風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2013年01月

1月31日(木)の御言葉  サムエル記下18章

「王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じた。『若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ』。兵士は皆、アブサロムについて王が将軍たち全員に命じるのを聞いていた。」 サムエル記下18章5節

 ダビデ軍の戦いの用意が整いました。ダビデは軍を三つに分け、ヨアブ、アビシャイ、イタイを部隊長に任じます(2節)。ダビデは、兵士たちの要求によって町に留まり(3,4節)、出陣して行くヨアブらに冒頭の言葉(5節)の通り、「若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ」と命じました。

 つまり、ダビデがこの戦いで最も気にかけていたのは、息子アブサロムの命だったわけです。そのことは、戦わずしてエルサレムの王宮を明け渡したところにも表れていました(15章14節)。ダビデが出陣しようとしたのも、アブサロムを何とか保護したかったからなのでしょう。

 ここで、ダビデは息子を「若者」と呼びましたが、アブサロムは決して成人前の若者などではありません。既に息子三人に娘一人を持つ40歳の壮年です(14章27節、15章7節)※1

 しかも、謀反を起こして父親を王の座から追放し、自ら王として振る舞っている男です。そのような人物を生かしておくことは、必ず、将来に禍根を残すことになるでしょう。ダビデの命が常に狙われることになりますし、謀反を働いた張本人を赦すことは、王の沽券に関わる問題だからです。

 つまり、軍の司令官ヨアブにとっては、王ダビデを守り、国の安泰を図るためには、どうしても謀反人アブサロムは殺さなけれぱならない相手なのです。だから、ダビデの命令にも拘わらず、頭髪を薮に絡ませていたアブサロムを見つけたとき、迷わず殺せと命じ(10節)、兵がそれを拒みむと、自ら手を下してしてしまいます(14節)。

 やがて、アブサロム戦死の報をがダビデのもとに届くと(32節)、ダビデは悲嘆にくれます(19章1節:口語訳は18章33節)。ダビデにとって、アブサロムは謀反を起こした憎むべき者であり、王位継承者として期待した長男アムノンを殺して、しばらく顔も見たくないと思った相手ではあります。

 しかしながら、確かにダビデにとって愛すべき息子でもあります。ここに、ダビデは国王としての顔ではなく、一人の父親として立っています。彼の目に息子アブサロムは、危険な反逆者ではありますが、未だ若者と見え、右も左もわきまえない若者故の反逆と考えていたのです。

 主イエスは、「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを如っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」と語られました(マタイ福昔書7章11節)。自分の子どもに対する父親の愛がそうであるならば、独り子イエスに対する天の父なる神の心は、何と複雑なものだったことでしょう。悪い者を救うために、その独り子を犠牲になさったのです。

 聖なる神にとって、「生まれながら神の怒りを受けるべき者」(エフェソ2章3節)であった私たち悪しき者の罪を、そのままに放置したり、裁きなしに赦したりすることは出来ません。そこで、私たちを愛し救うために、私たちのすべての罪の呪いを独り子に負わせたのです。

 そして、その罪を徹底的に裁かれました。それは、十字架の苦しみを味わわせ、黄泉にまで落とさなければなりませんでした(使徒2章27,31節)。主イエスが十字架の上で、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれたとき(マルコ15章34節)、父なる神はそれをどのようにお聞きになられたのでしょう。父の呻き嘆く声が聞こえるようです。

 私たちはこの神の愛により、恵みによって救われました(エフェソ2章8節)。罪が赦されました(コロサイ1章14節)。神の子とされました(ヨハネ1章12節)。聖霊の導きによって、幼子が父親を呼ぷように、主なる神に向かって「アッバ(お父ちゃん)」と呼ぷことが許されたのです(ローマ8章15節)。主にあって、永遠の命に生きる者として下さったのです(第一ヨハネ5章11節)。

 感謝をもって主を仰ぎ、今日も主の御言葉に耳を傾け、御旨に従って参りましょう。


 主よ、私たちは罪人の頭ですが、憐れみによって神の子とされ、御愛のうちに生かされています。その恵みを心から感謝致します。御名が崇められますように。日々主と共に歩み、委ねられた使命のために励むことが出釆ますように。御言葉に目と耳がはっきりと開かれますように。 アーメン

註1・・18節に、「アブサロムは…跡継ぎの息子がなく、名が絶えると思った…」とあり、14章27節と矛盾します。諸説あるようですが、三人の子があったけれども、何らかの理由で早く息子たちが亡くなり、石塚を立てていたと考えるのが、一番自然ではないかと思われます。




1月30日(水)の御言葉  サムエル記下17章

「アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案がアヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである。」 サムエル記下17章14節


 王宮を脱出したダビデにすぐ追っ手をかけるため、1万2千の兵を託して欲しいと、アヒトフェルがアブサロムに求めました(1節)。疲れて力を落としているところを急襲すれば、必ずダビデを討ち取ることが出来るというのです(2節)。

