風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2014年03月

3月31日(月)の御言葉  使徒言行録27章

「こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。」 使徒言行録27章35節

 ローマ皇帝に上訴したパウロを護送するため、カイサリアから海路ローマに向かうことになります(1節以下)。その際、パウロの身柄は皇帝直属部隊の百人隊長ユリウスに引き渡されました。「わたしたちがイタリアに向かって」と、冒頭に記されていることから、著者のルカがパウロの護送に付き添うことになったことが分かります。その他に、アリスタルコも同行しています(2節)。

 シドンからの航行は、偏西風に行く手を遮られるかたちになり、予定よりも時間がかかってしまいました(4,7節)。それで、航海に危険な季節になりましたが(9節)、クレタ島の「よい港」と呼ばれるところは、冬を越すのに適していなかったので、西のフェニクス港に行こうということになります(12節)。パウロは危険だから航海を中止するように忠告したのですが(10節)、船長や船主の意見で移動が決定しました(11節)。

 南風が吹いて来たので、出港したところ、間もなく島から吹き下ろす暴風に襲われて沖へ流され(14節以下)、積荷や船具までも捨てなければならない絶体絶命の事態になりました(18~20節)。「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶ」という状況では(20節)、時間も方角も定かではなく、間断なく風が吹く事態に、皆絶望するほかなかったでしょう。

 そのように、誰もが望みを失い、食事もとれない中で(21節)、ただ一人パウロが、「元気を出しなさい。舟は失うが、誰も命を失う者はいない」と皆を励まします(22節)。船員でもないパウロがそのように語ることの出来た根拠は、天使の告げる神の言葉でした。

 天使は、「パウロ、恐れるな。あなたは皇帝の前に出頭しなければならない。神は、一緒に航海しているすべての者を、あなたに任せてくださったのだ」と告げます(24節。すなわち、船に乗っているすべての者は、パウロのゆえに守られるというのです(24節)。

 天使を通してパウロに神の御言葉が告げられたのは、彼がこの嵐の中、神の御旨を聴こうとして祈っていたからでしょう。既に殉教の覚悟を決めていたパウロは、嵐よりも神を畏れて、御言葉を傾聴しようとしていたわけです。だから、神の言葉を聞いた今、心に平安が与えられていたので、「私の言うことを聞かないから、こういう目に遭うのだ」と人々を責めるのではなく、「元気を出しなさい」と励ますことができたのです。 

 それから数日後、漂流して14日目の夜、確かにどこかの陸地に近づいていることが分かりました(27,28節)。闇の中で暗礁に乗り上げることがないように錨を降ろし、夜明けを待つことにします(29節)。パウロが語ったとおりのことが、実現しつつあるわけです。

 ところが、船員たちが夜の内に上陸用の小船で先に逃げ出そうとします(30節)。その理由はよく分かりませんが、あるいは、船の中で船長でもないパウロが次第に指導的な立ち場を取りつつあることを嫌気したのかも知れません。水夫たちの動きを知ったパウロは、それを百人隊長と兵士たちに知らせて阻止しました(31,32節)。

 それから、夜明けに、パウロは一同に食事を勧めます(34節)。そして、冒頭の言葉(35節)のとおり、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めました。パウロと同行していたルカとアリスタルコも、パウロの祈りを聞き、食事を始めたパウロを見て、彼らも食卓に着いたことでしょう。そして、その姿を見た他の人々も、元気づけられて食事を摂ることが出来たのだと思います(36節)。

 パウロがパンを取って感謝の祈りをささげ、裂いて食べ始めるというのは、「イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた」(ルカ福音書22章19節)という、主の晩餐式の言葉によく似ています。パウロが主の晩餐式をしようとしたと考えるのは、読み込み過ぎでしょうね。

 けれども、パウロは、神の言葉と食事によって、同船の人々の不安な心に平安と希望を満たしました。それで、人々は励まされて食事を始めます(36,38節)。陸地が近いと知ったこともあり、人々は「十分に食べ」、そして、船を軽くするため、穀物も海に投げ捨てました(38節)。

 この出来事を通して、主イエスを信じる信仰に導かれた人も起こされたかも知れません。そうした人々にとっては、この朝食が、まさにキリストの命に与る食事となったといってもよいでしょう。パウロの言葉と業によって、神の恵みと平安が、人々にまさしく見える形で示されたわけです。

 私たちも日々主の御言葉に励まされつつ、御霊に満たされて主の証人としての使命を全うしたいものです。

 主よ、パウロは嵐の中で神に祈り、その御声を聴きました。勇気づけられたパウロは、同船の人々を元気づけることが出来ました。パウロの言葉が真実だったからです。どうか私たちの信仰の耳を開き、神の御言葉を聴かせて下さい。聴いた御言葉を信仰によって実行させて下さい。御名が崇められますように。御心がなりますように。 アーメン


PS これで、大牟田教会からの発信は最後になります。転居後、インターネット環境が整うまで、更新できません。しばらくお待ちください。これからも、宜しくお願いいたします。



 




3月30日(日)の御言葉  使徒言行録26章

「アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず、ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝えました。」 使徒言行録26章19,20節

