風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2014年03月

3月22日(土)の御言葉  使徒言行録18章

「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。』」 使徒言行録18章9,10節

 パウロはアテネを去り、コリントに行きました(1節)。コリントは、中央ギリシヤとペロポネソス半島を結ぶ地峡の2.5㎞南にある都市で、西と東との海路の接続点、また北と南との陸路の接続点にあり、通商、交通の要路でした。

 小アジア、シリア、エジプトからの船は、地峡の東側の港ケンクレアイ(ローマ書16章1節)に入り、イタリア、シシリー、スペインからの船は、西側の港レカイオンに着きます。この二つの港の間はおよそ8㎞で、大型船舶の荷物は、一旦船から降ろされて、次の船に運ばれますが、小さな舟は、舟ごと市街鉄道のようなもので運ばれました。

 この地峡を渡らない場合には、船は風の強いマレアス岬を320㎞も迂回して周航しなければなりません。ここに運河を通す必要性が、アレキサンダーの時代から唱えられており、ネロ皇帝の時代に着工されましたが、失敗に終わりました。実現したのは、19世紀になってからのことです。

 このように、陸路、海路の接続点に位置するために、肥沃でない平野にあったコリントも、交易によって大いに繁栄しました。首都は今日もアテネですが、当時の政治経済の中心地は、このコリントであったようです。

 パウロはコリントで、アキラとプリスキラというユダヤ人夫婦と出会いました(2節)。アキラは、テント職人でした。パウロもテント作りをして伝道旅行の資金のたしにしていましたので、彼らの家に同居し、コリントの町のユダヤ教の会堂で宣教を始めます(3,4節)。

 この時点では、まだアキラたちはクリスチャンではなかったかも知れません。というのは、ユダヤ人たちが反抗して会堂で御言葉を語ることが出来なくなったとき(6節)、パウロは、ティティオ・ユストという人の家に移りました(7節)。これは、反抗したユダヤ人の中にアキラたちもいて、彼らと一緒にいることが出来なくなったということではないでしょうか。

 ユストの家は会堂の隣にあり(7節)、そこを拠点に福音を語り続けたのでしょう。それで、会堂長クリスポの一家が主を信じるようになりました。また、コリントの多くの人々、すなわちギリシア人たちが、バプテスマを受けてクリスチャンになりました(8節)。

 そんなある夜、パウロは幻の中から語りかける主イエスの声を聞きました。それは、冒頭の言葉(9,10節)のとおり、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」というものでした。

 この言葉が語られたということは、パウロの置かれている境遇が、決して恐れずにすむようなことではなかったことを示しています。「あなたを襲って危害を加える者はない」と言われていますが、パウロがマケドニアに渡って来て以来、繰り返し、危害を加えようとするユダヤ人らの反抗に直面させられてきました。彼をして、「今後、わたしは異邦人の方へ行く」と言わしめるほどのことだったのです(6節)。

 もし、神の助け、神の導きがなければ、逃げて帰りたい心境だったことでしょう。第一コリント書2章3節に、「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と記されているのは、このことだと思います。

 だからこそ、幻で主イエスがパウロに語りかけ、彼を励まされたのです。「恐れるな」と。そして、「わたしがあなたと共にいるよ」と。パウロは、この幻を見、主イエスの声を聞いて慰められ、励まされました。そこで、ぱうろはっそれから1年半もの間コリントに留まり、福音を語り続けました。

 その相手は、異邦人だけではなかったと思います。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない」と言っていたユダヤ人にも(6節)、福音を伝えました。そして、かけがえのない人々を得ています。それは、アキラとプリスキラ夫妻です。

 というのは、コリントを去ってシリア州に旅立ったとき、この夫妻も同行しており(18節)、さらに、二人がエフェソに残されて、パウロはアンティオキアに戻りますが、そのとき二人は、伝道者アポロに、「もっと正確に神の道を説明した」のです(19,26節)。熱心なユダヤ教徒だったアキラ夫妻が、さらに熱心なキリスト教徒になっていたわけです。

 どうしてそういうことが出来たのでしょうか。それは、アキラとプリスキラが、主イエスが「わたしの民」と呼んでおられる者たちの一人だったからです。そして、パウロは主イエスに従って伝道していたからです。そのために、必要な知恵も力も、キリストによって彼に注ぎ与えられていたのです(第一コリント書1章18節以下、30節、2章1節以下4,5節参照)。

 かつて、イスラエルの民がエジプトを出て荒れ野を旅する際に、火の柱、雲の柱が導いたように、パウロは、主の霊に導かれて、主が遣わされるところに留まって、主の業に励みました。かくて、ここにコリント教会が形づくられていったのです。

 主に聴き従うとき、主は私たちを励まし、必要な助けをお与えくださいます。主の最善を信じ、導きに従って、道を進み、あるいはそこに留まり、全力で主の業に励みましょう。「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(第一コリント書15章58節)。

 主よ、今日も私たちと共にいて、私たちを励まし、諭して下さり、感謝します。どうか主の福音を語らせて下さい。福音を待っている人々、あなたの民が私たちの町に、この周りに大勢いるからです。信仰によって前進させて下さい。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン




3月21日(金)の御言葉  使徒言行録17章

「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいる者、それをわたしはお知らせしましょう。」 使徒言行録17章23節