 この提案を聞いたアブサロムは、しかし、アルキ人フシャイの言うことも聞いてみようと言って呼び出します(5,6節)。フシャイは、アブサロム王の下に、ダンからベエルシェバまで、全イスラエルの兵士を集結させ、全軍をアブサロム自身が率いてダビデに襲いかかれば、一人残らず滅ぼすことが出来ると提案しました(11節以下)。

 実際には、手持ちの兵で夜襲をかけ、ダビデー人を手にかける方が確実だったと思われます。イスラエル全地から兵を集めるには時間がかかリますし、ダビデより多くの兵を集められるかどうか、分かりません。

 ただ、アヒトフェルが自分で軍を率いると提案したのに対し、フシャイはアブサロムが率いて戦いに臨むと提案しているところが、決定の分かれ目になったのではないでしょうか。つまり、その戦いの功名をアヒトフェルが握るのか、それともアブサロムが手にするのかという点です。

 しかも、自分の檄でイスラエル全地の兵が集まるという提案は、どんなにアブサロムの耳に心地よく響いたことでしょう。かくて、優れたアヒトフェルの提案は退けられ、ダビデを逃亡させるために、ダビデの友(16章16節以下)フシャイの提案が採用されたのです。

 こうして、ダビデに危機を逃れ、態勢を整えるための時闘的猶予が与えられました。フシャイは、そのことを祭司ツァドクとアビアタルに告げ、急いでダビデに使者を送り、荒れ野の渡し場を渡るよう伝えさせます(15,16節)。祭司らは、自分の息子ヨナタンとアヒマアツを使者としてダビデに送ります(17節、15章36節参照)。

 ところが、この二人のことをアブサロムに知らせた者がいて、追っ手がかかりますが(18,20節)、彼らは、バフリムのある男の家で匿われ、無事に務めを果たすことが出来ました(18節以下)。

 ダビデの一行は、直ぐにヨルダン川を渡り(22節)、マハナイムに行きました(24節)。そこへ、アンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ギレアド人バルジライがやって来て、寝具やたらい、陶器、そして様々な食料品を差し入れ、ダビデたちを労いました(27節以下)。

 このように、ダビデのためには次々と、様々な協力者が現れます。ダビデには欠点が多くありますが、しかし、彼が軍人として、また王として、イスラエルのために行動して来たことが、どれほど多くの人々に支持されていたかということを、ここに見ることが出来ます。

 それにひきかえ、アブサロムは重要な人物を失います。なんと、彼の参謀アヒトフェルが、自分の提案が受け入れられなかったということで、自宅に戻り、首をつって死んでしまうのです(23節)。

 ダビデに態勢を整える時間を与え、そして戦いを交えることになればどうなるか、アヒトフェルには予想がついたのでしょう。そして、先にはダビデの顧問として仕えていた自分が、主君を裏切ってアブサロムに乗り換えたわけですから、アブサロム軍が敗れれぱ、自分がどのような目に遭わされるのかということも、見当がついたのです。

 そして、これらの背後に、主の御手があります。アヒトフェルの提案を聞いたとき、アブサロムにも、イスラエルの長老全員の目にも、正しいものと映っていたのに(4節)、アブサロムはフシャイの提案を聞いてみようと言い出しました。そして、フシャイの提案の方がアヒトフェルの提案よりも良いという、誤った判断に導かれます。それは、油注がれた父ダビデに手をかけて殺そうとするアプサロムに、主が災いを下す決定をなさったからです。

 神は地上の営みを見ていて下さいます。それは、ご自身の御心が行われるためです。主を畏れ、主に聴き、主の御旨に従って歩みたいと恵います。

 主よ、人は心に様々なことを思い図りますが、しかし、主の御旨だけが堅く立ちます。あなたは油注ぎのゆえにダビデを守られました。そこに、ダビデに対する深い主の憐れみがあります。そして、その憐れみは私たちの上にも、日々注がれています。御名が崇められますように。御心がこの地の上になされますように。 アーメン




大牟田・熊本ブロック教役者会

前にも一度書いたと思いますが、「教役者会」は「きょうえきしゃかい」と読みます。
ブロック教の役者の会などではありません。
「教役者」とは、牧師や伝道師、主事など、キリスト教会に勤めを持っている人々の集まりです。
福岡、熊本、宮崎、鹿児島、沖縄の28の教会が南九州連合という集まりを作っています。
この連合を、鹿児島ブロック(沖縄、鹿児島)、宮崎ブロック(宮崎)、大牟田熊本ブロック(福岡・熊本)と三つのブロックに分けています。

そのうち、大牟田・熊本ブロックの教役者が、1月29日(火)に菊池シオン教会に集まりました。
大牟田・熊本ブロックには11の教会があり、そこに、10人の教役者がおられます。
今回は、4人欠席されたので、出席者は6名でした。