 新共同訳の26章冒頭の小見出しは、「パウロ、アグリッパ王の前で弁明する」となっています。これは、21章37節以下の段落に、「パウロ、弁明する」という小見出しがつけられているのを踏襲したかたちです。けれども、その内容は、今回も、およそ弁明というようなものではありません。

 ここでパウロが語っている内容は、最初に、自分がファリサイ派の一員として行動していたこと(4節以下)、次に、迫害の手を伸ばしてダマスコに向かったとき、復活された主イエスに出会って新たな使命を受けたこと(12節以下)、そして、その天の声に従って行動して来た自分をユダヤ人らが捕え、殺そうとしている(19節以下)ということです。

 特に、12節以下で、自分の回心について語るくだりは、まず9章に物語られ、次いで22章6節以下、エルサレムの人々に自分の回心を紹介する言葉が語られており、使徒言行録には、パウロが回心したという記事が、今日の箇所も含め、3度記されているということです。  

 パウロの話を聞いていた総督フェストゥスが、「お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」と言うので(24節)、パウロは、真実を話しているだけで(25節)、しかもそれは、アグリッパ王が知らないはずはないことだと言います(26節)。そして、「アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」と迫りました(27節)。

 それでアグリッパ王は、「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」と言います(28節)。つまり、アグリッパは、パウロが語っているのは弁明などではなく、彼が信じているキリストの福音の宣教だと、正しく理解したわけです。

 もしも、彼の傍らに総督フェストゥスがいなければ、そして、彼が王という立場でなければ、素直に信者になったのかも知れません。それほどの迫りをアグリッパが感じていたからこそ、「わたしを説き伏せて、信者にしてしまうつもりか」と語ったのです。

 パウロは、自分の置かれている状況がどうであれ、自分の前にいる人が誰であっても、臆することなく福音を語りました。死を覚悟しているパウロには、神以外に恐れるものはなかったのです。

 パウロは19節で、「アグリッパ王よ、こういう次第で、私は天から示されたことに背かず」と言い、天からの啓示に対しては、従順に従うのが神を信じる者にふさわしい態度であるということ、だから自分はそれに背かず歩んできたということに同意を求めます。そうしながら、アグリッパにも、その声に従うようにと呼びかけているのです。

 「天から示されたこと」とは、20節の、「ダマスコにいる人々を初めとして、エルサレムの人々とユダヤ全土の人々、そして異邦人に対して、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと伝え」ることでした。それは、「エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたし(キリスト)の証人となる」(1章8節)という主イエスの御言葉のとおりに行動したということです。

 彼が語ったのは、「悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするように」ということでした。これは、18節で、「彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前に与るようになる」と語られた言葉の要約です。

 悔い改めとは、「ごめんなさい」ということというよりも、方向転換、正しく神の方を向くこと、神の御声に聴き従うことです。そしてパウロは、主イエスこそ主なる神であり、主イエスに立ち返り、主イエスの御声に聞き従いなさいと、どこでも語り続けてきたのです。それは、その信仰によって、誰でも罪の赦しを得、神の恵みの分け前に与ることが出来るからです。

 主イエスを信じましょう。御言葉を聞き従いましょう。

 天の父なる神様、私たちに主イエスの福音を告げ知らせ、主イエスを信じる信仰の恵みに導いて下さり、感謝致します。主イエスの十字架の贖いによって罪赦され、恵みの分け前に与ることが出来る者となりました。常に主を信じ、主の御言葉が私たちの心に豊かに宿りますように。 アーメン






3月29日(土)の御言葉  使徒言行録25章

「そこで、フェストゥスは陪審の人々と協議してから、『皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように』と答えた。」 使徒言行録25章12節

 パウロは、総督フェリクスのもとに2年監禁されていました(24章27節)。行動にはある程度自由があり、友人との面会や、彼らがパウロの世話をすることも許されていました(同23節)。フェリクスの後に赴任してきたフェストゥスも、彼を監禁したままにしておいたと記されています(同27節)

 ここまで、ひたすらキリストの福音を宣べ伝えてきたパウロにとって、総督官邸に軟禁状態に置かれているというのは、望ましいものではなかったでしょう。もしもフェリクスが、ピラトのように、ユダヤ人に気に入られようとしてパウロの身柄をユダヤ人に渡すことにすれば、その日のうちに殺されてしまうことでしょう。その意味では、死刑の執行を待つ死刑囚のような心境ではなかったでしょうか。

 そうした中でパウロを支えていたのは、「ローマでも証しをしなければならない」と語られた神の御言葉です(23章11節)。神がそう語られたということは、いずれパウロは必ずローマに行くということです。神が「ローマで証しせよ」という使命を与えられたのだから、御旨のままに従って行けば、必ず実現されるということです。

 勿論、ローマに行けば、パウロの身の安全が保障されるということではありません。実際、パウロは紀元64年頃、皇帝ネロの迫害により、ローマで殉教したと伝えられています。命懸けの証しの業だったわけです。こうしたことから、ギリシア語の「マルトゥス(「証人」)」が、英語で「殉教者」を意味するmartyr(マーター)という言葉の語源となったとされています。

