風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2013年03月

3月21日(木)の御言葉 列王記下21章

「わたしはわが嗣業の残りの者を見捨て、敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となり、略奪の的となる。」 列王記下21章14節


 ヒゼキヤの子マナセが、12歳で王になりました(1節)。彼は、父が廃した聖なる高台を再建し、イスラエルの王アハブが行ったようにバアルの祭壇を築き、アシェラ像を造りました。(3節)。神殿の庭に天の万象のための祭壇を築き(5節)、アシェラの彫像を造って神殿に安置しました(7節)。自分の子に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、口寄せや霊媒を用いました(6節)。

 ヒゼキヤは、主に信頼すること、ユダの中で最高であったと言われます(18章5~6節)。しかし、マナセは父に倣わず、誰よりも主の目に悪とされることを行ったと言われるイスラエルの王アハブ(列王記上16章30節)に倣います。マナセがそのように、父親とは正反対の、最悪の道を選んだのはなぜでしょうか。

 ヒゼキヤは、死の病が癒され、寿命を15年延長してもらいました(20章6節)。ヒゼキヤが死んで、マナセが王位についたのが12歳だったのですから、ヒゼキヤの死の病が癒されて、その3年後にマナセが生まれたことになります。ヒゼキヤが癒されないまま天に召されていれば、マナセが生まれて来ることはなかったわけです。

 ですから、ヒゼキヤが神の恵みに感謝する生活をし、そして、神がいかに恵み深いお方であるかを、繰り返し語り聞かせていれば、マナセが神に背く道を歩むようにはならなかったのではないでしょうか。

 しかしながら、残念なことに父ヒゼキヤは、神の恵みを自分の働きに対する報酬であるかのように思い違いをしているような者であり、それを指摘、断罪されても、自分の身に起こるのでなければ結構だと、子孫のことなど何とも思っていないかのような独善的な言葉を語っています(19節)。

 子どものことを何とも思わない父親がいるとは思いませんが、もし、そうであるならば、マナセが最善と言われたヒゼキヤに倣わず、最悪とされるアハブに倣う気持ちが分かるような気がします。子孫が酷い目にあっても何とも思わない、自分さえよければ結構というヒゼキヤを、父として尊敬することが出来るでしょうか。その生き方に倣いたいと思うでしょうか。むしろ、徹底的に反発し、反逆するでしょう。

 また、12歳のマナセには摂政がいたと思われますが、彼がマナセにブレーキをかけたような様子は見当りません。想像をたくましくすれば、ユダ王国に、父王ヒゼキヤに倣い、バビロンとの協調路線で行こうというグループと、当時の最強国アッシリアに従うべきだと考えるグループとがあって、後者に軍配が上がり、アッシリアの政策によって、異邦の偶像が持ち込まれたのではないでしょうか。

 また、ユダの民も主に従わず、「マナセに惑わされて、主がイスラエルの人々の前で滅ぼされた諸国の民よりもさらに悪い事を行った」(9節)というのですから、王国全体が滅びに向かって動き出してしまったようです。

 勿論、それでは幸福になれません。親に反発し、主に背く道を進みながら、神の恵みを味わうことは不可能です。歴代誌下33章11節によれば、アッシリアがエルサレムを攻め、マナセを捕らえてバビロンに連れて行きました。イザヤが、冒頭の言葉(14節)で告げた預言のとおりです。

 マナセは、そのような苦悩を経験して、彼は主に悔い改めの祈りをささげました(同12,13節)。神はその祈りを聞かれ、マナセをエルサレムに戻されました。その恵みを味わって、マナセ自身も、主が神であることを知ったのです。

 「味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は」(詩編34編9節)。

 主なる神は、御前に謙り、悔い改める人の傍らにいて、その苦しみから救って下さいます(同34編19節、51編19節)。こうしてマナセはその罪を離れて神に立ち帰り、異国の神々と偶像を取り除き、主の祭壇を築いて和解と感謝の献げ物をささげ、ユダの民に主に仕えるように命じたので、結局、誰よりも長く55年(1節)という治世を全うすることが出来たのです。

 私たちも、絶えず主の前に謙り、御言葉に聴き従いましょう。神は私たちの歩みを守り、支えて下さいます。

 主よ、あなたの慈しみに感謝し、御名をほめ讃えます。マナセをさえ憐れみ、悔い改めたマナセに祝福を返されました。慈しみの御手の下に身を寄せ、御言葉に耳を傾けます。祝福が常に豊かにありますように。 アーメン



連合研修会・総会

3月19日(火)~20日(水)、鹿児島県霧島市の国分教会において、南九州地方連合の研修会・総会が開催されました。今回の研修は、タイ宣教師の日高義彦先生、龍子先生をお迎えして、タイの宣教報告と、「日本人宣教師の目から見たタイの教会」と題する講演を伺いました。

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司会の徳渕先生(連合教会教育部主事・児湯教会牧師)、会衆賛美でギターを弾くマウマウタン先生(連合事務局・国分教会牧師)


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左・日高龍子先生、右・日高義彦先生

タイ・バプテスト連盟は昨年、結成60周年を迎えられたそうですが、ここ10年ほどで、30の教会が50になったと、公式に発表されています。これは、国によって50に制限されているからで、宗教法人格でないところを含めると、127教会に上るそうです。

このように成長した背景に、タイの経済危機と、アメリカ南部バプテスト連盟ミッションボードの政策方針転換で、宣教師が協働しなくなったことによる危機があったそうです。つまり、人とそれに伴うお金が来なくなってしまったわけです。

