはベテルとアイの間の待ち伏せ場所で待機しました(9節)。さらに12節で、5千人を伏兵として、同じ場所に配置したとされています。合わせて3万5千の伏兵が置かれたということになります。ヨシュアが率いていた全軍隊というのは、その時戦いに参加することの出来たイスラエルの全軍、モアブで数えられた60万ということでしょう(民数記26章51節)。

 そんな大軍でなければ勝てないということよりも、今回、すべてのものが神の命令に従うよう導かれたと考えたらよいでしょう。しかも、最初の戦いに送り出した兵の10倍以上に及ぶ伏兵を置くということは、アイの町の兵の強さ、城壁の堅固さなどもあって、「ニ、三千人が行けば」攻め落とせる町ではなかったということです。それは、エリコを打ち破ったイスラエルの民が、その時いかに高ぶっていたかということを示すものでもあります。

 ヨシュアの大軍がやって来たという報せがアイの町の王にもたらされ、町の人々も急ぎ迎え撃つため、町を出て進軍します。彼らは、伏兵の存在には、全く気付いていませんでした(14節)。イスラエル全軍が押し寄せて来ていたにも拘らず、籠城ではなく開戦を選んだところに、アイの王の判断の甘さがあります。

 ヨシュア軍は、アイの町の軍隊が町を出たのを見ると、何ほどもしないうちに退却します(15節)。すると、追撃するため、町の中にいた全兵士がおびき出されました(16節)。前の戦いと同じ展開になったのを、イスラエルの策略と見抜くことが出来なかったためです。

 17節には、「イスラエルを追わずに残った者は、アイにもベテルにも一人もいなかった」と記されています。ここに「ベテル」の名が記されていますが、アイの北西2kmほどのところにベテルの町があり、そこからの援軍があったということでしょう。しかし、ベテルの援軍に関して、これ以外に何の記述もありません。

 あるいは、ベテルとは「神の家」という意味ですから(創世記28章19節)、ベテルの町ではなく、アイの町にあった神殿のことを指しているのかも知れません。当時の神殿は、町を守る最後の要塞となるよう、堅固な城壁で囲まれていました。神殿を警護する兵士までも、イスラエル追撃に参加したということになれば、町を守る者は、全く残っていなかったということになります。

 そのうえ、「イスラエルの後を追ったとき、町の門は開けたままであった」というのですから、先の勝利に味を占めたアイの王の自信過剰振りが、ここに如実に表されています。そして、それを誰も咎めず、イスラエルの後を追ったというところに、主なる神の御手があったということです。

 アイの全軍がおびき出されたところで、主がヨシュアに、伏兵に合図するようにと言われます(18節)。伏兵は合図を見て町に攻め込み、そこを占領した後、火を放ちます(19節)。その火を合図に、今度はヨシュア軍が退却をやめ、追撃してきたアイの兵士に打ちかかり(21節)、町を出た伏兵も後ろから挟み撃ちにします(22節)。アイの兵士全員が戦死し、王は生け捕りにされました(23節)。

 町に残っていた全住民も一人残らず剣にかけられ、総数1万2千が殺されたと報告されます(25節)。それに対して、神の助けを得たイスラエル軍に、3万5千の伏兵を含む60万の大軍が必要だったのかというところですが、やはり今回の戦いは兵の数ではなく、すべての民が神の命令に全く忠実に聴き従うことを求められたわけです。

 この戦いにおけるヨシュアの役割は、勇敢な兵士、また有能な指揮官というのではなく、「アイの住民をことごとく滅ぼし尽くすまで投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった」(26節)ということでした。これは、かつてアマレク軍が戦いを挑んできたときに、モーセが手を上げていたことを思い起こさせます(出エジプト記17章8節以下、11,12節)。

 つまり、ヨシュアはモーセの後継者として、戦いのために背後にあって祈りの手をあげるという役割を担ったわけです。ということは、今回の勝利は、主が彼らのために戦って下さったために得られたものであるということを、あらためてここに示しています。

 この記事について、今日、神の名による戦争を肯定するものとして読むことは出来ません。主イエスが、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と仰ったからです(マタイ26章52節)。パウロは、「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」と言っています(エフェソ書6章12節)。

 私たちの内外に働きかけて、御言葉に従うことを妨げ、神に従わせまいとする様々な力に対して、まさに御言葉に聴き従うことを通して、神の助けを求めて手を挙げて祈ることにより、完全に勝利すべきであるという神の教えとして、心に銘じましょう。

 主よ、私たちを聖霊の宮としてその内に住み、絶えず共にいて下さることを感謝します。あなたこそ私を守る堅固な岩であり、砦です。御力に依り頼みます。御教えに聴き従います。どうか私の耳を開いて下さい。絶えず御顔を仰がせて下さい。御足跡に従うことが出来ますように。 アーメン



10月21日(火) ヨシュア記7章

「イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であった。ユダ族に属し、彼の父はカルミ、祖父はザブディ、さらにゼラへとさかのぼるアカンは、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取った。主はそこで、イスラエルの人々に対して激しく憤られた。」 ヨシュア記7章1節

 エリコの町を攻め滅ぼしたイスラエルは、次の標的にアイの町を選びました。ヨシュアが数人の斥候に町を探らせると(2節)、彼らは戻って来て、「アイを撃つのに全軍が出撃するには及びません。二、三千人が行けばいいでしょう。取るに足りぬ相手ですから、全軍をつぎ込むことはありません」と報告しました(3節)。
 
 ヨシュアはそこで、三千人の兵士を向かわせます。全軍をつぎ込むまでないと、三千人で攻め上ったというのは、ギデオンが三百の兵でミディアンの大軍を打ち破った記事を思い起こしますが(士師記7章参照)、期待に反して彼らは打ち破られ(4節)、36名の犠牲者が出ました(5節)。ギデオンの軍は、主への信頼を示していたのに対し、ヨシュアの軍は、3節に見られるようなうぬぼれと、主なる神への「不誠実」(1節)を表すものでした。
 
 アイの兵士の前に敗退したヨシュアは主に、「カナン人やこの土地の住民は、このことを聞いたなら、わたしたちを攻め囲んで皆殺しにし、わたしたちの名を地から断ってしまうでしょう。あなたは、御自分の偉大な御名のゆえに、何をしてくださるのですか」と訴えます(7節以下、9節)。

 それに対し、主は、「イスラエルは罪を犯し、わたしが命じた契約を破り、滅ぼし尽くしてささげるべきものの一部を盗み取り、ごまかして自分のものにした。だから、イスラエルの人々は、敵に立ち向かうことができず、敵に背を向けて逃げ、滅ぼし尽くされるべきものとなってしまった」(10節以下、11,12節)とお答えになりました。
 