 パウロは、軟禁生活で自由に行動出来ないからといって、不貞腐れて自堕落な生活をしていたわけではありません。聖書に保存されている彼の手紙のうち、エフェソの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙、コロ、サイの信徒への手紙、フィレモンへの手紙は、獄中書簡と呼ばれています。

 カイサリアの獄中で記されたものかどうか明確ではありませんが、いずれにしても、行動の自由を奪われ、直接人々に福音を語ることが出来ないばかりか、いつも死を覚悟していなければならない厳しい環境の中で書き記されたこれらの手紙によって、これまでどれほど多くの人々が励ましを受け、勇気が与えられてきたことでしょうか。

 また、もしもパウロが手紙を残されなければ、彼の言葉、教えは、その時その場所にいた人々だけしか聞けなかったのものですが、手紙が残されたお蔭で、今もそれを読み、学ぶことが出来ます。パウロは、自分の書いた手紙が2000年後も、世界各国の言葉に翻訳されて読まれるなどとは、思いもよらなかったことでしょう。そう考えれば、パウロの軟禁生活は、考えられないほど大きなプラスを生んだと言わざるを得ません。

 フェストゥスが着任三日後にカイサリアからエルサレムに上ると(1節)、祭司長たちがパウロをエルサレムで裁くよう訴え出ました。それは、途中で暗殺するという計画だといわれます(2,3節)。祭司長たちのパウロに対する怨念のようなものを感じる記述です。フェストゥスは、カイサリアに来てパウロを告発するようにと答え、暗殺計画を未然に防ぐかたちになりました(4,5節)。

 フェストゥスがカイサリアに戻った翌日、裁判の席に着きます(6節)。祭司長たちが早速行動を起したわけです。ところが、彼らは2年という期間があったというのに、パウロを有罪に持ち込む証拠を提示することが出来ませんでした(7節)。そして、パウロは堂々と、「わたしは、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても何も罪を犯したことはありません」と主張しました(8節)。

 ところが、フェストゥスは、エルサレムで裁判を受けたいと思うか、と尋ねます(9節)。それは、彼がユダヤ人の気に入られようとしたのだと説明されています。パウロは彼の言葉を聞いて、公正な裁判を受けられないと考えたのか、「私は皇帝に上訴します」と言います(11節)。冒頭の言葉(12節)のとおり、総督は陪審と協議した後、それを受け入れました。法廷が、ローマ皇帝のもとに移されることになります。

 前述のとおり、パウロは身の安全を図るためにローマに行くのではありません。ローマ皇帝に主イエスの福音を宣べ伝えるため、証しをするために行くのです。ローマ皇帝に会いたいといっても、普通は適わないでしょう。けれども、皇帝が判事を務める法廷に行けば、彼に直接福音を伝えることが出来ます。その周りに居並ぶ高官たちにキリストを証しすることが出来ます。パウロにとっては、願ってもないチャンスになるのです。

 ここにも、福音のためならばどんなことでもするというパウロの宣教の姿勢が現れているわけです(第一コリント書9章23節)。

 主よ、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」とパウロが記していますが、彼はまさにそのように生き、そして死にました。それがパウロに与えられた神と人とに対して行う愛の奉仕、主に委ねられた使命でした。同様に、私たちにもそれぞれ使命が与えられています。その使命を自覚し、いつも励むことが出来ますように。弱い私たちを助けて下さい。 アーメン





3月28日(金)の御言葉  使徒言行録24章

「しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こう言うわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」 使徒言行録24章14~16節

 ローマ総督フェリクスのもとで、パウロの審理が始りました。わざわざ大祭司アナニアが長老数名と弁護士を連れてカイサリアの総督にパウロを訴え出たのです(1節)。彼らはパウロについて、「この男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒動を引き起こしている者、『ナザレ人の分派』の主謀者であります」と言います(5節)。

 当時よく知られていた疫病には「ペスト」があり、新改訳聖書は、「ペストのような存在」と訳しています。14世紀にヨーロッパで大流行したとき、イタリア・フィレンツェでは3人に1人が感染して亡くなったと言われ、ヨーロッパ中で3500万人、世界で6~7千万人の死者が出たと百科事典に載っていました。

 パウロを「疫病のような人間」、「ペストのような存在」と呼ぶということは、パウロの伝道がいかに大きな影響力、伝染力を持っていたか、それがユダヤ教の指導者たちにとっていかに脅威であったかということを、雄弁に物語っています。パウロは、教会外の人々からも、キリスト教会最大の指導者、伝道者と目されるようになっていたわけです。

 その告発に対して、パウロは、自分がエルサレムに上ってからまだ12日しかたっておらず、何の騒動も起こしていないと答えた後(11~13節)、「しかし、はっきり申し上げます」と言って,
フェリクスにも聞いて欲しいことを語ります。それが、冒頭の言葉(14~16節)です。

 ここでパウロが語っているのは、、①キリストに従って神を礼拝すること、②律法と預言者、即ち、聖書を信ずること(14節)、③復活の希望を持つこと(15節)、そして、④神と人に対する愛の奉仕に努めるということです(16節)。ここにパウロの生き方が示されています。