はじめに、11月に菊池シオン教会に赴任してこられた濱川耕一牧師に、詩編102編からメッセージを頂きました。
御言葉の分かち合いをしたのち、各教会の近況報告、連合・ブロックの事務連絡、そして協議の時を持ちました。

会の後、菊池シオン教会の女性会の方々がお昼を用意して下さり、久しぶりに教役者会で食卓を囲むことになりました。
おもてなしに感謝いたします。
菊池シオン教会では、毎週火曜日の午後1時30分から聖書の学び会が行われており、お邪魔にならないよう解散致しました。

次回教役者会は、3月12日(火)10時より、山鹿教会を会場に開催致します。
大牟田・熊本ブロックが担当する連合牧師家族研修会について、協議することにしています。





1月29日(火)の御言葉  サムエル記下16章

「主がわたしの苦しみをごらんになり、今日の彼の呪いに変えて幸いを返してくださるかもしれない。」 サムエル記下16章12節


 ダビデは、息子アブサロムの謀反が明らかになってから、誰とも戦おうとしません。エルサレム城内に留まってアブサロム率いる反乱軍と戦えば、必ずダビデの方が負けるということでもなかったのではないかと思います。

 しかし、ダビデはエルサレムの町が戦乱で荒らされ、町の人々に危害が及ぶことを避けました(15章14節参照)。勿論、息子と血で血を洗う戦いをすることは、絶対にしたくなかったのでしょう。そして、自分の運命を主に委ねています(15章25~26節)。

 本章では、ダビデが先ず、ヨナタンの息子メフィボシェトの従者ツィバの出迎えを受け(1節)、その折、ツィバはメフィボシェトのことを、「『イスラエルの家は今日、父の王座をわたしに返す』と申していました」と、ダビデに告げます(3節)。ダビデが王宮を明け渡した今、王座がメフィボシェトに返されると考えているというわけです。

 ただ、19章25節以下の記事と合わせて考えると、ツィバの言葉をそのまま鵜呑みには出来ません。そもそも、アブサロムのクーデターが見事成功したとして、彼はダビデの子ですから、王座をメフィボシェトに譲るはずがありません。その程度のことも分からないメフィボシェトではないでしょう。ということで、この話は、ツィバがダビデに取り入るための作り話ではないかと思われます。

 次に、サウル一族の生き残りシムイがダビデを呪います(5節以下)。シムイの言葉には誤解、曲解が多々あります。ダビデがサウルに手をかけようとしたことはありません。しかし、ダビデはそれらの言葉を甘受します。

 ダビデの司令官ヨアブの弟アビシャイが、「シムイを討たせて下さい」と進言しますが(9節)、「主がダビデを呪えとお命じになったのだ」と答えます(10,11節)。ダビデは、シムイの呪いの言葉を、神の裁きと受け止めました。サウルの家が退けられたのはまさに主の裁きでしたが、ダビデも確かに、「流血の罪を犯した男」(8節)だったのです。

 ダビデが逃げ出したあと、入城したアブサロムは(15節)、アヒトフェルの言葉に従って、王宮に残っていたダビデの側女のところに入りました(21,22節)。それは、王位を自分のものにしたというデモンストレーションです(3章6節以下参照)。アヒトフェルの提案は神託のようだと、アブサロムのみならず、ダビデも受け止めていたようです(23節)。

 ダビデは、誘惑の前に弱い人間の代表です。決して強い者ではありません。しかし、罪が示されるとそれを素直に認め、悔い改めることの出来る人物です。今ここに自分の罪に対する裁きが語られ、王位がアブサロムに渡されるというのなら、それをそのままに受け入れます。そのようにして徹底的に悔い改めの道を歩もうとする人物なのです。

 悔い改めとは、自分のしたことを後悔すること、懺悔することというよりも、はっきり向きを変えて神に従うこと、神の言われるとおりにするということです。詩編23編は、アブサロムに追われて放浪しているときに詠ったものだと聞いたことがあります。そこに見られるように、ダビデは、死を覚悟しなければならない状況の中で、主の御顔を仰ぎ、主の導きによって平安と希望を見出す経験をしたのです。

 ダビデは、シメイの呪いの言葉を主の裁きと聞いて、謙りました。そのように、主に従って歩む中で、冒頭の言葉(12節)の通り、「主がわたしの苦しみをご覧になり、今日の彼の呪いに変えて幸いを返してくださるかもしれない」、いや、憐れみの神はきっとそうして下さる、と信じることが出来たのです。

 主は、「打ち砕かれた心に近くいまし、悔いる霊を救ってくださる」お方です(詩編34編19節)。どう祈ってよいのか分からずにただ呻いている弱い私たちを顧み、聖霊の執り成しの呻きを聞き届けて(ローマ書8章26節)、万事を益に変えて下さるお方、どんなマイナスもプラスにされるお方です(同28節)。そのように信じることの出来る者は幸いです。