そこで、タイ連盟も方針を転換し、自分たちの身の丈に合ったやり方を模索し、実行し始めたということです。それは、①総花的な伝道ではなく、目標を明確にして、対象を絞って伝道する。各個教会がユニークな伝道を展開して、それぞれ特徴のある教会形成をするようになった、ex)芸能人教会、若者向け教会、図書館伝道教会、②信徒が教会を担うようになった。神学校に信徒のリーダーシップトレーニングコースが出来、現在は、受講生が順番を待つほど、盛んになっている、③福音のためなら何でもやってみようというチャレンジ精神旺盛な教会に変わったということによるそうです。

そして、家庭での宗教教育が盛んで、クリスチャンホームをとても大切にすると言われました。仏教国だからこそのことかも知れません。

日高先生ご夫妻は、3月末で17年にわたった宣教師生活にピリオドを打たれ、帰国されることになりました。そのお働きに感謝のしるしをお捧げし、次の働きの待っている諫早へ送り出しました。


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左上・岡田先生(那覇新都心教会牧師) 右上・麦野先生(連合教会音楽主事・伊集院教会牧師)
左下・壮年会 右下・小羊会の賛美

総会は、開会礼拝で列王記下20章から、「感謝しよう」のメッセージを受けた後、①2012年度活動報告、②2013年度活動計画、③2012年度決算見込み、2013年度予算案、④2013年度バプテスト大会開催、⑤役員等選出規定改定、開拓伝道並びに相互支援金特別会計規定改定、次期役員等候補者選考委員選任について協議し、それぞれ若干の修正を加えるなどした後、可決承認されました。
午後、各会の時間も持たれました。
派遣礼拝では、小羊会によるコーヒーワークの報告と感謝、そして賛美があり、黙示録22章から、「命の水の川」と題するメッセージを受け、祝祷をもって散会となりました。

今回、教会組織を果たされた那覇新都心教会の岡田牧師が開会礼拝の司会をお務め下さいました。また、この3月で東熊本教会を辞し、富士吉田教会に赴任されることになった宮西牧師が総会書記と派遣礼拝の司会を担当されました。また、昨年11月に菊池シオン教会に着任された濱川牧師にご挨拶を頂きました。
新年度は、5月に、熊本愛泉教会に新しい牧師が着任され、6月に、宮崎教会が献堂式・牧師就任式を開催されることになっています。宮崎教会の柏木兄には、総会議長の任を担って頂きました。

今年、創立30周年を迎えられる社会福祉法人キリスト者奉仕会、厳しい経済情勢の中、福岡・大名クロスガーデンという新しい校舎で働きを始められる九州バプテスト神学校、そして、発生後2年を過ぎた東日本大震災被災者の支援について、それぞれ提唱がなされました。

閉会後、選出された候補者選考委員6名による互選で委員長が選出され、委員会の開催時期、場所が話し合われました。7月の南九州バプテスト大会において連合総会が開催され、次期連合役員選挙が行われることになっています。委員に選ばれた方々の上に主の導きをお祈り致します。

所定のプログラムを無事終え、主の恵みと導きを感謝しつつ帰途につきました。





3月20日(水)の御言葉 列王記下20章

「ヒゼキヤは使者たちを歓迎し、銀、金、香料、上等の油など宝物庫のすべて、武器庫、また、倉庫にある一切のものを見せた。ヒゼキヤが彼らに見せなかったものは、宮中はもとより国中に一つもなかった。」 列王記下20章13節


 死の病にかかったヒゼキヤは(1節)、憐れみを求めて神に祈りました(3節以下)。その結果、病が癒され(4節)、15年間寿命が延ばされ、また、アッシリア王の手からヒゼキヤもエルサレムの町も守られるという約束を頂きました(5節)。

 ヒゼキヤが主の約束の確証を求めると(8節)、主はヒゼキヤの求めに従って、日時計の影を10度、後戻りさせられました(11節)。つまり、地球が逆回転し、時間が40分逆戻りしたことになります。現代科学では到底考えられないような、通常あり得ない奇跡を見せられました。

 人の命は地球よりも重いという言葉がありますが、これはまさに、主がヒゼキヤの命をいかに憐れまれたかということであり、神が一人の人物の祈りをいかに重く受け止められ、お応え下さるかという、明確なしるしです。

 病が癒され、元気になったヒゼキヤの見舞いのために、バビロンの王メロダク・バルアダンの親書と贈り物を携えた使者たちがやって来ました(12節以下)。それに気をよくしたヒゼキヤは、冒頭の言葉(13節)のとおり、宝物庫、武器庫、倉庫にある一切のものを見せました。それは、宮中だけでなく、国中で見せなかったものが何一つないというほどの徹底ぶりでした。

 バルアダンがヒゼキヤの見舞いに使者を遣わしたのは、強国アッシリアに立ち向かうために、アッシリアを撃退した南ユダとの間に(19章35節以下)、しっかりと協力関係を築いておきたいという意図があったものと思われます。

 そのようなヒゼキヤの振る舞いに対して、預言者イザヤが、「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主は言われる。あなたから生まれる息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされる者もある」と告げました(17,18節)。何がそのように主を怒らせ、そのような裁きを招くことになるのでしょうか。

 ヒゼキヤが宝物庫などにあるすべてのものを見せたのは、バルアダンの親書と贈り物に対する感謝、返礼の思い、バルアダンを信頼し、一緒にアッシリアと戦おうという意思を表明しているものと考えられますが、反面、病が癒され、15年も寿命を延ばしてもらったことで、すこし有頂天になっているのではないでしょうか。

 そして、幼児が自分のおもちゃを見せびらかすように、自分の持ち物を使者に対して自慢している様子が伺えます。ここには、神の恵み、神の賜物を自分で獲得したものであるかのような思い違い、あるいは神の栄光を盗む思い上がりがあります。

