風の向くままに

新共同訳聖書ヨハネによる福音書3章8節より。いつも、聖霊の風を受けて爽やかに進んでいきたい。

2012年11月

11月30日(金)の御言葉  士師記12章

「あなたたちが救ってくれることはないと思い、わたしは命がけでアンモン人に向かって行った。主は、わたしの手に彼らを渡してくださった。どうして今日になってわたしに向かって攻め上り、戦おうとするのか。」 士師記12章3節


 娘の死を悼んでいるエフタの許に、エフライム人がやって来て、「アンモン人との戦いに出向いたとき、なぜあなたは、わたしたちに同行を呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも焼き払ってやる」と言います(1節)。エフライムの人々は、ギデオンがミディアンと戦って勝利したときにも、同じように、「なぜ自分たちを呼ばなかったのか」と言ってギデオンを責めました(8章1節)。

 それは、彼らがギデオンやエフタを助けたかったからということでも、共にイスラエルを守りたかったからということでもないでしょう。彼らは、ギデオンやエフタによる勝利を妬ましく思い、その栄誉を横取りしようとしている物と思われます。

 その背景には、臨在の幕屋がエフライムのシロに置かれており、かつ、モーセの後継者ヨシュアの出身部族なので、自分たちがイスラエルの中心部族だという自負を持っていたのでしょう。しかしながら、彼らが先頭に立って戦うつもりがあるのかといえば、実際には、エフタとギレアドの民がアンモン人と戦いを交えているときに援軍を頼んでも、それに答えてはいないのです(2節)。

 ギデオンの時に、スコトやペヌエルの人々が、むしろミディアン人を恐れて、最も小さい氏族出身で駆け出しのギデオンに助力することをはばかったように(8章4節以下)、エフライムの人々は、18年にわたって押さえつけられてきたアンモンに立ち向かう勇気を持ち合わせていなかったのでしょう。

 そして、前にギデオンに対して、エフライムの栄誉を要求したとき、ギデオンは、ミディアンの二人の将軍を討ち取る栄誉をエフライムに与え、彼らの憤りを和らげるという態度を示しました(7章24節以下)。それに味を占めて、エフタに対しても同じ要求をして来たのです。

 しかし、このエフライムの人々の物言いは、エフタを怒らせました。実際、エフタが助力を求めたときには援軍を送ろうともしなかったのに、勝利が確定した今、「なぜ同行を呼びかけなかったのか」などと、よく言えたものです。冒頭の言葉(3節)の通り、エフライムから援軍はやって来ないと知って、エフタは命がけでアンモンと戦ったわけですし、勝利を得るために一人娘を犠牲にさえしているのです(11章31節、34節以下)。

 ツァフォンに集結していたエフライム人とエフタ率いるギレアド軍との間で戦いが起こり、そして、ギレアド軍がエフライム軍を打ち破りました。そして、エフタはヨルダン川の渡し場を押さえ(5節)、そこを渡ろうとする者に、「シイボレト」と言わせます。それは、「川の流れ」という意味ですが、エフライム人は、それを正確に発音出来ません。エフライム訛りで「シボレト」という者は直ちに捕らえられ、4万2千ものエフライム人が犠牲となりました。

 この戦いは、全く無益なものです。エフライムの人々は、少なからずアンモンに苦しめられていたのですから(10章9節)、エフタの勝利を共に喜び祝うべきでした。栄誉を横取りして自分のものにしたいという彼らの思い上がりが、この悲劇を招きました。一方、エフタにしても、エフライム人を全滅させたとしても、娘が生き返ってくるわけではなく、彼の怒り、悲しみは収らないでしょう。

 主イエスが、ベルゼブル論争の折、「国が内輪で争えば、その国は成り立たない。家が内輪で争えば、その家は成り立たない」(マルコ3章24,25節)と仰っています。このようにイスラエルの部族間で分かれ争い、殺し合っていて、どうして立ち行くでしょうか。

 「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払い」ましょう(フィリピ2章3,4節)。お互いに相手を尊敬し、互いに愛し合うならば、私たちが主の下僕であることを、皆が知るようになるのです(ヨハネ13章34,35節)。

 主よ、私たちは、人が褒められるとケチをつけたくなり、人がくさされると気分がよくなるという、屈折した感情を持っています。どうか私たちの心を探り、御前に相応しくない汚れた思いを取り去り、主の血潮によって清め、絶えずとこしえの義の道に導いて下さい。 アーメン




11月29日(木)の御言葉  士師記11章

「わたしがアンモンとの戦いから無事に帰るとき、わたしの家の戸口からわたしを迎えに出てくる者を主のものといたします。わたしはその者を、焼き尽くす献げ物といたします。」 士師記11章31節


 ギレアドに集結して戦いを仕掛けて来るアンモン軍に対し、イスラエル軍はミツパに陣を敷いて、これを立ち向かいます(10章17節)。ギレアドの長老たちは、勇者(1節)として知られたエフタに対し、軍の指揮官になるよう要請します(6節)。