 パウロは初め、この道に逆らっておりましたが、主イエスと出会ってキリストを信じ、この道を歩む者となりました。パウロも真理を悟り、復活の命に与ったのです。そして、この道を知らせる伝道者になりました。

 自分のようなキリスト教の迫害者、神に敵対していた者が神の憐れみを受けて救われたということは、この世に、主イエスによって救われない人は一人もいない。主イエスは私を救うために死んで下さった。主イエスは私をかけがえのない宝物のように見て下さる。私のような者を必要だと仰って下さる。「あなたは私の目に高価で貴い者だ。私はあなたを愛する」(イザヤ書43章4節)と語って下さった。

 パウロはこの主の愛に満たされて立ち上がりました。フェリクスの前に立ったパウロの顔は、キリスト教最初の殉教者ステファノのように、輝いていたと思います(6章15節)。それが、信仰によって歩む者の姿、聖霊に満たされた者の姿です。

 そして、パウロの目にも、ステファノが見たのと同じ、神の右に立ち上がっておられる主イエスの御姿がはっきり見えていたと思います(7章55,56節)。そこが彼の帰っていくべき真の故郷、自分の国籍のあるところだからです(フィリピ書3章20節)。彼はいつも主イエスの御顔を仰ぎ、御言葉に耳を傾け、御霊の導きに従って歩んでいたのです。

 作家の三浦綾子さんは、1999年10月12日に召天されました。最後の入院をされる直前、韓国から三人の学生たちの訪問を受けられました。学生たちは、鳩をかたどったペンダントを二つ、三浦夫妻に送りました。それは、ご夫妻に聖霊を通して神の力が鳩のように下るようにという祈りが込められていたのでしょう。

 そして学生たちは、「私たちにして欲しいことは何ですか」と質問したそうです。それで、ご主人の光世さんが、「綾子の作品が一人でも多くの人に読まれるように、そして読んで下さる方に神様の愛をお伝えすることが出来るように祈って下さい」と答えられました。すると、学生たちはすぐに韓国語で一所懸命に祈られたそうです。

 憧れの作家をはるばる訪ねてきて、まず最初に相手の必要を尋ね、求めに応じて一所懸命に祈った学生たち、そして、病状が思わしくなく、夜中に7~8回は起きるので介護する光世さんともども限界に近い状況にありながら、自分の体のことよりも「神様の愛を伝えたい」と願って生きておられるご夫妻の出会いと交わりに感動したと、秘書をしておられた宮島裕子さんが話しておられました。

 ここに、「神に対しても人に対しても、責められるところのない良心を絶えず保つように努める」と語ったパウロの信仰が、具体的に表れているということが出来るのではないでしょうか。私たちも、この道に従って神を礼拝し、御言葉を信じ、復活、即ち永遠の命の希望を持ち、神と人に愛をもって仕えることが出来るよう、努めて参りましょう。

 天のお父様、甦られた主イエスがパウロに出会い、信仰に導かれたように、私たちをも信仰に導いて下さいました。心から神を礼拝し、御言葉を信じ、復活の希望を持ち、神と人への愛の奉仕に努める者とならせて下さい。 アーメン






 

大牟田教会辞任

体調不良がもとで、三月末で大牟田教会牧師を辞任することになりました。
あと残り4日です。
これまで10年と1ヶ月、大牟田で過ごして来ました。
沢山の方に祈られ、支えられての10年でした。
お世話になりました。
有り難うございました。
これからしばらく、福岡で治療を受けつつ静養します。
その間に、新しい任地を探します。
導きをお祈りください。
宜しくお願いいたします。 

引っ越しの関係もあり、ネット環境が整うのが、4月18日以降ということになりました。
4月1日以降、しばらくブログの更新が出来ません。
ご容赦ください。
これも、静養の一環なのでしょうね。







 

3月27日(木)の御言葉  使徒言行録23章

「千人隊長は百人隊長二人を呼び、『今夜9時カイサリアへ出発できるように、歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名を準備せよ』と言った。」 使徒言行録23章23節

 千人隊長は、パウロの罪状が知りたいと、最高法院を召集しました(22章30節)。最高法院は、サドカイ派出身の祭司グループ、書記、賢者と呼ばれるファリサイ派、そして有力な一般市民から構成されていました。福音書には、「祭司長、律法学者、長老」と記されています(マルコ11章27節など)。アリマタヤのヨセフは、一般市民グループの一員だろうと想像されます(同15章43節など)。

 最高法院がファリサイ派とサドカイ派で構成されているのを見て、パウロは、「わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです」と言いました(6節)。すると、ファリサイ派とサドカイ派の議員の間に論争が生じ、法院が分裂したと報告されています(7節)。

 復活や天使の存在などで両派の間に対立があることはよく知られていました。けれども、キリスト教徒を迫害することにおいて、利害は一致していたと思われます。また、律法に背くことを教えているという点では、ファリサイ派のほうがパウロに対して厳しい態度を持っていたと思われます。

