風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2013年08月

8月3日(土)の御言葉 ヨブ記33章

「千人に一人でもこの人のために執り成し、その正しさを示すために遣わされる御使いがあり、彼を憐れんで、『この人を免除し、滅亡に落とさないでください。代償を見つけて来ました』と言ってくれるなら、彼の肉は新しくされて、若者よりも健やかになり、再び若いときのようになるであろう。」 ヨブ記33章23~25節


 ヨブは、「わたしは潔白で、罪を犯していない。わたしは清くとがめられる理由はない(9節)、なぜ自分が苦しまなければならないのか、と神に訴えていました(27章5節、31章5節以下参照)。

 そこでエリフは、「ここにあなたの過ちがある、と言おう。神は人間よりも強くいます。なぜ、あなたは神と争おうとするのか。神はそのなさることを一々説明されない」(12,13節)と、神の裁きは間違っていると訴えることが、ヨブの過ちであると示し、「神は一つのことによって語られ、また、二つのことによって語られるが、人はそれに気がつかない」(14節)と語って、すべてのことに神の目的があると諭します。

 確かに、神は人に幸いを授けて導かれることがありますが、苦難、不幸と思える出来事を通しても、大切なことを語られるのです。けれども私たちは、幸いは神の恵みとして受け取るのですが、不幸と思える出来事を神の恵みと受け取ることは困難です(フィリピ書1章29節参照)。容易に出来ることではありません。

 エリフの言うとおり、夢や幻の中で語られる懲らしめの言葉(15,16節参照)、苦痛を通して語られる神の御言葉(19節以下)には、なかなか気づけないのです。そのように語ることで、エリフは、ヨブに対して神が沈黙しておられるのではなく、様々な方法で語っておられることを示し、その御心に気づくように促しているわけです。

 エリフは、冒頭の言葉で、ヨブのためにその正しさを証言してくれる御使いがいて、執り成して下さるなら(23節)、そして、憐れみを乞うて下さるなら(24節)、健康になり、若さを回復するだろう(25節)と語ります。また、神との親しい交わりが回復されます(26節)。つまり、かつての繁栄を取り戻すことが出来るということです。

 それらのことは、まさにヨブが願っていたことで(9章32節以下、16章19,20節、19章25節参照)、その意味で、これがヨブの一番聞きたかった言葉といってよいのではないでしょうか。

 エリフはそのとき、どういうつもりでこれを語っていたのでしょうか。ヨブのために執り成す方がいると、確信していたのでしょうか。あるいは、そのように強く願っていると言うことでしょうか。「千人に一人でも」ということは、そのような御使いが確かにいると信じていたわけではないでしょう。ただ、いるとすれば、それはまさに、「千人に一人」の貴重な存在ということになります。

 ここでエリフは、自分で何を言っているのか、よく分っていなかったのかも知れませんが、確かに神の霊が彼の内に働き、全能者の息吹に押し出されて、示されたところを語ったのです(2~4節、32章8節も参照)。

 エリフはその中で、「代償」(コーフェル)という言葉を使っています(24節)。これは、「贖い代、賠償金」という言葉で、命の代価、それによって死を免れるものという意味です。

 聖書で「代償」といえば、それは、主イエスの贖いの業のことでしょう。神の独り子なる主イエスが、私たちの罪のために十字架にかかって死なれ、その命の代価によって、私たちを救って下さったことです。

 「あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです」(第一ペトロ書1章18,19節)、「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」(第一コリント書6章20節)とあるとおりです。

 30節に、「その魂を滅亡から呼び戻し、命の光に輝かせてくださる」と言われています。これは、主イエスがヨハネ福音書8章12節で、「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と語られたことにつながります。イエス・キリストの贖いの業によって、私たちの魂が滅びから呼び戻され、主イエスによって命の光に輝かせて下さるということなのです。

 私たちも、聖霊を通して神の御言葉を受け、命の光に輝くようにと招かれる主イエスに従って歩ませていただきましょう。

 主よ、ヨブが願いがエリフの言葉で確認され、それが叶えられるのではという希望に繋がるようでした。ヨブもエリフも知らないうちに、御子キリストの御業を預言しているかのようです。ヨブの苦難を通して、新しい希望、信仰が開かれて来ました。主の恵みと慈しみはなんと深いことでしょう。御名が崇められますように。 アーメン




