風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2013年03月

3月31日(日)の御言葉 歴代誌上6章

「神の箱が安置されたとき以来、ダビデによって主の神殿で詠唱の任務につけられた者は次のとおりである。」 歴代誌上6章16節


 5章27節以下に、レビの子孫のうち、ケハト族はアムラムの子アロンの家に属する大祭司の系譜が記されていました。6章1節以下には、レビ一族の残りの氏族の系図が記されています。冒頭の言葉(16節)のとおり、ダビデによって、神殿の詠唱者とされた人々がいます。そのときにはまだ神殿はなく、臨在の幕屋の前でその任務に就きました(17節)。

 詩編22編4節に、「だがあなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方」とあります。「聖所にいまし、賛美を受ける方」は、原文を直訳すると、「賛美の上に座るあなたは聖なる方」です。賛美するイスラエルの上に聖なる主が臨まれるということでしょう。ソロモンが神殿を奉献し、主を賛美したとき、主の栄光が神殿に満ちたのも(歴代誌下5章13,14節)、主が賛美をお受け下さる方であることを示しています。

 彼らの歌声は主への賛美として、幕屋に臨在しておられる神の前に響き、また、神の幕屋の周りにいるイスラエルの民の耳にも届きます。賛美されるべき神と賛美すべき神の民イスラエルの人々が、詠唱者の賛美によって結ばれるのです。神の祝福を受けた者は神を賛美します。恵みを味わっている者は神に感謝します。

 主イエスは、十字架で死なれた後(ルカ23章44節以下)、三日目に甦り(24章1節以下)、その後40日にわたってたびたびお姿を弟子たちに顕わされ(使徒言行録1章3節)、それから、天に昇られました(ルカ24章50節以下、使徒言行録1章9節)。その際、主イエスは弟子たちを祝福しながら、天に昇って行かれたのです(ルカ24章51節)。祝福を受けた弟子たちは、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていました(同53節)。

 ここで、「祝福する」という言葉と「ほめたたえる」という言葉は、原語では同じ言葉(ユーロゲオウ)です。つまり、賛美は神に祝福を返すことであり、賛美を通して主イエスと弟子たちの間で祝福が循環しているわけです。祝福を受けて感謝し、主を賛美する者にさらに主の祝福が加えられます。

 弟子たちは、人間的には敬愛する主イエスを天に送った寂しさや悲しみがあったと思いますが、しかし、「絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」とあることから、主イエスの祝福が弟子たちの心を満たしていて、その口から主を讃える賛美が溢れ出て、賛美を住まいとされる主が弟子たちに更なる祝福を注がれるのです。

 主イエスが神殿で民衆に教えておられるところへ、姦通の現場で捕らえられた女性が連れられてきたことがあります(ヨハネ8章1節以下)。女性を連れてきた人々は、姦通の罪を犯した者は、石で撃ち殺せという規定があり(同5節、レビ記20章10節)、それを実行すべきかどうかと尋ねます。主イエスが、かわいそうだから赦してやりなさいと言えば、神の律法に背くのかと、主イエスを訴える口実を得ようと考えているのです。

 ところが、主イエスは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われました(ヨハネ8章7節)。民衆は主イエスの言葉に心さされ、誰も石を投げずにその場を立ち去りました(同9節)。誰も、女性に石を投げる資格がなかったということです。

 そして、主イエスもこの女性の罪を赦され、放免されます。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい」(同11節)という言葉に、その女性がどのように反応したのか、何も記されていませんが、どんなに感謝したでしょうか。神を賛美したことでしょうね。そこは、神をほめたたえる神殿です。恵みが賛美を生み、賛美が恵みを新しくしたことでしょう。

 バビロン捕囚から帰還した民が都に集まり、祭司エズラに律法の朗読を求めました(ネヘミヤ記8章1節以下)。民は皆、朗読を聞いて泣きました(同9節)。心を強く動かされ、悔い改めの涙を流していたのです。しかし、総督ネヘミヤと祭司エズラは、「今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と語ります(同10節)。

 ここに、神殿における礼拝に相応しい態度は、語り聞かせられる御言葉に対して喜びをもって応答することであると教えられます。主の力に与って喜び祝い、喜び祝うことでさらに力が与えられるのです。

 置かれている環境がどのようであっても、神の恵みが与えられていることを知れば、賛美出来ます。私たちに賛美を与えて下さるのは聖霊です(エフェソ5章18節以下)。聖霊に満たされて賛美に導かれ、賛美を通していよいよ深く主に満たしていただきましょう。

 主よ、ダビデがエルサレムに都を定め、神の箱をエルサレムに迎えて以来、詠唱者が主を賛美する務めを担いました。賛美こそ、恵みの主に応えるのに相応しいからです。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する信仰を授けて下さい。イースターの喜びと恵みが、全世界に豊かにありますように。 アーメン!