 16節以下の段落に、アテネでの伝道の様子が記されています。パウロは、テサロニケ(1節以下)、ベレアでの伝道で(10節以下)、多くの信者を獲得したようですが、ユダヤ人たちが群衆を扇動して暴動を起したので、兄弟たちがパウロをアテネに送り出しました。パウロは、後に残ったシラスとテモテの到着を(14節)、アテネで待ちました。

 その間に、パウロは町を見て回り、至る所に偶像があるのを見て憤慨します(16節)。ここで、「憤慨した」と訳されているのは、「パロクスノウ」というギリシア語で、非常に強い感情を表わすものです。あるいは、非常に強い悲しみと訳してもよいのかも知れません。パウロは、町中に溢れる偶像を見、それで信仰熱心と勘違いしているアテネの人々に非常に強く心動かされたのです。

 当時、アテネには、神を祀る神殿や祠などが3000ほどあったと言われます。ありとあらゆるものを神として拝んでいたようです。その中には、冒頭の言葉(23節)のとおり、「知られざる神に」と刻まれた祭壇さえあったというのです。

 アテネの人々は、考えられる限りの神を祀っているけれども、未だ自分たちの知らない神がおられるかも知れないと考えて、そのような名を刻んだ祭壇を造ったのでしょう。その動機は、うっかり祀り損ねた神に蒙られるかもしれないという、神罰に対する恐ではないでしょうか。

 パウロは、そのことから、招かれたアレオパゴスでアテネの人々に福音を説きます(19,22節)。アレオパゴスとは、「アレス神の丘」という意味です。これは、アテネのアクロポリスの北西にあり、アクロポリスに続く、高さ113メートルの丘です。また、アレオパゴスの評議会の名前でもあります。軍神アレスがこのアレスの丘で審判を受けたという伝説からそう呼ばれるようになりました。

 メッセージを要約すると、①神は天地万物を造られた。人が造った神殿には住まわれない。人に仕えられる必要もない(24,25節)。②神が人を造られ、人にすべての必要なものを与えられた(25,26節)。③神を捜し求めれば、見出すことができる。遠くに離れてはおられない(27,28節)。④神の像を作ってはならない(29節)。⑤神は、独り子キリストによってこの世を裁かれる。キリストは死者の中から甦られた(31節)ということです。

 死者の復活と聞いて、町の多くの人々はパウロを嘲笑いました。彼らは初め、パウロの説いていた「復活(アナスタシス)」の福音を、まだ名を聞いたことのない「アナスタシス」という女神でもいるのかと誤解していたようです(18節参照)。「アナスタシス」とは、「アナ」が「再び」、「スタシス」は「立つ」という意味を持つことから、「再び立つ」という意味の合成語で、そこから、「復活、甦り」と訳されるようになりました。

 アテネの人々は、キリストの死者の中からの復活のことと聞いたので、説教を中断させて、「いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言います。つまり、もう結構だということになったわけです(32節)。彼らにとって、死者の復活などという、どんな理屈を聞かされても到底納得出来そうもない話を、およそ聞く気にはなれなかったのです。

 けれども、その説教で信仰に入った者もいたことが、34節に報告されています。パウロが語っているとおり、素直に神を求める者は、見出すことが出来ます。謙って御言葉に耳を傾ける者は、信仰に導かれるでしょう。「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ書10章17節)。信じない者にならないで、信じる者となりましょう(ヨハネ福音書20章27節)。

 主よ、パウロは、主イエスの復活について、福音を告げ知らせましたが、アテネの知者たちは信じようとせず、むしろパウロを嘲笑しました。理屈では説明出来ないからです。私たちも主イエスの復活を宣べ伝えます。聖霊の導きを与えて下さい。 アーメン






3月20日(木)の御言葉  使徒言行録16章

「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った。」 使徒言行録16章9節

 パウロは、マルコと呼ばれるヨハネの一件で、前回の同行者バルナバと別れ(15章36節以下、39節)、シラスを連れて第二回目の伝道旅行に出発しました(同40節)。最初にデルベ、リストラに行き、そこでテモテという弟子を一緒に連れて行くことにしました(16章1節以下)。

 それから、アジア州で御言葉を語ろうとして、聖霊にそれを禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通り(6節)、ビティニア州に入ろうとしますが、イエスの霊に妨げられたので(7節)、ミシア地方を通ってトロアスに下ります(8節)。

 この旅程を巻末の地図で調べると、かなり不思議です。ガラテヤ、フリギア、アジアと進めばスムーズですが、アジア、フリギア、ガラテヤと逆順になっているわけです。あるいは、リストラからティアテラへ行き、そこから東に戻るという動きだったのかもしれませんが、よく分かりません。

 いずれにせよ、ここに示されているのは、パウロの旅行計画を、神が変更させておられるということです。「御言葉を語ることを禁じた」というのは、伝道してはいけないということではなく、伝道地を変えなさいということだったのです。

 また、7節に、「イエスの霊」という言葉があります。これは、聖書中1回しか出てこない表現です。聖霊とは別にイエスの霊があるというのではなく、主イエスが父なる神に願って遣わされた弁護者、真理の霊(ヨハネ福音書15章116,17節)ということでしょう。ルカがこの表現を用いたのは、パウロの伝道旅行を導いておられるのは、その聖霊を遣わして下さった主イエスご自身であるということを示そうとしているわけです。

 とはいえ、伝道計画の変更を余儀なくされたパウロたちは、どんな思いだったことでしょうか。小アジアを西に東に移動し、腰を据えて伝道を始めようとするとストップがかかるというのは、どう判断してよいのか分からず、不安になることではなかったでしょうか。そのあたりのことは全く記されていないので、想像を膨らませるだけですが。