 それを聞いたヨシュアは、主の言葉に従ってイスラエルの部族を集めます。そして、くじを引かせるとユダ族にあたり(16節)、ユダの諸氏族にくじを引かせるとゼラの氏族に当たり、全家族の代表にくじを引かせるとザブディ家に当たり(17節)、ザブディ家の男子全員にくじを引かせるとカルミの子アカンに当たりました(18節)。
 
 アカンはヨシュアに、「わたしは、確かにイスラエルの神、主に罪を犯しました」と語り(20節)、盗みを告白します(21節)。アカンが主に罪を犯し、それがイスラエル全家に災いをもたらすことになったのです。そのため、アカンとその家族は石で打ち殺され、全財産は火で焼かれました(25節)。
 
 アカン一人のために、36名の兵士、そしてアカンの家族も犠牲になったわけです。アカンは初め、自分のしたことが、イスラエル全家に災いをもたらすことになるとは、考えても見なかったことでしょう。自分のしたことは、小さなこと、神もお目こぼしになるだろうと思っていたかも知れません。しかし、多くの犠牲者が出て民の心が挫けてしまったとき(5節)、それが自分のした罪の所為だと気づいたのではないでしょうか。

 しかし、それを言い出しませんでした。くじがユダ族に当たり、ゼラの氏族に当たり、ザブディ家に当たり、そして自分に当たったとき、ようやく口を開きました。ここにも、自分さえよければという、人の弱さが示されます。あらゆる場でのモラルの低下、なかなか後を絶たない飲酒運転なども、同じ根っこでしょう。

 そう考えると、これはアカン一人の罪でもないということにならないでしょうか。そもそも、アイの町は「取るに足りぬ相手」と見なし、そのためか、神に問うこともしませんでした。このときイスラエルの民は、全軍が出るまでもないという思いの中で、神の助けが必要とは全く考えていなかったわけです。

 であれば、エリコの町を落とせたのは、主がヨシュアに指示を与え、勝利を賜ったからであるのに、あたかも自分たちの力で打ち破ったかのような思い上がりが兵士たちの間に蔓延していたと考えられます。だからこそ、アカンは、戦利品を私しようとしたわけです。

 冒頭の言葉(1節)に、「イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきことに対して不誠実であった」と記されていました。「イスラエルの人々」とは、アカン一人のことではありません。御言葉を軽んじ、主を畏れることを疎かにするからこそ、「不誠実」になります。人として同じ弱さを持っている私たちです。

 神に従うことに「不誠実」になることがないよう、主を畏れ、絶えず御言葉に耳を傾けましょう。主に栄光を帰し、主をほめたたえましょう。

 主よ、私の中にも、アカンと同じ、神の栄光を盗んで我が物にしようとする弱さ、罪があることを知っています。褒められるといい気になり、けなされると心挫けて水のようになります。主を畏れることを忘れてしまいます。絶えず御前に謙り、御旨に聴き従うことが出来ますように。主の平安で私の心と考えを守って下さい。 アーメン



10月20日(月) ヨシュア記6章

「彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、鬨の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。」 ヨシュア記6章5節

 5章13節に登場した「主の軍の将軍」は、天使なのでしょうか。新約聖書において、天使を礼拝することは禁じられていますが(ヨハネ黙示録19章10節、22章8,9節、コロサイ書2章18節)、旧約においては、主の御使いが神と区別出来ない場合が多々あります。

 たとえば、モーセに現れた主の御使いは(出エジプト記3章2節)、次の段落では、主、神と記されています(同4節以下)。それと同じように、ヨシュアの前に抜身の剣を手にしてあらわれた主の軍の将軍は、次の段落に進むと(6章1節以下)、「主」と呼ばれています。そして、ヨシュアが「ひれ伏して拝し」たとき(5章14節)、主の軍の将軍は、それを拒まず、むしろ、履き物を脱ぐように命じています(同15節)。

 そうすると、「主の軍の将軍」いうのは、「万軍の主」の別名と言ってもよいのかも知れませんね。だから、主の御前である。控えおろう。「履き物を脱げ」ということになるわけです。

 そのようにひれ伏しているヨシュアに、主がエリコの町を攻撃するための作戦を授けました。その作戦とは、祭司7人の先導を受けた神の箱を先頭に、兵士たちが町の周りを一巡りし、それを六日間続けます。そして、七日目は町を七周するというものです。そのとき、祭司たちは「雄羊の角笛」を携えます。角笛を吹き鳴らしながら、行進するのです(3,4,8節以下)。

 そして、冒頭の言葉(5節)の通り、七日目に町を7周回って、角笛を長く吹き鳴らした音を合図に、後方に控えているイスラエルの民全員で鬨の声をあげます。そうすると城壁が崩れ落ちるので、そこから町に突入せよというのです。

 町の周りを一日目から六日目まで1周、七日目は7周、合計13周回り、大声を出せば城壁が崩れ落ちるというのは、いつでもどこでも、誰がやっても、必ずそのようになるという作戦ではありません。主が授けてくださった作戦だからこそ、今回それが起こるのです。

 城壁が壊れれば、それで戦いは終わりということではありませんけれども、しかし、エリコの人々は、イスラエルの攻撃に備えて城門を堅く閉ざすという、いわば籠城作戦を採ったわけで、剣を交えることになれば、勝ち目はないと考えていたのです。ということは、城壁が壊れると、勝敗は見えているということになります。

 しかしながら、主が授けた作戦というのは、俄かには信じ難い内容です。実行するのが難しいものではありませんが、それをまともにやってみようと思う人はどれほどいるだろうかと考えてしまいます。ここでしかし、ヨシュアは単純に信じました。だから、先ず祭司たちを呼び集めて、主から授けられた作戦を伝えました(6節)。

 次に、民全体にそれを命じました(7節)。すると、祭司から(8節)、武装兵(9節)、そしてその他の民に至るまで(10,20節)、誰もが素直に聴き、それに従います。そして、七日目、7周回った後、皆で鬨の声をあげると、主が告げたとおり、城壁が崩れ落ちました。そこから城内に入り、町を占領しました(20節)。そして、命あるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くしました(21節)。

 あらためて考えてみると、エリコの城壁が崩れたのは、吹き鳴らされた角笛や鬨の声の大きさの故ではありません。また、何度も町の周りを回ったからということでもありません。城壁を崩したのは、主の御力です。主が御腕を伸ばされたので、城壁が崩れたのです。

