風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2013年05月

5月21日(火)の御言葉 歴代誌下28章

「捕虜をここに連れてきてはならない。我々は主に対して咎を負っている。あなたたちは我々の罪と咎をいっそう重くしようとしている。我々の咎は既に重く、主はイスラエルに対して激しく怒っておられる。」 歴代誌下28章13節


 主の御前をたゆまず歩み続けたヨタムに代わって、その子アハズが王となります(1節)。彼は、父祖ダビデの道を歩まず、北イスラエルの王たちの道を歩み、主に背いてバアルの神像を造り(2節)、カナンの地の忌むべき慣習に倣ってベン・ヒノムの谷で香をたき、自分の子らに火の中を通らせました(3節)。また、聖なる高台、丘の上、すべての木下でいけにえをささげ、香をたきました。

 それゆえ、神の怒りを買ってアラム軍に攻められて、多くの者が捕虜となってダマスコへ連れ去られ、また北イスラエルにも攻められて、大損害を被ります(5節)。一日で12万人の勇士が倒れ(6節)、王子マアセヤ、侍従長アズリカム、王の代行エルカナも殺されました(7節)。そして、20万の婦女子が捕虜となり、大量の戦利品を奪い去られました(8節)

 更に、エドム人、ペリシテ人に襲われて、住民が捕虜となり、幾つもの村落が占領されました(17,18節)。そこで、アッシリアに援軍を求めて使者を送りましたが(16節)、再びエドム軍、ペリシテ軍の攻撃を受け、その上、援助を頼んだアッシリア軍までも攻めて来て、神殿や王宮、高官たちの家の財宝を貢ぎとして差し出さなければなりませんでした(21節)。アハズの背きの罪により、主がユダを辱められたのです(19節)。

 しかし、それでもなお、アハズは悔い改めようとせず、主なる神に背き続けました(22節以下)。ダマスコの神々にいけにえをささげます。戦争に負けたのはイスラエルの神が弱いからで、強いアラムの神々を拝めば、祝福を受けるだろうと考えているわけです(23節)。なんと愚かなことでしょうか。

 上述のことがらについては、列王記下16章5節以下、イザヤ書7章などのの記述とは、明らかに異なっています。その理由はよく分かりませんが、歴代誌の記者は、神に背き、主を捨てた者は、主の慈しみのもとでその保護を受けられなくなるため、悪しきものの餌食とされてしまうと語っているわけです。

 一方、ユダに攻め込んで大量の捕虜と戦利品を奪った北イスラエルに対し、神が預言者オデドを遣わし、「あなたたちはユダとエルサレムの人々を服従させ、自分たちの男女の奴隷にしようと思っている。しかし、あなたたち自身はあなたたちの神、主によって罪に問われずに済むだろうか」と告げさせます(10節)。それは、「同胞を、あなたの奴隷として働かせてはならない」と、律法で命じておられたからです(レビ記25章39節以下)。

 その言葉を聞いて、直ちにエフライム人の頭たちは帰還兵に対し、冒頭の言葉(13節)の通り、捕虜を連れて来てはならないと命じ、「我々は主に対して咎を負っている。あなたたちは我々の罪と咎をいっそう重くしようとしている。我々の咎は既に重く、主はイスラエルに対して激しく怒っておられる」と語ります。

 彼らは、神の言葉を聞いて、自分たちの罪を認め、悔い改めました。彼らはすぐに捕虜と戦利品を放棄します(14節)。裸の者には衣服を着せ、履き物を与え、飲食させ、油を注ぎ、弱った者はロバに載せ、エリコまで送り届けたというのです(15節)。

 このように、これまで主に背き続けていた北イスラエルに対して預言者が遣わされ、神の言葉が伝えられるとすぐに従ったというのに、ダビデの契約のゆえに恵みを受け続けてきた南ユダの王アハズが、これほどまでに神に背き、主の道に歩もうとしないとは、どうしたことでしょうか。

 アハズに対して、神の言葉が語られなかったとは思いません。預言者が遣わされなかったとは思いません。しかし、彼は自ら神殿の祭具を粉々に砕き、神殿の扉を閉じました(24節)。主なる神に対して、耳を塞ぎ、心を閉ざしてしまったわけです。

 「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」と言われます(ローマ書10章8節)。「その声は全地に響き渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです(同18節)。私たちに対して語られている主の御言葉に絶えず耳を傾け、悔い改めて主に従う者にならせていただきましょう。

 主よ、何故ヨタムの子アハズが、かくまで主に背く歩みをなしたのでしょうか。そのことは、ヨタムにとって痛恨の極みでしょう。ヨシュアのように、私と私の家は主に仕えますという恵みを与えて下さい。家族が皆、救いの恵みに与りますように。常に主の導きと守りがありますように。 アーメン







5月20日(月)の御言葉 歴代誌下27章

「ヨタムは主なる神の前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた。」 歴代誌下27章6節


 ヨタムが父ウジヤに代わって王となったのは、25歳の時でした(1節)。しかし、父ウジヤが重い皮膚病に冒され、神殿に近づくことを禁じられて隔離された家に住んでいたため、公務が出来なくなっていたので、王位に就く前から王宮で政務を司っていました(26章21節)。

 ヨタムは、父と同じように、主の目にかなう正しいことをことごとく行いました(2節)。そして、神殿の上の門を立て、オフェルの城壁に工事を施しました(3節)。これは、エルサレムの町を要塞化するためのものでしょう。さらに、ユダの山地に町を築き、森の中に城砦や塔を築きます(4節)。こうして、外敵との戦いに備えたのです。