 その上、イザヤの断罪の言葉を聞いたヒゼキヤは、「あなたの告げる主の言葉はありがたいものです」と答えるだけで(19節)、そこには反省のかけらも見られません。息子たちがバビロンの奴隷となり、宦官となる者もあるということは、去勢されて子孫が絶えるようにされるということでしょう。すべて奪われ、子孫が絶えるという危機に、何がありがたいのでしょうか。

 「彼は、自分の在世中は平和と安定が続くのではないかと思っていた」と言われますが(19節)、自分さえ安泰であれば、次の世代のことなどはどうでもよいというのでしょうか。ここにも、ヒゼキヤの独りよがりが見えます。

 こうなると、18章5節では、「彼はイスラエルの神、主により頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった」と、最大の賛辞が与えられているヒゼキヤですが、寿命を延ばしてもらわずに、そのまま天に召されていた方がよかったというようなものではないでしょうか。

 彼は、死の病が癒されたことをまず神に感謝すべきでした。すべての栄光を神に帰し、誇るべきは主の恵みです。ヒゼキヤがバビロンの使者たちに見せなければならなかったのは、宝物や武器などではなく、主への信仰、主により頼むことの確かさでしょう。主にある希望や平安な様子を見せ、病を癒して下さった主の力、恵み深さを証して、その栄光を表わさなければならなかったのです。

 しかしこれは、私たちも同様です。私たちも、主の救いと恵みを味わいました。キリスト・イエスに結ばれて、いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝することが、求められています。恵みに慣れ、感謝を忘れることがないように、主の御言葉に耳を傾け、御旨を行うために、聖霊の満たしと導きを祈り求めましょう。祈りを聞いて下さる主を信じ、共に神の恵みを証ししていきたいと思います。

 主よ、いつも感謝をもって御前に祈りと願いをささげ、求めるところを申し上げます。人知をはるかに超えた神の平安で心と考えを守って下さるからです。常に、私たちを聖霊に満たして下さい。主の証し人として用いて下さい。主の恵みと導きがいつも豊かにありますように。 アーメン







3月19日(火)の御言葉 列王記下19章

「ヒゼキヤ王はこれを聞くと衣を裂き、粗布を身にまとって主の神殿に行った。」 列王記下19章1節


 アッシリアの高官ラブ・シャケの嘲りの言葉を聞いたヒゼキヤ王は、先に砦の町を占領されたときには、降伏して貢ぎを贈ったのですが(18章14節以下)、今回は、アッシリアに更なる貢ぎを贈るのではなく、また、これと戦うために軍を招集するのでもなく、冒頭の言葉(1節)のとおり、衣を裂き、粗布をまとって主の神殿に行きました。ヒゼキヤはここで、自分の知恵や力に頼まず、悔い改めて主なる神に頼るのです。

 そして、宮廷長や書記官、祭司の長老などの高官たちに粗布をまとわせ、預言者イザヤのもとに遣わしました(2節)。それは、イザヤに執り成しの祈りを依頼するためです。

 「今日は苦しみと、懲らしめと、辱めの日、胎児は産道に達したが、これを産み出す力がない」と(3節)、エルサレムの状況を出産直前の妊婦にたとえ、産み出す力がないという言葉で、母子の命の危機に際して、熟練の助産婦や医師の助けを求めるように、アッシリアの前に絶体絶命の危機を迎えているエルサレムに対し、神の助けを求めて訴えているのです。

 「わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう」という御言葉がありますが(詩編50編14~15節、91編14~16節、エレミヤ書29章12~14節、33章3節など参照)、神は、このヒゼキヤの心からの悔い改めと真剣な祈りに答えられます。神が求めておられるのは、焼き尽くす献げ物などの犠牲ではなく、私たちの打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心だからです(詩編51編18~19節)。

 ヒゼキヤはそのように謙って、神の御前に出ました。そして、イザヤに執り成しの祈りを願いました。自ら祈るだけでなく、祈りの勇士、預言者イザヤに祈りの援軍を求めたのです。

 王に遣わされた家臣たちがイザヤのもとに行くと(5節)、イザヤは、「あなたは、アッシリアの王の従者たちがわたしを冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない、見よ、わたしは彼の中に霊を送り、彼が噂を聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される」という主の言葉を告げます(6,7節)。

 そして、その言葉のとおり、アッシリアと戦うために、クシュの王ティルハカが軍を進めているという知らせが、ゼンナケリブ王のもとに届きます(9節)。ラブ・シャケはそれに対応するため、ユダを早急に屈服させようと、再び脅しをかけます(10節以下)。

 先の主の言葉に力を得たヒゼキヤは、「わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください」と祈り求めます(15節以下、19節)。主はその祈りに応え(20節以下)、その夜のうちに、御使いによってアッシリア陣営の18万5千の兵を撃ちました(35節)。

 センナケリブ王は、ニネベに逃げ帰りますが(36節)、自分の神ニスロクの神殿で礼拝しているとき、家臣に暗殺されてしまいました(37節)。先に、主がイザヤを通して語っておられたとおりになったのです(7節参照)。

 そして、ラブ・シャケが、どの神がアッシリアの手から国を守ることが出来たかと嘲っていましたが(12節、18章33節以下)、アッシリアの神ニスロクは、主の手から兵士たちを、暗殺者の手からセンナケリブ王を守ってはくれなかったのです。

 使徒パウロが、悪魔の策略に対抗するために、霊の武具を身に着けよと教えていますが(エフェソ6章10節以下)、その中で、「どのような時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」(同18節)と命じ、さらに、パウロのためにも祈ってほしいと要求しています。彼は、執り成しの祈りの必要性を知っており、その実践を願っているのです。