 ところが、トロアスに下った夜、パウロは幻を見ました(9節)。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、わたしたちを助けてください」と言うのです。パウロはそれこそ神の導きと信じて、トロアスからマケドニアに向けて出発します(10節)。

 これが、初めて主イエスの福音がヨーロッパにもたらされる瞬間です。アジアで、そしてビティニアで伝道が禁じられたのは、マケドニアに渡ることが神のご計画だったからです。そのため、マケドニアに渡るための最適地トロアスに導かれていたのです。

 パウロは、マケドニア人が「わたしたちを助けてください」と語るのを、主イエスの救いを求めていると理解しました。主イエスの福音はユダヤ人だけでなく、すべての者を救うことが出来るからです(15章11節)。そして、主イエスによらなければ、ほかの誰によっても、その救いは得られないからです(4章12節)。

 ここで、6節と10節の間に、記録に残されていない出来事があります。それは何かというと、6節ではパウロたち一行のことを、「彼ら」と呼んでいますが、10節を見ると、それが、「わたしたち」というように変化しています。これは、著者のルカが一行に加わったので、代名詞が「彼ら」から「わたしたち」に変化したわけです。

 8節までの動詞は3人称複数形ですから、ルカがトロアスでパウロに出会い、一緒に行くことになったと考えられます。このときのパウロとの出会いが、ルカを救いに導いたと考えれば、そして、ルカ福音書、使徒言行録を著す者とされたと考えれば、ルカのためになされた旅程変更だったと言ってもよいことになります。

 「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことが。だれが、神の定めを極め尽くせよう」(ローマ書11章33節)。道が閉ざされたように見えて、神はご自身の計画に従い、パウロを最善の道に導いておられたのです。万事を益とされる神に、栄光が永遠にありますように。 

 主よ、パウロは自分の計画ではなく、神の計画に従ってマケドニアに渡るように導かれました。それによってヨーロッパに福音が伝えられました。そして、地の果て、海の果ての日本にも福音が伝えられてきました。御言葉の約束どおりです。今も、救いを待っている人々がいます。私たちにも力と導きを与えて下さい。 アーメン






3月19日(水)の御言葉  使徒言行録15章

「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」 使徒言行録15章11節

 エルサレム教会からやってきた人が、アンティオキア教会の人々に、「割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(1節)と教えようとしたことで、パウロやバルナバたちとの間で激しい論争が起きました(2節)。そこで、使徒や長老たちと協議するために、アンティオキア教会の主だった者たちがエルサレムに上りました。そして、エルサレムの詩と会議が開かれました(4節)。

 そこで、ファリサイ派から信者になった人々が、「異邦人にも割礼を受けさせ、律法を守るように命じるべきだ」と主張しました(5節)。これは、旧約の律法は、キリスト教会にとっても、神との契約として妥当不可欠のものであるという主張であり、割礼を受け、律法を守ってはじめて、救われて神の民に加わることが出来るという立場です。

 それに対して、使徒ペトロが立ち上がり、自分の体験に基づいて意見を述べます。ペトロは、神ご自身が異邦人を教会に受け入れようとされていることを悟らされました(10章)。そしてそれをエルサレム教会にも報告していました(11章1節以下)。ペトロは、神が異邦人を教会に受け入れられるのに、何の差別もなさらなかったことを告げ(9節)、異邦人がユダヤ人のようにならなければ救われないというのは、神の御心に反すると説きます。

 さらに、ユダヤ人は今まで、律法を完全に守ることが出来ないでいる。自分もそうだ。異邦人に守れという権利はない、もしも、自分も負いきれない軛を異邦人に追わせるのは、神を試みることではないかと言います(10節)。最も大切なことは、冒頭の言葉(11節)で語っているとおり、救いは、恵みによって与えられるということです。

 神は、人々を律法の呪いから解放して、イエス・キリストの恵みによって救われるようにしてくださいました。それを信じる者は、ユダヤ人も異邦人も隔てなく、救いに与ることが出来ます。このペトロの意見を聞いて、全会衆は静かになり、バルナバとパウロを通してなされたしるしと不思議な業について、話を聞きました(12節)。

 その話を聞いて、エルサレム教会の代表者である、主イエスの兄弟ヤコブは、アモス書9章11,12節の預言の言葉を引用しつつ(16節以下)、「わたしはこう判断します。神に立ち返る異邦人を悩ませてはなりません」(19節)と結論します。すなわち、割礼を受ける必要はないというのでした。

 パウロは、ガラテヤ書で使徒会議を報告している言葉の中で(ガラテヤ書2章1節以下)、「神は意図を分け隔てなさいません。実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました」といいます(同6,7節)。

 かくて、異邦人に対する伝道の門戸が広く開かれることになりました。そのお蔭で、現在、極東に住む私たちのところにも福音が伝えられ、救いに与ることが許されているのです。そしてそれは、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」といわれた主の御言葉が(1章8節)、成就するためだったのです。 

 私たちは、律法を守るから救われるのではなく、イエス・キリストの福音を信じることにより、救われるのです。けれども、救われたからこそ守るべき教えがあります。それは、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6章5節)という規則と、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ記19章18節)という規則です。

 そして主イエスは、「律法全体と預言者」、すなわち旧約聖書全体は、この二つの規則に基づいていると言われました(マタイ福音書22章40節)。この二つの規則を守ることが、旧約聖書全体の律法を守ることだと言われたわけです。

