風の向くまま

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2013年05月

5月31日(金)の御言葉 エズラ記2章

「総督は、ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで彼らが聖なる食べ物にあずかることを禁じた。」 エズラ記2章63節

 2章には、「帰還した捕囚の民」の一族ごとの数が記されています。リーダーはシェシュバツァルで(1章8,11節)、その他に、ゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、セラヤ、レエラヤ、モルドカイ、ビルシャン、ミスパル、ビグワイ、レフム、バアナと11名の名が記されています(2節)。

 これら合計12名は、どのような立場の人物であるか命記されてはいませんが、12名ということで、イスラエル12部族の長という印象を与えようとしているのではないでしょうか。もっとも、アッシリアに滅ぼされた北イスラエル10部族は、アッシリア帝国の各地に散り散りにされ、その後の行方は分かっていません。

 また、帰国した人々の一族は、3節以下で、氏族や家族の名で数えられてはいるようですが、それは、たとえば21節のベツレヘム、25節のキルヤト・アリム、28節のベテルとアイ、34節のエリコなど、町の名前で一族が数えられているという特徴があります。

 これは、ヨシュア記13章以下で各部族に領地として割り当てられた地域が列挙されていたことに似て、各一族は神から与えられた嗣業の地と結びついて存在していることを示していると言ってよいでしょう。

 エルサレムに戻って来たのは、イスラエルの神、主の神殿を建てるために神に心を動かされた者たちでしたが(1章5節)、その中に、自分の家族と血筋がイスラエルに属するかどうか示せなかった者がいたという記述があります(59,61節以下)。

 バビロンとの戦いに負けて捕囚となり、50年の奴隷生活をしていたのですから、きちんと家系図を保管していて、求められればいつでも直ぐにそれを示すことが出来るというほうが驚きでしょう。また、神殿再建のために神に心動かされた者たちが帰国したのですから、家系は問題ではないのではないか、と言ってもよさそうです。

 しかし、彼らはそれを問題にしました。イスラエルが滅ぼされたのは、神との関係をいい加減にしたからです。今、神に促されて国を建て直す基礎を作ろうとしているところです。そのための神殿建築です。ですから、本当に主の民イスラエルの属する者なのか、神によって選び分かたれたレビの祭司の家系に属する者なのか、はっきりさせようとしているのです。

 その証拠を示すことが出来なかった者たちは、冒頭の言葉(63節)のとおり、「ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで」、祭司職に就くことが出来ませんでした。ここで、「ウリムとトンミムをつけた祭司」とは大祭司のことで、「ウリムとトンミム」は神の託宣を求めるのに用いるくじのようなものでした。

 つまり、大祭司が立って、彼らが主の民イスラエルに属する者であるのか、レビ族、祭司の家系に属する者であるのか、神に託宣を求め、真実を明らかにしようというわけです。そこで、証拠を示せなかった者たちが主なる神に属する者であるか、主の選び立てられた祭司の家系に属する者であるかどうか、大祭司を通して神御自身がお示し下さるのを待ったのです。

 今日、私たちが神に属する者であるか、神に選ばれた祭司の系統であるかどうかを示して下さる大祭司がおられます。それは、私たちの主イエス・キリストです(ヘブライ書2章17節以下参照)。私たちは主イエスによって、国籍を天に持つ者とされました(フィリピ3章20節)。キリストを信じて神に属する者とされた私たちの名が、天の命の書に記されているのです(ルカ10章20節)。

 そして、それを証明するのは私たち自身ではなく、私たちが主イエスを信じることが出来るようにして下さった聖霊です。聖霊は私たちに、「イエス様こそ私たちの主です」という信仰を与え(第一コリント12章3節)、そして、私たちが神の御国の世継ぎであることを保証して下さるのです(エフェソ1章13,14節)。

 絶えず感謝と賛美をもって歩ませていただきましょう。ハレルヤ!

 主よ、捕囚から戻った人々は、礼拝する民として、主の民に属する者であるか、祭司の系統であるかを尋ねました。今、私たちは御言葉により、神を礼拝する民、祭司の系統に属する者であることが明確にされています。喜びと感謝をもってその務めを果たし、その恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン





5月30日(木)の御言葉 エズラ記1章

「あなたたちの中で主の民に属する者は誰でも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。」 エズラ記1章3節


 主の目に悪を行って神の呪いを受け、バビロン捕囚の憂き目に遭ったイスラエルの人々のために、ペルシア王キュロスから冒頭の言葉の通り(3節)、「主の民に属する者は誰でも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい」という勅令が出ます。

 エズラ記の著者は、これはエレミヤの口によって約束されていたことの成就するため、主なる神がペルシアの王キュロスの心を動かされたのだと言います(1節)。エレミヤ書29章10節に、「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」と告げられていました。

 また、イザヤの預言で、「キュロスに向かって、わたしの牧者、わたしの望みを成就させる者、と言う。エルサレムには、再建される、と言い、神殿には基が置かれる、と言う。主が油を注がれた人キュロスについて、主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない」(イザヤ書44章28節~45章1節)と語られていました。

 捕囚の民とされていたイスラエルの人々は、このキュロス王の言葉をどのように聞いたのでしょう。50年にわたる捕囚生活、奴隷生活の中、どれだけの人が本当に祖国に帰ることが出来ると考えていたでしょうか。

 バビロンに連行されて来たイスラエルの民の中で、主だった者たちは、もう既に天に召されていたのではないでしょうか。10代、20代の若者だった人々も、60過ぎ、70過ぎです。世代交代もかなり進んでいたものと思われます。そのような状況では、祖国に帰ることなど、すっかり諦めていたとしても不思議ではありません。

