「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」 第二コリント書5章17節
16節で、「今後だれをも肉に従って知ろうとはしません」と、パウロは語っています。これは、11節の、「内面ではなく、外面を誇っている人々」という言葉に対応して、外側の見えるところに従って判断しようとはしませんという意味でしょう。外側の見えるところ、その人の家柄、学歴、職歴、賞罰、立ち居振る舞い、身柄、格好、装束などで人を判断しないということです。
それはまた、自分自身の学識、知識、経験などに従って、相手を判断しようともしないという意味でもあるでしょう。これらはしかし、「言うは易し、行うは難し」でしょう。多くの場合、常識的な判断、知識や経験の基づく判断をしているからです。
そのように判断しないというのであれば、どのように判断するというのでしょうか。それは、私たちに与えられた霊において判断するということでしょう(5節参照)。霊において判断するというのは、キリストがその人を見て判断するように、と言い換えてもいいでしょう。それはまた、神の目で見てということでもよいでしょう。
サムエル記上16章7節に、「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」という御言葉があります。これは、神が少年ダビデを、サウルに次ぐイスラエル第二代の王として選び出されるときに、語られた言葉です。預言者サムエルは、エッサイの長男エリアブこそ主の前に油を注がれる者だと思ったのですが、神の選びは違ったのです。
預言者サムエルのような、「神の人」と呼ばれる人物でも、「人は目に映ることを見るが」と言われているとすれば、いったい誰が、霊において判断することが出来るというのでしょうか、キリストがその人を見て判断するように、神の目で見るように、その人を見ることが出来るでしょうか。これまた、言うことは容易いことですが、実行するのははなはだ難しいことです。
なぜパウロは、このように語っているのでしょうか。それは、パウロがかつて、肉に従ってキリストを判断していたのです。それは、キリストが神の律法に背き、神を冒涜しているという判断でした。それで、キリストに従う者たちを厳しく取り締まり、教会を迫害したのです。しかし、彼の心に神の光が与えられたとき、目が開かれて十字架につけられたキリストの、神の栄光に輝く姿を見ることが出来ました。
人は、パウロを月足らずで生まれた者であるとか(第一コリント15章8節)、正気ではないとか(13節)、パウロの語る福音は覆いが掛かっていてはっきりしない(4章3節)というような非難を浴びせるかもしれませんが、神は迫害者であったパウロを憐れみ、恵みによって復活のキリストに出会わせ、御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えられ、そして、使徒としてお立てになったのです。
すなわち、冒頭の言葉(17節)の通り、パウロはキリストを信じ、「キリストと結ばれ」て(エン・クリストウ in Christ)、新しく創造された者となったのです。それは、パウロにとって、驚くべき恵み(Amazing Grace)だったのではないでしょうか。
迫害者であったパウロに対してそのような恵みが与えられたということは、誰にでも、その恵みが与えられるということでしょう。ということは、神は既に、キリストの十字架の御業において、すべての人のあらゆる罪をお赦しになられたのです(15節)。
そうであるならば、誰でもが、キリストにあって、キリストに結ばれて、新しく創造された者とされます。キリストがすべての人のために贖いの供え物となられたのであり、すべての人がその命の代価によって買い取られ、神のものとされた、かけがえのない大切な存在ということです。
新しくされたことによって、古い罪の問題はすっかり解決したということではありません。20節に、「神と和解させていただきなさい」と語られています。これは、未信者に向かって語られた言葉ではありません。コリントの信徒たちに向けて語りかけている言葉です。つまり、私たちは日々、常に、神と和解させて頂く必要があるということです。
なお、「和解させていただきなさい」に用いられているのは、不定過去(第二アオリスト)時制のカタッラゲイテという動詞ですが、書簡の中で用いられる場合には、現在形のように読まれるべきでしょう。キリストを信じている者たちが絶えず神を仰ぎ、つねに神と和解させていただきなさいという勧めです。
しかも、「和解させていただく」というのは、受身形が用いられています。まさに、神との和解は、神によって与えられるものなのです。だから18節で、「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ」というのです。
すべての人に神との和解が賜物として与えられているという事実に基づき、それを受け入れた者たちは、キリストの使者として、和解の言葉を携え、すべての人々にそれを分かち与える任務が授けられているというのです(18,19節)。
互いにキリストに結ばれて新しく創造された者同士、愛し合い、助け合い、支え合い、祈り合いつつ、主に委ねられた務めのため、共に励んで参りましょう。
主よ、あなたは私たちのすべてをご存知で、深く愛し憐れみ、救いの恵みをお与え下さいました。今、キリストと結ばれて新しく創造された者として頂いたことを、感謝します。しかし、自力でこの状態を保つことは出来ません。絶えず御言葉に留まり、御霊の導きに与らせて下さい。 アーメン