 ということは、町の周りを13周回ることも、角笛を吹くこと、鬨の声をあげることなども、城壁を崩落させるための必要な条件ではないのです。つまり、主がなさろうと思われれば、イスラエルの民が何もしなくても、城壁を崩落させ、町を破壊することが出来たはずです。

 しかも、「わたしが鬨の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない。あなたたちは、その後で鬨の声をあげるのだ」と命じています(10節)。城壁が崩れ落ちるまで、エリコの町の周りを回る間、城壁の上からエリコの町の人々に罵詈雑言を浴びせられても、黙っていろ、声を出すなということでしょう。それはしかし、容易いことではありません。

 しかし、主なる神はこのようにして、イスラエルの民が御言葉に聴き従うか否かを御覧になったわけです。

 エレミヤ書1章12節に、「あなたの見るとおりだ。わたしは、わたしの御言葉を成し遂げようと見張っている」と記されています。主は、ご自分の御言葉を成就することがお出来になるのですが、しかし、それを「見張っている」と言われるのは、御言葉が信仰をもって聞かれるか、御言葉がそれを聞いた人々と信仰によって結びつけられるか否かを見張られるわけです。

 神はこのとき、イスラエルの罪を裁くため、北にあるバビロニア帝国を「燃えたぎる鍋」として、用いようとしておられました(同13節参照)。もしもイスラエルの民が、エレミヤの預言の言葉を聞いて悔い改め、神に従う信仰を示していたならば、その災いが止められることになったでしょう。

 ヘブライ書4章2節に、「彼らには聞いた言葉は役に立ちませんでした。その言葉が、それを聞いた人々と、信仰によって結びつかなかったためです」と記されています。エジプトを脱出した民が、神の御言葉を信じなかったために荒れ野で神に打たれ、約束の地に入れなかったということです。

 そして、その不信仰、不従順は、シナイの荒れ野でのことに留まらず、ソロモン以後エレミヤの時代に至るまで繰り返されたため、結局、国が南北に分裂した後、北はアッシリアに、南はバビロンによって滅ぼされ、捕囚となる憂き目を見るようになったわけです。

 ヘブライ書の記者は、「信じたわたしたちは、この安息に与ることができるのです」(同3節)と言います。即ち、私たちが神の言葉を信じ、それに聴き従うことを求めているわけです。一度信じさえすれば、それでよいわけではありません。信じ続けること、聴き従い続けることが求められています。

 日々、主の御言葉を信仰をもって聴き、その御心を悟ることが出来るように、その導きに従って歩み出すことが出来るように、祈りつつ御言葉を開きましょう。

 主よ、あなたの御言葉ほど確かなものはありません。昨日も今日も、そして永遠に真実です。ただ、主の御言葉だけが永遠に堅く立つのです。私たちに御言葉を聴く信仰を与えて下さい。謙って御言葉に従うことが出来ますように。 アーメン



10月19日(日) ヨシュア記5章

「主の軍の将軍はヨシュアに言った。『あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である』。ヨシュアはそのとおりにした。」 ヨシュア記5章15節

 ヨルダン川を渡ってギルガルに宿営している民に、主は割礼を施すよう命じられました(2節)。それは、荒れ野で生まれた男たちが、無割礼だったからです(5,7節)。割礼は、神との契約のしるしとして、男子に施されました(創世記17章9節以下、レビ記12章3節)。荒れ野で生まれた男たちが無割礼だったということは、荒れ野を旅する間、いかに神に対して不従順だったかというしるしということになるでしょう(6節)。

 9節で、主がヨシュアに、「今日、わたしはあなたたちから、エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)」と言われました。それで、その場所がギルガルと呼ばれるという説明になっています。「今日、エジプトでの恥辱を取り除いた」ということは、荒れ野の生活においては、恥辱を雪ぐことが出来なかったということです。

 「エジプトでの恥辱」というのですから、それは、エジプトにおける奴隷生活のことを指しているのでしょうけれども、モーセに率いられてエジプトを脱出したものの、不信仰、不従順であったために、エジプトを脱出した第一世代は、約束の地に入ることが出来なかったということをも、ここに示しているわけです。

 それが、「エジプトでの恥辱」という言われ方をするのは、民数記14章での、約束の地に行って剣で殺され、妻子を奪われるくらいなら、エジプトに引き返した方がましだというイスラエルの民の反抗により、彼ら自ら、エジプトの奴隷の地位にいることを良しとして、神が与えると言われた約束の地における真の自由を受け取ろうとしなかったため、ということなのでしょう。 

 割礼を受けた後、彼らはエリコの平野で過越祭を祝いました(10節)。それは、永遠に守るべき定めとして、「主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない」と規定されていたからです(出エジプト記12章25節)。割礼を施した後に過越祭を祝ったのは、「無割礼の者は、だれもこれを食べることができない」(同12章48節)という規則になっているからです。
 
 かくて、ヨシュアたちは、今ここに神との契約を確認し、エジプトでの恥辱が取り除かれたこと、神の救いの約束が成就したことを、皆で喜び祝ったわけです。ただ、彼らがどのようにして麦を手に入れることが出来たのかは、不明です。ある註解者は、1節に示されるヨルダン川の西側にいた者たちが、ヨルダン川を渡って来たイスラエルの人々に恐れをなして逃げ出した結果、そこに残されていたものであろうと推察しています。
 
 過越祭が行われた後、どれほどの日時が経過したのか分かりませんが、あるときヨシュアは、エリコのそばで、抜き身の剣を手にした一人の男が立っているのを見ました(13節)。ヨシュアが歩み寄り、「あなたは味方か、それとも敵か」と問いかけると(13節)、彼は、「いや。わたしは主の軍の将軍である。今、ついたところだ」と答えました(14節)。

 「いや」というのは、味方でも敵でもないということです。即ち、主の軍の将軍はこのとき、ヨシュアに味方するために来たというのではありません。ことを決するのは神であり、ヨシュアが主の命に従うかどうかを試しに来たわけです。

 抜き身の剣といえば、モアブの王バラクが雇った預言者バラムの前に立ち塞がった主の御使いのことを思います(民数記22章22節以下)。バラクが与えると約束した報酬に少々目のくらんでいるバラムは、抜き身の剣を持って立っている主の御使いを認めることが出来ませんでした。後で目の開かれたバラムに、「この人たちと共に行きなさい。しかし、ただわたしがあなたに告げることだけを告げなさい」(同35節)と御使いが告げました。

 一方、ヨシュアはすぐにひれ伏して拝し、「わが主は、この僕に何をお言いつけになるのですか」と尋ねます(14節)。つまり、ヨシュアは主の軍の将軍の前にひれ伏すことで、主に従う姿勢を示したのです。神は、どんないけにえよりも、御前に謙り、御言葉に聴き従うことを喜ばれます(サムエル記上15章22節、詩編40編7節、51編18,19節)。