 しかし、神はイスラエルの人々を奮い立たせます。冒頭の言葉(3節)でキュロスは、「あなたたちの中で主の民に属する者は誰でも」と言っていました。主から離れて久しく、主に捨てられたようになっていたイスラエルの民を、「主の民に属する者」と呼んでいるのです。

 これは、主なる神が、イスラエルの人々をご自分に属する民と呼ばれていることに繋がります。そこに、神の憐れみがあります。神は、ご自分に属する民をサタン、悪魔の手から取り戻したいと思っておられるのです。呼びかけに応えて立ち上がるのを待っておられるのです。

 そこで、キュロスが心動かされたように(1節)、神によって心を動かされた者たちが立ち上がりました(5節)。そこには、バビロンで生まれた若者もいたでしょう。エルサレムがどんなところか、そこにどのような神殿が建っていたのかも知らない者が、神に心動かされて立ち上がったのです。

 神殿は、神の前にいけにえを供え、賛美と祈りをささげて神を礼拝する施設です。神殿を建て直すことは、礼拝する生活を回復するということです。神がキュロスを通じて、エルサレムに神殿を建てることを命じられたということは、神がイスラエルの人々、ご自分の民に属する者と呼ばれる人々を、神を礼拝する者として再び呼び集めておられるわけです。

 今日、私たちは、イエスを主、メシアと信じる信仰を言い表して、キリストの教会を形成しています。「教会」(エクレシア)とは、呼び集められたものという意味です。つまり、私たちはキリストにより、神を礼拝するために呼び集められた者なのです。

 また、私たちは神の神殿、聖霊の宮であると言われています(第一コリント3章16,17節)。神が私たちの心にお住まい下さっているのです。教会は主を礼拝する群れです。主なる神が、霊と真理をもって礼拝する、まことの礼拝者を求めておられるのです(ヨハネ福音書4章23節)。

 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ福音書6章33節)と告げられた主イエスの御言葉に従い、日毎に新しく神のご支配と神との正しい関係を慕い求めて御前に進み、御霊に力づけられ、主イエスと共に歩ませていただきましょう。


 主よ、私たちは御子イエスを信じて神の民とされました。日毎御前に進み、その御言葉に耳を傾け、心から感謝をもって、賛美と祈りをささげます。私たちを、あなたを礼拝する真の礼拝者として整え、日々心の一新により、何が神の御心であるか、何がよいことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを弁えさせて下さい。御心が行われますように。 アーメン








5月29日(水)の御言葉 歴代誌下36章

「こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、この地はついに安息を取り戻した。その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、70年の年月が満ちた。」 歴代誌下36章21節


 ヨシヤの死後、ヨアハズ(1節以下)、ヨヤキム(5節以下)、ヨヤキン(9節以下)、ゼデキヤ(11節以下)と、次々に王がたてられますが、彼らは主の目に悪とされることを行い(5,9,12節)、ついにユダ王国は滅びます(16節以下)。ヨアハズの評価が記されていませんが、列王記下23章32節には、「彼は先祖たちが行ったように、主の目に悪とされることをことごとく行った」と語られています。

 ヨヤキンが王となったのは8歳の時で(9節)、自ら望んで悪を行ったのかどうかよく分かりませんが、父親がしているようにして、悪を行ったとすれば、父がどのような姿をその子に見せるのかということが、とても大切な問題であることが分かります。それが国を治める王であるならば、なおさらです。

 神は最後の最後までイスラエルを憐れみ、繰り返し御使いを送られました(15節)。そうして悔い改めの機会をお与えになったのですが、彼らは神の御使いを嘲笑し、預言者を愚弄したのです(16節)。

 そこで、カルデア人が攻め込み、多くの者を剣で殺しました(17節)。神殿の祭具や宝物がすべて奪われ(18節)、神殿は火で焼かれ、エルサレムの城壁は崩されました(19節)。剣を免れた者は、捕囚としてバビロンに引いて行かれました(20節)。これで、400年に及んだダビデ王朝に幕が下ろされたのです。

 冒頭の言葉(21節)で、「主がエレミヤの口を通して告げられた言葉」というのは、「お前たちがわたしの言葉に聞き従わなかったので、見よ、わたしはわたしの僕バビロンの王ネブカドレツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる、と主は言われる」(エレミヤ書25章8,9節)という預言でしょう。

 この預言が実現して、「この地は全く廃墟となり、人の驚くところとなる。これらの民はバビロンの王に七十年の間仕える」(同11節)ということになったのです。エレミヤが出したイエローカード(警告)を無視したため、ピッチ(約束の地)を退場(捕囚)させられたのです。

 また、「この地はついに安息を取り戻した」と記されているのは、ダビデ以降、イスラエルの王と民が主に背き続けた結果、地は汚され続け、呪われ続けていたということです。そして、イスラエル王国が滅亡し,ダビデ王朝が倒された結果、地を汚す者、地に呪いをもたらす者がいなくなったので、約束の地は安息を取り戻したと言われているのです。

 「70年の年月が満ちた」というのは、「70」が完全数の7と10を掛け合わせた象徴的な数字で、完全な安息、完全な更新を意味しているということが出来ます。即ち、神がその地に完全な安息を与え、そしてそこに新しい国を築かれるということです。