 日々、愛と憐れみを限りなく注いで下さる主を信じる、幸せ者の道を歩ませていただきましょう。

 主よ、私たちの心を真理の光で照らして下さい。わたしの内に迷いの道があるかどうかをご覧下さい。どうか私たちを、永久の道に導いて下さい。私たちを憐れみ、万事を益となるように働いて下さることを感謝します。全世界に主の慈しみがとこしえに豊かにありますように。 アーメン





1月28日(月)の御言葉  サムエル記下15章

「主は生きておられ、わが主君、王も生きておられる。生きるも死ぬも、主君、王のおいでになるところが僕のいるべきところです。」 サムエル記下15章21節


 ダビデは、軍の司令官ヨアブの言葉を受け入れて、アブサロムの帰国を許しました(14章21節)。そして、2年の謹慎の後、アブサロムはダビデの前に出ることを許されます(同33節)。14章25節以下には、特にアブサロムの美しさに触れられています。また、軍の司令官ヨアブの肩入れもあります。それらのことから、次第にイスラエルの民は、アブサロムがダビデ王の正当な後継者になると期待するようになったのではないでしょうか。

 しかし、一連のダビデの態度から、自分に王位を譲るはずはないと悟ったアブサロムは、時間をかけて父から王位を奪い取る計画を立てました。先ず、自分のために戦車と馬、50人の護衛兵を整えます(1節)。それから、城門の傍らに立って、王に裁定を求めてやってくる人々の心をつかむために腐心します(2節以下)。

 やがて多くの人々の心をつかんだアブサロムは、40歳を機にヘブロンに向かい、旗揚げの用意をします(7節以下)。さらに、ダビデの顧問であったギロ人アヒトフェルを参謀として迎えることにも成功し(12節)、ついに、父ダビデに対して反旗を翻したのです。

 アヒトフェルの子エリアムは、ダビデの勇士の一人に数えられています(23章34節)。また、ダビデが妻として迎え入れたバト・シェバは、エリアムの娘と紹介されています(11章3節)。つまり、アヒトフェルはダビデの義祖父でもあるわけです。そのような人物が、ダビデを離れてアブサロムにつくようになったのです。

 それを皮切りに、アブサロムのもとに集まる民の数が数を増していったということは(12節)、ダビデが年齢を重ねて代替わりの時が近づいていることに加え、彼の犯した罪や、ダビデ家内の騒動が国内に様々な影を落とし、それで心がダビデから離れたという人々もかなりいたわけです。

 けれども、ダビデには頼りになる友も少なくありませんでした。「友の振りをする友もあり、兄弟よりも愛し、親密になる人もある」という言葉があるように(箴言18章24節)、息子アブサロムに背かれたダビデを、命がけで守ろうとする友人たちがいるのです。その一人が、ガト人イタイです。

 ガトは隣国ペリシテの都です。イタイは、ダビデに雇われた傭兵部隊の隊長です(18章2節参照)。昔の王は、国内の政治状況に左右されない外国人を個人的な護衛兵として雇っていたのです。ダビデはイタイに、「昨日来たばかりのあなたを今日我々と共に放浪者にすることはできない。わたしは行けるところへ行くだけだ。兄弟たちと共に戻りなさい」(20節)と、帰国を勧めます。

 そのときに、ガト人イタイがダビデに語ったのが、冒頭の言葉(21節)です。イタイは、ダビデの曾祖母、モアブ人ルツが姑ナオミに示したのと同じ忠誠と献身を、ここに示したのです(ルツ記1章16~17節)。

 ペリシテとイスラエルは、敵対関係にあるわけですから、ガト人のイタイがダビデの傭兵になったのは、ダビデの人徳といってよいでしょう。そして、自分自身の危機において、自分のことより傭兵のことを心にかけてくれるダビデの心情に触れて、「何があってもダビデについて行こう」と決めたのではないでしょうか。

 私たちは、主イエスが十字架の上で、自分を殺そうとする者のために父なる神に執り成し祈られた、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23章34節)という言葉で、深い主の憐れみに触れました。そうして、主を信じ、主に従う者とならせていただきました。

 イタイのように、「主は生きておられます。生きるも死ぬも、主がおいでになるところが僕のいるところです」と、常にその信仰を言い表す者にならせていただきましょう。いえ、私たちの主は、既に私たちのところにおいでになり、常に共にいて下さいます。主イエスは、「インマヌエル」(「神我らと共にいます」という意味)と唱えられるお方なのです(マタイ1章23節、28章20節)。ただただ感謝です。

 主よ、アブサロムの反逆は、元を正せば、ダビデの罪でした。預言者ナタンが告げていたとおりです。しかし、あなたはダビデを憐れまれました。同じ憐れみが、私たちにも注がれています。全世界に、インマヌエルの主の平安と喜びが常に豊かにありますように。 アーメン





1月27日(日)の御言葉  サムエル記下14章

「王様は神の御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上に起こることをすべてご存じです。」 サムエル記下14章20節