 それから、東隣のアンモンを征服して、貢ぎ物を収めさせるようにしました(5節)。そうして、冒頭の言葉(6節)にある通り、ヨタムが主なる神の前をたゆまず歩み続けたので、勢力を増すことも出来ました。

 ここまでは、父ウジヤと同じようです。しかし、ヨタムはウジヤのように思い上がって堕落することはありませんでした(26章16節)。「神殿に入ることだけはしなかった」(2節)と特記されているのは、ウジヤとの違いを鮮明にするためでしょう。父のような重い皮膚病に冒されたくないと考えたのでしょうか。否、もっと積極的に主を愛し、主を信頼して、その信仰の歩みを全うしたいと考えていたのだと思います。

 「ヨタムは25歳で王となり、16年間エルサレムで王位にあった」と簡単に、しかしながら、27章の初めと終りに2度も記されております(1,8節)。即ち、ヨタムの生涯は、41年という短いものだったのです。たゆまず主の前を歩み、神の恵みを得て勢力を増すことが出来たヨタムが(6節)、なぜ、そのように短命だったのでしょうか。

 詳細は不明ですが、列王記下15章32節以下の記事によれば、それは隣国アラムと北イスラエル連合軍の攻撃に起因することがらのようです。当時、アッシリアが勢力を伸ばして来ていました。それに対抗するため、アラムとイスラエルが手を組み、ユダもその連合に加わるよう求められましたが、ヨタムはそれに協力しませんでした。そこで、ユダに圧力をかけ、屈服させて、共にアッシリアに向かおうということになったわけです。

 ここに、ヨタムの死は、戦死とは記されておりませんし、戦争で負傷したというようなことでもなさそうです。あるいは、アラム、北イスラエル連合軍との戦争による心労などが原因の早逝なのかも知れません。

 また、その背景には、民の堕落、神への不従順もありました。「民は依然として堕落していた」と、2節に記されています。列王記下15章35節では、「民は依然としてその聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた」と言われていました。王が主に従って正しく歩んでいるのに、民がその模範に倣おうとしないのです。神はヨタムの信仰とよい政治を喜ばれて繁栄を与えられましたが、民は思い違いをしていたということでしょう。

 民は王を尊敬して従う、王は民を愛して守るという相互の信頼関係がなければ、お互いに平和、平安な日を送ることは難しいでしょう。まして、外の敵に対して力を合わせることが出来ません。そして何より、そのような民のために、主が共においで下さらないということになってしまうでしょう。となれば、戦う前から、勝負は見えています。それが、アラム・イスラエル連合軍の侵入によって明白となったわけです。

 改めて、歴代誌の記者は、ヨタムの歩みを評して、「ヨタムは主なる神の前をたゆまず歩き続けた」と記しました。なんと素晴らしいことでしょうか。私たちもその生涯を閉じるとき、そのように言われたいものです。41年の生涯は短いと言わざるを得ませんが、しかし、「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」(創世記5章24節)という記事を思い出します。

 自分に従わない民におもねらず、かといって強圧的になるのでもなく、主の前を、主と共に歩み続けたヨタムの信仰に倣い、私たちも日々主の御声に耳を傾け、御霊の導きに従って歩みたいと思います。

 主よ、私たちもヨタムに倣い、主なる神の御前をたゆまず歩き続けることが出来ますように。御言葉により、聖霊の導きを通して、主の道を教えて下さい。御心を行わせて下さい。主の恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン




5月19日(日)の御言葉 歴代誌下26章

「ところが、彼は勢力が増すとともに思い上がって堕落し、自分の神、主に背いた。彼は主の神殿に入り、香の祭壇で香をたこうとした。」 歴代誌下26章16節


 アマツヤの子ウジヤが、「ユダの民に選ばれて」王となりました。ウジヤは、「主はわたしの力」という意味の名ですが、列王記下14章21節、15章1節では、アザルヤ(「主は助けたもう」の意)と呼ばれています。父アマツヤの信仰を、この名付けに見ることが出来るようです。

 52年の王位というのは、イスラエル史上第2位の統治期間です。父アマツヤが亡くなる前に王位に就いたという学者もあり、それが正しければ、共同統治期間があったということになります。16歳のウジヤを選んだというのは、ダビデの家系ということは勿論ですが、主の目にかなう者だったということを表しているのでしょう。ウジヤは、主の目にかなう正しいことをことごとく行った、と言われています(4節)。

 ウジヤには、神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤという教師がいました(5節)。ゼカルヤの名を持つ人は、聖書中に30人ほどいます。ここに登場してきたゼカルヤは、氏素性は不明ですが、ウジヤ王に仕える主の預言者だったと思われます。

 ゼカルヤの教えに従って、ウジヤが主を求めるよう努めている間、主が彼を繁栄させられたので、周辺諸国を平定して貢ぎを献上させました(6節以下)。ウジヤは、父アマツヤが失った領地を回復し、またイスラエルの王ヨアシュによって壊されたエルサレムの城壁を修築、補強することが出来たわけです(9節)。かくて、その勢いはこの上もなく増大し、名声が遠くにまで及ぶようになりました(8,15節)。

 しかしながら、これでめでたしめでたし、ということにはなりません。後に、このところおきまりの堕落コースが続きます。冒頭の言葉(16節)でウジヤは、「勢力が増すとともに思い上がって堕落し、自分の神に背いた」と記されています。具体的には、どのようなことがあったのでしょうか。それは、「主の神殿に入り、香の祭壇の上で香をたこうとした」ということです。