 実際には、エルサレムの都が陥落し、民が捕囚となったのがBC587年頃、そして、ペルシャのキュロス王による解放がBC538年頃ですから、捕囚期間は50年というのが正確なところです。これはちょうどヨベルの年にあたります(レビ記25章8節以下参照)。

 レビ記の規定によれば、同胞から買い取った土地や奴隷は、50年たてばもとの持ち主に返さなければなりませんでした(同13節以下)。神に背いて地を汚し、バビロンの奴隷とされたイスラエルの民でしたが、彼らは、ヨベルの年に神の憐れみによって、再び約束の地に帰還することを許されたわけです。

 そして、そのことも、予め預言者エレミヤの口を通して主が告げておられたことでした(22節、エレミヤ書29章10節以下)。「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」と言われますが(箴言19章21節)、主が告げておられたとおりにイスラエルが滅び、そして主が告げられていたとおりに国を建て直すことになりました。それは、まず神の神殿を築くことです。

 私たちは、心に主を住まわせている神の宮です(第一コリント書3章16,17節、6章19,20節。主によって心に真の安息を頂き、祈りを捧げましょう。


 主よ、私たちと常に共におられ、希望と平安をお与え下さる主に、心から賛美と感謝の祈りをささげます。全世界に主の安息が与えられますように。 アーメン






5月28日(火)の御言葉 歴代誌下35章

「しかし、ヨシヤは引き返さず、攻撃のために変装して、神の口から出たネコの言葉を聞かなかった。そして彼はメギド平野の戦いに臨んだ。」 歴代誌下35章22節


 ヨシヤ王がエルサレムで過越祭を祝い、律法の定めに従って(レビ記23章5節、申命記16章1節以下)、第一の月の14日に過越のいけにえを屠ります(1節)。ヨシヤは祭司、レビ人を励まし、神殿の奉仕を行わせます(2節以下)。そして、ヨシヤが羊、小羊、子山羊を3万匹、牛を三千頭提供したほか(7節)、政府高官や祭司、レビの指導者たちも、それぞれ多数のいけにえを提供しました(8,9節)。

 準備が整っていけにえが屠られ、律法に従って献げ物が主にささげられ、他の聖なるものは鎌や平鍋で煮られてすべての民に配られました(10節以下、13節)。そうして、イスラエルの民は過越祭を祝い、続く七日間、除酵祭を祝いました(17節)。歴代誌の記者は、ヨシヤが祝ったような過越祭を行った者は、イスラエルの歴代の王の中一人もいなかったと評しています(18節)。

 そして、「この過越祭はヨシヤ王の治世第18年に祝われた」と注記しています(19節)。治世第18年は、神殿の修理中に主の律法の書を見つけたという年です(34章8,14節以下)。ヨシヤは主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されている契約の言葉を実行することを誓っていましたので(同31節)、早速その誓いを、過越祭の実施において守ったかたちです。

 ただ、1月14日に行われる過越祭と、律法の書発見、どちらが先だったのか、はっきりしません。もしかすると、過越祭の方が早かったのかも知れません。であれば、神の救いの御業を喜び祝う信仰が主を喜ばせ、それで律法の書を見つけさせて下さったということになります。

 過越祭は、出エジプトにおける神の救いの御業を記念するものですが、ヨシヤがそれを心を込めて祝ったのは、律法の規定によるということだけでなく、今も神の救いの御業を味わうことが出来ると信じているからでしょう。捕囚後に著わされた歴代誌が、ヒゼキヤやヨシヤによる過越祭を記しているのも(30章、35章)、バビロンからの解放を第二の出エジプトの出来事と考えていることを示しています。

 そのように熱心に、徹底的に主に従う道を歩んで右にも左にもそれることがなかったヨシヤですが(34章33節)、その治世31年目に思いがけないことが起こりました。エジプト軍がイスラエルを通過しようとしたときのことです。

 当時、北イスラエルを滅ぼしたアッシリア帝国の力が弱り、ヨシヤは、ほぼソロモン時代の国土を回復することが出来ました。さらに、新興のバビロニアがアッシリアに迫り、ユーフラテス川上流のカルケミシュまで追い詰めていました。エジプト軍は、アッシリアを救援するためにカルケミシュに急行しようとしていたのです(20節)。

 ヨシヤはそれを迎え撃とうと出て行きました。北イスラエルを滅ぼした憎きアッシリアをエジプトが救援することは許し難いという思いだったのではないでしょうか。あるいは、アッシリアの国力が弱って国土を回復出来たことがヨシヤの自信となり、あるいは過信となっていたのかも知れません。

 エジプトの王ネコは、「今日攻めて来たのはあなたに対してではなく、わたしが敵とする家に対してである。神はわたしに急ぐようにと命じられた。わたしと共にいる神に逆らわずにいなさい。さもなければ、神はあなたを滅ぼされる」と言いました(21節)。

 しかし、主の律法の書が見つかったときに主の御旨を求めて預言者に尋ねたヨシヤですが、このときネコを通して語られる神の御言葉には耳を傾けることが出来なくなっていました(22節)。そして、告げられたとおり、ヨシヤは滅びを刈り取ってしまったのです(23,24節)。

 「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」と、主は言われます(黙示録2章10節)。ヨシヤの生前の善行が神に忘れられることはありませんが、しかし、授けられる命の冠に傷をつけたのではないでしょうか。

 絶えず神の前に謙り、主を求めて御言葉に従う者としていただきましょう。


 主よ、私たちもヨシヤの高慢の罪と無縁ではありません。常に主を畏れ、謙って主の御言葉に耳を傾けることが出来ますように。いつも主を喜び、絶えず主に祈り、どんなことも主に感謝する信仰に歩ませて下さい。 アーメン