 祈りこそ、悪魔の要塞を打ち砕く神の力をもたらすものです。そして何より、御霊ご自身が執り成して下さるので(ローマ8章26節)、万事が益となるのです(同28節)。

 どんなマイナス状況も、それを変えてプラスにすることのお出来になる主に信頼し、御名を呼びましょう。御霊の満たしと導きを祈り求めましょう。

 主よ、あなたを避け所、砦とし、あなたに信頼する者は幸いです。必ず、あなたが救い出して下さるからです。その信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉によります。絶えず、主の御言葉を聞かせて下さい。御名が崇められますように。御国が来ますように。御心が行われますように。 アーメン





3月18日(月)の御言葉 列王記下18章

「しかし民は、答えてはならないと王に戒められていたので、押し黙ってひと言も答えなかった。」 列王記下18章36節


 南ユダの王アハズに代わり、その子ヒゼキヤが25歳となった時、エルサレムで王位に就き、29年間ユダを治めました(1,2節)。彼は、父祖ダビデのように主の目にかなう正しいことを行い、国中から聖なる高台、石柱、アシェラ像など、異教の偶像を取り除きました(3,4節)。モーセの作った青銅の蛇も(民数記21章8,9節)、打ち砕きました。人々がそれを神のように呼び、香をたいていたからです。

 彼はイスラエルの神、主を固く信頼し、その戒めを守ったので(6節)、「その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった」(5節)、「主は彼と共におられ、彼が何を企てても成功した」(7節)と、列王記の記者は最大限の評価をしています。

 治世第4年にアッシリア王シャルマナサルがサマリアに攻め上って来て(9節)、第6年に首都を陥落させ(10節)、北イスラエルが滅ぼされました。その後、第14年には南ユダにもアッシリア王センナケリブが攻め込んで来ました(13節)。

 アハズの時代に北イスラエル・アラム連合軍と対抗するため、アッシリアに援軍を求め(16章7節以下)、隷属する関係になっていました。その税負担が重荷となり、ヒゼキヤはエジプトを頼み、シャルマナサルからセンナケリブに代替わりした時、アッシリアに貢ぎ物を送ることをやめたのでしょう。それは、北イスラエル最後の王ホシェアがアッシリアに対して行ったのと同じことです(17章4節)。

 アッシリアの王センナケリブは、エルサレムに大軍を向かわせます。そして、王のスポークスマン、ラブ・シャケは、エジプトという折れかけた葦の杖に頼るな、降伏せよ、そうすれば、命を得、死なずにすむ。主は、我々の手からエルサレムを救い出すことは出来ない(19節以下、28節以下)と豪語します。

 それに対して、エルサレムの民は押し黙って一言も答えません。それは冒頭の言葉(36節)のとおり、ヒゼキヤ王から、答えてはならないと戒められていたからです。アッシリアの高官ラブ・シャケの挑発に乗り、あるいはその脅しによって、不信仰な言葉を発しないように、エルサレムの民が一致団結して、王の言葉を守っています。

 その沈黙の中で、民は何を考えていたのでしょうか。ヒゼキヤ王は何を考えていたのでしょうか。そこには、ラブ・シャケの嘲りに強く抗議することも、ましてや、力でアッシリアを追い返すことも出来ないという苦悩があるでしょう。また、信頼したエジプトが全く頼りにならなかったという後悔もあるでしょう。しかし、事ここにいたり、焦って言葉を発し、徒に動き回るのではなく、ただ一つの拠り所である主に頼り、黙して祈るのです。

 「力を捨てよ、知れ、わたしは神」という言葉があります(詩編46編11節)。口語訳では、「鎮まって」、新改訳では「やめよ」と言われています。「力を捨てよ」(11節)とは、「静まる、リラックスする」という意味の言葉(ラーファー)です。嵐の船の中で眠っておられた主イエスが、風と湖を叱って「黙れ、静まれ」と言われると、すっかり凪になりました(マルコ福音書4章35節以下、39節)。

 「静まれ」といえば、水戸黄門の印籠を思い出します。三つ葉葵の紋章の前に誰もがひれ伏すごとく、「わたしは神」と宣言されるお方の御前に、恭順の姿勢を示すことが求められています。かくて、自分たちの知恵や力に頼らず、静かに神に依り頼めば、救いを得られると教えられます。イスラエルの民が主に依り頼み、すべての問題を主に委ねることを通して、アッシリアも、主こそが真の神であることを知ることになるのです。

 主イエスも、嘲りと辱めには一言もお答えになられず、沈黙を守られました(マタイ26章57節以下・イザヤ書53章7節も参照)。ペトロがその様子を、「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました」と記しています(第一ペトロ2章23節)。そして主イエスは、十字架の死によって贖いの業を成し遂げられ、三日目に死の力を撃ち破ってお甦りになりました。

 確かに、「神に立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」のです(イザヤ書30章15節)。主に依り頼み、御言葉に従って歩みましょう。主の平安を祈ります。

 主よ、ヒゼキヤはアッシリアの圧倒的な力の前に沈黙していました。力で対抗するのではなく、策略を用いるのでもなく、主にすべての問題を委ねていたのです。私も困難な問題の前に沈黙し、主なる神に向かいます。主に私の救いはあるからです。主の恵みと平安が常に豊かにありますように。 アーメン





3月17日(日)の御言葉 列王記下17章

「主はついにその僕であるすべての預言者を通してお告げになっていたとおり、イスラエルを御前から退けられた。イスラエルはその土地からアッシリアに移され、今日に至っている。」 列王記下17章23節


