風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2013年02月

2月28日(木)の御言葉  列王記上22章

「イスラエルの王は、約四百人の預言者を招集し、『わたしはラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか』と問うた。彼らは、『攻め上って下さい。主は、王の手にこれをお渡しになります』と答えた。」 列王記上22章6節


 ユダの王ヨシャファトがアハブ王を訪ねて来たとき、アハブが家臣に(2節)、ラモト・ギレアドをアラムの手から奪い返そうと言い(3節)、ヨシャファトに「わたしと共に行って、ラモト・ギレアドと戦っていただけませんか」と、援軍を要請します(4節)。

 それを聞いたヨシャファトは、「わたしはあなたと一体」と、すぐに承諾します(4節)。歴代誌下18章1節に、「アハブとも姻戚関係を結んだ」とありますから、アハブから嫁を貰っていたのでしょうか。詳細は不明ですが、北イスラエルと南ユダの間には、友好関係が成立していたわけです。

 ただ、ラモト・ギレアドに攻め上るにあたり、ヨシャファトはアハブに、先ず主の託宣を求めるようにと要求します(5節)。そこで、冒頭の言葉(6節)のとおり、アハブは預言者400人を集め、託宣を求めます。彼らは王に、「攻め上ってください。主は、王の手にこれらをお渡しになります」と答えました。

 ヨシャファトはしかし、それに満足せず、「このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と、アハブに尋ねます(7節)。ヨシャファトは、主の目に適う正しい道を歩んでいたので(43節)、主の御声を聴きたかったのです。

 アハブに呼び出された主の預言者ミカヤも、「攻め上って勝利を得てください」(15節)と言います。しかし、アハブが、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と念を押すと(16節)、「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのを見た」と告げます(17節)。

 ということは、アハブがこの戦いで命を落とすということです。さらに、ミカヤは400人の預言者を「あなたのすべての預言者」と呼び(23節)、即ちそれは、アハブの御用預言者だということですが、彼らは、アハブをラモト・ギレアドで倒すために偽りを語らせる霊に唆されていると言います(19節以下)。つまり、彼らは主の預言者ではないというのです。

 アハブはミカヤを、自分に幸運を告げないと言いますが(8,18節)、神が幸運を告げられれば幸運を、災いを下すと言われれば災いを語るのが、真の預言者というものです。どんなに王が喜ぶからといっても、幸運しか告げないというのであれば(13節)、それは確かに、「御用預言者」と言わざるを得ません。そしてそれでは、王の気分をよくする以上の効果を期待することは出来ないのです。

 アハブはヨシャファトに援軍を頼む前に、先ず主に問うべきだったのです。幸運しか告げない御用預言者ではなく、かつて、エリヤの言葉を聞いて謙り、悔い改めたように(21章27節以下)、真実を語る主の預言者に耳を傾け、その御言葉に忠実に従うべきだったのです。

 そうしないので、ミカヤは主の命令に従って、アハブに災いを告げざるを得ないのです。とはいえ、主なる神はアハブを滅ぼしてしまわれたいわけではありません。謙って主に聴き従うことを求め、その信仰によってアハブに幸いを授けたいと思っておられるのです。

 アハブは、ヨシャファトを伴って、ラモト・ギレアドに攻め上ります。アハブは、ヨシャファトがイスラエルの王であるかのように偽装して、戦場に赴きました(30節)。ミカヤの預言が気になっていたわけです。そして、ヨシャファトは、この戦いに乗り気でなかったのではないでしょうか。

 結局、ヨシャファトは役不足で偽装がばれて戦死を免れましたが(32節)、変装していたアハブは、流れ弾とでもいうような、何気なく引かれた弓矢で射貫かれて深手を負ってしまい(34節)、帰らぬ人となりました(35節)。

 かくてミカヤは、イスラエル人が羊飼いのいない羊のように山々に散るのを見ることになりました。それは、主イエスが真の王になるまで続くのです。私たちにとって、真のよい羊飼いは、主イエスのほかにはおられないからです(ヨハネ10章11節)。よい羊飼いは、羊のために命を捨てられます。それは、羊に命を豊かに得させるためです(同10章10節)。主の与え尽くす愛にとどまり、主の豊かな命に生かされましょう。

 主よ、あなたの御愛に感謝いたします。私たちの心が、主の愛と平安で絶えず満ち溢れますように。すべての民が主の御声に耳を傾け、一人の羊飼いに導かれる一つの群れとなることが出来ますように。御国を来たらせて下さい。御心がこの地になされますように。 アーメン




2月27日(水)の御言葉  列王記上21章

「アハブがわたしの前にへりくだったのを見たか。彼がわたしの前にへりくだったので、わたしは彼が生きている間は災いをくださない。」 列王記上21章29節


 イスラエルの王アハブは、宮殿の側にあるブドウ畑を譲ってくれと、イズレエル人ナボトに、持ちかけました(1,2節)。しかし、先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることは出来ないと、ナボトはそれを断ります(3節)。それで、アハブはすっかり機嫌を損ね、腹を立てて宮殿に帰りました(4節)。

 機嫌を損ね、食事も摂らないでいるので、妻イゼベルがそのわけを尋ね(5節)、いきさつが分かると、「わたしがイズレエルの人ナボトのブドウ畑を手に入れてあげましょう」と言い(7節)、アハブの名でその町の長老と貴族に手紙を書きます(8節)。