 この二つの決まりは、神様が私たちを愛して下さっているという土台の上に置かれています。この神の愛は、イエス・キリストがこの地上に人となって来られたことで明らかになりました。私たちを極みまで愛し、十字架で罪の贖いを成し遂げられました。主イエスを信じる者は、この神の愛に応えて、神を愛する者になろうとするでしょう。そして、隣人を愛する者になろうとするでしょう。

 主イエスを信じて、その愛に応えようとする者のために、神様は聖霊をお与え下さいます。聖霊によって神の愛が私たちの心に注がれ、その愛をもって神を愛し、隣人を愛する者とされるのです(ローマ書5章5節)。聖霊が与えられるのも、キリストの恵みです。神に祈り求める者に聖霊が注がれるからです(ルカ福音書11章13節)。 

 主よ、あなたから愛されていることを知ることは、素晴らしいことです。愛されている者として、聖霊の力と助けを頂いて、神を愛する者、そして隣人を愛する者となることが出来ますように。いつも私たちの心に神の愛を注いで下さい。 アーメン







3月18日(火)の御言葉  使徒言行録14章

「ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。」 使徒言行録14章19節

 8節以下に、リストラでの伝道活動が記されています。リストラは、小アジア南部、南ガラテヤのリカオニア州の町で、イコニオンの南西約40㎞にありました(6節)。町は丘の上にあり、肥沃な平原に囲まれ、小さな2本の川が町の近くを流れていました。

 リストラの歴史の詳細は不明ですが、アレキサンダーの時代にリカオニア州はペルシヤの支配下からギリシアの支配下に移り、紀元前35年ガラテヤの王アミンタスがアンティパテル・デルベテスを破り、この地方を征服してからは、ガラテヤに併合されました。しかし、前25年にアミンタスが殺されてから、ガラテヤと共にローマの支配下に移り、ガラテヤ州に統合されました。

 前6年、ローマ皇帝アウグストゥスがこの地方に建てた新しい軍事植民都市の一つが、リストラでした。この頃の町の人口構成は、少数のローマ人が軍人貴族を中心に支配階級を占め、教養のあるギリシア人が第2の階層を形成し、残りの大半は一般のリカオニア人が占めていました。ローマ人はラテン語、知識人はギリシア語を用い、一般のリカオニア人は自分たちの方言を話していました(11節)。

 この町に、生まれつき足の不自由な男がいました(8節)。パウロは、彼の信仰を認め、「自分の足で真っ直ぐに立ちなさい」というと、その人は躍り上がって歩き出しました(10節)。これはちょうど、ペトロとヨハネが、「美しい門」で行ったのと同じような奇跡です(3章1節以下、6,7節)。

 それを見た町の人々は、パウロとバルナバを神々の化身であると考え(11節)、バルナバをゼウス、パウロをヘルメスと呼びました(12節)。ゼウスは、ギリシャ神話の主神、ヘルメスはゼウスの子で神々の使いです。おそらく、バルナバは年長で、立派な髭をたくわえていてゼウスと呼ばれ、パウロは年若く、髭もなかったのでヘルメスと呼ばれたのでしょう。

 住民がリカオニアの方言で話していたため、パウロたちは初め何をされているのか分からなかったようですが(11節)、おそらく通訳を通じて状況が分かったとき(14節)、二人は、町の人々が自分たちを神として拝もうとしているのをやめさせるのに、必死になります(15節以下、18節)。

 というのも、彼らは勿論、普通の人間であって、神の化身ではないからです。そして、人々が神と崇めてくれるのをいい気持ちで聞いていようものなら、ヘロデ・アグリッパと同様、神に栄光を帰さなかったということで、主の天使に撃ち倒され、蛆に食い荒らされて息絶えてしまう結果になったことでしょう(12章20節以下、23節)。

 神として拝もうとするのをやめさせるための説得の言葉は、リストラの人々に対する福音宣教の言葉でもあります。人間を神の化身として拝むというような誤った神礼拝(パウロはそれを偶像と呼んでいます)を離れて、真の生ける神に立ち返りなさいと語ります。そして、パウロたちが宣べ伝えている主イエスこそ、真の生ける神であられるので、足の不自由な男を立ち上がらせることが出来たというわけです。

 この説教の結末は、「群集が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた」と記されているだけです(18節)。町の人々は初めて聞く話に、まだよく納得がいかなかったのかも知れません。ともかくも、本人たちがただの人間というのだから、それではやめようかといった調子で、ようやく帰ってくれたというような状況を想像します。

 ただ、主イエスの福音を信じようという者が、全くいなかったということでもないでしょう。20節に、「弟子たちが周りを取り囲むと」という言葉があります。バルナバとパウロの働きで、この町にも、「弟子たち」と呼ばれる人々、つまり主イエスを信じるクリスチャンが生まれたのです。

 ところが、事態が一変します。リストラの町にユダヤ人たちがやってきて、群衆を抱き込み、パウロに石を投げて殺したというのです(19節)。昨日は神として拝もうとした人物に、今日は石を投げつけるとは、ちょうど、「ホサナ」と歓迎した主イエスを(マルコ福音書11章9節)、その週のうちに「十字架につけろ」と叫んだ群衆と同じです(同15章13節)。

 しかし、状況によって掌を返すように態度を変えるというのは、私たちの常です。STAP細胞の論文が発表されたとき、マスメディアは突如現れたリケジョの研究成果を大々的に報道し、iPS細胞に勝るともてはやしました。ところが、論文に数々の疑惑が浮かぶと、今度はよってたかってリケジョ叩きに突き進んでいます。