5月27日(月)の御言葉 歴代誌下34章

「あなたはこの所とその住民についての主の言葉を聞いて心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。」 歴代誌下34章27節


 マナセに代わって王となったアモンは、父と同じように主の目に悪とされることを行って罪悪を積み重ね、なんと、家臣たちの謀反によって殺害されてしまいました。そこでユダの民は、謀反を起こした者たちを討ち、アモンの子ヨシヤを王とします(33章21節以下)。

 ヨシヤは王となったとき、8歳であったとされます(1節)。父アモンは22歳で王となり、即位2年で暗殺されたので、ヨシヤがすぐに王位に就いたとすると、彼は父アモンの16歳の時の子ということになります。ただ、民がクーデター政権を倒し、ヨシヤを王として即位させるには、ある程度の時間が必要で、あるいはそれに数年を要したかも知れません。そうすると、ヨシヤが生まれたときのアモンの年齢はもう少し進んでいることになります。

 そして、8歳の王子に国が治められるはずもありません。ヨシヤが自ら、「父祖ダビデの神を求めることを始め」た治世第8年(3節)までは、祭司ヒルキヤや書記官シャファン、あるいはまたクーデター政権を倒すのに力あった者たちが、幼いヨシヤを補佐していたのでしょう。そして、その指導が実を結び、ヨシヤは自分で主を求める者となりました。

 治世第12年、20歳になったヨシヤは、国内の異教の偶像をすべて取り除き、ユダのみならずイスラエルの各地方まで、国中を清め始めます(3節以下)。6年後の第18年には、エルサレムと神殿を清め、祖父マナセ、父アモンの時代に荒らされた神殿を修理し始めたということですから(8節以下)、偶像を取り除き、異教礼拝を排除するのに6年を要したわけです。それだけ、国中に偶像礼拝がはびこっていたことになります。

 神殿修復のため、寄せられた献金を取り出していたとき、祭司ヒルキヤがモーセによる主の律法の書を見つけました(14節)。それは、申命記の巻物だろうと考えられています。見つけたと言われるのですから、契約の箱の傍らに置かれているはずの律法の書を紛失していたということになります(申命記31章26節)。

 見つけられた律法の書は、すぐにヨシヤのもとにもたらされ(16節)、王の前で読み上げられました(19節)。律法の言葉を聞いたヨシヤは、衣を裂いて悔い改めの姿勢を表します(19節)。この様子を見ると、律法の書の朗読を初めて聞いているようですから、王の手もとにあるはずの律法の書の写しも(申命記17章18,19節参照)、いつしか失われていたようです。あるいは、主に背を向けた王によって、廃棄されたのかも知れません。

 ヨシヤはさらに、主の御旨を求めて女預言者フルダのもとに祭司らを遣わします(21,22節)。フルダは当時有名な主の預言者だったと思われます。後に神殿城壁の南の門がフルダの名前で呼ばれていることからも、その事実を確認することが出来るでしょう。

 フルダは、主の律法の書に記された災いと呪いがユダとその住民に臨むと明言しましたが(24,25節)、主の御旨を求めて謙っているヨシヤは、その災いを見ることはないと語っています(28節)。主の律法の書が見つかったことで、神の裁きが明示される結果となりましたが、ヨシヤはそれを悔い改めの時となし、神はその祈りを聞かれたのです。つまり、神は、ヨシヤを悔い改めに導くために律法の書を見つけさせたのではないでしょうか。

 であれば、ヨシヤ一人が謙って主を求めても、主の御心を変えて災いが降るのを中止させることは出来ない相談だったわけです。けれども、ヨシヤに次ぐ王たちが皆、ヨシヤと同じように心から主を求め、律法の言葉に従って歩もうとすれば、彼らも、その災いを見ることはないとされたでしょう。

 そうすれば、結果的に主が災いを下すのを思い返されることになったでしょう。神はイスラエルを滅ぼしたかったのではありません。民が悔い改めの実を結ぶのを待っておられるのです。悔い改めとは、正しく主の方に向き直ること、その御顔を拝し、主の御言葉に耳を傾けることです。

 私たちも、日毎聖書を開き、祈る恵みに導かれています。すべてを主に委ね、御言葉に聴き従いましょう。

 主よ、あなたのなさることは最善です。主に信頼し、御言葉に従って歩みます。弱い私たちを助け、道を踏み外すことのないように、誘惑に遭わせず、悪しき者からお救い下さい。主の守りと導きが常に豊かにありますように。 アーメン



5月26日(日)の御言葉 歴代誌下33章

「マナセは12歳で王となり、55年間エルサレムで王位にあった。彼は主がイスラエル人の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣い、主の目に悪とされることを行った。」 歴代誌下33章1節


 ヒゼキヤに代わり、12歳で王となったマナセは、55年間王位にありました(1節、列王記下21章1節)。イスラエル史上最長の統治期間です。その意味では、国内が最も安定した時期ということが出来ますし、マナセには、それなりの政治手腕があったものと思われます。

 ただし、父ヒゼキヤとは異なり、マナセは異教の忌むべき慣習に倣い、主の目に悪とされることを行ったと言われます(2節)。バアルの祭壇を築き、アシェラ像を造ったことをはじめ(3節)、神殿の中に異教の祭壇を築いたり(4節)、自分の子らをベン・ヒノムの谷で火の中を通らせ、占いやまじないを行うなどのことは(6節)、それは祖父アハズにも勝るものでした(28章2節以下)。