 アムノンを殺してゲシュルに逃げたアブサロムをどうすべきか、ダビデは悩みました(13章37節以下)。ゲシュルは、アブサロムの母マアカの母国であり、ゲシュルの王アミフドの子タルマイは、アブサロムの祖父でした(3章3節)。放置しておけば、二度とアブサロムはダビデの下に帰って来ないでしょう。

 ダビデは、イスラエルの王として、正義を行うためにアブサロムを処罰するべきだと思いますが、その心は父親として、アブサロムに愛を示し、罪を赦してやりたいのです。13章39節の「アムノンの死をあきらめた王の心は、アブサロムを求めていた」というのはそのことです。

 そもそも、アブサロムがアムノンを討ったのは、妹の復讐のためでした。初めにダビデがアムノンに対して断固とした態度を取っていれば、アブサロムが妹のことでアムノンに憎悪の炎を燃やし、殺害する必要はなかったと考えられるからです。

 ダビデの心を察した軍の司令官ヨアブは、アブサロムを連れ戻すために一計を案じました(1節)。ヨアブに命じられて、ダビデのもとに一人の女性が遣わされ、ダビデの知恵を求めます(2節)。それはちょうど、ダビデが自分の罪を悟るように、神がナタンを遣わして語らせたのに似ています(12章1節以下参照)。

 女性の話を聞いたダビデは、それがヨアブの入れ知恵であると気づきました(19節)。それを女性に確かめたとき、その女性は冒頭の言葉(20節)のとおり、ダビデの知恵をたたえて、「王様は神の御使いのような知恵をお持ちである」と語りました。そしてダビデは、ヨアブの考えどおり、アブサロムを赦し、家に連れ戻すことを許可します(21節)。一件落着、めでたしめでたし、と言いたいところですが、事情はそんなに単純ではありません。

 ヨアブはなぜ、王子アブサロムを連れ戻したいと思ったのでしょうか。ヨアブはかつて、弟アサエルがイスラエルの司令官アブネルに戦いを挑んで敗れ、殺されたのを恨み、策略を用いてアブネルを殺し、復讐を果たしました(3章22節以下)。即ち、ヨアブは決して寛大な人物ではありません。

 ヨアブは女性に、「はしために残された火種を消し、夫の名も跡継ぎも地上に残させまいとしています」と言わせました(7節)。つまり、アムノン亡き後、続いてアブサロムを失うことは、ダビデの名も、そして跡継ぎも、この地上に残らない、それは国を危うくすることだというのです。

 ヨアブはダビデの王位を継承する者をアブサロムと定めて、国の安定を願っているのです。あるいは、アブサロムがダビデの跡継ぎとなるとき、アブサロムに肩入れした自分の地位がさらに堅くなると考えていたのかも知れません。

 あらためて、女性は、「王様は御使いの知恵のような知恵をお持ちで、地上で起こることをすべてご存じです」と言いました。確かに、王として国を治めるためには、そのような知恵が必要でしょう。しかし、本当にダビデがそんな知恵を持っているわけではありません。故に、しばしば過ちを犯します。彼も、知恵ある者の助言を必要としている者なのです。その知恵とは、主を畏れる心に基づくものです。

 後に、へロデ王の演説に聴衆が、「神の声だ。人間の声ではない」と叫んだとき、その栄光を神に帰さなかったため、ヘロデは主の御使いに打たれました(使徒言行録12章20節以下参照)。今日の箇所には、神の知恵を求めて祈ることも、託宣を求めて預言者に尋ねることもありません。また、この女性の王を讃える言葉を聞いて、ダビデがその誉を神にお返しすることもありません。

 国の安定を願うヨアブの計画に従って、アブサロムを連れ戻すのを許したというダビデの決定、その解決方法が神からのものでなかったことは、直に明らかになります(15章以下参照)。ダビデはさらに辛い経験をしなければなりません。神の裁きが明らかになります。つまり、ヨアブは国の安定を願ってダビデに入れ知恵したのですが、それが却って国を混乱させ、ダビデの苦しみを増す結果になったのです。

 実に、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心」です(詩編51編19節)。罪の赦し、神の救いが安価な恵みとならないように、絶えず神の前に謙り、御言葉に耳を傾けて参りましょう。

 主よ、他人の相談に乗ることは出来ても、自分のことは分からない私たちです。よかれと思っても、間違っていることがあります。どうか憐れんで下さい。御名により、正しい道に導いて下さい。御言葉を聴く耳を与えて下さい。主の恵みと導きが常に豊かにありますように。 アーメン





西野修平 New Year Concert "Knock on the Door!"