 石を投げられて死んだと思われたパウロは、町の外へ捨てられました(19節)。パウロはかつて、ステファノが石で打たれて殉教するとき、その殺害に賛成する側でした(8章1節)。ステファノと同じ立場に立ったとき、パウロの脳裏に、ステファノが最後に祈った祈りの言葉が浮かんだのではないでしょうか(7章60節参照)。そして、彼も同じように祈っただろうと思います。

 主なる神はパウロの命をもとに返し、息を吹き返したパウロは、再び町に入って行きます(20節)。まさしくこれは、パウロを活かして用いておられる主イエスの御業であり、パウロの語る福音が真実であることの明白なしるしでした。

 パウロを活かし、用いておられる主イエスの御霊が、私たちの内にも注がれています。聖霊に満たされて、主イエスの証し人として、用いていただきましょう。私たちの心に注がれてくる神の愛を受けて、心から主を誉め讃えましょう。 

 主よ、パウロたちはあなたに従って行動していました。その力が足の不自由な男を立ち上がらせ、死んだパウロを生き返らせました。どうか主の使命を果たすことができるように、私たちの萎えた足を強くし、曲がった腕をまっすぐにして下さい。 アーメン



3月17日(月)の御言葉  使徒言行録13章

「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。」 使徒言行録13章1節

 アンティオキアの教会の目覚しい伝道の成果について聞いたエルサレム教会は、バルナバを派遣しました(11章22節)。それは、教会の健全な成長を願い、信徒たちを励ますためでした。バルナバはその使命を忠実に果たし、彼の働きによって多くの人が主に導かれました(同24節)。

 その後、サウロを探しに彼の郷里タルソに行き、アンティオキアに連れ帰って丸一年、一緒に働きました(同25節以下)。その結果、そこに素晴らしい教会が建てられました。そこで、弟子たちのことを人々は「キリスト者(=クリスチャン)」と呼ぶようになりました(同26節)。
 
 こうして基礎の固まったアンティオキア教会には、多くの指導者が立てられていました。その筆頭にバルナバ、そして最後にサウロの名が記されています(1節)。これはおそらく、年齢順でしょう。バルナバが最年長、サウロが最年少の指導者だったと思われます。

 その間の3名について、ニゲルと呼ばれるシメオンは、ニゲルがラテン名で「黒」を意味することから、アフリカの人だったのではないかと考えられ、そして、「シメオン」というヘブライ語名を持つユダヤ人ということで、主イエスの十字架を代わって担いだキレネ人シモンのことではないかと想像されています。

 また、キレネ人ルキオは、使徒言行録の著者ルカのことではないかという説があります。ただ、16章10節の、「わたしたち」で、ここからルカがパウロの伝道旅行に参加するようになったと考えられるので、ここは別人と考えるべきでしょう。

 マナエンとは、ヘブライ語のメナヘムという名前のギリシャ音写です。列王記下15章17節に、イスラエルの王メナヘムの名があります。メナヘムとは「慰める者」という意味があり、バルナバとの共通点を見るようです。「(領主ヘロデと)一緒に育った」(スントゥロフォス)という言葉は、口語訳では「乳兄弟」と訳されていました。家族のように、近しい関係というところでしょうか。

 領主ヘロデと近しい関係の人物までクリスチャンになり、しかも異邦人に伝道する教会の指導者になっているというところに、初代のクリスチャンたちがどんなに熱心に伝道したかを窺うことが出来ます。そしてそれが、ステファノの殉教をきっかけとして起こった大迫害であったことを思うと(11章19節)、神が聖霊の力を与えて、熱心な伝道を助け導いておられたということでしょう。

 彼らのことが、「預言する者や教師」と紹介されています。誰が預言する者か、誰が教師か、区別されていません。発展途上の教会が、その働きに応じて指導者たちを「預言する者」とか「教師」という肩書きで呼ぶようになっていったのでしょうが、それが教職制度として整備されるのは、もっとずっと後のことでしょう。

 「預言する」とは、文字通り、神の言葉を預かってそれを人々に語ることです。それは、聖霊の導きによって語り、働くことでした。アンティオキアの教会には、伝統や制度よりも、聖霊の導きに自由に従うという気風が満ちていたのでしょう。パウロが、「主の霊のおられるところに自由がある」と語っています(第二コリント書3章17節)。

 これは、パウロが、バルナバと共にアンティオキアの教会で学び、味わったことではないかと考えることが出来ます。その自由さの中で、ユダヤ人に対する伝道だけでなく、ギリシア語を話す人々、すなわち異邦人に対しても福音を伝えていこうという導きに与りました。そして、それが確かに聖霊の導きであったので、神がその伝道を助けて下さって、たくさんの人々が主イエスを信じるようになったのです(11章19~21節)。

 そして聖霊は、教会の指導者たちの中で中心的な役割を担っていたバルナバと、彼に見出されて売り出し中のサウロを、伝道旅行に派遣しなさいと語られます(2節)。それは教会にとって、簡単に、「はい、そうしましょう」と言える話ではないと思います。二人の抜けた穴を簡単に埋めることなど、出来ることではないからです。

 しかし、彼らは断食して祈り、聖霊の導きに従って二人を送り出しました(3節)。教会の使命が福音宣教にあること、その成果を自分たちのものに出来なくても神の導きに従い、主の喜ばれることをおのが喜びとすること、そして何より、神を畏れる信仰の姿勢が確立していたのでしょう(2章43節)。