3月30日(土)の御言葉 歴代誌上5章

「ルベンは長男であったが、父の寝床を汚したので、長子の権利を同じイスラエルの子ヨセフの子孫に譲らねばならなかった。」 歴代誌上5章1節


 冒頭の言葉(1節)の通り、父祖イスラエル(=ヤコブ)の長男ルベンは、母ラケルの死後、その悲しみがまだ癒えない時期に、父の側女ビルハと床を共にしました(創世記35章22節)。これは、父の家督の権を強奪する行為であり、家族の崩壊を意味します。

  それは、ダビデを王宮から追い出した息子アブサロムが、アヒトフェルの指導に従って行ったことと同じです(サムエル記下16章21節以下)。このために、ルベンは長子の権利を失うことになりました(創世記49章4節)。

 そこで、代わって長子の権利を得たのがヨセフです。ヨセフは、12人兄弟の11番目ですが、イスラエルの愛した妻ラケルの長男です。イスラエルにとってもラケルにとっても、待望の男児でした。そのためにヨセフを溺愛したので、ヨセフは他の兄弟たちの妬みを買ってしまいます(創世記37章3~4節)。

 ヨセフも、父の依怙贔屓を傘に、自分の見た夢を兄たちに傲慢に語ります(同5節以下)。それで、彼は兄弟たちによってエジプトに奴隷として売られてしまいました(同12節以下)。

 ただ、売られた先のエジプトで、ヨセフは主人ポティファルに気に入られ、その家の管理を任される執事になります(同39章1節以下)。ところが、女主人に性的な誘惑を受けるのです(同7節以下)。それを毅然とはねのけた彼は、l今度は女主人に訴えられ、無実の罪で牢に入れられます。人間万事塞翁が馬とは、このことでしょうか。

 しかし、そこでもヨセフは監守長に目をかけられるようになります。ヨセフは奴隷となり、さらに投獄されるというどん底を経験しましたが、つぶやかず、不満を言わずにその運命に身を委ねています。それは、神が共におられることを知っていたからでしょう。

 女主人に言い寄られたときも、「わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう」と答えています(同9節)。このように、ヨセフは寝床を汚す罪を犯さなかったので、ルベンの長子の権を譲り受けることになったわけです。

 やがて、彼はその牢獄で出会った宮廷の役人の夢を解いたことがきっかけとなり、数年後にファラオが見た夢を見事に解くことが出来たので、獄屋を出ることが出来ただけでなく、引き立てられて、エジプト一国の管理を任される宰相となりました(同41章)。

 エジプトを大飢饉から救ったヨセフは、やがて、自分をエジプトに売った兄弟たちと感動的な和解をします(同45章)。そして、ヨセフはイスラエル一族を、なお飢饉の続くカナンの地からエジプト・ゴシェンの地に呼び寄せます(同46章)。ヨセフの父イスラエルは、ヨセフの子らを特別に祝福し(同48章)、12人の子どもたちに看取られてエジプトで天に召されます(同49章33節)。

 その後、エジプトを出て約束の地カナンに入るイスラエル12部族の中で、レビ族は主を嗣業として、神の幕屋に関わる務めを担うので、土地の分配を受けないことになります(民数記1章47節以下、17章27節以下、18章23,24節)。その代わりにヨセフの子孫が2つ分を受け、マナセ族、エフライム族として、それぞれ嗣業の土地を獲得します(民数記1章10節、ヨシュア記13章29節以下、同16,17章)。

 それは、ヨセフが長子権を有しているからです。長子は、他の兄弟たちの2倍の分け前を与えられることになっていたのです(申命記21章17節、列王記下2章9節も参照)。

 主イエスは、その愛と憐れみのゆえに、本来その資格のない私たちに、ご自分を信じる信仰により、神の子となる特権をお与え下さいました(ヨハネ1章12節)。それは、主イエスと出会って罪赦され、救いの恵みに与らせて頂いたたことであり、さらに、聖霊を受けて力と愛に満たしていただくことです。

 ここに、御子の命と聖霊の力という二つの分が、私たちに与えられているのです。受けている恵みをいたずらにせず、御言葉に聴き従い、神の栄光を拝させていただきましょう。“主に感謝せよ、その憐れみはとわに絶えず。ハレルヤ!”


 主よ、私たちが神の子とされるために、どれほどの愛を賜ったことでしょう。どれだけ感謝しても、しすぎることはありません。私たちを聖霊で満たし、神の愛の証し人、主イエスの恵みの証人として用いて下さい。御心がこの地にもなされますように。そのために用いられる器として下さいますように。 アーメン





3月19日(金)の御言葉 歴代誌上4章

「ヤベツは兄弟たちの中で最も尊敬されていた。母は、『わたしは苦しんで産んだから』と言って、彼の名をヤベツと呼んだ。」 歴代誌上4章9節

 
4章には、2章に記されていたものとは別の、もう一つのユダ族の系図が記されています。そして、その系図の中に、ヤベツという人物にまつわる小さな物語が記されています(9,10節)。


 10節の、「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」という祈りは、それを祈ったヤベツの名をとって、「ヤベツの祈り」と言われています。

 12年ほど前、ブルース・ウィルキンソンが、この祈りに関する小さい書籍を出版したところ、全米で短期間に一千万部を売り上げるという反響を生み、日本語でもそれが出版されました。その後、様々な牧師、伝道者が、ある人はメディアを通じて、この祈りについて語り、その影響は今も続いています。

 「ヤベツの祈り」は、ユダの系図の中で紹介されていますが(4章1節以下)、ヤベツの父は誰なのか、また、彼の子どもは誰なのか、記されてはおりません。ある方は、イスラエル人でさえないと結論しています。それが妥当かどうか分かりませんが、創世記のメルキゼデクのように(創世記14章18~20節)、ただ一度突然現れて、忽然と去りました。ともかく、9,10節に僅か数行コメントされただけで、この後は全く登場して来ないのです。

 冒頭の言葉(9節)によれば、ヤベツという名は、母親が「わたしは苦しんで産んだから」といって名付けたそうです。どのような苦しみであるか、定かではありませんが、出産の苦しみは死ぬほどのものだと聞きます。だからといって、それを子どもに思い知らせるかのような名付けを行うだろうか思います。

 確かに神は、出産を苦しみとして人にお与えになりました(創世記3章16節)。けれども、苦しんで産んだ後、その子どもの顔を見ると、苦しみを忘れてしまうとも聞きます。主イエスもそのことを引いて、主イエスの受難、離別の悲しみが喜びに変えられることを説かれました(ヨハネ16章21~22節)。