 主の軍の将軍は、冒頭の言葉(15節)の通り、「あなたの足から履物を脱げ。あなたの立っているところは聖なる所である」と言います。これは、神の山ホレブで燃える柴の間からモーセに語られた神の言葉を思い出させます(出エジプト記3章5節)。つまり、ここで主の将軍は、ヨシュアに履物を脱がせて、まさしく、主に聴き従う下僕として召しているのです。

 また、「聖なる所」は、6章19節の「聖なるもの」と同じ言葉です。その関連で、モーセの立っている場所が「聖なる所」だというのは、エリコが主のものであるという宣言と考えることが出来ます。だから、主の命に従ってその地を獲り、すべてを神にささげることが求められることになるのです(6章2,17節)。その召しを受けて、「ヨシュアはそのとおりにした」(15節)と記されています。

 ペトロが、「だから、神の力強い御手の下で自分を低くしなさい。そうすれば、かの時には高めていただけます。思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」(第一ペトロ5章6,7節)と告げています。私たちも主の御言葉の前に謙り、そのとおりに喜びをもって従いたいと思います。

 主よ、あなたはヨシュアに履物を脱ぐように命じました。私たちも今、履物を脱ぐ思いで御前にいます。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。どうぞお話下さい。僕は聞いております。御名が崇められますように。御心がこの地にもなされますように。 アーメン



10月18日(土) ヨシュア記4章

「ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。」 ヨシュア記4章9節

 民がヨルダン川を渡り終えた時(1節)、主がヨシュアに、「部族ごとに一人ずつ、計十二人を選び出し、彼らに命じて、ヨルダン川の真ん中の祭司たちが足を置いた場所から、石を十二個拾わせ、それを携えて行き、今夜野営する場所に据えさせなさい」と命じられました(2,3節)。

 それは、ヨルダン川の流れが主の契約の箱の前でせき止められたことを記念する、記念碑なのです(7節)。神がイスラエルの民のためにヨルダン川の流れをせき止め、乾いたところを渡らせたというのは、驚くべき出来事です。そう何度も経験出来ることではありません。

 23節に、「それはちょうど、我々が葦の海を渡りきるまで、あなたたちの神、主が我々のために海の水を涸らしてくださったのと同じである」と記されているとおり、イスラエルの民は、エジプトを脱出するときに葦の海を渡る奇跡を経験し、そして、約束の地に入るとき、ヨルダン川を渡る奇跡を経験しています。いわば、シナイの荒れ野の旅が、葦の海の奇跡で始まり、ヨルダン川の奇跡で閉じられたということになります。

 しかしながら、その両方を経験したのは、エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアの二人だけです。葦の海を渡るという奇跡を経験し、また荒れ野でマナを食べ、岩から出た水を飲み、ときには、鶉の肉まで与えられるという日毎の糧に与りながら、なお神に不平を言い、あろうことか異教の神々を慕い求めたため、神はイスラエルの民を荒れ野で打たれました。

 それで、ヨシュアとカレブを除いて、ヨルダン川を渡って約束の地に入れた者はいなかったのです。そうしたことにならないように、ヨルダン川を渡ったことを記念する碑を立てさせたわけで、記念碑を見る者が、その度にヨルダン川の奇跡を思い出すようにさせ、そしてまた、子々孫々にこの出来事を告げ知らせるようにするのです(6,7節、21,22節)。

 それはしかし、ただ単に、ヨルダン川の奇跡を語り継がせるのが目的なのではなく、24節で、「地上のすべての民が主の御手の力強いことを知るためであり、また、あなたたちが常に、あなたたちの神、主を敬うためである」と言われているように、その奇跡を通して示された、イスラエルの民に対する神の恵みを知って、すべての民が常に主を畏れ敬い、その恵みをいつも新しく味わうようになるためなのです。

 そのことは、3章11,13節で、「全地の主」と言われていることと関連しています。そこでは、主の契約の箱と並列で記されていますので、神が与えると約束したすべての地という意味で用いられていると考えてよいとも思いますが、しかし、その枠を越えて、ミカ書4章13節のように、「全世界の主」(原文は「全地の主」)の意味で用いられているとも考えられます。

 ヨルダン川の奇跡を目の当たりにしたイスラエルの民も、川床の石で造られた記念碑を目にし、そこでなされた奇跡を伝え聞かされた全世界の人々も、主の御手の力強さを知り、神を畏れ敬うことを学ぶでしょう。主の力を知り、神を畏れ敬うことを学んだ人々は、主との契約関係に入ることを喜びとすることでしょう。

 イスラエルの民は、ヨルダン川を渡ってエリコの町の東境にあるギルガルに宿営しました(19節)。そこで、主に命じられたとおり、ギルガルに記念碑が立てられました。「ギルガル」については、5章9節で、「エジプトでの恥辱を取り除いた(ガラ)」と関連して、その名がつけられたと記されています。

 ところで、12の石を立てた記念碑は、ヨルダン川を渡った最初の宿営地ギルガルに設置されただけでなく、冒頭の言葉(9節)によれば、ヨルダン川の真ん中にも置かれているようです。ギルガルに立てられた記念碑の12の石は、ヨルダン川の真ん中の、祭司らが足を置いた場所から取られたのですが(3節)、ヨシュアがヨルダン川の真ん中に立てた記念の石は、どこから持って来られたのでしょうか。

 8節とのつながりから言えば、まずヨルダン川から石が取られてギルガルに据えられ、次いでギルガルから石を取ってヨルダン川の真ん中に立てた、というように見えます。川の中の、祭司たちが足を止めた場所を記念するということでしょう。註解書に、祭司に対する敬意を表すという解釈も記されていました。それも意味深いものだと思います。

 第一コリント10章2節に、「皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなるバプテスマを授けられ」という言葉があります。葦の海を通った経験を、「モーセに属するものとなるバプテスマを授けられ」たと表現しているわけです。であれば、ここでイスラエルの民は、「川の中でヨシュアに属するものとなるバプテスマを授けられた」ということになります。

 ここで、「ヨシュア(イェホシュア)」は、ギリシア語音写すると「イエス」になります。モーセに従って主なる神との旧い契約に導き入れられた民が、ヨシュア(=イエス)に従って約束の地に導き入れられたというのは、とても意味深いものでしょう。

 私たちキリスト者は、キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けました(ローマ6章3節)。そこにしっかりと記念碑を立て、神の恵みを信じ、常に主を畏れ敬い、その恵みを絶えず新しく味わいましょう。