 エフタは遊女の子で、正妻の産んだ子らと折り合いが悪く、父ギレアドの家を追放されていました(2節)。エフタはトブの地に身を落ち着け、そこにならず者が集まり、行動を共にするようになっていました(3節)。トブの地は、ギレアドから北東に広がるシリヤ(アラム)の肥沃な地です。だから、「トブ」=「よい」地というのでしょう。

 エフタをギレアドの指揮官にするということは、誰もが彼の力を認めているということです。ということは、エフタがギレアドの家を追放されることになったのも、彼の兄弟たちがエフタの力を恐れてのことだったのかも知れません。彼の許にならず者が集まったのも、人を引きつける力があるということです。

 12節以下には、指揮官となったエフタがアンモン王に使者を送って告げさせた言葉が記されています。「奪った土地を返せ」と要求するアンモン王に対し(13節)、「イスラエルはモアブの地もアンモンの地も奪いはしなかった」と答えます(15節)。そもそも、モアブ、アンモンは、イスラエルの父祖アブラハムの甥ロト一族の子孫です(創世記19章37,38節、申命記2章9節以下、18節以下)。

 さらに、アモリ人と戦ってその領土を占領したこと(19節以下、22節)、イスラエルの神がアモリ人を追い払われたように、アンモン人はケモシュの神が与える地をとるべきこと(23節)、モアブの王バラクとは、戦いを構えなかったこと(24節)、ギレアドの地に住み始めて既に300年になるのに、その間一度も取り返すという話はなかったこと(26節)などを挙げて、今、イスラエルがアンモンに攻め込まれる理由はないと結論します(27節)。

 ところが、アンモン王はそれに耳を貸さず(28節)、戦いが始まります。そのとき、主の霊がエフタに臨みました(29節)。神がエフタに味方して、知恵と力を授けられたということでしょう。そこでエフタは、ミツパからアンモンに向かって、大胆に兵を進めます。

 その際、彼は神に誓願をします。それが冒頭の言葉(31節)で、神がアンモンとの戦いに勝利させて下さるなら、凱旋して家に帰ったとき、最初に彼を出迎えた者を主のものとすると誓いを立てたのです。そのように誓願をしなければ、勝利がおぼつかなかったというわけでもないと思いますが、18年に亘ってイスラエルを苦しめているアンモンに勝利するためには、是が非でもという思いがそこに働いていたのでしょう。

 主はアンモンをエフタの手に渡され、縦横にアンモン人を打ち破らせたので、アンモン人はイスラエルに全面降伏しました(33節)。ところが、意気揚々引き上げて来たエフタを出迎えたのは、彼の一人娘でした(34節)。

 独り子イサクを献げるようにと神に求められたアブラハムと同様、自分が言い出したこととはいえ、それはエフタにとって、アンモンとの戦いに敗れるよりも辛いことだったでしょう。彼は衣を引き裂いて、「ああ、わたしの娘よ。お前がわたしを打ちのめし、お前がわたしを苦しめる者となるとは」と慨嘆します(35節)。

 エフタは、娘が出迎えると考えていなかったわけです。娘の方も、凱旋してきた父を喜ばせようとして、鼓を打ち鳴らし、踊りながら出迎えたわけで、まさかそれが、父を悲しませることになるとは、想像もしていなかったことだったでしょう。娘にその責任があるはずもありませんが、文字通り、エフタはその事実に打ちのめされてしまったのです。

 ただ、名も記されない娘ですが、彼女は父に、主の御前に誓ったとおりにして下さいと言います(36節)。主への誓願であり、それによる戦勝であるということを、しっかり受け止めたのです。エフタはその通りに娘を献げました(39節)。

 人の命が死でおしまいになるなら、まさしく絶望的な話ですが、私たちは、死後の世界があると信じています。その世界を開いて下さったのは、神の独り子イエス・キリストです。神はご自分の独り子を十字架につけて犠牲とし、キリストを信じる者に死んでも死なない永遠の命を授けて下さいます。

 神は、誓ったとおり独り子を犠牲にするエフタの気持ちも、犠牲となった娘の思いも、ご自分の身に引き受け、彼らに永遠の命をお授け下さったと信じます。私たちの主は、憐れみと慈しみに富む神だからです。

 主よ、イスラエルは、エフタの娘の犠牲により、彼らを苦しめていたアンモンに徹底的に勝利することが出来ました。私たちは今、御子イエスの贖いにより、主を信じる信仰に導かれ、罪と死の呪いから解放されました。恵みの主の御足跡に従い、右にも左にも逸れることがありませんように。 アーメン




11月28日(水)の御言葉  士師記10章 

「イスラエルの人々は主に言った。『わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください。ただ、今日わたしたちを救い出してください』。」 士師記10章15節


 アビメレクの死後、トラ(1節)、そしてヤイルと(3節)、士師が立てられました。主は、士師と共にいて、士師の存命中、敵の手からイスラエルを救って下さいました。イスラエルが敵に苦しめられ、呻いているのを哀れに思われたからです(2章18節参照)。

 ところが、士師が召されると、イスラエルの人々は「主の目に悪とされることを行い、バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕え」ました。「彼らは主を捨て、主に仕えなかった」のです(6節)。

 そこで、主はイスラエルに対して怒りを燃やし、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡されました(7節)。ペリシテはイスラエルの南西に、アンモンはイスラエルの東に位置する国です。いわば、東西の国々に挟まれて18年もの間、苦しめられたのです。