 そこには、「断食を布告し、ナボトを民の最前列に座らせよ。ならず者を二人彼に向かって座らせ、ナボトが神と王とを呪った、と証言させよ。こうしてナボトを引き出し、石で撃ち殺せ」と記されていました(9,10節)。町の人々は、イゼベルが命じたとおりにしました(11節以下)。

 ナボトが打ち殺されたという知らせを聞いて、イゼベルはアハブに、「イズレエルの人ナボトが、銀と引き替えにあなたに譲るのを拒んだあのぶどう畑を、直ちに自分のものにしてください。ナボトはもう生きてはいません。死んだのです」と告げました(15節)。アハブはただちにナボトのブドウ畑を自分のものにするため、行動しました(16節)。

 この蛮行を見られた主は、預言者エリヤをアハブのもとに遣わします(17節以下)。それは、主の目に悪とされることに身を委ねたアハブに、「犬の群れがナボトの血をなめたその場所で、あなたの血を犬の群れがなめることになる」(19節)と告げさせるためです。

 アハブの前に進んだエリヤは、「見よ、わたしはあなたに災いをくだし、あなたの子孫を除き去る」(21節)と語り、またイゼベルにも、「イゼベルはイズレエルの塁壁の中で犬の群れの餌食になる。アハブに属する者は、町で死ねば犬に食われ、野で死ねば空の鳥の餌食になる」と告げました(23,24節)。

 これらのエリヤの言葉を聞いて、アハブは衣を裂き、粗布を身にまとって断食し、粗布の上に横たわり、うちひしがれて歩きました(27節)。聖書は、アハブのように悪とされることに身を委ねた者はいなかったと言い、それは、妻イゼベルに唆されたのであると語ります(25節)。一方、エリヤの言葉で、あっけないほど素直に悔い改めます。

 これを見ると、アハブは小心者の善人で、妻のイゼベルがとんでもない悪者ということになりそうです。その要素が全くないとは言いませんが、しかし、神の前に義人なし、一人だになしです(詩編14編1~3節、ローマ3章10~12節)。神の赦しなしに、神の前に立てる者はいません。神の憐れみがあるからこそ、救いの道が開かれるのです。

 神の断罪の言葉を聞いて謙ったアハブは、しかし、それで義人になったわけではありません。主を信じて従順に聴き従う者になったわけでもありません。この後、主の預言者ミカヤの語る御言葉に耳を傾けることが出来ず(22章8,16,18節)、結局、ラモト・ギレアドにおけるアラム軍との戦いにおいて、命を落とすことになります(同29節以下、34,35節)。

 けれども、神は罪人を断罪して、罰を与えたいと考えておられるわけではありません。神の御前に悔い改め、謙って真理の道、命の道を歩んで欲しいと願っておられるのです。だから、裁きの言葉を聞いてアハブが謙り、悔い改める姿勢を示したのを見られた主は、冒頭の言葉(29節)の通り、アハブに下すと言われた罰の実行を思い留められました。

 「わたしは彼が生きている間は災いをくださない。その子の時代になってから、彼の家に災いをくだす」と、その執行を先延ばしにされたのです。そして、確かにアハブには主が語られた罰は下されず、戦死した彼は、サマリアに葬られました(22章37節)。

 しかしながら、それで罪を不問にされるわけでもありません。血が流されることなしに、赦しが実行されることはないのです(ヘブライ書9章22節)。神の御子イエス・キリストが、神の御前に私たち罪人に替わってその律法の呪いを受け、十字架で血を流し、死なれました。この神の慈愛に絶えず留まりましょう(ローマ11章22節)。

 今日も十字架の主を仰ぎ、その御言葉に耳を傾けつつ、歩みましょう。「もしいけにえがあなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、わたしはそれをささげます。しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(詩編51編18,19節)と詠われているとおりです。

 主よ、あなたの深い愛と憐れみに心から感謝致します。その御手の下に身を寄せ、慈しみの内を歩みます。私たちの上に、主の恵みと慈しみが限りなく豊かにありますように。 アーメン



2月26日(火)の御言葉  列王記上20章

「主はこう言われる。『アラム人は主が山の神であって平野の神ではないと言っているので、わたしはこの大軍をことごとくあなたの手に渡す。あなたたちは、わたしこそ主であることを知る。』」 列王記上20章28節


 アラムの王ベン・ハダドが全軍を率いて北イスラエルの首都サマリアを包囲しました(1節)。アラム軍は圧倒的な軍事力で、サマリアを陥落させるのは時間の問題でした。ベン・ハダドはアハブに使いし、明日までに王の銀と金だけでなく、妻子たちも差し出せと要求しました(2節以下、6節)。

 王は長老を招集し、アラム王の要求について知らせます(7節)。それを聞いた長老らは、その要求を拒否するよう進言したので(8節)、アハブはアラム王の使者に、今回の要求には従えないと返答します(9節)。

 アラム王は、サマリアの全滅を誓う言葉を伝えて来ますが(10節)、アハブは、「武具を帯びようとする者が、武具を解く者と同じように勝ち誇ることはできない」(11節)、つまり、勝負は下駄を履くまで分からないと言い返しました。勇気という表現では語れない反応です。それを聞いたベン・ハダドは、大軍に戦闘配置を命じました(12節)。