 主よ、キリストの死に与るバプテスマにより、キリストと共に生きるものとされたことを感謝します。神の憐れみにより、自分自身を死者の中から生き返ったものとして神に献げ、また義のための道具として神に献げます。何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを弁えることが出来ますように。 アーメン


10月17日(金) ヨシュア記3章

「ヨシュアが祭司たちに、『契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ』と命じると、彼らは契約の箱を担ぎ、民の先に立って進んだ。」 ヨシュア記3章6節

 イスラエルの民は、エジプトの奴隷生活430年(出エジプト記12章40節)、荒れ野の放浪生活40年を経て(民数記14章34節、申命記5章6節)、ようやくヨルダン川の岸辺にやって来ました(1節)。夢にまで見たといえるかどうか分かりませんが、主が与えると約束されたカナンの地は、もう目の前です。

 冒頭の言葉(6節)で、「契約の箱を担ぎ、民の先に立って、川を渡れ」と命じられている通り、民の先頭を契約の箱を担いだ祭司、レビ人たちが進みます。契約の箱を担いだ祭司たちが「民の先に立って」と言われているのは、主なる神が民の先頭を歩まれるということでしょう。民は主の後ろに従って歩むのです。

 民は、契約の箱との間に、約二千アンマの距離をとり、それ以上近寄ってはならないと言われます(4節)。二千アンマは、約900メートルです。これは、民が契約の箱に触れて打たれることがないようにという注意でしょう。また、契約の箱を担いだ祭司たちがヨルダン川を渡るときに何が起こるのか、その様子をつぶさに観察するという目的があるのかも知れません。

 契約の箱は、縦2.5アンマ(約112.5センチ)、横1.5アンマ(約67.5センチ)、高さ1.5アンマという立方体で、アカシヤ材で作られ、それを金で覆っていました(出エジプト記25章10節以下)。その蓋は「贖いの座」と呼ばれ(同17,21節)、そこには2体のケルビムがつけられていました(同18節以下)。
 
 ケルビムは、翼を持つ半人半獣の天的な生き物で、エデンの園を守り(創世記3章24節)、神を乗せて運ぶ(サムエル記下22章11節)などの役割を持っています。つまり、ケルビムは、そこに主がおられるということを表しています。

 また、契約の箱には、十戒を記した石の板が納められていました(出エジプト記25章16節、申命記10章4,5節)。十戒を中心とする神の戒め、掟、律法は、イスラエルの民に対する神の御心、意志を教えるものです。契約の箱の後に従って進むというのは、進む道が示されるだけでなく、これから彼らが受け継ぐことになる約束の地において、神の教えに耳を傾け、その御心に従って生きるということを示しているのです。 

 彼らは、「川を渡れ」と命じられています。ヨルダン川には、歩いて渡れる浅瀬がありますが、祭司たちがその知識を持っていたとは思えません。「渡れ」と命じられたので、渡れると単純に考えていたのではないでしょうか。ところが、祭司たちがヨルダン川のところに来たとき、「春の刈り入れの時期」、つまり、レバノン山系の雪解け水で川の水量が増し、「堤を越えんばかりに満ちて」いて(15節)、歩いて渡るのは不可能でした。

 主はヨシュアに命じて、「祭司たちに、ヨルダン川の水際に着いたら、ヨルダン川の中に立ち止まれと命じなさい」と言われ(8節)、それを受けたヨシュアは、「全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう」と民に告げました(13節)。

 祭司たちの目の前には、川幅一杯にみなぎった川があります。そんな川の中に立ち止まれるようには見えなかったでしょう。以前、イスラエルの民はモーセに率いられて葦の海を渡りました(出エジプト記14章参照)。そのときは、モーセが杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べたところ、主が激しい東風で海を押し返されので、乾いた地が表われ、民はそこを通ったのです(同16,21節以下)。

 今度は、ヨルダン川です。今、川の水は滔々と流れています。しかし、彼らは箱を担いで川の中に進みました。ここに彼らの信仰を見ることが出来ます。彼らは、川の水が分かれたから、渡り始めたのではなく、堤を越えんばかりに満ちて流れ下る川に、信仰をもって踏み込んだのです。

 それはしかし、無鉄砲ではありません。「川上から流れてくる水がせき止められる」(13節)と言われた主の御言葉を信じ、「渡れ」という主の命令に従って進んだのです。そして神は、お語りになったとおり、ヨルダン川の水をせきとめられたので(16節)、祭司たちは川の真ん中の干上がった川床に立ち止まることが出来、民は皆、川を渡り終えました(17節)。

 そのことは、主が神であられること、主の言葉は真実であること、そして、主の言葉を告げるヨシュアは、確かにモーセの後継者であることを、民の目の前で明らかにしました。

 私たちが御言葉に従って信仰の決断をするとき、それを試すかのように進路に困難が立ち塞がることがあります。逆風に行く手を阻まれるかもしれません。けれども、御言葉に従うときに不思議な平安がその歩みを支え、それが確かに神の御心であることを教えてくれるのです。

 主の御声に耳を傾けましょう。その聞いたところに従い、信仰をもって歩み出しましょう。

 主よ、イスラエルの民は、信仰をもってヨルダン川を渡り、約束の地に入ることが出来ました。そこには、御言葉がありました。そして、主の先立ちがありました。主が共にいて下さるしるしを見ることが出来たのです。今、私たちにも御言葉が与えられています。そして、聖霊が私たちの内に住み、常に共にいて下さいます。日々、信仰によって前進させて下さい。御名が崇められますように。 アーメン


10月16日(木) ヨシュア記2章

「わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前で、わたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください。」 ヨシュア記2章12節

 ヨシュアに率いられたイスラエルの民は、いよいよ約束の地、カナンへやって来ました。最初に、ヨルダン川を渡ったところの最初の町エリコとその周辺を、二人の斥候に探らせました。二人の斥候は、そこで遊女ラハブと出会います。今日は、そのラハブの言葉から学びたいと思います。
 
 先ず、9節です。「主がこの土地をあなたたちに与えられたこと、またそのことで、わたしたちが恐怖に襲われ、この辺りの住民は皆、怖じ気づいていることを、わたしは知っています」とあります。ここでラハブは、イスラエル人が近づいて来たと聞いて、エリコとその周辺の人々は恐怖に襲われ、怖じ気づいている、と言っています。

 それは神が、エリコの町と周辺の人々に、イスラエルを恐れる心を与えられたからです。10節に、「あなたたちがエジプトを出たとき、あなたたちのために、主が足の海の水を干上がらせらことや、あなたたちがヨルダン川の向こうのアモリ人の二人の王に対してしたこと、すなわち、シホンとオグを滅ぼし尽くしたことを、わたしたちは聞いています」と語られています。