 12歳での即位で、自ら父祖ダビデに背く道を選んだとは考えにくく、マナセの摂政らが主の道に背くように唆したのではないでしょうか。マナセの摂政となったのは、ヒゼキヤの重臣でしょう。父王の施政を引き継ぐように、その子を指導するものと思われますが、ヒゼキヤの晩年は、必ずしも神を求めるに熱心であったとは言えず、むしろ思い上がって道を踏み外していました(32章25,31節)。

 マナセは父親に、どのような生活態度を学んだのでしょうか。ヒゼキヤは息子に何を教えたのでしょうか。列王記下20章によれば、ヒゼキヤの思い上がりを預言者イザヤが指摘し、彼が誇って見せた財産をバビロンに奪われ、王子たちの中には奴隷となり、去勢させられる者もあると告げられたとき、自分の身に起こるのでなければよいと考えて、「主の言葉はありがたいものです」と答えています(同20章19節)。

 善政を敷いたヒゼキヤの言葉とも思えませんが、人は思い上がって変節するものであると悟らされます。そのようなヒゼキヤの身勝手な思いを聞かされると、マナセでなくとも、父を尊敬して正しく道を歩こうと考える者はいないのではないでしょうか。マナセはむしろ、父とは真反対の、徹底して主に背く道を選び、突き進みました。その徹底ぶりは、北イスラエルのアハブに並ぶ悪行と言うべきでしょう(列王記上16章29節以下)。

 神は、イスラエルを正しい道に戻そうとして、マナセとその民に語りかけられますが、彼らはそれに耳を貸そうともしません(10節)。そこで主はアッシリアにマナセを委ね、バビロンに引いて行かせます(11節)。この記事は、列王記には出て来ませんが、まさに、イザヤやヒゼキヤに告げた預言の通りになったわけです(列王下20章17,18節)。

 マナセはこの苦しみの中で罪を悔い改め、謙って主を求めました(12節)。そこで主はマナセの祈りを聞かれ、解放されてエルサレムに戻ることが出来ました(13節)。捕囚となったことと同様、マナセが悔い改めたという話も、列王記には出て来ません。

 どれほどの期間、マナセが捕囚の身であったのかは不明ですが、それほど長い期間ではなかったでしょう。そして、彼の治世が55年であったというのは、彼の善政のゆえでは勿論なく、神がマナセを悔い改めさせ、謙らせるために憐れみと忍耐をもって導かれた期間だったのです。

 こうしてマナセは、主が神であることを悟り(13節)、すべての偶像を取り除き、異教の祭壇も町の外に投げ捨てて、主の祭壇を築き直し、その上で和解と感謝の献げ物をささげ、民にイスラエルの神、主に仕えるように命じました(15,16節)。

 これこそ、主が望まれたものです。神の求めるいけにえは、打ち砕かれた心です。主は、悔いた心を軽しめられません(詩編51編19節)。主は打ち砕かれて謙る霊の人と共におられ、命を得させられます(イザヤ書57章15節)。主は、マナセのような徹底的に悪を行う者をさえ憐れみ、御名のゆえに正しい道に導いて下さいます。

 このような憐れみ豊かな神であればこそ、これまた徹底的にクリスチャンを迫害し、教会を荒らし回ったパウロも、赦されてキリストを信じ、その福音を告げ知らせる者に変えられたのです(使徒言行録9章、第一テモテ1章12節以下)。私たちも主の前に謙り、絶えず主の御言葉に聴き従う者とならせていただきましょう。

 主よ、この世を憐れんで下さい。主の前に謙ってその御言葉に耳を傾け、平和の源なる主の御旨を実現するため、争いをやめ、共に平和を構築するテーブルに就き、共に生きることが出来ますように。人と人との間に主がお立ち下さり、あらゆる隔ての壁を取り除き、主にあって一つとなることが出来ますように。 アーメン





5月25日(土)の御言葉 歴代誌下32章

「『敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる』。民はユダの王ヒゼキヤの言葉に力づけられた。」 歴代誌下32章8節


 ヒゼキヤが神を求めて始めたすべての事業を成し遂げたとき(31章21節)、アッシリアの王センナケリブがユダに攻め上って来ました(1節)。歴代誌には記述がありませんが、アッシリアは既に北イスラエルを攻め滅ぼしており(列王記下17章参照)、圧倒的な軍事力を背景としてユダの町々を攻め落とし、エルサレムに迫って来ます。

 父アハズの代に、アラム・北イスラエル連合軍の攻撃を受けた際、アッシリアの王ティグラトピレセルに貢ぎして救援を求めて以来、主従の関係が生まれていましたが(同16章5節以下)、ヒゼキヤは、アッシリアの王の代替わりを契機に、服従することをやめたのです(同18章7節)。

 センナケリブは使者を遣わし(9節)、「ヒゼキヤに欺かれ、そそのかされてはならない。彼を信じてはならない。どの民、どの国のどの神も、わたしの手から、またわたしの先祖の手からその民を救うことができなかった。お前たちの神も,このわたしの手からお前たちを救い出すことはできない」と言わせました(10節以下、15節)。あからさまな挑発、主なる神への挑戦です。

 しかし、ユダの人々はこれに何ら答えません(列王下18章36節参照)。答えることが出来ないほど怯え、震え上がっていたという観測もあるかも知れませんが、ヒゼキヤによって主なる神を信じる信仰を生活に根付かせるようにされていたので(6~8節、31章20,21節)、神を嘲るセンナケリブの言葉に動揺することがなかったのだと思います。