 それなのに、「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」と言っています(9節)。本当にそんなことを言ったのかと疑いたくなるような状況です。かくて、議論が激しくなったので、またもや千人隊長はパウロを兵営に連れて行くように命じなければならなくなります(10節)。

 この背後に、神の手があったことが、11節の、「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」という言葉で示されます。ローマで証しをしなければならないということは、ローマに着くまで、パウロは守られるということを意味するからです。

 一方、最高法院でパウロに対して極刑の判決を期待していた者たちは、それが適わないことを知って暗殺を企てます(12節以下)。ところが、「パウロの姉妹の子」、つまり、パウロの甥がそれを聞きつけ、暗殺計画について、千人隊長に知らせます(16節以下、20,21節)。

 千人隊長は、パウロの安全を図るため、身柄をエルサレムから総督フェリクスのいるカイサリアに移すことにします。それは、パウロの罪状が異邦人には理解しがたいユダヤ教の信仰の問題であることから(29節)、取り扱いを総督に委ねるということでしょう。そして、ローマ帝国の市民権を持つパウロに対する暗殺の陰謀を知ったので(27,30節、22章25,28節)、それを実行したのでしょう。

 それで、百人隊長二人を呼び、護送の準備をさせます(23節)。パウロ一人の護送のために、470人という、エルサレムに駐屯している部隊の半数近くを動員するというのは、陰謀を企てている40名余の者たちに対応してのことでしょうが、何としても護送を成功させるということでしょう。

 護送部隊のうち歩兵と補助兵は、襲われる危険のあるアンティパトリスまでの60㎞を同行し(31節)、そこからさらに40㎞のカイサリアまでは、騎兵たちがパウロを馬に乗せて護送しました(32節)。ただ、エルサレムから60kmの距離を、400人の歩兵部隊が夜中に出発して、その「夜のうちに」アンティパトリスに到着するというのは、無理があるように思われます(31節)。あるいは、翌日の夜中にと考えたほうがよいのかも知れません。
 
 いずれにせよ、パウロはローマ兵に守られながら、エルサレムから100km以上離れたカイサリアに無事到着しました。かつて、大祭司からローマ総督の下に身柄が移された主イエスは、ローマ兵によって鞭打たれ、十字架につけられましたが、今パウロは、彼を亡き者にしようというユダヤ人から、ローマ兵の手によって守られています。

 今はまだ、どのようにしてローマまで行くことになるのか全く分かっていません。しかし、パウロがローマで証しをするために、一方ではユダヤ人らの訴えや陰謀などを利用しながら、一方ではローマ市民権を持つパウロを守るというローマ兵らを用いて、エルサレムからカイサリアへ、そしてやがてローマへと、神ご自身が時をはかり、その御旨を着実に実行しておられるのです。

 聖なる主よ、私たちはあなたのご計画のすべてを知っていないので、目の前に起こる様々な出来事に振り回されてうろたえていますが、あなたはそれらすべてを、私たちの弱さや欠点さえも益として下さる、プラスに変えて下さるお方であることを信じて、感謝致します。委ねられている使命を悟り、御旨に従って歩むことが出来ますように。アーメン




3月26日(水)の御言葉  使徒言行録22章

「兄弟であり、父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。」 使徒言行録22章1節

 神殿でアジア州から来たユダヤ人たちに、誤解を受けて捕らえられ(21章27節)、神殿の外で殺されそうになっていたとき、町の混乱を沈めるためにエルサレムに駐留していたローマ兵が出動しました(同32節)。ローマ兵はパウロを2本の鎖で縛り、兵営に連れて行きます(同34節)。パウロが何をして暴動になっているのか、真相をつかもうとしても、あまりに混乱していて、調書を取ることが出来なかったからです。

 そのときパウロは、神殿にいる人々に話をさせて欲しいと求めると(同39節)、なんと千人隊長はそれを許可しました(同40節)。鎖をはずされたパウロが兵営に上がる階段の上から、神殿の庭を見下ろして手を振ると、さらに不思議なことに、人々がすっかり静かになりました。そのようなことはあり得ないというところですが、背後に神の力、神の導きがあったわけです。

 パウロは、冒頭の言葉(1節)のとおり、「兄弟であり、父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください」と語り始めます。自分を殺そうとしている人々を、「兄弟、父」と呼んでいます。ステファノも、殉教前の演説の初めに同じ言葉で最高法院の議員たちに語りかけていますから(7章1節)、そこから学んだとも考えられますが、パウロにとってユダヤ人は、仇敵ではなく、福音を伝えるべき愛する同胞であるということです。

 また、「弁明を聞いてください」と言って話を始めていますが、語られていることは、自分を弁護する言葉ではありません。弁明というのであれば、エルサレム神殿で捕えられたのは、アジア州から来たユダヤ人の誤解で、自分は異邦人を神殿に連れ込んだりしていないし、ユダヤ人にモーセ律法に背くように教えたこともない、という趣旨のことを言おうとするでしょう。ところが、彼が語っているのは、自分の回心の体験談なのです(6節以下)。