 私たちも、その信仰を学ぶために、神の国と神の義とを第一に求める者となりましょう(マタイ福音書6章33節)。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰を求めましょう(第一テサロニケ書5章16~18節)。御霊に満たされるよう、祈り求めましょう(エフェソ書5章18節)。御言葉に耳を傾け、主の導きに従いましょう。

 主よ、アンティオキアの教会のように、伝道する教会として下さい。真剣に御言葉に耳を傾け、御旨に従うことが出来ますように。人々の救いのために祈り、主の福音を伝えることが出来ますように。実を結ぶ者とならせて下さい。 アーメン





3月16日(日)の御言葉  使徒言行録12章

「ヘロデがペトロをを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは、戸口で牢を見張っていた。」 使徒言行録12章6節

 これまでキリスト教徒は、ユダヤ教の指導者たちによって迫害を受けてきましたが、ここに来て、新しい迫害者が登場してきました。それは、ヘロデ大王の孫で、紀元41年から44年までユダヤの王となったヘロデ・アグリッパ(1世)です。その晩年は、彼の祖父ヘロデ大王に匹敵する領土を支配するようになっていました。

 ヘロデ一族は、エドムの血の混ざったユダヤ人であったため、ユダヤの指導者たちの好意を得るため、様々な施策をとって来ました。ヘロデ大王が壮麗な神殿を建築したことも、それに当たります。アグリッパは、ユダヤ教指導者たちにとって目の上のこぶであるキリスト教徒を迫害することで、ユダヤ人の好意を獲得しようと考えたのです(3節)。

 最初に、使徒ヤコブが犠牲となりました(1節)。なぜ、ヤコブが最初の殉教者となったのか、定かでありませんが、共観福音書の記述によれば、ゼベダイの子ヤコブとヨハネ、そしてシモン・ペトロの三人が、主イエスに重んじられていたことから(マルコ福音書9章2節など)、エルサレム教会で重要な役割を担っていたヤコブが狙われたのだろうと考えられます。

 そして、次の犠牲者として、ヘロデはペトロを捕らえました。ヘロデはペトロを厳重な監視下に置きます。たった一人の囚人のために、「四人一組の兵士四組」、すなわち16人の番兵を選任して監視に当たらせます(4節)。冒頭の言葉(6節)によれば、そのうちの二人が、ペトロを縛っている鎖の両側を持って見張るという徹底振りです。

 ヘロデはペトロを過越祭の後、大群衆の前で裁判にかけ、処刑するつもりだったのです(4節)。それはちょうど、主イエスがユダヤ教指導者たちに捕らえられ、処刑されたのと同じ時期でした(マルコ福音書14章1節以下など参照)。

 当時、ローマ帝国の権力と、ユダヤ教指導者たちの支持を得たヘロデ・アグリッパをとどめる手立てはなかったと思われます。だからこそ彼は、過越祭の後というタイミングを選び、ペトロの処刑を大群衆の見世物にして、指導者たちの支持をより堅固なものにしようと考えているわけです。

 けれども、このヘロデの計画は未遂に終わりました。それは神が、ペトロのためにささげられた教会の熱心な祈りを聞かれ(5節)、ペトロを牢から救い出されたからです(11節)。祈りこそ、教会に与えられた恵みであり、力なのです。

 縛られていた鎖が外れ(7節)、第一、第二の衛兵所を通り過ぎ、いちばん外の、町に通じる鉄の門がひとりでに開いたので(10節)、ペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行きました。そこに、教会の仲間たちが大勢集まって、祈っていたからです(12節)。

 ペトロは、そこに集まっていた人々に、神が自分をどのようにして救い出されたのか、その経緯を説明しました(17節)。そして、「このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい」と言います(17節)。ここで語られている「ヤコブ」は、殉教した使徒ヤコブではありません。主イエスの実の弟のヤコブです。これはおそらく、主イエスの兄弟ヤコブにエルサレム教会の指導を委ねるという意味ではないかと考えられます。

 そうして、ペトロは他のところ、すなわち主なる神がペトロを用いられる新しい場所へ出て行きました。つまり、ペトロの救出は、教会の祈りが聞かれたということだけでなく、神がペトロに新しい使命を託すためになされたということになるでしょう。

 今日の言葉(6節)で驚いたのは、「二人の兵士の間で眠っていた」という言葉です。教会では、熱心な祈りが、夜を徹してなされていたことでしょう。彼を監視している番兵たちも、寝ずの番をしています。ところが当のペトロは、処刑前夜、眠っていたのです。

 どういう心境だったのでしょう。それは、嵐の海で枕して眠っておられた主イエスを彷彿とさせます(マタイ福音書8章23節以下など)。弟子たちが主イエスをたたき起こして、助けを求めたとき(25節)、主イエスは、「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ」と仰りながら、風と湖をお叱りになって、すっかり凪にしてしまわれました(同26節)。

 ペトロはかつて、主イエスの仲間だろうと問われて、三度それを否みました。殉教に対する恐れ、特に祭司長たちに嘲笑されている主イエスの仲間とされることに、耐えられなかったのかも知れません。しかし、今や殉教を目前にして、肝が据わっているという以上に、主を否んだ自分を愛し、救うために十字架に死んでくださった主イエスに信頼し、すべてをその御手に委ねていたということでしょう。