 ここで、エジプトから脱出するために葦の海を通った時、主が海を干上がらせたというのは、出エジプト記14章19節以下に記されている奇跡です。そのような奇跡を起こすことが出来る神は他にはいないと考えて、イスラエルを恐れたのでしょう。

 また、アモリ人の二人の王の軍隊を滅ぼしつくしたというのは、民数記21章21節以下の「シホンとオグに対する勝利」の出来事を指しています。イスラエルの民が、強力な武器を持っていたというわけではありません。戦いに勇ましい武装集団などというわけでもありません。ただ、主なる神がアモリ人との戦いに勝利をお与えくださったのです。そして、エリコの人々は、イスラエルと共におられる主なる神を恐れたわけです。

 次に、11節の後半です。「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられるからです」と言います。ここに、ラハブの明確な信仰の告白があります。「上は天、下は地に至るまで神であられる」とは、イスラエルの神以外に神はいない、主こそ、まことの神だということです。
 
 カナン周辺には、雨の神バアルや大地の神アシェラを神として礼拝する信仰がありました。太陽や月、また牛などが神として拝まれることもあります。一方、聖書では、神はただお一人で(申命記6章4節)、天地万物を創造されたお方と教えています(創世記1章1節以下など)。

 異邦人の女性が、どうしてこのような信仰を持つことが出来たのでしょうか。それは、神の導きとしか、言いようがありません。主こそ神であることを悟る心、神の栄光を見る信仰の目、神の御声を聴くことの出来る耳は、神の賜物、プレゼントなのです(申命記29章4節)。聖霊の神が働いて、私たちに「イエスこそ主である」という信仰を与え、そのように告白させて下さると教えられます(一コリント12章3節参照)。

 それから、冒頭の言葉(12節)で、「わたしはあなたたちに誠意を示したのですから、あなたたちも、わたしの一族に誠意を示す、と今、主の前で、わたしに誓ってください。そして、確かな証拠をください」と、ラハブが二人の斥候に求めています。
 
 ここに、「誠意」と言われているのは、ヘブライ語で「ヘセド」という言葉です。「ヘセド」は、通常、「憐れみ、慈しみ」と訳されます。ある聖書では、「変わらざる愛」と訳されていました。ラハブは、自分が神のように見ているイスラエルの二人の斥候に、変わらない愛を求めました。それも、自分だけでなく、自分の一族のために。こんな虫がいい、図々しいような求めに応えられるでしょうか。それとも、拒否されるのでしょうか。
 
 答えは、「応えられる」です。なぜでしょうか。それは、主は「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す」お方だからです(出エジプト記34章6,7節など)。「幾千代にも及ぶ慈しみ」ということは、ラハブとその家族に対しても、誠意をお示しになるということになるでしょう。

 新約聖書にも、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」という言葉があります(使徒言行録16章31節)。家族の一人が主イエスを信じると、その信仰で、神の救い、神の慈しみが家族に及ぶ、それが神の御心、ご計画だということです。

 私たちは、変わらない愛で神を愛せるでしょうか。私たちがどのような思いで神を信じ、愛しているか、神ご自身がよくご存じです。むしろ、私たちが信仰を失うことのないように、執り成し祈っていて下さいます。私たちの信仰は主の祈りに守られ、支えられているのです(ルカ22章31~32節参照)。
 
 ラハブはさらに、確かな証拠を求めました。そのことで、斥候は、「我々の命をかけよう」と答えます(14節)。もしも、ラハブに確証を与えなければ、無事にエリコの町を出ることは出来ないでしょう。だから、「命をかける」というのは、彼らの本気を示しているわけです。

 さらに、「我々をつり降ろした窓にこの真っ赤なひもを結び付けておきなさい」と告げます(18節)。そのひものある家は攻撃の対象から外すということです。さながら、過越しの出来事を思い起こさせる行為です(出エジプト記12章6,7,13節参照)。ラハブはすぐに、その赤いひもを窓に結び付けました(21節)。

 私たちに与えられる救いの確証とは、真理の御霊、聖霊です(エフェソ1章13~14節参照)。聖霊が、わたしたちが神の子であることを証ししてくださり、御国を受け継ぐ保障となってくださるのです。だから、主なる神を、「アッバ、父よ」と呼び求めます(ローマ書8章15節、ガラテヤ書4章6節)。

 さらに、聖霊を通して、私たちの心に神のご愛が注がれます(ローマ5章5節)。御霊によって、すべてをありのまま受け入れる広い愛、すべての罪を赦し救う深い愛、いつまでも変わらない永遠の愛、そして、御国の栄光を示す清く高い愛を知り(エフェソ3章17節以下)、その愛をもって互いに愛し合いましょう。

 主よ、御子を信じる信仰によって私たちが神の子とされていること、その権威、その力を知り、またそのためにどんなに大きな愛を賜ったかを悟らせてください。そうして、私たちに委ねられている使命を自覚し、聖霊の力と愛を受けて、それをしっかり果たすことが出来ますように。 アーメン




10月15日(水) ヨシュア記1章

「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。」 ヨシュア記1章7節

 今日から、ヨシュア記を読み始めます。ヨシュア記は、キリスト教の聖書においては、歴史書に位置づけられますが、ヘブライ語聖書(マソラ本文)では、続く士師記、サムエル記、列王記と共に、「預言者」(ネビーム)の中に分類されています。

 聖書における預言の役割は、神にあずかった言葉を告げることです。ヨシュア記が「預言者」の書であるのは、これから起こることを予め語っているからではなく、モーセを通じて神に与えられた「律法」(トーラー)、その教えを忠実に守るよう命じているからであり、イスラエルの民がその教えをいかに聞き、どう振る舞ったか、律法というものさしで評価しているからです。
 
 1章には、モーセの後継者としてヨシュアが任命されたことについて、記されています。ヨシュアは、「モーセの従者」(1節)と紹介されているように、レフィディムでのアマレクとの戦いを指揮する者として選出されて以来(出エジプト記17章9節)、忠実なモーセの僕として歩みました(同24章13節、32章17節、33章11節など)。

 メリバの水の一件でモーセが約束の地に入れないことになって(民数記20章1節以下、12節)、神はヨシュアを後継者に任命されました(同27章12節以下、18節)。申命記でも、1章38節、3章28節、31章にそのことが記されていました。

 ここにあらためて、ヨシュアがモーセの後継者として立てられたのですが、ヨシュアは勿論、モーセではありません。モーセに代わる、モーセと同様の指導者ということでもありません。
 