 イスラエルが南と北に別れてから、19代目の王ホシェアの時代に、ついに北イスラエル王国は姿を消すことになりました(1節以下)。それは、北イスラエル初代の王ヤロブアムが犯した偶像礼拝の罪を離れなかったからです(7節以下、21,22節)。

 ヤロブアムが偶像礼拝に走ったのは、民の心が自分から離れてしまうかも知れないという、不安と恐れからでした(列王記上12章26~27節)。そして、代々の王が、ヤロブアムを見本として、その道を歩み続けました。

 最も神から遠ざかったのは、7代目の王アハブの時代でした(列王記上16章30節)。彼は、隣国シドンの王エトバアルの娘イゼベルを后に迎え(同31節)、サマリヤにバアルの神殿を建てました(同32節)。弱小国が南北の列強と渡り合っていくためになされた、政略結婚だったと思われます。

 けれども、それが神を喜ばせるはずがありません。神は預言者エリヤを遣わして、アハブに警告します(同17章1節)。エリヤの指導のもと、民は「主こそ神です」と信仰を言い表し、バアルの預言者を殺しました(同18章39,40節)。

 アハブはエリヤの裁きの預言を受けたとき(同21章17節以下)、衣を裂き、粗布をまとって断食して、神の前に謙りました。そこで主は、災いをくだすのを延期されます(同29節参照)。主は確かに、憐れみ深いお方なのです。

 しかし、アハブの子アハズヤは、依然としてヤロブアムの道を歩み続けます(同22章53節)。その後もエリシャなど、イスラエルを代表する預言者が遣わされましたが、歴代の王たちが真の悔い改めに至ることはありませんでした。ヤロブアムの道を歩んだと言われていないのは、謀反で王位を手に入れて僅か一ヶ月で暗殺されたシャルムだけです(列王記下15章13節以下)。

 北イスラエル最後の王はホシェアです。前王ペカに対して謀反を起こし、彼を撃ち殺して、王位に就きました(15章30節)。ペカの時代からアッシリアに貢ぎ物を納めていたと思われますが(3節、15章29節)、ホシェアはその重さに耐えかねて、アッシリアの王の代替わりに乗じて、南の強国エジプトに助力を頼み、朝貢を停止します(4節)。

 しかし、ティグラトピレセルに代り、新しく王となったシャルマナサルが、北イスラエルに攻め上って来て、首都サマリアを占領し、ホシェアを牢につなぎ(4節)、民らを捕虜として連行しました(6節)。連行された民がアッシリアから帰還して来ることはありませんでした(23節)。シャルマナサルは、イスラエルの民に代わって、バビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々を連れてきて、サマリアの住民としました(24節)。

 余談ですが、主イエスがサマリアを通られた時、シカルという町のヤコブの井戸辺でサマリアの女と出会われました(ヨハネ4章4節以下、7節)。その女性と会話を交わされました際に、「あなたには5人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない」と言われました(ヨハネ4章18節)。

 ここで、5人の夫とは、北イスラエル滅亡後、生き残った民とサマリアに植民された五つの民族との混血を意味し、今連れ添っているのは夫ではないというのは、サマリアの民がゲリジム山の上に独自の神殿を建て、エルサレム神殿と一線を画するようになったことを表わしているという解釈があります。

 ホシェアという名は、「救い」という意味ですが、ついに救いの道はとざされました。歴史のアヤでしょうか。イスラエルの民を約束の地に導き入れたのは、ヨシュアです。彼はホシェアという名前でしたが、モーセによってヨシュアと呼ばれるようになったのです(民数記13章16節)。ヨシュアは、「ヤハゥエは救い」という意味です。モーセの後継者ヨシュアによって約束の地を獲得したイスラエルが、ホシェアの時にその地を追われたのです。

 神は、繰り返し罪を犯し続ける私たちのために、神の御子を救い主としてお与え下さいました。人間となってこの世に来られた救い主は、「イエス」と名付けられました。イエスをヘブライ語で正しく発音すると、実は、「ヨシュア」なのです。主イエスに従い、その恵みに与る命の道を歩ませていただきましょう。

 主よ、かつてヨシュアによってイスラエルの民を約束の地に導き入れられたように、御子イエスによって私たちを永遠の御国に導き入れて下さり、心から感謝致します。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことでも感謝する信仰で、主の恵みに応え、御業に励むことが出来ますように。聖霊に満たし、その知恵と力に与らせて下さい。 アーメン




3月16日(土)の御言葉 列王記下16章

「アハズは二十歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。彼は、父祖ダビデと異なり、主の目にかなう正しいことを行わなかった。」 列王記下16章2節


 ユダの王ヨタムの子アハズが王となりました(1節)。彼は冒頭の言葉(2節)のとおり、16年間ユダを治めましたが、父祖ダビデと異なり、主の目にかなう正しいことを行わず、主の忌み嫌われた異教の慣習に倣いました(3節)。

 アハズの父ヨタムは、主の目にかなう正しいことを行ったと聖書に記されておりましたし(15章34節)、その父たちも、主の目に正しいことをことごとく行ったと言われる王たちでしたが(12章3節、14章3節、15章3節)、アハズはその道を踏み外しました。

 父ヨタムの時代、北イスラエルとアラム連合軍が戦いを挑んで来るようになりました(15章37節)。アラム・北イスラエル連合軍は、ユダにもその連合に参加し、勢力を伸ばしつつあるアッシリアに、共に対抗するよう求めていたのですが、ユダはその求めに応じませんでした。そのため、まずユダを屈服させようと、攻撃して来ることになったのでしょう。アハズの時も、その戦いが続いていました(5節以下)。

 祖父アザルヤは後半生を重い皮膚病に悩まされ、曾祖父らは暗殺されています。それでも、父祖たちは主の目にかなうことを行い続けました。彼らは、こんな酷い目に遭うのであれば、自分の好きなようにしようとは考えなかったのです。