 パウロは、「この道」と呼んでいる「キリスト教」を徹底的に迫害し、抹殺してしまおうと思っていました(4節)。そのように考えて、外国にまで手を延ばしていましたが(5節)、そこで、復活された主イエスの天からの声を聞きました(7節)。それにより、パウロは「この道」に従って生きる者、それも、遠く異邦人に主イエスの福音を伝える者に変えられたという顛末を語っています(21節)。

 それを聞いていた人々がいきり立ち、「こんな男は、地上から除いてしまえ」とわめきたてます(22節)。神を冒涜した罪で十字架につけたナザレのイエスを、「主」と呼び、その福音を異邦人にも告げ知らせているというからです。

 即ち、それは、イスラエルが唯一神に選ばれた民であるという地位を無にし、イスラエルに与えられた律法の意義を失わせる行為だからです。ということは、パウロは律法に背くことを教え、神殿に異邦人を連れ込んだという訴えが、正当なものだったということを、自ら証言していることになると、受け止められたわけです。

 けれども、パウロがここで彼らに語った言葉は、自分で考えた理屈などではなく、実際に見たこと、聞いたこと、体験したことです。彼としては、「見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」(4章20節参照)。そのためにパウロは神に選ばれ、用いられてきたのです(15,21節)。

 パウロは熱心に神に仕え(3節)、その熱心さでキリスト教徒を迫害しました(4節以下)。主イエスが、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」と語りかけられましたが(7節)、パウロは直接主イエスに手をかけたことはありません。キリスト教徒を迫害することは、主イエス自身を迫害することだと言われたのです。

 そしてパウロは、かつて自分がキリスト教徒になした迫害を、今度は自分が身に受けることになりました。パウロは今、主イエスによってイカされ、主イエスを信じる信仰のゆえに迫害を受ける者となったことを喜んでいます。それは、パウロに対する迫害を、主イエスが御自分に対する迫害だと請け合ってくださるからです。その種の御愛、その光栄を思ったとき、ますます福音を告げ知らせずにはおかない思いになったことでしょう。

 そしてまた、かつてステファノの殉教に立ち会い、キリスト教徒を迫害していたパウロが、主イエスを信じる者となり、伝道者にさえなったのですから、自分の話を聞いた人々の中からも、そのような人が起こされると信じ、期待していたのだと思います。

 騒ぎがひどくなったのを見た千人隊長は、パウロを兵営に連れて行きます(24節以下)。パウロはローマ兵に守られ、やがてローマに移送されます。彼はローマ皇帝の前で福音を証しすることになります。囚人とされたことで、その道が開いたのです。主のなさることは、不思議としか言いようがありません。

 天のお父様、パウロはどんなときにも、自分を守るためではなく、福音の前進のために語り続けます。主イエスの福音によって完全に作りかえられた者であることが分かります。どうか私たちも、神に喜ばれる信仰の歩みをすることが出来ますように。日々御言葉に耳を開かせて下さい。導きに従う力を与えて下さい。 アーメン







3月25日(火)の御言葉  使徒言行録21章

「それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕らえ、境内から引きずり出した。そして、門はどれもすぐに閉ざされた。」 使徒言行録21章30節

 第三回伝道旅行(18章23節~)の終わりに、エルサレムに着いたパウロは(17節)、教会の指導者ヤコブを訪ねました(18節)。そこには、エルサレム教会の長老が皆集まっていました(18節)。そして、自分の奉仕を通して異邦人の間で神がなさったことを詳しく報告しました(19節)。それは、多くの異邦人が救われ、そして異邦人の教会が各地に作られたということでしょう。

 人々はそれを聞いて神を賛美しますが、あわせてパウロについて聞いている噂を話題にします。というのは、パウロが外国にいるユダヤ人に対して、「割礼を施すな、ユダヤの慣習に従うな」と、モーセの律法に背くように教えている、という噂が流れて来ていたからです(21節)。

 この件について、異邦人クリスチャンには割礼を受けさせる必要がないということを、エルサレムの使徒会議で決定していました(15章1節以下、19節)。しかし、それは、ユダヤ人に割礼を施してはならないということではありません。ただ、パウロが、噂どおりのことを主張していたという証拠は、どこにも見出すことが出来ないでしょう。

 この噂の背景には、かつて教会の迫害者だったパウロが、今は、キリストの福音の伝道者となって働いているという、ユダヤ教の指導者たちにとって、裏切りというほかないことをしている者に対する悪意があったのかも知れません。

 一方、エルサレム教会の人々が、この噂話を真に受けていたとも思われません。けれども、この種の噂が流されることは、エルサレム教会の宣教活動によい影響を及ぼさない、むしろ害になると思われるので、教会としては、この噂が真実でないことを証明したい、証明してほしいという考えがあったのでしょう。

 その考えに従って、教会の中に誓願を立てた者が4人いるので(23節)、彼らの誓願の費用を出してほしいと、パウロに提案します(24節)。「頭をそる費用」というのは、散髪代ではなく、誓願に関わるすべての費用を指しています。あるいは、4人は経済的に貧しい人々だったのかも知れません。