 香は祈りの象徴です(詩編141編2節、ヨハネ黙示録5章8節参照)。祈ることが問題になるはずはありません。ただ、祭司アザルヤがウジヤに、「香をたくのは聖別されたアロンの子孫、祭司である」と語ったとおり(18節)、香をたくのは祭司の務めであり(出エジプト記30章7,8節)、祭司以外の者が香の祭壇の置かれている聖所の中に入ることを許されてはいなかったのです。

 昔、サウル王が預言者サムエルの到着を待ちきれず、自ら焼き尽くす献げ物を献げたことが咎められ、王座から退けられることになりました(サムエル上13章8節以下、13,14節)。

 勿論、そうしたことを知らないウジヤではなかったと思います。祭司アザルヤの発言は、ウジヤがそれを知っていることを前提としたものと言えます。忘れていたのかも知れませんが、しかし、アザルヤの指摘に、自分が間違っていたと悔い改めれば、それで問題はなかったことでしょう。

 しかし、ウジヤは悔い改めるどころか、アザルヤの言葉に憤りました(19節)。何でもやれば出来る。国家の最高責任者である自分に出来ないことがあるはずがない、と思っているのでしょう。むしろ、敢えて香をたこうとしたということかもしれません。

 「主なる神からそのような栄誉を受ける資格はあなたにはない」とアザルヤが語っていることから、ウジヤ王は、すべての栄誉、栄光を手にしたいと考えていたのです。まさしく、自らの限度を超えて思い上がっているわけです。そのために彼は神に打たれ、重い皮膚病に悩まされることになりました(19節)。神の御前に汚れた者とされ、隔離されなければならなくなってしまったのです(21節、レビ記13章)。

 出来るからすればよいのではありません。自分の分をわきまえ知り、謙って神から命じられていることを行う必要があります。自分の限界をわきまえず、分を超えて思い上がることのないように、絶えず謙虚に、順調にことが運ぶときには特に謙虚に、神に聴きましょう。御言葉に耳を傾け、祈りましょう。

 主よ、私たちに神を畏れ敬うことを教えて下さい。尊敬の出来る教師を与えて下さい。あなたの力強い御手の下で謙遜と柔和を学びます。分を超えて思い上がることがありませんように。キリストご自身、己を無にして、十字架の死に至るまで従順であられました。主の道をまっすぐに歩ませて下さい。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン




5月18日(土)の御言葉 歴代誌下25章

「アマツヤは神の人に言った。『イスラエルの部隊に払った百キカルはどうしたらよいのか』。神の人は答えた。『主はそれより多くのものを与えることがおできになります』。」 歴代誌下25章9節


 祭司ヨヤダの子ゼカルヤの血のゆえに、暗殺されたヨアシュに代わり(24章25節)、その子アマツヤが25才で王となり、29年間、エルサレムでユダの国を治めました(1節)。

 アマツヤは王となって、父を暗殺した家臣たちに復讐します(3節)。しかし、家臣たちの家族には手をかけませんでした。それは、「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる」という主の律法の規定に従ったためです(4節、申命記24章16節)。

 その後アマツヤは、ユダとベニヤミンの20歳以上の男子を家系に従って千人隊および百人隊の隊長の下に配属しました(5節)。エドム人討伐に向かうためです(11節以下)。兵の数は30万です。そして、イスラエルから10万の勇士を雇います(6節)。それは、アマツヤがエドムとの戦いに不足を感じたからでしょう(11節以下参照)。

 ところが、そこへ神の人がやって来て、「イスラエルの軍隊を同行させてはなりません。主はイスラエルの者、すなわち、どのエフライム人とも共においでにならないからです」と言います(7節)。ここで、イスラエルの者がエフライム人と言い換えられています。ヨセフ族・エフライムが北イスラエルの代表ということです。

 主は、主と共にいたいと願う者とご一緒下さいます。共にいたいと願わない者とは、一緒にいて下さいません。主を求めないエフライム人とは、主は共においでにならないのです。だから、ここでアマツヤが主に頼らず、イスラエルの軍隊=エフライム人を頼りとするなら、主はアマツヤともご一緒下さらないと読むことが出来ます。

 そこでアマツヤは、冒頭の言葉(9節)の通り、「イスラエルの部隊に払った銀百キカルはどうしたらよいのか」と神の人に尋ねます。働いてもらわなければ損になるし、働いてもらわないのなら返してもらおうということでしょう。それに対して神の人は、「主はそれより多くのものを与えることがおできになります」と答えました。つまり、彼らにやってしまいなさいということです。

 銀百キカルというのは、決して小さな金額ではありません。1キカルは、重さの単位で約34.2キログラムですから、百キカルは3420キロということになります。今日の銀価格は1グラム81円ぐらいですから、百キカルは、2億7千7百万円という金額になります。

 しかし、アマツヤが主に頼ること、主が共におられるということを学ぶため、神の力、神の助けに依り頼むという大切な学科を学ぶための授業料のようなものだということでしょう。そして、アマツヤが主に信頼して歩むなら、百キカルでイスラエルの勇士を雇ったよりも多くのものを得ることが出来るのです。

 アマツヤは神の人の言葉に従います。イスラエルの部隊を帰した後、勇気を奮い起こし、自分の軍隊を率いて塩の谷まで進み、2万の兵を撃ちました。確かに「神には力があって」アマツヤ率いるユダの軍隊を助けて下さったのです。

 ところが、エドム討伐から帰ったアマツヤは、なんとセイルの神々を導入して、これを自分の神とします(14節)。どう考えれば、そんなことが出来るのか、全く理解に苦しむところですが、イスラエルの傭兵に払った百キカルの銀が無駄になり、その上、送り返したイスラエルの部隊がユダの町々を荒らし回って略奪をほしいままにしたため(13節)、損を重ねたことに腹を立て、腹いせにセイルの神に香を炊いたのかも知れません。