 そこで、イスラエルの人々が主に助けを求めて叫びますが(10節)、主は、「あなたたちはわたしを捨て、他の神々に仕えた。それゆえ、わたしはもうあなたたちを救わない。あなたたちの選んだ神々のもとに行って、助けを求めて叫ぶがよい。苦境に立たされたときには、その神々が救ってくれよう」と、突き放されます(13,14節)。

 とりつく島もないといったところですが、確かに、そう言われても仕方のないことでした。しかし、本当に主に見捨てられてしまうならば、イスラエルはどうして立ち行くことが出来るでしょう。苦境に立たされなければ、そのことに気づけないというところが、私たちの弱さ、愚かさです。しかしながら、主なる神は、悔い改めて主を求める者の祈りを無視されることはありません。

 イスラエルの民は、冒頭の言葉(15節)の通り、「わたしたちは罪を犯しました。わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください。ただ、今日わたしたちを救い出してください」と、主に祈り願いました。そして、悔い改めのしるしとして、異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕える姿勢を示したのです(16節)。

 それで主は、イスラエルの苦しみを見て見ぬふりをするのに耐えられなくなり(16節)、再び彼らを助けるために、士師エフタをお立てになるのです(11章1節以下)。

 アンモンの人々がギレアドに陣を敷いたのに対してイスラエルに人々はミツパに集まって陣を敷きました(17節)。「ミツパ」とは、見張り所という意味です。国境付近、また重要な場所にミツパが設けられました。聖書には、5カ所ほどミツパが登場します。ギレアドのミツパといえば、ヤコブが叔父ラバンと契約を結んだ場所です(創世記31章43節以下、49節)。

 そのときラバンが、「我々が互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように」と言いました。前述の通り、ミツパは敵を見張るという言葉ですが、ラバンはこれを、神が見張っていて下さるというように考えたわけです。

 冒頭の言葉で、イスラエルの民は主に向かって、「わたしたちに対して何事でも御目にかなうことを行ってください」と言っています。「御目にかなうこと」とは、原文のヘブライ語では、「あなたの目におけるすべてのよいこと」という言葉です。「よい」とは、ヘブライ語で「トブ」と言います。神がその目で「トブ」をくまなくご覧になります。

 そして、まるで語呂合わせであるかのように、というかまさに語呂合わせですが、ミツパに集結しているイスラエルのために、主は御目をもって周囲を見張り、「トブの地」をご覧になって、そこからエフタを士師として呼び出されたのです(11章3節参照)。

 私たちの目が開かれて、周囲が見えること、目先が利くことは重要なことかも知れませんが、しかし、主が見ていて下さること、目を留めて下さるということは、なんと素晴らしいことでしょうか。主が御目にかなうことをなして下さることは、素晴らしいことです。主の御前に謙り、主に相応しくないものを私たちの内から一掃し、主に心からお仕えしましょう。


 主よ、私の内側を探って下さい。主の御名を汚す、御前に相応しくないものを取り除いて下さい。御言葉と主の血潮によって清めて下さい。新しい確かな霊を授けて下さい。主の御業が前進しますように。 アーメン







11月27日(火)の御言葉  士師記9章

「茨は木々に言った。『もしあなたたちが誠意のある者で、わたしに油を注いで王とするなら、来て、わたしの陰に身を寄せなさい。そうでないなら、この茨から火が出て、レバノンの杉を焼き尽くします』。」 士師記9章15節


 ギデオンの側女の子アビメレクがシケムに来て(1節)、母方の叔父たちに、「エルバアルの息子七十人全部に治められるのと、一人の息子に治められるのと、どちらが得か」と尋ねます(2節)。ここで、「七十人全部に治められる」というのは、ギデオンの息子たち70人の合議による統治ということではないでしょう。アビメレクが自ら王となろうとしているのと同様、70人がそれぞれ、自分が王となろうとして互いに争っていたのだと思います。

 だから、ここでアビメレクは、異母兄弟である他の70人が王となることを望むか、それとも身内の自分が王となることを望むかと、親族である母方の叔父たちに尋ねているわけです。それで叔父たちは、自分たちの身内のアビメレクを推す方が得だと判断し、その話をシケムのすべての首長に告げ、そして、バアル・ベリトの神殿から銀70をとってアビメレクに渡したのです(3,4節)。

 すると、アビメレクはならず者を雇って、オフラにある父の家に行き、自分の兄弟70人を殺しました(5節)。そこで、シケムの人々は、アビメレクを王としました。イスラエル全体の初代の王はサウルですが(サムエル記上10章参照)、アビメレクはここで、シケムの町の王となりました。

 「ベト・ミロ」(6節)とは、「盛り土の家」という意味で、シケムの町の神殿は、盛り土された上に建てられており、有事の際には、要塞にもなりました。つまり、「すべての首長とベト・ミロの全員」とは、町の長老と神殿の祭司たちのことで、彼らが勢揃いして,アビメレクを王に任じたのです。