8月2日(金)の御言葉 ヨブ記32章

「『いい知恵がある。彼を負かすのは神であって人ではないと言おう』などと考えるべきではない。」 ヨブ記32章13節

 ヨブの最終弁論が終わったとき、腹を立てて発言を始めた人物がいました。それは、「ブズ出身でラム族のバラクエルの子」、「エリフ」という若者です(2節)。「ブズ」はアラビアの町で、その町の出身者をブズ人と呼んでいたようです。つまり、エリフも、ユダヤ人ではないということです。エリフが、ヨブや三人の友らとどのような関係にあるのか、よく分かりません。

 ここでエリフは、ヨブに対して怒りをもって語り始めます。それは、ヨブが神よりも自分の方が正しいと主張するからです(2節)。神が言い分を聞いて下されば、自分が潔白であることが分かるというヨブの主張は、神が今ヨブに対して行っていることは間違っていると言っていることになるわけで、それは、ヨブの方が神よりも正しいと主張していることになるわけです。

 また、このように神を敵に回して言い争おうとするヨブの過ちを正しく指摘できない三人の友らに対しても、エリフは怒ります(3,5節)。エリフにとって、三人の友がヨブに言い負かされて沈黙したことは、神の義を汚し、ヨブの過ちを黙認するという大問題だったのです。

 2~5節の短い箇所に、4回も「怒る」(ハーラー)という言葉が出て来ますので、彼が大変感情を害していたこと、その感情丸出しの意見開陳であったことが伺えます。大変な苦しみの中にいるとはいえ、そして、ヨブが律法に従って正しく歩んで来た者であることは誰もが知っていることだったのでしょうけれども、しかし、神よりも自分の方が正しいなどというヨブの暴論を、エリフとしては到底聞き流しておくことが出来なかったわけです。

 エリフの言葉の中に、大変重い言葉を見つけました。それは冒頭の言葉(13節)の、「『いい知恵がある。彼を負かすのは神であって人ではないと言おう』などと考えるべきではない」という言葉です。これは、三人の友らに向けて語られているもので、ヨブの過ちを正しく指摘しないまま、ヨブを打ち負かすのは神御自身で、それは人の役割ではないと、沈黙してしまうのは間違いだ、ということです。

 何が重いのかといえば、苦しみの中にいる人、そしてその苦しみの中から神に向かって抗議の言葉を語る人に対して、人間が何を語り得るのかということです。どういう言葉が彼の慰めとなり、励ましとなるのでしょうか。どうすれば、彼を正しく苦しみの闇から希望の光へと導き出すことが出来るのでしょうか。

 人が人の上に立って、見下すような思いで語られる言葉は、相手の心を動かしません。同じ苦しみを味わい、同じ境遇におかれた者でない限り、相手の心に届く言葉を語ることは出来ないのではないかと思われるのです。特に、心身共に苦しんでいる上、友らとの議論で冷静さを欠いているヨブに対して、「怒り」をもって語るエリフの言葉が届くのでしょうか。

 しかも、このエリフの言葉は、ヨブに向かっても、自分が聞きたいのは神の御言葉だけだ、ほかの者は沈黙せよなどという思い上がった考えを持つなという、挑戦的な意味合いを持っています。

 しかしながら、ここには、神と人との交わりを閉ざし、人と人との交わりを妨げ、破壊しようとする、どのような企てにも屈しないぞという、若者エリフの心意気を感じます。エリフがこれを語ったのは、日数、年数といった人生経験ではありません。「人の中には霊があり、悟りを与えるのは全能者の息吹なのだ」という言葉(8節)に示されているように、彼の背後に神がおられ、語るべき言葉を与えておられたということです。

 しかるに、感謝すべきかな。私たちの主イエス・キリストは、私たちの痛み、病いをその身に負って下さったお方であり(イザヤ書53章3節以下)、私たちと同じように試練に遭われ、私たちの弱さに同情して下さるお方です(ヘブライ書4章15節)。そのお方がエリフの心に霊の感動を与え、語らせておられたのです。

 私たちの傍らで、私たちに寄り添って下さる主の御声に耳を傾けてみましょう。
 
 主よ、私たちの心に主イエス・キリストの愛を満たして下さい。知る力、見抜く力を身に着けて、私たちの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられますように。キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができますように。 アーメン