 モーセは神に聴き、神に従う「主の僕」でした(申命記34章5節)。ヨシュアも、勿論神に従う僕です。だから、冒頭の言葉(7節)で、神がヨシュアに対して、「わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」と命じておられます。ただ、ここで、モーセの命じた律法に従うことが求められているのです。その意味で、ヨシュアはこれからも、実に「主の僕」であるモーセの従者なのです。

 モーセは、モアブのピスガの頂から約束の地カナンの全域を見渡しました(申命記34章1,2節)。モーセの従者ヌンの子ヨシュアは、ヨルダン川を渡って約束の地を行き廻り、その地を領土とします(3,4節)。これは、アブラハムと結ばれた契約が成就することを意味します(創世記12章7節、15章18節以下参照)。

 主はヨシュアと共にいて、見放すことも、見捨てることもしないので(5節)、「強く、雄々しくあれ」(6節)と命じられます。それは、主が与えると誓われた土地を、民に継がせるためです。

 「強く、雄々しくあれ」というと、勇敢に力強く戦えという言葉遣いだと思われますが、しかし、冒頭の言葉(7節)では、律法を守り行うことに、強さ、雄々しさが求められています。また、ヨシュアに対するルベン、ガド、マナセの半部族の人々の応答で、ヨシュアに対してそれを求める言葉が語られます。

 この言葉は、申命記31章6,7節、ヨシュア記10章25節、歴代誌下32章7節にも見られます。これらの箇所を見て気づかされるのは、主が共におられるという言葉がその前後で語られていて、それは、イスラエルに代わって主なる神が戦われるということを示しているようです。ということは、「強く、雄々しくあれ」というのは、主に信頼し、その力により頼めという命令とみるべきでしょう。

 イスラエルが土地を勝ち取ることに、勇気や力は、それほど必要でないと言ってもよいかもしれません。というのは、繰り返し、土地を与えると語られているからです。「与える(ナータン)」という言葉が1章に8回、ヨシュア記全体で89回も用いられているところに、はっきりと示されています。そう語られる主の御言葉を、イスラエルの民は信頼し続けることが出来るでしょうか。
 
 荒れ野を旅する間、飢えや渇きが、イスラエルの民を御言葉からそらさせる力になることがありました。また、彼らの前に立ちはだかる敵が、神に背かせる力となりました。カナンの民が拝むバアルやアシェラという神々に惑わされたこともあります。
 
 あらためて主は、「律法を忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する」(7節、申命記5章32,33節)と言われ、続けて、「この律法の書をあなたの口から放すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する」と約束されます(8節、詩編1編2,3節)。

 何事にもまず御言葉に聴き、そこから力を得て、まっすぐに歩む者とならせていただきましょう。

 主よ、あなたの教えを愛し、その導きに従って歩むことの出来る者は幸いです。主を信じ、御言葉に従って歩む者に、豊かな実を結ぶ人生をお与え下さるからです。常に主を畏れ、御言葉を愛する者とならせて下さい。御言葉に従い、右にも左にも曲がらず、まっすぐに歩ませて下さい。御名が崇められますように。 アーメン




10月14日(火) 申命記34章

「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。」 申命記34章5節

 申命記の最後に、「モーセの死」が報告されます。創世記から申命記までの5巻をモーセ5書と呼び、伝統的にモーセがその著者であるという考えが示されていますが、少なくとも申命記34章は、モーセが書けない文章です。明らかに、後代の人が申命記を編集して、この部分を書き記したわけです。
 
 死の直前、神はモーセをネボ山に登らせ、イスラエルの全地を見せられました(1節)。3章27節に語られていたこと、さらに、32章49節で主に告げられたを、ここで実行したわけです。現実には、標高800m程度のネボ山から、イスラエル全地を見渡すのは不可能です。全地を見渡すことが出来たのは、ネボ山に登ったからではなく、主がモーセにそれを見せられたからということでしょう。

 「ギレアド」はヨルダン川の東側、「ダン」、「ナフタリの全土」はイスラエルの北境、「エフライムとマナセの領土」はイスラエル中部、「ユダの全土」はイスラエル南部、「ネゲブ」はイスラエルの南境、「エリコの谷からツォアルまで」は、死海周辺のことです。これで確かに、イスラエルの全地を見渡したことになります。
 
 かつて主がアブラハムに、「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見える限りの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」と言われました(創世記13章14,15節)。
 
 モーセにすべての地を見せられたということは、それをすべてモーセとその子孫に与えるということを表しています。4節で、「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。わたしはあなたがそれを自分の目で見るようにした」と言われるのは、そのことです。
 
 けれども、モーセはそれを自分の所有にすることは出来ませんでした。そこに入ることを許されなかったのです。「あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない」(4節)と、最後の最後にもう一度、駄目押しをされています。
 
 そして、冒頭の言葉(5節)で、モーセの死が報告されます。どのような最期だったのかは、不明です。その上、モーセを葬ったのが主ご自身で、その墓が「ベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷」(それはイスラエルの民が宿営していた場所近辺:3章29節)にあるようですが、しかし、「今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」と言われます(6節)。ということは、モーセの死を見届けた者は誰もいないということになります。
 
 あらためて、なぜモーセは約束の地に入ることを許されなかったのでしょうか。民数記20章に記されている、「メリバの水」の出来事で、約束の地に入ることが出来ないということにされていますが(同1節以下、12節)、それはあまりにも厳しい裁きではないでしょうか。モーセは、ヨルダン川を渡りたいと考えていました。そう願いもしました(3章25節)。けれども、その願いは聞かれませんでした。
 
 「主の命令によってモアブの地で死んだ」(5節)と言われていますが、そのときモーセは「120歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった」(7節)のです。モーセとしては、随分心残りだったのではないでしょうか。
 
 しかしながら、この情け容赦ない、ある意味では、少々理不尽さを感じる処置に対して、モーセ自身は全く抗弁してはいません。約束の地に入りたいと願いはしましたが、拒絶されてた後、神に文句を言ってはいません。悔しいと思わなかったのでしょうか。恨みに思わなかったのでしょうか。モーセが自分の思いをどのように処理したのか全く分かりませんが、ともかくも、主の命令を受け入れているのです。
 
 ここに、「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ書2章8節)という主イエスの姿を示されます。主イエスこそ、何の落ち度もない、罪のない神の御子であられますが、神の命令に従い、私たちの罪を十字架に負って、30代の若さで死なれました。

 であれば、そのように主の命令に従うことは、モーセにとって、最高の喜びだったのではないかと教えられました。こうしてモーセは、「主の僕」としての生涯を全うし、主の命令に従って天に召されたのです。