 そのとき、ギデオンの70人の息子たちの中でただ一人生き残った末の息子ヨタムが、ゲリジム山の頂から、シケムの首長たちに向かって大声を張り上げ、話を始めます(7節)。それは、木々が相応しい木を選んで王となってくれるように頼むという話です(8節以下)。

 木々は、先ず実のなる木を選んで、交渉を始めます。オリーブ、いちじく、ぶどうの名が上げられています。しかし、それらの木は、主から託された大切な使命を捨ておいて、木々の王となることは出来ないと断りました。それで、次に茨を選び、王となる要請をします。ヨタムの語った茨の答えが、冒頭の言葉(15節)です。

 ここで、オリーブやイチジク、ブドウの木は、ギデオンとその息子たちのことでしょう。ギデオンは、王となってほしいというイスラエルの民らの要請に対し、自分も息子たちもイスラエルを治める者にはならないと答えて、それを断りました(8章23節)。しかし、アビメレクは茨ですから、その陰に身を寄せるならば、トゲに悩まされ、彼を裏切るならば、茨から火が出てすべてが焼かれてしまうのです(15,20節)。

 それはヨタムが語った呪いの言葉ですが(57節)、アビメレクとシケムの人々の間には、三年の間に陰険な空気が漂うようになり、次第に裏切りを画策するようになります(22節以下)。アビメレクはそれと知って戦いを仕掛け、シケムの町を破壊します(44,45節)。首長たちは神殿地下壕に逃げ込みますが(46節)、アビメレクはそこに火をつけて焼き殺してしまいます(49節)。

 さらにアビメレクは、シケムの北東15kmほどのところにあるテベツに向かい、そこを攻撃します(50節以下)。人々は町の中の堅固な塔に立て籠もります(51節)。アビメレクがこれに攻撃を仕掛け、火を放とうとしたとき(52節)、一人の女が投げた挽き臼の石で頭を砕かれ、死にました(53,54節)。こうして神は、ギデオンの子らの血の報復を,アビメレクとシケムの首長たちに果たされたのです。

 かくて、ギデオンの定まらない姿勢、無自覚にもその子にアビメレクと名付ける思い上がりが、子らに大きな悲劇をもたらしました(8章27節参照)。どこまでも主を畏れ、主の御旨に生きていれば、金の耳輪でエフォドを作り、それを拝むという偶像礼拝に手を染めることも、多くの子どもたちによる後継争いも、アビメレクによる異母兄弟殺しも、従って、シケムの町が破壊されることもなかったでしょう。

 思い上がる心こそ、一番の問題であることを自覚し、絶えず謙って主の御言葉に耳を傾けるものでありたいと思います。

 主よ、あなたは高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになります。あなたに服従し、悪魔に反抗します。主の御言葉こそ、私たちの魂を救うものです。御言葉に従う者とならせて下さい。 アーメン






11月26日(月)の御言葉 士師記8章

「ギデオンは彼らに答えた。『わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる』。」 士師記8章23節


 ギデオンがミディアンの大軍を打ち破り(7章21節)、敗走する兵を追撃するため、ナフタリ、アシェル、全マナセに呼びかけ(同23節)、エフライムには、ミディアン人を迎撃するように依頼しました(同24節)。その結果、将軍二人(オレブとゼエブ)を捕らえて殺し(同25節)、そして、12万もの兵を打つことが出来ました(10節)。

 こうして、7年間にわたって苦しめられたミディアン人を打ち破ることが出来て、皆さぞ満足だろうと思いきや、エフライムの人々はギデオンに、ミディアンとの戦いになぜ最初から招集しなかったのか、と文句を言います(1節)。

 それは、中心聖所が置かれているシロの町はエフライムに属しているという自負から、マナセで最も小さい氏族のギデオンに従うことをよしとしない思いや、栄誉を独り占めしたいという功名心などが、そのような言動となったのでしょう。だから、「神はミディアンの将軍オレブとゼエブをあなたたちの手に、お渡しになったのだ。あなたたちと比べて、わたしに特に何ができたというのか」というヨシュアの言葉に溜飲を下げたのです(3節)。

 ギデオンはさらに3百の兵士を率いてミディアンの王ゼバとツァルムナを追い、ヨルダン川を渡りました(4節)。夕べからの戦いで疲れを覚えていたので、スコトに来てパンを求めたところ(5節)、スコトの民はミディアンを恐れていて、ギデオンを信用しません。すでにゼバとツァルムナを捕まえたというのでなければ、パンはやれない、たかだか300ほどの兵士で何が出来るかというところでしょう(6節)。

 次のペヌエルでも、同様の答えが返ってきました(8節)。スコトもペヌエルも、ヨルダン川東部のギレアドの地、ヤボク川流域の町で、ガドの領地です。ミディアンに対する恐れもさることながら、イスラエルの部族間の不和の様相は、戦国時代のようです。

 結局、疲れと空腹の上に、同胞から信用されないという憤りや失望感を抱えたまま、二人の王を追撃しなければなりません。それでも、3百の兵で1万5千のミディアン軍を打ち破ります(10節以下)。これはまさに、主ご自身がイスラエルのために戦っていて下さるからこその勝利でした。

 イスラエルの人々がギデオンに、「ミディアンの手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください」と言います(22節)。つまり、王となるよう要請したわけです。それに対してギデオンは、冒頭の言葉(23節)の通り、「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる」と答えました。