8月1日(木)の御言葉 ヨブ記31章

「どうか、わたしの言うことを聞いてください。見よ、わたしはここに署名する。全能者よ、答えてください。」 ヨブ記31章35節

 いよいよ、本章はヨブの最終弁論です。ヨブは、最後の最後まで自分の潔白を信じて、「わたしがむなしいものと共に歩き、この足が欺きの道を急いだことは、決してない。もしあるというなら、正義をもって量ってもらいたい。神にわたしの潔白を知っていただきたい」と語ります(5,6節)。

 7節以下には、神に背く具体的な例を挙げながら、そんなことをしたことは、決してない、もしも罪を犯していたというなら、その罰を受けてもよいといって、神に迫ります。その語り口に、自分の正しさをどうしても神に認めてもらいたいという、ヨブの強い意志を感じます。

 しかし、ヨブの三人の友らは、正しい者がそのような目に遭うはずがないといって、ヨブの主張を認めてはくれませんでした。そして、ヨブも、正しい者が神の懲らしめを受けるはずがないという点に関しては、彼らと同じ考えなのです。

 だから、「上から神がくださる分は何か。高きにいます全能者のお与えになるものは何か。不正を行う者には災いを、悪を行う者には外敵をお与えになるのではないか」(2,3節)と語るのです。そして、「神はわたしの道を見張り、わたしの歩みをすべて数えておられるではないか」(4節)と言い、その基準に照らして、なぜ自分がこのような目に遭うのか、皆目見当がつかないわけです。

 ヨブはこれまで、神が自分から目を背け、自分の訴えを聞いて下さらないと訴えてきました(19章7節)。神が自分に目を留め、自分の主張を聞いて下さりさえすれば、自分の潔白が分かって頂けるだろう。もし神が自分の正しさを認めて下さるならば、この苦しみからついに解放される、と考えているのです(23章4,5,7,8節)。

 ヨブは、冒頭の言葉(35節)のとおり、この最終弁論に自ら署名します。語り尽くしたヨブには、これ以上言うことはありません。あとは神がヨブの訴えを聞いて、判決を下して頂くだけです(16章21節)。

 ヨブは、この裁判で、天に自分の弁護をして下さる方、自分のために執り成す方があると言っていました(16章19,20節)。また、わたしを贖う方は生きておられるとも語っています(19章25節)。しかし、彼の最終弁論に、そのような彼の弁護者、執り成し手、また贖う方に対する信頼の言葉は出て来ませんでした。それはただ、彼の潔白を証明してくれさえすればよい、神がそれを認めてくれさえすればよい、ということでしょう。

 ここに、自分の義に依り頼んで神と相対するヨブの姿が、改めて浮き彫りになりました。ヨブ自ら、神から離れて、たった一人で立っています。即ち、ヨブの「正しさ」が、神からヨブを離れさせる「あだ」となっているわけです。そして、ヨブがこの「あだ」から離れるのは、極めて困難です。なぜなら、正しく歩むことは、よいことだからです。だからこそ、悩みも深いのです。

 実際に、利益であるはずのものが、むしろ、仇になるということがあります。使徒パウロも、自分の出自、経歴などを誇りとしていましたが(フィリピ3章4節以下参照)、「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです、そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵芥と見なしています」と語っています(同4章7,8節)。

 即ち、彼が誇りとし、有利としていた出自や経歴が仇になって、キリストを正しく知ることが妨げられ、あまりにも素晴らしいキリストの恵みを受けられなくしていました。キリストの恵みに目が開かれたとき、それまで有利と考えていた出自や経歴を、損失、また塵芥と見なすようになったというわけです。

 かくて神は、ヨブにもそのような素晴らしい恵みを与えようとしておられるのです。それは、正しい行いから生じる自分の義ではなく、神を信じる信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義なのです(同3章9節参照)。


 主イエスの福音に耳を傾け、主を信頼することにより、主を知る知識の絶大な価値を実際に知り、味わい、経験するものとならせて頂きましょう。「味わい見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか。御もとに身を寄せる人は。主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない」(詩編34編9,10節)といわれるとおりです。

 主よ、キリストの迫害者であったパウロを恵みによって使徒とし、キリストの福音宣教のために豊かに用いられました。ゆえにパウロは神の栄光に与る希望を誇りとし、さらに、苦難さえも誇りとすると語っています。私たちも、聖霊を通して注がれる神の愛を心に、御業のために用いて下さい。主イエスの恵みと平安が私たちの上に豊かにありますように。 アーメン



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