 心を騒がせるなと語られ(ヨハネ福音書14章1節)、「わたしは道であり、真理であり、命である」と仰った(同14章6節)主イエスの、真理の道、命の道を通って、心に平安を得、主の使命を自覚して、主の御業に励みたいと思います。

 主よ、迫害の中でも大胆に福音宣教に励んでいた教会の信仰、殉教目前でも一切を御手に委ねて平安のうちに眠ることの出来たペトロの信仰を学ばせて下さい。伝道する教会、賛美溢れる教会にならせて下さい。 アーメン





3月15日(土)の御言葉  使徒言行録11章 

「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。」   使徒言行録11章19,20節

 8章には、ステファノの殉教に端を発した大迫害により、ユダヤとサマリアの全地に福音が告げ知らされたことが記されていました。19節以下の段落には、その後の展開が記されています。冒頭の言葉(19節)に、はくがいをきっかけとして、「フェニキア、キプロス、アンティオキア」と、国境を越えて散らされて行った人々による福音宣教が報告されています。

 ここに、1章8節で語られていた、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」という御言葉が実現している有様を見ることが出来ます。まさに、彼らが聖霊の力を受けていたので、迫害というマイナスを福音宣教の拡大というプラスに変えることが出来たのです。

 さらに、彼らは宣教地を拡大しただけでなく、宣教対象も拡大させました。当初は、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」のですが(19節)、「キプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」のです(20節)。

 キプロス島は、バルナバと呼ばれているヨセフの出身地です。そして、キレネといえば、キレネ人シモンを思い出します(ルカ福音書23章26節)。バルナバやシモンの福音宣教により、キプロスやキレネ出身の人々が主イエスを信じるようになったのではないでしょうか。

 バルナバもシモンも、ディアスポラのユダヤ人です。そこで、キプロス島やキレネから来た者も、ユダヤ人だったのでしょう。彼らも最初はユダヤ人を対象に福音を伝えていました。けれども、導かれてギリシア語を話す人々、すなわち、異邦人に対する伝道を始めたのです。

 異邦人伝道については、8章26節以下に、フィリポがエチオピアの女王の高官に対する伝道が記されていました。さらに、10章1節以下で、ペトロがイタリア隊と呼ばれる部隊の百人隊長コルネリウスとその親類、親しい友人らへの伝道が記されています。

 一対一、一対複数の異邦人伝道から、ここに来て、教会による組織的な異邦人伝道へと働きが広げられています。21節に、「主がこの人々を助けられた」とあるように、異邦人を伝道の対象者としたこと、実を豊かに結ぶことが出来たのは、主のご計画であり、また主ご自身の御業なのです。

 アンティオキアは、パレスティナとシリアを結び、東方へと通じる隊商路にあたっており、また町を流れるオロンテス河を下れば地中海に出ることが出来、当時、通商貿易の中心地として栄えていました。ローマ、アレクサンドリアに告ぐ第三の都とも言われています。

 そこに、異邦人伝道を行う教会が作られました。後に、パウロとバルナバ、マルコ、シラスといった人々が、世界伝道旅行に派遣されます(13章1節以下、15章36節以下、18章23節以下)。国際都市に国際的な伝道を行う教会が建てられた背後に、聖霊の働きがあったことを、ルカは13章2,4節に明記しています(13章2,4節)。

 かくて、教会が成長していった背景には、迫害にも負けない熱心な伝道があったこと、ユダヤ人だけでなく、異邦人にも伝えようという自由さがあったこと、それは、聖霊の力、聖霊の導きによるものであったこと、そして何より、そのことがそもそもの神の御心であった(1章8節)ということを、教えられます。

 主イエスの御名によって立ち、歩む私たちも、聖霊の力、導きを受けて、主イエスの福音をつげ知らせる者にならせていただきたいと思います。

 主よ、エルサレムの教会に注がれた聖霊、アンティオキア教会を異邦人伝道へと導かれた聖霊が、この大牟田の教会にも豊かに注がれますように。伝道する教会とならせて下さい。主にあって多くの実を結ぶことが出来ますように。 アーメン







3月14日(金)の御言葉  使徒言行録10章

「また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています。」 使徒言行録10章43節

 以前、ある雑誌で興味深い記事を読みました。それは、「財産とは何か?」と尋ねたときの答えで、アメリカ人は「お金」、「土地が財産」と日本人、「土地より金」とインド人、「子が宝さ。それさえあれば老後が安心」とはイギリス人、フランス人は「美しい言葉に勝る者はない」と答えるそうです。これは、本当にあたっているのでしょうか。

 ところで、あなたはどう答えますか。そこに、その人の価値観が表れて参ります。沖縄には「命どぅ宝、(命こそ宝)」という言葉がありますが、確かにそうだと思います。主イエスも、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか」と言われました(ルカ福音書9章25節など)。

 34節以下に、ペトロがコルネリウスの家に招かれて語った、福音の要点が記されています。それは、①神は人を分け隔てなさらない(34節)。②イエスは方々を巡り歩いて人々を助け、悪魔に苦しめられている人を癒された(38節)。③十字架で殺された(39節)。④三日目に甦られ、人々の前に現れた(40節)。⑤生きている者と死んだ者との審判者に定められた(42節)。⑥主イエスを信じる者は罪の赦しを受けられる(43節)、ということです。

 神は、独り子イエスをこの世にお送りになるほどに私たちに愛してくださいました(ヨハネ3章16節)。私たちを宝物のように考えてくださっているのです。そして御子イエスは私たちを、「友」(フィロス)と呼んでくださいました(同15章14,15節)。そして、その理由について主イエスは、父なる神からお聞きになったことをすべて、私たちに知らせたからだと仰っておられます。