 確かに、ミディアンの手からイスラエルを救ったのはギデオンではなく、主です。主が戦って下されば、勝利は約束されています。主に背き、その怒りを買うので、諸外国に苦しめられるわけです。「主があなたたちを治められる」と語ったところに、ギデオンの信仰を見る思いがします。

 しかしながら、その言葉とは裏腹なことを、ギデオンはします。それは、戦利品として手に入れた金の耳輪を差し出させ、それでエフォドを作らせたことです。エフォドとは、大祭司が身につけるものです(出エジプト記28章6節以下)。サムエル記上23章9節以下に、ダビデが祭司にエフォドを持ってこさせ、神の御旨を尋ねるという記事があります。

 ギデオンが金でエフォドを作ったのは、身につけるためではなく、ヤハウェの神像の代わりでしょう。「主がイスラエルを治められる」と答えたので、目に見える神の像を作り、それを自分の町に置き、神意を尋ねたのです。ギデオンはそこで、祭司の役割を果たしたのでしょう。日本の天皇が神道の大祭司であるように、古来、王はしばしば祭司の役割を担いました。ということは、ギデオンはこのとき、さながら王として振る舞っているわけです。

 ミディアン人に殺されたギデオンの兄弟が、「皆、王子のような風貌でした」(18節)と言われるのがその伏線です。そしてまた、ギデオンが多くの妻を持ち、70人もの子をなしたのは(30節)、優秀な男児を産んで後継者とするための仕組み(大奥のようなもの)でしょう。

 また、側女の産んだ子に、アビメレクと名をつけていますが、これは、「父は王」という意味です。つまり、ギデオンはいつしか、自分が王であるという意識を持つようになってしまっていたのではないでしょうか。けれどもそれは、主なる神の御心にかなう道ではなかったのです。

 どこまでも、へりくだって主に仕え、主を畏れて御言葉に聞き従いましょう。


 主よ、あなたは助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に助け出して下さいます。主は打ち砕かれた心に近くおられ、悔いる霊を救って下さいます。あなたの身許に身を寄せる人は、なんと幸いなことでしょう。主の恵み深さを味わい知るからです。ハレルヤ! アーメン





11月25日(日)の御言葉 士師記7章

「主はギデオンに言われた。『手から水をすすった三百人をもって、わたしはあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分のところに帰しなさい。』」 士師記7章7節


 士師として選ばれたギデオンは、イズレエル平野に陣を敷いたミディアン人、アマレク人、東方の諸民族に対して(6章33節)、マナセ、アシェル、ゼブルン、ナフタリから兵士を集めて(同34,35節)、イズレエル平野の南、ギルボア山の麓、エン・ハロド(「ハロドの泉」の意)に陣を敷きました(1節)。

 ミディアン人らは、「イナゴのように数多く、平野に横たわって」おり、「らくだも海辺の砂のように数多く」いました(12節)。それを迎え撃つギデオンの兵士の数は、3万2千人です(3節参照)。

 武装はもとより、その数において劣勢を強いられるイスラエルですが、主はギデオンに、「あなたの率いる民は多すぎるので、ミディアン人をその手に渡すわけにはいかない」と言われました。その理由は、「渡せば、イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう」ということです(2節)。そこで、敵の大軍の前に恐れ戦いている者2万2千をを帰らせると、残りは、1万人になりました(3節)。

 敵の大軍の前に、決して多いとは言えない数です。けれども主は、「民はまだ多すぎる」」と言われ、水辺に下りて、水の飲み方で民を分けさせます。それは、冒頭の言葉(7節)のとおり、手で水をすくい、すすって飲んだ3百人だけを残して、あとは家に帰らせるということでした(6,7節)。主は、この3百人の手にミディアン人を渡そうと約束されます。

 この3百人は、イスラエルの中で飛び抜けて実力がある、特別に勇敢な兵士というわけではないでしょう。そういう基準を設けるなら、6章で学んだとおり、士師のギデオン自身が失格するかもしれません(6章17節、36節以下参照)。

 戦いに赴く兵士のより分け方について、膝をついて水をなめる者たちは、戦いの心備えが出来ていない、水を手にすくってすすった者たちは、片手に武器を持ち、いつ戦いが始まっても対応出来る心構えが出来ていたという解釈を聞きます。

 それは、その通りだろうと思いますが、しかし、大の大人が、膝をついて水をなめるでしょうか。いないとは言いませんが、97%の男がそうするなどとは、到底思えません。それに、3百人がそれぞれ、一騎当千の勇者というような力の持ち主であれば、これまた、「イスラエルはわたしに向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言う」という事態になることでしょう。

 その意味で、「神の助けがなければ、到底ミディアンに対抗することなど出来なかった」と言わせるために、主はむしろ力の弱い少数者を選ばれたのではないでしょうか。力が弱ければ、慎重にことを進めるでしょう。知恵を巡らすでしょう。そして何より、神に依り頼むはずです。