 けれども、アハズはその道を歩みません。アラム・北イスラエル連合軍と対抗するため、アッシリアに援軍を求めました(5節以下、7節)。その結果、その神々を祀らざるを得なくなってしまったのでしょうか。

 ルカによる福音書第17章5~6節に、「使徒たちが、『わたしどもの信仰を増してください』と言ったとき、主は言われた。『もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、「抜け出して海に根を下ろせ」と言っても、言うことを聞くであろう」と記されています。

 弟子たちが「わたしどもの信仰を増してください」と願ったのは、自分たちの力に不足を感じているからでしょう。もっと確かなものを持ちたいと考えているのです。そんな弟子たちに主イエスは、「分かった、お前たちの希望どおりにしてやろう」とは言われません。そうではなくて、「からし種一粒ほどの信仰があれば」と言われるのです。

 からし種は、栽培される植物の中で最も小さいと言われているほど小さな種です。鼻息で吹き飛んでしまうような小さな信仰であっても、桑の木があなたの言うことを聞いて動き出すと言われます。即ち、問題に立ち向かい、問題に勝利を与えるのは、私たちの信仰の大きさではありません。私たちの信じる主なる神が、問題に解決をお与え下さるのです。

 周辺の列強諸国、同胞北イスラエルとの関係悪化、父祖を暗殺した反乱分子の存在などで、アハズの心は不安や恐れに支配されていたのではないでしょうか。そんな状況にも動じないで、主を信頼し続ける父祖たちの信仰の強さ、その平安が欲しいと思っていたのだと思います。しかしながら、押し迫ってくる不安や畏れの大きさに、手当たり次第、神頼みをするのです。そんな自分の願いを、すぐにも聞き入れてくれる神を探すのです。

 けれども主なる神は、そういう、目で見たり、手で触れたりして、自ら計測することが出来るような「確かさ」を私たちに持たせては下さいません。神は、私たちの信仰を求めておられます。私たちをありのまま愛し、そのまま迎え入れて下さる神を信じることだと言われるのです(ヨハネ20章29節)。

 神は、「わたしの目にあなたは価高く貴く、わたしはあなたを愛し」ていると仰って下さいます(イザヤ43章3節)。私にはあの人のような知恵、力がないと言う必要はないのです。そんなことは神様が既にご存知です。私の弱さ、貧しさ、罪深さをご存じの主が、そのまま愛して下さっています。

 信仰とは、「信じて仰ぐ」と書きます。信じる方に目を注ぎ、その方の御言葉に耳を傾けるのです。そして、神が何かをせよと言われたら、自分にそれほどの力があるかどうかは問題ではありません。神がそれをさせて下さいます。神にその力があるのです。

 だから、自分に命じられた、自分のすべきことをすればよいのです(ルカ17章10節)。他人と比較してではなく、自分が分かっただけ、神に聴いただけのことを聞いたまま、聞こえたまま、神が語られたまま、アーメンと従えばよいのです。

 神は、立ち帰って神を信じ、依り頼む者に救いと平安、力を下さいます(イザヤ30章15節参照)。繰り返し愛と憐れみをもって語りかけて下さる主を仰ぎ、共に主に信頼して、その御旨のままに歩ませていただきましょう。

 主よ、取るに足りない私たちを神の子とし、その恵みと平安に与らせて下さり、感謝致します。常に御顔を仰ぎ、御言葉に耳を傾け、主に信頼して歩ませて下さい。御名が崇められますように。御国が来ますように。 アーメン





3月15日(金)の御言葉 列王記下15章

「彼は、父アマツヤが行ったように、主の目にかなう正しいことをことごとく行った。」 列王記下15章3節


 アマツヤの子アザルヤが、南ユダの王となって52年間、国を治めました(1,2節)。冒頭の言葉(3節)には、彼は、主の目にかなう正しいことをことごとく行った、と記されています。

 そこに、「父アマツヤが行ったように」と記されているように、アザルヤの父アマツヤも、主の目にかなう正しいことをことごとく行いました(14章3節)。アマツヤの父ヨアシュも、主の目にかなう正しいことを行ったと記されていました(12章3節)。3代続けて、主の目にかなう正しいことを行ったという評価を受けていますけれども、彼らの運命は過酷です。

 アザルヤの父も祖父も、謀反によって暗殺されました。そして、アザルヤは主に打たれて、死ぬまで重い皮膚病に悩まされたのです(5節)。

 息子のヨタムが補佐したということですが、16歳で王となって52年王位にあったアマツヤに次いで、ヨタムが25歳で王となっていますから、ヨタムが生まれたのはアマツヤ43歳の時、そして、アマツヤを補佐出来るようになる年齢を15,6歳と考えると、およそ10年という長きに亘って、アマツヤは皮膚病に苦しめられ、召されたことになります。

 彼らはしかし、主の目にかなう正しいことを行っても、こんな酷い目に遭うのなら、自分の好きなことを好きなようにやったほうがましだ、とは考えませんでした。正しいことを行いながら、謀反によって殺された父を見て、なお、父親が歩んだように主の前に正しく生きようとします。

 アザルヤは、父アマツヤの日々の生活を見て、自分もそのように生きたいと思っていたのでしょう。ということは、アマツヤも、その父ヨアシュの生活に強く影響されていたのです。そして、どんなことがあっても主の御言葉に耳を傾け、その導きに従って歩もうとする父親の信仰を、息子が見て誇りとしているのです。だから、重い皮膚病に悩まされているにも拘わらず、それで道を曲げることをしなかったわけです。