 19節に、「あなたはエドムを撃ち破ったと言って、思い上がり、うぬぼれている」とあるように、勝利を自分の実力のように勘違いしているということも、その一因でしょう。その結果、神の怒りを買い、イスラエルに戦いを挑んで惨敗し(17節以下、22節)、謀反で殺されてしまいます(27節)。

 信仰を学ぶのに卒業ということはありません。常に新しい課題がやって来ます。その度に、神の知恵や力、助けを必要とする私たちです。神は、求めれば与えられると教えて下さいました。神の憐れみによって前進させて頂きましょう。

 主よ、私たちは目に見えるものに依り頼む誘惑に耐えず晒されています。私たちの信仰の耳を開き、御声を聴かせて下さい。信仰の目を開き、主の御業を拝させて下さい。主を求めることに心を定めさせて下さい。あなたには力があって、多くのものを与えることがお出来になるからです。 アーメン







5月17日(金)の御言葉 歴代誌下24章

「ヨアシュは、祭司ヨヤダの生きている間は主の目にかなう正しいことを行った。」 歴代誌下24章2節
 
 ヨアシュ王は7歳で即位し、40年間王位にありました(1節)。その間、祭司ヨヤダがヨアシュに大変よい指導をしました。いわゆる摂政の務めを果たしたわけです。ですから、冒頭の言葉(2節)にあるとおり、ヨアシュは主の目にかなう正しいことを行うことが出来ました。
 
 しかしながら、そこには、「祭司ヨヤダが生きている間」という限定がついています。ということは、主の目にかなう正しいことが出来たのは、祭司ヨヤダの指導のお蔭であり、ヨヤダの死後は、その指導を受けることが出来なくなったため、正しいことを行わなくなってしまった、ということを示しているわけです。

 正しいことを行っているとき、ヨアシュは主の神殿の修復に意欲を示し(4節)、神殿修復のための資金を民から集め、すぐに取りかかるようにという命令を、レビ人が速やかに実行しようとしないのを見ると(5節)、ヨヤダを呼びつけ、何故レビ人にすぐに実行するように要求しないのか、と質します(6節)。

 その様子を、むしろヨヤダは喜んでいたのではないでしょうか。民も喜んで資金供与に協力し(10節)、工事担当者は神殿の修復補強作業を終え(13節)、祭具類も作り直されました(14節)。

 ところが、ヨヤダが130才で亡くなると、事態が変わります。ヨヤダの死後、ユダの高官たちがヨアシュのもとに来て、ひれ伏しました。そのとき、何を進言したのかは記されていませんが、ヨアシュは高官たちの言うことを聞き入れた、と言われます(17節)。その結果、彼らは先祖の神、主の神殿を捨ててアシェラと偶像に仕えるようになりました。そして、その罪悪のゆえにユダとエルサレムに神の怒りが下った、と記されています(18節)。

 何があったのか全く分かりませんが、ユダの高官たちにしてみれば、祭司ヨヤダが摂政として国の政治を支配しているのが面白くなかったのかも知れません。けれども、王の信任厚いヨヤダを排除できませんでした。そこで、ヨヤダの死後、徹底的にヨヤダ色を排除する道を、ヨアシュ王に歩ませようとしたのではないかと考えられます。

 一方、ヨアシュはなぜ高官たちに耳を貸し、ヨヤダの教えに従う道を捨ててアシェラと偶像に仕えるようになったのでしょうか。ヨアシュは、幼くして父アハズヤを失いました。その後、祖母アタルヤが王族をすべて滅ぼそうとしたとき(22章10節)、その暴虐からヨアシュをかくまって盾となったのが、祭司ヨヤダとその妻ヨシェバでした。それ以来、親代わりとなっていたでしょう。その後、王となった自分を支え導いてくれていました。

 ですから、ヨヤダの死はヨアシュにとって、大変大きな衝撃となったことでしょう。そして、彼の心にぽっかりと大きな穴があいたことでしょう。それゆえ、物事を正しく判断することが出来る状態ではなかったのかも知れませんね。

 主イエスが、汚れた霊が人から出て休み場を捜して、見つからないので戻ってくる、という話をされたことがあります(マタイ12章43節以下)。そこは空き家で、掃除をして整えられていたので、自分より悪いほかの七つの霊を連れてきて住み着くと、その人の後の状態は前よりも悪くなる、と教えられました。

 ヨアシュの心は、ヨヤダを失った後、すっかり空き家状態になっていて、そこを悪霊につけ込まれたのでしょう。彼は、ヨヤダの恩を忘れ、その息子ゼカルヤを殺すことさえしてしまいます(21節)。

 パウロは、「あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また五体を義のための道具として神にささげなさい」と命じています(ローマ6章13節)。それは、聖霊の支配に自らを委ねること、聖霊なる神に自分自身を明け渡すことです。

 神に命じられたとおり、聖霊を心に迎え、聖霊に満たされることを求めましょう。絶えず主の御言葉に耳を傾け、聖霊の導きに従って歩みましょう。感情に左右されるのではなく、正しい人は、信仰によって生きると書いてあるとおり(ローマ1章17節など)、聖霊なる神を信じて進みましょう。

 主よ、私たちが主の道から逸れることがないように、絶えず御言葉を聞かせて下さい。私たちの心を探り、御前に相応しくないものを取り除いて下さい。主の血潮によって、清めて下さい。聖霊で満たし、御業のために用いて下さい。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン