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1月26日(土)午後7時より、アサナギ・ギタリスト西野修平氏による、西野修平 New Year Concert "Knock on the Door!"が、大牟田教会を会場に開催されました。このコンサートは、アサナギの第5回ニューイヤーコンサートとしてなされたもので、今回は、アサナギというギターデュオの片割れ、綾塚ロッキー氏が米国ツアーに出発しているため、ソロで開催されました。また、ニューイヤーコンサートとしては初めて、北九州、大牟田、久留米の三つの会場を回るツアーとして企画されました。
当教会を会場として選んで頂けたことを、心から感謝しています。

初めに、みんなで賛美をささげ、お祈りをしたあと、西野修平氏の登場です。
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短いコメントをはさみながら、一曲一曲、素晴らしい演奏を聴かせて下さいました。

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途中で、みんなで「ふるさと」を歌うというコーナーがあり、なんと、原田牧師が一緒にギターを弾くという驚くべき出来事がありました。国際ギターコンクール準優勝者と共演するなど、あり得ないことです。嬉しさを通り越した怖さが、緊張一杯の表情によく表われています。

そんなこともありながら、あっという間の90分が過ぎ、勿論、アンコールをお願いしました。
最後の曲は、「あなたの御言葉は」でした。
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期待していた高校生たちの参加がなかったのは残念でしたが、教会員ではない方々も男性4名、女性4名、計8名参加して下さり、この恵み溢れる時をご一緒に過ごすことが出来ました。
これから、このツアーが恒例になったら嬉しいなあと思います。
本当に感謝でした。有り難うございました。








1月26日(土)の御言葉  サムエル記下13章

「ダビデ王は事の一部始終を聞き、激しく怒った。」 サムエル記下13章21節


 異母妹タマルに恋したダビデ王の長男アムノンは、自分の強い恋愛感情をもてあましていました(1,2節)。そのとき、ヨナダブの入れ知恵でタマルを自宅に招き、思いを遂げます(5節以下、14節)。

 ヨナダブについて、「友人」と記されていますが(3節)、「ダビデの兄弟シムアの息子」というのですから、正確には「従兄弟」と紹介すべきでしょう。シムアは、サムエル記上16章9節で、「シャンマ」とされている人物でしょう。

 ところが、力づくでタマルと床を共にしたアムノンは、今度は強い嫌悪感に襲われ、タマルを追い出して戸を閉ざしました(15節)。情と欲とは満たされたけれども、力づくの行為は、後に空しさを残す結果となったのでしょう。それで、自ら力づくで行為に及んでおきながら、自分の気持ちを拒み、暴力に及ばせたタマルを憎んだのではないでしょうか。

 そうしなければ、彼は心の平静を保つことが出来なかったのです。それは、何と罪深いことでしょうか。人を傷つけ、踏みにじっておいて、しかもなお、それを相手のせいにしているわけです。けれども、それが私たちの罪の現実なのです。

 タマルの兄アブサロムは妹に、相手が長兄アムノンであることを確かめた後、「何も言うな、このことを心にかけてはいけない」と言います(20節)。それは、妹を心配してのことではありますが、しかし復讐の機会を狙うため、しばらく沈黙させておこうということでした。

 実際、彼は異母兄アムノンを殺す計画を立て、2年後、それを実行に移してしまいます(23節以下)。これらのことは、「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ書1章15節)という御言葉を思い出させます。

 そして、タマルにとって、これらのことは何の慰めにも励ましにもなりません。全く過失のないタマルが、自分の身と心に受けた傷を誰にも打ち明けられず、沈黙が強いられたのです。兄たちの激しい感情に翻弄され、その痛みから癒されることもなく、ただただ絶望するしかありませんでした。彼女の思いを知るのは、ただ神のみだったのです。

 そして、家長のダビデがこの話の一部始終を聞きました。そして、冒頭の言葉(21節)の通り、「激しく怒った」と言います(21節)。しかしながら、ダビデは何もしませんでした。アムノンを罰することも、タマルを慰めることも、してはいません。ダビデはいったい何を怒ったのでしょうか。誰を怒ったのでしょうか。そして、なぜ何もしなかったのでしょうか。その内容について、理由について、そこには何も記されていません。

 ただ、これが、預言者ナタンによって告げられていた、ダビデが犯した罪に対する罰かも知れません。ナタンは、「見よ、わたしはあなたの家の者の中からあなたに対して悪を働く者を起こそう」という主の言葉を告げていました(12章11節)。

 つまり、ダビデが犯した罪を、息子たちがなぞったのです。彼がしたように隣人のものを欲しがり、姦淫し、そして、殺し合うのです。ですから、一部始終を聞いたダビデは激しく怒ったものの、彼には息子たちを罰する資格はなかったわけです。

 8章18節で、「ダビデの息子たちは祭司となった」という御言葉を学びましたが、彼らにとって、祭司となるということはどういうことだったのでしょうか。子らのうち、誰が主の祭司となったのでしょうか。

 そもそも、祭司は神と人との間を取り持つものとして、罪の償いのためにいけにえを献げて民のために執り成し祈る者です。またウリムとトンミムで神の御心を尋ね、神の託宣を民に告げ知らせる者です。その務めを果たすために、先ず、おのが身を清めます(レビ記8章7節、ヘブライ書7章27節)。つまり、自分自身のために贖いの供え物を献げなければならない罪人であることを、徹底的に学んだ者だと言わなければなりません。