 それは、考えられないほどのことです。私たちは父なる神のこと、その御心をどれほど知っているというのでしょう。しかし、それは知識量のことではなく、父なる神との交わりが与えられていること、その交わりには限度がないことを示していると思われます。

 ヨハネ福音書3章29節に、「花婿の介添え人」という言葉がありますが、この「介添え人」というのが「友」(フィロス)という言葉なのです。花婿の友は、花婿の代わりに花嫁に求婚したり、花婿の寝所にも入って相談し合うほど、特別な関係にあるものです。そんな言葉で、主イエスは私のことを呼んでくださっているのです。

 神は私たちに、キリスト・イエスによる永遠の命を授け、神の子として下さいました。また、主イエスは私たちを友と呼び、私たちのために命を捨てて下さいました。この神を信じ、主イエスを信じる信仰こそ、神によって授けられたこの上ない宝なのではないでしょうか。私は心から感謝しています。そして、すべての人がこの宝を手にしていただきたいと願います。
 
 主よ、私たちを愛して、御国の民として下さり、感謝致します。独り子をお与えになるほどにこの世を、そして私を愛して下さった主を信じる信仰こそ、私の宝です。主イエス様、今日も私の心の真ん中にいて下さい。 アーメン




3月13日(木)の御言葉  使徒言行録9章

「サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。」 使徒言行録9章4節

 新共同訳聖書には、今日の箇所に「サウロの回心」という小見出しがつけられています。しかしこれは、回心というよりも、サウロの召命、神による選びというのが、正確な表現ではないかと思います。

 サウロは、エルサレム教会を荒らしただけでは収まらず、さらに外国にまでその手を伸ばします。そのために、大祭司に許可を求め、ダマスコにあるユダヤ教の諸会堂あての紹介状を受け取ります(1,2節)。大祭司ないし最高法院に、外国にある教会を弾圧するだけの権限があるとは思えませんが、ユダヤ教徒に対する指導権を利用して、各地の会堂に警察としての役割を依頼し、サウロの働きを補佐するようにしたのでしょう。

 ここに、サウロの内側に、悪いことをしているという感情は全く見られません。むしろ、律法に背き、神を冒涜しているキリスト教徒を迫害することこそ、神に喜ばれることと信じて、邁進しています。

 ところが、ダマスコに近づいたとき、天からの光に打たれ、地に倒れました(3節)。そして、声を聞きます。それが冒頭の、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という言葉でした(4節)。サウロは声の主に向かい、「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねました(5節)。サウロは、声の主が、「主」、すなわち神のような存在であることを認識していることが分かります。

 サウロは、神に熱心に仕えていると考えていました。神への熱心をもって、キリスト教徒を迫害していました。ところが、声の主、サウロが、「主」と認識した神のようなお方は、「なぜ、わたしを迫害するのか」と語られます。サウロは、それまでの確信が崩されてしまいました。それで、「あなたはどなたですか」と尋ねるのです。

 声の主は、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」と答えました。サウロは、主イエスにお会いしたことはないかも知れません。まして、主イエスご自身を迫害した事実はないと思います。しかし、サウロはこの声に反発していません。イエスを迫害したことはないとは言いません。

 サウロは、正確にこの言葉を理解しました。サウロは、主イエスの福音を宣べ伝える信徒たちを、神を冒涜する者たちと断罪し、教会を根絶やしにするため、熱心に働いてきました。もし主イエスが生きておられたら、彼は真っ先に主イエスを亡き者にしようとしたに違いありません。まさに、主イエスの弟子たちにしたことは、主イエスにしたことなのです。

 主イエスは、マタイ福音書25章40節で、「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言われました。

 教会で有力な信徒たちに対して行ったことがそのように言われたのではありません。「最も小さい一人」、特に顧みられることもなさそうな、名前を忘れられてしまったかも知れない、そんな存在を「わたしの兄弟」とよび、その人にしたことをご自分にされたことと評価してくださるのです。

 「最も小さい一人」とは、私たちすべての者のことでしょう。だれもが主イエスに「わたしの兄弟」と呼ばれ、私たちが受ける悲しみも喜びも、ご自分になされたことと受け止めてくださっているのです。私たちは断じて、主イエスから見捨てられているのではありません。主イエスは私のことをご自分のこととして、その心と体で受け止めてくださっているのです。

 その主イエスの愛と憐れみが、迫害者サウロを捉えました。主イエスは、「私をよくも苦しめてくれたな、決して容赦はしないぞ」と語られたのではありません。「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」と告げられます(6節)。すなわち、自分の意気込みや大祭司たちの命令などではなく、主イエスによって、新しい使命に生きる者とされるということです。そこに赦しがあり、愛があります。

 サウロは、この赦しと愛を受けて、新しく生まれ変わるのです。同様に、私たちも主の愛と赦しに与らせていただきました。感謝をもって主に従い、私たちのなすべき務めを果たして参りましょう。

 主よ、御名を崇め、賛美いたします。迫害者のサウロをさえ心にかけ、愛された主が、私をも赦し、愛してくださいました。私のことをご自分のことのように受け止めていてくださること、私の弱さも、愚かさも、そして私が受けた苦しみも、喜びも、すべてを知っていてくださることを、心から感謝いたします。主の命の光の内、愛の光の内をいつも歩ませてください。 アーメン




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