 そのとき、一人の預言者がアハブ王に近づき、「この大軍のすべてをよく見たか。わたしは今日これをあなたの手に渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る」という主の言葉を告げます(13節)。アハブが、誰を用いるのかと尋ねると、主は「諸州の知事に属する若者たちである」と答えられます(14節)。

 招集された若者たちは、232名でした(15節)。彼らは、指導者の側近としてよく訓練され、活躍することが期待出来たのでしょう。続いてイスラエルのすべての民も招集しました。そして、正午にアハブと若者たちが出陣しました。

 アラム王ベン・ハダドはその時、酒盛りをしていました(12,16節)。そして出陣の知らせに、和平のためであれ、戦いのためであれ、彼らを生かしたまま捕虜にせよ、と命じました(18節)。昼日中、大将が酒盛りをしている状況に、兵たちも完全に緊張感を欠いていたのではないでしょうか。

 イスラエルのわずかな兵のために、町を包囲していたアラムの大軍は敗戦に次ぐ敗戦、大損害を受けました(20,21節)。それは、我が国の戦国時代、桶狭間における今川義元軍と織田信長軍の合戦にも似ています。まさに油断大敵です。

 15節に、「すべての民すなわちイスラエル人七千人を招集した」とありました。これは19章18節で、神がイスラエルに残すと言われた「七千人」で、「これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者」たちです。主を礼拝し、主の御言葉に従う者たちと共に主ご自身が戦って下さったからこそ、一人一人が一騎当千の兵卒として、アラム王ベン・ハダドの大軍を打つことが出来たのです。

 無惨に敗れたアラム王の家臣たちは、「彼らの神は山の神だから、彼らは我々に対して優勢だったのです。もし平地で戦えば、我々の方が優勢になるはずです」と王に言い(23節)、年が改まったころ、再度イスラエルに挑みかかります(26節)。

 アラム大軍の進軍に対し、小さな山羊の群のようなイスラエルに主が語られたのが、冒頭の言葉(28節)でした。既に一度「わたしこそ主であることを知る」(13節)と言われた御言葉の真実を味わっていたイスラエルは、さらに力を受けて大軍に立ち向かい、一日で10万の歩兵を打ち(29節)、アフェクの町に逃げ込んだ敗残兵2万7千人の上に城壁が崩れ落ちて(30節)、アラム軍に壊滅的打撃を与えることが出来たのです。

 なぜ神は、このような勝利を北イスラエルにお与えになったのでしょうか。それは、アラムの高ぶりに主が鉄槌を下されたというところですが、しかし主は、アハブとイスラエルの民が、繰り返し、主こそ神であることを知り、悔い改めて主のもとに立ち帰り、主の御言葉に聴き従う者とならせたかったのです。

 今日も神は、その独り子を遣わされて、彼を受け入れる者、その名を信じる者に、神の子となる資格をお与えになります。愛と憐れみに富む主を信じましょう。主の御言葉に聴き従いましょう。

 主よ、あなたは甚だしく背き続けているアハブ王にすら、深い憐れみをもって勝利を与え、ご自身を知るようにと導きをお与えになりました。主に信頼し、その御言葉に聴き従う者たちは、どれほどの恵みを頂いていることでしょうか。主こそ神であられることを知り、常にその恵みを味わって、いよいよ御名を崇め、賛美をささげさせて下さい。 アーメン




2月25日(月)の御言葉  列王記上19章

「わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」 列王記上19章18節


 アハブ王からことの顛末を聞いた后イゼベルは、エリヤを24時間以内に、殺された預言者たちのようにすると、呪いをかけてエリヤに告げさせました(1,2節)。それを聞いたエリヤは、何故か恐れに包まれ、直ちに逃げ出します(3節)。

 すっかり希望を失ってしまったエリヤは、「主よ、もう十分です。わたしの命を取って下さい。わたしは先祖にまさる者ではありません」と、神に死を願います(4節)。ここに、バアルの預言者450人、アシェラの預言者400人と戦って勝利した預言者の姿はありません。そして、エリヤの勝利を見て、「主こそ神です」と言ったイスラエルの民はどこへ行ったのでしょう。

 ベエル・シェバのえにしだの木の下で眠っていたとき、天使に起こされ、パンと水が与えられます(5節以下)。その食事に力を得て40日40夜歩き続け、神の山ホレブに着きました(8節)。

 洞穴で夜を過ごしたエリヤは、「エリヤよ、ここで何をしているのか」という主の御声を聞きます。(9節)。エリヤは、自分は情熱を傾けて主に仕えて来たが、イスラエルは神に背いて祭壇を壊し、預言者たちを殺し、今やただ一人残った自分の命も狙っている、と答えました(10節)。

 18章の出来事と、このエリヤの発言までの間に、イスラエルの民が再び主を離れ、バアル礼拝に逆戻りしたのでしょうか。だから、主の祭壇が再び破壊され、バアルの預言者を殺したエリヤの命を狙うようになったのでしょうか。エリヤの言葉を素直に聞けば、そういう出来事が起こったとしか考えられません。