 そして、その罪の贖いのために、主イエスがダビデの子孫として生まれ、ご自身を犠牲となさったのです。そして、このお方が私たちに、ご自分の命によって、「あなたの罪は赦された」と宣言して下さるのです。この福音を携えて、家族に、友に、周囲の人々に、そして地の果てにまで、その恵みと喜びを伝えたいと思います。

 主よ、私は絶えず主イエスの救いを必要としている罪人です。主から離れ、その憐れみなしに生きることは出来ません。いつもブドウの木なる主イエスにつながり、その御言葉に留まって、豊かな実を結ぶ人生を歩ませて頂くことが出来ますように。福音に与り、その恵みと喜びを多くの方にお知らせすることが出来ますように。 アーメン





1月25日(金)の御言葉  サムエル記下12章

「ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。『主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。』」 サムエル記下12章5節


 貪りと姦淫、さらに殺人の罪まで犯したダビデ王に対して(11章参照)、主は預言者ナタンを遣わしました(1節)。ナタンはダビデに一つの話をします。それは、多くの羊や牛を持つ豊かな男が、来客をもてなすのに自分の家畜を惜しみ、近くに住む貧しい男から、娘のように可愛がっている一匹しかいない雌の小羊を取り上げて、それで客に振る舞った、という話です(1節以下、4節)。

 その話を聞いて激怒したダビデ王は、冒頭の言葉(5節)のとおり、「その男を死罪にせよ」と言い、さらに、「奪ったものを4倍にして償え」と言います(6節)。それは、正しい判断です。他人の罪は、正しく裁くことが出来ました。

 しかしながら、ダビデにはそのように裁きを行う資格はありません。ナタンはダビデに、「その男はあなただ」と告げました(7節)。ダビデこそ、すでに8人以上の妻、側女を持ちながら(3章2節以下、5章13節以下など参照)、隣人ウリヤから小羊バト・シェバを取り上げた男なのです(9節)。

 その上ダビデは、ナタンから指摘されるまで、自分の罪をそれほど自覚してはいなかったようです。神の前に、自分が何をしているのか、分かっていなかったのです。そして、これが私たちの現実です。他人の過ちは、どんなに小さくても断じて許せないと思うのに、自分の過ちには極めて寛大です。主なる神が私たちの罪を裁かれるならば、言うまでもなく、「そんなことをした男は死罪」なのです。

 ダビデは、「わたしは主に罪を犯した」と直ちにそれを認め、悔い改めました(13節)。詩編51編9,12,13節の、「ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください、わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように。・・・神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。御前からわたしを退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください」という言葉は、そのときのダビデの悔い改めの祈りです(同1節)。

 ダビデは、自分が犯した罪は、もはや自分がその命をもって償うほかはないことを、はっきり自覚しました。もしも 罪人の自分が生きるのを許されるのであれば、それには魂の清めが不可欠だ。それも、生半可のことではない、修理や改善などでは間に合わない、清い心を創造し、確かな霊を授けて頂くほかはないというのです。

 これは、ずいぶん手前勝手な願いのように聞こえます。自分が罪で汚した魂を、清いものと取り替えてもらいたい、そこに、神の確かな霊を満たして欲しいというのですから。けれども、ダビデが詠うとおり、罪人が神の御前にあって生きるには、そのように神の憐れみに寄り縋るほかはないのです。

 4人の男に連れられてきた中風の男が、家の屋根を破って主イエスの前につりおろされたことがあります(マタイ9章)。そのとき、癒しに先立って、「あなたの罪は赦される」と、宣言されました。主イエスに会うということは、この罪の赦しの宣言を聞くことだ、と学んだことがあります。

 中風の男だけでなく、連れて来た4人の男たちも、そして私たちも、先ず、主イエスに赦しの宣言を聞かなければならない罪人なのです。その宣言を聞いて初めて、自分が罪人であるということを正しく悟ることが出来るのです。そして、その罪の贖いのために、罪なき神の御子の命が支払われたのです。

 預言者ナタンは、「主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる」と言い(13節)、続けて、「しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ」(14節)と告げました。

 それを聞いたダビデはその子のために神に願い、断食します(16節)。子に罪はない、罪の呪いは自分にと願っての断食ですが、七日目に子は息を引き取りました(18節)。自分の罪のために死んだその子を思うダビデの痛みはどれほどのものだったでしょう。

 それは、誰よりも神ご自身が深く知っておられます。神は、御自分の独り子なるキリスト・イエスを、私たちの罪のために、贖いの供え物としてささげられたからです。それは、罪のない御子が十字架で血を流すこと以外に、罪人の私たちを清め、生かす術がなかったからです。