 ヤコブの愛妻ラケルが二人目の息子を出産するとき、それは大変な難産で、結局ラケルは命を落としてしまいます。ラケルはその子を「ベン・オニ(苦しみの子)」と名付けました。彼女はベツレヘムの傍らに葬られました(創世記35章16節以下)。ベツレヘムはユダ族のダビデの町です。

 そして、父ヤコブから特別に愛されました。ヤコブは彼を「ベニヤミン(幸いの子)」と呼んでいます。「苦しみの子」ではかわいそうだという解釈もありますが、母ラケルの苦しみと死を通して、幸いが与えられた、祝福が生み出されたのだと受け取ることも出来ます。

 ベニヤミンは兄弟でただ一人、イスラエルの地で生まれました。他の兄弟は、ラケルの故郷ハランの地で生まれたのです(創世記29章31節以下)。最初の王がベニヤミンから選ばれたことも(サムエル記上10章20節以下)、12部族の中で特別な地位を占めていることを示します。

 これは、ヤベツが兄弟たちの中で最も尊敬されていたという言葉にも、重なるところではないでしょうか。そして、ヤベツが最も尊敬されていた背後には、「ヤベツの祈り」があるということです。その祈りが聞かれて、ヤベツは祝福を受けたのです。しかし、その祈りはヤベツの祈りというよりも、ヤベツに与えられた祈り、教えられた祈りでしょう。ヤベツに祈りを教えたのは、母親だと思います。

 そうしたことを考え合わせると、ヤベツの出産のときに、たとえば夫と死別するといった苦しみ、深い痛みを味わい、失意のどん底にいたけれども、そこで主に祈りを捧げて、神の助けに与り、無事に出産を終えることが出来たので、その恵み、主の計らいを忘れないために、あえて苦しみを意味する「ヤベツ」という名をつけたのかも知れません。

 そのとき、ヤベツの母を祈りに導いたのは、聖霊なる神でしょう。そして、聖霊がヤベツを、そして私たちをも祈りに導かれるのです。聖霊ご自身が、産みの苦しみを味わっている私たちのために言葉に表せない呻きをもって執り成して下さいます(ローマ8章22~23,26節)。そして神はこの祈りに応え、万事が益となるように、マイナスもプラスにして下さるのです(同8章28節)。

 これからも、ヤベツの祈りの心をもって進んで参りましょう。そして主の祝福に与りましょう。

 主よ、苦しみの中で生まれたヤベツは、祈りに導かれて、豊かな祝福に与りました。どんなときにも感謝をもって祈り、インマヌエルの主の恵みと平安に与らせて下さいますように。そして、御名を崇めさせたまえ。 アーメン!





3月28日(木)の御言葉 歴代誌下3章

「ペダヤの子はゼルバベル、シムイ。ゼルバベルの子は、メシュラム、ハナンヤ、彼らの姉妹シェロミト。」 歴代誌上3章19節


 3章には、ダビデの子孫が記されています。それは、ダビデから数えて30代。一世代20~30年と考えれば、600~900年の歴史が、人名によって表現されているのです。

 冒頭の言葉(19節)の中に、「ゼルバベル」の名を見つけました。「ゼルバベル」とは、「バビロンの若枝」という意味です。ゼカリヤ書3章8節に、「わたしは今や、若枝であるわが僕を来させる」と記されていますが、これは、ダビデの子孫を思わせる表現であり、ゼルバベルを指しているものと考えられます。

 彼はバビロン捕囚後、エルサレムに戻ってきた民の指導者です(エズラ記2章2節、3章2節)。ただ、ゼルバベルは、歴代誌ではペダヤの子とされているのに対し(19節)、エズラ記などではシェアルティエルとなっています。双方に誤りがなければ、エコンヤ(列王下24章8節以下では「ヨヤキン」)の子シェアルティエルとペダヤ(17,18節)両人にゼルバベルという同じ名の息子がいて、従兄弟同士ということになります。

 「ゼルバベルの子はメシュラム、ハナンヤ云々」と記されていますが、マタイの系図によれば、ゼルバベルの子はアビウドとなっていることから(マタイ1章13節)、歴代誌の記者はここでも、よく知られているシェアルティエルの子ゼルバベルではなく、無名のペダヤの子に光を当てていることになります。

 ところで、ダビデ王直系の子孫ということで、ゼルバベルがイスラエルの民の指導者、ユダヤの総督になったのであれば、それはゼルバベルの指導力もさることながら、ダビデとの契約を重んじられる神の導きだということです。

 ゼルバベルの祖父エコンヤは(17節)、主の目に悪を行い、エルサレムに攻めてきたバビロンに投降して捕囚とされたわけですが(列王記下24章8節以下)、後にエビル・メロダク王の憐れみを受けて獄を出され、王と食事を共にする恵みを得ました(列王記下25章27節以下)。

 そして、バビロンにいた王たちの中で最も高い位がエコンヤに与えられたため、その子シェアルティエル、孫のゼルバベルがユダの総督とされることに、異を唱える者はいなかったのではないでしょうか。

 しかも、ゼカリヤ書4章6節に、「これがゼルバベルに向けられた主の言葉である。武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる」と記されているように、ゼルバベルを立てたのは主なる神ご自身であり、主の霊によって、神に委ねられた使命を果たすことが出来るというのです。

 ゼルバベルは、祭司イエシュアたちと共に立ち上がり、エルサレムの神殿を再建することが出来ました(エズラ3章以下)。勿論それは、ゼルバベル一人の仕事ではなく、預言者ハガイやゼカリヤの預言と援助もあってのことです(エズラ5章1~2節、ハガイ書、ゼカリヤ書)。