 モーセは、召される前に神から与えられた戒め、掟と法を、民に守るよう教え(4章以下)、神との契約を更新しました(28章69節以下)。これからイスラエルの民は、モーセに従ってではなく、神の戒めに従って歩まなければなりません。それこそが、神の御心といってもよいでしょう。

 私たちにも、神の御言葉が与えられています。日々、主の御声に聴き従いましょう。そのため、悟る心、見る目、聞く耳が与えられるよう、絶えず祈り求めましょう。  

 主よ、あなたは御前に謙る者を高く引き上げて下さるお方です。徹底的に御言葉に従って歩み、約束の地に入る直前の死をさえ受け入れたモーセのように、あなたを畏れ、あなたに信頼し、御言葉に従うことを喜びとする主の僕として、私も歩むことが出来ますように。 アーメン


 

10月13日(月) 申命記33章

「レビのために彼は言った。あなたのトンミムとウリムを、あなたの慈しみに生きる者に授けてください。」 申命記33章8節

 33章には、「モーセの祝福」が記されています。これは、生涯を終えるに先立ってイスラエルの人々に与えたもので(1節)、まさにモーセの遺言といってもよいものでしょう。これについて、ヤコブが12人の子らを祝福した出来事(創世記49章)に、その先例を見ることが出来ます。
 
 祝福の言葉全体を一目見て、レビとヨセフをモーセが特別扱いしていることが分かります。語られている分量が明らかに違うからです。そのうち、ヨセフに対する祝福は、ヤコブの祝福を受けてのものといってもよいと思います。ヨセフの子エフライムから、ヌンの子ヨシュアがモーセの後継者として立てられました(民数記27章18節、13章8,16節)。ところが、レビについては、ヤコブとモーセは全く違います。
 
 ヤコブは、「シメオンとレビは似た兄弟。彼らの剣は暴力の道具。わたしの魂よ、彼らの謀議に加わるな。わたしの心よ、彼らの仲間に連なるな。彼らは怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼らの怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。わたしは彼らをヤコブの間にわけ、イスラエルの間に散らす」と言っていました(創世記49章5~7節)。

 このような呪いの言葉が語られたのは、妹ディナがヒビ人ハモルの子シケムに辱められたことに腹を立て、二人が策略を巡らしてシケムの町の男を皆殺しにし、町中を略奪するという事件を起こして、イスラエルを苦境に立たせたためです(同34章1節以下、30節)。
 
 シメオン族には嗣業の地が与えられず、ユダ族の嗣業の地の中で、17の町とそれに属する村を分けてもらっただけでした(ヨシュア記19章1節以下)。まさに、「ヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす」というヤコブの呪いの言葉どおりの結果になっているわけですが、それを受けているのか、モーセの祝福には、シメオンに対する祝福が完全に抜け落ちてしまっています。
 
 となると、モーセがレビに与えた祝福の言葉は、まさに特別です。ヤコブの呪いが祝福に変えられています。そうされた理由は、モーセがレビ族の出だからなのでしょうか(出エジプト記2章1節以下、民数記26章57節以下)。モーセは、イスラエルの民をエジプトから導き出す指導者として、主なる神によって選ばれました(出エジプト記3章1節以下)。
 
 ただ、モーセが指導者として選ばれたのは、彼が有能だったからでも、雄弁だったからでもありません。エジプトの王女の養子とされるということもありましたが(出エジプト記2章10節)、エジプト人を殺害したかどでモーセはエジプトを逃げ出し、長年月、ミディアンで羊飼いをしていました(同2章11節以下)。

 だから、神の召しを受けたとき、「わたしは何者でしょう」とモーセは言い(同3章11節)、「わたしはもともと弁が立つ方ではありません」(同4章10節)、「だれかほかの人を見つけてお遣わしください」(同4章13節)と、なんとかしてそれを辞退しようとしました。
 
 しかるに神は、「わたしは必ずあなたと共にいる」と言われ(同3章12節)、「このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう」(同4章12節)と答えられています。つまり、神がモーセを指導者として立てたのは、彼の雄弁さや指導力を期待してのことではなかったわけです。

 ここに、「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力なものを選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」(第一コリント1章27~29節)という原則が示されているように思われます。
 
 つまり、レビは神に祝福を受ける資格を何も持っていません。むしろ、父から呪いを受けるような存在でしたが、神の憐れみにより、有力な者を辱めるために選び出され、神の聖所で務めを果たすという、大切な使命が与えられたのです。
 
 モーセは、冒頭の言葉(8節)で「あなたのトンミムとウリムを、あなたの慈しみに生きる者に授けてください」と言いました。「トンミムとウリム」とはどのようなものか、詳細は不明ですが、神意を悟るために用いるくじのようなものだったと考えられています。つまり、「トンミムとウリムを授けてください」という求めは、神の御心を知ることが出来るようにという祈りです。
 
 神の憐れみによって選ばれ、その慈しみの内を歩む彼らにとって、神の御心を知り、それを忠実に果たす以外に、彼らが生きる道はないのです。

 それは、主イエスによって選ばれた私たちも、同様です(ヨハネ15章16節)。主につながっていなければ、実を結ぶことは出来ません。農夫の手入れ、即ち神の助けがなければ、豊かな実りは期待出来ません(同15章1,5節)。私たちには、神の御旨を悟るために、神の御言葉(聖書)と聖霊が与えられています。

 日毎に主の御言葉を求め、主の御前に進みましょう。御言葉を通して神の御旨を知り、素直に聴き従うため、御霊の満たしと導きを祈り求めましょう。

 主よ、あなたはぶどうの木、私たちはその枝です。つながっていなければ、実を結ぶことは不可能です。豊かに実を結ぶことが出来るように、御言葉と御霊によって教え導いて下さい。それによって主の栄光が表されますように。 アーメン



プロフィール

pastabco

記事検索
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

ギャラリー
  • バプテスト静岡教会の集会再開のお知らせ
  • 3月21日(日)主日礼拝説教
  • 3月21日(日)主日礼拝案内
  • 3月14日(日)主日礼拝説教
  • 3月14日(日)主日礼拝案内
  • 3月7日(日)主日礼拝説教
  • 3月7日(日)主日礼拝案内
  • 2月28日(日)主日礼拝説教
  • 2月28日(日)主日礼拝案内
  • 2月21日(日)主日礼拝説教
  • 2月21日(日)主日礼拝案内
  • 2月14日(日)主日礼拝説教
  • 2月14日(日)主日礼拝案内
  • 2月7日(日)主日礼拝説教
  • 2月7日(日)主日礼拝案内
楽天市場
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