 開戦前夜、ギデオンは主に命じられ、敵陣をこっそり偵察します(9節)。一人では恐ろしかったので、従者プラを同行させました(10,11節)。そこで一人の敵兵が仲間に、「大麦のパンがミディアン陣営に転がり込んで、天幕を倒してしまった」という夢の話をしていました(13節)。すると、その仲間が、「それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない」と、その夢解きをしたのです(14節)。

 それに力を得たギデオンは、ひれ伏して感謝を捧げます(15節)。陣営に戻り、3百人を百人ずつ三つに分けました(16節)。そして、敵陣のところまで近づいて角笛を吹き、松明をかざし、「主のために、ギデオンのために剣を」と叫ぶと(19節以下)、敵陣営の至るところで同士討ちが起こり、自滅の状態でした(22節)。

 何しろ、全員が右手に角笛、左手に松明の入った水瓶を持っているということは(16,20節)、誰も剣や槍を持っていないということです。それなのに、武装でも兵の数でも圧倒的に勝っているはずのミディアン軍が、ギデオンの前から蜘蛛の子を散らすように敗走したのです。

 イスラエルの民はこの戦いで、神が味方して下さり、その御言葉を信じて立つと、人の知恵や力では考えられない神の御業を見ることが出来ることを学んだのです。人には出来ないことも、神には何でも出来るからです。


 主よ、イスラエルの民は、苦難を経る度に主を仰ぎ、その救いの恵みを経験することが出来ました。確かにあなたは、御名を呼び求める者を皆お救い下さいます。私たちも主を信じ、日々その御言葉に耳を傾けます。主の御業を拝し、御名の栄光を褒め称えさせて下さい。 アーメン





クリスマス案内

クリスマス案内が出来ました。
クリスマスは、キリストの誕生をお祝いする日です。

今年のクリスマス行事は、光の子幼稚園のクリスマス音楽祭が12月15日(土)9時、教会のクリスマス礼拝が12月23日(日)10時30分、クリスマス祝会が12月23日(日)13時、そしてクリスマスイブ・キャンドルサービスが12月24日(月)19時からです。

PDFファイルで御覧頂けます。
URL http://www.h7.dion.ne.jp/~omutabc/index121225.pdf

クリスマスを教会でご一緒にお祝い致しましょう。




11月24日(土)の御言葉 士師記6章

「ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、『平和の主』と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。」 士師記6章24節

 6章は、5人目の士師「ギデオン」が選任されるところです。当時、主の目に悪とされることを行ったため、主は7年間、イスラエルをミディアン人の手に渡しておられました(1節)。そこでイスラエルは、助けを求めて神に叫びました(6節)。

 その叫びを聞かれた神は、ギデオンを士師として選び立てられます(11節以下)。しかし彼は、勇敢な人物ではなく、むしろ、小心な男でした。彼はミディアンが襲ってくると聞いて、早めに収穫し、酒ぶねに隠れて脱穀していました(11節)。来るなら来い、いつでも相手になってやるという大胆さはなかったのです。

 主の御使いから、「勇者よ、主はあなたと共にいます」と言われますが(12節)、「主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン人の手に渡してしまわれました」と言い返しました(13節)。

 それに対して主は、「あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか」と言われますが(14節)、「わたしの一族はマナセの部族の中で最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です」と答えて(15節)、士師就任を断わろうと思っているのです。

 主の御使いは再度、「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディアン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる」と約束します(16節)。するとギデオンは、「あなたがわたしにお告げになるのだというしるしを見せてください」と言います(17節)。そうまで言うなら、確かな証拠を見せよということでしょう。およそ主の御使いを信用してはいないのです。

 しかるに神は、なんとギデオンの要求に応えられました。ギデオンが用意した供え物の肉とパンに主の御使いが杖の先で触れると、岩から火が出てその供え物を焼き尽くしました(21節)。それを見たギデオンは、自分のところに遣わされていたのが主の御使いであることを悟り、主なる神に向かって不遜な言葉をはき続けていたことを知って恐れます(22節)。

 けれども、神はギデオンを赦され、「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない」と言われます(23節)。そこでギデオンは、冒頭の言葉(24節)の通り、そこに祭壇を築いて、「平和の主」(アドナイ・シャローム)と名付けました。なぜ彼は、「平和の主」と名付けたのでしょうか。

 強国に苦しめられていた当時のイスラエルには、平和がありませんでした。イスラエルの人々の心は、不安と恐れに包まれていたのでしょう。何とかしてこの状況から脱出したいと考えていたと思います。こちらの神を拝むと御利益があると聞けば行って拝み、あちらに霊験あらたかな社があると聞けばそこで手を合わせるという日々ではなかったでしょうか。

 それもこれも、平和を手に入れたいがための行動だったと思います。溺れる者はワラをもつかむという心境でしょう。しかし、溺れている者が藁をつかんでも、何の助けにもなりません。ミディアン人の前に、自分たちが拝み、救いを願った神々が何の助けにもならないことを味わったギデオンは、「主が共にいる」という祝福の言葉を聞いても、私たちは神に見捨てられた存在なのだと言うほかなかったわけです。