 元に戻って、19節以下には、ゼルバベルから数えて10代目までの子孫の名前があります。マタイ1章の系図とは多少ズレがありますが、いずれにせよ、歴代誌が執筆されたのは10代目を確認出来る時代のこと、バビロンから帰国して200年以上経過した頃、即ち紀元前200~300年頃(恐らくセレウコス朝シリア時代)のことでしょう。

 当時のことについて、聖書には何も記されてはいません。ただ、神が預言者イザヤを通して告げられたとおり(イザヤ11章1節以下)、いったんはバビロン捕囚によってダビデの家は切り倒されたように思われましたが、切り株から新たな芽が伸び、しっかり実を結ぶことが出来るよう、神の恵みで守られていたのです。この系図を書き記した歴代誌の記者の心に、この神の恵みに対する感謝と喜びが溢れているのではないでしょうか。

 38年の長患いの男を安息日にお癒しになった主イエスが、「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ」とお語りになりました(ヨハネ5章17節)。父なる神が恵みと憐れみをもってその選びの民を守り、支えてこられたように、主イエスは、その恵みから漏れている人々をも主の安息に与らせるために来られ、そして今日、私たちを永遠の主の安息に招き入れて下さったのです。

 私たちも主の恵みに感謝し、その招きに応えるものでありたいと思います。

 主よ、私たちがあなたの召しに与ったのは、私たちの能力などの故ではなく、ただ主の霊により、御業が成し遂げられるためです。召しに忠実に歩むことが出来るように、御前に謙り、御言葉と御霊の導きに常に与らせて下さい。主の恵みと導きが豊かにありますように。 アーメン





3月27日(水)の御言葉 歴代誌上2章

「エッサイには長男エリアブ、次男アミナダブ、三男シムア、四男ネタンエル、五男ラダイ、六男オツェム、七男ダビデが生まれた。」 歴代誌上2章13~14節


 イスラエル12部族の中で、先ずユダ族の系図が記されています。この部族に、王ダビデが誕生しました。彼の王としての業績については、11章以下に詳しく述べられています。歴代誌に占めるダビデについての記事量の多さに、歴代誌の記者がダビデに対して抱いている信頼や敬意を見ることが出来るようです。

 しかしながら、ダビデの家系は、決して理想的と言えるようなものではありませんでした。ダビデは上記のとおり、ユダ族の出身ですが、族長ユダの長男エル、そしてその弟オナンは、主の御旨に背いて主に撃たれます(3節、創世記38章7節以下)。その後、嫁タマルが義父のユダと関係し、子をもうけました(4節、創世記38章18節)。その子孫カルミの子アカルは、イスラエルに災いをもたらしました(7節、ヨシュア記7章では「アカン」)。

 ダビデの曾祖父ボアズは、その父サルマ(ルツ記では「サルモン」)と遊女ラハブとの間に生まれた子です(11節、マタイ1章5節)。また、ダビデの祖父オベドは、曾祖父ボアズとモアブ人女性ルツとの間に生まれました(12節、ルツ記4章)。申命記23章4節には、モアブ人は主の会衆に加わることが出来ないとあります。およそ、イスラエルの王たるに相応しいとは言い難い婚姻関係です。

 そして、ダビデは冒頭の言葉(14節)のとおり、7人兄弟の末子として生まれました。エッサイの息子たちの中から王を選ぶとき、神の人サムエルは、長男エリアブに目を留め、「彼こそ主の前に油を注がれる者だ」と思いました(サムエル記上16章1節以下、6節)。けれども、主はそれを受け入れず、「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言われて(同7節)、末子ダビデを選び(同12節)、油を注がせました(同13節)。

 ダビデはその心の清さによって選ばれたようですが、しかし、そのダビデが、部下ウリヤを戦死させてその妻バト・シェバを横取りするという、誰よりも重い罪を犯したのです(サムエル下11章)。ここに見る限り、このようなダビデの家系が選ばれ、祝福に与ることが出来たのは、一方的な主の恵みであり、憐れみというほかありません。

 そもそも、主は一体、ダビデの心をどのように見られたというのでしょうか。それは、罪など犯さない全き清さということなどではありません。そうではなく、罪を指摘されたときにそれを素直に認め、直ちに悔い改める従順さ、自分のメンツよりも主に従うことを喜ぶ純真な信仰でしょう(サムエル記下6,12,24章参照)。

 私たちの主イエスは、ダビデの子孫として、ダビデの町ベツレヘムの家畜小屋でお生まれになり、飼い葉桶をゆりかごとされました(ルカ2章)。罪人の系譜の中に誕生され(マタイ1章1節以下、ルカ3章23節以下)、そのすべての罪を引き受けて十字架で死なれたのです(ルカ23章)。

 御子イエスの死により、私たち人類のすべての罪が赦され、新しい命に生きることが出来る道が開かれました(ローマ3章21節以下、6章23節、8章3節)。誰でも、主イエスを受け入れ、その名を信じた者には、神の子となる資格が与えられたのです(ヨハネ1章12節)。

 主イエスがサマリアで一人の女性に対して、「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と語られ(同4章14節)、また、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝するときが来る。今がそのときである。なぜなら、父はこのように礼拝する者たちを求めておられるからだ」と話されます(同23節)。

 それは、罪の中にいたその女性に救いを与えるためです。名前も記されないサマリアの女性ですが、彼女は主イエスと出会って変えられ、主イエスを証しする者となりました(同28,29節)。