5月16日(木)の御言葉 歴代誌下23章

「ヨヤダは、自分とすべての民と王との間に、主の民となる契約を結んだ。」 歴代誌下23章16節

 
 アハブの娘で、ヨシャファトの子ヨラムの妻(21章6節、22章2節)、アハズヤの皇太后アタルヤがユダを支配して7年目、ついに祭司ヨヤダは意を決し、アハズヤの子ヨアシュを王として擁立するために動きます(1節、22章10節以下)。

 まず、百人隊長らと契約を結び、ユダのすべての町から、レビ人とイスラエルの氏族の長を召集します(2節)。そして、神殿の中でヨアシュと契約を結ばせます。それは、ヨアシュを王とする契約でした(3節)。次いで、祭司、レビ人らを組み分けして、三分の一を門衛、三分の一を王宮、三分の一を礎の門に配置し、民は皆、神殿の庭に留まらせます(4,5節)。神殿には入れるのは祭司とレビ人だけにして、ヨアシュ王を守るのです。

 それから、兵士や民に武装させてヨアシュの周囲を固め(9,10節)、そこに登場して来たヨアシュに冠をかぶらせ、掟の書を渡して彼を王とし、ヨヤダとその子らは彼に油を注いで、「王万歳」と叫びました(11節)。

 走りながら王を讃える民の声を聞いて神殿に行ったアタルヤは(12節)、柱の傍らに立つ王と、その側に将軍や吹奏隊が並び、民が喜び祝ってラッパを吹き鳴らし、詠唱者が楽器を奏で、賛美の先導を行っているのを見て、「謀反、謀反」と叫んで祝いをやめさせようとしますが(13節)、かえって百人隊長に捕らえられ、王宮の馬の門の側まで連れて行かれて、そこで殺されました(14,15節)。

 「彼女について行こうとする者は剣にかけて殺せ」という指示も出されていますが(14節)、そのような者がいたようには記されていません。もしいたとしても、ごくごく少数だったのではないでしょうか。

 彼女の6年間の支配がよいものであれば、そうはならなかったのかも知れませんが、主の目に悪とされることを夫ヨラムや息子アハズヤに行わせ、アハズヤが死ぬと、自ら権力の座につくために手段を選ばず、孫たちを初め王族をすべて滅ぼそうとしたやり方を、当然のことながらユダの民が喜んでいなかったことが知られます。そしてそれは何より、神に喜ばれないことでした。

 冒頭の言葉(16節)のとおり、ヨヤダは、自分とすべての民と王との間に、主の民となる契約を結ばせました。ヨアシュが王となったのは、7歳の時です(24章1節)。幼い王のために祭司ヨヤダが摂政となり、すべての民と王の間に立って、主の民となる契約を結ばせたのです。

 まさしくここに、ユダの国は誰のものでもなく、主なる神を真の王とする神の国であり、その民は神の民であることを宣言しているのです。そして、真の王なる主のもとで、ダビデの血筋に連なるヨアシュが王として立てられていきます。

 すべての民はバアル神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を打ち砕き、バアルの祭司を殺しました(17節)。ヨヤダは主の神殿を祭司、レビ人に委ね、賛美をもって主に焼き尽くす献げ物をささげ(18節)、また神殿に汚れを持ち込ませないようにしました(19節)。そして、神殿から王を連れ出して王宮に入り、王座に着けました(20節)。

 ヨアシュの父アハズヤも、その父ヨラムも、主の道に歩まず、主の目に悪とされることを行った王たちでしたが、ヨアシュはヨヤダの指導の下で、よい政治を行うことが出来たのです。国の民は皆喜び祝い、町は平穏でした(21節)。

 ところが、これで南ユダは安泰ということにはなりません。ヨヤダの死後、ヨアシュは道を変えてしまいます(24章17節以下)。そうして、最後はバビロン捕囚という滅びを刈り取ることになります(36章11節以下)。

 けれども、すべて無駄ということではありません。ヨヤダが立てられ、ヨアシュを、そしてユダの国を、正しい道に導いたのは、神の憐れみです。神は繰り返しその豊かな憐れみをもって、イスラエルを義の道に導こうとされるのです。そうして、世の罪を取り除く神の小羊・主イエスの登場に向けて、主の御旨のみが実現していくのです。ハレルヤ!


 主の御名はほむべきかな。その慈しみはとこしえに。主よ、あなたの深い愛と憐れみを感謝します。そのゆえに、私たちも恵みに与ることが出来ました。いつも私たちをあなたの慈しみの御手の下に置いて下さい。すべての悪から、あらゆる汚れから、救い清めて下さい。御心がこの地になりますように。 アーメン!





5月15日(水)の御言葉 歴代誌下22章

「こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは彼らと共に神殿の中に隠れていた。」 歴代誌下22章12節


 ヨラムの最年少の子アハズヤが、南ユダの王となりました(1節)。父ヨラムと共に、アハズヤ以外の王子たちがペリシテ、アラブ連合軍によって奪い去られ、殺されてしまったからでした(1節、21章17節)。

 「アハズヤは42歳で王となった」(2節)とありますが、父ヨラムが32歳で王となり、8年後に病死していますから(21章5,18節以下、20節)、その子が42歳で王位に就くとは考えられません。列王記下8章26節には、「アハズヤは22歳で王となり」とあり、それが現実的でしょう。なお、70人訳では、20歳とされています。