 人知を遙かに超えた主の恵みに日々感謝し、今日も主の御旨に従って歩ませていただきましょう。

 主よ、あなたは御子イエスを私たちの身代わりに十字架に磔になさるために地上にお遣わしになりました。私たちはキリストによって贖われ、自由にされました。そのことを心から感謝し、主を証しします。私たちを聖霊に満たし、主の証人として用いて下さい。救いの喜びが全世界に広げられますように。 アーメン






1月24日(木)の御言葉  サムエル記下11章

「ウリヤはダビデに答えた。『神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか。」 サムエル記下11章11節


 再びアンモンとの戦いが起こり(10章参照)、イスラエル全軍が出陣したとき、ダビデは王宮に残っていました(1節)。「年が改まり、王たちが出陣する時期」とは、春は戦争の季節ということになるのかも知れませんが、ここでは、かつてダビデは兵士の先頭に立って出陣していたのに(サムエル記上18章13,16節)、今回はエルサレムに留まっていて、それが問題だということを言い表しているのでしょう。

 ある日の夕暮れ、昼寝から覚めて王宮の屋上を散歩していたとき、水浴をしている一人の女性が目に留まります(2節)。使いを出して女性のことを調べさせると、ヘト人ウリヤの妻であるということです(3節)。ウリヤは、ダビデの勇士のうちに数えられる兵士です(23章39節)。自分の勇敢な部下ウリヤが今、戦場に赴いていることを知りながら、ダビデは使いを出してその妻を王宮に招き、床を共にします(4節)。

 しばらくして、女性が身籠もったことが分かりました(5節)。ダビデは、姦淫の罪を誤魔化すため、夫ウリヤを戦場から呼び戻し(6節)、家に帰らせようとします(8節)。しかし、ウリヤは家には帰りません(9節)。

 ダビデが理由を尋ねると、冒頭の言葉(11節)の通り、「神の箱も、イスラエルもユダも仮小屋に宿り、わたしの主人ヨアブも主君の家臣たちも野営していますのに、わたしだけが家に帰って飲み食いしたり、妻と床を共にしたりできるでしょうか」と答えました。

 戦いの最中に、自分一人、気を抜き、楽しみ過ごすことなど出来ないというわけです。本来、ダビデが言わなければならないことを、ウリヤが明言しています。翌日、食事に招き、酒に酔わせて家に帰そうとしますが、功を奏しませんでした(13節)。

 どうしても家に帰らせることが出来ないと悟ると、ダビデは、「ウリヤを最前線に出して一人置き去りにし、戦死させよ」という司令官ヨアブに宛てた手紙をウリヤに持たせます(14,15節)。ヨアブはその命令に従って、ウリヤを戦死させました(17節)。

 勇士の一人に数えられるウリヤですから、今回も最後まで勇敢に戦ったと思います。そして、王ダビデに対し、絶対忠誠を誓っていますから、自分を激戦地で戦死させるようにという手紙を持たされているときも、激戦の最前線に出ても、ダビデ王を疑うことは微塵もなかったことでしょう。

 ダビデは、ウリヤの喪が明けた後、彼の妻を王宮に引き取り、自分の妻としました(27節)。ほとんどの者はダビデの企みを知りませんから、その行為を、ダビデの好意と考えたでしょう。知っているのは司令官ヨアブだけですが、彼も王の命令に従ってウリヤを戦死させた共犯者ですから、沈黙せざるを得ませんし、王がおのが思うままに振る舞うのは、当時の常識というものだったのではないでしょうか。

 ダビデは、自分の姦淫の罪を覆い隠すため、勇敢で忠実な僕ウリヤを殺し、その妻を自分のものにしてしまいました。こうして、殺すな、姦淫するな、隣人のものを欲するな、という十戒に背きます(出エジプト記20章13,14,17節)。

 もしダビデが、僕ウリヤのごとく考え行動していれば、こういう罪を犯すことはあり得ません。部下にはそのように教えながら、ダビデ自身は失格者です。「全イスラエルを支配し、その民すべてのために裁きと恵みの業を行う」べき王が(8章15節)、「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった」と言われる罪を犯してしまったのです(27節)。

 しかし、そのことは一人ダビデの問題ではありません。すべきことを知っていながらそれをせず、してはならないと知りながら、それをしてしまう私たちです(ローマ書7章15節以下)。

 ペテロも、「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、だれかを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」(第一ペトロ書5章8,9節)と記しています。私たちは、悪魔との戦いの中にいるということです。だから、身を慎んで目を覚ましていなければならないのです。

 ウリヤに、信仰の姿勢を学びましょう。日々御言葉に耳を傾け、御霊の導きに従いましょう。お互いに、信仰によって勝利出来るよう、主の導きを祈りましょう。

 主よ、私はあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。弱い私の祈りに耳を傾け、憐れんで下さい。私の助けとなって下さい。あなたは私の嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせて喜びを帯として下さいます。いつも主を仰ぎ、御言葉に従って行動することが出来ますように。絶えず唇の実を主にお献げすることが出来ますように。 アーメン




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