 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われて、エリヤの前を通り過ぎ、激しい風、地震、火を起こされました(11,12節)。聖書において、激しい風や地震、火は、主の臨在を表すものですが(出エジプト3章2節以下、19章16,18節、ヨブ40章6節、イザヤ21章1節など)、しかし、その中に主はおられなかったと言われます。

 最後にささやく声がして、その声を聴いたエリヤは立ち上がります。そして、もう一度、ここで何をしているのかと問いかけられ(13節)、エリヤは10節と同じ言葉で答えるのです(14節)。

 エリヤは、もう疲れてしまって、預言者をやめたいと考えています。死んでしまいたいとすら、思っていました。だから、神がエリヤの前を通り過ぎても、神の現臨のしるしを見ても、そこに神を見出しません。だから、心が動きませんでした。けれども、かすかな声を聞いたとき、今までとは違う呼びかけが、彼の心に届きました。彼の心はまだ変わっていませんが、もう一度神の前に立ったのです。

 エリヤに対する呼びかけは、神に背いて隠れたアダムを、「どこにいるのか」と呼び出されたのと同様です。イゼベルに脅かされ、またイスラエルの民の背信に心挫かれたエリヤは、預言者でありながら、神に聞き、神に従う心を失っていました。喜んで神を礼拝することが、出来なくなっていたのです。

 神はエリヤに、ダマスコの荒れ野に向かい、ハザエルに油を注いでアラムの王とし(15節)、ニムシの子イエフに油を注いでイスラエルの王とし、そして、アベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注いで、エリヤに代わる預言者とせよ、と命じました(16節)。そして、エリヤの働きは決して無駄ではないこと、孤軍奮闘ではないことを知らせます。それが、冒頭の言葉(18節)です。

 エリヤは、全イスラエルが再びバアルになびいたと思っていましたが、なんとバアルにひざまずかず、口づけしない7000もの人々を残す、と神が言われるのです。「七千」は、完全数「7」×完全数「10」の3乗です。つまり、バアルになびかない人がとてもたくさんいるということです。

 そして、「七千人を残す」ということは、バアルに膝をかがめなかった7000人以外の者は、17節に記されているように、ハザエルの剣かイエフの剣、あるいは預言者エリシャによって打たれるということです。

 神の前にすっかり閉ざされていた心にかすかな神の御声が届いて、御言葉に耳を開いたとき、祝福の言葉が心に響いて目が開かれ、エリヤは元気づけられました。立ち上がることが出来たのです。確かに主は、私たちを孤児とはなさいません。主を礼拝する7000人にまさる神の御子、主イエスが私たちと共におられるのです(ヨハネ14章18節、ヘブライ13章5節)。

 主を仰ぎ、今日も御言葉に耳を傾けましょう。

 主よ、インマヌエル(「神が共にいます」という意味)なる主イエスの恵みと平安が、私たちの上に常に豊かにありますように。主の御言葉に絶えず耳を傾け、その導きに喜びと感謝を持って、素直に従うことが出来ますように。 アーメン





濱川耕一先生牧師就任式

2月24日(日)午後4時より、菊池シオン教会で濱川耕一牧師の就任式が開022410かれました。






前奏はバイオリンによる「アヴェ・ベルム・コルプス」でした。
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招聘委員長・小材兄による招聘の辞と、濱川牧師による就任の辞が交わされました。
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奨励 「伝道者の使命と心得」 伊集院教会牧師・麦野賦先生
022415先生は、一昨年11月から1年間、毎月菊池シオン教会でメッセージを取り次ぎ、無牧師となった教会を支えて来られました。今回、新たに牧師を迎えられた教会に対する、温かい思いのこもったメッセージでした。





日本バプテスト連盟を代表して、九州地区宣教主事のマウマウタン先生(国分教会牧師)が祝辞を語られました。
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司会の坂田兄(左上)、祝電披露の赤塚姉(右)、挨拶の田中姉(左下)をはじめ、菊池シオン教会の皆様が、濱川牧師の就任を本当に喜んでおられました。

濱川先生と菊池シオン教会のうえに、主の恵みと慈しみが豊かにありますよう、心から祝福をお祈りいたします。
就任式おめでとうございました。



 

2月24日(日)の御言葉  列王記上18章

「『四つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上にその水を注げ』と命じた。彼が『もう一度』というと、彼らはもう一度そうした。彼が更に『三度目を』というと、彼らは三度同じようにした。」 列王記上18章34節


 干魃が3年目に入り、サマリアはひどい飢饉に襲われていました(1,2節)。エリヤはアハブ王の前に姿を現し、北イスラエルのすべての民と共に、バアルの預言者450名、アシェラの預言者400名をカルメル山に集めるよう求めます(19節)。そこで、対決をするのです。

 エリヤは北イスラエルのすべての民に、「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であればバアルに従え」と迫りました(21節)。そして2頭の牛を用意させました(23節)。互いに神の名を呼び、火をもって答える神こそ神であるというと、民は、「それがいい」と応じました(24節)。

 まず、バアルの預言者たちが、朝から昼までバアルの名を呼びますが、全く応答がありません(26節)。エリヤに嘲られて(27節)、彼らはいよいよ大声を張り上げ、体を傷つけ血を流すまでになって神を呼びましたが、結局、何の答えもありませんでした(28,29節)。