 私たちも、自分が何者であるか、また、どれほど愛されている者であるかを悟り、主イエスの愛と恵みを証しするために用いられる器として頂きましょう。そのために、聖霊に満たされて、私たちの内から生きた水が川となって流れ出るようにして頂きましょう(同7章38,39節)。主は、求める者に聖霊をお与え下さいます(ルカ11章13節)。聖霊の満たしと導きと祈り求めましょう。

 主よ、朝に夕に賛美のいけにえ、御名を讃える唇の実を御前に献げます。主の御言葉に耳を傾け、その導きに従います。聖霊に満たし、主を証しする力を授けて下さい。祝福が常に豊かにありますように。 アーメン





3月26日(火)の御言葉 歴代誌上1章

「アブラハムの側女ケトラが産んだ子は、ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュア。」 歴代誌上1章32節

 今日から歴代誌です。1章にはたくさんの人の名前が記されています。以前、初めて聖書を開いた人がマタイによる福音書1章を読んで、こんな知らない人の名前を読むくらいなら、電話帳を読んだほうがましだと思った、という話を聞いたことがあります。それに似た思いになる人も少なくないのではないでしょうか。

 系図には、すべての世代のすべての人の名が記されるわけではありません。そこには取捨選択があります。1節から4節冒頭のノアまでは、直系の系図になっています。たとえば、1節のアダムについては、長男カインと次男アベルの名はどこにも記されていません(創世記4章参照)。けれども、その後の「セム、ハム、ヤフェト」はノアと息子たちの名で、5節以下はその子らの系図になっています。

 そのような記し方をするのは何故か、理由を明らかにしてはいませんが、神が「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」と命じられたこと(同1章28節)、そして、「ノアの洪水」でノアの家族以外は滅ぼされ(同6章以下)、箱船から出たノアの息子たちが世界中に広がっていった様子が、系図を通して窺えるようになっているようです(同10章)。

 また、歴代誌は10章でサウルの死を記し、11章以降29章まで、ダビデについて記していますが、なぜか、9章には、捕囚期の後、エルサレムに住んだ者の名が記されています(ネヘミヤ記11章)。ということは、歴代誌の読者は、バビロン捕囚から帰還し、エルサレムの都を再建した以降の人々ということになります。

 サウル、ダビデについて記す前に、捕囚からの帰還民の名を記すことで、その帰還民が、アダムやアブラハムの祝福を受け継ぐ子孫であるということを言い表しているわけです。

 冒頭の言葉(32節)に、「アブラハムの側女ケトラ」とあります(創世記25章1節以下も参照)。ケトラは、歴代誌に記されている名前の列の中で初めて登場した女性ですが、ケトラのことを知っている人、どれくらいいるかなあというようなマイナーな存在ではないでしょうか。同じ書くなら、アダムと共に造られた最初の女性エバもいるし、アブラハムの妻ということなら、サラが本妻です。

 34節の「イサク」を産んだのはサラでした。また、アブラハムにはハガルという側女もいて、そちらのほうがよく知られていると言えます。そのような、聖書を読んだことがある人なら、当然記憶していそうな女性の名前は書かれていなくて、ほとんどの人が記憶していない、否、その存在さえ認識されていないような女性の名前が記されているのです。

 ここに、大切な神様のメッセージがあると思います。それは、誰が注目しなくても、私たちのことを覚えておられる方がいらっしゃる、産みの母が腹を痛めて生んだ自分の子どもの存在を忘れることなど、万に一つもないと思いますが、たとえそういうことがあっても、わたしは決して忘れることはないと宣言される方がおられるということです(イザヤ49章15節)。

 洋の東西を問わず、女性や子どもを「ものの数」に入れないというところがあります。イエス様が五つのパンと二匹の魚を分けて食べさせたときにも、女性と子どもの数は数えられませんでした(マタイ14章21節など)。

 しかるに神は、2羽1アサリオンで売られ、2アサリオン払うと4羽にもう1羽おまけが付いてくるという小鳥(1アサリオンは1デナリオンの十六分の一の価値、1デナリオンは労働者1日の賃金に相当。1デナリオンを1万円と考えれば、1アサリオンは600円程度)でさえ、空を飛んでいるのか、木にとまっているのか、あるいはまた、地に降りて餌をついばんでいるのかなど、神は航空機の管制官のように、すべて把握しておられます。

 まして、私たちのことは、髪の毛の数を数えるほどに大切に思っていて下さるのです(マタイ10章29~30節、ルカ12章6~7節)。

 「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」ている(イザヤ書43章4節)、と仰って下さる神のラブレターを今日も頂いて、神の御愛で心いっぱい満たされて、一日を喜びと感謝と祈りで過ごさせていただきましょう。

 主よ、私のように取るに足りない者にも目を留め、愛と慈しみを豊かに注いで下さり、心から感謝致します。今日も私の名を呼び、掌にあなたを刻みつけると仰せ下さいます。御子の血によって私を贖い、神の子として下さった主の御名が、ますます崇められますように。全世界に主の恵みと導きが豊かにありますように。 アーメン









3月25日(月)の御言葉 列王記下25章

「ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。」 列王記下25章29節


 ヨヤキンは、攻め上ってきたバビロンの王ネブカドネツァルに降伏し、他のすべての者と共に捕囚としてバビロンに連れて行かれました(24章12節以下)。これは、第一次バビロン捕囚と呼ばれます。紀元前597年頃に起こりました。

 代わって王となったゼデキヤがバビロンに反旗を翻したため(同17節以下)、バビロン軍がエルサレムの周囲に堡塁を築き(1節)、エルサレムを包囲して兵糧攻めにします(2節)。シオン(要害)と呼ばれたのは、だてではなく、一年余り持ちこたえますが(1,2節参照)、やがて兵糧がなくなり、都の一角が破られたのを見て、夜中にゼデキヤは逃げ出します(3,4節)。