 アハズヤは、母アタルヤの悪い勧めを受けてアハブの道を歩み(2,3節)、さらに、ヨラムの死後、アハブの家の者が顧問となって、主の目に悪とされることを行います(4節)。彼らは、イスラエルの王ヨラムと共に、アラムの王ハザエルと戦おうとして、ラモト・ギレアドに向かいました(5節)。

 これは、アハズヤの祖父ヨシャファトが、ヨラムの父アハブと共にラモト・ギレアド奪還に向かい、返り討ちにあったことに対する弔い合戦のかたちということになります(18章28節以下参照)。ヨラムはこの戦いで負傷し(5節)、イズレエルに戻ります。アハズヤはヨラムを見舞うため、イズレエルに下ります(6節)。

 そして、アハブの家に裁きを行うためにたてられたイエフにより、北イスラエルの王ヨラムと共に、アハズヤの命が絶たれ、その兄弟の子らも殺されました(8,9節、列王記下9章14節以下)。

 歴代誌と列王記では、アハズヤの討たれた場所が違いますが、歴代誌では、アハズヤが北イスラエルと結んだことを重大な過失と考え、それを強調するためにサマリアに潜んでいるところを捕えられたことにしたのでしょう。

 息子アハズヤが死んで、皇太后の地位を失うことを嫌ったアタルヤは、王位継承者を殺し、自らその地位に立ちます(10,12節)。そこには、自分の子や孫も含まれていました。なんと酷いことでしょうか。アタルヤにとって、王位は神の御心によって立てられるものではなく、力ずくで奪い取るものだったのです。

 そしてここに、南ユダ王国最大の危機が訪れます。ダビデの血筋によらない王が立つことになったのです。しかしながら、聖書の記者は、アタルヤを王と呼びません。彼女は正統な王ではあり得ないと考えているわけです。

 そのため、イスラエルの王誰それの治世第何年に王となったという決まり文句が、アタルヤのためには記されていません。ただ、彼女は6年の間、ユダ王国を支配したと報告されています(12節)。ということは、アタルヤが実効支配していた6年間、南ユダ王国には王がいなかったことになります。

 アタルヤは王族をすべて滅ぼそうとしましたが、しかし、ダビデの血は絶やされてはいませんでした。ヨラムの娘でアハズヤの妹、そして、祭司ヨヤダの妻となった王女ヨシェバが、アハズヤの子ヨアシュを乳母と共に連れ出し、神殿にかくまっていたのです(11,12節、列王記下11章2,3節))。このような最大の危機の中でも、神の契約のゆえにダビデの血筋が守られているのです(歴代誌上17章7節以下、14節)。

 風前の灯火のように、いつ吹き消されてしまうか分からないように見えるダビデの血筋ですが、しかし、そこに神の御手があって、悪しきものの吹き付ける風からその灯心をしっかりと守っています。主は、「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする」(イザヤ書42章3節)お方です。どんなにアタルヤの権力が強大でも、一人の赤ん坊の命を奪うことが出来なかったのです。

 イザヤが、「エッサイの株から一つの眼が萌えいで、その根から一つの若枝が育ち、その上に主の霊が留まる」と告げ(イザヤ11章1節)、メシアがエッサイの株、ダビデの子孫から生まれると預言していますが、この約束どおり、ダビデの子孫からメシヤを誕生させるため、神がダビデの血筋を守っておられるのです。

 この神こそ、死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させるお方であり、約束したことを実現させる力もお持ちの方です(ローマ書4章17,21節)。そして、私たちの罪のために主イエスを死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたお方です(同25節)。

 私たちも主を信じる信仰によって強められ、神を賛美しましょう。


 主よ、あなたの深い憐れみのゆえに感謝致します。常にその御手の下に留まり、御言葉に聴き従います。私たちを聖霊に満たし、絶えず唇の実を献げさせて下さい。御名が崇められますように。 アーメン





5月14日(火)の御言葉 歴代誌下21章

「しかし主は、ダビデと結んだ契約のゆえに、ダビデの家を滅ぼそうとはされなかった。主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである。」 歴代誌下21章7節


 ヨシャファトに代わって、その子ヨラムが王位に就きました(1節)。ヨラムには6人の弟がおりましたが、王位について勢力を増すと、ヨラムは兄弟たちと高官数人を剣にかけて殺し(4節)、権力権勢をほしいままにしようとしました。

 ヨシャファトは、6人の弟に砦の町を与え、財宝をも豊富に分け与えていました(3節)。それは、兄弟で力を合わせてユダの国を守っていくことを願っていたものと思われます。あるいはヨシャファトが、ヨラムの所有欲、自己顕示欲の強さを見て、予め分け与えておくことにしたのかも知れませんが、それが裏目に出て最悪の結果となってしまいました。

 ヨラムの妻は、イスラエルの王アハブの娘アタルヤで(列王記下8章26,27節)、彼女に唆されてというのが正しい表現であるのかどうか分かりませんが、彼女のために、アハブが行ったように、イスラエルの王たちの道を歩み、主の目に悪とされることを行ったと、歴代誌の記者は述べています(6節)。

 ヨラムは、その行状といい、主に背く偶像礼拝の罪といい、父ヨシャファトとは全く違う道を進みました。その結果、神の恵みの道から外れ、先ず、エドムが反旗を翻し(8節以下)、またリブナが反旗を翻しました(10節)。それでも、悔い改めて主に立ち帰るどころか、ヨラムは主を捨ててユダの山々に聖なる高台を築き、バアルに依り頼みます(11節)。

 そのとき、ヨラムに宛てて預言者エリヤから一通の手紙が届きました(12節以下)。列王記下3章によれば、ヨシャファトの治世18年に、既にエリヤは亡くなり、後継者のエリシャが活動を始めているので、ヨラムにエリヤから手紙が届いたというのは、天からの手紙ということでしょう。