 次は、エリヤの番です。エリヤは民を側に呼び、壊された主の祭壇を修復します(30節)。首都サマリアにバアル神殿が築かれているほどですから(16章32節)、北イスラエルにおいて、主を礼拝する聖所は破壊され、祭壇は壊されたまま、荒れ放題になっていたのでしょう。

 エリヤは、イスラエル12部族に因み、12の石を用いて祭壇を築き、その祭壇の周りに溝を掘りました(31,32節)。次に、祭壇に薪を並べ、そして、牛を切り裂いて薪の上に載せました(33節)。そして、冒頭の言葉(34節)の通り、4つの瓶に水を満たして、いけにえと薪の上に注ぐように命じます。それを三度しました。

 そうして、「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたに御言葉によって行ったことが、今日明らかになりますように。わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください」とエリヤが祈ると(36,37節)、主の火が降って、献げ物の雄牛と薪、溝の水までもなめ尽くしました(38節)。

 これを見たすべての民は、「主こそ神です」と言い(39節)、バアルの預言者を除きました。この後、エリヤが祈ると、激しい雨が降り出し、干魃は終わりを告げました(41節以下)。

 なぜ、エリヤは祭壇に水を注がせたのでしょうか。簡単に火がつかないようにして、それらすべてを火がなめ尽くしたら、それは、神からの火であることがはっきりと分かるということでしょう。さらに、二つのことを思います。

 まず、4つの瓶の水を3度とは、12の瓶の水ということです。祭壇を築いた12の石がイスラエル12部族を表していたように、12の瓶の水も12部族を表しています。祭壇に水が注がれたということは、イスラエル全部族の民を満たす命の雨が与えられることの予表ということが出来ます。

 そしてもう一つ。旱魃が3年も続いている中で、瓶に水を満たすことは、決して易しくはなかったでしょう。宝のように貴重な水を、カルメル山の上まで運ばせ、それをすべて祭壇に注がせたのです。それも、一度に12の瓶をというのではなく、4つの瓶に水を満たして運ばせ、それを3度も行うというやり方で。そこに、主の御言葉に聴き従う献身を見ることが出来ます。

 主イエスがカナの婚礼に出席されたとき、ブドウ酒がなくなるという報告が主イエスにもたらされました。主イエスは召使いに水を汲ませました。100リットルほども入る大きな水瓶六つに水を満たすのは重労働だったと思います。召使いたちは、瓶の口までいっぱいに水を汲みました。その大量の水が、よいブドウ酒に変わったのです(ヨハネ2章)。

 そのように、エリヤの告げる言葉に従って、四つの瓶に水を満たして山頂に運び、祭壇と周囲の溝に注ぐこと三度、という献身の行為を主が喜ばれ、干魃を終わらせて激しい雨を降らせて下さったのではないでしょうか。

 良いものを豊かにお与え下さる主を信じ、私たちも精一杯、自分の持てるものを主のために献げる者にならせていただきたいと思います。

 主よ、あなたはエリヤの祈りに火をもって答え、ご自分が神であることを明らかにされました。そのことを通して、主なる神こそ、雨を与え、地に実りをもたらすお方、命の恵みに豊かに富ませるお方であることを示して下さいました。全地に、御名が崇められますように。御国の平和と喜びがありますように。 アーメン







2月23日(土)の御言葉  列王記上17章

「女はエリヤに言った。『今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。』」 列王記上17章24節


 列王記に預言者エリヤが登場して来ました。エリヤは、ヨルダン川の東、ケリトの川の畔にあるティシュベ出身で、ケリトの川がヨルダン川と合流するところにあるギレアドの住民でした(1節)。また、エリヤは、紀元前9世紀に、北イスラエル王国で活躍した預言者です。「エリヤ」とは、「主こそ神」という意味です。

 エリヤはアハブ王に、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。わたしが告げるまで、数年の間、露も降りず、雨も降らないであろう」と告げました(1節)。数年間の干魃ということは、その間、飢饉に見舞われるということです。それは、アハブに対する主の裁きです。アハブが主なる神を捨てて、バアル神殿を建て、礼拝しているからです。

 バアルは豊穣をもたらす雨の神として、信仰を集めていました。けれども、アハブがバアルに仕えた結果、数年の間、雨が降らなくなるというのです。ということは、イスラエルに雨を降らせ、地に実りを与えるのはバアルではなく、主なる神であるということを、ここに明確に示しているわけです。

 それから、主の言葉がエリヤに臨み、ケリトの川のほとりに身を隠します(3節)。そこで、主が語られたとおり、カラスの養いを受けます(4,6節)。カラスは人のものを盗んで食べるような鳥ですから、エリヤを養うというのは驚きであり、またなんともユーモラスです。カラスは、朝に夕にパンと肉を運んできました。一日に二度、パンと肉に与るというのは、とても豊かな食事でしょう。

 飢饉で町から食料がなくなっていくというときに、荒れ野にいたエリヤには、豊かな食物が供されていたのです。このことは、エジプトを脱出したイスラエルの民が、荒れ野でパンと肉を与えられたという出来事を思い起こさせます(出エジプト記16章8節など)。