 使徒ペトロがその手紙の中で、「あなたがたが召されてのはこのためです。というのは、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足跡に続くようにと、模範を残されたからです。」と語っています(第一ペトロ2章21節)。キリストの弟子たちは、キリストを模範として、ただその後ろに着いて行ったというだけでなく、その足跡に自分の足を乗せるようにして歩むように召されているというのです。

 深い雪道を歩くとき、前の人の足跡に自分の足を乗せていけば、たとえ道が雪で分からなくなっていても、安全に歩いて行くことが出来る、と聞いたことがあります。キリストが十字架でその苦しみを担われたのは、私たちの罪のため、私たちが罪に死に、義によって生きるようになるためでした(同2章24節)。

 キリストに従って歩むとは、私たちも隣人のために苦しみを担うということです(ルカ9章23節も参照)。それは、苦難の道ではありますが、キリストと共に軛を負う者は、そのことによって柔和と謙遜を学び、また主と共にある平安が与えられ(マタイ11章29節)、そして、永遠の御国に至るのです(ヨハネ14章6節)。

 ヨアシュもアマツヤもアザルヤも、神の御前に義人ではありません(ローマ書3章9節以下)。家臣の謀反によって殺される理由が全くない、というわけではないかも知れません。アザルヤは主に打たれたというのですから、重い皮膚病に悩まされるのには、それ相当の理由があったのかも知れません。

 主の目にかなう正しいことを行うというのは、主イエスのごとく、全く罪を犯すことがなかったということでは、あり得ないでしょう。これは、罪ある者が罪あるままに神の御前に出、素直に主の御言葉を聴き、恵みも災いも受け取る姿勢を言っているのではないでしょうか。表も裏もすべてご存知の主に自分を委ね、「安かれ、畏れるな」とお語り下さる主の御言葉に聴き従う姿勢を言っているのだと思います。

 私たちが正しい道を歩めるのは、私たちのゆえではなく、絶えず正しい道に導き返して下さる主の恵みです(詩編23編3節)。真の牧者であられる主の御声に絶えず耳を傾け、日々新たに恵みと慈しみに与りましょう。
 
 主よ、私は罪人でした。キリストの贖いにより、信仰によって義とされていることを感謝します。日々、主の御言葉に耳を傾ける私たちの上に、恵みと慈しみが常に豊かにありますように。主の御足跡に従って歩むことを通して、主の御業をなし、その栄光を表わすことが出来ますように。 アーメン






3月14日(木)の御言葉 列王記下14章

「しかし、イスラエルの神、主が、ガト・ヘフェル出身のその僕、預言者、アミタイの子ヨナを通して告げられた言葉のとおり、彼はレボ・ハマトからアラバの海までイスラエルの領域を回復した。」 列王記下14章25節


 父ヨアシュに代わり、南ユダ王国の王となったアマツヤは(1節)、29年間、エルサレムで王位にあり(2節)、主の目にかなう正しいことを行いました(3節)。

 アマツヤは、塩の谷で1万人のエドム人を討ち、セラを攻め落としました。セラとは、「岩」という意味です。岩や断崖を特徴とするセラの町は、エドムの首都でした(7節)。セラを攻め落としたアマツヤは、その町に「ヨクテエル」という名を付けました。それは、「主は滅ぼし給う」という意味です。

 勢いをかって、アマツヤは北イスラエルに戦いを挑みますが(8節)、返り討ちに会い、惨敗を喫します(12節)。その結果、エルサレムの城壁は破壊され(13節)、神殿と王宮の財宝が奪われてしまいました(14節)。
そのためか、アマツヤに対する謀反が起こり、アマツヤはラキシュに逃れましたが、追っ手によって殺されてしまいました(19節)。

 アマツヤの父ヨアシュも、謀反を起こした家臣によって暗殺されたので(列王下12章21節)、アマツヤは、父を暗殺した者に復讐しましたが(5節)、律法に従ってその子どもたちは殺しませんでした(6節)。それがかえって仇となり、殺されなかった子らが核となって、謀反が行われたのではないか、と考えることも出来そうです。

 一方、北イスラエル王国では、ヨアシュの子ヤロブアム(ヤロブアム2世)がサマリアで王となり、41年間、国を治めました(23節)。彼の治世は恵まれて、北はダマスコを越えてレボ・ハマトまで支配地域を広げ、南は、アラバの海、即ち死海までの地域を確保しました(25節)。ここで、政治手腕を発揮することと、霊的に恵まれることは必ずしも一致してはいません。

 ヤロブアム王(2世)は、イスラエルに罪を犯させた父祖ヤロブアム(1世)の罪を全く離れなかったと言われます(24節)。にも拘わらず、ソロモン時代に匹敵するほどの領土を回復することが出来たのです(列王記上8章65節)。

 この世はまったくままなりません。主の前に正しいことを行う王が辛い目に遭い、主の目に悪を行う王が栄えているように見えます。これが、神に創られた私たち人間が現実に生きている世界です。決して勧善懲悪、因果応報がなされるドラマの世界のようにはいきません。

 神は、イスラエルの名前が天の下から消し去られることを望まれないのです(26,27節、13章4,23節)。むしろ、助ける者がなく、羊飼いのいない羊のように弱り果て、倒れようとしている有様をごらんになって、神は深く憐れまれ(マタイ9章36節、列王上22章17節)、ご自身が助ける者となって下さったのです。けれどもそれは、神の恵みであって、決してヤロブアムの知恵でも力でもありません。

 冒頭の言葉(25節)の中に、「預言者、アミタイの子ヨナ」が登場して来ます。そして、ヨナの告げた言葉の通り、国土が回復されたとあります。国土の回復が神の憐れみであったということを、明確に示すものと言ってよいでしょう。