 また、北イスラエルの預言者エリヤがユダの王に手紙を書くというのは、異例中の異例というところですが、エリヤはアハブの預言者たちと戦った人物ですから(列王記上18章16節以下)、アハブの道を歩むヨラムに対して警告を与えるのに相応しい役どころというのでしょうか。

 そして、エリヤの言葉が現実のものとなります。ペリシテ人とアラブ人がユダに攻めて来て、王宮の財宝や王子、王妃たちを奪い去りました(17節)。兄弟たちにしたことが、自分の家にも降りかかってきたのです。また、ヨラム自身も重い病に冒され、ひどい苦しみにあえぎながらその生涯を閉じました(18,19節)。王として葬られることもありませんでした(19,20節)。それが、ヨラムの罪の結果であると、歴代誌の記者は教えているのです。

 しかし、冒頭の言葉(7節)の通り、神はヨラムのすべてのものを奪い去りはしませんでした。彼の最年少の息子ヨアハズが残されたのです。それは、神がダビデと結んだ契約のゆえだというのです。

 その契約とは、「主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国を揺るぎないものとする」というものです(サムエル下7章11~13節)。

 そして、ヨラムの重罪にも拘わらず、このダビデとの契約が破棄されることなく、有効に機能しているというわけです。神がこの契約を維持しておられるのは、ユダの王の忠実さ、民の従順さのゆえではないとすれば、なんのためでしょうか。それこそ、神の憐れみのゆえ、イスラエルの民に対する愛のゆえです。

 神は、繰り返し神の御言葉に反逆し、罪を犯すダビデの子らのために、その子孫として主イエスをこの世にお与えになり、十字架につけて罪を滅ぼされました。主イエスを受け入れた者、その名を信じた者に、神の子となる資格をお与えになりました。こうして、主イエスにより、「ダビデの家を堅くたて、その王国を揺るぎないものとする」という契約は、確かなものとなったのです。

 愛と赦しの福音に活かされた者として、その恵みに答えて今日も歩ませていただきましょう。


 主よ、あなたは独り子をお与えになったほどにこの世を愛されました。あなたの愛と憐れみは測り知れません。そのような深く広い愛がなければ、私は救われませんでした。罪を赦し、神の子として生きる救いの道を開いて下さり、感謝です。福音にふさわしい歩みをなす者となれますように。主の恵みが豊かにありますように。 アーメン!






5月13日(月)の御言葉 歴代誌下20章

「ヨシャファトは恐れ、主を求めることを決意し、ユダのすべての人々に断食を呼びかけた。」 歴代誌下20章3節


 モアブ人、アンモン人、メウニム人が大挙して南ユダに攻め込み、ヨシャファトに戦いを挑みました(1節)。この戦いについて、列王記には何の記述もありません。メウニム人については、10節の「セイルの山の人々」との関連で、死海南方のエドム人との関わりの深い人々のことと考えられます。

 それを聞いたヨシャファトは、冒頭の言葉(3節)の通り、その大軍を恐れました。ユダにも百万を超える兵士がいたはずですが(17章14節以下)、それでも恐れをなすということは、戦力にどれほどの開きがあったのでしょうか。ヨシャファトは、戦ってもとうてい勝ち目はないことを悟り、主を求めることを決意して、ユダのすべての民に断食を呼びかけました。

 ヨシャファトの呼びかけに答えて、ユダの民は主を求めて集まります(4節)。絶体絶命のピンチに、王と民が一つになって主を求めたのです。ヨシャファトは、「わたしたちには、攻めてくるこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません」と訴えました(6節以下、12節)。

 すべての民が主の御前に立っていたとき(13節)、レビ人ヤハジエルに主の霊が臨み(14節)、「この大軍を前にしても恐れるな。おじけるな。これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである。明日敵に向かって攻め降れ。見よ、彼らはツィツの坂を上って来る。あなたたちはエルエルの荒れ野の前、谷の出口で彼らに会う。そのとき、あなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ」と預言します(15~17節)。

 確かに、主は御自分を求める者に、お応えになられる方です(イザヤ書58章9節、エレミヤ書29章12~14節、33章3節など)。ここに、「敵に向かって攻め降れ」、「恐れるな。おじけるな」と言われていますが、戦うのはユダの民ではありません。「あなたたちが戦う必要はない。堅く立って、主があなたたちを救うのを見よ」と言われているからです。つまり、主御自身がユダのために戦い、勝利をおさめられる「神の戦い」なのです。

 ヨシャファトだけでなく、この言葉を聞いたユダの人々は主の御前にひれ伏して礼拝し(18節)、レビの子らが立ち上がり、声を張り上げて、イスラエルの神、主を賛美しました(19節)。

 翌朝、ヨシャファトがユダの民に、「あなたたちの神、主に信頼せよ。そうすればあなたたちは確かに生きることができる。またその預言者に信頼せよ。そうすれば勝利を得ることができる」と語ると(20節)、以前は恐れに包まれていたユダの民が大胆に立ち上がり、軍隊の前に歌を歌う者を任命して立たせ、「主に感謝せよ、その慈しみはとこしえに」と言わせます(21節)。

 そして、喜びと賛美の歌を歌い始めたところ、攻め込んで来た敵軍に伏兵が立ち向かい(22節)、その後、なんと敵軍は同士討ちをして全滅してしまいました(23節以下)。確かにユダの民は、戦わずして勝利を得たのです。