 ヒゼキヤは、「強く雄々しくあれ、恐れてはならない、おじけてはならない」と言いました(7節)。その根拠は、「我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い」ことであり(7節)、そして、冒頭の言葉(8節)にあるとおり、「敵には人の力しかないが、我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦って下さる」ということです。

 5節に、「意欲的に」と訳されているのは、「強くあれ」(ハーザク)と同じ言葉の再帰動詞(直訳すると「自分自身を強くする」)です。そもそも、ヒゼキヤという名前も同じ言葉で、「主は強めたもう」という意味です。主に信頼して強くされたヒゼキヤが、主に信頼して強くあれと民に命じていたわけです。

 センナケリブは、イスラエルの神に対してアッシリアの神の名で戦っているというのではなく、自分の手、自分たちの力で行って来たと繰り返し語っていました(13節以下)。それに対するヒゼキヤは、自分の手、自分たちの力で立ち向かうのではなく、主なる神に祈り、天に助けを求めて叫ぶのです(20節)。

 このとき、預言者であるアモツの子イザヤも、ヒゼキヤ王と共に祈っているようです。それはしかし、列王下19章、イザヤ書37章によれば、ヒゼキヤから祈りの要請を受けて、イザヤが神の託宣を求めたということでしょう。

 神はこの祈りに答え、御使いを遣わし、アッシリア軍を全滅させられました(21節)。完全に面目を失ってしまったセンナケリブは、傷心の内に帰国しました。そして、神殿に来たところを、王子たちの謀反で殺されてしまいます(21節)。

 神に頼らずに、自分の手、自分たちの力を過信していたセンナケリブが思い上がって、「お前たちの神は、わたしの手からその民を救うことができるというのか」と語っていましたが(14節)、その彼が神殿で殺されるというのは、なんという皮肉なことでしょうか。

 神殿に詣でたのは、心の傷を癒し、再び立ち上がり、イスラエルに報復する力を神に求めようとしていたのでしょうけれども、彼が嘲ったイスラエルの神は、イスラエルをアッシリアの手から救いましたが、イスラエルの神を嘲ったセンナケリブは、自分の拝む神の助けを得られず、その上、自分の子らに殺されてしまったのです。

 「我々と共においでになる方は、敵と共にいる者より力強い。・・我々には我々の神、主がいて助けとなり、我々のために戦ってくださる」(7,8節)と語ったヒゼキヤの言葉を、日々、心に響かせて歩みたいと思います。

 主よ、憲法改正論議に加え、慰安婦問題に関する政治家の発言、尖閣諸島を巡る日中のせめぎ合い、北朝鮮の核ミサイル問題などで国内外が揺れています。国の主権を保ちつつ、関係諸国との信頼関係を確固たるものとしていくことが出来ますように。国際的な問題を武力で解決するのではなく、平和に話し合いが出来ますように。共にキリストの十字架を仰がせて下さい。御旨が行われますように。 アーメン






5月24日(金)の御言葉 歴代誌下31章

「彼は神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げた。」 歴代誌下31章21節

 ヒゼキヤは、祭司とレビ人の組分けを行い、組ごとにその任務に従って献げ物をささげ、感謝し、賛美しながら奉仕するように定めました(2節)。ヒゼキヤの身の上にこれまで何があり、どのような神の恵みを味わってきたのか、詳しいことはよく分かりません。

 父アハズは、「父祖ダビデと異なり、主の目にかなう正しいことを行わなかった」(28章1節)と評される人物であり、それゆえでしょうが、アハズが召されて葬られるとき、「その遺体はイスラエルの王の墓には入れられなかった」と言われます(28章27節)。

 アハズの王位は16年で(同1節)、ヒゼキヤは25歳で王となりましたから(29章1節)、9歳から即位するまでの間、徹底して主なる神に背く父のもとで、ユダの王として働く父アハズの様子を見ていたわけです。ヒゼキヤが、父祖ダビデのように正しいことをことごとく行ったということは、父親を反面教師として育ったということになります。

 そして、そのように歩む中で神の恵みを味わったからこそ、喜んで主に従っているのでしょう。そして、主を求め、主に従う喜び、さらなる恵みを味わっているのでしょう。だからこそ、神殿では、感謝し、賛美しながら奉仕するように定めたのです。

 ネヘミヤが、「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と言っています(ネヘミヤ記8章10節)。感謝しながら力を得て奉仕し、それによってさらなる恵みを得て喜ぶのです。

 20節にも、「ヒゼキヤは自分の神、主の御前に良い事、正しい事、真実な事を行った」と記されていますが、主の御前に良い事、ただしい事、真実な事として、彼は何をしたのでしょうか。それはまず、祭司とレビ人を聖別して神殿を清めること(29章)、次いで、全国規模の過越祭を行うこと(30章)、それから、偶像を徹底的に取り除いたということです(1節)。

 更に、ヒゼキヤは自分の財産から主への献げ物をささげ(3節)、エルサレムに住む民には、祭司、レビ人の受けるべき分として、産物の十分の一を献げさせました(4節以下)。それは祭司、レビ人が主の律法のことに専念するためです。

 すると、イスラエルの民は、穀物、ぶどう酒、油、蜜など、畑のあらゆる産物の初物、あらゆる物の十分の一(5節)、また牛と羊の十分の一、主のために聖別された物の十分の一を運んで来ました(6節)。