 しかし、エリコの荒れ地で捕らえられ、リブラにいたバビロンの王ネブカドネツァルのもとに引き出され、裁きを受けました(5,6節)。目の前で王子たちが殺され、そして両眼がつぶされ、足枷がはめられて、バビロンまで連行されました(7節)。

 エルサレムの都は、神殿や王宮、すべての家屋が焼き払われ(8,9節)、城壁が取り壊されました(10節)。また、貧しい民の一部を除いて、他の者は皆捕囚としてバビロンに連れ去られました(11,12節)。これを、第二次バビロン捕囚と呼びます。紀元前587年のことです。第一次補囚597年を「いくな」、第二次補囚587年を「いやな」と読むと、覚えやすいでしょうか。

 バビロン王は、イスラエルに残した者たちの上に、ゲダルヤを総督として立てました(22節)。ゲダルヤは、ヨシヤ王の書記官シャファンの孫で(22章3節)、父アヒカムと共に、預言者エレミヤを守りました(エレミヤ書26章24節、39章14節)。主を信じ、王に仕え、預言者に仕える家系です。

 ゲダルヤは、彼のもとに集まって来た人々に、「この地にとどまり、バビロンの王に仕えなさい。あなたたちは幸せになる」と誓って語ります(24節)。この言葉の背後に、預言者エレミヤの指導があったと思われます(エレミヤ書39,40章参照)。

 ところが、王族の一人、ネタンヤの子イシュマエルが、ゲダルヤを暗殺してしまいます(25節)。それは恐らく愛国心から出た行動だったと思われますが、しかし、総督を殺してしまったことでバビロンによる報復を恐れ、彼らはイスラエルを捨て、エジプトに向かって出発します(26節)。

 神の憐れみによってエジプトの奴隷から解放され、約束の地に住むことが出来たイスラエルの民が、今や神の恵みを失って、再びエジプトに逃れるのです。恩を忘れ、恵みを蔑ろにする者のなれの果てです。でも、私には彼らを笑うことが出来ません。他人のことを言えた義理ではないからです。

 一方、最初に捕囚とされたユダの王ヨヤキンは、37年の長い獄中生活の後、新たにバビロン王となったエビル・メロダクに情けをかけられました(27節)。王は、ヨヤキンを獄から出し、捕囚の身となっていた他の王たちの中で最高の位を与え(28節)、さらに、毎日欠かさず一緒に食事をするようにしたのです。

 ヨヤキンにしてみれば、なぜそのような恵み、光栄に与ることが出来るようになったのか、訳が分からなかったのではないでしょうか。全く一方的な恵みですね。

 ここにも、神の計画は、災いではなく平和の計画であり、将来と希望を与えるものである(エレミヤ29章11節)という預言の成就を見ることが出来ます。神はイスラエルを滅ぼしたかったのではなく、今もなお、悔い改めて神のもとに立ち帰ることを待っておられるということです。神の恵みによって歩ませたいと願っておられるのです。

 私たちも、王の王、主の主であられるイエス・キリストの憐れみによって罪が赦され、解放されました(ローマ6章18節、8章2節)。主を信じる信仰により、神の子となる特権に与りました(ヨハネ1章12節)。日毎に信仰の養いを頂いています。やがて御国に召されたときには、主と共に食卓を囲むことが出来ます(マタイ26章29節参照)。

 もう一度神の御前に謙り、霊と真実をもって神を礼拝する者とならせていただきましょう。

 主よ、どんなときにも安らかに主を信頼していることが出来ません。艱難に襲われるとき、危機に遭遇すると、我を忘れてしまいます。弱い私を顧み、試練に遭わせないで、悪しき者から救い出して下さい。人知を越えた主の平安をもって、わたしの心と考えを守って下さい。お言葉どおり、この身になりますように。主の恵みと平安が豊かにありますように。 アーメン





3月24日(日)の御言葉 列王記下24章

「バビロンの王はヨヤキンに代えて、そのおじマタンヤを王とし、その名をゼデキヤと改めさせた。」 列王記下24章17節


 ついに、南ユダが王国が滅亡し、バビロンに隷属する日がやって来ました。ヒゼキヤの代に預言者イザヤを通して主が告げられたとおり(20章17,18節)、神殿と王宮の宝物がすべて運び出され(13節)、王や高官、有力者たちをはじめ、軍人、職人、鍛冶なども捕囚として連れて行かれました(14節以下)。

 鍛冶も職人ですが、わざわざ特記されているのは、彼らが刀や槍などの武具を取り扱う者だからでしょう。エルサレムから軍人や武器、そして鍛冶を取り上げれば、再軍備して反乱を起こすのを、未然に防ぐことが出来るというわけです。

 余談ですが、聖書には、「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」という言葉があります(エフェソ6章10節以下、11節)。それは、「暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にする」戦いのためです(同12節)。人間を悪魔扱いするものではありません。

 身に着けるべき武具は、真理の帯、正義の胸当て(14節)、平和の福音のサンダル(15節)、信仰の盾(16節)、救いの兜、霊の剣なる神の御言葉(17節)、そして、執り成しの祈りです(18節)。闇の世を支配している悪魔との戦いの中にいることを覚え、すべてを成し遂げてしっかりと立つことが出来るように、絶えず御霊によって武装させていただきましょう。

 話を元に戻して、イスラエルは神との交わりを失った結果、大切なものをすべて奪われてしまいました。そして、冒頭の言葉(17節)のとおり、バビロンに連れて行かれたヨヤキンに代えてその叔父マタンヤが王とされ、名をゼデキヤと改めさせられました。彼がイスラエル最後の王です。