 かくて、王と民が心を一つにしたこと、断食して主を求めたことに主が答えられ、圧倒的な勝利を授けられたわけです。王と民に一致をもたらしたのは、そして真剣に主を求めたのは、絶体絶命の危機に遭遇したからです。危機に直面して慌てふためいて逃げ出したり、近隣の強国を頼ったりするのではなく、主を求めたからこその大勝利でした。

 ここに、祈りの力、祈りに答えて下さる主の力が示されます。どう祈ればよいか分からない弱い私たちのため、御霊が切なる呻きを持って執り成して下さいます(ローマ8章26節)。そして、神は万事を益に変えて下さるのです(同28節)。

 ユダの民は主の御言葉を聴いたとき、ひれ伏して主を礼拝し、賛美をささげました。そして、兵士たちの前に歌う者を配して、喜びと賛美の歌を歌い始めました。そこに勝利を先取りして喜び歌う民の信仰があります。その賛美の中に臨在される主が(詩篇22編4節)、勝利を収められたのです。

 この信仰に倣い、まず祈りましょう。御言葉を求めましょう。主がご自身を示して下さったら、すべてを委ねて賛美しましょう。

 主よ、私たちにも御言葉を聴かせて下さい。導きに従い、主を信じる信仰によって歩ませて下さい。そして、勝利の歌を歌わせて下さい。 アーメン!







5月12日(日)の御言葉 歴代誌下19章

「ヨシャファトはエルサレムに住んでいたが、再び出かけて民の中をベエル・シェバからエフライムの山地まで巡り、彼らを先祖の神、主に立ち帰らせた。」 歴代誌下19章4節


 ラモト・ギレアドから無事帰還を果たすことが出来たヨシャファト(1節)のもとに、先見者ハナニの子イエフがやって来て、「悪人を助け、主を憎む者の友となるとは何事ですか。そのために主の怒りが下ります」と告げます(2節)。アハブと姻戚関係を結び(18章1節)、一緒にラモト・ギレアドに攻め上ったこと(同3,28節以下)が咎められているのです。

 確かに、アハブとの姻戚関係は、あとに禍根を残す結果となります。姻戚関係とは、ヨシャファトがその子ヨラムのためにアハブの娘アタルヤを嫁に迎えたということですが、その結果、ヨラムは父ヨシャファトの道に歩まず、アハブの家が行ったように主の目に悪とされることを行い、さらにその子アハズヤも、アハブの家の道を歩んだのです(21章6節、22章2,3節参照)。

 かつて、イエフの父ハナニがヨシャファトの父アサに対して、「あなたはアラムの王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった」と責めたとき(16章7節)、アサは怒ってハナニを投獄してしまいました(同10節)。しかし、ヨシャファトは父アサとは違い、イエフの言葉を聞いたとき、さらに謙り、徹底して神の御言葉に従う決心をしました。

 以前、ユダの町々に高官、レビ人、祭司たちを遣わして主の律法を教え、民の教化にあたらせたことがあります(17章7節以下)。今回は、それを徹底するために王自ら出かけて、民を導きました(4節)。そして、町の裁判官を任命します(5節)。

 この「裁判官」は、「士師」と同じ言葉です。ですから、裁判だけでなく行政指導も行い、さらに砦の町の指導者として、軍事的な責任も担っていたものと思われます。任命した裁判官たちには、「人のためでなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。裁きを下すとき、主があなたたちと共にいてくださるように」と告げました(6節)。

 エルサレムでも同様に、裁きと紛争解決のためにレビ人や祭司、氏族の長を任命し、「主を畏れ敬い、忠実に、全き心をもって務めを果たせ。・・・彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。・・・勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるように」と命じます(9節以下)。

 上に立つ者が心を定めて行えば、国は堅く立てられます。王が主を畏れ、主を畏れ敬うことを指導者たちに命じるのは、国全体が主を畏れること、主に従うことを徹底して、その祝福に与るためなのです。

 国内ではこのように徹底的に主を求め、主に従うことを率先して行っているヨシャファト王が、対北イスラエル政策については、なんのためらいもないかのごとく姻戚関係を結び(18章1節)、それを今回、先見者イエフから咎められたのに、後に、イスラエルの王アハズヤとも協定を結び(20章35節)、それを預言者エリエゼルに断罪されています(同37節)。同じ過ちを繰り返すのは、およそ賢いとは言えません。

 同じ民族が二つに分かれて争っていては、国は立ち行かないから、互いに協力し合うべきであるというのは、正しい認識だと思います。しかし、どの点で、どのように協力し合うのかということは、どうでもよいことではありません。ヨシャファトは、自分の決断が何をもたらすのかということについて、認識が十分ではないようです。

 そのため、自分が心を込めて取り除いた偶像を(17章6節)、自分の子が嫁を通して国内に持ち込むという、偶像礼拝の道を、自らその子らのために開く結果になったのです。ラモト・ギレアドに攻め上るべきか、主の御言葉を求めたように、アハブ、アハズヤとの関係を姻戚結ぶときに、主の御心を尋ねるべきだったわけです。

 絶えず御言葉に耳を傾け、主の御心を尋ね求めましょう。常に主の前に謙り、御霊の導きに従いましょう。


 主よ、わが愛する祖国日本が、主を畏れ敬い、忠実に全き心で主に委ねられた務めを果たす国になりますように。国の指導者に創造主を畏れ敬う心を与え、また、主を畏れる者たちが指導者の周囲にいて、悪しきものの攻撃から守られますように。自分の思いよりも主の御心を優先する国、まず主に祈り、御言葉に忠実に従って歩む国、自分のように隣人を愛する国となりますように。 アーメン





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