 やがて、ケリト川が涸れてしまい(7節)、エリヤは主に促されて(8節)、シドンのサレプタに行きます(9節)。そこで一人のやもめから養いを受けるためです。彼は、町の入り口で薪を拾っていた一人のやもめに、「水を飲ませてください」と声をかけ(10節)、さらに、パン一切れを所望しました(11節)。すると彼女は、最後のパンを焼いて死ぬところで、誰かに与えることの出来るような粉も油も、もう残っていない、と答えます(12節)。

 シドンは、アハブ王の妻イゼベルの故郷です。イゼベルのゆえにアハブはサマリアにバアル神殿を建て、またアシェラ像を造りました。ですから、神はアハブを裁き、またアハブの妻イゼベルの故郷シドンを裁かれるのです。このやもめは、二階建ての家に住む、よい暮らしをしていた人物です。しかし今、命が脅かされています。バアルの神は、このやもめとその息子を養うことが出来ない、というメッセージを、ここに見ることが出来ます。

 そして、少々の水と一切れのパンをとやもめに願ったエリヤが、「主が地の表に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」(14節)という祝福を与えるのです。女性はエリヤの言葉を信じ、主の祝福に与ります(15,16節)。

 この出来事は、数百年後、サマリアの女性に語りかけられた主イエスの言葉や(ヨハネ4章7節以下)、五つのパンと魚二匹で五千人の腹を満たし、残りくずを12籠に集めた出来事(同6章1節以下)を思い出させます。

 ところが、この後、やもめの一人息子が重病になり、ついに息を引き取りました(17節)。やもめはエリヤに、自分の罪を裁き、息子を死なせるためにやって来たのかと言います(18節)。先に夫を亡くし、今また息子に先立たれる悲しみを味わうくらいなら、先に飢えて死んでいた方がよかったという言い方でしょう。

 エリヤは、息子を自分の寝台に寝かせ(19節)、「命を元に返してください」と主に祈ります(20,21節)。主はエリヤの祈りを聞かれ、子供は生き返りました(22節)。この出来事は、主こそ命を与え、養い育てて下さる真の神であられることを証ししています。

 エリヤの告げた祝福は、単に小麦粉やオリーブ油のことだけではなく、命の恵みは尽きないことを表しており、この異邦のやもめは、その恵みを味わったのですが、アハブを初め、神の御言葉に従おうとしないイスラエルの民には、厳しい裁きが臨んでいるわけです。

 主を信じ、真実な主の御言葉に日々耳を傾け、その導きに従って、ともに恵みに与りましょう。

 主よ、あのやもめはエリヤの言葉を聞き、信仰をもって答えた結果、壺の粉は尽きず、瓶の油はなくならないという奇跡を味わいました。主を信頼する者に与えられる祝福を見ます。私たちも、語られる御言葉を信じて、従うことが出来ますように。そうして、主の御言葉が真実であることを味わい、その恵みを証しすることが出来ますように。 アーメン






2月22日(金)の御言葉  列王記上16章

「オムリの子アハブがイスラエルの王となったのは、ユダの王アサの治世第三十八年であった。」 列王記上16章29節

 南ユダの王アサの治世が続いているのとは対照的に、北イスラエルでは猫の目のように王が替わります。最も短かったのはジムリで、七日間の王位でした(15節)。そのように期間が短いのは、軍の長によるクーデターが相次いで起こるからです。列王記の記者は、そのようになる原因は、彼らが神に背いてヤロブアムの罪を繰り返すからだと語っています(2,3,7,19,26,31節)。

 神は、ダビデのごとく正しい道を歩むよう、絶えず招いておられるのですが、それに従うどころか、背きの罪が少しずつエスカレートします。オムリは、「彼以前のだれよりも悪いことを行った」と言われ(25節)、その子アハブも、「彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った」と言われています(30節)。

 更にアハブは、「ネバトの子ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏し」ます(31節)。「サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築」きます(32節)。「またアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行」いました(33節)。

 さながら、罪が雪だるま式に積み重なり、滅びに向かって一気に転落していく、といった状況ですね。そういえば、今は亡き本田弘慈先生が、罪は積み重なるから「つみ」というのだとよく仰っていましたが、アハブはまさにそんな罪の様相を示しています。

 アハブがイゼベルとの結婚に踏み切り、熱心にバアル、アシェラに仕えるのは、不幸の重なった家がその災いから解放されるためにありとあらゆる宗教に救いを求めるのと同様でしょう。その心情は理解出来なくもありませんが、しかしそれでは、信頼に足る確かな助けを得ることは出来ません。その不幸は、真の神に背き、その御言葉に従わなかったために恵みを失い、保護する傘の外に出た結果、もたらされているからです。

 アハブの治世は22年に及びました(29節)。シドンの援護を求めて王女を娶り、カナンの神々に助けを求めたことが功を奏したかのように見えます。けれども、その道を突き進んだ結果、イスラエルはアッシリアに攻め滅ぼされてしまいます(列王記下17章)。アッシリアに連れ去られた北イスラエルの民が、解放されて帰国することはありませんでした。

 列王記の記者が、王を評価するのは、その政治的な手腕や戦争を勝利に導く勇敢さ、軍略の巧みさなどではありません。王が主の目に正しいと見えることを行ったかどうかという、その一点だけです。それは、それらの王が主の前に悪を行った結果、イスラエルの国が滅びたのだと考えている、何よりの証拠です。