 マタンヤは「主の賜物」という意味でしたが、それをゼデキヤ、「主の義」と改めたとあります。バビロンによって主の義がもたらされた。バビロンに従うことを通して、主との関係が正しくなるということを示しているかのようです。

 即ち、主がバビロンを義の器として用いておられるのです。勿論、バビロンが主なる神に対する篤い信仰を持っていたので、義の器として用いられているということではありません。イスラエルが主の憐れみを受け、もう一度神に立ち帰るために、異邦の強国が用いられたのです。

 預言者エレミヤが、神の計画は災いの計画ではなく、平和の計画、将来と希望を与えるための計画である、と言っています(エレミヤ書29章11節)。その計画とは、バビロンの奴隷となった後、70年して帰国することが出来るという計画です(同10節)。

 国が滅びて他国の奴隷となることが、どうして災いではなく、平和の計画、将来と希望を与える計画と言えるのでしょうか。それは、この苦難を経験して、王を初め、国の民が主を呼び、祈り求めるからでしょう。そして、主がそれを聞いて下さり(同12節)、主を尋ね求めるなら、見出すことが出来(同13節)、さらに、主と出会うことが出来るようにして下さるからです(14節)。

 つまり、神の民の平和とは、主なる神との関係が正しくなることなのです。そして、主との関係が正しくなるとき、希望と平和の源なる神(ローマ15章13,33節)が、将来と希望をお授け下さるのです。

 しかしながら、ゼデキヤは、バビロンの王に反旗を翻します(20節)。そもそも、ゼデキヤが王となったのは、バビロンの後ろ盾があったからですが、その後見人を捨ててエジプトに頼るのは、愚かとしか言えません。前王ヨヤキン、その父ヨヤキムはエジプトの傀儡だったわけですが(23章34節以下)、バビロンに攻められたとき、エジプトはユダを助けてくれることはなかったからです(7節)。

 それを知らなかったとは思えませんが、それでも、その愚行を行ったということは、神がイスラエルの罪を裁くために、ゼデキヤに最悪の選択をさせたと言ってもよいかも知れません(3,4節参照)。

 主に心を向けて内側から主に取り扱われ、その御心を悟り、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりましょう(ローマ12章2節)。そのため、先ず、神のご支配と神との親しい交わりを求めて、御前に進みましょう。主を信頼して大胆に神に近づきましょう(ヘブライ4章16節、7章19,25節など)。

 主よ、私たちがまだ弱く、罪人だったとき、私たちのためにキリストが死なれて神の愛を示され、敵であったのに、御子の死によって和解させて頂きました。その恵みに与った者として、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、義のための道具として神に献げます。主の御業のために用いて下さい。御国が来ますように。御心が行われますように。 アーメン




3月23日(土)の御言葉 列王記下23章

「王は柱の傍らに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓った。」 列王記下23章3節


 神殿で「律法の書」(申命記)を見出したユダの王ヨシヤは(22章8節以下)、すべての長老を集め(1節)、ユダのすべての民にそのすべての言葉を読み聞かせました(2節)。失われていたのですから、長い間、契約の言葉を読むことも、聴くことも出来なかったわけです。

 それを読んで聞かせた後、冒頭の言葉(3節)のとおり、もう一度、主の御前で契約を結び、「主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと定めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓」いました。

 「心を尽くし、魂を尽くして」は、申命記6章5節の「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」を思い出させます。使徒ヨハネは、「神を愛するとは、神の掟を守ることです」と言いました(第一ヨハネ5章3節、ヨハネ福音書14章15節)。列王記では、「力を尽くし」が抜けており、これは実行力のことを言っていると考えられます。しかし、ヨシヤは実に力を尽くしてこれを実行しました。

 4~25節には、ヨシヤが律法の書に記されていたことを、どのように実行したのかということが、記されていますが、それは、イスラエル王国始まって以来の罪を一掃する徹底ぶりでした。ヨシヤのように、律法に従って徹底的に主に立ち帰った王は、後にも先にもありません。異教の偶像や祭壇、聖所を焼き、汚し、取り壊しました。異教に仕える者たちを取り除きました。サウル王の即位以来、顧みられなかった過越祭を復活させました。

 実際、ヨシュア記5章以降、過越祭という言葉が出て来ません。過ぎ越しの出来事に示された神の救いの恵みに感謝することを、忘れているかのようです。そんな大切なことを忘れるほど、その他のことに忙しかったということでしょうか。「忙しい」と「忘れる」は、いずれも心を亡ぼすという漢字です。主に信頼し、その御言葉に従って歩む信仰の心が失われ、滅びの道を急いでいたわけです。

 御言葉に土台し、御言葉に従って歩む国、そこに住んでいる人々は幸せだと思います(詩編1編1節以下、33編12節、40編5節、112編1節など参照)。しかし、ヨシヤの改革だけでは、人を新しく作り替えることは出来ませんでした。ヨシヤの死後、王に即位した彼の子らは、またもや主の目に悪とされることをことごとく行うのです。

 しかし、ヨシヤの改革は、決して無駄ではなかったと思います。そうであるなら、ヨシヤの業績をここまで詳しく書き記す必要はないでしょう。他の王たちと同様、「主の目にかなう正しいことをことごとく行った」という評価、あるいはそれに少し付け足して、一番熱心に主に従ったとか、右にも左にもそれることがなかったと記しておしまいにすることも出来たと思います。

 列王記の記者がそうしなかったのは、どんなときでも、たとえ国が滅び、他国の奴隷とされることになっても、もう一度、悔い改めて御言葉に従う生活を取り戻そう、どういう状況でも神に信頼して歩もうと言いたいのです。