 けれども彼は今、目の前に生きておられる神を見ています。そのお方は自分を生かし、イスラエルを救って下さるお方なのです。主なる神は、ギデオンが用意した供え物をお受け取りになりました。ギデオンは罪赦され、神との間に平和を得たのです。ギデオンが平和を作ったのではなく、神が平和を下さったのです。だから、ギデオンは、神を称して、「平和の主」と呼んだわけです。

 心に平和が与えられたギデオンは、自分たちの中にある偶像、恐れと不安から逃れたいと思って持ち込んだ神々を切り倒しました。もうそれらのものは必要がないのです。むしろ、偽りの神々のために、まことの神を信じることも、まことの平和を味わうことも出来なくなっていたことに気づいたのです。ギデオンは、こうして神の命令に従って内側にある悪を切り倒して取り除き、まことの神、平和の主に聴き従う道を開くことが出来たのです。


 主よ、私たちの信仰と祈りの祭壇は、壊れやすいのです。ちょっとしたことで、信仰が骨抜きになります。祈りの生活が疎かになります。絶えず平和の主への賛美と祈りがささげられますように。御言葉に聴き従う信仰が確かなものとなりますように。 アーメン





11月23日(金)の御言葉 士師記5章

「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが、イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか。」 士師記5章8節

 1節に、「デボラとアビノアムの子バラクは、その日次のように歌った」と記されていますが、5節の「わたしデボラは」などといった表現から、これは、「デボラの歌」と言われています。

 この歌は、20年にわたってイスラエルを苦しめたカナンの王ヤビンの軍勢を滅ぼすことが出来て、勝利をお与え下さった神を賛美するものです。これはちょうど、解放され、意気揚々と国を脱出したイスラエルの民を追いかけて来たエジプトの軍勢を、神が葦の海の奇跡をもって打ち破られたとき(出エジプト記14章)、モーセや女預言者ミリアムが主を賛美したのと同様です(同15章)。

 4,5節で、「主よ、あなたがセイルを出で立ち、エドムの野から進み行かれるとき、地は震え、天もまた滴らせた。雲が水を滴らせた。山々は、シナイにいます神、主の御前に、イスラエルの神、主の御前に溶け去った」というのは、まさにエジプトからイスラエルの民を解放された神が、今ここに立ち上がって、デボラとバラクに勝利をお与え下さったと歌っているわけです。

 「アナトの子シャムガルの時代」に、「隊商は絶え、旅する者は脇道を行き、村々は絶えた」(6,7節)というのは、シャムガルが士師として働いていた時代というよりも(3章31節)、その後の時代、イスラエルが再び神に背いたためにカナンの王ヤビンが鉄の戦車を用いてイスラエルを苦しめたので(4章1節以下)、往来から人通りがなくなり、畑を耕す者もいなくなったということでしょう。

 「ヤエルの時代」(6節)が、「ヘベルの妻ヤエル」(4章21節)のことを指すと考えれば、尚更です。そんなときにデボラが士師とされ、立ち上がったのです。

 冒頭の言葉(8節)で、「新しい神々を選び取ったので、城門に戦いが迫ったが」とあるのは、ヒゼキヤの代にアッシリア軍がイスラエルに攻め込み、エルサレムの陥落も時間の問題となったという状況を思い浮かべます(列王記下18章13節以下)。

 「イスラエルの四万人の中に、盾も、槍も見えたであろうか」というのは、鉄の戦車900両を押し立ててやってくるシセラ軍に対し、兵士は4万人いるものの、なんとその手に槍も盾もない、丸腰の状態だということでしょう。これでは、初めから戦いになりません。

 にも拘わらず、「奮い立て、奮い立て、デボラよ、奮い立て、奮い立て、ほめ歌をうたえ。立ち上がれ、バラクよ、敵をとりこにせよ、アビノアムの子よ」と言われます(12節)。到底、ほめ歌を歌えるような心境にはなれそうもありませんし、そんな状態で奮い立ってシセラ軍に対抗しようというのは、およそ無謀としか言えないようなことでしょう。

 けれども、神はイスラエルのために特別な仕掛けを用意しておられたのです。20,21節に、「もろもろの星は天から戦いに加わり、その軌道から、シセラと戦った。キション川は彼らを押し流した、太古の川、キション川が」と記されています。古代イスラエルでは、星が雨を造ると信じられていました。

 そして、タボル山に集結したイスラエル軍に対し、シセラ軍はキション川に集結しますが(4章6,7節)、大雨でキション川が溢れ、鉄の戦車も押し流されて、全く使い物にならなかったということでしょう。4章15節の「主は、シセラとそのすべての戦車、すべての軍勢をバラクの前で混乱させられた。シセラは車を降り、走って逃げた」というのは、川の氾濫が原因だったというわけです。

 イスラエルの兵士たちはほとんど武器を持っていませんでしたが、万軍の主が彼らのために、彼らと共に戦って下さり、勝利を収めさせられました。デボラとバラクに「奮い立て」と言われたのは、その主を信頼せよ、という表現だったわけです。信じる者の幸いを、ここにも見ることが出来ました。
 
 主よ、私たちの信仰の目が開かれ、どのような状況下でも、共におられ、私たちのために戦って下さるあなたに目を留めることが出来ますように。信仰の耳が開かれ、「奮い立て」と言われる主の御声をさやかに聞くことが出来ますように。そして、主の御業を拝して、心から御名を褒め称えさせて下さい。 アーメン