 そうしてヒゼキヤは、冒頭の言葉(21節)の通り、「神殿における奉仕について、また律法と戒めについて、神を求めて始めたすべての事業を、心を尽くして進め、成し遂げ」ました(21節)。これは、そういうことを行ったことがあるという程度ではなく、主なる神を信じてその教え、戒めに従うことが人々の生活に根付くように、繰り返し、徹底して行わせたという意味ではないでしょうか。

 ヘブライ語の「成し遂げた」(ツァーラー)という言葉には、「成功する、繁栄する」という意味がありますから、このようなヒゼキヤの働きが豊かに実を結び、人々の生活が祝福を受けたということが出来るでしょう。

 私たちも主の恵みに豊かに与るため、信仰を生活の中にしっかりと根付かせましょう。神の御言葉に従い得ない不信仰、不従順で頑なな心、恵みを奪おうとする一切の悪しきものを除き去りましょう。私たちのために最善をなし、一切の必要を豊かに満たして下さる主に、感謝と喜びをもって10分の一と感謝の献げ物をささげましょう(マラキ3章8,10節参照)。神を求めて始めたすべてのことを、心を尽くして進めましょう。

 主が成し遂げさせて下さいます。成功させて下さいます。繁栄させて下さいます。パウロが、「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げて下さると、わたしは確信しています」と記しているとおりです(フィリピ1章6節)。

 主よ、私たちが知る力と見抜く力を身に着けて、私たちの愛が益々豊かになり、本当に重要な事を見分けられますように。そしてキリストの日に備えて、清い者、咎められることのない者となり、主イエスによって与えられる義の実を溢れるほどに受けて、神の栄光と誉れを讃えることが出来ますように。 アーメン




5月23日(木)の御言葉 歴代誌下30章

「祭司たちとレビ人は立ち上がって、民を祝福した。その声は聞き届けられ、その祈りは主の聖なる住まい、天にまで達した。」 歴代誌下30章27節


 25歳で王となったヒゼキヤは(29章1節)、祭司やレビ人らを集めて神殿を清めると(同4節以下)、イスラエルとユダの全地に使者を送り、エルサレムの主の神殿に来て、イスラエルの神、主のために過越祭を行うように呼びかけました(1,5節)。それは、ヒゼキヤが南ユダのみならず、ベエル・シェバ(南)からダン(北)に至るまでの全イスラエルで過越祭を守りたいと願ったからです。

 けれども、長い間主の戒め、教えに従わず、以前からの風習に従っていたイスラエルの人々は、「イスラエルの神、主に立ち帰れ。そうすれば主は、アッシリアの王の手を免れて生き残った人々、あなたたちに帰ってくださる」(6節以下)とのヒゼキヤの呼びかけを冷笑し、嘲りました(10節)。彼らは神に立ち帰るチャンスを、自ら棒に振ったのです。

 ただ、アシェル、マナセ、ゼブルンから、謙虚になってエルサレムに来る人々もいました(11節)。そして、ユダの人々は神の御手に導かれて心を一つにし、王の命令を実行に移しました(12節)。

 列王記には、ヒゼキヤがこのような過越祭を祝ったという記述はありませんでした。これは、歴代誌の著者が、列王記の著者が知らなかった記事を独自に入手していたということでしょうか。

 過越祭は、エジプトから解放された神の御業を喜び祝う祭です。そして、歴代誌は、バビロン捕囚後に執筆編集された書物です。歴代誌の著者は、この記事を通して、捕囚からの帰還民に、捕囚の苦難から解放された感謝を込めて、主を喜び祝う過越祭を祝うよう、主に立ち帰れと呼びかけていると解することも出来ます。

 通常、過越祭は第一の月の14日の夕暮れに各家庭で行われます(出エジプト記12章2,6,14節、レビ記23章5節など)。しかし、このときは、エルサレムの主の神殿で行おうということで、自分を聖別した祭司の数が十分でなく、民が集まるにも時間がかかるため、一ヶ月遅れの過越祭になりました(2,3節)。それでも、多くの民がエルサレムに集まり、大群衆で盛大に祝います(13節)。

 「民の大多数、エフライム、マナセ、イサカル、ゼブルンの多数の者が身を清めていなかった。それにもかかわらず、彼らは記されていることに違反して、過越のいけにえを食べたので」と、18節には記されていますが、過越の規定の中に、身を清めてから食事しなければならないという規則を見つけることが出来ません。

 出エジプト記12章48節に、「無割礼の者は、だれもこれを食べることができない」という規定があり、あるいは、北イスラエル諸部族の民は、長い間、主を離れていたので、無割礼の者と見なされたということでしょうか。

 けれども、ヒゼキヤが主の赦しを乞い、「彼らは聖所の清めの規定には従いませんでしたが、神、先祖の神、主を求めようと決意しているのです」と執り成して(18,19節)、主もそれを聞き入れられました(20節)。これは、清めの規定に従わなくてよいということではありませんが、主を求め、主の救いの御業を喜び祝うことが、清めの規定に従うことに勝って重要なのだというメッセージでしょう。

 通常の七日間の祭りが終わった後、彼らはさらに七日間、祭りを喜び祝いました(23節)。そこでは、長い間忘れていた神を喜ぶ心が再び燃え上がっているのでしょう。全会衆が熱く燃える心で主を求めているのでしょう。この祭りのためにヒゼキヤ王と高官たちは、会衆に大量の贈り物をしました(24節)。また祭司やレビ人たちは、会衆の燃える心に触発されて民を祝福します。