 ヨシヤは8歳で王位に就きました(22章1節)。彼の父は、家臣に暗殺されています。幼い少年の心には、恐れや不安が一杯だったでしょう。そのような中で神を求め始めたのです。すると、律法の書を見出しました。その御言葉に従って悔い改め、御言葉に従う生活を行ったのです。彼はそこに恵みを見出し、平安を味わったのではないでしょうか。御言葉に励まされ、力づけられていたのではないでしょうか。

 本当に人の心を変えるのは、神の愛、聖霊の力です。神の愛を頂きましょう。聖霊の力を頂きましょう。神は求めてくる者に聖霊を与えて下さいます(ルカ11章13節)。そして、聖霊を通して私たちの心に神の愛が注がれてくるのです(ローマ5章5節)。だから、苦難をも喜び、誇ることが出来ます(同5章2節)。これが、パウロの確信であり、私たちが御霊の導きによって味わうべき信仰の世界なのです。

 主よ、私たちが、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主を愛し、御言葉を実行する者となることが出来ますように御言葉に心から耳を傾ける者とならせて下さい。常に聖霊に満たされ、その力に与らせて下さい。そうして、主の恵みの証し人、愛の証し人として用いて下さい。御名が崇められますように。 アーメン






3月22日(金)の御言葉 列王記下22章

「その時大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、『わたしは主の神殿で律法の書を見つけました』と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。」 列王記下22章8節
 
 前に、ヨアシュの時代にエルサレム神殿の修復がなされたという記事がありました(列王記下12章)。その後、アハズやマナセ、アモンが主の目に悪を行い、神殿を汚しました。アモンが謀反で殺され、その子ヨシヤが8歳で王位につきました(1節)。

 彼には大変優れたブレーンがいたようです。母親エディダの薫陶でしょうか。あるいは、大祭司ヒルキヤや女預言者フルダのような預言者たちの指導でしょうか。詳細は不明ですが、その甲斐あって、歴代誌によればヨシヤは16歳のときに自ら神を求め初め、20歳で宗教改革に着手します(歴代下34章3節)。

 初めに、国内から偶像を取り除きます。その後、治世第18年、即ち26歳になって、神殿の修復を進めます(3節以下)。すると、冒頭の言葉(8節)のとおり、律法の書をヒルキヤが見つけました。長い間失われたままになっていたわけです。

 当時は、聖書を簡単に手に入れることは出来ませんでした。羊皮紙という高価な巻物に書き写していたわけです。祭司と、律法の写しを造って自分の傍らに置いておけと命じられている(申命記17章18,19節)王以外に、聖書を持っている者はいなかったと思われます。見つけられたのは申命記であると考えられていますが、申命記が失われたままになっていました。

 律法の書は契約の箱の傍らに置かれているはずでした(申命記31章26節)。その律法の書の所在が分からなくなるほど、神殿が壊れ、荒れていたのでしょうか。あるいは、異教の礼拝がなされて、聖書がないがしろにされ、王も祭司も、律法の書を紛失していることにも気づかなかったのでしょうか。

 しかるに神は、神を求めて宗教改革を断行しているヨシヤのために、律法の書を見つけさせました。「神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます」(ヤコブ4章8節)と言われるとおり、神を求めたヨシヤに神が答え、神の言葉を与えて下さいました。

 つまり、律法の書を見つけさせて下さったのは、実は、神の計らいだったということではないでしょうか。神は生きておられ、求める者に必要な最も良いものをお与え下さいます(マタイ7章7,11節)。

 御言葉が開かれると、ヨシヤは衣を裂いて悔い改め(11節)、祭司たちを預言者フルダのもとに遣わし、主の御旨を尋ねます(12節以下)。

 そこで語られた神の言葉は、厳しいものでした。「この書のすべての言葉の通りに、この所とその住民に災いをくだす。彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない」と言われるのです(16,17節)。

 つまり、ヨシヤの善行をもってしても、その怒りの火を消すことが出来ないほど、ユダの罪が積み重ねられてきたということです。

 しかし、ヨシヤの謙りと悔い改めが無駄であったというわけではありません。御言葉を聞いて心を痛め、主の御前に謙り、衣を裂いて泣くヨシヤの祈り願いを主が聞かれ、彼を憐れみ、恵みをお与え下さるのです(19節)。ヨシヤの悔い改めは、御言葉が開かれることでなされました。

 その悔い改めに目を留め、神が恵みをお与えになったのですが、御言葉を見つけさせて下さったのも神でした。ヨシヤが神を求め始めたのは、優れた教師の指導でしょうけれども、御言葉に従って悔い改めに導くため、後ろで糸を引かれたのは、やはり神様でしょう。ヨシヤ一人で、神の決定を覆すことは出来ませんでしたが、しかし、最後まで神は民の悔い改めを待っておられるのです。

 神は繰り返し、様々な方法で語りかけ、御言葉に従うようにと導かれます(ヘブライ書1章1,2節)。それは、神と出会わせ、もう一度、神との親しい交わりを回復させて下さるためです。そのために主イエスを遣わされ(ヨハネ10章10,11節)、また「アバ父よ」と呼ぶ霊を授けて下さったのです(ローマ8章15節)。

 日々、御言葉を開きましょう。絶えず主の導きを求めて、「アバ父よ」と祈りましょう。
 
 主よ、あなたの深い憐れみにより、主と出会い、信仰に導かれたことを、心から感謝致します。いつも親しく主の御声を聞き、十字架の主の御顔を拝し、深い御旨を悟らせていただくことが出来ますように。 アーメン





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