 「頭をそる費用」という言葉から、これは、「ナジル人の誓願」と呼ばれるものだろうと考えられます(民数記6章5,18~20節)。それは、特別な誓願をかけて、主に献身をするというものです。そのとき、清めの儀式のために神殿に行き、種々の献げ物をします。

 パウロがこれらの儀式の費用を支払うことは、善い業を行うことと考えられたのです。ガリラヤの領主ヘロデ・アグリッパが多くのナジル人の出費を支払ったことが、当時、信心深い行為と見なされていたという記録もあるそうです。また、費用を請け負うことは、その清めの儀式に自ら参加することでもあったので(26節)、パウロが律法に従って生きていることを証明することとも考えられたわけです。

 ところが、それがかえって仇になりました。七日間の清めの期間が終わり、最後の清めの儀式を受ける前に、アジア州から来たユダヤ人たちが神殿の境内にいるパウロを見つけ(27節)、「律法に背くことを教えているパウロが、異邦人を神殿に連れ込んで、聖なる場所を汚した」と、大騒ぎをしました(28節)。パウロが異邦人トロフィモと市中を歩いているのを見かけて、彼を神殿の境内に連れ込んだと誤解したのです(29節)。

 それで、神殿だけでなく、エルサレムの都中の大問題になり、人々がよってたかってパウロを捕らえ、神殿から引きずり出しました。聖なる場所の外で殺してしまおうと考えたわけです。悪意のある噂話に勘違いが加わって、根も葉もないことでパウロは殺されそうになっています。

 しかもこれは、宗教指導者の指導の下になされていたことなのです。というのは、冒頭の言葉(30節)に、「門はどれもすぐに閉ざされた」とありますが、それは、神殿守衛長の指示がなければ出来ないことだからです。ですから、パウロを捕らえ、殺害することについては、祭司や神殿守衛長など、指導者たちの間で予め合意がなされていたと言えます。

 先に述べたとおり、もともとキリスト教を迫害する急先鋒だったパウロが、キリストを信じ、その福音を宣べ伝える者に変わったときから、ずっと機会を狙っていたのでしょう(9章20節以下、23節以下など参照)。

 あるいは、教会の指示に従って誓願の儀式に立ち会うことにしたとき、パウロ自身、このような結果になることを予想していたのではないでしょうか(13節)。けれども、福音のためにはどんなことでもするというパウロには(第一コリント書9章23節)、教会を愛し、教会に仕えて苦しみを受けることは、キリストの苦難に与る光栄なことだったのです(ローマ書8章17節など)。

 エルサレムで宗教指導者たちに捕えられたパウロは、エルサレム守備隊の千人隊長によってユダヤ人による暴行から守られます。そして、皇帝に上訴したため、ローマの兵士によってローマに護送され、ローマ皇帝の前で裁判を受けることになります。 通常の方法では近づくことさえ適わない皇帝に、裁判の席とはいえ、直接話が出来るのです。

 それも、なぜ自分がユダヤ人から訴えられているのかを話すことは、自分が主イエスと出会って回心したことを話すことになるでしょう(9章1節以下)。つまり、主の恵みを皇帝に証しすることが出来るのです。それこそ、福音のためならどんなことでもするパウロにとって、願ってもない機会を得ることになります。まさに、どんなマイナス状況も、プラスとなるのです。 

 主よ、今の日本で聖書にあるような迫害や苦難を経験することはありません。そのために生温くなっている面を,今日はっきりと指摘されました。パウロのように、福音のためならどんなことでもするという信仰に立たせて下さい。臆病の霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊に満たして下さい。 アーメン








 

3月24日(月)の御言葉  使徒言行録20章

「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」 使徒言行録20章28節

 パウロ一行は、エフェソからマケドニアに渡り(1節)、ギリシアで三ヶ月を過ごした後(2,3節)、陸路マケドニアに戻り、フィリピからトロアスに来ました(3,6節)。トロアスにも信徒の群れが出来ており、「週の初めの日」、すなわち日曜日に、「パンを裂く」こと、すなわち主の晩餐を含む礼拝を行うために集まったことが報告されています(7節)。日曜日に礼拝が行われていたことを示す聖書中唯一の証言として、これはとても重要なところです。

 そして、この礼拝の中で、パウロは人々に話をしました(7節)。それは、当然のことながら、四方山話などではなく、福音を語り告げる説教でした。ただ、「その話は夜中まで続いた」というので、もしかするとこれが今生の別れになるかも知れないと考えて、今語っておきたいことを伝えていたのかも知れません。

 そのために、一人の青年が話の中で居眠りし、窓に腰掛けていたので、下に転落してしまうという事件が起こりました(9節)。ところが、パウロが彼の上にかがみ込み(10節)、青年を生き返らせた後(10,12節)、何事もなかったかのように礼拝を続けました(11節)。トロアスの人々は、青年が生き返るという奇跡により、大いに慰められたと、12節に記されています。それは、パウロとの訣別という悲しみが、そこを支配していたからでしょう。