 この祝福の声が聞き届けられ、祈りは主の聖なる住まい、天にまで達しました(27節)。それほどの大声を出したということではありません。天が彼らのそばに来たのです。主に立ち帰れば、主は私たちのもとに帰って来られると言われているとおりです(6,9節)。

 私たちも主を熱く求めましょう。いつも心を主に向けましょう。主に向かって感謝のいけにえ、賛美のいけにえをささげましょう。

 主よ、違いを超えて共に喜ぶのはとても困難です。今後、竹島や尖閣諸島の問題を平和裏に解決出来るでしょうか。北方4島の返還交渉はいかように進められるのでしょうか。拉致被害者を取り戻すには、どうしたらよいのでしょうか。人には出来ないことも、主よ、あなたには出来ます。どうぞ解決を与えて下さい。共に手を取り合うことが出来ますように。そうして、主の御名を崇めさせて下さい。 アーメン





5月22日(水)の御言葉 歴代誌下29章

「今わたしは、イスラエルの神、主と契約を結ぶつもりである。そうすれば、主の怒りの炎がわたしたちから離れるであろう。」 歴代誌下29章10節


 アハズに代わって、その子ヒゼキヤが王となります(28章27節)。ヒゼキヤの父アハズは、20歳で王となり、16年間王位にあったというので、36歳で亡くなったことになります(28章1節、列王記下16章2節)。ヒゼキヤは、アハズの死後、25歳で王位に就いたということですから(1節)、アハズ12歳の時の子どもということになります。このことについて、註解書などは全く注目していないので、真偽のほどは定かではありません。

 ヒゼキヤは、父祖ダビデのように、主の目にかなう正しいことをことごとく行います(2節)。即位してまず神殿の修理を行い(3節)、祭司とレビ人を集めて(4節)、「今、自分を聖別し、先祖の神、主の神殿を聖別せよ。聖所から汚れを取り去れ」と命じ(5節)、そして、冒頭の言葉(10節)のとおり、「今わたしは、イスラエルの神、主と契約を結ぶつもりである」と宣言します。

 父アハズの時代、民は主の神殿に背を向け、その扉は閉じられたままでした(6,7節)。アハズは、近隣諸国との戦争に敗れて捕虜と戦利品を持ち去られたとき、主なる神の御前に謙ることをせず、助けを呼ぼうともせず、かえって、「アラムの王の神々は、王を助けている。その神々に、わたしもいけにえをささげよう。そうすればわたしも助けてくれるだろう」といって、ダマスコの神々に礼拝をささげ、その助けを求めました(28書23節)。

 つまり、主なる神は頼むに足りずと考えたのでしょう。だから、神殿の祭具を粉々に砕き、主の神殿の扉を閉じてしまったのです(同24節)。しかるに、アハズの子ヒゼキヤは、先祖たちが大変な悲劇に見舞われたのは、主なる神に不忠実で、主の目に悪とされることを行っていたからだということを、はっきり悟っていました(6節)。

 その結果、「主はあなたたちがその目で見たように、ユダとエルサレムに対して怒り、彼らを人々の恐れと驚きと嘲りの的とされた。見よ、わたしたちの先祖はそのために剣に倒れ、息子も、娘も、妻も、捕虜にされた」というのは(9節)、ここでは、北イスラエルの捕虜となったことを指しているのでしょうけれども(28章8節)、読者には、ユダの王や民の度重なる背信の故に被ったバビロン捕囚の苦しみのことを思い起こさせているようです。

 ヒゼキヤが神殿の扉を開いたのは、「その治世の第一年の第一の月」です(1節)。まるで、王になったら宮清めを実行しようと考えていて、そのときを待ちかねたかのようです。ヒゼキヤは直ちに神殿の扉を開いて修理に取りかかり、レビ人に、「わが子らよ、今このとき怠けていてはならない。主があなたたちをお選びになったのは、あなたたちが御前に出て主に仕え、主に仕える者として香をたくためである」(11節)と、檄を飛ばしています。

 即ち、この世の習慣や父の悪行に倣わず、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえ、行動に移したのです(ローマ12章2節)。

 ところで、アハズによって神殿の扉が閉ざされてからこれまで、祭司やレビ人たちは、どこで何をしていたのでしょうか。主の神殿を閉め出されて、日がな一日、ぼんやりと過ごしていたのでしょうか。あるいは、日毎の糧を得るため、アルバイトに汗を流していたのでしょうか。

 よくは分かりませんが、ヒゼキヤの、「今わたしは、イスラエルの神、主と契約を結ぶつもりである」という宣言は、祭司やレビ人たちに、同様に主なる神と契約を結び、主に仕える意志があるかどうかを確認しているわけです。

 レビ人は立ち上がって自分を聖別しました(12節以下、15節)。「第一の月の一日に、彼らは聖別を始め」というのですから(17節)、彼ら自身、アハズによって閉じられた神殿の務めが再開されるのを、一日千秋の思いで待っていたのではないでしょうか。だから、王に言われたその日に宮清めを開始することが出来たわけです。

 34節には、「レビ人は自分を聖別することについて祭司たちよりも忠実だった」と記されています。祭司たちの中には、アハズと共にダマスコの神を礼拝することに係わった者がいた、あるいは、その方がよいと考える者もいたということなのかも知れませんね。

 私たちも、主の目に適う正しいことを行ったヒゼキヤのように、そして、御言葉に直ちに従ったレビ人のように、いつも主を待ち望み、主に聴き従う心を持ち、常に主を喜び称える者でありたいと思います。

 主よ、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する心をお与え下さい。聖霊様、私たちの心をあなたでいっぱいに満たして下さい。アーメン!



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