 使徒パウロが、「罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです」と、ローマ書5章20~21節に記しています。

 神に背き、御言葉に聴き従わないことを、聖書は「罪」と呼びます。罪によって、神との交わりが断たれてしまいました(ローマ書3章23節)。神との交わりが断絶した状態を「死」といいます(同6章23節)。死んだ者は、呼びかけに答えません。誰も、自分の力で死に打ち勝つことは出来ません。

 だから神は、独り子キリストをこの世に遣わし、十字架でその罪を贖い(第一ペトロ所2章24節)、すべての人が無代価で神の恵みを受け、永遠の命を受け継ぐことが出来るようにして下さったのです(エフェソ書2章4節以下)。それは、神の深い憐れみです。

 主イエスを信じ、罪の赦し、救いの恵み、永遠の命を頂きましょう。キリストを心にお迎えし、親しい交わりに与りましょう(黙示録3章20節)。
 
 主よ、あなたを讃え、賛美を歌います。あなたは私たちの祈りに耳を傾け、苦難から常に救って下さいます。御使いが私たちの周りに陣を敷き、主を畏れる者を守り助けて下さいます。身許に身を寄せる人は、主の恵み深さ、その幸いを味わっています。どんなときにも主に信頼し、その御言葉に従って歩むことが出来ますように。 アーメン






2月21日(木)の御言葉  列王記上15章

「アサは、父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。」 列王記上15章11,12節


 南ユダ王国にダビデ王朝5代目の王として、アサが即位しました(9節)。アサの父はアビヤム(1節)、その父はレハブアムです(14章21節)。アサの母はアビシャロムの娘でマアカという名前であると、10節に紹介されていますが、何故かそれは、アサの父アビヤムの母と全く同じ名前です(2節)。

 並行記事の歴代誌下13章2節では、アビヤ(アビヤムのこと)の母の名はミカヤといい、ギブア出身のウリエルの娘であったと記しています。一方、母の名が同じなのは、アサの母が早死にして、祖母マアカが母親代わりを務めたと考える学者や、アビヤムの王位がわずか3年足らずだったため、アビヤムとアサが兄弟と考える学者もいます。

 ただし、8節の、「その子アサがアビヤムに代わって王となった」と矛盾することになります。いずれが正しいのか判断出来ませんが、常識的に考えれば、列王記の記述が誤りでしょう。列王記と歴代誌の系図を比較してみると、他にも違いが見つかったりして、結構面白いかもしれません。

 アサは、冒頭の言葉(11,12節)のように、主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼を追放し、偶像をすべて取り除きました。また、母マアカがアシェラ像を造ったので、皇太后の位から退け、アシェラ像は切り倒してキドロンの谷で焼き捨てました(13節)。

 曾祖父ソロモン、祖父レハブアム、そして父アビヤムの、主の目に悪とされることを行って主を怒らせるという悪しき習慣に染まず、主の道をまっすぐ歩むのは、決して容易いことではないでしょう。誰にでも出来ることではありません。

 彼の父アビヤムは祖父レハブアムが神に背いた同じ道をたどりましたし(3節)、母マアカは、アシェラ像を造った人です。罪が罪を生む悪の連鎖です。不従順の罪が3~4代に呪いを及ぼすとも言われています(出エジプト20章5節)。

 しかしながらアサ王は、そうした環境にも拘わらず、主の目にかなう正しいことを行うことが出来ました。そこには、預言者アザルヤの適切な指導があったようです(歴代誌下15章1節以下)。アサは、その預言に力を得て、宗教改革を断行したのです。

 アサの曾祖父ソロモンは、人並み外れた知恵を受け、主の幻によって繰り返し警告を聞きながら、その道をはずれてしまいました。知恵がありさえすれば、それで万事がうまく行くわけではありません。あらゆる知恵に通じて、人々を驚かせることが出来ても、主を畏れることを忘れてしまうなら、一切は無益です。主を畏れることこそ、知恵の初めであり、無知な者はそれを侮るからです(箴言1章7節)。

 12使徒の代表者ペトロは、主イエスと寝食を共にし、主イエスの様々な奇跡や不思議を目撃し、直接その教えを聞いていながら、土壇場で主を三度も否んでしまいました(マタイ26章69節以下)。それを、主イエスは予め指摘しておられました(同26章31節以下)。そのときペトロは、主を否むようなことには決してならないと断言していました。

 その思いに偽りはなかったと思います。けれども、予告通りになりました。そこに人の弱さ、罪の力が示されます。ペトロが再び使徒として立つことが出来たのは、神の憐れみです。特に、主がペトロのために、その信仰がなくならないようにと祈られた、執り成しの祈りのお陰でしょう(ルカ22章32節)。再び立ち上がったペトロは、聖霊の力を受けて、大胆に主を証しする者に変えられました(使徒2章1節以下、4章19,20節)。

 同じように、神はダビデの家の消えかかった灯火を消してしまわれたくはないのです。傷ついた葦を折り取ってしまわれたくはないのです(イザヤ書42章3節)。ダビデの故に、その家を建て、王座を永久に堅く据えて下さろうとしているのです(サムエル下7章11節以下)。そこに神の憐れみがあります。導きと助けがあります。