 その後、海路ミレトスに行きます(15節)。そこから隣町のエフェソに人をやり、教会の長老を呼び寄せました(17節)。旅を急いでいたので、エフェソには寄らなかったというのです(16節)。しかし、素通りすることも出来ませんでした。というのは、パウロ自身、エルサレムで苦難が待ち受けており、もう二度とエフェソの人々の顔を見ることはないだろうと思っていたからです(25節)。

 そこで、集まって来た長老たちに訣別の説教をします(18節以下)。そこで、アジア州、ことにエフェソにおける宣教活動を思い起こさせ、試練の中でも福音を宣べ伝えてきたように(19節)、これから投獄と苦難の待つエルサレムに行くけれども(22,23節)、福音を証しする任務を果たすことが出来るなら、命は惜しくない(24節)、と告げます。ここに、パウロの使徒としての福音宣教にかける心意気があります。

 今ここで長老たちにこのように語り始めたのは、エフェソの教会を彼らに託し、群れの世話をしてもらうためです。そこで、冒頭の言葉(28節)のとおり、「あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください」と語るのです。

 というのは、パウロ亡き後、残忍な狼ども、つまり迫害者がやって来て、群れを荒らすからです(29節)。また、内部からも邪説を唱える者、つまり異端の教えで信徒を惑わす者が現れるからです(30節)。だから、そのような者に惑わされないように、パウロが3年にわたって語り続けてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさいというのです(31節)。

 パウロは長老たちに、「聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」と言います(28節)。教会は、神を信じる者の集まりであり、神は信じる者のために御子キリストの血で贖いの業を成し遂げられました。だから、教会は神のものなのです。

 そして、神のものである教会を長老たちに委ね、神に代わって群れの世話をさせるために、聖霊が、長老たちを群れの監督者に任命したというのです。「監督者」とは、見守る者、保護する者という言葉です。教会を支配し、群れを自分のものとすることではありません。

 だから、「あなたがた自身と群れ全体とに気を配りなさい」と言われているのは、自分の使命を忘れ、勘違いして、群れの支配者になろうとする誘惑があるという警告ではないかと思わされました。そうではなく、群れ全体に神の恵みの言葉を説き明かし、教えるという牧会の働きを通して、教会が神のものであり、キリストが高価な代価を払って買い取って下さった神の民であることを、教会内外に示すのです。

 そのために必要な知恵も力も、群れの監督者に任じて下さった聖霊を通して与えられます。監督者自身の、神を畏れ、御言葉に聴き従う姿勢が絶えず問われています。

 ただ、御言葉に聴き従う姿勢が問われるのは、監督者だけではありません。「邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者」に惑わされないために、一人一人が御言葉を聞き、信仰に堅く立つ必要があるのです。あるいは、監督者がそのような者にならないためにもです。

 聖霊の導きと守りを祈りつつ、謙って御言葉に耳を傾け、共に主に仕えて参りましょう。

 主よ、御言葉の前を離れると、自分の姿を忘れてしまいます。時に高ぶり、愚かになります。憐れみ助けて下さい。私たちの群れが、御子キリストの血によって贖い取られた神のものであることを、うちに外に現していくことが出来ますように。 アーメン







3月23日(日)主日礼拝説教動画


3月23日(日)礼拝説教動画を、YouTubeにアップしました。
説教題 「恕の精神」
聖 書 創世記24章1~27節

3月23日(日) 「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人ア­ブラハムに慈しみを示してください。」 創世記24章12節

 24章は、アブラハムが自分の生涯の終わりに、自分の跡取り息子イサクのために嫁を世­話するという物語です。

 嫁選びのために主人の信任を受けた僕は、ラクダ十頭を選び、高価な贈り物を携え、アラ­ム・ナハライムのナホルの町に向かって出発しました。それは、アブラハムが「わたしの­一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように」(4節)と命じた­からです。

 ナホルの町に着くと、アブラハムの僕は井戸の傍らで神に祈りました。冒頭の言葉(12­節)は、その祈りの初めの言葉です。僕は、主人アブラハムの信任に応えるには、神の助­けが必要と考えていたわけです。

 そして、僕は井戸の傍らにて、水汲みに来た若い女性に、「水を飲ませて欲しい」と頼み­、「ラクダにも飲ませてあげましょう」と優しく応えてくれる女性を嫁とさせてください­、と願いました(13,14節)。

 ラクダは一度に50~60リットルも飲みます。100リットル飲んだという記録もある­そうです。十頭に飲ませるとなると、それは大変なことです。そんな重労働にも拘わらず­、見ず知らずの旅人に思い遣りを示すことの出来る女性を嫁に下さいと祈り求めたのです­。

 すると、まだ祈り終わらない内に一人の娘がやって来て(15節)、彼が願ったとおりに­応えたので(18,19節)、結納の品を贈り(22節)、主なる神に賛美をささげ、「­主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家­にたどりつかせてくださいました」と祈ります(26節以下)。

 ここに、神の慈しみが、­この僕の信仰に応えるかのように、具体的な出来事を伴って示されたからです。

 主よ、あなたは依り頼む者にその恵みを見せてくださいます。私たちに進むべき道を示し­、その道を信仰によって歩み通すことが出来るよう、守り、導いてください。栄光が神に­永遠にありますように。 アーメン



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