11月22日(木)の御言葉 士師記4章

「わたしも一緒に行きます。ただし今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです。」 士師記4章9節


 ベニヤミン人の士師エフドが亡くなると、イスラエルの民はまたもや神に背いてその怒りを買い(1節)、ハツォルの王、カナン人ヤビンの手に渡されました。ヤビンは20年にわたり、イスラエルをその力で押さえつけました(3節)。ハツォルの王ヤビンについて、ヨシュアによって剣で殺され、ハツォルは火で焼かれたと、ヨシュア記11章10,11節に記されています。ハツォルの町を再建したカナン人の王がヤビンと名乗ったということでしょうね。

 イスラエルの民が主に助けを求めて叫んだので、神は、エフライム人ラピドトの妻、女預言者デボラを士師として立てられます(4節)。アロンの姉ミリアムが女預言者と言われ(出エジプト記15章20節)、ヨシヤ王の時代には、見つかった律法の書を持って女預言者フルダの許に主の御旨を伺いに行ったという記事があります(列王記下22章14節)。

 また、清めの期間(生後40日)が過ぎて神殿に詣でた主イエスの両親を女預言者アンナが迎え、神を賛美したと記され(ルカ福音書2章22節以下、36節)、そして、執事として選ばれ、福音宣教者として活躍していたフィリポの4人の娘たちも預言をしていたと語られるなど(使徒言行録21章8,9節)、旧新約聖書のあちこちに女預言者が登場し、よい働きをしています。

 デボラは、ナフタリのケデシュから、アビノアムの子バラクを呼び寄せます(6節)。「ナフタリのケデシュ」は、ガリラヤ湖の北およそ20kmにある町であり、また「逃れの町」」として選ばれたところでもあります(ヨシュアア記20章参照)。エフライム人のデボラが北端の町の住民について知っているというのは、彼女の活動の広さを思わせることですが、まさに預言者として、神の霊感によってバラクの存在を知ったのでしょう。

 ただ、デボラの夫の名「ラピドト」は、稲光を表わす言葉で(出エジプト記20章18節)、「バラク」は、稲妻を表わすヘブライ語の普通名詞です。稲妻と稲光、バラクのあだ名がラピドトで、二人は実は夫婦ではないかというのは、読み込み過ぎでしょうね。

 ハツォルは、ケデシュの南10kmにあり、ナフタリ族の嗣業の地に属する町です。後に、ソロモン王がこの町を要塞化し、北の守りの要としました(列王記上9章15節)。ヤビンは9百両もの戦車を有しており、イスラエルの民はその力に対抗出来ませんでした。

 バラクは、ケデシュの住民として、カナンの王ヤビンの力を知らないはずはありません。それでもデボラの要請に応えて立ち上がったのは、彼も士師デボラの女預言者としての働きを知っていたからであり、そして勿論、ヤビンを倒せば、苦しみから解放されて自由を得ることが出来るからです。そこで、「あなたが共に来てくださるなら、行きます。もし来てくださらないなら、わたしは行きません」と言いました(8節)。

 冒頭の言葉(9節)は、デボラの返答です。「わたしも一緒に行きます」は、原文では、「必ず」という表現があります。そこに、士師としてのデボラの意志があります。バラクの求めがなくても、そのつもりだったというところでしょう。

 しかし、バラクに同行を求められて、デボラは、「今回の出陣で、あなたは栄誉を自分のものとすることはできません。主は女の手にシセラを売り渡されるからです」と言います。これは、バラクが「わたしは彼をおまえの手に渡す」(7節)と言われた主の御言葉よりも、女預言者デボラの力に頼ろうとしたため、主からの栄誉を受けられなくなったということでしょう。

 ヤビンの将軍シセラは、主によってバラクの前に混乱させられ、軍勢が一人残らず剣に倒れました(15,16節)。シセラ一人だけが逃げ延びて、カイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に入り、身を隠します(17節以下)。ところが、ヤエルは天幕の釘を、安心して熟睡しているシセラのこめかみに打ち込み、死なせました。女預言者デボラが語ったとおり、主なる神がシセラを女の手に売り渡されたので、そこで命を失ってしまったのです。

 シセラがヤエルに、「人が来て、ここに誰かいるかと尋ねれば、だれもいないと答えてほしい」と言っていましたが(20節)、「誰かいるか」を正確に訳すと、「男はいるか」です。確かに、バラクがやって来たときには、シセラはヤエルの手に落ちていて、その家に「男」はいなくなっていました。

 デボラの預言どおりになったということは、ヤエルがシセラを打った背後に、軍勢を混乱させて打ち破らせ、王ヤビンを滅ぼしてイスラエルを救うという神の御手があったということです。ということは、今回の出陣の栄誉はすべて、主のものなのです。

 主よ、栄誉が誰のものになったとしても、自分たちを苦しめていた敵が打ち破られたのですから、バラクはそれを喜んだことでしょう。自分にその栄誉が与えられたならば、それを神にお返ししたことでしょう。私たちも絶えず御前に謙り、御言葉に従って行動することが出来ますように。御名を崇めさせ給え。 アーメン





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