 ユダの王アマツヤが北イスラエルとの戦争に敗れたのは、ヨアシュが言ったとおり、エドムをうち破って思い上がり、神に栄光を帰すのではなく、自ら高ぶったからでしょう(10節)。どこまでも謙遜に、神に従って歩む者となることを神が望んでおられるのです。そのことを私たちを含め、読者に教えるために、聖霊なる神が列王記の記者にペンを取らせ、この記事を書かせたのではないでしょうか。

 放蕩息子の父は、すっかり落ちぶれて帰ってきた弟息子を見つけると、走り寄って接吻し、最上のものを与え、子牛を屠って祝宴を開きました。「死んだ者が生き返り、いなくなっていた者が見つかったのだから、食べて祝おう」と言います(ルカ15章11節以下)。ここに、神の愛があります。

 この神の愛に応える術はただ一つ、神の愛に感謝し、その御旨に従って生きるほかはありません。つぶやかず、疑わず、主の十字架を仰いで進ませていただきましょう。

 主よ、ヤロブアム2世の時代に、あなたの恵みを受けて、領土を回復することが出来ました。しかし、それを主の恵みと感謝して、導きに従って歩もうとしなかったイスラエルは、結局、滅びを招いてしまいました。御前に謙り、御言葉に耳を傾け、導きに従って忠実に歩むことが出来ますように。主の恵みと導きが、常に豊かにありますように。 アーメン





3月13日(水)の御言葉 列王記下13章

「しかし、主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに、彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨て去ることはなさらなかった。」 列王記下13章23節


 北イスラエルでは、イエフの死後、その子ヨアハズが王となりました。イエフは主に従ってアハブの全家を滅ぼし、国中からバアルを取り除きましたが(10章28,29節)、ヨアハズはその舵を逆に切り、主の目に悪とされることを行って主の怒りを買いました(2節)。それゆえ、隣国アラムのハザエルとその子ベン・ハダドに苦しめられました(3節)。

 ここで、「ベン・ハダド」は、ハザエルの前王と同じ名前です。前王ベン・ハダドが病の床にあったときに、王に手をかけ、代ってハザエルが王となったのです(8章7節以下、15節)。自分が殺した王と同じ名を、我が子につけているというのは、どういうことでしょう。

 著者の記憶違いや書き間違いなどでなければ、あるいは、前王に肖ろうとして、我が子に王と同じ名をつけたのかも知れません。そして、エリシャの預言が王に肖りたいという思いの背を押して、王に手をかけるまでになったということでしょうか。「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟してしを生みます」という言葉を思い出させる出来事です(ヤコブ書1章15節)。

 話を元に戻して、ヨアハズの罪の結果、イスラエルの民が苦しみ嘆くと、神はそれを見て見ぬふりをなさることが出来ず、民に向かって救いの手を伸べられます(4,5節)。本来ならば、捨てられて当然、滅ぼされても文句は言えないと思うのに、神はそのようにはなさらなかったのです。それはなぜでしょうか。

 冒頭の言葉(23節)に、「主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに」、「彼らを滅ぼうそうとはされず」、「御前から捨て去ることはなさらなかった」とあります。神は、かつてイスラエルの父祖アブラハム、イサク、ヤコブと契約を結んでいたことを思い起こされました(創世記17章1節以下)。

 アブラハムは、紀元前2000年頃を歩んだイスラエルの父祖です。一方、ヨアハズは紀元前800年頃登場して来た王です。なんと、1200年も前に結んだ契約のゆえに、イスラエルの民を、御前から捨て去ることもなさらなかったと言われているのです。これは、主なる神が、ご自分がお選びになったイスラエルの民を滅ぼしてしまうことをよしとはされず、彼らを憐れみ、救う手だてを探って下さった結果ということではないでしょうか。

 私たちも、神の憐れみによって救いに与りました。決して、私たちが神の恵みを受けるに足る、清く正しい信仰の生活が出来ていたからということではありません。むしろ、生まれながら神の怒りを受けて当然、神に打たれて当然の者でした。

 しかるに神は、主イエス・キリストの贖いのゆえに、誰一人として、御前から捨て去ろうとはなさらないのです。私たちを滅ぼすことをよしとしない神が、私たちを救う手だてを神自らお与え下さったのです。ここに、神の愛があります(第一ヨハネ4章9,10節)。憐れみがあります。

 それは、独り子を十字架につけるというものでした。どこに、他人を救うために我が子を差し出して平気な親がいるでしょうか。まして、愛の神が独り子を捨てるのです。どう考えればよいのでしょうか。それは、罪人の私が救われるためには、その方法しかなかったのです。私たちが神の子と呼ばれるために、どれほどの愛を神から賜ったのか、考えてみましょう(同3章1節)。それはもう無限大の愛です。計算することが出来ません。

 命は地球よりも重いと言いますが、まさに神の愛と赦しは、地球の何ものをもってしても、その代価を支払うことなど出来ません。それを無償でお与え下さったのです。誰がこのような愛に応えることが出来るでしょうか。返礼することなど、とうてい不可能です。ただ、神の深いご愛に感謝し、日々その御言葉に耳を傾け、導きに従って歩むほかはありません。

 いつも喜び、絶えず祈り、どんなことも感謝する信仰をもって恵み豊かな主をほめたたえ、御霊に満たされて主を証しする者となりましょう。

 主よ、私たちは取るに足りない僕、はしためです。にも拘わらず、独り子の命をもって贖い、神の子として下さいました。そのご愛に報いることは出来ません。ただ、御言葉に聴き従うのみです。どうぞ私たちを、御霊の導きにより、あなたが望まれるような者にして下さい。 アーメン!






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