 私たちも主を信じ、奢ることなく高ぶることなく、謙遜に神に聴き、御言葉に従って歩みたいものです。

 主よ、まことにあなたは大いなる方、あなたに比べられる者はなく、あなた以外に神があるとは耳にしたこともありません。御子キリストの命をもって私たちを贖い、ご自分の民として御国に連なる者として下さいました。御名が永久に崇められますように。恵みと慈しみが常に豊かにありますように。 アーメン






2月20日(水)の御言葉  列王記上14章

「ユダではソロモンの子レハブアムが王位についた。レハブアムは四十一歳で王となり、十七年間エルサレムで王位にあった。エルサレムは、主が御名を置くためにイスラエルのすべての部族の中から選ばれた都であった。レハブアムの母は名をナアマといい、アンモン人であった。」 列王記上14章21節


 14章には、前半に北イスラエル王国のヤロブアムの子アビヤが病死することが記されています。ヤロブアムは、その子アビヤが病気になったとき(1節)、預言者アヒヤのことを思い出します。アヒヤは、ヤロブアムに王となることを告げた預言者です(2節、11章37節)。

 ヤロブアムは、妻を変装させてアヒヤのもとへ行かせます。それは、ヤロブアムがアヒヤの告げた言葉に背き、主の掟と戒めを守らなかったため(11章38節以下参照)、堂々と会いに行くことが出来なかったのでしょう。ただし、その変装は無駄でした。アヒヤは、老齢で目が見えなくなっていましたし(4節)、ヤロブアムの妻が変装してやって来ることを、主が予め告げておられました(5節)。

 アヒヤは、ヤロブアムが誰にもまさって悪を行い、神を怒らせたことを告げ(9節)、ヤロブアムの家に災いをもたらすと宣言します(10節)。10節の、「縛られている者も、解き放たれている者も」は、奴隷も自由人も皆ということでしょう。

 「男子であれば」は、原文を直訳すると、「壁に向かって小便する者」です。ヤロブアムの家の者が、礼儀をわきまえない不道徳な輩だと言おうとしているのでしょうか。岩波訳には、「あるいは犬のことか」とも解されています。そのため、徹底的に裁かれ、病死するその子アビヤ以外に、弔われ、墓に葬られることもないようにされるというのです(13節)。

 14章後半は、南ユダ王国のレハブアムについて言及しています。冒頭の言葉(21節)のとおり、彼はソロモンの子で、母はアンモン人でした。ユダの人々も、先祖にまさる罪を犯して神を怒らせました(22節)。

 それとはっきり記してはいませんが、レハブアムの母がアンモン人であることが、21節に続いて31節にも記されていることから、これは、ソロモンが神の規則に背いて外国の女を娶り、その神々を拝んだ罪の結果であると告げているようです(11章参照)。

 レハブアムの治世第5年にエジプトの王シシャクが攻め込み、神殿と王宮の宝物すべてを奪っていきました(25,26節)。シシャクは、ヤロブアムがソロモンを避けてエジプトに逃れたときの王です(11章40節)。

 ソロモンはエジプトの王女を妃として迎え、王宮にエジプトの王妃のための住まいを造りました(7章8節、9章16節)。エジプトとの間に和平協定が成立していたと考えられます。けれども、ソロモンの王位を継いだのが、エジプトから迎えた王妃の子ではなく、アンモン人ナアマによって生まれたレハブアムであったというのが、エジプト王シシャクを怒らせたのかも知れません。

 ところが、ユダの人々は、エルサレムの都にエジプト軍が攻め入り、宝物すべてを奪っていくという大事件が起こったにも拘わらず、その罪を悔い改めようとはしません。主がその御名を置くために選んだ都エルサレムは、異邦の民によってではなく、ユダの王並びにユダの人々によって汚され続けます(15章1節以下)。

 レハブアムは、奪われた黄金の宝物に代えて、青銅の盾を作らせました(27節)。それは、形はあるけれども、心は違うということ、神への純粋な信仰を失ってしまったと言い表わしているかのようなものです。

 私たちは、結局イスラエルは真の悔い改めに立つことが出来ず、北イスラエル王国は紀元前722年ごろアッシリアにより、南ユダ王国も紀元前587年ごろにバビロンによって滅ぼされてしまうことを、知っています。民は捕囚の憂き目に遭い、神の選ばれた都エルサレムは火で焼かれ、あらゆる宝物は奪われ、神殿も徹底的に破壊されました。

 しかし、それで終わりではありませんでした。人が汚したエルサレムの神殿を、主イエスが清められました(ヨハネ13節以下、マルコ11章15節以下など参照)。ダビデの子孫の罪の呪いをその身にすべて受け、十字架にかかって死なれました。主イエスによってすべてが新しくなるのです(ローマ書6章4節、第二コリント書5章17節)。主イエスをお迎えしましょう。

 主よ、私は罪人でした。私の罪を赦し、神の子とするために、御子が十字架にかかり、贖いの業を成し遂げて下さったことを信じ、感謝します。絶えず私の心の王座に主をお迎えします。私を新たにし、御心のままに歩ませて下さい。 アーメン






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